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2016年9月24日土曜日

山形国際ドキュメンタリー映画祭 《映画批評ワークショップ体験記》 vol.3text佐藤 聖子

【その3】 映画との出逢い


「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 
 ―山形in東京2016

9月17日から始まりました!
山形で上映されたすべての映画が上映されるわけではありませんが、見逃してしまった作品をできるだけいっぱい見たいです。
ドリームショーに合わせて、今回は、山形で見てきた映画を一部ご紹介。


1.『訪問、あるいは記憶、そして告白』(Visita ou Memórias e Confissões)
 監督:マノエル・ド・オリヴェイラ
開会式上映作品。
オリヴェイラ監督の自伝的映画。妻のマリア・イザベルに捧げられたこの作品は1982年に制作されたが、自身の死後に発表されるようシネマテーカ・ポルトゲーサに預けられていた。
「30余年もの間、眠っていた映画」である。この人が居たんだ、この映画を遺したんだ、と思う。
現在、オリヴェイラ監督の追悼特集が各地で上映されている。
http://jc3.jp/oliveira/ 


2.『桜の樹の下』(Under the Cherry Tree)
 監督:田中圭


初レビューを書かせていただいた作品。
田中監督は『ドキュメンタリーマガジンneoneo #06』に、この映画を撮るに至った背景を執筆されている。


3.『船が帰り着く時』(When the Boat Comes In)
 監督:キン・マウン・チョウ


ミャンマー南部の漁村で借金返済のために漁をする男とその家族。中心に妻を据えて描いている。
記録に対する大らかな誠実さ、とでも呼びたいものを感じる。 
質疑応答で、現在のミャンマーにおけるドキュメンタリー映画や表現の自由について質問させていただいた。2011年まではドキュメンタリーの制作が難しかったが、今は自由に表現できるとのこと。


4.『レバノン1949』(Lebanon 1949)+講談:宝井琴柑
 監督:ネーイフ・フーリー

 『レバノン内戦』(Lebanese Civil War)
 日本語版制作:パレスチナに連帯する日本人映画グループ、若松プロダクション

 『ベイルート PLO撤退からパレスチナ大虐殺まで』(Beirut 1982) 』
 製作:布川プロダクション

貴重な映像。二度と見られないかも知れない、と必死で見た。
『レバノン1949』は、こんな時代があったのかと驚きを感じるほど、長閑な家族の記録が延々と流れる。
3本を続けてみることで、レバノンの変遷が見えてくるかと思ったが、そこまで単純なものではなかった。
『レバノン内戦』では銃撃戦のさなかに、楽しそうに遊んでいた家族の映像が「取り戻せない過去」のように重なった。
一度始まってしまった戦いは、簡単に終結するものではないという恐怖を感じた。その間に、どれだけのものが破壊され、傷つくのだろう。
「紛争」や「戦争」は、映像の中で見慣れたものになっているが、「スクリーンは防波堤ではない」ことを考えた。


5.『太った牛の愚かな歩み』(Foolish Steps of a Fat Cow)
 監督:ガージ・アルクッツィ


同性愛者である監督のモノローグ。
「赦しを求める旅」の道程で、誰に何を赦されたいのかが少しずつ明らかになってゆく。パーソナルな作品だが、「罪」の背景に社会や宗教が見え隠れする。
監督は、「ライナスの毛布」のように優しい人だった。


6.『太陽の子』(Anak Araw)
 監督:ジム・ランベーラ

言語を通して描き出される文化的冒険ファンタジー(?)。他言語や他文化を知ろうとすることは一種の冒険である、という視点が興味深い。言葉が持つヒーロー性と、翻訳の際に失われる響きの存在を感じた。
世界の共通言語となっている英語や洗練された西洋文化へのアンビバレントな感情は自分にもあるなぁ、と思う。
英語の話せない私を励ましてくれたのも、この監督さんだった。


7.『三里塚に生きる』(The Wages of Resistance :Narita Stories)
 監督:大津幸四郎、代島治彦

©三里塚に生きる製作委員会

昨年見たドキュメンタリー映画の中で、個人的に一番印象深い作品。
英語のタイトルに「Resistance」とあるように政治的な映画かと思っていたが、私が見たものは「時間」と「人」だった。
次作『三里塚のイカロス』制作中とのこと。上映が待ち遠しい。


8.『たむろする男たち』(Standing Men)
 監督:マーヤ・アブドゥル=マラク


パリのとあるコールショップ(遠距離通話が割安でかけられる店)が舞台。そこに集う中東からの出稼ぎ労働者たちと、かつて監督の父親が家族に送った古い手紙によって作品が編まれてゆく。彼らと母国との距離は、物理的なものでありながら、また心情的なものであり、常に変動していると感じられた。
故郷を離れて暮らす者が抱く想いは、国、人種、文化、個人の体験に関わらず共感を誘うのかも知れない。
家族へ送る「庭のオリーブの木によろしく」というメッセージに、ぽろぽろと涙が出て自分でも驚いた。唯一、泣いてしまった作品。
(自分の記憶に自信がないので、もし映画の中にそのメッセージがなくてもご容赦ください)


9.『アスマハーンの耐えられない存在感』(The Unbearable Presence of Asmahan)
 監督:アッザ・エル=ハサン


1940年代エジプト映画でスターになった伝説的歌姫アスマハーンに、どうしようもなく惹かれる。この魅力があったからこそ彼女の存在感は厄介であり、タイトルの「耐えられない」まで膨れ上がったのだろう。上映後のトークで「人物崇拝をやめようという運動がアラブの春だという見方もある」と解説があった。
作品の所々に織り込まれた40年代の映画は、現代の厳格なアラブからは想像もつかない艶と華に満ちている。廃墟となった撮影所を案内する男が「あの頃のエジプトは本当に自由だった」と懐古する。これからのアラブはどうなってゆくのだろう……。


10.『マリア・サビーナ 女の霊』(Maria Sabina,Woman Spirit)
 監督:ニコラス・エチェバリア


メキシコ中部マサテコ族の女性マリア・サビーナは、幻覚作用のあるキノコを用いて儀礼を行う優れた治病シャーマンであった。この撮影から5年後に世を去った。世界のどこにもいない人が、記録の中で圧倒的な生命力を放つことに驚き、そして少し怖く感じた。この映画に彼女の魂が移ったと信じる人がいても不思議ではない。
「先住民の宗教とキリスト教の融合」に関しては、私が想像していた以上に自然なこと、逆にどう分離すればいいのかという次元まで一体化しているようであった。


11.『学校に行きたい』(A School of My Own)
 監督:ガルギ・セン


ヒマラヤ山脈のふもとで暮らす人々。親は子どもに教育を受けさせたいと願い、子どもたちも学校へ行きたいと願っている。貧しい生活の中に位置づけられた「学校」という存在は、彼らに知識だけではなく夢と誇りをもたらしているようであった。
日本には「学校に行きたくない」子どもたちがたくさんいること、教育が夢や誇りに結びつきにくいことを改めて考える。


12.『蛇の皮』(Snakeskin)
 監督:ダニエル・フイ


催眠的な導入だった。監督による静かなトーンのナレーションは語り部を思わせ、炎のゆらめきは太古の生物に見えた。シンガポールの歴史が、架空の存在や神話と交錯し、その幻想的な時空に今を生きる人々の顔が浮かび上がる。入り組んでいて分かりにくい部分もあったが、それを補って余りある見応えだった。
20代の監督が撮ったとは思えない作品。フイ監督は、センスと才能の塊みたいな人に見えた(しかも監督さんはモテモテとの噂だった。天は気前よくなれる人に対しては、二物どころか何物でも与えるようだ)。


13.『女たち、彼女たち』(Us women. Them women)
監督:フリア・ペッシェ


アートディレクターでもあるペッシェ監督による初の長編映画。5年の歳月を費やして完成を見た。描かれているのは監督自身が「自分の核」と呼ぶ家族の歴史である。9人の女性たちの命や想いが、緩やかに受け継がれていく。
『女たち、彼女たち』は、女性から生まれた全ての人の物語であり、命の記憶である。それらを繋ぐ臍帯のようなこの映画は、余韻まで美しかった。


ドキュメンタリー映画に浸る幸せ度:★★★★★
(text:佐藤聖子、
 画像提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局)


関連レビュー:
*山形国際ドキュメンタリー映画祭 《映画批評ワークショップ体験記》 vol.1
text佐藤 聖子
http://kotocine.blogspot.jp/2015/11/vol1-text.html

*山形国際ドキュメンタリー映画祭 《映画批評ワークショップ体験記》 vol.2
text佐藤 聖子
http://kotocine.blogspot.jp/2016/02/vol2-text.html

*山形国際ドキュメンタリー映画祭2015訪問記」
text 高橋 雄太
http://kotocine.blogspot.jp/2015/10/2015text.html

劇場情報
「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー ―山形in東京2016」
9月17日(土)〜10月7日(金)に新宿K's cinemaにて開催中
公式ホームページ:http://cinematrix.jp/dds2016/

ヤマガタ映画批評ワークショップ
(2015年10月9日〜12日に山形まなび館にて既開催)
・今回で3度目の開催となる、ヤマガタ映画批評ワークショップ。山形国際ドキュメンタリーにて、映画祭というライブな環境に身を置きながら、映画についての思慮に富む文章を執筆し、ディスカッションを行うことを奨励するプロジェクト。
・応募して選考を通った若干名の参加者は、プロの映画批評家のアドバイスを受け、参加者が執筆した記事は、映画祭期間中に順次発表される。
※開催中にヤマガタ映画批評ワークショップの批評文がUPされた〈YIDFF live!〉
・参加者はこのプロセスを通じて、ドキュメンタリー映画をより深く、より広い視点から理解することを可能にする映画批評の役割について考察、実践することになる。
・今回は初の試みとして、国際交流基金アジアセンターと共催し、東南アジアからのワークショップ参加者を募る機会を設け、関連したシンポジウムも開催する。
・ワークショップの使用言語は英語・日本語で、講師となる批評家はクリス・フジワラ、北小路隆志、金子遊の各氏。


山形国際ドキュメンタリー映画祭2015
●2015年10月8日(木)〜15日(木)※既開催
公式ホームページ:http://www.yidff.jp/2015/2015.html

山形国際ドキュメンタリー映画際2017
2017年10月5日(木)〜12日(木)開催予定
公式ホームページ:http://www.yidff.jp/2017/2017.html

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【執筆者プロフィール】

 佐藤聖子 Seiko Satoh

福祉のお仕事を転々として、今は児童福祉施設の非常勤。時給が湿布代で飛んでゆくことに「人生」を感じている。
映画のような夢を見た朝の微睡みが好き。

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2016年2月10日水曜日

山形国際ドキュメンタリー映画祭 《映画批評ワークショップ体験記》 vol.2 text佐藤 聖子

【その2】 映画批評ワークショップ&山形まなび館


〈2015年10月9日〜10月12日 ワークショップ〉 映画、そして書く!
9日朝、山形まなび館にて、講師・参加者の顔合わせとオリエンテーションが行われました。

ワークショップ初の試みとして、国際交流基金アジアセンターと共催し、東南アジアからの参加者を募っており、タイ、フィリピンから3名の若手ライターが参加していました。
国際交流基金の方もいらして「ワークショップを通じてアジアの文化的交流を深める」ことについてのお話を伺いました。

講師のクリス・フジワラ先生は、映画祭の公式カタログでも論述しておられますが、西洋とアジアの映画批評の間に広がる断絶、英語以外の言語で執筆活動をしている者たちの言語的孤立について問題提起をされています(山形国際ドキュメンタリー映画祭2015公式カタログ114ページ参照)。

ワークショップを始めるに当たり、「世界に通用する映画批評をアジアから発信してゆく」という壮大なヴィジョンが語られる中、私は場違いなところへ来てしまったかも……と小さくなっておりました。そこへいきなり、
「佐藤さん、ワークショップの最終目標は?」
金子先生、ここで振ってきなさるなんて!
咄嗟に口から出たのは「みなさんが、どんなことを考えているのか知りたいです」
自分でもガーンとなってしまうような……まるで子どもみたいな返答です。

その時の自分は小さくなりながらも、色々な職種や関係者(山形市民の方も含めて)が、さまざまな形でこの映画祭に関わっていることに感じ入っていたのです。
「きっと、一人一人がそれぞれの文化を持っているんだろうな」という考えが勝手に膨らんで「グローバルな文化交流も、電車内で人とぶつかって会釈し合うのも、すべてが異なる文化に生きる人と人との交流みたい」と嬉しくなり、「人の数だけ文化がある不思議」に想いを馳せていたのです。
それがなぜか前述の発言となって出てしまったのでした(言い訳ですが事実です)。

海外からの参加者3人はクリス・フジワラ先生、大学生の女性2人は北小路先生がそれぞれ担当され、大学4年生の男性(仮称Aさん)と地元山形から参加されている女性(仮称Bさん)、私の3人は、金子先生に担当していただくことになっていました。3グループに分かれて別々の小部屋へ。

ワークショップは、「映画を見て文章を書く」それに尽きます。
1日1本以上の映画を見て、1000字前後の文章を書くのですが、どの映画を見るかは自由です。
結果、1日2時間のワークショップと、参加を指示されたプログラム以外は個人行動になります。それぞれが自分の選んだ映画を鑑賞し、文章を書き、提出します

「見たい映画と文章にできる映画は違うんだな。初心者には映画の選び方も大事な要素なんだ」と気づいたのは、ワークショップも終了してホッとした後のことでした。

さて「金子クラス」のメンバーです。
学生のAさんは、色々な文章を書いていらっしゃるようでした。
Bさんは、ほとんど書いたことがないとのこと。
私もほとんど書いたことがありません(昔、童話を少しばかり)。

ちなみに選考通過した理由について、バラしていいのか不明ですけれども。
Aさん「文章力があり内容もレベルが高い」
Bさん「ぜひ参加して欲しかったんですよね」
私  「佐藤さんは経歴。福祉やアラブね」
  ……得心がいくとはこういうことでしょうか。

そして、一人一人に対し、金子先生から指示がありました。
「Aくんは別枠」と、彼にだけ条件が課せられます。
誰かの言葉等の引用はなし。他作品との比較もなし。自分の言葉だけで書く。というような条件だったと思います(そもそも先生とAさんの会話の速度についてゆけません)。 

Bさんには、文章を書く上での基本的レクチャー。
「起承転結、それぞれ200字ずつ書けば800字になる。
 始まりは大事。印象的なフレーズで、続きを読みたいと思わせる。
 最後はなんか良いこと書いて、じーんと余韻が残るような終わりにすれば、  
 それでもう一本になるから」
ざっくりとしたご説明ではありますが非常に分かりやすく、文章を書く上での基礎の基礎を初めて教わった気がしました。

で、私は?
「とりあえず書いてみて」
  ……クールな金子先生なのでした。
「cool」はいやだな。「sharp」ならいいけど。by金子先生)

書き上げた原稿は夜中の12時までに、メールで金子先生に送付します(ホテルの部屋からはネットに繋げられないので、ロビーまで降りなければならず……)。
そして、翌日午前のワークショップで、先生から講評という名のダメ出しがあり、即行リライトです。それを最終稿として、その場で提出しなければなりません。
映画を見て、その日のうちに原稿を書くだけでも「ひょえー」となっていましたが、1時間程度でリライトするなんて!

「そもそも映画の感想文とレビューと批評の違いって何?」レベルの私には、自分の書いている文章がどういう種類のものかも、全く分かりませんでした。

午前のワークショップで原稿を提出した安堵に浸る暇もなく、午後から映画鑑賞&さらに書く!

このスピード感、若者ならいざ知らず、私にはめちゃくちゃハードです。
それが4日間続くのです。
「まるで虎の穴だよ〜」と思わずにはいられない濃厚な体験でした。

 ☆山形まなび館☆
 ワークショップ会場である「山形まなび館」は、もとは小学校だったところを地域に開放して色々な催しを行っています。
 海外からの参加者たちも、この会場のあちこちに興味を持ったようでした。


画像提供:山形まなび館

小学校時代の机や椅子が、そのまま置いてあり、懐かしくなって座ってみました。
小学生ってこんなに小さいんだ、と思いながら机の落書きを読んだり、教室の雰囲気を味わいました。
騒いで先生に叱られる子や、真面目にお掃除する子が、ここにもいたんだと思い浮かべていたら、こぼした牛乳を拭いた雑巾の臭いまで思いだされました。

画像提供:山形まなび館

現地から山形出身のお友だちにハガキを出しました。
東京に戻ったあと、お返事メールが来ました。
「今山形にいるの?
 三津屋っていうお蕎麦屋さんがおいしいですよ。
 山形まなび館は、私が出た小学校よ。
 観光施設になってるから、お暇があったらどうぞ。
 駅の近くすずらん街のホテルサンルートの前の路地あたりで私は産まれたの。石碑がたってる。(それはウソ)」

彼女の出身校と知らずに、そこでウンウン唸りながら数日間文章を書いていたことが、人生のちょっとした「おもしろご縁」に感じられました。
冬になると日直が地下からストーブに使う石炭を運んでいたとか、トイレの花子さん的怪談話があったとか、後から話を聞かせてもらいました。
2年後は、小学生だった頃の彼女の面影を探して、山形の街を歩いてみようと思います。

映画批評ワークショップ参加者がリライトを重ねて書いた最終原稿は、冊子になるとのことです。
私は『桜の樹の下』について書きました。冊子になった際にはご報告致します。お読みいただければ嬉しく存じます。

苦闘度またはスピー度:★★★★★
(text: 佐藤聖子)

関連レビュー:
*山形国際ドキュメンタリー映画祭 《映画批評ワークショップ体験記》 vol.1
text佐藤 聖子
http://kotocine.blogspot.jp/2015/11/vol1-text.html

*山形国際ドキュメンタリー映画祭2015訪問記」
text 高橋 雄太
http://kotocine.blogspot.jp/2015/10/2015text.html


ヤマガタ映画批評ワークショップ

●10月9日-12日 [場所]山形まなび館

今回で3度目の開催となる、ヤマガタ映画批評ワークショップ。山形国際ドキュメンタリーにて、映画祭というライブな環境に身を置きながら、映画についての思慮に富む文章を執筆し、ディスカッションを行うことを奨励するプロジェクト。
応募して選考を通った若干名の参加者は、プロの映画批評家のアドバイスを受け、参加者が執筆した記事は、映画祭期間中に順次発表される。
※開催中にヤマガタ映画批評ワークショップの批評文がUPされた〈YIDFF live!〉

参加者はこのプロセスを通じて、ドキュメンタリー映画をより深く、より広い視点から理解することを可能にする映画批評の役割について考察、実践することになる。

今回は初の試みとして、国際交流基金アジアセンターと共催し、東南アジアからのワークショップ参加者を募る機会を設け、関連したシンポジウムも開催する。

ワークショップの使用言語は英語・日本語で、講師となる批評家はクリス・フジワラ、北小路隆志、金子遊の各氏。


山形国際ドキュメンタリー映画祭2015
●10月8日(木)〜15日(木)
公式ホームページ:http://www.yidff.jp/home.html

山形まなび館
公式ホームページ:http://yamagatamanabikan.jp/

2015年11月4日水曜日

山形国際ドキュメンタリー映画祭 《映画批評ワークショップ体験記》vol.1 text佐藤 聖子

「2015ヤマガタ映画批評ワークショップ」に応募してみる


レビュー1つ書いたことのない自分。
年とともに膨れ上がる、新たなフィールドに入ってゆく怖さ。
心身ともにガタが来ている昨今、応募のハードルは高く見えました。

そもそもの発端は母なのだろう、と思います。世界中のあらゆる問題を、他人事ではないと感じる人でした。
母は「他人の痛みが分かる人になって欲しい」という願いを込めて私を育てたわけですが、私自身にも痛みがあること、簡単には知ることのできない深いところにも人の痛みがあること、それは誰からも教わらなかった気がします。

そのだいじな事実について、きちんと考えるようになったのは、ここ十数年くらいのことでしょうか。    
以来、様々な事象との向き合い方を模索してきました。

この世界に溢れる諸々のことがらは、知ることによって自分の問題となってしまうけれど、知らなければ何とかスルーしていられる、とでもいった感覚で過ごした時期もありました。 

けれど、いくら見ないようにしても、逃げ出そうとしても、余裕なんかなくても、つらいことはズカズカと自分の人生に踏み込んでくるものです。そんな当たり前のことが文字通り骨身にしみたのは、両親を相次いで亡くしたからかも知れません。

ALSの母とアルツハイマーの父。二人が同時に要介護状態になってからは、激流に翻弄される葉っぱのようにくるくると、方向感覚を失いながら生きていました。

宣告された余命よりほんの少し長く生きた母は、きれいに澄んだ秋の朝、まみえぬ人となりました。1年後の寒い日に、父もいなくなりました。

前回の山形国際ドキュメンタリー映画祭に観客として出かけて行ったのは、母の納骨の直後だったなぁ……と思い出しています。たまらない喪失感の中で見たドキュメンタリー映画には、それまで感じたことのない「光」のようなものがありました。希望とか、幸せとか、そんな言葉にできるものではなかったのですけれども、作品から、あるいは作り手から私への贈り物に思えたのです。

この贈り物をどうすればいいのだろう、そう思いながら2年が過ぎました。
たぶん誰かに渡してゆくものなのだと思いつつ、どう渡してゆけばいいのか分からずにいました。
終焉を迎えようとしている両親に、ビデオどころかカメラも向けられなかった私には、ドキュメンタリーとの関わり方が見えませんでした。

そこへワークショップの情報が入ってきました。

「これかもしれない……」

高いハードルなんて、どこにいる時でも、何をしている時でも、いくらでもあったよね。
まず応募しよう、そう思いました。

約1ヶ月後、山形行きの新幹線の中、心臓バクバクさせている自分がいたのでした。

(ワークショップ内容、海外からの参加者さん、監督さんたちについても、ぼちぼち書いてゆきますので、興味のあるところだけでも、お読みいただければと思います。)

山形国際ドキュメンタリー映画祭については、高橋雄太さんの体験記に詳細が書かれています(*)。

続く

ワークショップ応募チャレンジ度:★★★★★
(text:佐藤 聖子)

*関連レビュー:山形国際ドキュメンタリー映画祭2015訪問記」text 高橋 雄太
http://kotocine.blogspot.jp/2015/10/2015text.html


ヤマガタ映画批評ワークショップ

●10月9日-12日 [場所]山形まなび館

今回で3度目の開催となる、ヤマガタ映画批評ワークショップ。山形国際ドキュメンタリーにて、映画祭というライブな環境に身を置きながら、映画についての思慮に富む文章を執筆し、ディスカッションを行うことを奨励するプロジェクト。
応募して選考を通った若干名の参加者は、プロの映画批評家のアドバイスを受け、参加者が執筆した記事は、映画祭期間中に順次発表される。
※開催中にヤマガタ映画批評ワークショップの批評文がUPされた〈YIDFF live!〉

参加者はこのプロセスを通じて、ドキュメンタリー映画をより深く、より広い視点から理解することを可能にする映画批評の役割について考察、実践することになる。

今回は初の試みとして、国際交流基金アジアセンターと共催し、東南アジアからのワークショップ参加者を募る機会を設け、関連したシンポジウムも開催された。

ワークショップの使用言語は英語・日本語で、講師となる批評家はクリス・フジワラ、北小路隆志、金子遊の各氏。



山形国際ドキュメンタリー映画祭2015
●10月8日(木)〜15日(木)
公式ホームページ:http://www.yidff.jp/home.html

2015年10月18日日曜日

「山形国際ドキュメンタリー映画祭2015訪問記」text 高橋 雄太

二年に一度、山形で開催されている山形国際ドキュメンタリー映画祭。名前が示すようにドキュメンタリー映画に特化したイベントであり、世界中から多くの作品が集まる。2015年、念願かなって参加することができた。

「インターナショナル・コンペティション」、「アジア千波万波」、「日本プログラム」、「ラテンアメリカ——人々とその時間:記憶、情熱、労働と人生」、「アラブをみる——ほどけゆく世界を生きるために」など数々の企画がある。

私が経験できたのは映画祭のほんの一部に過ぎないが、映画、会場などの情報を含めたレポートをお送りする。

・期間


開催期間:2015年10月8日-15日

筆者の参加期間は10-12日

・利用した交通手段

往路:新宿~山形駅の夜行バス、所要約6時間

復路:山形~東京の山形新幹線、所要約3時間

夜行バスは5:30頃に山形駅到着。映画の上映はだいたい10:00頃に始まるため、4時間ほど暇を潰さねばならない。しかし、山形駅周辺には早朝に開いているファストフード、ファミレス、ネットカフェなどが見当たらない。開いているのは松屋とコンビニくらい。同行した友人と山形駅構内で長い時間を過ごすことになった。また、夜の移動は疲れるので、肝心の映画鑑賞にも支障が出てしまった。

市内交通について。会場近辺を循環するバスがあるようだが、筆者は利用しなかった。会場間、ホテル~会場も全て徒歩で移動した。

・会場


映画祭の会場は複数あり、いずれも山形駅東口側に集中している。時間が許すなら、複数の会場を行き来するスケジュールを組むのもよい。徒歩での移動がちょうどいい散歩になり、気分転換ができる。

会場は以下の通り。

フォーラム:シネマコンプレックスであり、一般の映画も上映されている。山形駅から伸びる大きな通りを歩き、交差点を左折したところにある。山形駅から徒歩10分弱。(写真1:フォーラム

山形市民会館:フォーラムの隣にある。大ホールと小ホールが会場になっている。

山形市中央公民館:フォーラムの北東方面、繁華街の七日町にある。複数の店舗が入っているアズ七日町ビルの6階のホールが上映会場。 (写真2:山形市中央公民館のビル入り口

山形美術館:山形駅から見て線路とほぼ平行な方向にあり、他の会場からやや離れている。映画の上映だけでなくシンポジウムなども行われる。



写真1


写真2

・宿泊 


山形駅の東側、駅と映画祭の会場から徒歩圏内のビジネスホテルに泊まった。

山形駅の近くに多くのホテルが見られたが、映画祭期間中には混雑するとのこと。山形駅以外の駅に宿を取ることも可能らしい。だが、鉄道の本数が少ないこと、後述の香味庵などで遅くまで飲食することを考えると、山形駅周辺に宿泊することが望ましい。

・香味庵


映画祭期間中に関係者・観客が集まるお食事処。 (写真3:香味庵入り口)

知り合いとはもちろん、見知らぬ人とも気軽に話せる雰囲気である。筆者は地元のおじさまと同席し、日本酒をおごってもらった(ごちそうさまでした)。

入場料500円(ワンドリンク、おつまみ付き)。追加のドリンクは有料。日本酒、ビール、ソフトドリンクが揃っている。

無料の芋煮、うどん、漬物が振舞われる。ただしすぐになくなってしまう。有料の食べ物はおにぎりと唐揚げ。

おおよその位置は、山形美術館の東、フォーラムと山形市民会館から見て北。フォーラムから徒歩15~20分が目安。

宴会場としての営業時間は22:00~2:00。



写真3

・チケット 


1回券、3回券、10回券、フリーパスがある。いずれの種類にも前売り券と当日券があり、前売り券の方が安い。なおシンポジウムやトークイベントなどは無料のケースもある。

映画の座席は予約制ではなく自由席。当日券・前売り券関係なく会場に並ぶ。人気のある作品では会場の外まで行列ができ、立ち見になることもある。後述の映画『鉱』は大変混雑しており、筆者は最前列に座り、超ローアングルで鑑賞した。

・映画


鑑賞した作品の中でも印象深かったものを、筆者の感想とともに紹介する。

『フランスは我等が故国』(監督:リティ・パン/フランス、カンボジア/2015/75分)


フランスの植民地支配を受けていた時代のカンボジアの記録映像にナレーション、音楽、サイレント映画を模した字幕を加えた作品である。文明国フランスと未開のカンボジアという構図を意図的に作り上げることで、帝国主義的な視点が普遍的なものではなく恣意的なものであり、同時にドキュメンタリーの主観性をも示す。

『子のない母』(監督:ナディーン・サリーブ/エジプト、アラブ首長国連邦/2014/84分)


女は子供を産み、家庭を守るもの。そうした価値観を批判することなく、懸命に母親になろうとする女性たちを正面から描いた作品。

『ホース・マネー』(監督:ペドロ・コスタ/ポルトガル/2015/104分)


ロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)受賞作。

『コロッサル・ユース』に続いてヴェントゥーラが登場する、ペドロ・コスタの新作。

固定ショットに不安定をもたらす斜めの構図。光と闇、画面内を仕切る直線。亡霊のような人々は、画面内の境界を行き来し、同時に過去と現在、虚構と現実とを出入りする。ヴェントゥーラの震える手のように、映画は世界を揺り動かす。

『鉱』(監督:小田香/ボスニア・ヘルツェゴビナ、日本/2015/68分)


ボスニアの炭鉱、地下300m。そこは文明を支えるエネルギーを掘り起こす場所、我々の日常からは隠された場所だ。カメラは名もなき坑夫たちとその労働を記録する。しかし、トンネルの闇、強烈なヘッドライトで画面はよく見えない。観客と不可視の画面との関係は、地上の社会と地下の炭鉱との関係のアナロジーである。見えないことが映画であり得ることを示した作品。

なお、タイトルの『鉱』は「あらがね」と読む。

『ドリームキャッチャー』(監督:キム・ロンジノット/イギリス/2015/98分)


性暴力の被害を受けた女性たちを支援する女性ブレンダを主人公とした作品。ブレンダは団体ドリームキャッチャー・ファウンデーション率いて、女性たちの話を聞き出し、希望を与える。

ブレンダの活動は意義深いものだと思う。だが、アクセサリーやウィッグで自分を飾り、歌って踊り、企業のCEOのようなプレゼンをする彼女の姿は、「強い女性」や「社会的成功者」のステレオタイプにも見える。結局はアメリカン・ドリームやポジティブ思考という価値観のプロパガンダに思えてきて、単純に「女性たちを助けていて素晴らしい」と共感はできなかった。

『我等の時代の映画作家シリーズ:ジョン・カサヴェテス』(監督:アンドレ・S・ラバルト、ユペール・クナップ/フランス/1969/49分)


生前のジョン・カサヴェテスへのインタビュー映像と、彼の映画『アメリカの影』、『フェイシズ』の抜粋で構成されている。亡きカサヴェテスが、モノクロの画面によみがえり、生き生きと動き、語る。自作のこと、自分とハリウッド、お金のためでなくやりたいからやるという姿勢。自宅の編集室まで公開している貴重な映像作品。

『チリの闘いー武器なき民の闘争 三部作』(監督:パトリシオ・グスマン/チリ、キューバ、フランス/1975-1978/263分)


山形市長賞(最優秀賞)受賞作『真珠のボタン』のパトリシオ・グスマン監督の過去作品。

民主的に選ばれたチリのアジェンデ政権が、軍事クーデター(南米の9.11)で崩壊するまでの過程を描く263分に及ぶ超大作。カメラは街や工場に繰り出し現場を記録している。民衆のアップ、群衆のロングショットなど高密度の画面に、当時の情勢を語るナレーションが重なる。大量の情報と悪化する一方の状況が、現代の観客をサスペンスに引き込む。クーデターは40年近く前のできことだが、政治闘争、言論と暴力、民主主義……時代と場所を超えた普遍的なテーマが含まれた作品であり、現代への警鐘でもある。

・全体の感想


途中で帰ってしまうのが惜しいほど楽しいイベントでした。

好きな作品、気に入らない作品、お目当ての映画、意外な傑作。様々な映画との出会いがありました。 また、友人たち、一期一会になるであろう見知らぬ人々……多くの人たちとの出会いもあるのです。

ドキュメンタリー映画が好きでも、そうでなくても、参加してみてはいかがでしょうか。と言っても、次回は二年後ですが。

二年後が待ち遠しい度:★★★★★

(text:高橋雄太 photo:大久保渉)


作品解説

特別招待作品『フランスは我等が故国』

カンボジアのボパナ視聴覚資料センターの代表も務め、YIDFFで数々の作品を上映してきたリティ・パンのアーカイブ・ドキュメンタリー。

アラブをみる——ほどけゆく世界を生きるために『子のない母』

土地に根ざした因習と変わりつつある社会の狭間で浮かび上がる、ある女性の死生観を描く。

インターナショナル・コンペティション『ホース・マネー』

『コロッサル・ユース』に続き、リスボン郊外のスラム街フォンタイーニャス地区に暮らした老移民者ヴェントゥーラの記憶とその苦しみを、清冽な眼差しのもとに描き出すペドロ・コスタ最新作。カーボ・ヴェルデから19歳で出稼ぎに出た彼が経験した1974年カーネーション革命とその後の曲折。廃虚と化した工場、監獄のごとき病院。過去と現在、そして未来へと亡霊的な時空間を彷徨い歩くヴェントゥーラの魂の軌跡が、高純度の人間愛と圧倒的な映画表現の中に立ち現れる。事実とフィクションの狭間で「映画」という装置がいかにして人間の「生」を解放するのか。映画表現の極北を見つめつづける孤高の作家による到達点。

アジア千波万波『鉱』

ボスニアの炭坑で黙々と働く坑夫たち。絶え間なく響く音のなかで、カンテラの光と闇にうごめく彼らをひたすら見続ける。監督はサラエボの大学院のタル・ベーラの映画プログラムで学ぶ。
 

インターナショナル・コンペティション『ドリームキャッチャー』

イラン式離婚狂想曲』(YIDFF '99)などで強く生きる女性を撮り続けてきたキム・ロンジノットが新たな被写体に選んだのは、シカゴで性暴力の被害女性たちを支援する団体「ドリームキャッチャー・ファウンデーション」のブレンダ。問題を抱えた娼婦や性暴力の記憶に悩む少女らの話に耳を傾け、献身的に活動するブレンダ自身、娼婦であった過去に薬物中毒にかかり、性的暴行を受けた経験があった。弱者としての女性に冷淡なアメリカ社会の現実に立ち向かいながら、ブレンダの慈悲と熱意が彼女たちの傷を癒やし、明日を生きる力を与えている。

Double Shadows/二重の影――映画が映画を映すとき『我等の時代の映画作家シリーズ:ジョン・カサヴェテス』

1965年、ジョン・カサヴェテス(1929−89)は、自宅のガレージを編集室に改築し『フェイシズ』の編集作業を開始。カサヴェテスのワークショップに参加した学生たちがその作業を手伝い、その模様がインタビューで綴られる。3年後、『フェイシズ』の編集は終わり、ヴェネチア国際映画祭に参加する為パリに立ち寄ったカサヴェテスは再びインタビューに答える。ハリウッド映画の対局に自らを位置づけ、インディペンデントな映画製作について力強く語るカサヴェテスの姿が記録されている。

ラテンアメリカ――人々とその時間:記憶、情熱、労働と人生『チリの闘いー武器なき民の闘争 三部作』

パトリシオ・グスマンによるチリ・ドキュメンタリー映画の金字塔的作品。グスマンはチリの政治的緊張とアジェンテ政権の終焉を記録している。「第一部:ブルジョアの叛乱」「第二部:クーデター」「第三部:民衆の力」から成る長編作。「世界で最も優れた10本の政治映画の1本」と評されている。


プログラム解説


〈Double Shadows/二重の影――映画が映画を映すとき〉

映画について語る映画とは、映画好事家のためにだけあるものだろうか? 「シネフィルの消滅」「映画の死」という言葉を出すまでもなく、観終ったばかりの映画を話す場所自体が、私たちの生活から失われているのではないか。本特集では、映画誕生から約120年を経た今日において、映画史あるいは映画そのものを主題とし、被写体とした作品を上映する。

〈アラブをみる――ほどけゆく世界を生きるために〉

国境を越えて広がるアラビア語圏。そこには「アラブ」とひと括りにできない豊かな個々の物語が溢れている。いわゆる「アラブの春」から4年。変わりゆく世界と真摯に向き合った新作と、40年代、70年代のレバノンやパレスティナを撮影した旧作を併せて上映することで、国家や共同体を越えた人々のつながりの可能性を模索する。

〈ラテンアメリカ――人々とその時間:記憶、情熱、労働と人生〉

1960年代に「第三の映画/サード・シネマ」と銘打たれた新しい映画の形式が模索され、数々の伝説的な作家を輩出したラテンアメリカ。やがて、独裁政権時代へと突入し、自国での制作が困難になった作家は、国境を越えて様々なかたちで助けを得て、互いに精神的にも連帯しながら作品を完成させていく。「第三の映画/サード・シネマ」は、第三世界(アジア、アフリカ、ラテンアメリカ)から発せられた情熱をかけた映画の探究でもある。混迷を極める現在だからこそ、60~70年代の社会変革への挑戦を映画で試みた第三世界の〈抵抗〉という視座を映し出し、現代における試みも含めて上映し、国境や島境を越えてラテンアメリカを巡るプログラム。

公式ホームページ


山形国際ドキュメンタリー映画祭
10月8日(木)〜15日(木)
http://www.yidff.jp/home.html


◎パトリシオ・グスマン監督『光のノスタルジア/真珠のボタン』(ともに山形国際ドキュメンタリー映画祭2015最優秀賞受賞作)が東京・岩波ホールほかにて劇場公開中