2022年12月27日火曜日

東京国際映画祭2022〜映画『隠し砦の三悪人』[4Kデジタル・リマスター版]トークショーレポートtext藤野 みさき

もしも黒澤明監督の映画と出逢わなかったら、私は映画監督になっていなかったと思います—ジュリー・テイモア

 

『隠し砦の三悪人』©︎ 1958 東宝

 

 本年で35回目を迎えた東京国際映画祭。

 新型コロナウイルスの影響が懸念されるなか、本年は海外からの審査委員・ゲストがおおく来日をされ、連日さまざまなトークショー、質疑応答などがおこなわれました。本年より「黒澤明賞」が東京国際映画祭に14年ぶりに復活。「黒澤明賞」は世界の映画界に貢献、またはこれから世界に羽ばたく輝きをひめた映画人に贈られる賞とし、本年は、アレハンドロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督、深田晃司監督の2名が受賞されました。同賞の連携企画として、「黒澤明の愛した映画」と題された合計9本の映画が上映。そのなかのひとつである『隠し砦の三悪人』は、第9回ベルリン国際映画祭で監督賞、国際映画批評家連盟賞に輝き、黒澤明監督の代表作のひとつとして、世界中の人々から愛されている作品です。アフタートークでは、本年の東京国際映画祭の審査委員長であり、映画監督・舞台演出家のジュリー・テイモアさんをまねき、黒澤監督への熱き想いを語りました。ここにその模様の全文を記します。(東京国際映画祭2022公式Youtubeアーカイヴ動画より。構成・文:藤野 みさき)



©︎ 2022 TIFF

Ⅰ 黒澤明監督の映画との出逢い

 

ジュリー・テイモアさん(以下JT):こんにちは。本日は黒澤明監督の映画を観るには完璧な日だと思います。私は実は15歳のときに初めて『羅生門』(1950年)を観ました。当時、私はパリでパントマイムの勉強しておりました。そして毎日のようにパリのシネマテークに通っては、外国の映画、そして日本の映画も観ておりました。外国の映画には字幕はついていませんでしたが、字幕がついていなくても、黒澤明監督の作品はちゃんと理解できました。私は、『羅生門』は、最高のものがたりのひとつだと思っております。我々はいままさに『羅生門』で描かれている世界を生きています。「誰のいう真実が、本当の真実なのか?」ということです。そして、私がもうひとつ黒澤監督の映画から感銘を受けたのは、かれの描くビジュアルの才能でした。無声映画を通して、いかに映像が力をもつのか、また劇中の「動き」、キャメラとレンズの使いかたなど、そのようなことから、私は、黒澤明監督は世界のなかで最高の巨匠であると思っております。現代でかれのような領域に達しているひとは誰もいないと思うのです。そして、三船敏郎さん、最高ですよね!

 

Ⅱ 黒澤明監督の映画 シェイクスピアをはじめ、海外からの影響について

 

市山尚三さん(以下市山):いま『羅生門』のお話しを伺いましたが、もちろん、ジュリー・テイモアさんは他の黒澤監督の映画もご覧になられていると思います。みなさまもテイモアさんのことをご存知と思いますが、舞台演出家としても『ライオン・キング』(1997年)を演出なされたことが有名です。そして映画監督としても作品を発表していらっしゃいます。『フリーダ』(2002年)や、最近ですと『グロリアス 世界を動かした女たち』(2020年)という作品が本年公開されたばかりです。そして、テイモアさんはシェイクスピアの作品も何本か監督されておられます。『タイタス』(1999年)、『テンペスト』(2010年)、『夏の夜の夢』(2014年・舞台演出)など。これはある意味で非常に黒澤監督と共通している部分だと思いますが、黒澤監督の撮られたシェイクスピア(の戯曲がベースとなっている)作品はご覧になられていますか?

 

JT:はい、シェイクスピアの作品に基づいている作品はすべて観ております。まずは『蜘蛛巣城』(1957年)ですね。黒澤監督のすばらしいところは、かれのシェイクスピアに基づいた作品は、シェイクスピアを超越しているといいますか、シェイクスピアの作品ではないのです。言語がもちろん違いますし、翻訳ものでもないと思います。かれはシェイクスピアの題材をしっかりと捉えており、日本の文化にあうように脚色をしています。これはすばらしい偉業だと思うのですが、現代では批判を受けてしまうかもしれません。

『乱』(1985年)を例にあげますと、三人の娘が、(黒澤監督の作品のなかでは)男性に変えられています。おそらく日本の文化のなかでは女性がそこまで権力を持つことがないことに基づいているのだと思いますが、それは本当に関係のないことなのです。こどもであるということ、親や目上のひとにたいしての尊敬もあります。ですが、何よりシェイクスピアの作品を忠実に描いているということが、世界中の人々の心に、作品が、そしてものがたりが響くのです。シェイクスピアは世界で最も優れた脚本家であると思います。世界にはかれの作品に基づいた映画が900本以上存在する、ということがそれを証明しています。シェイクスピアの作品にある人間性というものを、黒澤監督はしっかりと捉えられていたと思います。

 

Ⅲ 海外から見る黒澤明監督の作品 映画監督同士がおたがいに影響を与えあうこと

 

市山:黒澤監督は、シェイクスピアだけでなく、海外、とくにヨーロッパの文学作品に基づいた作品も撮られています。例えば、ドストエフスキーの小説の映画化である『白痴』(1951年)、『どん底』(1957年)などがあげられます。現在、国立映画アーカイブでは「脚本家 黒澤明」という企画展がおこなわれているのですが、そこでバルザックがお好きだったということも展示物のなかで明らかにされておりました。我々日本人からしますと、海外の方々には黒澤監督の作品はわかりやすいのか、それとも日本的な部分があるのか、そのことについてはどのように思われますか?

 

JT:非常にわかりやすいと思います。

 

市山:わかりました。もうひとつ話題をあげますと、黒澤監督の撮られたもののなかに『生きる』(1951年)という作品があります。本作はイギリスを舞台に『生きる—LIVING』(2022年)という題名でリメイクがなされて、あすの東京国際映画祭のクロージングを飾る作品になっております。そのように、黒澤監督のオリジナルの作品が、海外でリメイクをされるということも起こっております。テイモアさんは『生きる』はご覧になられていますか?

 

JT:はい、『生きる』はもちろん観ているのですが、何年も前のことのためコメントを述べることができないのです。リメイク版はまだ観ておりません。

 

市山:私は『生きる—LIVING』を観ているのですが、非常に忠実に追っており、イギリス映画として成立しているように思えました。ですので、私が考えたのは、もしかすると黒澤監督のオリジナルの作品は、海外でリメイクがしやすいのかなと思ったのです。


©︎ 2022 TIFF


Ⅳ 『隠し砦の三悪人』について

 

JT:『羅生門』は『暴行』(1964年)としてリメイクをされています。これは南北戦争後の時代に基づいており、人種差別の問題も扱っていますが、根本的な題材は「誰が殺したのか? 誰の視点を信じるのか?」という、まさに『羅生門』で描かれていることです。この『隠し砦の三悪人』は、ジョージ・ルーカス監督が『スター・ウォーズ』(1977年)を制作するときのインスピレーションになったというのは非常に有名な話です。ですが、実は私は『スター・ウォーズ』を観ていないので、なんとも言うことができません。しかし、もともと黒澤監督は、この『隠し砦の三悪人』をジョン・フォード監督の作品からインスパイアされて製作したとも言われております。ですので、映画監督同士が、おたがいに他の監督の作品から影響を受けて製作するというのは、セルジオ・レオーネ監督の『続・夕陽のガンマン 地獄の決斗』(1966年)も該当します。この作品もまた黒澤監督の作品に影響を受けたと言われています。ですので、それぞれの国、文化にあわせて、他の監督からインスパイアされている作品というのは多いのです。

 

市山:いま『隠し砦の三悪人』をご覧になられたばかりですが、本作は以前にご覧になられていますか?

 

JT:はい、何年も前に観ています。実は昨夜と今朝観直したのですが、最初は音声のある状態で観ていました。二回目は音声を消して観たのですが、これは本当に映画を製作したい、勉強したい方々にとっては、最高の教科書になると思いました。大変衝撃を受けたのです。やはりフレームのつかいかたや構成、そしてどのように動きを見せるのか、というところまで。まさに絵画を描くような、かれはまさに画家なのではないかと、そして振付師でもあると思うのです。また能の音楽を侍の戦の場面などで用いていますが、最近このようなことを若い映画監督はやらなくなっていると思うのです。キャラクターを表現するために、音楽をつかうですとか。これはもしかするとテレビが関係しているのかもしれませんが、現在は本当に娯楽性、商業主義に走り過ぎていると思います。ですので、みなさんは是非とも、一度目は音声のある状態で、二度目は音声を消して映画を観ていただけると、黒澤監督がいかに優れた映画監督であるのか、ということがわかると思います。天才的だと思います。


©︎ 2022 TIFF

Ⅴ 黒澤明監督の表現力 キャメラワーク、演出方法について

 

(観客のみなさんは)いまご覧になられたばかりですのでおわかりになると思いますが、馬を追いかけている三船敏郎さんがいて、かれから逃げてゆくふたりの男を映すとき、キャメラは静止しています。そして、三船さんがふたりの男に近づくとき、キャメラはパンをするのです。そうすると、三船さんの背景はとても速く動きます。パワーや興奮が、すべて三船さんに注がれるのです。そして対照的にふたりの男は弱く表現されています。ですので、黒澤監督はキャメラワークを用いて、私たちの感情を動かしているのです。私は最初に観たときは気がつかなかったのですが、2回目、3回目と観たときに、初めてそのことに気がつきました。「なんて天才的なのだろう!」と、感じまたのです。同じシーンの最後のほうで、馬の走る足をクローズアップで映しだします。そのことによって、さらに興奮度は高まりますし、より力や緊張感を与えることができます。ですので、キャメラのアングル、動きで、この場面を演出しているのです。

黒澤監督といえば、ワイドショットを多用することで有名ですが、最近の監督さんたちは誰もワイドショットを撮らないのです。これは予算的なこともありますが、テレビ、またはインターネットの配信用であるがためにできない、ということもあるでしょう。最近はクローズアップ、または手持ちキャメラが多くなっています。ワイドショット、ワイドスクリーンといいますのは、登場人物、情報など、すべてを埋めなくてはなりません。背景でも、手前でも、なにかが起こっている、非常に複雑なショットになります。これは構成がしっかりしていないとできないことです。これは最近の作品ではまったく観られない手法です。黒澤監督は、ロングレンズとショートレンズの両方を用いておりますし、お姫様が山のうえにいて、手前に男性たちがいるという、非常にダイナミックな構図も撮られています。さまざまなレンズを使い分けて撮っているところが、観ていて「すごいな」と、思いました。

 

 最後に

 

市山:お話しが尽きないのですが、時間が迫ってまいりました。ジュリー・テイモアさんから、なにか黒澤監督の作品に付け加えることがありましたら、お話しください。

 

JT:もしも黒澤明監督の映画と出逢わなかったら、私は映画監督になっていなかったと思います。

 

市山:ありがとうございました。そして、みなさまぜひ、ジュリー・テイモアさんの映画をご覧ください。特に今年アメリカで公開された『グロリアス 世界を動かした女たち』という作品がございます。主演のジュリアン・ムーアが女性人権活動家を演じている、本当にすばらしい作品です。(本国での)上映は終了してしまいましたが、インターネットの配信などで観ることができると思います。まだご覧でないかたは、是非ともテイモアさんの作品をご覧になってください。

 

※ ジュリー・テイモア監督の最新作『グロリアス 世界を動かした女たち』は、2023513日より日本での劇場公開が決定いたしました。従って、本稿では邦題で明記しております。ご了承くださいませ。

 

(text:藤野 みさき)


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©︎ 1958 東宝

『隠し砦の三悪人』[4Kデジタル・リマスター版]

英題:The Hidden Fortress4K Digitaly Remastered Version

1958年/139分/モノクロ/日本/日本語

監督:黒澤明

脚本:黒澤明、橋本忍、菊島隆三、小国英雄

制作:黒澤明、藤本真澄

音楽:佐藤勝

撮影:山崎市雄

編集:黒澤明

キャスト:三船敏郎、千秋実、藤原釜足、上原美佐、藤田進

 

◉ 作品解説

戦国時代を舞台に、敗軍の侍大将が姫君と軍資金を守りながらふたりの百姓を従えて敵中を突破するアクション活劇。興行的に大成功するとともに、ベルリン映画祭で監督賞を受賞した。世界中に存在する素晴らしい名作の数々。それらをスクリーンで鑑賞する機会は限られています。黒澤明賞の復活に伴い、ここに世界のクロサワが愛した名作が鮮やかに蘇ります。(第35回東京国際映画祭公式ホームページ、映画『隠し砦の三悪人』[4Kデジタル・リマスター版]作品解説より。)

 

『グロリアス 世界を動かした女たち』

原題:The Glorias

2020年/アメリカ/英語/147分/カラー/ビスタ/5.1ch/字幕翻訳:髙橋彩

監督:ジュリー・テイモア

脚本:ジュリー・テイモア、サラ・ルール

出演:ジュリアン・ムーア、アリシア・ヴィキャンデル、ティモシー・ハットン、ジャネール・モネイ、ベット・ミドラー

提供:木下グループ

配給:キノシネマ

公式サイト:https://movie.kinocinema.jp/works/theglorias/

2023513日(金)より、kino cinema横浜みなとみらい他にて全国順次公開

 

【第35回東京国際映画祭】

開催期間:20221024日(月)〜112日(水)【10日間】※会期終了

会場:

【日比谷会場】東京ミッドタウン日比谷/TOHOシネマズ日比谷/日比谷ステップ広場/BASE QTOHOシネマズ シャンテ/東京宝塚劇場

【有楽町会場】東京国際フォーラム/有楽町よみうりホール/角川シネマ有楽町/ヒューマントラストシネマ有楽町/丸の内ピカデリー/有楽町micro FOODIDEA

【銀座会場】シネスイッチ銀座/丸の内TOEI

【丸の内会場】マルキューブ(MARUCUBE

公式ホームページ:https://2022.tiff-jp.net/ja/


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【執筆者プロフィール】

藤野みさき:Misaki Fujino
1992年、栃木県出身。シネマ・キャンプ映画批評・ライター講座第二期後期受講生。

映画のほかでは、美容・自分磨き・お掃除・クラシック音楽、洋服を眺めることが趣味。FW・ムルナウをはじめとする独表現主義映画・古典映画・ダグラス・サークなどのメロドラマを敬愛しています。最近はミニマリストに影響を受けています。

本年も大変お世話になりました。数はすくないながらも、記事を読んでくださったみなさまに、心より御礼申しあげます。本当にありがとうございました。どうか良いお年をお迎えくださいませ。


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2022年1月28日金曜日

映画『麻希のいる世界』評text藤野 みさき

私の生きる意味


※このレヴューには、作品の結末に触れている箇所がございます。まだご覧になられていない方はご注意くださいませ。

 

 © SHIMAFILMS


 塩田明彦監督の『さよならくちびる』が公開されたのは約三年前に遡る。

 まだ新型コロナウイルスの影がこの世界を覆う前の、さいごの春のことだった。主演を小松菜奈と門脇麦がつとめ、映画の挿入歌「誰にだって訳がある」「たちまち嵐」の二曲を人気アーティストのあいみょんが提供。解散を目前とした女性ドゥオ「ハルレオ」のさいごのツアーを描き、映画はヒットを記録。主演のふたりをはじめ、音楽も話題となったことは、記憶にあたらしい。

 塩田監督は『さよならくちびる』に出演した、あるふたりの女の子に眼を留める。ともに映画初出演の、新谷ゆづみと、日高麻鈴である。当時ふたりはハルレオのファンとしてキャスティングをされていたのだが、彼女たちのきらめき、才能はすばらしく、クランクアップのあと、塩田監督はふたりに言った。「君たちのお芝居、ほんとうに面白かったです。君たちで企画を考えたいね」と……。塩田監督の想いが、『麻希のいる世界』を誕生させたのだ。

 

『麻希のいる世界』は、ひとりの主人公である、高校二年生の青野由希(新谷ゆづみ)の視点からはじまる。幼い頃から重い病を患い、彼女の表情からは悲しみや虚しさの影がおちる。「この世界に私の生きる意味なんてあるのか」。由希の瞳は、まるで私たちに訴えかけているかのようだ。

 そんなある日、由希は海辺の小屋からひとりの女の子がでてくるのを眼にする。彼女が、この映画のもうひとりの主人公の麻希(日高麻鈴)だった。それからというもの、引き寄せられるかのように、由希は麻希を追ってゆく。まるで、ずっともとめていた「いま私が生きている意味」をみつけたかのように……

 本作『麻希のいる世界』は、同じ高校に通う由希と麻希を中心に、由希の母親と、あたらしい父親、その息子で幼なじみの祐介(窪塚愛流)との複雑な関係が描かれる。そして、麻希という女の子と出逢うことにより、由希の色褪せた世界が変わってゆく日々を、彼女たちの愛する音楽とともに奏でる、ふたりの少女の青春譚である。


 © SHIMAFILMS

 

 小学校の六年のとき病気で一年学校をやすんで

 戻ってきたらクラスに知っている顔がひとりもいなくなっていて

 家に帰っても親は私のことで喧嘩して離婚して

 それで中学のとき あたし家出したのね

 私がいなくなったらお父さん帰ってくるのかと思って

 でも行くとこないから あの小屋に三日間くらい隠れて

 戻ったら お母さんの横にいたのは別のひとだった

 それが 祐介のお父さん

 なんだ、そういうことか

 そういうことなんだな 世のなかって……

 それでこの間あのときのことを思い出しながら ここを歩いていたら

 あの小屋から麻希がでてきた

 

 海辺にふたり横たわり、由希は手をのばし太陽にかざす。

 由希がいままで誰にも言えなかったこと、開けなかった扉の奥の感情を、麻希は由希をみつめながら、そっと聴いていた。あの日、海辺の小屋からでてくる麻希に、由希は自分の幻影をみたのだろう。由希と麻希は、ことばを交わさなくても、心をわかりあうことができた。家族も、友だちも、学校の先生も、クラスメイトも、みんなから疎外されて、ずっと孤独を歩んできたふたり。はじめて出逢った、心をひらける相手。由希にとって、それが麻希であり、麻希にとって、それが由希だったのだ。この出逢いを機に、ふたりはおたがいがかけがえのない存在になってゆく。

 

 主人公の由希を演じられた、新谷ゆずみ、麻希を演じられた、日高麻鈴の演技もすばらしい。

 新谷は、2003年に生まれ、2014年に少女漫画雑誌『ちゃお』主催のモデルオーディション「ちゃおガール」で準グランプリを受賞。モデルとして活動する傍ら、女性アイドルグループ「さくら学院」に2019年まで活動した。新谷にとって『麻希のいる世界』は、塩田監督の作品では『さよならくちびる』につぐ二作品目となり、初の主演作品となる。

 新谷演じる由希は、心で会話をする女の子だ。寡黙だが、その心には、怒り・悲しみ・孤独など、様々な感情が存在している。新谷はことばを最小限に、瞳だけで感情を語る。最初の曇った瞳から、麻希と出逢うことで、由希の瞳にひかりとつよい意志が宿る。その眼差しが、本当にすばらしく、彼女の瞳の演技が、本作をより豊穣な作品に昇華させていると言っても過言ではない。

 由希とは対照的な麻希を演じられたのが、日高麻鈴だ。2003年に生まれて、新谷とおなじく2019年まで「さくら学院」で活動。彼女にとっても、『麻希のいる世界』が初の主演作品となった。

 新谷演じる由希とは違い、由希が静なら、麻希は動である。彼女は感情に牙をもち、破壊的で、周囲を威嚇する。だから学校でもいい噂はながれず、「麻希には気をつけたほうがいいよ」といった忠告が由希についてまわる。でも、麻希の心は叫んでいた。「どうして誰も私をわかってくれないの」と、心の涙をながしていたのではないだろうか。日高は、全身をつかい、怒りや悲しみの感情を、麻希という人物そのものを、見事に演じていた。そして、忘れてはいけないのが、日高の歌唱力のすばらしさである。映画は音楽を通じて、由希と麻希のむすびつきをより強固なものにしてゆく。


 © SHIMAFILMS

 

 冷たいぜ 風が鋭くなってく

 うるさいよ 匂いが真冬の匂いが

 

 おおきく開いた鋭い瞳で力強く歌いギダーをかき鳴らす麻希を、アップでとらえるキャメラ。麻希の歌声から伝わる怒りや溢れる感情が、私たちの心にナイフのように刺さる。美しい声をもつ麻希にとって、歌は彼女のいのちであり、彼女の心の声を表現するものでもあるのだ。

 学校の帰り道にくちずさむ「ざーざー雨」、バンド活動で歌う「排水管」。どちらの曲も麻希の歌声をひきたたせ、由希もその歌声を、麻希の姿を、ちからつよくみつめている。「歌で食べていけたらいいのになって……」。このことばは、麻希が麻希であるための、祈りのように思えた。

 

 © SHIMAFILMS


 生涯のなかで「このひとのために生きたい」と思える出逢いが、幾つあるだろう?

 由希は、たとえ誰からなにを言われようと、麻希のことを守り、信じた。信じることは、沈黙の愛である。信じられることで、麻希は心を開き、彼女もまた由希を信じた。幼なじみの祐介は言う。「由希のことが好きなんだ」と。しかし、祐介の想いは、由希の心に遠く届かない。もはや誰しもが、ふたりの感情にはいる余白はないのだ。

 しかし、由希と麻希は、ずっと一緒に居ることはできなかった。ある日、曲の制作中にアクシデントで麻希が倒れ、彼女はそのまま記憶を失った。自分が誰であるのかも、なにをしてきたのかも、そして由希と過ごした時間も、思い出せなくなってしまった。それを聞いた由希はショックで倒れ、病室で眼が覚めたとき、彼女は声を失っていた。

 

「ねぇ、由希! 生きてる証、のこせてる?」

 深い喪失のなかにいる由希に、小さい頃から傍にいた優子はさけぶ。あまりにも周囲の人間が死んでゆくので、「あたしらが頑張らないと誰も覚えていてくれないよ。あたしたちのことなんか」と言う優子に、「だからあたしものこしておきたいんだよ。私の生きた証」と、由希は前にベンチで話していたことがあったのだ。

 由希は記憶を失った麻希に逢う。彼女の表情は穏やかで、名前も変わっていた。もちろん、由希のことも、麻希は覚えてはいない。でも、由希はスマートフォンから麻希が歌った曲を聴かせる。「……これ、私?」。瞳を輝かせ、頷く由希。麻希は優しい表情で、「このデータもらっていい?」と言い、由希が聴かせてくれた音声ファイルを受け取った。


 © SHIMAFILMS


 由希は自転車で去ってゆく麻希をみつめる。

 由希の心にはいまも麻希が麻希であったときの記憶がよみがえる。海辺でふたり寝転び語りあった日、ギターをもって麻希とレコーディングをした日、何気ないけれども、もう二度と戻ることのない時間。麻希と逢えたこと、一緒に過ごした時間は、いまの由希のいのちそのものだ。麻希は由希に教えてくれた。由希がずっと探しもとめていた、生きることの意味を。世界に絶望し、心を閉ざしながら安全な毎日を送ることより、危険な世界に飛びこんだとしても、毎日を燃えるように生き、愛することができたのなら。その経験で負った傷さえも、愛おしく、美しい。

 誰かのために一生懸命になれること、大切なひとを信じぬけることの強さ。その想いは、たとえ記憶がなくなっても、離ればなれになっても、ふたりの魂はずっとあの頃の日々を覚えている。

 あなたは、自分の生きる証をのこせていますか? そして、大切なひとの生きた証を、覚えていますか?


(text:藤野 みさき)


『麻希のいる世界』
2022年1月29日より渋谷ユーロスペース、新宿武蔵野館ほかにて公開
© SHIMAFILMS


『麻希のいる世界』

英題:The World of You

2022年/日本/89分/5.1ch/アメリカンビスタ1:1:85/DCP


◉ 作品解説

重い持病を抱え、ただ“生きていること”だけを求められて生きてきた高校2年生の由希(新谷ゆづみ)は、ある日、海岸で麻希(日髙麻鈴)という同年代の少女と運命的に出会う。男がらみの悪い噂に包まれた麻希は周囲に疎まれ、嫌われていたが、世間のすべてを敵に回しても構わないというその勝気なふるまいは由希にとっての生きるよすがとなり、ふたりはいつしか行動を共にする。ふと口ずさんだ麻希の美しい歌声に、由希はその声で世界を見返すべくバンドの結成を試みる。一方で由希を秘かに慕う軽音部の祐介(窪塚愛流)は、由希を麻希から引き離そうとやっきになるが、結局は彼女たちの音楽作りに荷担する。彼女たちの音楽は果たして世界に響かんとする。しかし由希、麻希、祐介、それぞれの関係、それぞれの想いが交錯し、惹かれて近づくほどに、その関係性は脆く崩れ去る予感を高まらせーー。


◉ スタッフ

監督・脚本:塩田明彦

製作総指揮:志摩敏樹、山口貴義 プロデューサー:大日方教史、田中誠一

撮影:中瀬慧

美術:井上心平

編集:佐藤崇

照明:福島拓矢

録音:松野泉

装飾:遠藤善人

衣裳:篠塚奈美

ヘアメイク:倉田明美

助監督:毛利安孝

制作担当:高田聡

音楽プロデューサー:田井モトヨシ

音楽:鈴木俊介


◉ キャスト

新谷ゆづみ、日高麻鈴、窪塚愛流、鎌田らい樹、八木優希、大橋律、松浦祐也、青山倫子、井浦新


◉ 劇中歌

「排水管」(作詞・作曲:向井秀徳)

「ざーざー雨」(作詞・作曲:向井秀徳)


◉ 製作・配給

シマフィルム株式会社 © SHIMAFILMS


◉ 配給協力・宣伝

プレイタイム


◉ 公式サイト

https://makinoirusekai.com/ 


◉ 公式Twitter

@makinoirusekai


◉ 劇場上情報

2022年1月29日(土)より、渋谷ユーロスペース、新宿武蔵野館ほかにて公開


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【執筆者プロフィール】

藤野みさき:Misaki Fujino
1992年、栃木県出身。シネマ・キャンプ映画批評・ライター講座第二期後期受講生。

映画のほかでは、美容・セルフネイル・自分磨き・お掃除・断捨離、洋服や靴を眺めることが趣味。FW・ムルナウをはじめとする独表現主義映画・古典映画・ダグラス・サークなどのメロドラマを敬愛しています。

2022年も、ひとつひとつ丁寧に、映画のレヴューを書いてゆけたらと思っております。本年もどうぞ宜しくお願い申しあげます。


Twittercherrytree813

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