2021年1月31日日曜日

映画『ミッドナイト・ファミリー』評text藤野 みさき

「Z-2」
© Family Ambulance Film LLC

 日本で新型コロナウイルスの初感染が確認されて一年が経過した。いま私の住む街では緊急事態宣言が発令されており、定時には市役所からアナウンスが流れ、広報車が毎日街を駆けまわる。
 医療崩壊・医療壊滅・病床数・変異種など、新型コロナウイルスの影響により多くのことばを見聞きするようになった現在。救急医療がこれほどまでに私たちの生活の身近な存在として切実に迫ったことはない。医療現場は逼迫し、毎日のように日本医師会をはじめ医療に携わる方々が警鐘を鳴らしているが、この切実な声は人々の心にどこまで届いているのだろうか。このままでは、いつ医療崩壊をしても、いつ私の命がついえても不思議ではない。
 
 本作『ミッドナイト・ファミリー』は、メキシコの首都メキシコシティを舞台に、文字通り市民の命綱となる民間の救急車を営むオチョア一家を追ったドキュメンタリー映画である。本作は過去にNHKの番組「BS世界のドキュメンタリー」にて《真夜中の家族〜密着メキシコ民間救急車〜》という題名で短縮版(46分)が放映されている。本作の配給をおこなうのは、イギリス・ロンドンに本社を構え、ドキュメンタリーの製作・配給をおこなっているMadeGood. Film社。『ミッドナイト・ファミリー』はMadeGood. Film社の日本初配給作品となる。

 
© Family Ambulance Film LLC

 映画の感想を綴る前に、まず説明をしなければならないのが、現在のメキシコシティの医療体制である。メキシコシティは人口900万人に対して公共の救急車がわずか45台にも満たない。そのため救急隊の訓練や専門知識もままならない無許可の私営の救急車が街には数多く存在し、それらは通称「闇ビジネス」と呼ばれている。
 本作で描かれるオチョア家族も、無許可で私営の救急車を生業にしている人々のなかの一家である。彼らは警察に一件につき300ペソ(日本円で約1,570円)の金額を払い警察からの無線を傍聴し、救急患者の情報を得るなり即座に現場に駆けつける。しかし、メキシコシティにはオチョア一家だけでなく、私営で救急車を営んでいる競争相手がおり、無線がはいるなり「我先に」とひとりの患者をめぐって民間の救急車同士の猛烈な争奪戦が始まる。その光景はまるで狩りの世界だ。そして運良く一番速くに現場に到着した者が収入を得ることができるのである。彼らの日々の糧となる収入源は、患者から受け取ることができる3,800ペソ(約19,800円)と、搬送した病院から得られるわずかな手数料のみ。患者のなかには貧困で高額な搬送料金を支払うことができないひともおり、必ずしも収入が確保できる保証はない。ひとことに「闇のビジネス」とはいえど、日本では到底考えることのできない過酷な世界がメキシコには存在しているのである。
 
 本作を監督したルーク・ローレンツェンは、1993年生まれの若き新鋭だ。米・スタンフォード大学を卒業したのち、友人を追って2015年の12月にメキシコシティにやってきた。移住した当初はまったくの違う映画を構想していたというが、毎日病院の門の外まで並んでいる何百人もの患者を目撃するうちに、メキシコシティの抱える深刻な医療事情の実態に深く関心を抱くようになったという。ローレンツェン監督は、のちの映画の主役となるオチョア一家との出逢いを、ディレクターズノートにこのように綴っている。
「オチョア家族と出会って伝えるべき物語が見つかったと思った。(中略)家族経営の救急車に好奇心を掻き立てられて、私は彼らに数時間でいいから一緒に乗せてもらえないかと尋ねた。彼らの父親、フェルはすぐに承知してくれた。私はその夜、唖然となるほどの驚くべき体験をした――これは撮らなければならない」と。こうして約半年間にわたりローレンツェン監督はオチョア一家の救急車に同乗し、この映画をつくりあげた。

 
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 映画の主役となる救急車に乗っているのは主に4名。
 オチョア一家を支える、父・フェル、17歳になったばかりの長男のホアン、助手のマヌエルと、そんな3人の様子を後部座席からちょこんと見守る小太りの9歳の次男・ホセである。救急車のハンドルを握るのは長男のホアン。なんと弱冠17歳の青年がこの救急車の舵を取っているのだ。オチョア一家は、夜の勤務時間になると救急車内で待機をし、警察の無線がはいるなり夜の街へと救急車を疾走させる。無線から流れる「Z-2」「Z-4」とは、かれら救急隊の出動の合図だ。
 
 真夜中のメキシコシティは文字通りの深い闇が街に蔓延る。
 映画に登場する患者は6名。銃で太腿に負傷した18歳の男性、恋人に頭突きをされて鼻の軟骨を骨折した高校生の女の子、交通事故で負傷した母と息子、シンナーの匂いが漂う青年が抱いている意識不明の赤ちゃん、そしてマンションの4階(約10メートルの高さ)から誤って転落した女の子である。
 キャメラは救急車内に運ばれる患者の様子を臨場感溢れるタッチで映しだすが、同時に患者たちの背景から浮かびあがってくるのは、メキシコシティの現在抱えている社会問題そのものである。銃社会の恐さ、搬送費を支払うことも困難なほどの貧困問題、恋人から受ける暴力(ドメスティック・バイオレンス)、そして薬物。直接的には語らずしも、それらすべてが、かれらの暮らすメキシコシティの日常に存在していることを映画は見事に炙りだしている。
 
 なかでも胸に迫るのは、マンションの4階から転落し、必死の救急処置をおこなうも、搬送した民間の病院で死亡が確認された女の子の場面だ。母親は「こんなに遠い病院でなければ、もっと医療体制の整った近くの公共の病院に搬送していれば」と、民間の病院で、父・フェルを責める。
 フェルは、母親のことばに心を痛めながらも、弱々しい声で「1,500ペソでいいのです。搬送費をいただけないでしょうか」と嘆願する。私営の救急車を営むオチョア一家にとって、患者からの搬送費は文字通りのあすを生きるための命の糧だ。その搬送費の収入も得られなくなれば、今度は命を救う立場のオチョア一家の命が危ぶまれてしまう。そんなまさに「いまこの瞬間」を懸命に生き延びるための切実な会話が、観ている私たちの胸を一層締めつける。


© Family Ambulance Film LLC

 本作ではドキュメンタリーで使用されるナレーションやインタヴューがほとんどなく、如何してオチョア一家が私営の救急車を営むことになったのか、如何してこのような苦境に追いつめられながらも救急車を営み続けるのか、その動機や理由は劇中で説明されることはない。だが、長男のホアンは語る。
「どんな仕事にも理由があるんだ。病気がなければ医者はいらないし、誰も死なないなら葬儀屋は食えない。ゴミが出るから掃除屋がいる。それで仕事が生まれるんだ」と。ホアンのことば通り、どんな仕事にも理由があるのだ。たとえそれが「闇営業」であるとしても、私営の救急車を営むことができるのは、メキシコシティの人々がオチョア一家を含め私営の救急車を頼りにしているからに他ならない。
 私営の救急車を営む人々のなかには、患者に支払い能力がなく利益がないと判断した場合、病院に搬送しないことも悲しい現実として存在する。しかし、オチョア一家は患者がお金を支払えないからといって、目の前の尊い命を見殺しにしたりはしない。いまここに救える命があるのなら、オチョア一家はその手を伸ばすことをいとわない。そんな懸命に患者を助けようとするオチョア一家の姿をみて「ひとの命を救う」ことへの強い使命感を感じ、深く心をうたれるのである。
 
 救急車のサイレンの音がより身近になった現在。
 私はこの映画を観ていらい、救急車のサイレンの音を聴くと、いまメキシコでは新型コロナウイルスがどのような状態なのだろうか。多くの人々が新型のウイルスに苦しみ命をおとすなかで、オチョア一家は無事なのだろうか。と、想いを馳せずにはいられない。
 映画はオチョア一家が一日の仕事をを終えて床につき、太陽が照らすもとでたくさんの車が走る大都会の道路を捉えて幕をとじる。しかし、夜になればまた息もつけないほどのめまぐるしい闘いが始まるのだ。オチョア一家はきょうも人々の命を救うために、真夜中の街を駆るのである。

(text:藤野 みさき)


© Family Ambulance Film LLC

『ミッドナイト・ファミリー』
原題:Midnight Family
2019年/81分/カラー/アメリカ、メキシコ

サンダンス映画祭 米国ドキュメンタリー審査委員賞受賞

◉ あらすじ
メキシコ・シティには、人口 900 万人に対して公共の救急車が 45 台未満しかない。そのため、救急救命にあたる闇救急車の需要がある。オチョア家族も同業 の救急救命士らと競い合って急患の搬送にあたる私営救急隊だ。この熾烈なビ ジネスで生計を立てるため、オチョア家族は救助を求める患者から何とか日銭 を稼ごうと奮闘する。しかし、闇営業を取り締る名目で汚職警官に賄賂を要求 されるようになり、さらに家族は金銭的にも追い詰められていく。倫理的に疑 問視されるオチョア家族の稼業をヒューマニズムにあふれる視点で捉えつつ、 医療事情、行政機能の停滞、自己責任の複雑さといった差し迫った課題を描い たドキュメンタリー映画。

◉ キャスト
監督:ルーク・ローレンツェン
企画制作:ケレン・クイン、ルーク・ローレンツェン
プロデューサー:ダニエラ・アラトーレ、エレナ・フォルテス
撮影・編集:ルーク・ローレンツェン
共同編集:パロマ・ロペス・カリーリョ
編集協力:マリー・ランプソン
音響デザイン:マティアス・バルベリス
音楽:ロス・シャハトス

◉ 出演
ホアン・オチョア
フェル・オチョア
ホセ・オチョア
アンドレス・サンチェス

◉ 配給:MadeGood. Films

◉ 公式ホームページ

◉ 劇場情報
1月16日(土)より渋谷ユーロスペースにて上映中。29日(金)より豊岡劇場、30日(土)より、横浜シネマリン・大阪シネ・ヌーヴォで上映開始。他全国順次公開予定。

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【執筆者プロフィール】

藤野 みさき:Misaki Fujino
1992年、栃木県出身。シネマ・キャンプ 映画批評・ライター講座第二期後期受講生。
映画のほかでは、美容・セルフネイル・自分磨き・お掃除・断捨離、洋服や靴を眺めることが趣味。F・W・ムルナウをはじめとする独表現主義映画・古典映画・ダグラス・サークなどのメロドラマを敬愛しています。最近は美容院の月一トリートメントに癒されております。

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