2014年12月22日月曜日

映画『ベイマックス』クロスレビュー


ドラえもん、ターミネーター2、逆襲のロボとうちゃん(クレヨンしんちゃん)に至るまで、古今東西、少年とロボットの物語は掃いて捨てるほど作られてきたのに、またロボットものですか……もうそんなにパターンないだろ……と思っていたけれど、この映画が迎える一つの臨界点に息を飲んだ。兄が遺したロボットとともに、敵を討つ――その先に、やわらかケアロボット・ベイマックスならではの展開がある。高まった観客の興奮にも、突き放すような言葉が投げかけられる。「人殺しには同意してない」
 たとえ戦闘用ロボットでなくとも、ヒトはどういうわけかそれをごく当たり前に、殺人のために使おうとする。『ベイマックス』はそんな「当たり前」にチクリと注射する映画だ。果たして、狂気に駆り立てられた少年は他人の痛みを知り、赦すことができるのか――。ただ、その問いかけに対するアンサーをこの映画がちゃんと提示してくれているのかどうか僕にはどうも確信がなくて、ごまかされたような気もする。だって、生みの親の真意に反して武装させられたベイマックスは、素材そのものの味を奪われた料理みたいに、なんとも残念なかんじがする。「お前、そのままの姿がいちばんだよ」と声をかけたくなる。優しさで世界を救うのって、難しいんだなあ。この胸のもどかしさこそ、10段階評価してベイマックスに教えたい。

ベイマックスの質感 ★★★★
(沖田 灯)
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〝Big Hero 6〟としての『ベイマックス』

『寂しいとき、一緒にいて欲しい人は誰ですか?』って、そんな話じゃないだろうがッ!
少年少女の為の科学オタクヒーロー映画だろうがッ!
脳みそマシュマロかッ!
と、現在の私はテレビ前で日本版の予告が流れる度に憤慨している。

本作は暴力で問題は解決されないと言うこと、悲しみに振り回されないこと、自分の持っている力によって問題を解決すること、といった如何にも教訓めいた話を笑いとアクションのミックスによって説教くさくならないようポップに仕上げている快作だ。

確かに日本版の予告のようにほのぼのとしたベイマックスや友達との繋がりと癒し、と言うものも描かれている。けれど、ただ仲良しこよしをやってるだけではなく〝仲間・チーム〟になるっていうのはどういうことなのか?を投げかけてきている。
それは優しさだけでは補いきれないものなのだと、意見の不一致であったり、時には自らの誤ちだったりを素直に受け入れることによって〝友達〟から〝仲間・チーム〟にもなれる。
そこを乗り越えたその先に1人の人間としての成長があり、また違った問題に立ち向かうことが出来るんだと、そんなことを優しく語りかけてくる。言葉を使わずに。あのフワフワのベイマックスを通して。

これは子供たちに見せるべき映画の1つだと思う。
良い子のご両親たちは妖◯ウォッチよりこっち見せた方が今後の子供たちの成長の為に良いと思われます。
◯怪ウォッチは見た事はないけれども。

ベイマックス欲しさ度:★★★★
(くりた)

海外版予告編をどうぞ↓ 



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「ベイマックス、胸が痛いよ、、、。」



医療ロボ「ベイマックス」。彼の優しさが心に染み入ります。この映画を観て良かったなあ!と素直に思いました。もし自分に子どもがいたら一緒に観たいと思いました。

2XXX年、ハンペン型医療ロボット「ベイマックス」。彼の歩き方がとにかく好き。ぽてぽて、ぽてぽて、と歩きます。中身は空洞?なので重心が軽いのです。見た目は大きいけれど、気は優しい。どこかロボット特有のすっとぼけた所があって、それはとても愛くるしいです。(この既視感は、となりのトトロでした)

「ベイマックス大丈夫だよ!」と言って合図を出すまで、彼は人間を気遣い、心配し、あらゆる外的から守ってくれます。彼は「ぎゅっと抱きしめられたくなる気持ちにさせられるように」設計されました。ベイマックスを抱きしめたい!という人は結構多いんじゃないかな??

ベイマックスは主人公のヒロのお兄さんであるタダシによって設計されました。ヒロは決して癒えない、ある大きな悲しみを抱えてしまいますが、物語が進むに連れ、ヒロはベイマックスのおかげで傷心から立ち直る事ができます。

ベイマックスはロボットなので、ヒロの「心の傷」を直接、治療する事はできませんが、あらゆる手段を用いてヒロを優しさで包み込んでくれたのです。

いろいろな映画へのオマージュや、機械の発達、物質主義、現代文明への危惧、軍事利用への批判、など、見所要素が随所に詰め込められている映画である所も見逃せません。

僕はディズニー映画を何年かぶりに観ましたが(アナ雪すら観ていないという、、)しかし、この映画は自分と同じように、普段ディズニー映画を見ない人へ、特にオススメしたいと思いました。

「ベイマックス、もう大丈夫だよ!」

ベイマックスの温もり:★★★★
(小川 学)

/2014/12/22/pm7/新宿ピカデリー/日本語吹き替え/ほぼ満員

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日本語版予告編をどうぞ↓



監督 : ドン・ホール / クリス・ウィリアムズ

製作 : ロイ・コンリ
製作総指揮 : ジョン・ラセター
脚本 : ロバート・L. ベアード / ダニエル・ガーソン
ヘッド・オブ・ストーリー : ポール・ブリッグス
プロダクション・デザイン : ポール・フェリックス
音楽 : ヘンリー・ジャックマン

作品情報かけがえのない大切な人を失った時、ぽっかりと胸にあいた穴はどう治せばよいのだろうか。最愛の兄を失い心に深い傷を負った14歳のヒロの前に現れたのは、何があっても彼を守ろうとする一途な<ケア・ロボット>ベイマックスだった。
 日本とサンフランシスコからインスピレーションを得た架空都市サンフランソウキョウを舞台に、壮大なスケールで描かれる二人の絆の物語は問いかける―「優しさで世界を救えるか?」と。素晴らしい奇跡が起こるその瞬間を、ぜひ大切な人と一緒に・・・。
ディズニー史上いまだかつてない優しすぎるロボットと少年ヒロの絆を描いた感動のアドベンチャー『ベイマックス』が、日本中を限りない優しさと感動で包み込む。

公式ホームページhttp://www.disney.co.jp/movie/baymax.html

映画『アオハライド』クロスレビュー


冒頭と終盤で、「青春」に関するモノローグを背景に、本田翼が真逆の方向に走るシーンが出てくる。冒頭は明るい春の登校風景だが、終盤は真っ暗な夜道。青春=アオハルとは、きらびやかに見えて、闇の中を駆け抜けるようなものなのだ。
 5人の男女の恋愛と友情が描かれるが、どうしてこの5人が結びつき、友情を育くんでいくのかきちんと描けていないようにも見える。たとえば、『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』だったら、いがみ合う者たちが仲間になる過程が紛れもないものとして描かれていたからこそ、結束に説得力があった。本作の序盤で、本田翼が東出昌大に「これでも友だちごっこだと思うの?」と、反語的な意味で問いかける場面があって、僕は「完全に友だちごっこだろ!」と思ってしまったのだけど、考えてみると、それこそがノスタルジーでない現在進行形の友情とか青春の姿なのかもしれない。オトナ同士が仲間や友だちになるためには、桃太郎のようにエサを与えたり、『ガーディアンズ~』のように痛みや境遇を共有しなければならないけれど、青春にはそんなもの必要ないのだから。偶然同じクラスになったというだけで、かけがえのないものを形成したり失ったりする特別な時間なのである。トラウマを抱えた東出が、現在を共に生きる人=本田翼と、過去の痛みを共有する人=高畑充希の間で揺れる物語でもある。友情は大切だけど、5人の輪の外にいる人たちのことも、物語上のスパイスとしてではなく描いてほしかった。

高畑充希の迫力:★★★★★
(沖田 灯)
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「これも友達ごっこ?」と訊かれれば「うん、そうだね」としか言えないし、主人公一派による修学旅行の私物化はいくら何でも酷すぎると思う。変更前のルートを楽しみにしてた生徒だっているだろうに…。この映画の八割方を僕は首を傾げつつ見ざるを得ませんでしたが、にも拘らずトータルでの感想を訊かれれば、残り二割の為に嫌いになれない、むしろ好き。
その二割とは、長崎の風景、そして主演の東出昌大くんです。

母親の死と共に自分の人生を生きられなくなってしまった少年・洸は、事実上死んでいるに等しい、謂わば冥界の住人であり、彼を愛する少女・双葉は彼の魂が留まっている冥界=長崎へ赴き、彼を生ある世界に連れ戻そうとする。この話はイザナギ・イザナミの神話や、オルフェウスとエウリュディケーの伝説と同じく、死んだ恋人を現世に連れ帰ろうとする冥府下りの物語の系譜に連なります。映画に描かれた長崎の街景、無数の家々が斜面を埋め尽くす、どこか非現実的で異世界めいた光景は、実は彼岸の光景なのであり、二人が登った長い坂道は、あの世とこの世を繋ぐ黄泉平坂に他ならない。イザナギもオルフェウスも共に男で、恋人の救出に失敗しますが、この作品の主人公は少女であり、まんまと少年を救い出す。それがこの新しい神話の現代性であり、少年が彼女を「ヒーロー」と呼ぶ所以もそこにあります。
ただし作劇的にも人物造形的にも、主人公を「ヒーロー」として成立させられているかという点については疑問が残ります。むしろ映画は「ヒロイン」としての少年・洸=東出昌大の可憐さによってのみ支えられている、といっても過言ではない。冒頭、神社での雨宿りの場面。「急に降って来たよね」の言葉とともに、無表情を装いながらも分かるか分からぬか程度にうっすら緩められる表情筋の動き。かつての少年が鉄面皮の下に今も息づいていることを知らせるその笑みに、一瞬で心を掴まれます。以降ひたすら東出くんの男の色気に当てられ続ける120分。こんな色っぽい高校生がいてたまるかとは思いつつ、彼の一挙手一投足にキュンキュンさせられっ放し。教会の場面ではベタだとは分かっていながらも落涙を禁じ得ず……母子ものの泣かせの手段としてはベタもベタですが、ベタであるとは即ち普遍的で強いということ。そしてやはりここでも胸を打つのは、必死に一人で重荷を抱え込んで来た洸の孤独や自責や強がりがぼろぼろと崩れ落ち、柔らかい少年らしさが露になる、その健気さといじらしさです。それらは歴史上長らくヒロインの資質と見なされて来たものではないでしょうか。東出くんの好演あってこそ、ベタでも素直に泣けました。

かっこいいけどさすがに高校生には見えないので:★★★★☆
(落合 尚之)
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「どうしても『アオハライド』見て、チューしたくなったらぁ、お前にチューする」。そんな高校生男子のやりとりが上映前に隣から聞こえてきた。『アオハライド』は、青春(アオハル)にライドしたいティーンエイジャーのための映画である。さて、本田翼が猛烈にかわいいという一点のみで興味を持ったが、過剰なまでのわかりやすさで作られた、何か解釈する余白がゼロの映画だと思う。本田翼が何を考えているか、心の声は懇切丁寧にモノローグで語られ、過去にどういうことがあったか回想で親切に教えてくれる。全員セリフで思っていることを説明してくれる(ウジウジ悩んだりしない!)。本田翼の前から急に姿を消した中学時代の初恋相手(東出昌大)は空白の4年間に何があったのか──それについても次から次へと明かしてくれ、どうも物語にサスペンスの働きが作用せず求心力を持たない(故に、まだ終わらないのかと長く感じる)。全編において脇役は都合のよい脇役でしかなく、すべての人物は極めて一面的である。主人公の美男美女のためにここでの世界はあり、主に本田翼に共感、感情移入させるために全員その引き立て役を演じているのである。高校という狭いコミュニティでの共感でストーリーを引っ張っているのだ。共感の時代で求心力を持つのは共感の映画なのだなぁと思わざるを得ない。同級生との薄っぺらい人間関係の中で本田翼が本音を言う場面では、教室にいる全員が凍りつき静かになる。みんなこの陳腐なラブストーリーを成立させるためにそれぞれの役割を演じているため、観客は安心して感情移入する。安心したい、共感したい、そんな時代の映画なのだろう。人物が多面的に描けてないし、モブは棒立ち、セリフも棒読み(特に東出昌大はひどい)で演技を引き出せていない、物語だってご都合主義でしかないだろう。頭のお固い年寄りはこれらを批判するかもしれないけれど、そんなものは本田翼の超絶キュートな笑顔の前では無意味だ(かわいい子ばっかり出てくるよ)! というか、薄っぺらいことの何がいけないと言うのだ!  そもそも「青春(アオハル)」の恋愛にまつわることなんて薄っぺらく恥ずかしいものじゃないか。ノスタルジーに浸ったジジババは置いておいて、アオハライダーたちでこの青臭くチープなお伽噺めいた少女映画を楽しもうじゃないか。上映前や後にあちこちで見られた場内で自撮りする十代男女たちの光景はまさしくちょっとした「アオハライド」だった。ティーンのためにある映画において、人懐っこい笑顔で魅了する「FINE  GIRL」には、いつだって予めハッピーエンドが用意されていなくちゃいけないのである。

本田翼のかわいさ:★★★★★

(常川 拓也)

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「青春はいつだって間違える、でもだからこそ青春なんだ。」

文字化して改めて見るとなかなか?な台詞だが、鑑賞後は妙に清々しく、納得できると思った。
ところで?「セイシュン」って?なんだっけ?とも。。。。
とにかく全てがボヤけている映画である。カメラのピントが合う先にはただ一人。洸(東出昌大)だけが静かに佇んでいる。洸を見つめているのは双葉(本田翼)、この映画においては彼女の視界だけが拡がっていくのみだ。双葉の視線に気付かないフリを装い、巧妙に双葉を蜘蛛の巣に引っ掛けるぶっきら棒な男、洸。君は確かにかっこいい。かっこいいぞ!「①背が高い②正義感に溢れる③常に遠くの空を見つめている」それだけで、十分なのだ。演技も、長い台詞も、派手な立ち回りも必要ない。でも、洸の視線の先の空は、常に空っぽのようにみえる。それを空虚と言う人がいるかも知れない。雲は水蒸気である。
身長が高い、無口、猫背、且つ、その無言の背中に謎を醸し出している男には、何故だか決まって教室の窓際に席が用意されている。そして、まるで約束されたかのように、彼等は窓の外をボンヤリと見つめている。遠い目をして肩肘なんか付いていたら尚のこと最高である。そんな洸が双葉はいつも気になって仕方がない。学校、屋上、校庭、部活、夏祭り、浴衣、全ては彼等、彼女たちに用意された方程式なのである。あとは、彼らがいかに答えを導き出していくか、さて、そこがテストの問題である。
青春とはなんぞや?そんなことを考えてしまったら途方もない。「そういう事はジジババになってから考えればいい」という台詞があった。「なるほど、そうなのか。じゃ、俺はまだ考えなくていいのだろうか?」などと考えながら兎に角ビールでも飲んで早く酔っ払いたい気持ちになった。いや、実際こそばゆいっすよね。青春って恥ずかしいっすよね。
上映後の場内を見渡すと、観客ほぼ全てが10代と思しき若人ばかりであった。彼等は月末月初の支払いも、年末の忘年会での接待役に頭を悩ます必要もない。目の前にただ広がる「青い空」を見つめていれば良いのだ。
「青春はいつだって間違える、でもだからこそ青春なんだ。」

東出嫉妬:★★★★

(小川 学)
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  • 監督 - 三木孝浩
  • 脚本 - 吉田智子
  • 音楽 - 林ゆうき
  • 主題歌 - いきものがかり「キラリ」
  • 製作 - 市川南、岩田天植、渡辺直樹、弓矢政法、吉川英作、高橋誠、宮本直子
  • エグゼクティブプロデューサー - 山内章弘
  • 企画プロデュース - 臼井央、春名慶
  • プロデューサー - 川名尚広、大西孝幸
  • プロダクション統括 - 佐藤毅
  • 撮影 - 山田康介
  • 美術 - 花谷秀文
  • 録音 - 豊田真一
  • 照明 - 川邊隆之
  • 編集 - 坂東直哉
  • 助監督 - 府川亮介
  • 製作担当 - 藤原恵美子
  • 製作プロダクション - 東宝映画
  • 配給 - 東宝
  • 公式ホームページ: http://www.aoha-movie.com/index.html