2015年9月29日火曜日

PFFアワード2015 Gプログラム 〜映画 『あるみち』(「PFFアワード2015」グランプリ) text宮本 匡崇

「俺といったら、何かな」


 冒頭、少年が庭先でビデオをまわす。彼は草間に出現しては素早く物陰へ消えていくトカゲについて、ルポルタージュ調の緊迫した実況で語る。大仰で誇張されながらも、対象への異様な執着を感じる息使い。それはさながら、未確認生物を追う取材チームが現場に残された僅かな痕跡を検証するような、張りつめた興奮と得難き幸福をおさめた貴重な記録映像のようであった。


 映画『あるみち』は21歳の杉本大地監督が自ら主演をつとめ、自身の浪人生時代から美大生として映画を撮るに至るまでの道のりを描く。監督のみならず、母親や友人役にも本人達が出演。親しい者同士の醸す独特の距離感、言葉遣い、日常感の中で、主人公大地の心の機微が繊細に映し出される。冗長な語りや大きな事件を用いることなく、細かな会話のニュアンスや微妙な表情の変化へクロースアップすることで、ゆっくりだが着実に変化していく青年期の心情を見事に捉えている。

 例えば、美大受験へ向けて浪人している大地は、自宅へ夜中にやってきた高校時代のバイク仲間からの誘いに、やや面倒そうに応じる。自分のバイクは既に売ってしまったらしい。また別のシーンでは、既に大学へ進学した友人からの連絡に「普通浪人して勉強してる奴に連絡してくる?」と母親へ愚痴る。宅飲みの席でもなぜ美大の映画学科に進学するのかと問われて上手く答えることができない。カメラはそんな大地の無言の表情に寄っていく。周囲との温度差を誤魔化しきれない大地は「俺はいいよ」「俺なんか…」という卑屈なモラトリアムの中にいる。


 ところが、物語後半ではこの「友人の誘いに嫌々ながら応じる」という出来事が、まったく別のニュアンスで反復される。美大で仲良くなった友人と急遽、「冷えきった身体でラーメンを食べる」という目的で深夜に(自転車で!)海を目指すこととなった大地は、今度は連れ出す側として仲間と共に友人宅を訪ねることになる。この「渋る友人を複数人で言いくるめて連れ出す」という一連の"若者あるある"的問答はそれだけで非常に面白く撮られているのだが、バイクから自転車へ、誘われる側から誘う側へという大地の状況の変化や、何よりトラブルに見舞われながらも楽しく充実した一夜を過ごす彼の表情の迷いのなさが、彼が既に浪人時代の悶々としたトンネルから抜けだしたことを示している。(この夜、やはりかつてのバイク仲間から急な押しかけがあるが、今度はきっぱりと誘いを断るシーンが印象的だ)

 こうした大地の心境の移り変わりと共に、物語は「俺といったら、何かな」という問いが起点となって終盤へと動いていく。美大の授業で投げかけられた「自分といえば、何?」というこの命題に、彼は戸惑いながらも真摯に取り組んでいく。ここでようやく今作の製作の契機が観客にも分かる。大地は幼少期の自分が武者震いするほど取り憑かれていたというトカゲ獲りを、自分のルーツとして探ろうとするのである。映画の冒頭でいきなり提示されたきり宙吊りになっていたあのビデオのように、トカゲ獲りの興奮は大地の中でもどういうわけか、記憶の奥へ仕舞われたままになっていたらしい。


 彼は小学生時代の仲間を招集し、トカゲ獲りの再演と撮影を試みる。無邪気に駆けまわりトカゲを追いかける大地は何を掴んだのだろうか。この再演ビデオは、さらにその撮影をするに至るまでの道のりを "再演" した映画である今作『あるみち』の一部として組み込まれ、入れ子構造のようにして観客の記憶に刻まれる。映像が映像を内包し、気がつけば画面の中の大地は監督としての杉本大地-すなわち現在の杉本大地監督その人の存在へ地続きに繋がっていた。

 青年時代を終え、社会という新たな道へ踏み出すその一歩手前には、恐らく誰しも迷いがある。そんな折、通過儀礼のようにして人は自分の来し方を振り返るものだ。青春の終わりの1ページを書き上げるため、杉本監督はどうしても自分の人生の最初の1ページに立ち戻らねばならなかったのだろう。母親や友人を巻き込みながら撮影された今作は、杉本監督を取り巻く暖かな人間関係の総体としても感動がある。自伝的かつホームビデオのようでもあり、一種のドキュメンタリーであると同時に演劇的でもある、不思議な一本だ。ラストシーンでカメラを握りしめた彼の表情は、とてもすっきりとして凛々しかった。彼の『あるみち』がこの先どこへ続いていくのか、期待を感じずにはいられない快作であった。

無性にカップラーメンが食べたくなる度:★★★★☆
(text:宮本 匡崇)


『あるみち』(「PFFアワード2015」グランプリ)

2015年/85分/カラー

作品解説

主人公の大地は浪人を経て美大へ入学。映画を学びながらある日、「自分と言ったら何?」というテーマの課題に取り組むことになる。監督を始め登場人物はほぼ実際の本人たちが演じる。友達との関係の変化や母親との日常を、本人出演ならではの親密な距離感で描き出す。再演の先に大地が手に入れたものとは……?

出演

杉本大地、勝倉悠太、杉本りか、碇石優人、近藤耀司、土橋昂乃介、ゴン太、野田紘生、大原翔太、大城拓也、小池夏妃、渋井 琴、相馬 凌、塚本芽依、羽鳥菜穂、岩井 巧、藤田千秋、堀部真奈、福田 郁、江面博信、池見 龍、多治見拓郎、木下紗希、岩崎志門、川島達也

スタッフ

監督・脚本・撮影・編集・録音:杉本大地
撮影補助:岩井 巧、伊藤圭人、岩崎志門/撮影補助:藤田千秋、奥 慎之介


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PFFアワード2015 受賞結果速報!


ぴあフィルムフェスティバル(PFF)
"映画の新しい才能の発見と育成"をテーマに、1977年にスタートした映画祭。いままでに数々の監督を排出している。現在では、公募した作品から入選作品を選出する映画コンペティション「PFFアワード」を中心に、特集上映や、トークショーなどのイベントも行われている。また、PFFアワードでグランプリ等の賞を受賞した監督はPFFスカラシップの権利を獲得でき、劇場用映画監督デビューへの道が開かれる。

公式ホームページ:http://pff.jp/jp/index.html

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【祝】第66回 ベルリン映画祭 上映決定!


2月11日に開幕する第66回ベルリン映画祭のフォーラム部門で、杉本大地監督の『あるみち』が上映されることが決定した。杉本監督は現在22歳で、ベルリン映画祭に正式出品された長編映画の監督として史上最年少になる。

2015年9月24日木曜日

PFFアワード2015 Hプログラム 〜映画『みんな蒸してやる』textくりた

「唯一無二のワンダーランド」


「みんな蒸してやる」。タイトルからして個性のきらめきが半端ない。

主人公はシュウマイ販売店でアルバイトをしている女の子で、彼女が惚れている男は他の女にフラれたばかりで傷心らしい。通常の映画であればここで「チャーンス!」となりそうなものであるが、そうは問屋がおろさない。
「俺はカカシになる」とだけ残し、彼は(近所の)田んぼへと旅立っていった。

それからというもの、主人公はシュウマイを売りつつ店舗から田んぼへと足繁く通い、また甲斐甲斐しくカカシとなった彼の世話を焼くのである。

これは適当なストーリーをでっち上げているわけでも、気が動転しているからでも、恐らく私の読解力が0だからでもない。

そういう話です。

それにしても不思議なもので、主人公の女の子がどうにも「おかずクラブ(女性芸人コンビ)」のオカリナちゃんに見えてくるのである。激似、という訳ではなく、そこはかとなくそう思えてくる(実際はオカリナちゃんより随分可愛いとは思う)。最後の方ではもう、カカシにストーカーをかけるオカリナちゃんがスクリーンを縦横無尽に駆けずり回っているようにも見えてきてしまうのだ。



それはオフビートと言っていいものか、アヴァンギャルドと評していいものか、はたまた実験的だと言い切っていいものなのか?
これは見るものを惑わせ、一切の言葉も合致する様子を見せない「みんな蒸してやる・ワンダーランド」なのだ。

このレビューを読んで下さった方は「一体何を言っているのか?」とお思いだろう。
しかしこれは観なければ分からない。観ないことには話が通じないのである。
そんな唯一無二の存在感を放つ『みんな蒸してやる』。このワンダーランドを是非とも体感して頂きたい。

ワンダーラン度 :★★★★☆
 (text:くりた


『みんな蒸してやる』

作品解説
「かかしになりたいおとこは夢中 おんなはおとこを今更さよならふりむかせたい わたしが結婚しても いつもの時間に きみがラジオきくなら、」

出演
大河原 恵、須藤瑞己、大渕礼奈、森川しゅう、鶴巻 紬、南久松真奈、星野慶太、松嵜翔平

スタッフ
監督・脚本・編集:大河原 恵
撮影:原 悠介
録音:広田智大
照明:吉永良芽生
制作:目黒律啓

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PFFアワード2015 受賞結果速報!


ぴあフィルムフェスティバル(PFF)
"映画の新しい才能の発見と育成"をテーマに、1977年にスタートした映画祭。いままでに数々の監督を排出している。現在では、公募した作品から入選作品を選出する映画コンペティション「PFFアワード」を中心に、特集上映や、トークショーなどのイベントも行われている。また、PFFアワードでグランプリ等の賞を受賞した監督はPFFスカラシップの権利を獲得でき、劇場用映画監督デビューへの道が開かれる。

公式ホームページ:http://pff.jp/jp/index.html

2015年9月23日水曜日

PFFアワード2015 Bプログラム~映画『ゴロン、バタン、キュー』text大久保渉

「ふらりふらりと」


大阪は釜ヶ崎で暮らすホームレスの若者の青春を描いた今作。監督ご自身は「エピソードを詰め込みすぎました」とおっしゃっていたが、私はむしろその雑多な寄り道こそが今作の最大の魅力なのだと思っている。ふらりふらりとお話が転がっていくところが、家のない若者の実態と重なっているようでいてとても面白かった。


急造のボロ小屋でおっちゃんと一緒に暮らす朗らかな日々、そこにやってきた美女への淡い恋、若者と実父との確執、ホームレス狩り中学生との小競り合い、おっちゃんとの関係の変化、美女へのやるせない想い、等々。

54分という上映時間では確かに描き切れていないところも多々見受けられたが、それでも何かがありそうで、でも無さそうで、でもとにかく歩き続けることが生きていくことなんだっていう不思議なパワーが強く伝わってくる映画であった。

大切なものがないからこそ、誰かに対してこの上もなく優しくすることができるのかもしれない。失うものがないからこそ、誰かをこの上もなく愛することができるのかもしれない。居場所がないからこそ、誰よりも力強く新たな一歩を踏み出せるのかもしれない。

もともと釜ヶ崎、西成地区といった未だに物騒なロケーションを生かした映画を撮りたいということから始まった企画だけあって、ホームレスの一日の生活描写や繁華街での危険な雰囲気、シリアスな展開が非常に丁寧に描かれているように感じられた。そしてそれだけ現実に迫った映画であるからこそ、画面からこぼれ落ちた温かみにかけがえのない価値が感じられた。

笑えて切ない若者の成長物語。人が悩み迷いながらもしたたかに生きていくすがたを勢いよく描き出した良作であった。

とりあえず勢いと雰囲気がよかった度:★★★★☆
(text大久保渉)

『ゴロン、バタン、キュー』

2015年/日本/54分/カラー

作品解説

「大阪は釜ヶ崎が舞台。淀川の河川敷に元日雇い労働者の佐々木さんが作ったハウスに同居する、あたる。空き缶回収に精を出して日銭を稼ぎ、あたるは生まれて初めて自由を知る。そして魅力的な女性の出現により、あたるの世界は少し広がるのだが…。」

出演

山元 駿、伊藤隆幸、瀬戸田晴、鈴木ただし、大西政子、北村佳佑、榊 颯馬

スタッフ

監督・脚本:山元環
撮影:辻祐太郎
録音・美術:塩田佳代
美術:見城眞介
照明:藤原貴大

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PFFアワード2015 受賞結果速報!


ぴあフィルムフェスティバル(PFF)
"映画の新しい才能の発見と育成"をテーマに、1977年にスタートした映画祭。いままでに数々の監督を排出している。現在では、公募した作品から入選作品を選出する映画コンペティション「PFFアワード」を中心に、特集上映や、トークショーなどのイベントも行われている。また、PFFアワードでグランプリ等の賞を受賞した監督はPFFスカラシップの権利を獲得でき、劇場用映画監督デビューへの道が開かれる。

公式ホームページ:http://pff.jp/jp/index.html

PFFアワード2015 Cプログラム~映画『嘘と汚れ』text藤野みさき

「罪の意識」


 低い声をした男性の鼻歌が、現場の穏やかな朝を知らせた。「何かいいことがあったのですか?」若い女性が尋ねると、その質問に、彼はそっとこう答えた。「太陽の光が、とても綺麗だったんだ。」

 主人公のゆいとその初老の男性は、東京のとある大道具会社に勤めている同僚同士。ゆいはまだ慣れない下働きながらも、与えられた目の前の仕事に対して精一杯に取り組んでいた。毎日たくさんの注文が飛び交い人々の行き交う現場。この映画は、そんなどこにでも存在している日常の、小さな職場で起きた、ある小さな事件をきっかけに、誰しものこころの奥底に眠る罪の意識を炙り出していく。

 たとえば、小さい時。自分の犯した罪が、いつまでも深くこころの奥底に根付いてしまうことがある。あるいは、他者から受けた、たったひとつの何気ない言動や行動が、こころの傷(トラウマ)となり、大人になってもその人を苦しめ続けてしまうこともある。

 ゆいは前者だった。小学生の時、とても目の悪い子の眼鏡を取りあげて、何もないはずの手のひらに「何が見える?」と、こどもの悪戯心から、からかってしまったことがあった。その女の子は悪性の病気で、中学生の時に会った時にはすでに視力を失っていた。「病気だったって、知らなかったから……。」そう当時のことを振り返る彼女の瞳には、うっすらと涙が浮かんでいた。

 初老の男性が退職をした時、安堵の拍手を送ったのは、誰? あなたは、ボウリング場に並ぶピンの一番前に立つ勇気はあるの? 映し出される映像は、私たちにそう問いかけているようである。「ごめんなさい」自らの犯した過ちを認める、たった一つのそのことばを言う勇気があるのかを。


 「ゆいちゃん、絵の具がついているよ。」初老の男性は、ゆいの顔を見つめて確かにそう言った。彼には見えていたのだ。ゆいの頬についていた、嘘と言う汚れが。こすっても、こすっても、ゆいの頬についている見えない絵の具の汚れはとれない。そんな、拭っても拭い去ることのできない、罪の意識。ゆいの言う私にはもう見えなくなってしまったものとは、視力の悪い女の子には確かに見えたであろう物であり、冒頭の初老の男性が感じた、あの太陽の光の美しさであったのだろう。

 上映後の舞台挨拶の時、監督の猪狩裕子さんは、どうしてこんな不条理なことが起こってしまうのだろう。という、目の前で起こっている現実に対しての怒りが創作の原動力だと言っていた。現在も福島へ取材をしに行ったりと、精力的に活動を続けている。次回は、猪狩監督はどのような題材で映画を撮られるのか。『嘘と汚れ』は、今後の活躍に期待を感じさせる一作であった。

罪の重さを考えさせられる度:★★★☆☆
(text藤野 みさき)

『嘘と汚れ』
(PFFアワード2015 プログラムC)
PFFアワード2015 Cプログラム~映画『嘘と汚れ』text大久保渉

作品解説

「大道具会社が舞台。冒頭、老人と若い女性が和気あいあいと一緒に作業する長いシーンで幕開けする。その後も続く作業場の光景に観客を引き込んだうえで、小事件が起き、心理劇へと鮮やかに変貌する。」

出演

岡田瑞葉、真実一路、佐藤武史、青坂匡、野口航、高橋基史

スタッフ

監督・脚本・編集:猪狩裕子
撮影:深谷祐次
録音:宇佐希望
助監督:太田達成
制作:高橋基史、中島 光

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PFFアワード2015 受賞結果速報!


ぴあフィルムフェスティバル(PFF)
"映画の新しい才能の発見と育成"をテーマに、1977年にスタートした映画祭。いままでに数々の監督を排出している。現在では、公募した作品から入選作品を選出する映画コンペティション「PFFアワード」を中心に、特集上映や、トークショーなどのイベントも行われている。また、PFFアワードでグランプリ等の賞を受賞した監督はPFFスカラシップの権利を獲得でき、劇場用映画監督デビューへの道が開かれる。

公式ホームページ:http://pff.jp/jp/index.html

PFFアワード2015 Cプログラム~映画『嘘と汚れ』text大久保 渉

「鏡」


女。じじい。出てくる登場人物たちのすべてが大嫌いだった。

舞台は大道具会社の作業場。いつも仕事のミスをすっとぼけようとしている下っ端スタッフのじじい。忙しさからネチネチと相手に詰めよってまわっている現場の親方。その日のミスは自分のせいなのに、知らん顔をして過失をやり過ごそうとしている若手スタッフの女。

すべての責任をおっかぶせて、じじいをクビ切りにしてしまった親方に腹が立った。それを平然と黙って見送った女にも腹が立った。そして去り際に、女に向かって意味深な嫌味を言い残して出ていったじじいにも腹が立った。

その後、友達と会ってじくじく言い訳がましいことを喋っていた女にムカついた。その女に向かって分かったような慰めを説いていた男友達にもムカついた。そして同じ時間、会社にひっそりと戻って八つ当たり的に舞台美術を殴り壊していたじじいのすがたにもムカついた。


私はまるで、スクリーンを通して自分自身のすがたを見たような気持ちになってしまい、とにかく全てにイライラしてしまった。劇中、鏡を覗いて自分の髪の毛についたペンキの汚れを必死に落とそうとしていた女と同じように、私自分自身もスクリーンに映った登場人物たちのすがたを眺めては、日ごろの不甲斐ない自分を見てしまったかのような、しかし自分はそんな人間ではないという激しい動揺に見舞われてしまったのである。

街中で、偶然じじいを見かけて今更後ろめたそうに追いかけて行った女のすがたにイライラしてしまった。曲がり角でそんな女を待ち伏せて、優しいお別れの挨拶をわざとらしくしようとしていたじじいのすがたにもイライラしてしまった。

そしてその後かわされた二人のやりとりと、映画のラストへと向かって歩いていく女のうしろすがた。そこにどのような自分自身を見出せたのか。自分だったら、一体あそこで何ができたであろうか……。

日ごろの自分自身の汚れを思い知らされるような、登場人物=自分自身の嘘に怒りを覚えてしまうような、まるで鏡を見ているかのような映画であった。

自分の不甲斐なさ度:★★★★★

『嘘と汚れ』

2015年/日本/92分/カラー

関連レビュー:PFFアワード2015 Cプログラム 〜映画『嘘と汚れ』/『わたしはアーティスト』text今泉 健 
PFFアワード2015 Cプログラム~映画『嘘と汚れ』text藤野みさき

作品解説

「大道具会社が舞台。冒頭、老人と若い女性が和気あいあいと一緒に作業する長いシーンで幕開けする。その後も続く作業場の光景に観客を引き込んだうえで、小事件が起き、心理劇へと鮮やかに変貌する。」

出演

岡田瑞葉、真実一路、佐藤武史、青坂匡、野口航、高橋基史

スタッフ

監督・脚本・編集:猪狩裕子
撮影:深谷祐次
録音:宇佐希望
助監督:太田達成
制作:高橋基史、中島 光

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PFFアワード2015 受賞結果速報!


ぴあフィルムフェスティバル(PFF)
"映画の新しい才能の発見と育成"をテーマに、1977年にスタートした映画祭。いままでに数々の監督を排出している。現在では、公募した作品から入選作品を選出する映画コンペティション「PFFアワード」を中心に、特集上映や、トークショーなどのイベントも行われている。また、PFFアワードでグランプリ等の賞を受賞した監督はPFFスカラシップの権利を獲得でき、劇場用映画監督デビューへの道が開かれる。

公式ホームページ:http://pff.jp/jp/index.html

2015年9月18日金曜日

ことばの映画館大賞(2015年7月)

ことばの映画館大賞(2015年7月) 

6月分からスタートした「ことばの映画館大賞」。
かなりゆるゆるですが7月分の結果発表です!
「ことばの映画館大賞」とは、ことばの映画館メンバーが、その月に映画館、映画祭、上映イベント、試写で観た映画を、新作旧作問わず、洋画部門、邦画部門でそれぞれ投票し、作品賞、監督賞、主演・助演の女優賞・男優賞をそれぞれ決めるというものです。

これを毎月実施して、年間の大賞も決めたいと考えています。

ことばの映画館大賞(2015年7月)は以下のように決定しました。


【洋画部門】

《作品賞》

雪の轍

《監督賞》
ヌリ・ビルゲ・ジェイラン『雪の轍』

《主演女優賞》
エステル・オーノディ『スウィング!』

《主演男優賞》
ハルク・ビルギナー『雪の轍』

《助演女優賞》
マリ・トゥルーチク『スウィング!』

《助演男優賞》
デイヴィッド・サクライ『牝狐リザ』

【邦画部門】

《作品賞》
祇園囃子

《監督賞》溝口健二『祇園囃子』

《主演女優賞》
若尾文子『祇園囃子』

《主演男優賞》
役所広司『バケモノの子』
(声の出演)

《助演女優賞》
浪花千栄子『祇園囃子』

《助演男優賞》
突貫小僧『浮草物語』

以上になります。
7月はばらけにばらけたので、逆に受賞者が固まってしまったかもしれません。
まだまだこれからですね!

投票していただける方も、ことばの映画館ライター以外からも募集します。
すでに、第1館、第2館をご購入いただいている方にお声かけさせていただいております。

今後にご期待ください!

2015年9月14日月曜日

PFFアワード2015 Cプログラム 〜映画『嘘と汚れ』/『わたしはアーティスト』text今泉 健

「ヒエラルキーはエネルギー源か」


この2作品は対照的に見えて共通点がある。
どちらも集団内のヒエラルキーが話の起点になっているのだ。

『嘘と汚れ』は会社内のヒエラルキーで最下位の二人の話だ。
若い女性と老人はどちらとも立場が弱い。社会問題の縮図のような設定だが、若干女性の方が優位。何かことが起これば全て特定の誰かのせいというのは、よろしくないが人が群れるとありがちだ。これは確実にいじめである。しかし、世の中、完全無欠の人間はいないように、一方的にどちらかが良くてどちらかが悪いというのはまずありえない。苛められる側にも理由はあるが、クビに追い込まれるのは行き過ぎだ。病んだ集団である。こういう集団は1人いなくなれば、また1人標的を作り出す。次は主人公の女性かもしれない。



『わたしはアーティスト』は学級ヒエラルキーに端を発する。この男女二人も学級ヒエラルキーでは最下位かもしれない。
ここで面白いのは男女の行動の対比。似たような立場の二人だが行動が違う。女子は、アーティストだがやはり打算的、現実的だ。寄り添った時、絵的に格好がつかないと客観的に思っても、行けそうなところで手を打とうとする。片や男子は、妥協がない。これは異論もあるだろうが、モテない男子ほど、程良いところで手をうたない。自分の好みに忠実でこだわるのだ。(妙に力が入ってしまう…)。むしろ、こだわらないのはモテる男子だ。モテる分経験値が高く、余裕があり考え方が柔軟でこだわらない場合がある。



 実生活ではヒエラルキーにあまり良いイメージはないが、こと創作については、特に現代日本において発想の源になり得るということか。『桐島、部活やめるってよ』(2012 吉田大八監督)などはその代表例なのだろう。

 また、もう一つ共通点は、偶然が大きく作用して生まれた作品であるということだ。
 そもそも映画は偶然の連続によって作られるという言葉を聞いたことがあるが、幕間の話からこの2作はまさにそれを具現化した作品のようだ。『嘘と汚れ』は制約のある撮影下で、カット割りに時間が避けず、長回しの撮影をせざる得なくなった。このいびつさが猪狩裕子監督の感覚と相まって強烈なインパクトを生んだ。『わたしはアーティスト』は双子の女優との出会い、そして女優といかにもお似合いの男優との巡り合わせが、薮下雷太監督のディレクションで、化学反応を起こし、はじけ飛んだ作品になっている。

 ピンチをチャンスに変えた監督、好機を逃さなかった監督、どちらも次作が楽しみだ。

主人公ゆいのドロドロ度 : ★★★☆☆ (『嘘と汚れ』)  
主人公沙織の自己陶酔度 : ★★★★☆ (『わたしはアーティスト』)
 (text今泉 健)


関連レビュー:PFFアワード2015〜映画『海辺の暮らし』text宮本 匡崇

『嘘と汚れ』 

2015年/92分/カラー

作品詳細
「大道具会社が舞台。冒頭、老人と若い女性が和気あいあいと一緒に作業する長いシーンで幕開けする。その後も続く作業場の光景に観客を引き込んだうえで、小事件が起き、心理劇へと鮮やかに変貌する。」

出演
岡田瑞葉、真実一路、佐藤武史、
青坂 匡、野口 航、高橋基史、戸田 司、
八代定治、重田裕友樹、金子拓史、
亀井史興、前川桃子、三森麻美、
森山愛都子、金子るい、金子ねね、江口 信

スタッフ
監督・脚本・編集:猪狩裕子
撮影:深谷祐次
録音:宇佐希望
助監督:太田達成
制作:高橋基史、中島 光

   

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『わたしはアーティスト』

(PFFアワード2015 プログラムC)
2015年/24分/カラー

作品詳細

「私は2年C組、尾崎沙織。抑圧と孤独を表現するため自分を撮る」。誰もいない教室で机に立って踊る私。自分で髪にハサミを入れる私。誰も私を理解してくれないと思っていたのに、「尾崎さんて変わってるよね」と言われた瞬間、世界は色づく! ひとりよがりを客観視する洞察力に、随所で笑わせられる。

出演
尾崎 紅、高根沢光、尾崎 藍、長岡明美、
安川恵理、小徳彩夏、宮本彩佳

スタッフ
監督・脚本・撮影・編集:籔下雷太
録音:古坂圭佑、小原 誠
美術:村澤綾香、安川恵理
照明:赤坂将史、中川奈月、岡田直哉
音楽:半野喜弘、大石峰生
制作:八重樫亮介、菊竹洋平、今野雅夫、
    赤穂良晃、松本 麗

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PFFアワード2015 受賞結果速報!


ぴあフィルムフェスティバル(PFF)
"映画の新しい才能の発見と育成"をテーマに、1977年にスタートした映画祭。いままでに数々の監督を排出している。現在では、公募した作品から入選作品を選出する映画コンペティション「PFFアワード」を中心に、特集上映や、トークショーなどのイベントも行われている。また、PFFアワードでグランプリ等の賞を受賞した監督はPFFスカラシップの権利を獲得でき、劇場用映画監督デビューへの道が開かれる。

公式ホームページ:http://pff.jp/jp/index.html

PFFアワード2015 Bプログラム 〜映画『海辺の暮らし』text宮本 匡崇

「渡せなかったこんにゃくの先に。」


 鑑賞前、『海辺の暮らし』というタイトルから、きっとのどかで生活感のある牧歌的な物語であることと期待した。ところがスクリーンに立ち現れたのは、恐らく近未来、あるいはパラレルワールドを舞台とした九十九里の浜辺。災害と「爆発」によって海は汚染され、金持ちはとっくに高飛びしたという。そんな中、主人公の女は渡米するための資金集めをするため、地元の海で独学の英語学習に精を出しつつ、ネコムシと呼ばれる絶滅危惧動物の密猟を生業としている。容易にはジャンル分けしづらい異質な作品ではあるが、これこそが自主映画と出会う喜びでもある。簡易な美術のみで「此処ではない何処か」を見事に構築する演出にまずは舌を巻いた。
 
 登場人物は皆どこか間が抜けていて、呆けた感じの面々ばかり。沈みゆく国のさびれた町にいつの間にか取り残されてしまった(あるいは取り残されたことにさえ気づいていない)住人たち。そんな中、主人公の女だけが早口の言葉(と英語?)を繰り、いかにも「私はアンタたちとは違うのよ」とツンとした上から目線なのだ。が、そんな国際派ぶった、英語かぶれの、素潜りで仕留めたネコムシをそそくさとクーラーボックスで運ぶ彼女こそ、“ひとりハードボイルド”を気取った滑稽な田舎者であるところにシニカルな微笑ましさがある。
 
 物語は終始オフビート。ズレた会話がシュールなユーモアで劇場を包む。アフレコと思われる台詞は常に画面のアクションよりも幾分テンションが低く物憂げだ。会話は画面から浮き上がり、荒海や海鳥の鳴き声といった環境音はかすかに遠くに聞こえる。そんな作品全体を包む奇妙なアンニュイさ(と、そこはかとないクールなアイロニー)は初期ゴダール作品をすら思わせた。



 
 観客は海辺の町で起こるちぐはぐな展開にいつの間にかハマり込み、終始クスクスと笑わされるが、今作を不条理気味のナンセンスコメディとしてのみ受容するのはいささかもったいない。実は脚本の通底にはシリアスなセンチメンタリズムがある。女はネコムシ密猟を取り締まる自警団の監視員の男を、地元でくすぶった怠け者と見下しているが、後に彼がL.A.帰りの帰国子女であり、さらには「爆発」によって帰る故郷を失った流れ者だということが判明する。故郷を捨て渡米しようとする女と、一方でその町を第二の故郷にさえしようとしている男……。女は思うところあってか茹でたこんにゃくを男に差し入れようとするが、彼は勤務中の事故により急に不在となってしまう。密猟者と監視者という2人の出会いはついぞ交わらず、「渡せなかったこんにゃく」として提示される彼らのすれ違いが何とも物哀しい。
 
 結局、密猟がバレた女は、不在となった男の代わりに監視員の仕事にありつくことになる。双眼鏡の先に彼女が見るのは果たして太平洋の向こうのアメリカ大陸なのか。あるいは男が何処か遠くに覗きこもうとした“何か”なのか……。
 
 笑いで満たされながら妙に後を引く映画『海辺の暮らし』。ユーモアの奥にじんわりと“震災後の気分”をにじませた加藤正顕監督の巧みさを讃えたい。


とはいってもやはり主演の坂口真由美さんがかわいい度 :★★★★☆
 (text:宮本 匡崇




『海辺の暮らし』

(PFFアワード2015・東京会場・プログラムB)
2015年/日本/37分/カラー

作品解説
国家再建のため極端な中央集権がされた日本。海は汚染され、金持ちはとっくに海外へ高飛びした。さびれた海辺の町に暮らす女はネコムシと呼ばれる絶滅危惧動物の密猟を生業としながら、英語を勉強し国外脱出の準備を進めているが……。

出演
坂口真由美、上野皓司、野坂拓彰、青木佳文、磯崎祥吾、小林 遥、角 梓、原田浩二、酒井進吾、藤井治香、島田 

スタッフ
監督・脚本・編集:加藤正顕
撮影:美谷島諒、大野祐樹
録音:磯崎祥吾
衣装:倉田春那

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PFFアワード2015 受賞結果速報!


ぴあフィルムフェスティバル(PFF)
"映画の新しい才能の発見と育成"をテーマに、1977年にスタートした映画祭。いままでに数々の監督を排出している。現在では、公募した作品から入選作品を選出する映画コンペティション「PFFアワード」を中心に、特集上映や、トークショーなどのイベントも行われている。また、PFFアワードでグランプリ等の賞を受賞した監督はPFFスカラシップの権利を獲得でき、劇場用映画監督デビューへの道が開かれる。

公式ホームページ:http://pff.jp/jp/index.html

映画『世界で一番いとしい君へ』公開中!


17歳という若さで夫婦と親となった2人(カン・ドンウォン、ソン・ヘギョ)が授かったのは、自分たちよりも早く年をとる病を持った息子だった。

それから17年、80歳の身体年齢である17歳の彼と3人家族で暮らしている……

数奇な人生を背負いながらも、時に笑いを交え、 お互いを慈しみながら支え合って生きていくある家族のストーリー。


映画『世界で一番いとしい君へ』絶賛公開中!




『世界で一番いとしい君へ』


原題:두근두근 내 인생

  2014年/韓国/117分/

作品内容

テコンドーの選手として活躍していたハン・デス(カン・ドンウォン)と、アイドルを夢みるチョン・ミラ(ソン・ヘギョ)は、ある日、新緑が美しい森の中で出会い、心を通わせる。そんな17歳の二人に待ち受けていたのは、予期せぬ妊娠であった。二人は両親の反対を振り切り、家も学校も捨て夫婦として生活をスタート。やがて息子・アルムが生まれるが、彼は人よりも早く年をとる“早老症”という運命を背負っていた……。それから16年。アルム(チョ・ソンモク)は親思いの聡明な少年となったが、17歳目前にして80歳の身体年齢となっていた。息子の治療費を稼ぐためがむしゃらに働くデスとミラ。そんな中、彼らの人生がドキュメンタリー番組で紹介され、これまで限られた世界しか知らなかったアルムにある事件が起こり始める……。

出演

カン・ドンウォン
ソン・ヘギョ
チョン・ソンモク

スタッフ

監督:イ・ジェヨン
原作:キム・エラン著「どきどき僕の人生」(クオン)
脚本:チェ・ミンソク、イ・ジェヨン、オ・ヒョジン

配給:ツイン

公式ホームページ:http://www.itoshiikimi-movie.info

劇場情報:シネマート新宿ほか全国順次公開

2015年9月10日木曜日

「PFFアワード2015」開催迫る!!!

【ことばの映画館web〜PFFアワード2015特集】



9月12日(土)からPFFアワード2015が開催されます。

普段、映画館で観られる作品とは違う新しい才能と出会うきっかけとなるかもしれません!

ことばの映画館 編集委員でもあり、PFFアワード2015 一次・二次審査員を務められた映画ライターの常川拓也さんに作品紹介文を寄稿していただきましたので、是非お読みください!!




第37回PFF(ぴあフィルムフェスティバル)が9月12日から24日にかけて東京国立近代美術館フィルムセンターにて行われます。その中の自主映画コンペティションで邦画界の登竜門的存在として知られる「PFFアワード2015」では、今年も577本の応募作の中から20本の意欲的でユニークなインディペンデント作品が揃いました。 今回は、そのPFFアワード2015のオススメ作品を紹介します。多少なりとも作品鑑賞のガイドのようなものになれば幸いです。 

常川 拓也(PFFアワード2015セレクション・メンバー/「ことばの映画館」編集委員)




『あるみち』(監督:杉本 大地)
一次審査で出会った時から私が最も推してきた作品です。本作に好感を抱くひとつの理由は、例えば邦画を観て常々感じてしまうセリフや動きの“段取りっぽさ”とは無縁の心地よいナチュラルさでそれらが描かれているからです。そう、監督自身の友人や家族との良好な関係を反映した空気感が素晴らしく、平成に生まれた同年代の男子の自然な会話や雰囲気がたまらない。そのような全く嘘くさくないリアルさは、個人的には『COCKPIT』(2015、三宅唱)ではじめて感じたもので、劇映画でははじめて出会ったような気がしています。その点だけで十分に驚かされました。私にとって、まるで友人や弟の遊んでいる姿を見ているかのような微笑ましさを与えてくれる作品です。
http://pff.jp/37th/lineup/award02.html


『甘党革命 特定甘味規制法』(監督:諸星 厚希)
甘いお菓子を食べることを禁じられた近未来の日本を描くコメディですが、現代の日本を照射するかのような本作は、2015年だからこそ観る意義をさらに感じさせる一本。セレクション・メンバーの結城秀勇氏が講評(http://pff.jp/37th/award/comment.html )で述べられているように、「応募作中もっとも熱い心意気を見せてくれた」作品であり、反骨的で純粋に興奮させられるエンターテインメント性を兼ね備えています。『ゾンビランド』(2009、ルーベン・フライシャー)ではアメリカのお菓子トゥインキーがフィーチャーされていましたが、本作ではスニッカーズが革命のバトンになっていくユーモアも素晴らしい。カメオ出演もする青山真治監督も「私には絶対に撮れない傑作」と絶賛。『あるみち』と同時上映なのもうれしい限り。「我々が欲しいのは、味じゃない。カロリーだ!」
http://pff.jp/37th/lineup/award01.html


『みんな蒸してやる』(監督:大河原 恵)
ほとんど満場一致で支持された、まさに“ワン・アンド・オンリー”な作品です。大河原恵監督独特のユーモアとアイディアが炸裂した本作には、好き嫌いを超えて、彼女の才能を認めざるを得ないような何か凄さがあり、日本語ならではのおかしさの追求とイメージの飛躍がつくづく興味深いと思っています。日常をオフビートに描くコメディ感覚とちょっと奇妙な人間たちも楽しい。監督自身がラストに放つ力強い宣言にもヤられました。タイトルからして最高、みんな蒸してやる!
http://pff.jp/37th/lineup/award16.html


『嘘と汚れ』(監督:猪狩 裕子)
意外にも審査ではおそらく最も賛否が分かれた作品ですが、作品の出来は今回のトップクラスかと思っているほどの力作。どちらにしろかなり見所があるのは確かで、大道具の会社で働く若い女性の労働風景を追った冒頭の長回し撮影から惹きつけられます。個人的には、執拗に彼女の(表情ではなく)背中を捉え続ける長回しから、ひとりの“汚れ”を負った者の苦しむ呼吸がひしひしと伝わってきました。テオ・アンゲロプロスやダルデンヌ兄弟などの作品の影響が感じられる作品ですが、奇しくも同じくひとりの女性の職場での問題を扱った『サンドラの週末』(2014、ダルデンヌ兄弟)ともどこか反響し合うものがあるのではないかと思ったりもします。『きみの信じる神様なんて本当にいるの?』でPFFアワード2013準グランプリ受賞した女性監督の作品。
http://pff.jp/37th/lineup/award05.html


『わたしはアーティスト』(監督:籔下 雷太)
特に女性審査員からとても支持されました。うまく作られている作品で、その点は全員が認めるところでした(今の完成度か将来性かで大いに議論になりました)。自意識の強さと思い焦がれる同級生の男の子への気持ちの狭間で揺れる女子高生が、レンタルDVDショップで偶然手に取る『E.T.』の宣伝ポップには、「宇宙人と地球人だって仲良くなれる!」と書かれている。そう、これは他人と馴染めず、自分のことを「宇宙人」と思ってしまっている少女の小さな物語であり、その自意識の感覚はやはり痛くもとても愛らしいと思うのです。
http://pff.jp/37th/lineup/award20.html


『大村植物標本』(監督:須藤 なつ美)
バニラアイスとタバコ──甘さと苦さ──正反対かのように思えるふたつを持って歩く少女の姿が印象に残る。祖父の遺した植物標本に触れ、その後、その記憶を辿るかのように森で植物を探し歩く少女。あっと驚く最後を含め、軽やかさの中にどこか野心的な試みと問いが隠されているように思えました。
http://pff.jp/37th/lineup/award07.html


『海辺の暮らし』(監督:加藤 正顕)
オフビートでシュールなコメディの中、震災後の海辺の町から出たく、外国に憧れて英語かぶれになっている天涯孤独な主人公のキャラクターが興味深い。絶滅危惧種ネコムシを密猟する彼女と、それを監視する男、どこか示唆に富んだ魅力があるように思います。「本当に怖いのは、この街から一生出ることもなく、潮風で錆びついてしまうことよ」
http://pff.jp/37th/lineup/award06.html 


『したさきのさき』(監督:中山 剛平)
クラスメイトの男の子に片思いする高校生の女の子が、こっそり彼の飲みかけのコーラやリコーダー、机を舐めていきます。そのエスカレートしていく様が周囲にバレないかハラハラ見せる演出がちゃんと出来ていて、最後までダレさせることなく見せきります。彼女に対して、そして「変態」に対して向ける作り手のまなざしにとても好感を覚えました。
http://pff.jp/37th/lineup/award11.html



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以上、常川拓也さんからの紹介文でしたが、みなさんは気になる作品はありましたか?いやはや どの作品も楽しみですね!






ぴあフィルムフェスティバル(PFF)
"映画の新しい才能の発見と育成"をテーマに、1977年にスタートした映画祭。いままでに数々の監督を排出している。現在では、公募した作品から入選作品を選出する映画コンペティション「PFFアワード」を中心に、特集上映や、トークショーなどのイベントも行われている。また、PFFアワードでグランプリ等の賞を受賞した監督はPFFスカラシップの権利を獲得でき、劇場用映画監督デビューへの道が開かれる。

公式ホームページ:http://pff.jp/jp/index.html
東京会場 上映スケジュール2015年9月12日(土)〜24日(木)※月曜休館
会場:東京国立近代美術館フィルムセンター


2015年9月7日月曜日

映画『チャルラータ』試写text佐藤 奈緒子

※文章の一部で結末に触れている箇所があります。

「美しい刺繍のような映画」


サタジット・レイ監督作は『大地のうた』(1955年)しか観たことがなかった。本作も『ダージリン急行』(2007年)の特典映像でウェス・アンダーソン監督が「大好きな『チャルラータ』(1964年)の音楽をふんだんに使用した」と語っていたことで、題名だけが頭に残っていたぐらいだ。なので始まってすぐに聞こえてきた音楽に郷愁が押し寄せてきたのも無理はないだろう。しかしそれはオリジナルよりも先にオマージュと出会ってしまった逆回転の懐かしさだけではなく、50年前に作られた美しい旋律から、“失われた時代”、“二度と取り戻せない時間”を感じ取って胸が締めつけられたからのような気もする。

冒頭、白いハンカチの隅に丹念にイニシャルを刺繍していく手元から物語は始まる。若く美しい妻チャルラータ(マドビ・ムカージー)が夫ブパチ(ショイレン・ムカージー)のために針仕事をするこの長いワンショットで既に、この夫婦関係の一端が窺い知れる。19世紀後半のカルカッタ、夫は新聞社の社長兼編集長、インドの独立を夢見て奔走する忙しい日々だ。一方、子供もおらず家事労働も使用人任せにできるチャルラータは、刺繍や読書で時間を埋める寂しい毎日を送っていた。そんな折、夫の従弟アマル(ショウミットロ・チャタージ)が休暇で訪ねてくる。年の離れた夫と違い、同年代で同じく文学を愛する彼にチャルラータは徐々に惹かれていく。次第にアマルも彼女の思いを感じ取るが、チャルラータの兄が新聞社の金を持ち逃げしたことで、二人の淡い恋は唐突に終わりを迎える……。

チャルラータは有閑マダムだ。贅沢な家で退屈しながら、物売りの声が聞こえると広い屋敷の中の窓から窓へ移動してオペラグラスで外の通りをのぞく。その寂しくも可憐な姿は、劇中何度も登場する“カゴの鳥”そのもの。彼女が思いをよせるアマルは、詩や文学を愛し、歌ったり踊ったり、とにかく周りを明るくする魅力的な若者だ。嵐と共に登場し嵐と共に退場する、まさに“嵐を呼ぶ男”と言える。舞台は女性が芸術的才能を発揮することも自由に恋愛することもままならなかったイギリス統治下のインド。ここで描かれるチャルラータの悲哀は、世界中のあらゆる地域、あらゆる時代で起こった無数の女性の悲しみにも通じる。しかし彼女はただ淡い恋心に翻弄される女性ではなく、文学の才能と激しい情熱を秘めていた。アマルの文章が雑誌に掲載されたのを知ると、負けじと格上の雑誌に投稿して掲載を勝ち取ったりする。この時のチャルラータの黒く大きな瞳には以前にはなかった、燃えるような闘志がみなぎっている。いつしか彼女は、小さなカゴには収まりきらない、強い意志と自我を持つ大人の女性に成長していたのだ。

貧農の少年を描いた『大地のうた』の民話のようなイメージで見始めたせいだろうか。可愛らしいメロドラマである本作に、初めは少し戸惑った。しかもカメラワークがなんだか楽しい。たとえばチャルラータがアマルの言動にハッとする瞬間に多用されるズーム。それはまるで少女漫画の「ドキン!」という擬態語だ。庭のブランコでチャルラータが歌う美しい場面でも、ブランコに固定されたカメラがめまぐるしく動く木々を、視界に入っては消えるアマルの寝顔を、まるで揺れに揺れる乙女心そのままに映し出す。みずみずしい彼女の感性が画面からこぼれ落ちるかのようだ。

ラストシーンは特に印象深い。チャルラータの思いを知ってしまった夫が失意の中、帰宅する。戸口で待つ妻は彼を招き入れ、見つめ合う二人が手を取り合うかに見えたその瞬間、突然画面が静止するのだ。チャルラータ、夫、そして廊下の奥にいる使用人の老人、それぞれのアップのあと、三人のショットでこの映画は終わる。老人の持つランプの光が今後の二人の明るい未来を暗示しているのだろうか。しかし、二度と動くことのない静止した画面からは“二度と取り戻せない時間”を感じずにはいられない。それはレイ監督が手がけた美しい旋律がもたらす郷愁にも通じる。どんな道をたどるにせよ、この夫婦が元の二人に戻ることは決してない。さらに言うと、唐突な使用人の登場は私に別の印象を残した。裕福に暮らす主人公たちは恵まれた階級であり、彼らのすぐそばには意見を言うことも持つことも許されない階級の人々がいる。突如広げられた視野によって、この夫婦の危機もまた上流階級というカゴの中の出来事でしかないように思われてくる。後世の観客である自分が感じることが監督の意図どおりとは限らない。実はまったく意味などないのかもしれない。それでも、この謎めいたラストはあらゆる解釈を可能にし、観る者の心を惹きつけてやまない。

顔の識別に苦戦度:★★★★☆



『チャルラータ』

1964年/インド/119分/B&W/ベンガル語/DCPリマスター
★ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)受賞(1965年)

ストーリー

1880年、インド・カルカッタ。若く美しい妻チャルラータは、新聞社の代表兼社長であるブパチを夫にもち、何ひとつ不自由ない生活を送っていた。しかし、夫は年中多忙で、ほとんど妻とともに過ごそうとしない。そんな中、大学の休暇で夫の従弟であるアマルが訪ねて来る。快活な性格で、詩吟を楽しみ、文学に詳しいアマルの出現は、次第にチャルラータの退屈な日常を彩っていく…。 

出演

マドビ・ムカージー、ショウミットロ・チャタージ、ほか

スタッフ

原題:CHARULATA
原作:ラビンドラナート・タゴール
監督・脚色・音楽:サタジット・レイ
撮影:シュブラト・ミットロ
美術:ボンシ・チャンドログプタ
出演:マドビ・ムカージー、ショウミットロ・チャタージほか
配給:ノーム、サンリス
配給協力・宣伝:プレイタイム


公式ホームページ:http://www.season-ray.com/

劇場情報:9月12日よりシアター・イメージフォーラム、ほか全国順次公開

2015年9月3日木曜日

映画『チャルラータ』試写 text井河澤 智子

※文章の一部で、結末に触れている箇所があります。

「奥様の成長物語」


 インドの名監督、サタジット・レイが、自らの最高傑作であると言った『チャルラータ』。
 具体的に全てを語る映画ではない。互いに交わす会話、独りになったときの表情、それらから物語を読み取るしかない。観る者によって、異なる表情を見せる映画であろう。


 19世紀末カルカッタ。
 新聞社の社長として多忙な夫ブパチとその妻チャルラータ。夫は政治ジャーナリズムに没頭し、妻は読書や刺繍などをして、何不自由なく日々を過ごしていた。
 ある日、夫の従弟アマルが訪ねてくる。ブパチは、文学に詳しいアマルにチャルラータの相手を頼み、そして妻の隠れた文才を引き出してくれるよう頼むのであった。アマルはあの手この手でチャルラータに文学的な駆け引きを仕掛ける。
 チャルラータは自らの複雑な感情を持て余しているようである。多忙な夫ブパチはほとんど彼女の相手をしてくれない。代わりに相手をしてくれるアマルには、夫には見せないような楽しそうな姿を見せるが、アマルの書いた小説が雑誌に掲載されたとなると、なぜかどこか悔しそうに涙を流す。そして自らも秘かに小説を書き上げ、雑誌に投稿する。彼女の作品は見事に掲載され、作家への道も開けたかに思えた。
 アマルはカルカッタ滞在中に条件のよい縁談を持ちかけられるが、はぐらかし続ける。しかし、チャルラータの作品が認められると、彼女の文才が今後も生かされることを願いつつ、ひっそり夫婦のもとを去る。チャルラータはなぜかひどく嘆き悲しむ。アマルは縁談を受けたのか、受けなかったのか。
 ブパチの新聞社が経営の危機に陥った時、彼女はそれまでの彼女とは違う、決意に満ちた表情を見せる。彼女にどんな心境の変化があったのか。


    チャルラータは当初どうもはっきりしない、ただ退屈そうな人妻として現れる。屋敷には人もいて孤独ではない。なにより、多忙ながら妻の才能を認め、育もうとする夫がいる。なぜこんなに退屈そうで、そして不満そうなのだろう。
 つまりこういうことではないのか。
 当初チャルラータは自分の意思らしい意思を持っていなかった。ただ寂しく、しかしそれを解決する術を知らなかった。
 ブパチは、インドが英国の支配下に入り、急激に西洋の思想が流入してきた時代の知識人であり、従来の価値観から一歩踏み出した考えを持っていたと推測できる。おそらくその考えは、「夫婦とはどのようなものか」ということにまで影響を与えていたであろう。ブパチはチャルラータを、自分の妻である前に一人の人間と認め、だからこそ彼女の才能を存分に花開かせたいと願った。
 また、アマルは従兄ブパチに認められる教養があり、そして将来を考える猶予期間を楽しむような軽やかさがあった。年若い彼の前には選択肢はいくつもあり、どれを選んでも前途は洋々と思われる。


 チャルラータにとって、アマルの軽やかさは新鮮なものであり、彼と過ごす時間はブパチと過ごすそれとは違うものだったのだろう。人によってはそこに芽生えた感情を「恋」と呼ぶかもしれない。
 が、チャルラータの心の動きは、「恋」と一言で言うより「異なるものを知ったが故の葛藤」であると、捉えることはできないだろうか。
 おそらくアマルがいなければ、チャルラータは葛藤を知らず、ただ寂しいだけであっただろう。アマルのおかげで、満たされない想いや、他人の才能への嫉妬を知り、自らを試し、夫を裏切るような感情を覚え、そしてそれらの葛藤の結果、「自らの才能をもって夫に尽くす」良き妻であることを選んだ、と言えるのではないだろうか。勿論、ひょっとしたら夫を裏切る選択もありえたかもしれない。しかし彼女はそうしなかった。それは、チャルラータ本人の選択である。
 ここで筆者は幾度か「選ぶ」「決める」、あるいはそれに類する言葉を用いていることに気付いた。人がなにかを選択し、決定することは、「どれかを選ぶべき対象」があることに気付かなければ出来ない。選択するとき、そこに葛藤が生まれる。そのうえでなにかを決定するというプロセスは、実は非常に高度な心の働きであり、「それによって人は意思を持つ」あるいはもっと簡単に「成長する」と言うことができるのではないか。
 この『チャルラータ』に描かれているのは、インドにおいて女性のあり方が大きく変わろうとする時代の情景である。しかし、チャルラータの心の動き、そして成長の過程は実は時代や国、あるいは男女の隔てなく普遍的なものではないだろうか。たとえ彼女の決定が「夫を支える妻となる」という、伝統的な価値観に基づいたものであっても、一人の人間が意思を持ち成長する物語であるという点で、この映画は非常に普遍的なテーマを描いていると感じられるのである。

深読み度:★★★★☆
(text:井河澤 智子)

関連レビュー:
映画『チャルラータ』試写text 大久保 渉



『チャルラータ』

1964年/インド/119分/B&W/ベンガル語/DCPリマスター
★ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)受賞(1965年)

ストーリー

1880年、インド・カルカッタ。若く美しい妻チャルラータは、新聞社の代表兼社長であるブパチを夫にもち、何ひとつ不自由ない生活を送っていた。しかし、夫は年中多忙で、ほとんど妻とともに過ごそうとしない。そんな中、大学の休暇で夫の従弟であるアマルが訪ねて来る。快活な性格で、詩吟を楽しみ、文学に詳しいアマルの出現は、次第にチャルラータの退屈な日常を彩っていく…。 

出演

マドビ・ムカージー、ショウミットロ・チャタージ、ほか

スタッフ

原題:CHARULATA
原作:ラビンドラナート・タゴール
監督・脚色・音楽:サタジット・レイ
撮影:シュブラト・ミットロ
美術:ボンシ・チャンドログプタ
出演:マドビ・ムカージー、ショウミットロ・チャタージほか
配給:ノーム、サンリス
配給協力・宣伝:プレイタイム


公式ホームページ:http://www.season-ray.com/

劇場情報:9月12日よりシアター・イメージフォーラム、ほか全国順次公開

2015年9月2日水曜日

映画『チャルラータ』試写text 大久保 渉

「心の奥底にふっと迫ってくる」


画面に映ったすべての瞳の奥底に、ことばにできない想いが込められていた。

憂いを帯びた瞳には、ことばにできない哀しみが。活気に満ちた瞳には、ことばにできない喜びが。鋭く光った瞳には、ことばにできない憤りが。一言で言いあらわすことができない感情の数々。想いをただひたすら瞳で訴えかけてくる登場人物たち。それは舞台となったイギリス植民地時代末期のインドという、自身の気持ちを軽々しく口にすることが憚られた慣習が関係していたことではあるのだろうけれども、ただそれ以上に、今この瞬間の気持ちが何なのか、この感情をどのようにしてことばにすることができるのか、溢れる想いが口から出てこない、そんな誰しも抱えたことのある感情の高ぶりが繊細な構図と詩的な映像によって表現されていたところに、私は心打たれてしまった。



「愛している」「ありがとう」「ごめんなさい」、そうしたことばだけでは伝えきれない想いがある。あるいは、そんな一言さえも口にすることができない瞬間がある。そんなときに、お互いが通じ合うためにはどうしたらいいのか。その答えの一片が、今作の中で描かれていた。

仕事で忙しい夫と徒然なるその妻。そしてそこにやってきた、奔放な性格をした夫の従弟。お互いがお互いを見やり、あるいは目をそらしながら日々を過ごしていく。妻と従弟、ふたりの間に生まれた気持ちは友情なのか、愛なのか。そんなふたりを見つめる夫に生じた感情は、果たして嫉妬なのか、無関心なのか。彼らがその時々に何を思っていたのか。カメラは台詞を拾うのではなく、彼らの日常的な振舞いを、表情を、その瞳をただじっくりと映していく。

そして、映画の最後に、画面に映し出された男と女が、お互いに近づきあって手をとりあい、想いを通わせるようにたたずんでいる姿を見ては、ことばにできない感動を覚えた。映画が心の奥底にふっと迫ってきて、思わず涙が溢れ出てしまったのである。

ことばにできない感動!度:★★★★★
(text:大久保 渉)




『チャルラータ』

1964年/インド/119分/B&W/ベンガル語/DCPリマスター
★ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)受賞(1965年)

ストーリー

1880年、インド・カルカッタ。若く美しい妻チャルラータは、新聞社の代表兼社長であるブパチを夫にもち、何ひとつ不自由ない生活を送っていた。しかし、夫は年中多忙で、ほとんど妻とともに過ごそうとしない。そんな中、大学の休暇で夫の従弟であるアマルが訪ねて来る。快活な性格で、詩吟を楽しみ、文学に詳しいアマルの出現は、次第にチャルラータの退屈な日常を彩っていく…。

出演

マドビ・ムカージー、ショウミットロ・チャタージ、ほか

スタッフ

原題:CHARULATA
原作:ラビンドラナート・タゴール
監督・脚色・音楽:サタジット・レイ
撮影:シュブラト・ミットロ
美術:ボンシ・チャンドログプタ
出演:マドビ・ムカージー、ショウミットロ・チャタージほか
配給:ノーム、サンリス
配給協力・宣伝:プレイタイム


公式ホームページ:http://www.season-ray.com/

劇場情報:9月12日よりシアター・イメージフォーラム、ほか全国順次公開

【執筆者情報】

大久保渉(Wataru Okubo)

ライター・編集者・映画宣伝。フリーで色々。執筆・編集「映画芸術」「ことばの映画館」「neoneo」「FILMAGA」ほか。東京ろう映画祭スタッフほか。邦画とインド映画を応援中。でも米も仏も何でも好き。BLANKEY JET CITYの『水色』が好き。桃と味噌汁が好き。

2015年9月1日火曜日

映画『インサイド・ヘッド』text今泉健

「真意は何処に」


 予告編を見たときから、「子供向きじゃないでしょこの題材」と思っていた。だから、「あなたの物語」というキャッチコピーになるんだろう。昔子供だった人、つまり全ての人へ、というわけだ。脳の中の旅だから、記憶が捨てられる場所や、深層心理なんて場所まで紹介されるのだ。抽象概念の部屋なんて理解不能だ、と思っていたら、作品を観てみると一番コミカルで面白い描写にしていた。子供には大ウケだろう。このあたりがディズニー/ピクサーの底力に思える。さらに、芸達者のコメディアンたち、エイミー・ポーラー、リチャード・キングなどが声を当てていて、字幕で例え英語がわからなくとも、子供が楽しめる作品になっている。いかにも欧米的なのは「イマジナリーフレンド(空想上の友達)」が活躍するところで、これがキーパーソンだった。空想上の友達は、5歳くらいまでの子供の成長の過程で必要だと考えられていて、成長と共に消えていくものとされている。でも、主人公である11歳の女子小学生、ライリーの脳の中ではひっそり生きていたわけだ。

 やはり、冒頭のドリームズ・カム・トゥルーの楽曲「愛しのライリー」は拍子抜けだった。この作品の主人公は感情たちであって、その持ち主ではない。それは監督も明言している。普段は日の当らない裏方たちにスポットライトをあてたような清々しさがあるのだ。だから、映画の冒頭で「♪ライリー ライリー♪」という、感情の持ち主の名を連呼するあの歌は、楽曲やパフォーマンスの以前に、話からずれた感覚を残してしまうのだ。そういえば、タイトルも日本は『インサイド・ヘッド』と感情たちの居場所を示しているが、原題は『Inside Out』(裏返し)と、話の内容から来ている。ちなみにフランスでは『VICE-VERSA』(逆もまた真なり)、スペイン語圏では『DIVERTIDA MENTE』(愉快な感情たち?)。題名も含めやはり日本版は、他の国と様相が違っているようだ。

 そして、この作品は深淵な問題にも踏み込んでいる。心脳問題(※1)というらしい。要は、脳の働きはまだ科学で解明されていないので、心が脳の働きによって作られることが証明できていないそうだ。哲学者も科学者もいるその論壇では、心と脳が分かれている二元論、一つだとされている一元論とか、自然科学的なアプローチの唯物論とか様々論じられているらしい。そして、まるで心脳問題が解明されていない状況そのままを現しているかのように、この作品のビジュアルからみた宣伝活動には、はっきり言って一貫性を感じない。いや、敢えてそうしているかのようにも見える。例えばインターナショナル版のティーザーポスターは、影絵のような、首から上の頭部の側面の中にJoy(黄)、Sadness(青)、Anger(赤)、Fear(紫)、Disgust(緑)とそれぞれのEmotionがいる状態を示している。本国でも頭部が示されているティーザー広告はあるが、その他多くのビジュアルは、主役の感情たちのキャラクターを中心にしている。そしてキャッチコピーは”MEET THE LITTLE VOICES IN YOUR HEAD”「君の頭の中(記憶?)で会おう」としながらも、〈Docter and Rivera stressed that Inside Out takes place in Riley’s “mind,” not her brain〉(※2)、つまり「この映画の出来事は、ライリーの脳内ではなく、心で起きていること」と監督は強調している。極めつけは、邦題を『インサイド・ヘッド』としつつ、メインビジュアルをインターナショナル版のティーザー風にして、脳の働きのようなイメージを強調していることだ。ちなみに、フランス版ポスターのメインビジュアルは日本とほぼ同じ、スペイン語圏版は各エモーションが一緒にジェットコースターに乗っている、本編にはない謎なビジュアルだった。

 やはり子供向き「だけ」ではない作品だ。


※1 関連記述 「精神科医としての心の部屋」中島英雄
  http://nakajima-lab.jp/ 

※2 Pixar’s ‘Inside Out:’ New Info on Plot, Characters, and Locations [Video Blog]

  http://www.slashfilm.com/pixars-inside-new-info-plot-characters-locations-plus-video-blog/
   

その他資料は
pixar wiki http://pixar.wikia.com/wiki/Pixar_Wiki


イマジナリーフレンドの活躍度:★★★★☆
(text今泉健)


『インサイド・ヘッド』

2015年/アメリカ/94分

作品解説

11才の女の子、ライリーの頭の中に存在する5つの感情、ヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、そしてカナシミは、ライリーを幸せにするために日夜大奮闘していた。
ところが、見知らぬ街への引っ越しで、ライリーは心のバランスを崩してしまう。
そのため、頭の中の“司令部”からヨロコビとカナシミが放り出され、ライリーは2つの感情を失ってしまったのだ。感情たちは、ライリーを危機から救うために立ち上がった!
そして、ライリーを悲しませることしかできないため、謎に包まれていたカナシミには、驚くべき「秘密」があった…。

声の出演

ヨロコビ:エイミー・ポーラー/竹内結子
カナシミ:フィリス・スミス/大竹しのぶ
イカリ:ルイス・ブラック/浦山迅
ムカムカ:ミンディ・カリング/小松由佳
ビビリ:ビル・ヘイダー/落合弘治
ライリー:ケイトリン・ディアス/伊集院茉衣
ビンボン:リチャード・キング/佐藤二朗

スタッフ

監督:ピート・ドクター
共同監督:ロニー・デル・カルメン
脚本:ピート・ドクター
   メグ・レフォーヴ
   ジョシュ・クーリー
製作:ジョナス・リベラ
製作総指揮:ジョン・ラセター
音楽:マイケル・ジアッチーノ

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劇場情報

TOHOシネマズ新宿ほか全国で上映中