2016年3月22日火曜日

映画『ジョギング渡り鳥』評text岡村 亜紀子

「映画から羽ばたいたもの」


人は同じ映画を繰り返し観る。いや、繰り返し観たくなる。その理由は様々あるけれど、一度観た映画を鑑賞する時、かつての自分がどう感じたのか、そのシチュエーションーー何処で、誰と、あるいは一人で観たのかーーを、きっとわたしたちは思い出すだろうし、思い出したいと思っているのではないだろうか。
『ジョギング渡り鳥』はそんな、きっと繰り返し観たくなる作品になるだろう。矛盾するようだけど、それは先に述べたような理由とは少し違うような気がする。
きっと、わたしが会いたいのは、かつての自分でも思い出でもなく、魅力的な映画の住人たち、そして同時に俳優たちなのだ。

この作品を観ていると、大学の頃、所属していた映画研究会がつくっていた自主映画にまつわる事を思い出す。自分が関ってもいてもいなくても、映研の仲間の作品たちは、今も愛すべき存在である。わたしの大学の映研にあったのは映写機2台と8ミリカメラだった。後に、別の放送系の団体に所属していたある優秀な学生の為に映像のラボが図書館内に作られてからは、好意でデジタルカメラやブーム・マイクなどの撮影機材を貸してもらえ、PCに入れた編集ソフトを使えるようになっていったけれど、それまでは8ミリで撮って映写機でアフレコする超アナログの方法で作品を作っていた。そんな作品を仲間内で部室で観たり、学祭にカビくさい暗幕で上映会場を作って映していた日々のことを。

この作品ではモコモコ星人という宇宙人が遠い星から神を探して旅をしてきて、地球に訪れる、というか堕ちてくる。乗ってきた宇宙船が壊れてしまい、彼らは自分たちが堕ちた町の住人たちを観察し始める。町の住人たちとモコモコ星人たちは俳優陣による一人二役によって演じられている。
作品の冒頭で映る宇宙船と船内の様子に、とても愛しさを覚えた。とてもアナログである。その自由でアイディアで勝負する(とわたしは思った)感覚に、「うわー」と興奮してしまう。それは、もしかしたらわたしが自主映画に少なからず関ったことが関係しているのかもしれないが、なによりもその自由さに圧倒された。
モコモコ星人たちが話しているモコモコ語(?)は、意味がわからないけれど、だんだん「あ、この◯◯◯って挨拶なんだ」となんとなく感じたりする。そして、見知らぬ惑星(地球)で、どこから持ってきたかわからないバナナを食べて、みんなで丸くなって眠る彼らはとてもいたいけで、きゅんとしてしまう。彼らはカメラやマイクなどの撮影機材を使って地球人の観察を始めるのだけど、モコモコ星人たちは殆どの地球人からは見えないので、一生懸命、機材を持って町の住人のまわりを追いかける。そんな観察者だった彼らは、彼らを見ることが出来るある住人に対して、物語の終盤にある大きな要求をする……。

自主映画という言葉をどう扱ってよいのか戸惑うまま使ってしまっているけれど、果たして大学の時の自分の撮ったものは自主映画なんだろうかと思う。どっぷり自主映画にはまっていたような環境でもなくて、世の自主映画を観るようになって、並列して並べてしまうには当時つくった作品はあまりに幼くて臆してしまうのだけど、ただただ世の中に溢れる映画というものを恐れながら言葉にできない何かを物語にしてみたいという欲求があったのであった。

『ジョギング渡り鳥』と、それを取り巻く出来事に感じるのは、比べるのはおこがましいけれど、その当時の幸福感なのである。あの愛しい、もう観られない作品たちを、わたしはきっと何回観てもおなかいっぱいにはならないだろう。『ジョギング渡り鳥』を観ている時に起こる胸がきゅんとする感じ、そういった楽しさ、愛しさが画面ににじみ出ているような感覚は、一体何処からくるのだろう。

『ジョギング渡り鳥』は157分という長尺の物語で、監督である鈴木卓爾氏が講師を務めた映画美学校のアクターズ・コース第一期高等科の実習作品として始まった。その授業が終わってからも、出演者がスタッフを担い、この自主映画が作られたそうだ。監督・出演者・スタッフの皆さんは現在も宣伝活動を邁進している様子が日々SNSに綴られている。その活動は、もちろん真剣で大変なものであると想像するけれど、その成り立ちとともに、どうしても「play」という日本語で上手く言語化できないイメージが浮かぶ。大人がする真剣な遊び、または運動のようなイメージだろうか。それはとても楽しそうに行われているように思えてならない。
完成した映画が、上映されるという現象には多くのひとが絶えず関っていると思うけれど、「must」ではない関り方がこの作品には見受けられて、それを出演者でありスタッフの皆さんが行っていることが、映画を越境して物語と彼らが結びついているような(もちろん演じているのだから確かな結びつきがある)、どこか不思議な感覚をわたしに与えている。

映画の物語の中には人生があり、それを観て感動したり、知ったり、出会ったりということを観客はするけれど、映画内で『ジョギング渡り鳥』の住人たちにわたしが感じるのは、彼らが「生きている」というシンプルなことだったりする。役者は役を生きるものかもしれないが、この作品がわたしにとって与える印象は、それとも少し異なっていて文字通り「生きている」ことなのだ。彼らにとって、役を演じることと自分としても生きていることは、この作品でイコールなのではないかと感じる。

いまだに時折思い出す同級生の言葉がある。学祭まで1週間をきり、泊まり込んで編集をしていた時に、撮影したシーンをカットできずにいたわたしに「どれだけ苦労したとか、思い入れがあるとか、すごい頑張ったとか関係ない。観た人が面白いって思ってくれることが大事」と友人は言った。ずっと寝ていなくて変なテンションになっていたせいか「でも…でも…」と号泣したわたしに、「大丈夫だって。それでも、作ったってことは残るから。」と。その時から今まで、わたしは「残る」というのは作品が物理的に残る事だと思っていたのだけど、今になって、今頃になってそうじゃなかったのか、と思う。

“生きている”ということは、変化していくことであり、明日がどうなるかわからないことでもある。昨日孤独だった人が、翌日に出会う人と恋愛関係になるなんてことも実際にあるし、その逆もあるだろう。そうした“当たり前”にあって、予測出来ない生命が、この作品のなかで157分続いていたような気がするし、映画の外側へと繋がっていっているような気がする。
その現象は、この作品がつくられた背景にある「固定化したシナリオや絵コンテの形には一切しなかった」(※)撮影現場で始まったのではないかだろうか。この作品が「SFメタ」的な物語でありながら絶えずわたしたちの日常との親和性を感じるような映像で綴られていることの根底には鈴木卓爾監督のプロフェッショナルな視座があり、現場で起こった出来事に幾多の物語が生まれていくような出来事は、主演者の「演じている」というフィクショナルに「生きている」ということを感じるドキュメンタリー的要素のある演技を呼び込んで、物語であると同時に、映画をつくったひとびとの記録のようなものになっていると感じる。それはこの作品がつくられた時空の記録でもある。

この物語のラストシーン思いを馳せていて深作欣二監督の映画『蒲田行進曲』(1982)のことを思い出した。『蒲田行進曲』の原作・脚本の劇作家、つかこうへい氏は劇場公開時のプログラムにこんな言葉を寄せている。

「私たちは、母親による子殺しや、覚醒剤でどうこういう事件には、もう驚きもしなくなりました。今は、どう物語をつくっても、事実という重さには勝てない時代です。
この映画の誇るべきところは、ドキュメントでもなく、ノンフィクションでもなく、ただのつくりものだということです。久しぶりに、噓にみちた映画らしい映画です。」(一部抜粋)

この言葉を読んでわたしはなにか、すとん、と落ちてくるものを感じた。あくまで『蒲田行進曲』に関してであり『ジョギング渡り鳥』のラストシーンはわたしにとって、未だ謎に満ちている。『蒲田行進曲』のそれが映画とわたしたちの人生のクロスオーバーをして、いわれえぬ感動を呼び起こすのだとしたら、『ジョギング渡り鳥』のそれには、鼻がすんとするようなせつなさを感じて、なんとなく……旅のようなものの、一つの終わりと重なるような気がする。旅がそうであるように、映画がまた俳優・スタッフ・観客にとってそうであるように、または物語の中でモコモコ星人たちがそうであるように……。「またどこかで」と、そんな言葉が聞こえてきそうな、晴れがましさとともに感じる一抹の寂しさ。わたしはそんな寂しさがきらいではない。それは、きっと自分にとって“残る”日々にしか感じられないものだからだ。そして終わりは始まりへの序章なのである。

体内に残存するものは思い出すものであるだけではなく、生きていたら自分の中で違う意味を持つものに変化して行くから不思議だ。その愛しさは映画をつくった側のひとには、ふと思い出した時、あの頃の自分たちがいたことが疑いようのない事実として、存在の証明のように残っていくのではないだろうか、と想像する。そして記憶の意味は生きていくなかできっと変化していくのだろう。そして映画を通して出会った彼らに共振するように、観客であるわたしにも、まるで自分もモコモコ星人や、彼らが観察する町の住人になったかのように、彼らが過ごしたせつないような夕闇や穏やかな午後や透明な朝の風景は、町の住人の動いていく時間やウクライナさんのキリリとした表情は、確かに刻まれたことを感じて、また会いたくなるだろうと予感している。

なんで愛しく感じたのかという問いに、この映画で起こった不思議に、早急に理由を求めることもしなくてもよいじゃないかと思ってしまうのは安易だろうか? ふと思い起こしては、まだ見ぬプレゼントの中身を想像するように、この物語のことを考えるのもよいのじゃないかと思っている。
『ジョギング渡り鳥』の羽ばたきは、始まったばかりなのだから。
  
※公式ホームページ内、プロダクションノート参照

(text:岡村亜紀子)




『ジョギング渡り鳥』
2015年/157分/日本

作品解説
俳優としても活躍する鈴木卓爾監督が、講師を務めた映画美学校のアクターズ・コース第1期高等科の実習作品として、3年がかりで生徒たちと作り上げた初のオリジナル長編作品。遠い星から神を探して長い旅を続けてきたモコモコ星人が、地球へとたどり着く。母船が壊れて帰れなくなった彼らは、とある町の人々をカメラとマイクを使って観察しはじめる。しかし、モコモコ星人には人間のような「わたし」と「あなた」という概念がなく……。

キャスト
地絵流乃 純子:中川 ゆかり
山田 学:古屋 利雄
留山 羽位菜:永山 由里恵
留山 聳得斗:古川 博巳
走咲 蘭:坂口 真由美
麩寺野 どん兵衛:矢野 昌幸
摺毎 ルル:茶円 茜
海部路戸 珍蔵:小田 篤
瀬士産 松太郎:柏原 隆介
背名山 真美貴:古内 啓子
部暮路 寿康:小田原 直也
海部路戸 ノブ:吉田 庸
郵便局員:佐藤 駿
瀬士産 仁:山内 健司
ジョガーの女:兵藤公美
ハンター 入皆茶:古澤 健

スタッフ
監督:鈴木 卓爾
場面構成:鈴木 卓爾
撮影監督:中瀬 慧
音響:川口 陽一
照明応援:玉川 直人
助監督/制作:佐野 真規、石川 貴雄
編集:鈴木 歓
ロケーションコーディネート:強瀬 誠
宣伝デザイン:三行 英登
宣伝統括:吉川 正文
製作:映画美学校、Migrant Birds Association
宣伝・配給:Migrant Birds Association、カプリコンフィルム

公式サイト
劇場情報
新宿K’s cinemaにて3月19日(土)より公開
大阪 第七藝術劇場にて公開決定


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【執筆者プロフィール】

岡村 亜紀子:Akiko Okamura

映画を観て感じたことを言語化してみたくて、勇気を振りしぼって
映画ライター講座であるシネマ・キャンプを受講しました。
その受講生有志で始めた「ことばの映画館」で参加・活動しています。
映画に興味を持ったきっかけは反抗期にTVで観た『カーリー・スー』でした。
今一番観たい映画は、岩井俊二監督の新作『リップヴァンウィンクルの花嫁』です。

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2016年3月16日水曜日

映画『父を探して』試写 text:井河澤 智子

「かわいい絵柄…なんですけれども」


筆者は、戦後日本の、70年にわたって根本的には変わらずにある、あらかじめ与えられた社会の仕組みの中で生活し、それ以外を実感として知らずにいる。例えば独裁下にあるとはどういうことか、体制が変わるとはどのようなことか、肌感覚では知らずにいる。

おそらく、筆者の世界の外では、それらが実感として人々の間で共有されていることであろう、ということは想像ができる。東欧の独裁者が銃殺された映像ははっきりと印象に残っている。ここ数年の間にも、チュニジアに咲いたジャスミンの花をきっかけにアラブの春が到来し、バルカン半島でも何かが起こり(もっとも、このあたりは常に何かが起きているが)、海を隔てて香港では雨傘革命が起き(香港は1997年にイギリスから中国へ主権が移譲されるという体制の変化を経験している、ということも忘れてはならない)、そして台湾ではひまわり学生運動が起きた。偶々その真っ最中に訪台していた筆者は、ごく近場で起きている成り行きを、そこらじゅうに流れる中継映像でぼんやりと眺めていた。 
 
その場に居合わせたとは言っても、所詮一介の旅行者である身としては、テレビの向こうで学生が頑張っているなぁ、ということはわかっても、それ以上のことは何一つ我が身には影響なかった。台湾も40年もの長い期間戒厳令下にあったという歴史があり、闘ってきた人々がいたのだろうなぁ、とぼんやりと思ってみたが、それらについてきちんと語る言葉を持っていないことに気づいた瞬間でもあった。
  
『父を探して』はブラジルのアレ・アブレウ監督によるアニメーション作品である。2014年アヌシー国際アニメーション映画祭において最高賞と観客賞を同時受賞し、これまでに44もの映画賞を受賞している。また、2016年アカデミー賞長編アニメーション部門に南米勢として初めてノミネートされた。
その筆使いは多彩であり、愛らしいキャラクターとなめらかな動作、自然な場面転換にはただ魅入るのみである。美しい笛の音、壮大なコーラス、どこか哀愁漂うラップなど、音楽もバリエーション豊かに物語を彩る。

あるところに幸せな一家がありました。しかし、ある日お父さんが荷物を持ってどこかへ行ってしまいます。息子はお父さんを探す旅に出ました。そして、知らなかった大きな世界を知ることになります。それはとてもとても厳しい世界でした。ごく一部華やかな生活を享受する人々がいて、一方その日の糧にも事欠く人々がたくさんたくさんいるのです。

息子はお父さんの気配を求めて、いろいろな人々のもとで暮らし、その一部始終を観察していきます。
息子はお父さんに会うことはできるのでしょうか?

この物語は、戦後のブラジルの物語、軍事独裁政権と労働者の対立の歴史を描いている。今でこそ急激な経済成長を誇るブラジルではあるが、かつては軍事独裁政権が労働者や学生・知識人を弾圧、反対勢力が激しく対立するも軍事政権が勝利を重ね、度々繰り返される大規模デモでは死者や負傷者多発、亡命者も続出。それに加え激しいインフレ。非常に過酷な状況の中、労働者たちは幾度となく立ち上がり、幾度となく打ちのめされ、それでもなお立ち上がり声を上げ続け、ようやく民主化を勝ち取ったのは1989年のことである。なんという長い闘いだったことだろう。

この映画はその長い時間の流れを実にスムーズに見せている。立ち上がり、打ちのめされる人々、彼らの子ども、またその子ども、と志がリレーされていくような描写が実に見事であった。
 
この作品の一つの核が「ブラジル民主化の歴史」だとすると、もう一つの核は「労働者たち」であろう。

ビラ一枚を頼りにその日その日の働き口を求めさまよう人々。もはや無理がきかない体になってなお、それを隠し働く人々。体を壊していることがバレたら仕事を失う。おそらく保障なんてないだろう。毎日の食事は同じ缶詰である。しかし彼らは、密かに緩やかに結びつき、貧しくとも精神的な豊かさを保っている。

この映画のキャラクターの造形は極めて抽象的で、大まかに子ども、若者、老人、女性とわかる程度であるが、それ以上に雄弁なのは色彩と音である。「特権階級」は無彩色、「労働者たち」は色彩も音も豊かに描かれる。軍事独裁政権と労働者たちのぶつかり合いは、黒い猛禽とカラフルな羽根を持った鳥の闘いとして描かれる。
 
ブラジルの民主化、つまりカラフルな鳥の勝利は簡単には成し遂げられなかった。色彩が無彩色に飲み込まれ、音がなくなっていく様子には胸が締め付けられる思いであった。
さて、息子はお父さんに会えたのでしょうか?

ここで一つの疑問が生じる。

彼らは何十年もかけて希望を勝ち取るべく闘った。その時間の長さを思うと、志半ばにして命を落とした人々の数も悲しいほど多かったことであろう。彼らにとって「彼ら自身の人生」とはなんだったのだろうか?

先述したように、この映画に描かれる人々は抽象化されており、はっきりと区別がなされていない。「息子」が「大勢のお父さんたち」を目にして驚く場面がある。人々は、匿名の存在、抽象的な「子ども」「労働者」「老人」として描かれる。
 
労働者たちのこの物語は、匿名の一人の人生を描いたものである、という解釈もできるのである。
 
「息子」はひょっとしたら、仲良くなった老人の子どもの頃の姿かもしれず、仲良くなった若者の、まだ何も知らなかった頃の姿かもしれない。あるいは「息子」はただの狂言回しに過ぎず、本当の主役は匿名の労働者たちかもしれない。
彼らの多くは一生その境遇から抜け出すことはできなかった……。

法的に、あるいは慣習的に、人の境遇があらかじめ定められている社会がある、ということは筆者は「知識として」知ってはいる。かつてはこの日本においてもそうであった。現在においても、見えないかたちでそれらは確実に存在する。それを当然と受け入れるか、良しとせず闘うか。
映画の中の労働者たちは、彼らが置かれた境遇を良しとしなかった。

結果として、長い闘いの末、民主化は果たされたのだが、個人個人は最初から負け戦を覚悟してなどいなかったであろう。「未来のために」というより「今すぐにでも」という切羽詰まった思い。しかしそれは幾度となく弾圧され、多くの人が命を落とした。民主化は、累々たる屍の上に成し遂げられたのである。その残酷さを思うと、この映画の後味は変わってくる。
この作品は、その結末を提示しない。それは観る者に委ねられる。
 
愛らしいキャラクターが辿る長い旅路を見届けた後、観る者はふと考えさせられるのではないだろうか。
現在我々が置かれている状況はどうだろうか?
70年もの間変わることのないこの社会は、いい加減発酵しきってしまってはいないか?
いざという時我々は、抵抗することができるだろうか?
しかし、なにに対して?

これ全部手描きですって(驚)度:★★★★☆
text 井河澤智子



『父を探して』
原題:O Menino e o Mundo
英題:The Boy and the World
2013年/80分/ブラジル

作品解説
ブラジル・インディペンデント・アニメーション界の新鋭、アレ・アブレウ監督による長編第2作目。親子三人で幸せな生活を送っていた少年とその両親。しかし、父親は出稼ぎにでるため、ある日突然、列車に乗ってどこかに旅立ってしまう。出稼ぎに出た父親を探しに、少年は広大な世界を旅していく。旅先で出会う未知の世界や様々な人々との交流が、クレヨン・色鉛筆・切り絵・油絵具などを自在に使い分けた筆づかいで描かれ、多彩な動きや色彩で見るものを魅了する。

スタッフ
監督:アレ・アブレウ
脚本:アレ・アブレウ
音楽:ナナ・バスコンセロス

配給:ニューディアー

公式サイト

劇場情報
シアター・イメージフォーラムにて3月19日(土)より公開予定

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【執筆者のことば】

井河澤 智子:Ikazawa Tomoko

世の中思うようにならないことも多けれど、笑って過ごせればどうってことはないのです。カラ元気でも元気。
いい映画があって、いい友達がいる、いいじゃないですか。
なにより皆様に読んでいただける場があるという幸せ。
読んでくださって、ありがとうございます。

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2016年3月9日水曜日

《スクリーンに映画がかかるまで つくる・かう・ひろめる仕事について学ぶ》 第5回 講師・矢田部吉彦氏 ~レッド・カーペットの舞台裏~text藤野 みさき

「映画は未来の君たちのためにあるんだ〜映画という夢を追って〜」




「映画って本当にすばらしい!」と感動をすることは、すてきな作品と出逢ったときだけではありません。映画を心から愛し、情熱に溢れるひとに出会ったときも又、私はその輝く瞳に、情熱に、心動かされるのです。

 2016年1月23日(土)、深々とした寒さの厳しい中、表参道にあるスパイラル・スコレーにて《スクリーンに映画がかかるまで》の第5回目が開催されました。本講座は去年の5月から始まり、数々の映画に携わる方々を講師としてお迎えしてきました。今回の講師は、東京国際映画祭プログラミング・ディレクターである、矢田部吉彦さん。40席は予約であっという間に埋まり、皆様の温かな拍手によって、矢田部さんをお迎えしました。

 軽やかな足取りに、爽やかな笑顔。映画祭での黒いスーツに身を包んだ正装とは打って変わって、ジーンズ姿で現れた矢田部さんは、満席の会場を見渡すと「土曜日のお昼にこれだけの皆様にお集まりいただき恐縮です。本当にありがとうございます」と真摯にご挨拶をしたのち、会場のお客さんに感謝のことばを述べました。

 今回のテーマは「映画祭~レッド・カーペットの舞台裏~」。

 映画好きな矢田部さんの学生時代、そして東京国際映画祭のプログラミング・ディレクター就任へと至るまでの経緯から、現在の仕事内容まで、映画にかける熱い想いを、2時間にわたって存分にお話しくださいました。

 若いころから、シネフィル青年だったという矢田部さん。80年代のミニシアター・ブームの中で育ち、兎にも角にも映画が大好きだったと言います。やがて大学を卒業し、就職をしてわずか3日目のこと。入社するなり「これは失敗したな」と思い、そこから矢田部さんの映画の旅が始まります。サラリーマンとして働く傍ら、イギリスへと留学をして、ロンドンに住んでいたときのこと。寮からわずか5分のところに劇場があり、そこではたくさんの世界中の映画がかかっていました。朝から夜まで。古今東西、米映画から、欧州映画の世界の果てまで。矢田部さんはその劇場に通いつめました。そして数多くの映画に触れて「世界にはまだ観ぬ素晴らしい映画がたくさんあるんだ。日本では上映されていない、この素晴らしい作品を、一つでも多く届けたい」。そう、そのときにつよく思ったことが、その後の矢田部さんの人生を大きく変える原動力となりました。

 帰国後、サラリーマンとして会社勤めの生活をする中でも、映画への情熱は矢田部さんの思いを募らせててゆくばかりでした。しかしそれでも「映画の世界へと行くべきか3年間悩みました」と、矢田部さんは当時のことをこのように振り返ります。10年間のサラリーマン生活に別れを告げて、それから矢田部さんは1年間に渡り世界中の映画祭へと足を運び、数多くの映画に出会います。しかし、帰国後30歳を超えた男性を雇ってくれる会社もなく……。矢田部さんは映画祭のボランティア活動を通じて、仏映画祭の事務局での仕事を得られることになりました。初めて映画に携わることの、この上ない歓び。

 「もう、フィルム缶を押している(運んでいる)だけで幸せでした」。と、当時のことを振り返りながら、矢田部さんは表情をほころばせ、本当に幸せそうに話されていました。そして、矢田部さんの活躍の場は、仏映画祭を通じて、いよいよ大舞台である東京国際映画祭へ。矢田部さんのお話しは、今回の本題である「映画祭のことについて」へと移ってゆきます。



笑顔で六本木ヒルズに降り立つ、女優のヒラリー・スワンクさん ©2015 TIFF

そもそも《映画祭》とは、なんだろう?

 はじめに、矢田部さんはこのような問いを、観客である私たちに語りかけました。華やかなレッド・カーペットに、ドレスアップをした芸能人たち、そして、煌びやかで豪華絢爛な場所……。テレビや新聞、そしてインターネット越しに見る、私たち一般の人々には手の届かない世界。

 矢田部さんが現在のプログラミング・ディレクターに就任しはや9年。登壇する機会も多くなり、様々なところへ足を運ぶなかで、とある大学の授業で映画祭のお話しをしたことを、例として挙げていました。生徒たちに「東京国際映画祭を知っていますか?」と矢田部さんが問いかけると、そこそこの生徒が手を挙げます。しかし「東京国際映画祭に行ったことはありますか?」と言う問いかけについては、ほとんど生徒からの手は挙がらなかったと言います。もっと、若いひとたちに映画を身近に感じ、好きになってほしい。矢田部さんの純粋な願いは、きっと、映画を愛する多くの人たちの共通の願いでもあるのだと思います。

 若者たちに人気のライブや音楽フェスティバルと違い、映画祭と言う響きは、どうしても華やかな芸能界ばかりが先走り、若いひとたち、特に学生には敷居の高い印象を与えてしまうもの。その距離をどのように埋めてゆくのか。ということが、今後の大きな課題だと言います。

映画『ルクリ』の監督、スタッフ、キャストたち。写真左から、 ティーナ・サヴィさん(プロデューサー)、ユハン・ウルフサクさん(俳優)、ミルテル・ポフラさん(女優)、ヴェイコ・オウンプー監督 ©2015 TIFF

 しかし現実は、映画祭こそ、世界の映画の風を最も間近に感じることのできる場所です。特に上映後の来日ゲストによるQ&A(質疑応答)は、監督や俳優たちによる、作品に対する生の声を聴くことのできる、とても貴重な機会であり、醍醐味のひとつです。その代表的な例が去年のコンペティション部門で上映されたエストニア映画の『ルクリ』でした。エストニアという、日本からは遠く離れた欧州の国の、去年のコンペティション部門の映画の中では最も難解だと言われたこの映画。「難しい」「何が起こっているのかわからない……」などの感想が多い中での、上映後の監督、俳優たちによる質疑応答は、まさに観客からの好評を博し、アンケートでも「監督の話を聞いて理解が深まった」という非常に好意的な声が多く寄せられました。

 東京国際映画祭には毎年たくさんの映画が世界中から届きます。去年のコンペティション部門の応募総数は、1409本にも及びました。作品の選考については、毎年複数のチームを組み、ジャンル別ではなく地域別に分担し、夏場の数ヶ月という時間をかけて観てゆきます。アジア、アメリカ、ヨーロッパ。爛々と降り注ぐ夏の陽光を浴びるのを我慢しながら、ひとり部屋に閉じこもり、十数本の映画と真剣に向き合う毎日が始まります。朝は5時に起床し、夜は深夜の2時まで。とても過酷な日程でありながらも、「毎年これが最後だと思う気持ちで、覚悟をもってやっています」と、矢田部さんはとても真剣に語ります。

 映画とは、己の孤独と向き合うものでもあるもの。たとえどんなに疲れていても、1枚のディスクを入れるとき、「この1枚にたくさんの汗水と、労力、そして想いが込められているんだ。と思い、真摯に作品と向き合う思いで観ています」と矢田部さんは真剣な面持ちで言葉を続けます。たくさんの送られてきた作品の中に、宝石のように輝く映画があるかもしれない。そのような熱い想いと、一握りの映画を求めて、毎年の選考を行なっています。

 映画は産業か? それとも芸術か?

講座が終盤に差し掛かるにつれて、矢田部さんのお話しは、映画の有り方についてへと移ってゆきます。

これは映画業界に携わる矢田部さんにとっての、非常に大きなテーマです。常にこの問いと真摯に向き合い、そして同時に観客である私たちにも問いかけます。矢田部さんはこの回答を「映画はお金のかかる芸術」だと答えます。映画は産業(ビジネス)である、という避けられない側面が有りながらも、人々の心に届く、血の通った存在であってほしい。そして映画祭もまた、映画好きの人々だけのものではなく、映画を知らない、みんなのもので有ってほしい。映画を愛し、映画を信じる。どこまでもひたむきなその情熱こそが、矢田部さんの輝きの原点なのだと感じたのです。

 講座の途中、矢田部さんのお話しでとても心に残った逸話があります。大学の講義で矢田部さんが東京国際映画祭について話していたときのこと。その講義を聴いていた学生さんのひとりが映画祭へと来てくれたのです。彼は矢田部さんをロビーで見つけるなり、駆け寄ってきて言いました。

「僕は本当は日本映画が観たかったのですが、満員で観ることができなかったのです。でも折角来たのだからと、隣で上映している仏映画を観ました。そうしたら、素晴らしかったのです! 僕は仏映画を初めて観たのですが、これほど素晴らしいとは思いませんでした。だから、これからはもっと、仏映画を観ていこうと思います」と。

そのことばを聞いて、矢田部さんは「映画は未来の君たちのためにあるんだよ!」と心の中で思ったそうです。大切な映画との一期一会の出逢い。矢田部さんはその青年とのお話しを、本当に嬉しそうな表情で、瞳を輝かせながら話していました。私はそのお話しを聴いて、思わず目頭が熱くなってしまったのです。

 情熱は、人の心を動かすものです。
講座時間の約2時間。お水を飲むのも惜しまれるほど、マイクを握り続け、私たちに映画への熱い想いを語ってくれた矢田部さん。輝くばかりの好奇心。謙虚な姿勢。そして人々に注がれる、あたたかくて優しい眼差し。映画を超えて、人として忘れてはならないことを、今回の講座を通じて、矢田部さんは私に思い出させてくれたかのようでした。私も矢田部さんのように、映画を情熱的に語り、そして、ずっと愛せる人で在りたい。そして何より、映画が大好きなこと。そのまっすぐな心を、大切にずっと持ち続けられる人で在りたいと思いました。

 「映画は世界に開いた窓である」。
これは、去年の東京国際映画祭のラインナップ発表会で矢田部さんが仰った、私のとても好きなことばのひとつです。映画は過去の産物ではなく、未来へと羽ばたいてゆくもの。古典映画は回顧上映やデジタル・リマスター版として美しくスクリーンに蘇り、未来の映画は東京国際映画祭という大舞台を経て世界へと飛び立ってゆきます。まだ観ぬ可能性に満ちた映画との出会いを求め、映画の夢のその先へ、矢田部さんは走り続けます。

 昨年の東京国際映画祭は、会期中の10日間、天候にも恵まれ、一度も六本木の地を濡らすことなく閉幕しました。私は本年も六本木へと映画の夢をみにゆきます。柔らかな陽光のもと、一つでも多くの映画との邂逅がおとずれることを願って。

矢田部さんの情熱度!:★★★★★
(text:藤野みさき)

◉ 講師紹介
矢田部吉彦(やたべ・よしひこ)
東京国際映画祭 作品選定ディレクター

仏・パリ生まれ。小学生時代を欧州、中学から大学までを日本で過ごす。大学卒業後、大手銀行に就職。在職中に留学と駐在でフランス・イギリスに渡り、帰国後、映画の配給と宣伝を手がける一方で、ドキュメンタリー映画のプロデュースや、フランス映画祭の業務に関わるように。2002年から東京国際映画祭へスタッフ入りし、2007年よりコンペティションのディレクターに就任。
本年度の第29回東京国際映画祭は、2016年10月25日(火)~11月3日(木・祝)に開催決定。

◉ 講座紹介

スパイラル・スコレー 《スクリーンに映画がかかるまで ~つくる・かう・ひろめる仕事について学ぶ~》

昨年の5月より、表参道のスパイラルホールにて開催。過去の講師に、土肥悦子氏、諏訪敦彦氏、野下はるみ氏、上田健太郎氏と多彩な人々を迎える。講座の終了後には講師を交えたお茶会も開催。本講座では、映画が上映されるまでのプロセスに関わっているゲストの方々から、それぞれの仕事の内容についてを伺う。
講座web:https://www.spiral.co.jp/e_schedule/detail_1659.html

 最後にこの記事を執筆するにあたり、画像の提供を頂きました《スクリーンに映画がかかるまで》のコーディネーターである平山玲さん、本講座の覚書を提供してくださいました、同じくことばの映画館のメンバーである宮本匡崇さんの御二人に、心からの感謝を申し上げます。

第29回東京国際映画祭
http://2015.tiff-jp.net/ja/


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【執筆者プロフィール】

藤野 みさき:Fujino Misaki

1992年栃木県出身。シネマ・キャンプ 映画批評・ライター講座第二期後期、UPLINK主催「未来の映画館をつくるワークショップ」第一期受講。映画の他では、自然・掃除・クラシックバレエ、そして洋服や靴を眺めることが趣味。
昨年の映画ベストは小栗康平監督の『FOUJITA』とマルコ・ベロッキオ監督の『私の血に流れる血』。

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2016年3月4日金曜日

【特別寄稿】映画『サウルの息子』評text成宮 秋祥

「負の歴史に奪われた生命に対して、私たちが唯一できる事」


 無力感が暫く続いた。席を立つ事が中々できなかった。全身から精気が抜けてしまったようだ。映画が終わって、画面の幕が下り、劇場が明るくなっても、私は暫く席を立てなかった。得体の知れない無力感に打ちのめされていた。

 映画の冒頭、画面にゾンダーコマンドについての簡単な文が挿入される。ゾンダーコマンドとは、ユダヤ人の死体処理を行う特殊部隊の事である。構成員は全員、同胞のユダヤ人であり、彼らはわずか数か月間の延命と引き換えに、その過酷な任務に従事していた。主人公のサウル・アウスランダー(ルーリグ・ゲーザ)もゾンダーコマンドの一員だ。

映画は、サウル自身を、まるで「観察する」ように映し進行する。「観察する」とは一体どういう事か? この映画はサウルの肩から顔の辺りまでだけしか映さない。まるで自画像のようなこじんまりした画面が、映画の始まりから終わりまで延々とサウルを映し続ける。

サウルは、収容所の死体処理場に黙々と同胞のユダヤ人を連れて行き、彼らの衣類を脱がし、ガス室に詰め込み、扉を閉める。すぐに中で複数の壮絶な悲鳴が響く。サウルは表情を落として、ひたすら耐えている。サウルの沈黙した表情とガス室内の悲鳴が、観ている者の視覚と聴覚を刺激し、ガス室内の地獄の光景を想像させる。恐ろしく居心地の悪い気にさせる。しかし実際の映像は、焦点がぼやけていたり、サウルの身体に隠れていたりと非常に断片的でよくは分からない。不穏な空気感だけが画面に持続している。それは終始一貫して徹底されている。

 その後も、サウルが何処かに移動し、何か作業をしているらしい事は想像できるが、実際に何をしているかは分からない。また、周囲で何か恐ろしい出来事が起こっているらしい事は想像できるが、これも実際に何が起きているかは分からない。明らかに全体を見せまいとする意図が感じられる。その意図に従って映画を観ていくと、次第にサウルの傍に自分がいるような不思議な感覚を覚える。自分も映画の中にいる。しかし映画の全体は分からない。観客それぞれが想像した恐ろしい世界の中で、ただサウルの傍に寄り添っている自分がいるだけなのだ。

 サウルを映すカメラは一体何を意味するのか? 誰がサウルを観察しているのか? 恐らく「神」であり、そして確実に私たち「現代人」である。神の視点を通じて、私たちはサウルの二日間の過酷な生活を観察する。しかし、私たちは神ではない。ただの人間だ。サウルに対して何もする事はできないし、起こってしまった悲劇を変える事もできない。サウルや奪われてしまった他のユダヤ人の魂に対して、私たちは徹底的に無力である事を痛感させられる。ただ、そこで起こった事象を、視覚や聴覚など、五感を通じて全身で体感し、忘れないように記憶する事しかできない。

 サウルを映すカメラは、時折サウル以外の被写体にも注目する。それはサウルの息子と思われる少年であったり、遺体を解剖しようとする医師であったり、作業着の背中に赤い×印を施された同胞のユダヤ人であったり、不気味に微笑むナチスの将校であったり。彼らを眺める視線は、映画のほぼ全編を貫くサウルを観察する視線とは異なっているように思う。実際にはサウルの後方から捉えた諸々の事象なのかもしれないが、どうしてもその被写体への深い注目は、サウル自身の視線から捉えているように思えてならない。サウルを観察する神の視線は、時にサウル自身の視線にも変化し、私たちに逃れようのない臨場感を持たせる。そこには、確実に命を奪われた人々がいて、また反対に、命を奪った人々がいた。そうした事実を、当事者の視線から私たちに再認識を促しているかのようだ。しかし、そこにもやはり途方もない無力感が湧き起こってくる。既に起こってしまった悲劇は変えられない。その事実を観察する事しかできない私たちは徹底的に無力でしかない。ただ、知られなかった事実を受け止める事しかできない。

 やがて、ナチスの残虐な殺戮が続く中、武装蜂起したゾンダーコマンドが死体処理場を爆破し、その混乱に乗じて収容所を同胞と共に脱走したサウルは、息子と思われる少年の遺体を川で流してしまい、埋葬に失敗する。生きる目的を失ったサウルは仲間と小屋に隠れるが、そこに一人の少年がやってくる。少年に微笑むサウルのショットを最後に、カメラはサウルの傍を離れ、小屋から走り去る少年の後を追いかける。これ以降、カメラは完全にサウルを映さなくなる。神はサウルを見捨てたのだろうか? 否、むしろ見捨てたのは私たちの方ではなかろうか? そこに、確かにゾンダーコマンドとして同胞をガス室に送って虐殺を手伝わされ、わずかに生き長らえるも無残に殺された、人間の尊厳を奪われた彼ら(ユダヤ人)が存在した。その事実から目を背けるように、カメラは遠くに走り去る少年の後ろ姿を追いかける。その最中、けたたましい機関銃の音が私たちの聴覚を直撃した。サウルは殺されてしまったのだろうか? 恐らくそうだろうが、その実際がカメラに映される事はない。私たちがその痛ましい最期を想像するしかない。まるで既に起こってしまった負の出来事について目を背けたり、忘れようとしたりした事への罰を、私たちは受けているかのようだ。そして、私たち現代人は、この映画に映された真実に対して、どうしようもなく無力なのだ。私たちに唯一できる事は、人間の尊厳を奪われた彼らが存在した事実を、忘れないように記憶するしかない。悲しい歴史を繰り返さないために。

(text:成宮 秋祥)




『サウルの息子』
英題:SON OF SAUL
2015年/107分/ハンガリー/カラー/スタンダード

作品解説
2015年、第68回カンヌ国際映画祭でグランプリを受賞したハンガリー映画。アウシュビッツ解放70周年を記念して製作され、強制収容所で死体処理に従事するユダヤ人のサウルが、息子の遺体を見つけ、ユダヤ教の教義に基づき葬ろうとする姿や、大量殺戮が行われていた収容所の実態を描いた。

キャスト
サウル:ルーリグ・ゲーザ
アブラハム:モルナール・レべンテ
ビーダーマン:ユルス・レチン
顎鬚の男:トッド・シャルモン
医者:ジョーテール・シャーンドル

スタッフ
監督:ネメシュ・ラースロー
脚本:ネメシュ・ラースロー、クララ・ロワイエ
撮影:エルデーイ・マーチャーシュ
音響:ザーニ・タマーシュ

配給:ファインフィルムズ

公式ホームページ
http://www.finefilms.co.jp/saul/

劇場情報
新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか公開中

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【執筆者プロフィール】

成宮 秋祥:Narimiya Akiyoshi

映画交流会「映画の゛ある視点(テーマ)゛について語ろう会」主催。本業は介護福祉士。映画ライターとして、ドキュメンタリー専門誌neoneo(neoneo web)に映画レビューを寄稿。

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映画『不屈の男 アンブロークン』評text:加賀谷 健

「不屈の行動原理」


※文章の一部で、結末に触れている箇所があります。

 戦時中の日本兵による外国人捕虜への虐待の残虐性を描いたことから、日本での配給がなかなか決まらなかったという『不屈の男 アンブロークン』(2014)。だが、実際、その全編を通して「反日」が頭をよぎることなど一度もなかった。それどころか、一種の「温かみ」さえ感じてしまうほどだった。監督デビューを果たしたアンジェリーナ・ジョリーは、その監督第2作で、戦場に駆り出された一人のオリンピック選手の実話を単なる歴史的事象として描こうとはしない。アメリカ人として、また一人の演出家として、遥か日本を見据えながら、主人公の「不屈の男」に、他者へ「視線」を投げかけつづける事を条件にことの次第を委ねようとする。言うまでもなく、その代弁者は与えられた使命に忠実であろうとし、彼の運命はその「視線」の浮遊によって決定づけられてしまうのである。

 主人公の名は、ルイス・ザンペリーニ。彼は、1936年、ナチス・ドイツによって開催されたベルリン・オリンピックに陸上競技アメリカ代表として出場し、5000メートル走の最終ラップで記録的タイムを打ち出した。次の東京五輪を夢見たルイであったが、空軍入隊とともに彼の運命は大きく悲劇的な方向へ堕ちていくこととなり、気がつけば、日本軍の捕虜として東京の大森収容所に入れられてしまっている。こうして東京への「夢」を叶えたルイは、そこで「バード」と呼ばれている鬼伍長ワタナベに出逢う。ワタナベは、新入りの捕虜たちの顔を一人一人入念に確認していく。捕虜たちの誰一人として動く素振りも見せない中、唯一人、ワタナベをちらと一瞥してみせるルイ。恐れを知らぬかに見えるルイに目をつけたワタナベは、ルイの額を手にしている竹刀で思い切り殴りつけ、血も凍るような声で「Don’t look at me」とだけ囁く。だが、そこに故のない「エロティシズム」が漂っていることは指摘しておかなければならない。ここから、鬼伍長による執拗なまでの「イジメ」が始まるのである。

 ルイがオリンピック選手であることは収容所の誰もが知っている。ワタナベは日々の労役で疲れ切っているルイの身体にさらにムチ打って、部下の日本兵を相手に競争させる。ルイはワタナベの底知れぬ「サディズム」に屈することなくヨロヨロしながらも走りつづけるのだが、彼の身体は悲鳴を上げ、はかなくも地面に崩れ落ちてしまう。その姿を見たワタナベは口元に笑みを絶やすことなくじっとルイを見つめるばかりである。その後も残虐性を極めた「イジメ」がつづくが、ワタナベは自身の「エロティシズム」を震わせることを忘れない。それは、ある日、アメリカ兵たちがほんの休息に芝居に興じる場面なのだが、客席に座るルイの隣にワタナベがそっと腰掛け、彼は、良い知らせと悪い知らせがあると言う。一方は彼が昇進することで、もう一方はそれによってこの収容所を去らなければならないことなのだが、ルイは吐息をもらすかのような口調で自分の昇進が嬉しくないのかと聞くワタナベの顔を静かに見つめ返す。目の前で演じられている「オール・メール劇」が二人の関係性を象徴づける。ワタナベの「イジメ」を「マゾヒスティック」に受けつづけるルイは、彼に恋心を抱いているのか、それとも彼が去っていくという知らせに安堵し切っているのか。だが、いずれにしても彼らが「再会」する日は近いだろう。

 終戦が迫る中、捕虜たちは別の収容所へ移送される。そこは、雪国である。固唾を呑むアメリカ兵たちは、寒空の下に整列させられている。何者かが凍てつく階段を降りてくる、その鈍い音の響きが辺りに不吉さを漂わせる。彼らの前に現れたのは、昇進したワタナベである。早速列の中にルイの姿を見つけたワタナベは、「大日本帝国の敵だ!」と言い放ち、大森の時と同じように彼の身体に一撃をくらわせる。はたして、ワタナベとルイによる「サド=マゾ」的な往復はこのまま際限なくつづいて行くのだろうか。

 ここまで寡黙ながらも反抗的態度をとりつづけてきたルイス・ザンペリーニ。そんな彼にワタナベは、最後の「使命」を与える。収容所全体が敗戦ムードに包まれつつも、日本兵は最後の悪あがきをするかのように捕虜たちへのムチを一層強める。そこでもワタナベの「視線」は、ルイ唯一人にそそがれている。彼は、煤まみれなったルイを呼びつけ、目の前に置かれている大木を持ち上げろと命じる。さらに、それを落とせば銃殺するとまで言う。絶望的状況として周りの捕虜たちも作業の手をとめ、これを見守る。危うく大木を落としかけるルイ。ワタナベは声を荒げ、部下の日本兵は、銃を握る手を固くする。この地獄はいつまでつづくのだろうか、誰もがそう思う。だが、監視され、見られつづけながらも、決して相手を「見返す」ことを忘れなかったルイは、ここでもその美しい瞳の輝きを絶やそうとはしない。彼は、垂れた頭をもたげ、大木を天めがめて一気に持ち上げる。そのルイの「不屈」が、今、目の前にいるワタナベの武装を解き、「見る」存在から「見られる」存在へと代置せしめる。「Don’t look at me」とわめきたてるワタナベは、地面に崩れる他なく、そこで「オルガスムス」に至る。「死」と隣接すことで得られる至上の快楽。だが、その臨界は、すでに踏み越えられてしまっている。

 このワタナベの「絶頂」は、そのまま日本軍の凋落を意味し、物語は、終戦へ向かって加速度的に収束を見せる。解放されたアメリカ兵たちは歓喜し、ルイは無事、家族のもとに生還する。が、ここで見逃してはならないのは、監督のアンジェリーナ・ジョリーの「視線」が最終的に家族と再会するという感動的な結末よりも「不屈の男」の一貫した行動(=視線)に向けられていることである。というのも、ルイが戦地で最後に目にしたものが、一枚の写真だったからであり、軍服姿の男性と写る幼い少年が他ならぬワタナベの姿だからである。ルイは、部屋の片隅にぽつりと置かれた竹刀を横にして座り、一心にその写真を見つめつづめる。今、彼は、何を思ってその熱い視線を対象へと投げかけつづけているのだろうか。一つ確かなのは、ルイス・ザンペリーニの「不屈」が彼の精神性の意味付けではなく、彼が他者を「見返す」という、その貫徹された行為への忠実性を表しているということであり、それに突き動かされた我々観客たちもまた、一心にその対象へ等しく「視線」をそそぐ「権利」が与えられていることである。さて、そうして得た「恩赦」は、我々日本人の未来に一体どんなことをもたらすのだろうか。


ルイの不屈度:
(text:加賀谷健)






『不屈の男 アンブロークン』
原題:Unbroken
2014年/137分/アメリカ

作品解説
アンジェリーナ・ジョリーの監督第2作。ローラ・ヒレンブランド著のノンフィクションを原作に、1936年のベルリンオリンピックに出場した陸上選手で、第2次世界大戦中に日本軍の捕虜になった米軍パイロット、ルイス・ザンペリーニの体験を描いた。

キャスト
ジャック・オコンネル:ルイ・ザンペリーニ
MIYAVI:渡辺
ドーナル・グリーソン:フィル
ギャレット・ヘドランド:フィッツジェラルド
フィン・ウィットロック:マック

スタッフ
監督:アンジェリーナ・ジョリー

脚本:ジョエル・コーエン&イーサン・コーエン、リチャード・ラグラヴェネーズ、ウィリアム・ニコルソン
製作:クレイトン・タウンゼント、マシュー・ベア、アーウィン・ストフ

配給
ビターズ・エンド

公式ホームページ
http://unbroken-movie.com

劇場情報
2月6日〜全国順次ロードショー

2016年3月2日水曜日

【アピチャッポン特集】映画『ブリスフリー・ユアーズ』評 text岡村 亜紀子

ある午後に車で出かけたミンとルン、そして男とはぐれたオーンが森で出会う。
そんなある一日の物語だ。三人の森でのひと時の様子は、わたしに現在というものが、いかに不安定で、脆く儚いものかを感じさせた。


物語は日々の出来事を語りながら、仕事をエスケープしてミンと出かけるルンや、森で肌をあらわに男と身体を重ねるオーンを映して、日常の範疇にありながら少し特別な様子を描いているようでもある。
物語に出てくる人物たちは色んな表情……笑顔も険しい顔も、涙も見せる。
物語の舞台が市街から離れて自然へ向かうと、その表情は段々素直になるようだ。
そして三人の登場人物——不法滞在者の青年ミン、そのガールフレンドであるルン、彼らの知人のおばさんオーンの、内面が現れてくる。

森へと分け入りミンがルンに見せたかった場所(眺めのいい崖の近く)で二人は敷物を拡げ、食べ物を並べたり、木々の中でじゃれたり、午後のまどろみの中で好意を交わし、時にルンがそれを躱しながら戯れる。

一方オーンはミンを誘っていた男と木陰で獣のように濃厚に交わっていたが、男は盗まれたバイクを追って消え、森に一人残されてしまう。

「友達はルンとオーンだけだ」(ミン)
「オーンなんて居なくなればいい」(ルン)
「何故?」(ミン)
「クソばばあだから」(ルン)

という会話がミンとルンで交わされていたところへ、オーンが現れる。
突然現れたオーンに彼らは怪訝な表情を向けながら、ルンはいままでのオーンに対するどの態度より優しく、険しい顔をしたオーンを川に誘って気持ちを和ませようとする。


この作品で登場人物によって語られる色々な噓と、そのようなもの。
病院でオーンとルンが、ミンの「健康証明書」を発行してもらう為に存在しないIDがあると言ったり、ルンはミンの診察のため仕事に遅れるが、遅刻の理由を「マラリア」と言ったりする。
オーンは夫に医者に子作りを進められたと言ってみたり、皮膚につけるクリームを刻んだ野菜と混ぜ合わせ夫に食べさせてみたりする。
森で夫の会社の部下と思われる男に一糸纏わず組みしかれていたオーンが、行為の後に満ち足りた表情で男に寄り添う姿さえ、男に対するサービスのようだ。
どこかセクシャルな空気を醸し出すミンは、終止穏やかな佇まいのなかに、シベリアンハスキーのような野生の残った大型犬を思わせる。


©Kick the Machine Films


中盤以降、映画は森と三人だけを映し続ける。
オーンとルンとミンが森で邂逅を果たしてから、ミンが見せた強ばった顔、オーンの張りつめた表情や、ルンがオーンに対して見せた優しさは、どれも偽りやかりそめの姿ではなく本当らしく感じられた。
それなのに、スクリーンに対するわたしの体感温度はどんどん失われているように思われた。
わたしの母の田舎には大きな川があり、飽きる事無く川で遊んでいた子供だったので、川に入ったルンとオーンが、身を浸すその水の冷たさも、冷えた身体に感じる陽の暖かさも、わたしは知っている。
意識はむしろそういったことを感じるよりも、三人の不思議なちぐはぐ感へと強く惹き付けられていく。

ミンの描いたミンのイラストや郷里の家族への手紙の文字が映像に重なり、ミンの眼差がここでは無い彼方へ向いていたことを思うと同時に、恋人に暴力を振るわれたというルンがミンやオーンと過ごす時間の中に安らぎを見つけている、そんな現代的な現実への姿勢が浮かぶ。
オーンの繰り返す支離滅裂にも思える言動、川縁で慟哭する姿は、どこへ向かえば良いかわからない迷子のように見える。
彼女は「家に帰りたい」とも言っていた。

別々の次元に意識を置きながら、同じ方向を向いていない、三人の現在が確かに重なっている場所の存在。
その光景はとても普通でありながら特別なものとして映り、それを観るわたしがわたし自身に何事か囁きはじめる。
それは映画がある事柄を浮かべるように示唆されて作られているというよりも、鑑賞した個人の内側にあるものが映画に依って浮かび上がるような現象のように感じた。

ミンがドライブ中に、「昔ここで日本兵がたくさん死んだ」と呟いた。
その一言に「タイには道路にそのような記憶があるのか」と感じて、日本のことを思った。
そして、アピチャッポン監督の『世紀の光』(2006)で、一枚の写真に映っていた工事現場の日本人に面差しが似ていた男は、やっぱり日本人なのかも知れないと思う。


この作品では病院でミンが診察を受けているシーンから始まって、画面に映る人物が次第に減って行く。
最後まで映っていた三人、ミン、ルン、オーンのその後の消息がエンドロールで文字として現れる。

ミンを診察していた女医とその助手、オーンの夫、オーンと森で交わっていた男、ルンの上司などの彼らは、おのおのその人となりを想像させながら、あくまで三人にそれぞれ関わりのある人物として、三人をわたしたちに紹介するような「場」のような存在だろうか。
彼らはミンがオーンを待っていた間、そこに映っていたTVの映像のようにも思える。その「場」とはなんだろうか。
ミンにとって、ルンにとって、オーンにとってそれは全部違う。

三人の現在が重なる「場」が、とても普通でありながら特別なものとして映ったのは、この映画が積み重ねて来た瞬間瞬間の「場」が、ただ表現していることの空間の中に、この映画のようではないけれど、わたしの普通な、あるいは特別な日々を重ねられる「場」、静止した時間と共に動いて行く時間、それを成立させる現在が存在しているからではないだろうか。


何度か映画に現れる車に乗るシーンでは、前の景色が遠ざかって行く、または後方の景色が近づいてくる映像が繰り返される。

「進んでいるのか? 戻っているのか? それともその二つは同じたりえるのか?」(もちろん映像が表すのは車が前に走っているという同じ風景である)

と、そんな疑問が頭をかすめる。

進んでいても、戻っているように見えても、留まろうとしてみても、時間が止まらない限り、その居合わせた「場」において同じ次元で異なる方向へと進み続いて行くことは、きっとルンとミンとオーンと同じように日々のなかにある。

そしてそんな普通で特別な時間に起こる、他者が居るからゆえの脆く儚い交差した一点のように静止しながら連続する「場」として動いている相対した現象に、わたしのなにかしらが感応した。

川縁でミンに寄り添って目を閉じているルンの頬に羽虫が止まっている。
彼女の手はルンに触れるために動き、ミンの身体には陽の光がさしている、穏やかなその光景のただ中にあるルンの微笑みに、正反対の体感の伴わない“死”をイメージさせるなにかが静止したように宿っていた。

そのなにかに、スクリーンを観ているときには背筋がヒヤっとするくらいの衝撃を受けたのに、私が思い出すあの午後にミンの頬にとまった羽虫の映像は暖かい体感さえ伴っている不思議さ。


「blissfully yours」というこの映画の英題は、英語の「God bless you」という言葉に響きが少し似ている。
「God bless you」には相手に「大丈夫」と言っているような意味が感じられる。

「blissfully yours」という言葉を調べると、なんだか遠くて近い感覚があった。
その言葉の持つ意味と相反するようなこの胸の中に手を突っ込まれて心臓に穴を空けられたような衝撃は「大丈夫」とは言わないけれど。

この物語は、ただそこにある。
そっと語りかけてくるのは、映画の中でわたしが出会った「場」ではないだろうか。
一瞬を写し取るのが写真なら、あの時あの空間で、ある一日の連続を映し続けたこの映画の中にあったものは、暖かい体感を伴ったわたしの回想などではなく、衝撃を感じたヒヤリとする何か——決して静止しないもの——「場」によって変化し続けるなにかである。

そのなにかに、あの陽光の中ミンにただ触れていたルンのように、今ひととき触れていたい。

(text:岡村亜紀子)

『ブリスフリー・ユアーズ』
英語題:Blissfully Yours
2002年/タイ/カラー/35mm/125 分

作品解説
ミャンマーからやって来た不法労働者のミン、そのガールフレンドの若い女性ルン、ミンを何かと気づかう中年女性 オーン。ミンとルンとは森の中をさまよいながらひと時を一緒に過ごす、偶然同じ時に不倫相手と森に入ったオーン は姿を消した相手の男を探すうちにミンとルンと遭遇する...。ジャン・ルノワール監督の不朽の名作『ピクニック』 にもたとえられた至福の映画。

スタッフ
監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン

配給:ムヴィオラ

公式ホームページ

劇場情報

「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の旧作長編+アートプログラムを特集上映!

期日:2016年1月9日〜2月5日
場所:シアター・イメージフォーラム