2022年1月28日金曜日

映画『麻希のいる世界』評text藤野 みさき

私の生きる意味


※このレヴューには、作品の結末に触れている箇所がございます。まだご覧になられていない方はご注意くださいませ。

 

 © SHIMAFILMS


 塩田明彦監督の『さよならくちびる』が公開されたのは約三年前に遡る。

 まだ新型コロナウイルスの影がこの世界を覆う前の、さいごの春のことだった。主演を小松菜奈と門脇麦がつとめ、映画の挿入歌「誰にだって訳がある」「たちまち嵐」の二曲を人気アーティストのあいみょんが提供。解散を目前とした女性ドゥオ「ハルレオ」のさいごのツアーを描き、映画はヒットを記録。主演のふたりをはじめ、音楽も話題となったことは、記憶にあたらしい。

 塩田監督は『さよならくちびる』に出演した、あるふたりの女の子に眼を留める。ともに映画初出演の、新谷ゆづみと、日高麻鈴である。当時ふたりはハルレオのファンとしてキャスティングをされていたのだが、彼女たちのきらめき、才能はすばらしく、クランクアップのあと、塩田監督はふたりに言った。「君たちのお芝居、ほんとうに面白かったです。君たちで企画を考えたいね」と……。塩田監督の想いが、『麻希のいる世界』を誕生させたのだ。

 

『麻希のいる世界』は、ひとりの主人公である、高校二年生の青野由希(新谷ゆづみ)の視点からはじまる。幼い頃から重い病を患い、彼女の表情からは悲しみや虚しさの影がおちる。「この世界に私の生きる意味なんてあるのか」。由希の瞳は、まるで私たちに訴えかけているかのようだ。

 そんなある日、由希は海辺の小屋からひとりの女の子がでてくるのを眼にする。彼女が、この映画のもうひとりの主人公の麻希(日高麻鈴)だった。それからというもの、引き寄せられるかのように、由希は麻希を追ってゆく。まるで、ずっともとめていた「いま私が生きている意味」をみつけたかのように……

 本作『麻希のいる世界』は、同じ高校に通う由希と麻希を中心に、由希の母親と、あたらしい父親、その息子で幼なじみの祐介(窪塚愛流)との複雑な関係が描かれる。そして、麻希という女の子と出逢うことにより、由希の色褪せた世界が変わってゆく日々を、彼女たちの愛する音楽とともに奏でる、ふたりの少女の青春譚である。


 © SHIMAFILMS

 

 小学校の六年のとき病気で一年学校をやすんで

 戻ってきたらクラスに知っている顔がひとりもいなくなっていて

 家に帰っても親は私のことで喧嘩して離婚して

 それで中学のとき あたし家出したのね

 私がいなくなったらお父さん帰ってくるのかと思って

 でも行くとこないから あの小屋に三日間くらい隠れて

 戻ったら お母さんの横にいたのは別のひとだった

 それが 祐介のお父さん

 なんだ、そういうことか

 そういうことなんだな 世のなかって……

 それでこの間あのときのことを思い出しながら ここを歩いていたら

 あの小屋から麻希がでてきた

 

 海辺にふたり横たわり、由希は手をのばし太陽にかざす。

 由希がいままで誰にも言えなかったこと、開けなかった扉の奥の感情を、麻希は由希をみつめながら、そっと聴いていた。あの日、海辺の小屋からでてくる麻希に、由希は自分の幻影をみたのだろう。由希と麻希は、ことばを交わさなくても、心をわかりあうことができた。家族も、友だちも、学校の先生も、クラスメイトも、みんなから疎外されて、ずっと孤独を歩んできたふたり。はじめて出逢った、心をひらける相手。由希にとって、それが麻希であり、麻希にとって、それが由希だったのだ。この出逢いを機に、ふたりはおたがいがかけがえのない存在になってゆく。

 

 主人公の由希を演じられた、新谷ゆずみ、麻希を演じられた、日高麻鈴の演技もすばらしい。

 新谷は、2003年に生まれ、2014年に少女漫画雑誌『ちゃお』主催のモデルオーディション「ちゃおガール」で準グランプリを受賞。モデルとして活動する傍ら、女性アイドルグループ「さくら学院」に2019年まで活動した。新谷にとって『麻希のいる世界』は、塩田監督の作品では『さよならくちびる』につぐ二作品目となり、初の主演作品となる。

 新谷演じる由希は、心で会話をする女の子だ。寡黙だが、その心には、怒り・悲しみ・孤独など、様々な感情が存在している。新谷はことばを最小限に、瞳だけで感情を語る。最初の曇った瞳から、麻希と出逢うことで、由希の瞳にひかりとつよい意志が宿る。その眼差しが、本当にすばらしく、彼女の瞳の演技が、本作をより豊穣な作品に昇華させていると言っても過言ではない。

 由希とは対照的な麻希を演じられたのが、日高麻鈴だ。2003年に生まれて、新谷とおなじく2019年まで「さくら学院」で活動。彼女にとっても、『麻希のいる世界』が初の主演作品となった。

 新谷演じる由希とは違い、由希が静なら、麻希は動である。彼女は感情に牙をもち、破壊的で、周囲を威嚇する。だから学校でもいい噂はながれず、「麻希には気をつけたほうがいいよ」といった忠告が由希についてまわる。でも、麻希の心は叫んでいた。「どうして誰も私をわかってくれないの」と、心の涙をながしていたのではないだろうか。日高は、全身をつかい、怒りや悲しみの感情を、麻希という人物そのものを、見事に演じていた。そして、忘れてはいけないのが、日高の歌唱力のすばらしさである。映画は音楽を通じて、由希と麻希のむすびつきをより強固なものにしてゆく。


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 冷たいぜ 風が鋭くなってく

 うるさいよ 匂いが真冬の匂いが

 

 おおきく開いた鋭い瞳で力強く歌いギダーをかき鳴らす麻希を、アップでとらえるキャメラ。麻希の歌声から伝わる怒りや溢れる感情が、私たちの心にナイフのように刺さる。美しい声をもつ麻希にとって、歌は彼女のいのちであり、彼女の心の声を表現するものでもあるのだ。

 学校の帰り道にくちずさむ「ざーざー雨」、バンド活動で歌う「排水管」。どちらの曲も麻希の歌声をひきたたせ、由希もその歌声を、麻希の姿を、ちからつよくみつめている。「歌で食べていけたらいいのになって……」。このことばは、麻希が麻希であるための、祈りのように思えた。

 

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 生涯のなかで「このひとのために生きたい」と思える出逢いが、幾つあるだろう?

 由希は、たとえ誰からなにを言われようと、麻希のことを守り、信じた。信じることは、沈黙の愛である。信じられることで、麻希は心を開き、彼女もまた由希を信じた。幼なじみの祐介は言う。「由希のことが好きなんだ」と。しかし、祐介の想いは、由希の心に遠く届かない。もはや誰しもが、ふたりの感情にはいる余白はないのだ。

 しかし、由希と麻希は、ずっと一緒に居ることはできなかった。ある日、曲の制作中にアクシデントで麻希が倒れ、彼女はそのまま記憶を失った。自分が誰であるのかも、なにをしてきたのかも、そして由希と過ごした時間も、思い出せなくなってしまった。それを聞いた由希はショックで倒れ、病室で眼が覚めたとき、彼女は声を失っていた。

 

「ねぇ、由希! 生きてる証、のこせてる?」

 深い喪失のなかにいる由希に、小さい頃から傍にいた優子はさけぶ。あまりにも周囲の人間が死んでゆくので、「あたしらが頑張らないと誰も覚えていてくれないよ。あたしたちのことなんか」と言う優子に、「だからあたしものこしておきたいんだよ。私の生きた証」と、由希は前にベンチで話していたことがあったのだ。

 由希は記憶を失った麻希に逢う。彼女の表情は穏やかで、名前も変わっていた。もちろん、由希のことも、麻希は覚えてはいない。でも、由希はスマートフォンから麻希が歌った曲を聴かせる。「……これ、私?」。瞳を輝かせ、頷く由希。麻希は優しい表情で、「このデータもらっていい?」と言い、由希が聴かせてくれた音声ファイルを受け取った。


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 由希は自転車で去ってゆく麻希をみつめる。

 由希の心にはいまも麻希が麻希であったときの記憶がよみがえる。海辺でふたり寝転び語りあった日、ギターをもって麻希とレコーディングをした日、何気ないけれども、もう二度と戻ることのない時間。麻希と逢えたこと、一緒に過ごした時間は、いまの由希のいのちそのものだ。麻希は由希に教えてくれた。由希がずっと探しもとめていた、生きることの意味を。世界に絶望し、心を閉ざしながら安全な毎日を送ることより、危険な世界に飛びこんだとしても、毎日を燃えるように生き、愛することができたのなら。その経験で負った傷さえも、愛おしく、美しい。

 誰かのために一生懸命になれること、大切なひとを信じぬけることの強さ。その想いは、たとえ記憶がなくなっても、離ればなれになっても、ふたりの魂はずっとあの頃の日々を覚えている。

 あなたは、自分の生きる証をのこせていますか? そして、大切なひとの生きた証を、覚えていますか?


(text:藤野 みさき)


『麻希のいる世界』
2022年1月29日より渋谷ユーロスペース、新宿武蔵野館ほかにて公開
© SHIMAFILMS


『麻希のいる世界』

英題:The World of You

2022年/日本/89分/5.1ch/アメリカンビスタ1:1:85/DCP


◉ 作品解説

重い持病を抱え、ただ“生きていること”だけを求められて生きてきた高校2年生の由希(新谷ゆづみ)は、ある日、海岸で麻希(日髙麻鈴)という同年代の少女と運命的に出会う。男がらみの悪い噂に包まれた麻希は周囲に疎まれ、嫌われていたが、世間のすべてを敵に回しても構わないというその勝気なふるまいは由希にとっての生きるよすがとなり、ふたりはいつしか行動を共にする。ふと口ずさんだ麻希の美しい歌声に、由希はその声で世界を見返すべくバンドの結成を試みる。一方で由希を秘かに慕う軽音部の祐介(窪塚愛流)は、由希を麻希から引き離そうとやっきになるが、結局は彼女たちの音楽作りに荷担する。彼女たちの音楽は果たして世界に響かんとする。しかし由希、麻希、祐介、それぞれの関係、それぞれの想いが交錯し、惹かれて近づくほどに、その関係性は脆く崩れ去る予感を高まらせーー。


◉ スタッフ

監督・脚本:塩田明彦

製作総指揮:志摩敏樹、山口貴義 プロデューサー:大日方教史、田中誠一

撮影:中瀬慧

美術:井上心平

編集:佐藤崇

照明:福島拓矢

録音:松野泉

装飾:遠藤善人

衣裳:篠塚奈美

ヘアメイク:倉田明美

助監督:毛利安孝

制作担当:高田聡

音楽プロデューサー:田井モトヨシ

音楽:鈴木俊介


◉ キャスト

新谷ゆづみ、日高麻鈴、窪塚愛流、鎌田らい樹、八木優希、大橋律、松浦祐也、青山倫子、井浦新


◉ 劇中歌

「排水管」(作詞・作曲:向井秀徳)

「ざーざー雨」(作詞・作曲:向井秀徳)


◉ 製作・配給

シマフィルム株式会社 © SHIMAFILMS


◉ 配給協力・宣伝

プレイタイム


◉ 公式サイト

https://makinoirusekai.com/ 


◉ 公式Twitter

@makinoirusekai


◉ 劇場上情報

2022年1月29日(土)より、渋谷ユーロスペース、新宿武蔵野館ほかにて公開


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【執筆者プロフィール】

藤野みさき:Misaki Fujino
1992年、栃木県出身。シネマ・キャンプ映画批評・ライター講座第二期後期受講生。

映画のほかでは、美容・セルフネイル・自分磨き・お掃除・断捨離、洋服や靴を眺めることが趣味。FW・ムルナウをはじめとする独表現主義映画・古典映画・ダグラス・サークなどのメロドラマを敬愛しています。

2022年も、ひとつひとつ丁寧に、映画のレヴューを書いてゆけたらと思っております。本年もどうぞ宜しくお願い申しあげます。


Twittercherrytree813

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