2015年8月22日土曜日

無声映画上映会『カリガリ博士』text井河澤智子

「女弁士による無声映画上映会で『カリガリ博士』を観てきました」


 去る7月29日。

柏・キネマ旬報シアターで『カリガリ博士』活弁上映会を観てきました。

 プロの声優さんお二人。「やまがた屋」というグループで、無声映画にセリフをつけて上映する活動を行っていらっしゃるとのことです。

 とあるご縁で、わたしイカザワ、メンバーの岸本百恵さんとお知り合いになって、一度お伺いしたいと思っていたのです。

 さて、無声映画にセリフをつけて上映する、ということ。

 「上映」ではなく、あえて「上演」と呼ばせて頂きたいと思います。「人がその場で語る」映画。とっても贅沢だと思うのです。昔はそれが当たり前だったんですね。

 19世紀末。映画が生まれたこの時代、まだ映画に「音」はありませんでした。セリフは字幕、音楽は生演奏だったのです。

 初めて日本で映画が公開されたのは、明治29年(1896)の暮れのこと。

 日本人にとって映写機は、異国から来た不思議な機械でした。映画そのものも、とても短かった。なにがなんだか分からなかったことでしょう。そこで機械の説明や売り込みも兼ね、場を盛り上げる人があらわれました。これが、「活動弁士」の始まりです。

 もともと日本には、落語や講談、歌舞伎や浄瑠璃の語りなど、長い間に培われた話芸の文化がありました。やがて映画が長く複雑なものになってきますと、活動弁士は、字幕のセリフを語り、場面の状況を説明する役割も担うようになりました。

 活動弁士は自ら台本を書き、スクリーンの前に立ち、沢山の登場人物を巧みに演じ分け、さらに解説を加えます。まさに、八面六臂の大活躍。

 「春や春、春 南方のローマンス」(1918年日本公開『南方の判事』の名文句)…このセリフ、どこかでお聴きになったことはありませんか? 観客は、映画とともに、活動弁士たちの名調子をも楽しんだのです。

 しかし、音がついた映画「トーキー」の時代が到来すると、活動弁士たちは次第にその活躍の場を失っていきました。なにしろ、人がしゃべらなくても映画が全部しゃべってしまうのですから。

 とはいえ、現在においても無声映画の上映に取り組む方々は数多くおられます。いにしえの活動弁士のスタイルを現代に継承している方々や、自作の映像にご自身の活弁をつける映画監督も。また、個性的な声で活弁をつけ、同時に楽器の演奏までしてしまう方。あるいは、活弁はつけなくとも、独自の劇伴を生演奏で聴かせる上映もあります。トーキーが当たり前のこの時代、無声映画は、より自由な形で現代に生きているとも言えるでしょう。

 やまがた屋さんも、そういった、自由な形で無声映画を上演するグループです。

 今回の上演は、ドイツ表現主義映画の古典、ロベルト・ヴィーネ監督『カリガリ博士』(1921年日本公開)です。かつて、活動弁士徳川夢声も演じ、それを竹久夢二も観たといいます。

 やまがた屋さんの活弁は、お二人がプロの声優ということもあり、吹き替えのように演じられます。しかしそこは活弁、一人何役も演じます。演じながら、語ります。お二人での上演なので、途中で入れ替わりながらの上演です。

 ホラー映画の古典的作品とされている『カリガリ博士』。舞台美術は不安をあおるように歪み、計算されたライティングやカメラワークが効果的です。そして、俳優の演技も非常に様式的なものとなっています。およそ現実とはかけ離れた世界がそこにあります。

 しかし、これが不思議と、お二人が語る現代的な言葉遣いにとっても合うんです。

 そういえば、洋画の吹き替えやアニメのアテレコを聴いていると、どこか様式的なものを感じるような気がします。リアルでありながら、様式的。声優の演技と、1920年代の俳優の演技、相通じるものがあるのかもしれません。

 普段はチャップリン、ロイドなどコメディをメインに上演していらっしゃるとのこと。そういえばコメディの香りが漂う台本だと思いました。あちこちに細かなくすぐり、遊びの要素が感じられる。これは、映画の内容から考えると、ひょっとしたら好みが分かれるところではあるかもしれません。コメディの上演も是非観てみたいと感じた次第です。

 演じ分け、語り、聴かせ、観せる。

 本当に磨き抜かれた声の技術。しみじみと堪能致しました。

 活弁映画、面白い。観るのも聴くのも面白い。

 皆様、機会がありましたら、是非、やまがた屋さんの活弁映画、ご覧ください。



 https://www.facebook.com/katsuben.yamagataya?fref=ts

(text井河澤智子)

2015年8月17日月曜日

映画『野火』text高橋 雄太

※文章の一部で、結末に触れている箇所があります。

「非人間的、あまりに非人間的」

戦争とは何か。
暴力、殺し合い、侵略、防衛、愛国的な行為…。多くの意見があると思う。塚本晋也監督の映画『野火』における戦争とは、人間が人間でなくなることだ。塚本監督は、『鉄男』などで人体変化=人間が人間でなくなる様子を描いており、本作においても戦争を身体的な変化として示している。

熱帯雨林の戦場、田村一等兵(塚本晋也)は肺病のため部隊を追い出され、病院に向かう。しかし病院でも受け入れてもらえず、病院と部隊を往復し、いつしかジャングルをさまよい始める。そこで安田(リリー・フランキー)と永松(森優作)の二人組、伍長(中村達也)率いる小隊、そして撤退する多くの日本兵たちと出会う。

映画の舞台はフィリピンのレイテ島らしいのだが、場所、時間、戦況などの説明はない。セリフからうかがえることも「パロンポンから船が出ている」程度のことだ。また、「天皇陛下、万歳」、「お国のために」、「鬼畜米英」などを強く訴える者も出てこない。登場人物は、もはや戦争の行方にもイデオロギーにも無関心のようだ。生き残ることがすべて。
日本兵の敵は、米軍以上に飢えである。彼らはイモを主食としているが、それが足りない。飢えて、疲れ果てた兵たちは、足取り重く歩き、「アー」と言葉にならない声をあげる。ホラー映画を思わせる音楽と相まって、彼らの姿はまるでゾンビである。特に田村は、目の周囲が紫に変色し、ますますゾンビに近づく。
ほとんど唯一の戦闘シーンでは、夜の闇から米軍のライトが照射され、煙の中から銃弾が降り注ぐ。一方、敵である米軍の姿は映らない。また、逃げまどう日本兵の顔も闇に沈んでおり、ほぼ見えない。「憎むべき敵」もいなければ、「戦友の死」のような情緒もない。戦闘は、顔の見える人間同士の戦いですらなく、ただ動くものを殺していく作業になっている。そこでは人間が顔を失い、ゾンビ映画におけるゾンビのように銃の的となり、肉塊として倒れていく。

『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968年)をはじめとするゾンビ映画では、かつて人間であったものがゾンビになり、人間を食らう。そしてゾンビは感染していく。『野火』終盤において、永松は「猿を狩る」と称して人間を狩り、安田とともにその肉を食べる。永松は田村にも肉を与え、「お前も食べたんだよ」とカニバリズムの事実を突きつける。田村に人肉を与えることで、自分と同種にしてしまう永松。ゾンビ映画と同じく、戦争においても非人間化は感染していく。

青い空、白い雲、緑のジャングル、広大な海など、レイテ島の自然は人間を取り囲む。しかし「愚かな人間と美しい自然」という図式ではない。むしろその美しさで人間を幻惑し、非人間の世界、食欲が支配する世界に誘う、危険な自然なのだ。

生き残った田村は、米軍キャンプのテントの中で目を覚ます。ゾンビの徘徊する自然を逃れ、人工物であるテントに横たわる彼は、人間に戻ることができたのだろうか。戦後の彼は、妻とおぼしき女性と暮らしている。だが、女性との会話もなく、ぼんやりと座っている。薄暗い和室で、浮かび上がる青白い顔の田村。戦後でも、彼はやはり人間ではなく、怪談映画の幽霊のように見える。 戦地ではゾンビ、戦後には幽霊と化す。イデオロギーでも情緒でもなく、人間の身体的レベルから戦争を見た。

非人間度:★★★★★
(text:高橋 雄太)



『野火』
2014/日本/87分

作品解説
1952年に出版された大岡昇平の小説『野火』は、1956年に市川崑監督によって映画化されている。今作はリメイクではなく原作から感じたものを映画にしたと言う、塚本晋也監督が自身で主演も努めている。
第2次世界大戦末期のフィリピン・レイテ島。日本軍の敗戦が色濃くなった中、田村一等兵(塚本晋也)は結核を患い、部隊を追い出されて野戦病院行きを余儀なくされる。しかし負傷兵だらけで食料も困窮している最中、少ない食料しか持ち合わせていない田村は早々に追い出され、ふたたび戻った部隊からも入隊を拒否される。そしてはてしない原野を彷徨うことになるのだった。空腹と孤独、そして容赦なく照りつける太陽の熱さと戦いながら、田村が見たものとは。

キャスト
田村一等兵:塚本 晋也
安田:リリー・フランキー
伍長:中村 達也
永松:森 優作

スタッフ
監督/脚本:塚本 晋也
原作:大岡 昇平『野火』
音楽:石川 忠
サウンドエフェクト/サウンドミックス:北田 雅也
助監督:林 啓史

渋谷ユーロスペース、立川シネマシティ他にて公開中

公式ホームページ
http://nobi-movie.com/

2015年8月15日土曜日

映画『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』text落合 尚之



『未来をなぞる』―― この詩的で想像力に富んだタイトルが全てを語っていると思います。未来は未だ来らざるもの。その到来が予想されながら眼前に見ることは叶わず、望んだような形で現れるとも限らない。多くの場合、希望と同義のように語られるが、そこに勿論不安というニュアンスを嗅ぎ取ることもできるでしょう。今いるこの場所からは見ることも触れることもできないものを、暗闇で手探りするように、砂場に埋もれた小さな欠片を探り当てようとするように、わずかな手がかりを、微かな感触を求めて指を這わせる。その輪郭を心に描こうとする。この映画に収められているのは、そのような気が遠くなる作業に根気強く取り組む、一人の芸術家の姿です。

 写真家・畠山直哉氏は岩手県・陸前高田市出身。都市と自然の関係などをテーマにした作品群で世界的に評価の高い芸術家です。しかし2011年3月の東日本大震災で故郷の実家と母を失ったことが、彼の創作活動に転機をもたらします。この映画は、2012年3月から2014年4月までの2年間、津波にさらわれた故郷の写真を撮り続ける畠山氏の姿を追ったドキュメンタリー作品です。


 映像中に都度差し挟まれる畠山氏へのインタビュー。一言一言慎重に言葉を選び、最も適切な表現を正確に探り当てようとするかのような氏の語り口が印象に残ります。そこから伝わって来るのは、彼が作品を作る時、あるいは芸術家として生きる上で、何か確たる思想なり哲学といったものを常に心に置いていて、自分の創作がその哲学に忠実であるかを常に自分に問い続けているのだろうということです。彼が震災以前に行なった数々の講演が本にまとめられ出版されていますが(*)、それによれば畠山氏は自らを「写真術は自然科学が生んだ技法である、と信じる者」だと言っています。そして「科学者が『世界をもっと知りたい』と思うのと同じような気持ちで」写真を撮っているとも。映画の中でも一部紹介されますが、彼が長いキャリアを通じて取り組んで来た様々な題材、石灰石鉱山やそこで行なわれる爆破作業の様子、大都市の俯瞰図や街中を流れる川などの写真には、情緒を排した非常に透徹した視線が見て取れます。世間一般に流布している「写真には心が写る」といった言説に対して、氏はナイーブに過ぎると苦言を呈します。「写真に心は写らない。心の動く方向を指し示す何かが写っているだけだ」と。

 一方畠山氏は、作品として発表するつもりのないごくパーソナルな写真を撮りためていました。故郷の陸前高田市の風物とそこに暮らす人々を写したスナップ写真。これらは本来作品と呼べるようなものではなかったと語る氏の言葉から察するに、これらの写真を撮った時の彼は、作家として作品を作る時のようには、コンセプトを突き詰めたり、自分を追い込んだりはしていなかったのだろうと思われます。それでもやはりプロの技術と美意識が介在しているため、どの写真も大変美しいのですが。そしてそれらは、科学者的な視点で撮ったクールな作品群に比べて、ずっと親密で情緒的な表現になっているように思えます。その中の一枚、畠山氏のお母さんが川辺の道で、川面に向けたカメラのファインダーを覗いている姿を捉えた写真には、特に見る人の心を打つ何かがあるような気がします。画面の中央に横を向いて立っている老母の半身。撮影者はその姿を少し距離を置いた立ち位置から捉えている。ピントは母の姿にだけ合っていて、母までの距離も、その向こうの遠景も、かすかに輪郭を甘くして小さな母の姿を包み込んでいる。この写真に被写体である母への思慕や追憶が写っている、つまり作者の心が写っていると我々素人が単純に思い込んでしまったとしても、無理はないように思えます。

 しかし、今それを見る我々がそこに何らかの情緒を見出してしまうのは、そこに写っている街や人がその後どうなってしまったかを知っているからなのかもしれません。地震が引き起こした津波によって、そこに写っていた何もかもが押し流され、失われてしまったことを我々は知っているからです。津波はこれらの写真の意味を全く別のものに変えてしまった。畠山氏の私的なコレクションに過ぎなかった一連の写真が、かつてそこに存在し、しかし一瞬にして歴史の外に奪い去られてしまった街と人々の、他に替えようのない重要な記録物になった。作家が本来意図しなかった意味が外部の出来事によって付け加えられ、同じ写真の見え方が全く変わってしまう。勿論そういった変質は大なり小なり日常的にも起こり得ることではありますが、このように劇的な形でそれが突きつけられることは、恐ろしく稀な事態だと言っていいでしょう。作品が作者を裏切るように、ふいに思いがけない相貌を帯びる。そんなことがあり得るのなら、作品にとって作者とは何なのか?また作家が作品を作るとはどういうことなのか?

 常に理性的な態度で主体として写真と関わって来た畠山氏にとって、このように自分の与り知らぬところで作品の価値が変質し、作者としての主体性を奪われるような事態は、作家としての思想・哲学を揺さぶられる出来事だったのではないでしょうか。震災以降、畠山氏は、それまで長年取り組んで来た都市と自然をテーマとする一連の仕事を中断し、失われた故郷のその後の姿を写真に収めるという作業に取り組んでいきます。それは決して単なる復興の記録などというものではないでしょう。失われた人と生活の面影をファインダー越しに探しながら、変わり果てた故郷の姿を見つめ、フィルムに定着させること。それは震災をきっかけに見知らぬ貌を顕した写真という表現形式と自分との関係を測り直し、再構築し、再び自分の掌中に取り戻すための手探りの試みでもあったのではないか。寡黙な探索者のように荒れ地を歩き、写真を撮り続ける畠山氏の姿から、あるいはきかん気の子供のようにいつも何か納得がいかないと言いたげなその表情から、そんなことを考えさせられます。




 監督・撮影・編集を一人で務めたのは畠山容平氏。同姓ですが直哉氏の縁者ではありません。父方が東北の同じ地域の出身で、この地方には多い名字だとのこと。手持ちのビデオカメラ一台で直哉氏の姿を追い続けています。直哉氏と共に被災した陸前高田の街を歩きますが、主に直哉氏の姿に注視し続け、自分のカメラで風景を捉えることはあまりありません。普通の映画で風景に語らせるような場面がある場合には、直哉氏の撮った写真を挿入して見せています。機材的にも技術的にも直哉氏の写真とでは勝負にならないという理由もあったかもしれませんが、写真を通じて直哉氏と主観を共有しているような感覚を見る者に起こさせるという意味において、非常に効果的だったと思います。またそんな中で、移動中の車窓の風景と共に直哉氏の故郷に対する思いが語られる下りなどが、ふと心に残る場面になってもいます。

 この映画は東日本大震災を題材の一部としながら、被災地の現状や復興支援を直接に訴えるような内容ではありません。一人の芸術家の創作の現場に寄り添い、その思想や哲学を掘り下げることに主眼があり、またその芸術家の視線を通して、家族を失った者、故郷を失った者の心の有り様に触れ、改めてあの震災がどういうものだったかを見る者に考えさせもするという作りになっています。この視点の持ち方は、直哉氏の語る「あまりに性急な言論や映像は、例え肯定的なものであっても、複雑になってしまった心をほぐしてくれない」という言葉にも呼応するものだと思います。震災後、多くのメディアが「頑張ろうニッポン」と言い「前を向こう」と言い、奪われた未来が今すぐにでも取り戻されねばならないとでも言うかのように、必死に人々を鼓舞して来ました。しかし当たり前のことですが、被災地の回復には気の遠くなるような時間が必要であり、そして以前と同じ姿に戻すことは決して出来ません。

 未来は未だ来らざるもの。今いるこの場所からは見ることも触れることも出来ず、どのくらい遠くにあるかも分からない。生き残った人間がこの状況で何か出来ることがあるとすれば、変わり果ててしまった大地にあり得たかもしれない未来の痕跡を探すこと、またゆっくりと、しかし確実に変わっていく風景の中に新しい未来の気配を嗅ぎ当てること、それしかないのではないか。三脚を担いで歩く足をふと止めて、じっと立ち止まって何かを考え込む。そしてまた歩き出す。陸前高田の町を往く直哉氏の足取りは、我々にそんな感慨を抱かせます。容平監督が『未来をなぞる』というタイトルに込めた思いもまた、そのようなものだったのではないでしょうか。

*)『話す写真 見えないものに向かって』畠山直哉/小学館

(text:落合 尚之)


映画『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』 

2015年/日本/87分

作品解説
写真家・畠山直哉。石灰石鉱山や炭鉱、密集したビルの隙間を流れる川や、都市の地下空間を写した写真などで知られ、2001年にはヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表の1人にも選ばれた、世界的な写真家だ。2011年の東日本大震災で岩手県・陸前高田市の実家が流され、母を亡くして以来、彼は頻繁に故郷に戻り、変貌する風景を撮影するようになった。まもなく震災から4年。カメラを手に被災地を歩く者の姿も少なくなってきたが、畠山は変わらず風景写真を撮り続けている。誰の為に何の為に、なぜ撮り続けるのか? これはある1人のアーティストが、故郷の山河を前に、否応なく震災と向き合わざるを得なかった長い記録の断片をまとめたドキュメンタリー。被災のはてに1人の写真家が見た未来への希望とは、なんだったのか?

出演:畠山直哉

スタッフ
監督/撮影/編集:畠山容平
プロデューサー:石橋秀彦

公式ホームページ:http://www.mirai-nazoru.com/

劇場情報:8月15日(土)〜シアター・イメージフォーラムほか、全国順次公開

2015年8月14日金曜日

映画『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』試写text水野友美子

「未来をなぞる 写真家・畠山直哉」




 一枚の写真。曇り空の下、静かな海に面した道路の向こうに家並みが見える。中央に、女性がひとり。堤防に肘をついてカメラを両手で支え、レンズ越しに海を見ているようだ。白髪まじりの髪にまるい肩をした彼女がレンズを覗き込む様子は、少女のような初々しさを感じさせる。この写真は、写真家・畠山直哉氏が、実家のある岩手県・陸前高田で震災前に撮影したスナップである。女性は、畠山氏の母で、撮影当時畠山氏が少年時代を過ごした実家でひとり暮らしをしていた。彼女が手にしたカメラは、畠山氏がプレゼントしたものだったという。息子である写真家は、母と同じようにカメラを覗き込んでこの写真を撮影したのだろう。写真のイメージには写らないが、そこには母を愛しく想うまなざしがある。

 畠山直哉氏は、石灰採石場やセメント工場、密集したビルの隙間を流れる川、都市の地下空間など風景写真を中心に、都市と自然、人間の営み、現代世界のありようを問う作品で世界的に高い評価をうける写真家のひとりである。東日本大震災で実家が流され、母は帰らぬ人となった。畠山氏は、震災発生から現在に至るまで、故郷を足繁く訪れては変貌する風景を撮影し続けている。この映画は、2012年3月からの2年間、畠山氏の活動に同行した監督が、その断片を丁寧に繋ぎ合わせたドキュメンタリーである。

 映画のなかで畠山氏は故郷の町のあちこちを訪ね、人々と会い、話にじっと耳を傾ける。問われれば職業は「カメラマン」と答え、三脚をかついで方々を歩き、黙々と風景を撮影し始める。彼を知る町の人たちは、「直哉さん」と親しげに呼んでいた。自然、都市、近代、写真、芸術……変わり果てた故郷の地を歩きながら、写真家は何を思うのか。映画は、東京のスタジオでの作業風景、美術館などでの展示や講演の様子に加え、畠山氏自身と周囲の人々のインタビューを織り交ぜながら震災後の畠山氏の創作の現場を旅してゆく。

 畠山氏が、震災後の展覧会や写真集で、震災以前に撮っていた故郷の風景のスナップを作品の一部として発表することを決めるくだりがある。写真に映るのは、実家の近所で撮影した小川の清らかな水面、鮮やかな緑色の草原、祭りで笛を吹く少女の表情……その中の一枚が冒頭の母を写した写真である。身近な人々の姿をとらえた情緒的な光景の数々は、かつての作品群と趣が異なるように見えるかもしれない。例えば、震災以前の代表作のひとつ『ライムワークス』(1996)には、日本各地の石灰採石場やセメント工場など、通常一般人が立ち入ることができない場所を構想と緻密な計画の上に撮影した、巨大なスケールの風景写真がおさめられている。それらの風景は、まぎれもない人間の営みの跡でありながら、人の姿を認めることができない、どこか廃墟にも似た雰囲気を漂わせている。畠山氏は、以前ならプライベートな写真を人に見せることはしなかっただろうと語る。しかし、震災がそれらの写真の意味を変えてしまった。牧歌的で夢見るように美しい風景が存在したことを証する写真は、今や喪失のあまりの大きさを見る者の心に想像させる。

 

「僕には、自分の記憶を助けるために写真を撮るという習慣がない。僕は自分の住む世界をもっとよく知ることのために、写真を撮ってきたつもりだ。」(『ライムワークス』謝辞)

 映画のなかでとりわけ印象深かったのは、インタビューや講演の際に畠山氏がどこか遠くを見るようにして慎重に言葉を選びながら話す様子である。震災によって変わらざるを得なかった写真家は、もやもやとした想いから眼を逸らさずにじっと向き合いつづけているようだった。この映画が伝える彼の誠実な言葉や態度は、写真と同様に見る者ひとりひとりに「自分の住む世界をもっとよく知ることのため」に開かれている。

(text:水野友美子)



映画『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』 

2015年/日本/87分

作品解説
写真家・畠山直哉。石灰石鉱山や炭鉱、密集したビルの隙間を流れる川や、都市の地下空間を写した写真などで知られ、2001年にはヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表の1人にも選ばれた、世界的な写真家だ。2011年の東日本大震災で岩手県・陸前高田市の実家が流され、母を亡くして以来、彼は頻繁に故郷に戻り、変貌する風景を撮影するようになった。まもなく震災から4年。カメラを手に被災地を歩く者の姿も少なくなってきたが、畠山は変わらず風景写真を撮り続けている。誰の為に何の為に、なぜ撮り続けるのか? これはある1人のアーティストが、故郷の山河を前に、否応なく震災と向き合わざるを得なかった長い記録の断片をまとめたドキュメンタリー。被災のはてに1人の写真家が見た未来への希望とは、なんだったのか?

出演:畠山直哉

スタッフ
監督/撮影/編集:畠山容平
プロデューサー:石橋秀彦

公式ホームページ:http://www.mirai-nazoru.com/

劇場情報:8月15日(土)〜シアター・イメージフォーラムほか、全国順次公開

映画『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』textくりた

「史上最強オシャレムービー」


なんという意識高い系映画。

この作品を見終わった時の正直な感想だった。馬鹿にしているように聞こえるかも知れないがそんなつもりはない。そうじゃないんです。あまりにもオシャレ。オシャレすぎたのだ。

オシャレな男女がオシャレな服を着てオシャレな家に住みオシャレな会話をし、オシャレな曲にオシャレな歌詞を乗せてオシャレに歌うという、とんでもないオシャレミュージカルムービーだ。

非オシャレ人間からするともう、オシャレが過ぎてオシャレの海に溺れそうでたまらなかった。申し訳なかった。

すみません。

しかし本作はただただオシャレなだけではない。主人公のイヴは拒食症を患っており、精神病棟に入院中で影のある孤独な女の子。精神的にもダウナーになりがちでトリッキーな言動が目立つ。そんなガールとミーツするボーイであるジェームズは内気で心優しい音楽青年。心は優しいが頭が固いため音楽活動も行き詰まり中。そんなガール&ボーイのケミストリーがスパークし、最終的にはミュージックによっておのおのがそれぞれの道に導かれていくようなハナシです。

オシャレ。

さすがベル&セバスチャンをやっているだけのことはある。結局オシャレに行き着きそうになるところだったが、そう、ベル&セバスチャンのフロントマンであるスチュアート・マードックが監督している本作はキラキラしたポップミュージックで溢れているのだ。音楽好きにはぐっとくるものがある。70年代風のレトロでポップな色彩もまぶしい。ラジオやカセットテープやレコードプレイヤーといった小物使いも心にくい。そして、「ああ、音楽が好きな人が作った映画だなぁ」という音に対するひたむきさ。

キラキラしている。

この映画の前では誰もが「so shiny! so chrome! 」となってしまうわけです。

だがその一方で、舞台が70年代くらいなのだろうかと思って観ていると、主人公の女の子がおもむろにスマホを取り出したり、「今時テープで音楽渡すってある?」とか言われてしまったりと時代感が不明瞭。出来る限りこの世界に埋没しようと試みても、先の小物使いやセリフの端々の微妙なズレによってすぐ現実に引き戻されてしまうのだ。レトロにまとまったミュージカルなので、ある種のファンタジーとして見るには、些末なことが引っかかり今ひとつ乗り切れない。ファンシーな世界と現実世界の相互作用によって観客を揺さぶるにも少々中途半端で、どうしたかったのか理解しかねる部分が目立った。だったら現実味を一切なくして70年代風ミュージカルとして振り切った方が、より一層本作の世界に入り込めたように感じたのだ。

とまぁ、そんなことをダラダラと言いつつも、本作は10代・20代のso shinyな若者たちの心にはきっと美しく響くはずだと感じている。そうであるべきだと思ってしまうほどに、この作品は若さと純粋さにあふれた究極のオシャレムービーなのである。

so shiny度:★★★★☆
(text:くりた)




『ゴッド・ヘルプ・ザ・ガール』


2014/イギリス/111分

作品解説

ベル&セバスチャンのフロントマンであるスチュアート・マードックが脚本・監督を務めた青春ミュージカルムービー。
主人公のイヴは拒食症を患い入院中。しかしひょんなことから知り合ったジェームズ、キャシーらと共に音楽活動を始める。音楽を通して青春を謳歌する3人であったが……。

出演

イヴ:エミリー・ブラウニング
ジェームズ:オリー・アレクサンデル
キャシー:ハンナ・マリー

スタッフ

監督・脚本:スチュアート・マードック
制作:バリー・メンデル

公式ホームページhttp://www.godhelpthegirl.club/index.php
劇場情報:新宿シネマカリテで絶賛公開中

2015年8月9日日曜日

ことばの映画館大賞(2015年6月)

唐突に、しかもちょっと時間が経ちましたが、6月分から「ことばの映画館大賞」をスタートします!

「ことばの映画館大賞」とは、ことばの映画館メンバーが、その月に映画館、映画祭、上映イベント、試写で観た映画を、新作旧作問わず、洋画部門、邦画部門でそれぞれ投票し、作品賞、監督賞、主演・助演の女優賞・男優賞をそれぞれ決めるというものです。

これを毎月実施して、年間の大賞も決めたいと考えています。

早速ですが、ことばの映画館大賞(2015年6月)は以下のように決定しました。



【洋画部門】


《作品賞》
マッドマックス 怒りのデス・ロード
(次点:サンドラの週末、アクトレス~女たちの舞台~)

《監督賞》
ジョージ・ミラー『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

《主演女優賞》
シャーリーズ・セロン『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
(次点:マリオン・コティヤール『サンドラの週末』、エマニュエル・ドゥヴォス『ヴィオレット(原題)』)

《主演男優賞》
チャドウィック・ボーズマン『ジェームス・ブラウン 最高の魂を持つ男』
トム・ハーディ『マッドマックス 怒りのデス・ロード』
(同率1位)

《助演女優賞》
クリステン・スチュワート『アリスのままで』、『アクトレス~女たちの舞台~』

《助演男優賞》
ニコラス・ホルト『マッドマックス 怒りのデス・ロード』



【邦画部門】


《作品賞》
海街diary
(次点:THE COCKPIT、あん)

《監督賞》
是枝裕和 『海街diary』
(次点:河瀬直美『あん』)

《主演女優賞》
樹木希林『あん』
若尾文子『青空娘』
(同率1位)

《主演男優賞》
川瀬陽太『ローリング』

《助演女優賞》
広瀬すず 『海街diary』

《助演男優賞》
リリー・フランキー 『海街diary』
(次点:山茶花究『女は二度生まれる』)


以上になります。
洋画は『マッドマックス 怒りのデス・ロード』、邦画は『海街diary』の6月だったということですね。
いかがでしたでしょうか。

まだ初回ということで探り探りという感じではありましたが、今後もっと充実させていけたらと思っております。
ご期待ください!

2015年8月7日金曜日

映画『この国の空』試写text加賀谷 健

「この国の空 荒井晴彦的野心に感動!」


「朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク」

 終戦70周年を迎えた今年2015年、終戦の知らせとなった昭和天皇の「玉音」を心にとどめている者も数少なになりつつも、多くの戦争映画、戦争ドラマが8月15日に向け制作された。そのどれもが「反戦」を謳うものであったが、日本を代表する脚本家である荒井晴彦の18年ぶりの監督作である『この国の空』では、「反戦」が叫ばれるどころか、「非戦争体験者」である作家の様々な戦争問題との「戯れ」さえ感じられた。

 結核で父親を亡くし、母親と二人で暮らす里子(二階堂ふみ)が、隣に住む妻子を疎開させ一人暮らしをする銀行家の市毛(長谷川博己)と近しくなり、しまいには体をあずけてしまい、女としての目覚めを戦時下に経験する。『この国の空』の物語をかなり大雑把に説明するとこんな感じになるだろうか。上映後、『共喰い』でタッグを組んだ青山真治監督と共にスクリーン前に登壇した荒井監督は、「ある女が隣の男とできちゃう。安倍批判でもなんでもない。ある意味で不謹慎な作品」と自作を短く説明されていた。

 長谷川博己が二階堂ふみからもらったトマトを頬張るシーンに同行したという青山監督は、冗談まじりに荒井晴彦の現場での監督ぶりを語って会場をわかせつつ、「これは、大変珍しい映画。ヴィシー政権の頃を描いたフランス映画のようで、あまり日本では、戦争はこういう描かれ方はされていない」と、この映画の「不謹慎さ」を肯定的に評価する。

 試写会終了後、外で青山監督と煙草をふかす荒井監督に「反戦映画」について伺ったところ、「反戦映画はやりたくない。いつも思うのは、そのたぐいの映画って誰に責任があるのって思っちゃう。で、いつも感動の悲劇みたいになってしまう。だから、そういう事はやりたくなかった」と、「戦争責任」に触れながら、終戦後から現在までの「天皇問題」について熱く語っていただけた。

 『この国の空』は、「8月15日」を描く事なく終わる。「反戦」の象徴とも言える「玉音放送」はやりたくなかったと言う荒井監督は、映画のラストに終戦前夜、夜雨に顔を濡らす里子のクロース・アップを選ぶ。それもただのクロース・アップではない。トリュフォーの『大人は判ってくれない』と見まがうほどの、ストップ・モーションへのゆるやかなズーム・アップなのだ。「映画だなという素晴らしい雨。雨を降らしたなという美しい雨」と、青山監督は静かな口調でラストシーンに触れ、トークショーのしめくくりとした。
 
 被写体に最後まで粘り強く向き合い続ける事。多くの演出家が戦争映画を作る時にその事を忘れてしまい、ついつい政治的イデオロギーに走ってしまう中で、「反戦」の一文字に縛られる事なく、「映画的なまなましさ」を露呈させる「映画作家」としての荒井晴彦の野心と強い意志を映画館で是非感じ取ってもらいたい。そして、劇場から出た後、その感動を「声高に」語ってもらいたいと切に思う。

(text:加賀谷 健)


映画『この国の空』

2015/日本/130分

作品解説
『さよなら歌舞伎町』『海を感じる時』『共喰い』などの脚本を手がけたベテラン脚本家・荒井晴彦の18年ぶりにメガホンをとった監督作。谷崎潤一郎賞を受賞した高井有一による同名小説を原作に、戦時下を生きる男女の許されない恋を、二階堂ふみと長谷川博己の主演で描いた。終戦も近い昭和20年。東京・杉並の住宅に母と暮らす19歳の里子は、度重なる空襲におびえながらも、健気に生活していた。隣家には妻子を疎開させた銀行支店長の市毛が暮らしており、里子は彼の身の回りの世話をしている。日に日に戦況が悪化し、自分は男性と結ばれることのないまま死ぬのだろうかという不安を覚えた里子は、次第に女として目覚めていくが……。

出演
二階堂ふみ
長谷川博己
富田靖子
利重剛
上田耕一

スタッフ
監督/脚本:荒井晴彦
原作:高井有一『この国の空』(新潮社)
ゼネラルプロデューサー:奥山和由
プロデューサー:森重晃
撮影: 川上皓市
美術: 松宮敏之
照明: 川井稔
録音: 照井康政
編集: 洲崎千恵子
助監督: 野本史生
制作担当: 森洋亮
ラインプロデューサー: 近藤貴彦
制作:『この国の空』製作委員会
制作プロダクション:ステューディオスリー
製作幹事・配給:KATSU-do
協賛:大和ハウス工業
配給:ファントム・フィルム

公式ホームページ:http://kuni-sora.com/index.html

劇場情報:8月8日(土)よりテアトル新宿ほかにて全国ロードショー