2018年7月22日日曜日

ともこの座敷牢 1年ぶり2回目 『30年後の同窓会』

「酒と泪と男と男と男と息子と死んだ友」  


『30年後の同窓会』。
どこから手をつけたらいいのかわからないほど情報量の多い映画である。

わたしはリチャード・リンクレイター作品をそんなに観ていない。
『6歳のボクが、大人になるまで』(2014)も観る機会を逃した。『ビフォア』3部作も観てはいない。
『スクール・オブ・ロック』(2003)がリンクレイター監督作であることも最近知った。いい映画である。なにより音楽がいい。当時わたしは自分の車の中でこの映画のサントラをさんざんかけていたため、同乗者たちの耳には特大のタコができていたことと思われる。ジャック・ブラックの英語はリスニングのテキストにできるくらい聞き取りやすいなぁ、というどうでもいい記憶がある。

『スラッカー』(1991)『エブリバディ・ウォンツ・サム! 世界はボクらの手の中に』(2016)は観ている。この2本には共通した雰囲気が感じられるが、しかしここはこう考えたほうがいいだろう。

この際、作風や監督の特徴は無視しよう。

わたしは自らの中に「リンクレイター論」を持たない。だから、あえて監督のこれまでの作品を考えず、この作品から受けた「かなしみ」と「しずかな怒り」そして「救い」について考えようと思う。

・「お前が言うな」に似たなにか
『30年後の同窓会』。
このタイトル。邦題に苦慮した挙句凡庸な命名をせざるを得なかったのではないだろうかと若干かわいそうにも思う。かつての仲間が30年ぶりに集まる、それはある意味ではまったく「同窓会」であり、またある意味では「再会」にとどまらない、古傷を癒す旅であるからだ。
古傷と向き合うきっかけは、新たに出来てしまった大きな生傷である。

2003年12月。サルの経営するバーを訪れた、しょぼくれた男。毎日が酩酊状態であるサルだが、それでも、この男が昔一緒にベトナム戦争に従軍した衛生兵、ドクであることを思い出す。
ドクはサルに、息子が2日前イラク戦争で戦死したので、軍葬に立ち会ってほしい、と頼む。
ドクは妻に先立たれ、その悲しみも癒えぬうち、息子をイラク戦争で失った。愛する家族が続けざまに死んでいく。
自分はかつてアメリカ兵であり、生き残った、しかしその息子は、戦死した。
息子はアメリカの英雄として丁重に扱われ、アーリントン墓地に葬られる。

たどり着いた会場では、しきりに「彼は英雄だ」「大統領の弔意」などのことばが述べられる。
しかし、重々しく進む戦死者の葬送は、その儀礼的さゆえに「国旗がかかった箱がベルトコンベアに乗せられて移動していく」ようにしか思えない。こう言ってはなんだがスーパーの刺身パックの上にプラスチックの菊の花を乗せ続けるような「作業」のように映される(この場面の演出はかなり意図的なものであろう、しかし意図は意図である)。
ドクは知っていた、「名誉」「アメリカの英雄」という重たい空虚を。ドクは息子を、「英雄」ではなく、ひとりの「自分の息子」として引き取り、葬ることにした。

ここで息子の遺体と対面したドクが呟く「顔がなかったよ」の一言が効いてくる。
「顔がない」という言葉には幾重の意味がある。それはまず文字どおりの意味。まったく、英雄やら名誉やらうるさいんだからきちんとしてあげなさいよ、というよくわからない困惑が湧いてくるが、まさか父が息子との対面を強行するとは思わなかったのだろう。
本音としては、遺体はただの物体に過ぎないのだろう。戦死者が日常的に発生する状況では感覚は麻痺し、悼むことばは空虚なものとなる。美辞麗句が並べられても、彼らへの儀式はルーチンワーク的なものとして描かれる……白黒の鯨幕と星条旗が等しく感じられる。
死者たちは「個」をひとまず封じられ、「アメリカの英雄」という概念と化し、アーリントン墓地に葬られるのである。その名前が残るかかどうかは別の問題である。名前すなわち「個」ではない。これは抽象的な意味での「顔がない」につながっていく。
ドクやサル、途中で一行に加わった3人目の仲間ミューラーたちは、「顔を失った者」が常にその「顔」を自分たちに向けている、という感覚を背負っていたのではないか。後述する。

2003年末といえば、かつてのイラク大統領サダム・フセインが捕縛されたちょうどその頃である。この2年前、2001年9月11日、イスラム過激派がアメリカ各地にテロを仕掛け、とんだ大惨事を引き起こしたことは記憶に鮮明に残っているが、イラク戦争はその報復といった面もあるらしい。これらを受け、アメリカの愛国心(を煽るような世論)が高まっていた、という描写が途中で見受けられる。

アメリカ万歳。アメリカつよいぞ。
そんな愛国心の象徴のように、当時のアメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュの顔が映し出される。街角のテレビに、モーテルのテレビに。すっかりボロボロになったサダム・フセインの姿と、いかにもリーダーでござい、というブッシュの姿が交互に映し出される。
しかし、それもまた可笑しなはなしなのだ。なぜなら、ブッシュ大統領も、ドク、サル、ミューラーたちと同様にベトナム戦争を知っている者であり、そして今、「何かがあるかもしれない」というよくわからない理由でイラクに兵を送り、そこで大量の人死にを出しているのだから。
ほうぼうのドンパチに無闇に人員を送り込んでいる者に「息子さんの死を悼んでいる」なんて言われてありがたく感じるだろうか? お前が言うな、である。

ベトナム戦争なるものも、まったくもってよくわからない。いったいアメリカが何を期待してそこに兵を送り込んだのか、ベトナムに返り討ちされたのがそこまでアメリカのプライドを傷つけたのか、なんともよくわからない。もっとも、アメリカがその鼻っ柱をへし折られたことによって、アメリカンニューシネマの名作の数々が生み出されたのは皮肉な功かも知れない。
そういえば、わたしが『30年後の同窓会』を観て感じたのは、「これはアメリカンニューシネマの現代的解釈だ」ということなのである。
なんの前知識もなく鑑賞してそう思ったのだが、あとで調べて驚いた。しかしわたしはこの作品がどの作品の続編的なものなのかは書かない。なぜならその前作を観ること叶っていないからである。

・一粒の麦もし死なずば
この3人のおっさんたちがベトナム戦争でどのようなご乱行に耽っていたのかは劇中で語られる。現在も酒浸りでヨレヨレのサルも、今は聖職者として熱く信仰を説くミューラーも、なんらかの理由で海軍刑務所に叩き込まれていたドクも、等しくオンナと酒とおクスリに溺れていたという昔話が、ドクの息子の遺体の横でゲラゲラと笑いながら語られる。
そして、そのことが原因で、戦友を見殺しにする羽目に陥ったという、重たい影を、彼らは30年間背負い続けていたことが示される。

ドクの息子が死んだ理由は、表向きはあくまで「戦死」。しかしそれは実は……
自らの過去と重ね合わせて、十重二十重にやりきれない彼らである。

惨状を生き延びた者は、死んだ者に対して、罪の意識を抱きがちなのではないか。なんで俺たちのかわりにあいつが。あいつは生きるべきだった。なぜ……答えの出ない問いを長年抱き続けてきた彼ら。
そのような思考は、自らの外にも向けられる。なんで俺の息子は死んで、お前は生き残った? しかしそれは問うてはならない問いである。問うても詮無い問いである。
ここで、先ほど放ったロングパスを自ら走って受け取ろう。「その人の顔がつきまとってくる」のである。俺はなんでお前の代わりに死んだんだ。本当だったらお前が死んでいたんだ。自分の内に居ついた彼の顔が問いかけてくる。時に激しく詰ってくる。罪の意識と、後悔。この感情に苛まれ、ひとりは酒に逃げ、ひとりは神という(ある意味)精神的な存在を説くに至り、ひとりはその感情を背負いつつうっすらとした幸せと後悔ないまぜのなか生きていた……しかし全てを失った。

30年という月日は長いのだろうか。昨日のこともはっきりしないのに、30年前のことは鮮明に思い出せる、ということもあるだろう。月日の経過と記憶の距離は比例せず、過去と現在とが隣り合わせ、ということもありうる。
ということは、そのとき自分たちの代わりに死んだ友は、常に隣にいるのである。嬉しいことではないだろう。むしろとんだ足枷である。子を亡くした親となった今となってはさらに。死んだ友の親はこの30年間、どのように生きてきたのだろうか。

彼のお母さんは健在である。お母さんにとって彼は「アメリカのために立派に死んだ自慢の息子」。しかし、実は、ここに訪れた3人の「身代わり」となって死んだのだ、アメリカのためではなく。
はたしてそれを告げてなんになるだろう。しかし、今、前途あるはずだった息子を戦争で失った彼らは、それを「告解」せねばならなかった。
泣き喚かれ、罵られ、しかしそれを引き受けねばならなかった。ある意味、けじめとして。

息子の戦友として歓待され、それを告げるのは非常に重苦しい時間であったことだろう。しかしここでコペルニクス的転回が。

「では、私の息子があなたたちを助けたのね」

この発想はなかった。
死んだ子の年を数えるようなお母さんではなかった。お母さんは、戦死した(理由は何であれ、戦死である)自分の息子を、誇りに思い生きてきたのだろう。さらに、身を挺して友人の命を救ったという、「意味」がここに与えられた。一粒の麦、もし死なずばなんとやら。わたしはキリスト教徒でもなんでもないのだが、ふとそんなことばが思い浮かんだ。
名誉やら、誇りやら、そんなものは与えられるものではない。自らの内に抱くもの。

ここで死んだ仲間とそのお母さんへの懺悔はひとまず区切りがついた。心の中の友人は成仏しただろう(宗教観がごちゃ混ぜの言いようだが、それ以外日本語でなんと表現する? 昇天した? どうも「昇天」ということばには慣れない。日本人としてはやはりここは「成仏」である)。彼らは「救われた」のかもしれない。
そして、ドクの息子の死も「誰かの身代わりとなった死」、決して無駄死にではなかった、という、安堵に似た誇らしさを、このおっさんたちは実感することになったのではないか。

・自分たちの原点
与えられる名誉を拒否し、自分たちの価値観で物事を進めようとしてきた頑固なおっさんたちである。
この映画を仮にロードムービーであるとするならば、その道中で得たものは何か。もちろん、ドクの息子の眠る棺、その死の意味、そしてもう一つあるだろう。

かつて、友情は結ばれてもそれはいずれほどけるものであった。それぞれの人生がある。あとは風の便りがあればいい。さらば友よ。
しかし、離れても繋がれる、携帯電話なる便利グッズが手に入った。はしゃぐおっさんたち。死んだ息子が再び繋いだ縁は、「いつでも、その気になればまた会える」という心強いものとなった。
(個人的には、これは「携帯電話」であるために、つながりは細くも強いものになり得るのではないかと考える。現在主流のSNSなるものでは、技術的理由や利用者の関心の移ろいや、諸々によって容易に縁は切れてしまう。初めて携帯を持った頃の、今はもうほとんどやりとりのない友人の電話番号、あなたのスマホに残っていませんか? 相手が番号を変えていない限り、そんな知り合いにも簡単に連絡はできるのですよ。なお、Facebookの実用化は2004年だそうです。)

おっさんたちは、どこで自分たちが関係性を築いたかを思い出した。苦い記憶だが、自分たちの辿ってきた道程を再認識し、肯定する作業である。
それは与えられたものではなく、自らが感じ取った「救いに似た誇り」かもしれない。

息子の遺体を引き取る旅は、彼らがかつての関係性を取り戻し、そして枷から解放される旅でもあった。
30年という月日はやはり長く、重い。星条旗を畳むまでの逡巡、そして彼らにのしかかっていた重み、それらから少しだけ解放された彼らを思って、わたしはほんの少しだけ泣いた。





『30年後の同窓会』

Last Flag Flying
アメリカ / 2017 / 125分

監督:リチャード・リンクレイター

脚本:リチャード・リンクレイター
   ダリル・ポニクサン

原作:ダリル・ポニクサン「Last Flag Flying」

出演:スティーヴ・カレル
   ブライアン・クランストン
   ローレンス・フィッシュバーン

あらすじ:バーを経営するサルの元に、かつてベトナム戦争を共に闘った仲間、ドクが訪ねてくる。イラク戦争で戦死した息子の軍葬についてきてほしい、と頼む彼に、今は牧師となった仲間ミューラーも加わり、中年男3人の旅が始まる。


ともこの座敷牢とは
「ことばの映画館」の奈落にある座敷牢に閉じこもっているケッタイなおばちゃんのうめき声やたわごとを記録するフィールドワーク。おばちゃんはほとんど寝ているが、食事を差し入れる小さい扉を開けるとこっちを向いていることがあるのでびっくりする。