2020年11月19日木曜日

映画『日子』評text井河澤智子

「なにごともおこらない中でおきる出来事」

 
 蔡明亮監督の最新作『日子』(2020)。
『郊遊<ピクニック>』(2013)以来久々に手掛けた劇映画である。
 第70回ベルリン国際映画祭コンペティションでテディ賞を受賞し、2020台北電影節のクロージングを飾るなど、その評価の高さが伝えられてきた。
 郊外の邸宅に住む中年男性と、街の片隅で生きる若者、対照的な境遇の孤独な男たちの刹那的な触れ合いを描く作品である。

 蔡明亮監督は、最も身近な人が病に苦しむ姿を、題材に選んだ。
 この作品は、彼の映画で一貫して主演を務めてきた俳優、李康生が、長年悩まされている首の痛みに加え、数々の体調不良に苦しめられる様子が記録されている。病に冒され、それでもなお続く「日常生活」が、映し出されている。
「日子」とは「日々の記録」のこと。

 筆者はなぜか、写真家・荒木経惟が、妻・洋子を、彼女との日常生活から永遠の別れに至るまで(そしてその亡骸も)撮影し続けたことを思い出した。
 彼女との暮らし、食事、情事、その病、衰え、死。荒木経惟が「撮ることにそうさせられた」と述べる「受動性」にも似たものがあるのだろうか。
 蔡監督は、「撮らざるを得なかった」のかもしれない。

 冒頭、刈り込んだ坊主頭の男性がぼんやりと窓の外を見やる表情が映し出される。
 窓に映る緑の草木、雨の音。
 全く表情を変えず、顔色はすぐれず、精気の抜けたその男性の顔。
 映像は彼の「抜け殻」のようなすがたを見せ続ける。湯に浸り、肩から背中に灸を据えられる、痛みを堪えながら雑然とした街を歩く、そんなすがたを見せ続ける。

 病葉。
 中年男性カンを演じる李康生に、こんな言葉が思い浮かぶ。
 蔡明亮監督の長編デビュー作『青春神話』(1992)以来全作品、30年に及ぶ月日を「小康」として生きてきた彼。われわれは観ている。彼が鬱屈した稚気を持て余す姿を、その幼さをどこかに残したまま大人になる様を。そして『ヴィザージュ』(2009)では映画監督を、『郊遊<ピクニック>』(2013)で子どもが2人いる父親を演じ、彼はようやく年相応の男性へと変貌を遂げた。
 その後一時蔡監督は劇映画を離れ、アートフィルムやドキュメンタリー作品の製作を経て再び劇映画に戻ってきたが、そのためか、この『日子』は「劇」をつくるために撮られた映像というより、「素材」としての映像といった雰囲気を強く残している。
 そのカメラが映し出した彼。ほとんど無作為とも思える表情に、当然のことながら、しかし残酷にも、こう感じた。
彼は、確実に老いた。

 かたや青年の生活。丁寧に野菜を洗い、魚の切り身の血を流し、米を炊き、鍋で調味料を調える、つつましくも豊かな食の場面が、ほとんど切れ目なく描かれる。
 食事をし、シャワーを浴び、街を歩く。夜の屋台村で佇む。
 彼の動作は、流れるように美しい。「日常」の動きを映すカメラは、その美しさを際立たせるようにも思える。

 舞台ははっきりとは明示されない。「そこがどこであるか」に焦点は当たらない。
 男たちが誰であるか。それもまた問題ではない。
 日付すら曖昧である。おそらく、長い年月にわたって記録されたであろうカンの日常。彼の髪は、丸坊主のときもあれば伸び放題の蓬髪のときもある。
 長回しが特徴の蔡監督の作品にしては比較的カットが細かい、とつい錯覚するが、それは『愛情萬歳』(1994)や『楽日』(2003)、あるいは『郊遊<ピクニック>』において印象的な、フィックスで見つめ続けられるひとつのシーンに「比べて」細かいのであって、それぞれの生活を送るふたりの人物の暮らしに没入するには十分な長さだ。われわれは彼らの生活を生きるような錯覚に陥る。ほとんど同化するように。
 この作品には脚本はない。静かにつつましく生きる青年の暮らしと、ほとんど表情を変えることのない男の暮らしを、交互に映し出す。時にはフィックスで、時には手持ち撮影と思われる手法で。
 彼らの住まう部屋の中の光景。カメラは正面から彼らを捉える。
 彼らが歩く雑多な街の光景。その後ろから、手持ちカメラのブレた映像が追いかける。

 大きなスーツケースが置かれたホテルの部屋。
 カンの居場所が変わるとともに、彼は動き出す。
 大きなベッドの掛け布団を外し、丁寧にたたみ、シーツを整える。
 しかしカットが切り替わるとともに、彼の動きは止まる。

 そこに在るのはうつ伏せに横たわったカンの全裸である。
 ごろりと横たわった彼の身体は、「物体」として映し出されているようにも思える。
 その部屋にはもうひとり誰か別の人間がいる音がする。彼が画面に入ってくる。
 われわれは気づく。先ほどから「それぞれの場所で」生活者として観察されてきた青年と、カンが、ようやく関わりを持つということを。
 生活を営む動作と同様の流麗さで、青年はカンに触れる。その手の動き、指の動きに合わせて、カンは「物体」から「肉体」へと変容する。
  病葉が、「肉体」を取り戻していく。カメラは緩やかにズームし、彼の表情の変化を見せる。その一部始終を見せ続ける。
 このシーンは『河』(1997)におけるハイライトの場面に対する鏡像と考えるのは軽率か。薄暗い中行われる実父と(それとは知らずに)交わる、あのシーン。病に苦しみ、どんな治療を受けてもはかばかしくない中での「癒し」がここに繰り返される。蔡監督作にはこのように執拗な粘度をもって表現される場面がしばしばあらわれるが、しかしそこに「美」をも見出せるのは、なぜだろうか。

 年月は背中にあらわれる。
『河』のラストシーン、華奢だった彼の背中。
『西瓜』(2005)でAV男優を演じた彼の、鍛え上げられた背中。
 ややゆるみ、腰回りに肉の付いた、この作品の中の彼の背中。
蔡明亮が撮り続けた李康生の背中は、流れる時間の経過と、そして彼は「劇の」中では「常に演技している」という、忘れがちなことをも思い出させる。

 蔡明亮監督と李の仕事は常に「李康生=小康」の二重性を孕んでいることは間違いなく、あまりに佇まいが自然、というか「策を講じていない」というか、つい同一視してしまうが、劇映画の中では「彼は常に演じている」のだ。本作も同様である。
 この作品は李康生の生活を追うドキュメンタリーではない。
 あくまで「カン」という男性と、彼とは別に生活を営む青年の、「一瞬の交わり」を描いた物語なのだ。
 マッサージを受けた後、カンは青年に金を払い、オルゴールを渡す。そして、優しく青年の手を取り、部屋から出てゆく。
 ゆっくりと、時間をかけて流れるオルゴールの旋律は、チャップリンの「ライムライト」。この場面に漂う抒情性は、ふたりの別れの後、なにが起きるか(なにも起きなくても、そ の小物がどのような意味を持つか)を示す。
 −−青年はオルゴールを奏でその音を聴くたびに、カンとの一瞬の交わりを想い出すだろう−−
 この作品には音楽も台詞もない。雨音の静寂、風の音、街のざわめき、特に意味を持たせられることのない会話などによる「日常の音」に満ちた中、はっきりと浮かび上がる「ライムライト」の旋律。
 全ては選択され、計算され尽くしているのだ。ふたりの生活を映し出すカメラの切り替えのリズムも、ひとつの音を浮かび上がらせるための仕掛けも。そしてその「物語」も。
 


 ドキュメンタリー的な手法と、極めて映画的に美しく収斂していく物語性、そして「選択」の巧みさ。この作品は、蔡監督と李康生の長年にわたる共同作の「最新作」であり、また「集大成」(いつ更新されるかわからないが)と言えるだろう。
 しかし、身近な人の病ですら、映画という「作品」に昇華させなくてはおさまらないとう、芸術家の「業」の深さをも見せつけられる思いがする。
 表現者と、「ミューズ」の関係性とは、そういうものなのだろう。残酷な共犯関係である。
(text:井河澤 智子)

『日子』
Days/台湾、フランス/2020/127

監督:ツァイ・ミンリャン

21回東京フィルメックス特別招待作品

作品解説
郊外の瀟洒な住宅に暮らすカンは首の痛みをいやすために街に出てマッサージ師を呼ぶ。やがて一人の移民労働者がカンが宿泊するホテルを訪れる……。対照的な境遇の二人の男の出会いを描いたツァイ・ミンリャンの最新作。ベルリン映画祭でテディ審査員賞を受賞。

作品紹介ページ(第21回東京フィルメックス 公式ホームページより)
https://filmex.jp/2020/program/specialscreenings/ss6

21回東京フィルメックス〉
 


期間
20201030日(金)~117日(土)

会場
TOHOシネマズ シャンテ/ヒューマントラストシネマ有楽町/有楽町朝日ホール/
アンスティチュ・フランセ東京/アテネ・フランセ文化センターにて
公式サイト
https://filmex.jp/2020/

東京フィルメックス・オンライン配信について
今年の第21回東京フィルメックスで上映された作品の中から、12作品をオンラインでも配信致します。配信は特設サイトよりご覧頂けます。
https://filmex.jp/2020/online2020
実施期間
11月21日(土)午前0 1130日(月)午後2359分まで
料金
1作品1,500円均一
視聴方法・諸注意
・配信は特設サイトよりご覧頂けます(1121日よりアクセス可能)
・日本国内からの視聴可能となります。海外からのご利用はできません。
・各作品には視聴可能者数制限があり、視聴可能者数は作品ごとに異なります。
・対象作品は1116日(月)現在での予定です。急な変更の可能性がありますので、予めご了承下さい。
「マイルストーン」は作品権利者側の都合により、配信はキャンセルとなりました。

******************
【執筆者プロフィール】
井河澤 智子 Ikazawa Tomoko

このコロナ禍の中においても、映画祭は、
オンラインではなくフィジカルで開催されました。
並大抵のことではなかったことでしょう。
ご尽力された皆様に深くお礼を申し上げます。
東京フィルメックスと東京国際映画祭の相乗効果も見えてくれば
ひとつの大きな成果になることでしょう。
しかし……
来年は、ちょっとだけでもいいですから、
ずらしていただくことはできませんか?
観たい作品がかぶってしまって、もう!
******************


0 件のコメント:

コメントを投稿