2015年9月14日月曜日

PFFアワード2015 Bプログラム 〜映画『海辺の暮らし』text宮本 匡崇

「渡せなかったこんにゃくの先に。」


 鑑賞前、『海辺の暮らし』というタイトルから、きっとのどかで生活感のある牧歌的な物語であることと期待した。ところがスクリーンに立ち現れたのは、恐らく近未来、あるいはパラレルワールドを舞台とした九十九里の浜辺。災害と「爆発」によって海は汚染され、金持ちはとっくに高飛びしたという。そんな中、主人公の女は渡米するための資金集めをするため、地元の海で独学の英語学習に精を出しつつ、ネコムシと呼ばれる絶滅危惧動物の密猟を生業としている。容易にはジャンル分けしづらい異質な作品ではあるが、これこそが自主映画と出会う喜びでもある。簡易な美術のみで「此処ではない何処か」を見事に構築する演出にまずは舌を巻いた。
 
 登場人物は皆どこか間が抜けていて、呆けた感じの面々ばかり。沈みゆく国のさびれた町にいつの間にか取り残されてしまった(あるいは取り残されたことにさえ気づいていない)住人たち。そんな中、主人公の女だけが早口の言葉(と英語?)を繰り、いかにも「私はアンタたちとは違うのよ」とツンとした上から目線なのだ。が、そんな国際派ぶった、英語かぶれの、素潜りで仕留めたネコムシをそそくさとクーラーボックスで運ぶ彼女こそ、“ひとりハードボイルド”を気取った滑稽な田舎者であるところにシニカルな微笑ましさがある。
 
 物語は終始オフビート。ズレた会話がシュールなユーモアで劇場を包む。アフレコと思われる台詞は常に画面のアクションよりも幾分テンションが低く物憂げだ。会話は画面から浮き上がり、荒海や海鳥の鳴き声といった環境音はかすかに遠くに聞こえる。そんな作品全体を包む奇妙なアンニュイさ(と、そこはかとないクールなアイロニー)は初期ゴダール作品をすら思わせた。



 
 観客は海辺の町で起こるちぐはぐな展開にいつの間にかハマり込み、終始クスクスと笑わされるが、今作を不条理気味のナンセンスコメディとしてのみ受容するのはいささかもったいない。実は脚本の通底にはシリアスなセンチメンタリズムがある。女はネコムシ密猟を取り締まる自警団の監視員の男を、地元でくすぶった怠け者と見下しているが、後に彼がL.A.帰りの帰国子女であり、さらには「爆発」によって帰る故郷を失った流れ者だということが判明する。故郷を捨て渡米しようとする女と、一方でその町を第二の故郷にさえしようとしている男……。女は思うところあってか茹でたこんにゃくを男に差し入れようとするが、彼は勤務中の事故により急に不在となってしまう。密猟者と監視者という2人の出会いはついぞ交わらず、「渡せなかったこんにゃく」として提示される彼らのすれ違いが何とも物哀しい。
 
 結局、密猟がバレた女は、不在となった男の代わりに監視員の仕事にありつくことになる。双眼鏡の先に彼女が見るのは果たして太平洋の向こうのアメリカ大陸なのか。あるいは男が何処か遠くに覗きこもうとした“何か”なのか……。
 
 笑いで満たされながら妙に後を引く映画『海辺の暮らし』。ユーモアの奥にじんわりと“震災後の気分”をにじませた加藤正顕監督の巧みさを讃えたい。


とはいってもやはり主演の坂口真由美さんがかわいい度 :★★★★☆
 (text:宮本 匡崇




『海辺の暮らし』

(PFFアワード2015・東京会場・プログラムB)
2015年/日本/37分/カラー

作品解説
国家再建のため極端な中央集権がされた日本。海は汚染され、金持ちはとっくに海外へ高飛びした。さびれた海辺の町に暮らす女はネコムシと呼ばれる絶滅危惧動物の密猟を生業としながら、英語を勉強し国外脱出の準備を進めているが……。

出演
坂口真由美、上野皓司、野坂拓彰、青木佳文、磯崎祥吾、小林 遥、角 梓、原田浩二、酒井進吾、藤井治香、島田 

スタッフ
監督・脚本・編集:加藤正顕
撮影:美谷島諒、大野祐樹
録音:磯崎祥吾
衣装:倉田春那

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

PFFアワード2015 受賞結果速報!


ぴあフィルムフェスティバル(PFF)
"映画の新しい才能の発見と育成"をテーマに、1977年にスタートした映画祭。いままでに数々の監督を排出している。現在では、公募した作品から入選作品を選出する映画コンペティション「PFFアワード」を中心に、特集上映や、トークショーなどのイベントも行われている。また、PFFアワードでグランプリ等の賞を受賞した監督はPFFスカラシップの権利を獲得でき、劇場用映画監督デビューへの道が開かれる。

公式ホームページ:http://pff.jp/jp/index.html

0 件のコメント:

コメントを投稿