2017年6月20日火曜日

『仏映画祭2017 試写日記』text藤野 みさき


© Photo Michael Crotto

 仏映画祭は本年で節目の25周年を迎える。その歴史は、いまから24年前の1993年に遡る。第1回目の開催地である横浜のみなとみらいから、12年の歴史を経て2006年より会場は六本木へとうつり、現在は有楽町で開催されるようになった。仏映画ファンはもちろんのこと、映画を愛する人々とともに歩んできた、歴史ある映画祭である。
 第1回目の団長は『死刑台のエレベーター』で知られている名女優、ジャンヌ・モロー。それから、ソフィー・マルソー、キャロル・ブーケ、クロード・ルルーシュ、エマニュエル・べアール、ジュリエット・ビノシュ、ジェーン・バーキン、エマニュエル・ドゥヴォス、そしてイザベル・ユペールと、フランス映画界を代表する数々の映画人たちが団長として来日を果たしてきた。本年度の団長は、大女優カトリーヌ・ドヌーヴ。2007年以来、10年ぶりに2度目の団長として来日する。

© Les Films du Lendemain / Shanna Besson

 本年度の仏映画祭はカトリーヌ・ドヌーヴ最新作『The Midwife(英題)』のオープニング上映からはじまり、カンヌ国際映画祭など世界中で衝撃をまきおこした、鬼才ポール・ヴァーホーヴェン監督が送る、イザベル・ユペール主演の『エル ELLE』が上映される。その他には、偉大なる芸術家たちを描いた伝記映画『セザンヌと過ごした時間』、ジャック・ドワイヨン監督の『ロダン カミーユと永遠のアトリエ』に、『ココ・アヴァン・シャネル』などで知られるアンヌ・フォンテーヌ監督の『夜明けの祈り』。そしていま最も注目の女性監督である、『スザンヌ』のカテル・キレヴェレ監督の『あさがくるまえに』と、幅広い映画が並んだ。

© Nord-Ouest

 そして女優たちがいきいきと輝いていることも、仏映画の大きな魅力のひとつだ。オドレイ・トトゥ、メラニー・ロラン、ベレニス・ベジョと、現在の仏映画界を代表する女優たちが共演するトラン・アン・ユン監督待望の最新作『エタニティ 永遠の花たちへ』。同じくオドレイ・トトゥ主演のコメディ映画『パリは今夜も開演中』、マリオン・コティヤール主演の『愛を綴る女』、踊りを通じて人生を見出そうとする少女の成長を綴った『ポーリーナ、私を踊る』に、人食い少女を描いた怪奇映画『Raw(英題)』が映画祭に華を添える。そして、本年度のクラシック作品は、2015年のマックス・オフュルス監督の『たそがれの女心』、2016年のジャック・リヴェット監督の『パリはわれらのもの』につづき、5月に引退表明をした名優アラン・ドロンの主演作『チェイサー』がスクリーンによみがえる。

 ふたりの女性たちの友情、人間の底知れない欲望、臓器移植と向きあう家族たちの葛藤、国境を越え踊りつづけながらみずからの「国(アイディンティティー)」をさがそうとした少女に、芸術家の苦悩……。本年も豊かな映画たちが私をあたらしい世界へと誘(いざな)ってくれた。本祭にさきだち、仏映画祭試写にて拝見した作品のなかでも、最も印象に残った『エル ELLE』と『あさがくるまえに』の感想をここに記したい。


© 2015 SBS PRODUCTIONS – SBS FILMS– TWENTY TWENTY VISION FILMPRODUKTION – FRANCE 2 CINÉMA – ENTRE CHIEN ET LOUP

『エル ELLE』

 イザベル・ユペールほどインテリジェントで恐れを知らない俳優に出逢ったことはない。その恐れの不在は渇望、欲求、獰猛(どうもう)さをもたらし、それが彼女にどんなリスクを負うことも厭わないことを可能にさせている——スーザン・ソンタグ(*1)

 本年度の仏映画祭試写のなかでも、群を抜いて私のこころを鷲掴みにした作品が『エル ELLE』である。
 本作のイザベル・ユペールをみたとき、私はソンタグがこのように評した彼女へのことばを想起した。それほど『エル ELLE』のミシェル役を演じることは難儀なことであったと思う。ミシェル役の女優選びは難航し、ヴァーホーヴェン監督のよく知る女優でさえも、この役を引き受けることはできなかったという。イザベル・ユペールがミシェル役を演じたい、と申し出なければ、ここまでの映画はできなかったと言っても過言ではない。

『エル ELLE』はレイプシーンから幕をあける。
 そのシーンがあまりに強烈かつ何度も繰り返されるので、私はイザベル・ユペール演じるミシェルが襲われるたびに恐怖におののいていた。薄暗い窓のむこうのカーテンが揺れ、フレームの外からスキー帽をかぶった犯人が突然現れる場面では、思わず私は自分を守るように反射的に両手で頭と体をおおってしまった。
 
 劇中、ミシェルが「恥を気にしていたらなにもできないわ」と言う。何気なく言ったこのことばこそ、この映画の真髄をついている。本作は羞恥心を捨てた大人たちがくりひろげる、サスペンスであり、ブラック・コメディでもある。加えて、この作品に出てくる人々はみな変なひとばかりだ。
 スキー帽をかぶった犯人のように、みなそれぞれが仮面をかぶっている。もと夫のリシャール、親友でレズビアン気質をもつアンナ、やけに優しい隣人のパトリック、頼りなさげな息子のヴァンサンに、こちらも頼りなさげでわがままな彼の恋人であるジョジー。誰が、ミシェルを犯したのか。その犯人を探しながら、次第に焦点は出てくる人物たちに移動し、人間のもつ欲望や恐ろしさを映画は炙りだす。

 犯したい願望に、犯されたい願望。『氷の微笑』でも感じたことだが、潜在意識の心理描写はヴァーホーヴェン監督のもつ大きな魅力だ。ミシェルはレイプされたことをきっかけに犯されたい欲望がわきあがる。食事の席で、最初は毛嫌いをしていたジョジーと同じ黒のマニキュアをしているのは、果たして偶然なのか否か。みえないところで、彼女と相通じるものがあることを暗示しているのだろうか。

 犯人さがしも終わりを迎えたことにより、事態は終止符をうつ。ミシェルは「終わったわ。終わったのよ」と息子のヴァンサンを抱きしめる。しかし、本当にそうなのだろうか。『ブラックブック』でのラストシーンのように、終わったようでいても、実は終わりではない。苦しみの痕跡はのこり、連鎖はつづいてゆくのだろうと思わずにはいられない幕引きである。人間の記憶はそう簡単に忘却の彼方に葬られるものではないのだから。

 イザベル・ユペールは今回の『エル ELLE』で、どの女優も挑んだことのない役を演じきり、私を驚かせてくれた。彼女は言う。「私は落ち込むことを恐れない。その辛さを知っていればこそ、幸福をかみしめられるから」と。恐れを知らない彼女は、次はどこをめざすのだろう。

*1 Figaro Japon 2009年3月号より一部抜粋


© Les Films Pelléas, Les Films du Bélier, Films Distribution / ReallyLikeFilms

『あさがくるまえに』
 
 カテル・キレヴェレ監督の映画に出逢った日を、私はいまでもとてもよく覚えている。初めてキレヴェレ監督の映画にふれたのは3年前、2014年の仏映画祭で上映された『スザンヌ』という作品だった。『スザンヌ』はサラ・フォレスティエが主演をつとめ、スザンヌという女性の20年間の年月と足跡を描いた映画である。その映される映像のガラスのような透明感のある美しさ、そして胸をえぐるような心理描写は、私のこころにまるで傷跡のようにのこり、月日が経過したいまもなお、その痛みは私を魅了してやまない。

 本作『あさがくるまえに』は、題名のとおり、朝がくる前のたった一日24時間という時間を描いた作品である。ひとりの青年、シモンの脳死をきっかけに、臓器移植に葛藤する家族と、心臓の移植を待つ女性クレールの、見ず知らずのふたりの人生が映画のなかで交差する。

 もしも、最愛のひとが脳死の判定を受けたら、私たちはどうするだろう?
 あるいは、自分がなにかの事故で脳死をしたら、遺された家族はどう死に向きあえばいいのだろうか。けっして他人ごとではない問題に私ならどうするかと問いかけずにはいられなかった。カテル・キレヴェレ監督の映画は、どうして、こんなにも私の胸を揺さぶるのだろう。登場人物の痛みが、まるでスクリーンという隔たりがないかのように、痛々しく胸に突きささる。シモンの母親を演じたエマニュエル・セニエの涙がいつまでも脳裏に焼きつき、決断を迫られる彼女の苦悩が胸を締めつける。人間の感情の機微・そして繊細さを、登場人物と観客との距離を感じさせずに丁寧に描くことができるのは、キレヴェレ監督のすばらしいところのひとつであると私は思う。

 彼女はインタヴューのなかで「私は本作を生きている者の視点から描きたいと思いました。つまり、死者ではなく、残された者たちの視点です」と述べていた。最愛のひとを失っても、私たちはこの世界を生きていかなければいけない。シモンの両親、臓器移植を待つクレールとその家族(息子)たち。朝がくる前に、シモンの心臓がル・アーヴルからパリの病院へと送られ、ドナーであるクレールの手術がとりおこなわれる。
 夜明けをつげる朝の陽ざしとともに、彼女はしずかに瞳をひらく。それは、亡きシモンの鼓動でもあり、彼の魂はいま彼女とともに呼吸をしているのである。人間の生命は二度、生まれることができる。肉体として、そして、もしかしたら、魂としても。彼女の生の息吹を通じて、映画『あさがくるまえに』は、私たちにその可能性を信じさせてくれる。

* * *

 今回の試写を拝見し、最も嬉しかったことは、やはりカテル・キレヴェレ監督の『あさがくるまえに』を観られたことである。私が『スザンヌ』に出逢ったのは3年前だが、自分の成長や記憶とともに、映画を越えて人生のなかで思い出の映画や監督とふたたび邂逅できることは、とてもすてきな経験だと思う。
 本祭では試写で観られなかった作品をひとつでも多く観られたらいいなと思っている。仏映画祭は一年のうちでも最も仏映画の風にふれることができるところだから。仏映画祭をあとにするたびに、私はその年に出逢った仏映画の記憶とともに帰路につく。また来年と。ずっと、私は仏映画に恋をしていたい。

(text:藤野みさき)


『フランス映画祭2017』               
   
開催日程:2017年6月22日(木)〜25日(日)  
会場:有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ 日劇
オープニング作品:カトリーヌ・ドヌーヴ主演『The Midwife』(英題)
主催:ユニフランス
公式サイト:www.unifrance.jp/festival

◉ 作品紹介

『エル ELLE』

原題:ELLE/2016年/131分/フランス/カラー/シネマスコープ/5.1chデジタル
字幕翻訳:丸山垂穂/PG-12

出演
イザベル・ユペール
ロラン・ラフィット
アンヌ・コンシニ
シャルル・ベルリング
ヴィルジニー・エフィラ
ジュディット・マーレ
クリスチャン・ベルケル
ジョナ・ブロケ
アリス・イザーズ

スタッフ
監督:ポール・ヴァーホーヴェン
脚本:デヴィッド・バーク
原作:フィリップ・ディジャン「エル ELLE」(ハヤカワ文庫)
音楽:アン・ダッドリー
撮影:ステファーヌ・フォンテーヌ
編集:ヨープ・テル・ブルフ
美術:ロラン・オット
衣装:ナタリー・ラウール

配給
ギャガ GAGA

劇場情報
8月25日(金) TOHOシネマズ シャンテ他全国ロードショー

公式ホームページ
http://gaga.ne.jp/elle/

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『あさがくるまえに』

原題:Réparer les vivants/2016年/フランス=ベルギー/カラー/104分/スコープ・サイズ/DCP/字幕翻訳:寺尾次郎

出演
タハール・ラヒム
エマニュエル・セニエ
アンヌ・ドルヴァル
ドミニク・ブラン ほか

スタッフ
監督:カテル・キレヴェレ
撮影:トム・アラリ
原作:メイリス・ド・ケランガル
音楽:アレクサンドル・デプラ

提供
リアリーライクフィルムズ

配給
リアリーライクフィルムズ + コピアポア・フィルムズ

劇場情報
9月16日(土)より ヒューマントラストシネマ渋谷にてロードショー

公式ホームページ
https://www.reallylikefilms.com/asakuru

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【執筆者プロフィール】

藤野 みさき:Misaki Fujino

1992年、栃木県出身。シネマ・キャンプ 映画批評・ライター講座第2期後期、未来の映画館を作るワークショップ第1期受講生。映画のほかでは、自然、お掃除・断捨離・セルフネイル・洋服や靴を眺めることが趣味。仏映画祭と同い歳で、本歳で25歳になります。お肌の曲がり角なので、よもぎ蒸しに通いつつ、最近美顔器を購入しました。
Twitter:@cherrytree813

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2017年6月16日金曜日

映画『ハロルドとリリアン ハリウッド・ラブストーリー』評text岡村 亜紀子

「ふたりということ」


 近年カップルを捉えたドキュメンタリーが多く製作されていて、いずれもそれほど著名人ではないカップルが出演している。ドキュメンタリーというミニシアター系に分類されると考えられるジャンルにおいて、ミニシアター系作品の一部の傾向――人々の生活や身近な内容または実験的な作品が多い――から、出演者が著名でないということはごく自然な流れなのかもしれない。その中でもカップルを題材にした作品は、よりミニマムでパーソナルな世界を映している。
 公開中の『ハロルドとリリアン ハリウッド・ラブストーリー』は、どこかその趣を異にしているように思われる。

 絵コンテ作家ハロルド・マイケルソンと、名リサーチャーであるリリアン・マイケルソンの夫婦は、1960年代以降のハリウッド映画を支えた“パワーカップル”だ。しかし彼らが関わった多くの映画には、製作に多大な貢献をしたにも関わらず、その名がクレジットされていない。映画界の誰もが知っていながら、(世間の)誰も語らず、しかし誰もが彼らに仕事を頼みたがる……という興味深い人生が、時間を遡りながら近年の映像とアニメーションを交えて映されていく。
 ハロルドの絵コンテを想起させるアニメーションは、パトリック・メート(*1)によって製作されており、監督のダニエル・レイムは「映画を通じてリリアンや関係者が語る話と資料が物語る歴史に、私が脚本で伝えたかった想いが新たな「絵コンテ」として作品に加わりました」と語っている(*2)が、脚本を読み込んで描いたハロルドの絵コンテが映画の伝説のショットとなったように、そのアニメーションはただ可愛らしく楽しいだけでなく、ふたりの人生を豊かな映像としてわたしたちに届けている。
 監督は作中のアニメーションについて「多くの人が満足するドキュメンタリーを作るためには、時に、自分の解釈を物語に入れる必要があると思いました。それは、もしかしたら絵描きがポートレイトを描く時、絵描きの目の前にいる実際の姿以上に自分が被写体に込める想いも付け加えてしまうというクリシェと近いと思っています。」(*3)と語っている。ドキュメンタリーである中にかすかに香る物語性……。そう、本作にはすこしつかみどころがないチャーミングさがある。ふたりの半生であり、彼らに関わった誰かの人生であり、観客もふたりが関わった映画を通して彼らに触れているとも言え、ミニマムでマキシマムな世界が描かれている。

 ハロルドとリリアンのカップルがどのようにハリウッドで映画に携わり、一体どんな夫婦だったのか、互いに与えた影響――どんなふたりだったかを映画は丁寧に伝えていく。
 ハロルドが撮影前に描いたコンテを見て実際のシーンを見ると、コンテがそのまま再現されたかのような映像に驚かされる。一瞬の「画」ではなくキャメラの移動に関する部分までもコンテには描かれており、それがそのまま採用された作品(『卒業』)や、アイディアマンとして美術的な側面に影響を与えたりもしている(『スタートレック』)。中でも驚いたのは『大統領の堕ちた日』という作品で、ビルから堕ちる大統領が巨大な星条旗を引き裂きながら堕ちていく絵コンテである。そしてその撮影困難に思われるコンテを再現したシーンは迫力に満ち、示唆的なものになっている。イマジネーションだけでなく実際に撮影することを考えられたコンテを描くこと――それがハロルドの凄さだと関係者は語る。

 本作は一見、後日談的に思われる内容ながら、決して懐古性に満ちた作品ではない。
 インタビューを中心にハロルドとリリアンのふたりの人生を追いかけていく本作の根幹をなすのは、「事実」というより「記憶」という一見不確かにも思えるものだ。相互的なものではなく、各個人の視点へアプローチしながら、彼らに触れていく。それはふたりを通して、彼らに関わった人々へ触れていくことでもあるのだろう。そこにあるのは決定的な真実というよりも、もっと柔らかく、あいまいなものであり、その感触はなにか捉えどころがないようにも思えるのだが、ふと人間がなにかを知ること、なにかに出会うことの感触に似ていると思う。その感触をそのまま写し取ったかのようにも感じられる本作を通して、ハロルドとリリアンに、わたしたちは普段誰かに出会う時のようにして映画を通して出会う。
 そして彼らふたりの物語――その生い立ち、出会いから夫婦となるまで、ふたりで切り開いて来た半生、彼らが困難に出会いながらも前に進み続け成し遂げたことがら、そして現在――が、逸話であることは間違いないのだが、心に刻み込まれるのは、特別な才能を持ったカップルという印象よりも、彼らの半生に触れることで感じる幸福感とも呼ぶべきもの、である。観客それぞれの響くところに響いていく……、そんな物語は、どこかふたりが人生を捧げた映画に似ている。出演者であるリリアンが徐々にヒロイン性を帯びていく様子もまた、映画的である。

 ハロルドを仕事の上でも家庭でも支えたリリアンは、リサーチャーであり、妻であり、母であった。中盤からは彼女のインタビューが増え、映画で描かれた半生に対する彼女自身の告白や当時の感情が語られる様子を見ることが出来る。次第に映画の中で、リリアンの物語が立ち上がっていく。
 作中、リリアンが「フィクションである映画の物語の背景にリアリティーを込めたかった」というようなセリフがあった。養護施設で育ち、本の世界に没頭していた幼少期に、施設を脱走しようとしてうまくいかなかった経験を、リリアンは「本の世界と違って現実はあまくなかった」と言う。現実とフィクションの境目を理解しながらも、彼女は本を愛し続けたことが、育児中のあいまに本を読むことで救われていたというエピソードからわかる。ハロルドを通して、映画の世界で働き始めた彼女は「ウソが真実になる」と映画を評していた。その為に、彼女は尽力し続けたのである。
「わたしの生い立ちでは、戦い(fight)し続けるしかなかった」と語る彼女はとてもチャーミングに柔らかい表情で、時にキラリと瞳を光らせて、その半生を振り返る。「わたしたちはふたりでひとつ(team)だった」と、ハロルドとの関係を語る。自分の人生を。こんな幸せなことあるかしら、と。

 映画の都ハリウッドの黄金期、あるカップルがいた。
 彼らの「仕事」と同様に、そして映画の物語のように、その人生も様々なドラマに満ちていたこと、そしてごく普通に幸せだったこと。その2つを同時に見せてくれる本作は、映画の魔法に満ちた希有なドキュメンタリーかもしれない。そしてふたりと同じように、監督や出演者、メインスタッフ以外の、映画に携わる多くの人々の存在もまた、感じられるのである。
「ハリウッド映画業界は殺伐とした雰囲気だ」と語る関係者のインタビューでは、ハロルドが後進を育てる為に、後年ドリームワークスで自分の技術をおしみなく教えたことを伝えていた。ドリームワークスのヒット作『シュレック』シリーズでヒロイン・フィオナ姫の両親(国王と王妃)の名はハロルドとリリアンである。暖かみを感じられずにはいられないエピソードである。
 また、ハロルドが多大な影響を受けたというヒッチコック監督の代表作『鳥』のDVDを本作観賞後に見たところ、特典映像としておさめられたスタッフインタビューの中にハロルドのインタビューが収録されていたのである。なんだか知人のおじさんに出会ったみたいに少し興奮してしまった。
 本作を観ると、ふたりの関わった多くの名作が紹介されていて、改めて見たいと感じたり、本作をきっかけに未見の作品を見てみようと思うきっかけとなるだろう。それはハロルド&リリアンへの敬意に満ちた本作と、観客のこころが通い合うときかもしれない。

*1 パトリック・メート
ドリームワークス・アニメーションとソニー・ピクチャーズアニメーションでシニア・アニメーション・アーティストを務める

*2、*3 参照元:プレス資料

(text:岡村亜紀子)



『ハロルドとリリアン ハリウッド・ラブストーリー』
2015年/94分/アメリカ

作品解説
映画『十戒』でモーゼが海を割り奇跡を起こす名シーン、ヒッチコックの『鳥』で逃げ惑う人々を鳥たちが襲うシーン、青春映画『卒業』でミセス・ロビンソンが自宅に呼びベンジャミンを誘惑するあのシーン……。ハリウッド全盛期に誕生した数多くの名シーンのもとにはハロルドの絵コンテとリリアンの映画リサーチがあった。
映画をこよなく愛し、ハリウッドの巨匠たちからも愛された絵コンテ作家ハロルドと、映画リサーチャーのリリアン。愛と情熱だけでなく、創造性とアイディアを分かち合った知られざる夫婦の心温まる感動的なドキュメンタリー。

出演
ハロルド・マイケルソン
リリアン・マイケルソン
アルフレッド・ヒッチコック
フランシス・フォード・コッポラ
メル・ブルックス
ダニー・デヴィート ほか

スタッフ
監督/脚本:ダニエル・レイム
プロデューサー・編集:ダニエル・レイム/ジェニファー・レイム
エグゼクティブ・プロデューサー:ダニー・デヴィート
アニメーション:パトリック・メート
撮影:バティステ・フェンウィック/ダニエル・レイム
音楽:デイブ・レボルト

配給
ココロヲ・動かす・映画社○

劇場情報
YEBISU GARDEN CINEMAにて公開中

公式ホームページ
http://www.harold-lillian.com/

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【執筆者プロフィール】

岡村 亜紀子:Akiko Okamura

1980年生まれの、レンタル店店員。勤務時間は主に深夜。
このごろ通勤中に読書をするようにしています。
最近のヒットは『鳥の巣』(シャーリイ・ジャクスン著)。
知られざる傑作、埋もれた異色作をジャンル問わず、本邦初訳作品を中心に紹介するというシリーズ(ドーキー・アーカイヴ/国書刊行会)の一冊だったようです。
今後のラインナップも楽しみです。

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