ラベル 岡村亜紀子 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 岡村亜紀子 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018年12月30日日曜日

映画『ペンギン・ハイウェイ』評text岡村 亜紀子

「約束の地」


 アオヤマくんは賢い小学生だ。彼は毎日研究をする。子供である自分を見詰めながら大人になっていく時間を大切に、とても真剣に生きている。そんな彼が描く未来は希望に満ち、大好きな歯科助手のお姉さんと結婚する将来設計をしたりして、彼が「どれだけ偉くなるのか想像もつかない」自分を想像する未来は少年らしい夢でもある。
 彼が過ごしたひと夏を描くストーリーは、奇想天外なことが起こり続けるファンタジーでありながら“無重力感”を伴うことで、わたしたちの日常から逸脱しない世界のあらましを捉えて昇華し、物語の終わりに、白紙のようにまっさらとしていながら、それがこれからさき様々なことが書き加えられていくページであることを予感する“重力”を捉えている。それがわたしには淡く輝く生命力に思え、ひとすじの光が道を射してくれたかのように思えた。

 映像で美術部が組み立てた建物をみた時に、それが「本当に立っている」と観客に感じさせたなら、それはよいセットだという。そこには、先に“無重力感”と表現した、観客だれしもが持っているフィクションと現実の間の壁をとっぱらい観客が作品世界に抵抗感なく入っていく要素が生まれている。本作『ペンギン・ハイウェイ』におけるアニメーションは、軽快なリズムとハイテンションな演出に溢れているが、そのリズムの背後にはヴィヴィッドに刻まれる時間の経過かつ積み重ねと、ハイテンションな演出を支える自らの目を通した光景に通じるような、アニメーションでありながら透明感をたたえたタッチの映像が軸としてあり、ファンタジーと日常が抵抗なく軽く解け合うのである。簡潔に表現するとすれば、計算され構築された「盛っていない映像」と「はぶかずにいて冗長ではない時間経過」が、現実から逸脱した出来事を物語の住人と観客に同じ温度で伝えている。そのことが本作にとっては、とても重要であると感じる。
 ある日、アオヤマくんの住む街にたくさんのペンギンが現れたことを皮切りに、次々と不思議な現象が起こりはじめる。アオヤマくんはペンギンについて研究を開始するのだが、草原に現れた巨大な水の球体である「海」、森に蠢く「怪物」までも現れ、毎日あたりまえに続くかに感じられたアオヤマくんの世界から日常が逸脱し、周りにいる人々、お姉さん、自分自身を揺るがしてしまう。
 アオヤマくんがそれらの出来事と対峙したとき、彼は常日頃行っているように対象を研究し、答えを導きだそうとする。未発達の少年の体に備わった行動力と頭脳で当たり前のようにベストを尽くす。そして正解かどうかは別として、彼は答えをはじき出し、解決に向けてお姉さんと行動を起こす。そして解決と引き換えに大きな喪失に出会う。選べなかった、どうにも出来なかったその出来事に際して彼が一心に祈ったのと同じことを、今までどれほどの人々が願ってきただろう。いま現在も願っているだろう。失われた存在のかけらを探し求めて、心が迷子になってしまうことだろう。
 アオヤマくんの妹が泣きながら「お母さんいつか死んじゃうの?」と彼に聞いた時、彼は「それは、いつかそうなるだろうね」と答える。知ってしまった妹を抱きしめながら。アオヤマくんは賢い。いつか来るその瞬間を経験する前からその現実の重みをまるで経験した重みと同じように受け止めるほどに。そして、彼の大切な存在が物語の終わりに本当に触れられないほど遠くに行ってしまった後も、彼はこれまでしていたように未来を想像する。彼の頭脳は明快さを失わず、これから歩んでいく彼の道がその存在と共にあるのだと考える。それはまるで「北極でペンギンたちが海から陸に上がるときに決まってたどるルート」を歩むペンギン達のように迷いなく。これからどんなことが突然起こるかわからないというこの世のことわりも、ベストを尽くしても変えられない現実があることも、この夏の経験によって賢いアオヤマくんの頭脳は理解しているはずだ。しかし、彼の想像する自分の未来に陰りがなく迷いもない様子に、淡い光がまとう空白に、どんな時も光は失われることがないのだと教えてもらったような気がした。海から上がったペンギン達が約束の地を目指すように、アオヤマくんが未来に描いたのは「約束」なのだろう。
 あくまでアオヤマくんの想いである空白に根拠も結果もいまだないのに拘らず、それが力を持つのは、無重力感から物語にとけ込んだ観客の心に、物語を信じる力=重力が宿っていたからに依るのだと思う。そして、ラストシーンでアオヤマくんは賢いけれど小学生の男の子であるという、映画の始まりの無重力感に立ち戻り、映画は終わる。

 東京国際映画祭「Japan Now」部門で本作が上映された際に、プログラミング・アドバイザーの安藤紘平氏と石田祐康監督によるトークショーが催され、この不思議な物語の世界観について様々な考察や質問が飛び交い、製作にまつわる実話を聞くことが出来た。それは「正解はこれ」というような答え合わせではなく、この作品を愛する観客の熱意や初鑑賞の観客の新鮮な反応が感じられ監督との暖かく楽しい場となっていた。本作で現れる様々な不思議な現象については、フィクションにおける常ではあるが、様々な感じ方があり様々な解釈が可能だということが印象に残っている。映画は観客の人生経験や心理状態に影響して様々なものを映すと、再認識したひとときだった。

(text:岡村亜紀子)





『ペンギン・ハイウェイ』
2018年/日本/118分

監督:石井祐康
原作:森見登美彦
脚本:上田 誠

キャスト:北 香那
     蒼井 優

公式ホームページ:http://penguin-highway.com/

第31回 東京国際映画祭「Japan Now」部門 上映作品

************************

【執筆者プロフィール】

岡村 亜紀子(Okamura Akiko)
某レンタル店スタッフ。

************************

2017年12月26日火曜日

第30回東京国際映画祭〜映画『勝手にふるえてろ』上映後Q&A

右から 大九明子監督、髙野正樹氏 (c)2017 TIFF

 去る11月1日。第30回東京国際映画祭における『勝手にふるえてろ』2回目の上映後に、大九明子監督と音楽を担当した髙野正樹氏を迎えて行われたQ&Aの模様をお届けします。
 
 24歳のOLヨシカ(松岡茉優)は、中学の同級生“イチ”(北村匠海)に10年間も思いを募らせている片思いこじらせ女子である。そんなヨシカは、過去の“イチ”との(ほとんどが一方的な)思い出を召還したり、絶滅した動物を夜通しネットサーフィンして調べたり、アンモナイトを購入して驚喜乱舞したりと、一人でもなんとなく充実した毎日を過ごしていた。そんな折、同僚の“ニ”(渡辺大知)から告白され、「脳内彼氏」“イチ”と「リアル恋愛」の“ニ”の間で、揺れるヨシカ。恋愛に臆病な彼女に幸せなハッピーエンドは訪れるのか……。
 主演・松岡茉優が最高に魅力的な本作は、東京国際映画祭で観客賞を受賞し、12月23日より劇場公開となった。映画祭の数ある作品の中から観客の心を掴み、多くの映画ファンが待ち望んでいた映画である。
 
 司会はコンペティションの作品選定を行った矢田部吉彦氏が務め、今作への愛情に溢れたムードで行われたQ&Aとなった。

(一部、作品の核心に触れている部分があります)

矢田部氏(以下、矢田部):
大傑作とわたしは思っているんですけれども、東京国際映画祭のコンペティション部門に出品して下さって本当に有難うございました。

大九監督(以下、大九):
有難うございます。

 大九監督は、「本日は数ある作品の中、『勝手にふるえてろ』をお選び頂きましてどうも有難うございます」という観客への挨拶に続き、客席で鑑賞した感想を語った。

大九:
わたくしもスタッフと一緒にチェックを兼ねてみる初号試写で鑑賞した時以来、久々に全編通して、しかも皆様と一緒にスペシャルな席で、汗びっしょりで観ておりまして、すごいスペシャルな体験ができたと大変感謝いたしております。有難うございました。


大九明子監督 (c)2017 TIFF

 高野正樹氏からは、

髙野氏(以下、髙野):
音楽を担当しました髙野です。今日は皆様お越し頂きまして有難うございました。皆様のリアクションが非常に気になりまして、皆様が笑っていたりだとか、そういうリアクションで「あっ、ここで笑いがおこるんだ」だとか、自分も一緒になって笑ったりだとか……。割と音を仕上げる時は音のことばかりを気にしていたので、「今日は自由に観れるかな」と思ったのですが、逆にリアクションが凄く気になってしまって、中々冷静に観られないなと思っております。今日はどうも有難うございます。

 と挨拶があり、作品への愛情深い思いが感じられた。

矢田部:
今日はこうしてせっかく髙野さんにお越し頂いていますので、監督に作品での髙野さんとのコラボレーションについてお聞きしたいと思います。やはりミュージックという単語を聞きますと感動のミュージカルシーンにも関わられたのかなと想像してしまうんですけれども、そこも含めてお聞き出来ますでしょうか?

大九:
仕上がった段階でミュージカルシーンとか、ちょうどその時期に大ヒット映画『ラ・ラ・ランド』(‘16)がございましたので、“『ラ・ラ・ランド』シーン”という風によく言われるのですが、前半が実はヨシカのイタいシーンだったということをご説明するのに、アスペクト比を変えたりモノクロに変えたりすることで世界観をガラっと変えることも考えたんですけれども、映画監督的なスタイルをみせるというよりは、ヨシカという人物をきちんとお届けすることに集中しようと。
そこで一番いいのは、お客様の思考を「あれ? これどうなっているんだ?」と思わせるのではなく、全部言葉で説明しようという結論に至りました。言葉で説明するにしても、なにかそこにメロディがあって、より観ている方の心に届く形にしようということで髙野さんにお願いしました。挿入歌・作詞作曲、のように言われているのですが、シナリオにあったセリフにそのまま(音楽を)つけて頂いた、という感じです。

髙野:
最初にこの話を頂いた際に、監督からこのようなシーンがありますと教えて頂きました。通常わたしがやっているのは作曲だけなので、詩にメロディをのせるということはあまりやっていない仕事でしたが、メロディが出来上がるのが凄く早くて、監督と最初の打ち合わせをした際には、もう出来上がっていました。
それから話をして、違うアレンジにしたりということもあったんですけれども、最終的に5パターンくらいになりそこから選んで頂きました。監督と共通した認識としてあったのが喋るように歌わせたいということ。あまりきれいにピッタリおさまるような形ではなく、どちらかというと喋っているところにメロディがのっかっているということで、ヨシカの心の中の劇場というか、そういうものを表せればいいなと思って作りました。


高野正樹氏 (c)2017 TIFF

 髙野氏と大九監督は今作以外(「あぁラブホテル」‘14/WOWOW、「想ひそめし〜恋歌百人一首〜」‘15/テレビ朝日)でもタッグを組んでおり、息がピッタリ合う今作の制作風景が想像された。
 矢田部氏が観客に質問のバトンを渡すと、場内からはすぐさまたくさんの手が上がった。

Q.1(男性):
とても楽しい作品を有難うございます。綿矢さんの原作(綿矢りさの同名小説『勝手にふるえてろ』)もあると思うのですが、(映画の)ヨシカってかなりやっかいなコですよね? やっかいさ加減というのを監督がどのように受け取って、主演女優にどのようなサジェスチョンがあったのか、ということをお聞きしたいと思います。

大九:
有難うございます。綿矢さんの文学の魅力というのは言葉のチョイスだったり、キレ味のよい文体とか、そういったところに尽きると思います。そこを最大に活かすということで読み込んでいくと、どんどんヨシカが愛しくなって、気がつけば「私、ヨシカじゃん」みたいな心境になっていきました。
やっかいというよりは、どうにかこのヨシカというなにかやっかいなものを、実際に現実社会にいるやっかいな皆さんにちゃんと届けたいな、という想いが凄くあって。「万人受けするようなことはおそらく無理だろうね」と最初に企画を持ってきてくださった白石プロデューサーと話していて、それよりはヨシカ的な人にきちんと届ける映画にしようという思いがありました。
原作を読み込むうちにどんどんファンになっていって、もうヨシカにイコールになってしまったので、ほぼ違和感はありませんでした。イン(撮影開始)の前に、松岡茉優ご本人と会ってゆっくり話す時間を持ったのですが、ヨシカに対する無理解みたいなものはお互いにそれほど無く、松岡さんは「あとは振り幅どの位にしましょうか?」という風に大分もう心の準備が出来ていました。
「こういう人っていますよね」とか「恋愛観はわたしはちょっと違う」とか、そういう話などもしました。やっかいであるということを、わたしたち二人はむしろ愛しちゃった感じがあると思います。

 企画・プロデュースの白石裕菜氏は、タイトルに惹かれ手に取った原作に惚れ込み、同時に映画化について動き始めた。そこには、
「綿矢りささんが描く、ヨシカのモノローグから垣間見える文学的な世界観と、一人の女の子が「イチ」と「ニ」という二人の男性の間で揺れ動くというエンタメ的な構造が映画向きだと感じたからです。キラキラした恋愛映画にはならないけれど、格好悪くてリアルな、だからこそある人たちにとって強烈に魅力的な恋愛映画になる! そんな思いから映画化に向けて動き始めました(プレスシート「Production Notes」より抜粋)」
という熱い思いがあった。
 大九監督の言う「ヨシカ的な人」、白石氏のイメージする「ある人たち」に向けられているという本作だが、劇場では笑いが何度となく起こり、男女問わず、観客がこの作品=ヨシカを受け入れ、笑い、感動している様子が強く印象に残っている。

矢田部:
主演のヨシカには最初から松岡さんでいこうと考えていたのか、ある程度オーデョションをするなどして松岡さんでいこうと考えられたのでしょうか?

大九:
もう最初からです。それまでも二年くらいちょこちょこ松岡さんとお仕事(本作は『放課後ロスト』('14) エピソード3「倍音」、TUBEのMV春夏秋冬4部作から生まれた映画『渚の恋人たち』('16)に続く3度目のタッグとなる)をしていまして。
ヨシカという人に惚れたんですけど、白石プロデューサーに「松岡さんでいきたいんです」と言われて、「そうだね!」と。
最初は誰ということも想定せず、普通に小説を読みました。

右から 矢田部吉彦氏、大九明子監督、高野正樹氏 (c)2017 TIFF 

Q.2(女性):
一昨日も観させて頂いて今日二回目なのですけれども、ヨシカ役の松岡茉優さんが観れば観る度に魅力的に思えてきたのと、ニ役の渡辺大知さんが、最初はとってもうざいなと思ったんですけれども、段々愛おしく思えてきて、とても楽しく観させていただきました。一昨日のQ&Aの時に、最後の主題歌(黒猫チェルシー「ベイビーユー」)についての質問があり、監督が「この映画は歌でいきたかったので出演している渡辺さんにお願いした」と言われていたんですけれども、最後の歌も含めて(渡辺大知が)とてもこの映画に合っているなということを、二回の鑑賞を通して感じました。最後の歌について監督から渡辺さんに「こういう風に作って」というような発注がなにかあったら、お聞きしたいなと思います。

大九:
大知くんは割とニに近いタイプでいらっしゃって、ものすごく頭でわーっと考えるんですね。「出来ました!」みたいなタイプの人ではなく、もの凄く時間をかけて悩んでいたので、「わたしが黒猫チェルシー(渡辺大知がヴォーカルを務めるロックバンド)にお願いしたのは、ヴォーカルをしているのがニを演じている渡辺大知だというのが最大の理由なんですよ。だから、ニとしての気持ちで素直に作って頂いたら、それが素敵な曲になるんじゃないですか?」と、ディスカッションしました。

Q.3(外国の女性):
非常に感動しました、有難うございます。映画の中盤にミュージカルシーンを入れることによって、(ヨシカが)非常に悲しいというか、そういうキャラクターに見受けられたんですけれども、怒っているところをよりフィーチャーしているように感じました。悲しみよりも怒りを重点的に描いている理由はなにかありますでしょうか?

大九:
自覚は無かったのですが、マグマのように溜め込んでいたあらゆる罵詈雑言を、叩き付けるようにシナリオを書いたので、それを受けとめた松岡茉優さんのヨシカは必然的に怒りのベクトルが強い感じになったのかもしれません。悲しむところのあの泣き具合も、「しくしく……というよりは爆発するように泣いてくれ、ということで、慟哭だよ」という話を松岡さんと凄くしたので、怒りという方向のニュアンスが強かったのかもしれないです。

Q.4(男性):
大変楽しく観させて頂きました。ヨシカは名前を覚えるのが苦手で、友達以外の人は名前を覚えられないというキャラクターですけれど、イチに名前を覚えてもらっていないというシーンで、すごいショックを受けていました。彼女にとって名前はどういう意味を持つのでしょうか?

大九:
彼女にとってというよりは、どの人にとっても、本当は名前というのは凄く大事なもので、個人的なもので尊重すべきものです。けれど世の中との距離を計りかねているヨシカにとっては、名前を覚えられないというよりもあえて名前を覚えようとせず馬鹿にしているというか。勝手にすぐあだ名をつけてしまって「わたしにとって必要のない情報ですから、わたしが呼び易いように呼びますよ」っていう、そういう人だと思うんですね。多分結構そういう方はいらっしゃると思うんですね、勝手に心の中であだ名をつけていたりだとか……。その罰が当たったというか、「お前も覚えられてないよね」というシーンなんです。そしてそれを改めて思い知らされて、打ちのめされるというシーンに、あそこはしました。

矢田部:
非常に腑に落ちます。有難うございます。


(c)2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会

Q.5(男性):
一昨日と今日と二度観させて頂きました。とても楽しい映画でした。松岡茉優という女優の魅力というか、ここが凄いなと思っているところはどういう点か教えてください。

大九:
そうですね……、集中力と努力。少しダサイ表現ですが、努力をあまり人に見せないところ。そういう昭和の気骨を持っているところが凄いと感じます。

 松岡茉優は『ちはやふる 下の句』(‘16)でクイーン(競技かるたにおける女性の日本一)である若宮詩暢役を演じ、その存在感のみならず原作コミックスファンも文句のつけようがないカルタをして、観客を魅了した。これまでの作品で彼女が演じてきた役柄自体にも、どこか努力を惜しまない人柄が滲んでいるようにも思われる。今作の、会社で経理として働くOLヨシカ役でも、華麗な電卓さばきを披露している。

Q.6(女性):
面白い映画で大変楽しませて頂きました。有難うございます。イチ役の北村匠海さんが、普段は歌って踊って女の子にキャーキャー言われているようなグループ活動(DISH//)をしていて、今回は残酷と言うか夢の無いような役柄を演じているのが衝撃的だったんですけれども、なぜ北村匠海さんにイチ役にお願いしたのかと、役作りに関するエピソードがあれば教えて頂きたいです。

大九:
わたしはDISH//を存じ上げないままお仕事をご一緒することになったのですけれども、プロデューサーから「こんな素敵な俳優さんがいて、イチにピッタリだと思います」というレコメンドを受けてどんな方かと思ったら、わたしが普段観ている映画に色々出演していて「ああ、あの役の方か。ああ、あの役も。」と思い当たり、若いのにカメレオンのように多彩な演技をするところに惚れ込んでお願いしました。今はDISH//、大好きです。

矢田部:
彼がどのようにして役にアプローチしたのか、もしご存知でしたら……。

大九:
どのようにして……、どうしているんでしょうね? 勿論事前にお話して作っていきましたが、割とわたしと読み解き方が同じだったんですね。「割と残酷な人間だよね、イチっていうのは」と話すと、「僕もそう思います」と。後は彼が作り上げてくれた、という感じです。

Q.7(男性):
原作者(綿矢りさ)と話し合われたり、何かエピソードがあったら教えてください。

大九:
事前に会うことは全く無くて、撮り終わった後にお会いしたのですが、大変喜んでくださいました。というのは綿矢さん曰く、「通常原作というのは削られることになる」けれども、「わたしの作品は増えて戻ってきた」と。要素は削られておらず、要素を邪魔していないのに、私が書いたシナリオでセリフが凄く増えていたり、キャラクターが増えていたり、「増えることばっかりで」と喜んでくださいました。

矢田部:
わたしも映画を観てから原作を読んだんですけれども、もの凄くびっくりしました。原作のエピソードがここまできちんと映画に描かれている映画化作品というのは中々ないんじゃないかなと思いつつ、パワーアップしているという。皆様もし読んでいらっしゃらなかったら、是非是非、読まれることをおすすめします。
最後に、監督と髙野さんから一言ずつ、お言葉を頂きたいと思います。


大九:
二日も観てくださった方がいたり、公開の前に観たいと思って一生懸命チケットを取ってくださった方がいたりと、色々伺っております。本日はどうも有難うございました。

髙野:
何回も通して観ているのですが、観る度に色々発見があったり、笑えるところや感動するところが違ったりしていて、今日僕は割と前半の方でウルっときてしまいました。何回も観ても面白い映画だと思っています。ですので、皆さんも何回か観て下さい。今日は有難うございました。


(c)2017 TIFF


 大きな拍手に包まれてQ&Aは終了した。
 観賞後に原作を読むと、原作者・綿矢りさの「増える」という言葉がよく理解出来る。細部のエピソードが違う場面で表現されていたり、ユニークな登場人物の面々が増え、本と映画両方に違うエピソードがあり……といった様子で、それぞれの世界観がお互いによってより広がったような感覚になる。
 おすすめは映画を観て、原作を読み、また映画を観る……というコースだ。そしてこの作品のタイトルについて、思いを巡らせてはいかがでしょうか?

(取材/文:岡村亜紀子)


(c)2017映画「勝手にふるえてろ」製作委員会


『勝手にふるえてろ』
117分/カラー/日本語 / 2017年/日本

監督:大九 明子

キャスト
江藤良香(ヨシカ):松岡 茉優
ニ        :渡辺 大知
月島来留美    :石橋 杏奈
イチ       :北村 匠海

配給:ファントム・フィルム

作品解説
“脳内片思い”の毎日に“リアル恋愛”が勃発⁉ ふたりの彼氏(?)の間で揺れながら、傷だらけの現実を突き抜ける、暴走ラブコメディ!

TIFF作品紹介ページ
http://2017.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=29

公式ホームページ
http://furuetero-movie.com/

劇場情報
12月23日(祝)より、新宿シネマカリテ、ヒューマントラストシネマ渋谷、シネ・リーブル池袋ほかにて、全国順次公開予定

******************

【執筆者プロフィール】

岡村 亜紀子:Akiko Okamura

某レンタル店の深夜帯スタッフ。
この作品を観て、なんだか我がことのように
笑ったり、泣いたり、自分の普段開けない柔らかいところがイタかったり……。
鑑賞中、気持ちも表情筋も忙しかったです。
『勝手にふるえてろ』というタイトルが、どこか優しく、
一方で、どこか厳しさを持って響きました。
是非、沢山の方に観て頂きたいです。

******************

2017年11月23日木曜日

第18回東京フィルメックス〜映画『シャーマンの村』Q&A text岡村 亜紀子

 11月21日の上映がワールド・プレミアとなった『シャーマンの村』のQ&Aの模様をお届けします。司会は「ユー・グァンイー監督の作品が本当に大好き」だという林加奈子ディレクターです。

 始めに監督からのご挨拶があり、
「皆さん、こんにちは(日本語で)。
今日はこの映画を観て下さって本当に有難うございます。
この映画は2007年に、私自身の故郷である黒龍江省の五常県というところで撮影を開始して、撮影を続けて編集して完成し、今日こうして観て頂くまで10年の歳月がかかりました。
今回の東京フィルメックスにこうしてお招き頂いたことに心から感謝しています。フィルメックスに来るということは外国に出るような感じではなく、親戚のお宅にお邪魔したような感じがして、とても親しみを感じます。」
とお話されました。

 ユー・グァンイー監督作品の東京フィルメックスでの上映は、第8回の上映作品『最後の木こりたち』(2007)、第9回の『サバイバル・ソング』(2008)、第12回の『独り者の山』(2011)に続き、本作で4回目となります。

『シャーマンの村』

林ディレクター
今、私たちを親戚といって下さいましたけれども、画の中のシャーマンの村の方達が、カメラに対して凄くfamiliarというか親しい感じがします。
10年密着して撮ったというのはこういうことなのだなと感じたのですが、シャーマンの村の人々との出会いのきっかけについて、監督からご説明頂けますでしょうか?

ユー・グァンイー監督
この場所は中国の北方にあるハルピンから230キロ離れたところにあります。
26歳以前はこの辺りでずっと過ごしていました。
私の故郷の村は映画の中の村から8キロほど離れたところにあります。
この人達と知り合ったのは『最後の木こりたち』を撮っていた2004年の頃です。
それから彼らとお付合いするようになり、2007年の秋にこの作品を撮影することになりました。

(ここからは、会場からの質問となります。一部抜粋してお伝えします。)

Q.1
おそらく出演していた子供たちが貼ったのだと思いますが、シュー(出演したシャーマン)の家の中に台湾のポスターが貼ってあったのが、子供が去った後として映り、私にはとても印象に残りました。
監督の(故郷の)お近くの村にシャーマンの方が居たそうですけれども、中国には今もこうしたシャーマニズム的なことが沢山あるのでしょうか?

ユー・グァンイー監督
アリガト(日本語で)。
中国には他の地域にもこうした村が割とあります。
なかなか医療を受ける環境が十分に整っておらず、医療費も高い為、医者にかかれない時には彼らのようなシャーマンに頼んで病気を治してもらうという風習がまだ数多く残っております。
そういったわけで、シャーマンは村の人々にとって精神的な拠りどころとなっています。
私はこの映画の中で、神の導きに従って、人間がどう生きるかを表現したいと思いました。

Q.2
大学で映画を学んでいて、この夏ドキュメンタリーを撮りました。
カメラを動かすことがドキュメンタリーだと自由なので、対象が左右に動くと(カメラを)動かしてしまうことがあります。
また、光量などを考えて動かせなかったり、外へ出て行くことを回避したりもするのですが、監督の映画を観ていると光量などを超えて映す対象を追っているように感じました。
カメラを動かす決断はどういったところでしていますか?

ユー・グァンイー監督
映画が誕生して100年以上経ちますが、みんな映画を学ぶ為に古典的な名作を観て、映画に関する基礎的な本を読んできたわけでしょうけれども、私としては、テクニックはあまり重視をしていません。
映画を撮る上でより重要だと思うことは、撮る人の誠意であって、何を撮りたいかをいかに強烈に心の中に持っているかだと思います。

林ディレクター
有難うございます。
映画、お待ちしています。

Q.3
この辺りに住んでいるシャーマンの伝統を持つ人々は、何の民族なのでしょうか?
漢民族なのか、それとも他の民族でしょうか?
また精霊でキツネが出てきましたけれども、他の動物の精霊もよく出てくるのでしょうか?
基本的にはキツネだけなのでしょうか?

ユー・グァンイー監督
この村に住んでいる方達はみんな漢民族で、私自身も漢民族です。
シャーマンは漢民族よりも少数民族において歴史・風習があり、漢民族に伝わったのは後年になります。
もともとシャーマンは山東省や河北省で非常に多かったのですが、黒龍江省に入ってきたのはここ100年くらいのことになるかと思います。
シャーマンというのは動物の精霊と非常に関わりがあります。
映画の中に出てきたキツネや、そしてオオカミですね。
そのような精霊と交信することがあります。

Q.4
文化大革命の時に宗教はかなり弾圧されたかと思いますが、人間にはこういうものが非常に必要だと理解しています。
文革の時に、シャーマンはどのような扱いを受けたのでしょうか?
必要だから今のように(シャーマンの風習が)復活してきたのでしょうか?
それともずっと残っていたのでしょうか?
その辺りを文革という歴史と絡めてお聞きしたいです。

ユー・グァンイー監督
有難うございます。
中国に大変詳しいご質問ですね。
文革の時は、このようなものは一切禁止されていて絶対にあってはならないものでした。
当時のことは、あまりにも暗い時代だったのでもうあまり語りたくないですね……。
現在のところ、政府としてはシャーマンの存在や行いについては見て見ぬ振りで、そんなに反対も禁止もしないけれども奨励もしないという態度をとっています。
実際問題として若い人がどんどん都会に出て行き、村に残っている比較的お年をめしたシャーマンの方達もいまや少数になってきています。
それが現状です。
この映画を撮る時に、本当に色んな村の様子を目にしたわけですけれども、老人が段々と少なくなっていて、そして子供たちも(映画の中で)ああやってシャーマンの風習を見ています。
そういう風に子供たちによく見せて、大切にしていく風習であることも考えました。
様々なことが変わっていく中で、かろうじてシャーマンの風習があのように残っている、それをこの映画の中で描いたわけです。

Q.5
この村の人達はこの映画を観たのでしょうか?
観たとしたらどういった感想を持たれたのでしょうか?

ユー・グァンイー監督
この映画自体はまだ村の人達は観ていません。
以前の私の映画を観た村の人達は、非常に村の生活がリアルに撮られていることで、こうした生活を映像で記録することで、これからの子孫も観ることが出来て、代々受け継いでいくことが出来るととても喜んでいます。
彼らにとっては、映画というのは国の指導者のような偉い方達が観るものであり、都会に住む素敵な人達が観るものだと思っているようです。

林ディレクター
英語のタイトルが『Immortals in the Village』といいまして、最初DVDを送ってもらった時に「不死の村」と書いてあるけれど、(映画の中では)人がどんどん亡くなっていって……なんてアイニカルというか絶妙なタイトルだなと思ってシビレました。
後から、第17回東京フィルメックスの審査委員長を務めたトニー・レインズさんが(英語のタイトルを)つけたとお聞きして、「ああ、やっぱり」と思いました。
もう一つ舞台裏で聞いたお話で、「次回作について何か構想がおありになるんでしょうか?」とお聞きしたところ、驚きのニュースがあります。
ユー・グァンイー監督からお差し支えのない範囲で次回作について少しお話しして頂けたらと思います。

ユー・グァンイー監督
今(会場に)いらっしゃるトニー・レインズさんは私の本当にいい友人ですけれども、この映画の為に素敵な英語のタイトルをつけて下さって心から感謝します。
有難うございます。
トニーさん立ち上がって頂けますか?

(場内から暖かい拍手がおこりましたが、トニー・レインズ氏は笑顔で手を振るに留めていました。会場がとても和やかな空気で溢れました。)

林ディレクター
意外とシャイですね…!

ユー・グァンイー監督
私は故郷の村の周辺で、既に13年かけて4本の映画を製作してきましたが、村の人達を記録するという映画製作は、ここで一段落つけようと思っています。
今ご紹介に預かりましたけれども、次回作は劇映画で少し商業的な作品になるかと思います。
寒冷地で過ごす人達の苦しみや喜び……というみんなが持っている心の世界を描こうと考えています。
ある村で殺人事件が起こり、一人の人が殺されて、その殺人の真相が明るみに出るにつれ、最終的には……様々な非常にごちゃごちゃした事件がそこで一挙にバーっと爆発して起きる、というような映画です。

林ディレクター
新作が10年後ではなくて数年後に拝見出来るように楽しみにお待ちしたいと思います。
ユー・グァンイー監督、本当にどうも有難うございました。

 以上、和やかなムードで進んだQ&Aの模様をお伝えしました。
『シャーマンの村』は中国の寒村に住むシャーマン達とその周辺の人々の生活を、4年以上に渡って追ったドキュメンタリーです。映画の中で、シャーマンたちは歌と踊りを用いて精霊を呼び出し、ある時は病気になった村人の為に精霊の伝令役となって治療法を伝え、またある時は幼子の厄払いを行うなどする姿が映画に映っています。
 映画の中でたびたび映るシャーマンの風習は、多くの観客にとって馴染みの無いものであるでしょう。霊的なものを信じるかどうかや、本作への感じ方も人によって様々だと思います。
 一見別世界の出来事に思えますが、本作はシャーマニズムを通して、あくまで村の人々の生活というものを記録しているのだと思います。そこに、自分の環境とは違うかもしれないけれど、壁に貼られたポスターのようにどこか感覚的に繋がるところがあると感じました。また、現代に残っているシャーマンの風習を同時代に観ることにやはり意味があり、鑑賞を通して、自分の価値観や考え方の一端を感じることが出来るのではないでしょうか?
 

会場ロビーに飾ってあったポスター
 
(取材/文:岡村亜紀子)

『シャーマンの村』
Immortals in the Village / 跳大神 
中国 / 2017 / 109分 

監督:ユー・グァンイー(YU Guangyi) 

作品解説
中国東北地区の山間部の人々を一貫して記録し続けてきたユー・グァンイーが、寒村のシャーマンたちの生活を4年以上にわたって追った画期的ドキュメンタリー。それは人々が精霊たちと密接に暮らしていた時代の、近いうちに消滅してしまう文化の記録でもある。

作品紹介ページ(第18回東京フィルメックス 公式ホームページより)
http://filmex.net/2017/program/competition/fc07



〈第18回東京フィルメックス〉
■期間
2017年11月18日(土)〜11月26日(日)(全9日間)

■会場
A)
11月18日(土)~11月26日(日)
有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ 日劇にて

B)
11月18日(土)~11月26日(日)
 有楽町朝日ホール他にて

■一般お問合せ先
ハローダイヤル 03-5777-8600 (8:00-22:00)
※10月6日(金)以降、利用可

■共催企画
・Talents Tokyo 2017(会場:有楽町朝日スクエア)
・映画の時間プラス(期間:11/23、11/26/会場:東京国立近代美術館フィルムセンター)

■公式サイト
http://www.filmex.net/

******************

【執筆者プロフィール】

岡村 亜紀子:Akiko Okamura

某レンタル店の深夜帯スタッフ。

******************

2017年11月3日金曜日

第30回東京国際映画祭〜映画『ライフ・アンド・ナッシング・モア』評text岡村 亜紀子

「人生の契機」 


 主人公アンドリューの顔は、そのほとんどにおいて表情に乏しい。しかし彼の顔は、シーンと共に雄弁に彼の心情を語り、またある時は感情を隠し、不穏な空気を感じさせる。

 あるアフリカ系アメリカ人の家庭の物語だ。家族はヒップの大きいシングルマザーの母、14歳の息子アンドリューと3歳の小さな妹で構成され、アンドリューの父は服役中である。
 法保護観察中でありながら軽犯罪を犯したアンドリューは、義務であるカウンセリングを受けていないと検察から追求を受ける。そうした彼の姿勢について「知っていましたか?」と問われた母親は、責任を逃れるように「わたしには行っていると言っていた」と答え、彼に対する諦めとも取れるような怒りを表す。
 アンドリューは母が仕事(レストランでのパートタイムジョブ)から帰るまでの間に、妹の食事や風呂の面倒をみて、洗濯をし、妹に絵本を読んでやる。しかし帰宅した母親は、台所を見て、「なんでこんなに洗い物をためたの? 友達でも呼んでパーティーでもやった?」と怒る。アンドリューは小さな声で、「していないと」答えるもイライラとタバコに火をつけた母親は、洗い物をするアンドリューに対してなおも食いつきそうな空気をまとって威圧するかのようだ。
 彼はいつも母に対して気弱であるのに対し、母親はいらだちと怒りを彼にぶつけすぎている。しかし彼女は彼をないがしろにするわけではない。彼がこのままではいつか死ぬような目にあわないか案じ、ストリートから離そうとしているんだと、大人は言う。母と子に欠けているのはコミュニケーションなのである。

 彼にはアドバイスをする黒人の大人が周りにいる。むかし悪さをしていたブラザーは、警察に取り締まりを受けたエピソードをジョークを交えて語った上で、「なんでもいいから好きな事を一生懸命やるんだ」とさとす。一方スクールカウンセラーは、「放っておけばお前は犯罪者になる」と言う。
 染まり易く、多感な10代の少年にとって、彼の置かれた環境は厳しい。ランチタイムに学校で同級生たちがにぎやかに食事をする場面で、林檎をもくもくとかじる彼の姿に、逃げ場のなさを思う。

『ライフ・アンド・ナッシング・モア』

 登場人物の多くが黒人の本作で、彼に向けられる言葉は厳しい家庭環境の黒人の少年がいかに道を踏み外しやすく、危ういかを示している。母のいらだちを受けているアンドリューが、妹がナイフを手にした時に、危ないからと咄嗟にぶってしまうのも、後に彼がナイフを手にし、それを身につけ、結果としてより一層厳しい立場に立つ事になってしまったことも彼だけの責任とは言えないだろう。

 母親の「わたしはそばにいる。けれど生きるのはあなたよ」という言葉も、アンドリューには厳しく突き放されたようにしか聞こえないのかもしれない。彼女は朝と夜、パートタイムで働きながら二人の子供を養っている。仕事が長続きしないらしく安定した暮らしではない。それがいかに不安で大変な事か、そして彼女が働く為には幼い娘の面倒をみる息子の存在が必須だった。母という柱が折れても、息子の存在がなくても立ち行かぬ暮らしの中に母の恋人が入って来て、あることをきっかけに恋人とアンドリューが対立する。母親は息子を恋人から守るが、その時それが彼の救いにはならない。

 彼にはもっと他に、救いの手が必要だったのだろうか? ところで、本作では祈りの場面があり、神の慈悲によって物語がふと好転しそうな、アンドリューと偶然居合わせた白人の男性から救いの手が差差し伸べられるか? と一瞬思わせる場面があるのだが、その人物がきっかけで彼は窮地に陥ることとなる。
 アンドリューが刃を人に向けた行いの結果に、温情が与えられる事はなかった。彼がまだ14歳の少年でもあるに関わらず、その心情は理解や容赦を受けずに、母親の懸命の努力のかいなく、彼の行いは結果として人に刃を向けた事実のみによって、家族にとって厳しい結論がくだされる。しかしその事実が、彼らが現実と向き合い、お互いと向き合うコミュニケーションのきっかけとなっていく。

 本作でキャメラが人物の顔をクローズアップする時、改めて彼ら個々の存在が観客に刻まれるような心地がし、彼らを形成するマインドが感じられた。生活感に満ちた映像と、アンドリューだけではなく彼の家族が置かれた厳しい現実をそのままに紡ぐリアリスティックな物語において印象的に映った。それは、映された顔を通して感じるヒューマンマインドが、状況を変化しうる唯一の可能性であるからであろう。

 ラストシーン、アンドリューが見詰める先にいる観客に背を向けた人物の姿。わたしはその人物の顔をみることが出来ない。しかし、アンドリューの表情の変化に一寸の光を感じる。

(text:岡村亜紀子)


「ライフ・アンド・ナッシング・モア」
原題:Life and Nothing More 113分/カラー/英語/ 2017年/スペイン・アメリカ

監督:アントニオ・メンデス・エスパルサ

作品紹介ページ:http://2017.tiff-jp.net/ja/lineup/works.php?id=121

第30回東京国際映画祭

期間:2017年10月25日(水)〜11月3日(金・祝)
会場:六本木ヒルズ、EX-THEATER六本木(港区)他都市内の各劇場及び施設・ホール
公式ホームページ:http://2017.tiff-jp.net/ja/

*****************

【執筆者プロフィール】

 岡村亜紀子:Akiko Okamura

1980年生まれの、レンタル店店員。勤務時間は主に深夜。

*****************







2017年6月16日金曜日

映画『ハロルドとリリアン ハリウッド・ラブストーリー』評text岡村 亜紀子

「ふたりということ」


 近年カップルを捉えたドキュメンタリーが多く製作されていて、いずれもそれほど著名人ではないカップルが出演している。ドキュメンタリーというミニシアター系に分類されると考えられるジャンルにおいて、ミニシアター系作品の一部の傾向――人々の生活や身近な内容または実験的な作品が多い――から、出演者が著名でないということはごく自然な流れなのかもしれない。その中でもカップルを題材にした作品は、よりミニマムでパーソナルな世界を映している。
 公開中の『ハロルドとリリアン ハリウッド・ラブストーリー』は、どこかその趣を異にしているように思われる。

 絵コンテ作家ハロルド・マイケルソンと、名リサーチャーであるリリアン・マイケルソンの夫婦は、1960年代以降のハリウッド映画を支えた“パワーカップル”だ。しかし彼らが関わった多くの映画には、製作に多大な貢献をしたにも関わらず、その名がクレジットされていない。映画界の誰もが知っていながら、(世間の)誰も語らず、しかし誰もが彼らに仕事を頼みたがる……という興味深い人生が、時間を遡りながら近年の映像とアニメーションを交えて映されていく。
 ハロルドの絵コンテを想起させるアニメーションは、パトリック・メート(*1)によって製作されており、監督のダニエル・レイムは「映画を通じてリリアンや関係者が語る話と資料が物語る歴史に、私が脚本で伝えたかった想いが新たな「絵コンテ」として作品に加わりました」と語っている(*2)が、脚本を読み込んで描いたハロルドの絵コンテが映画の伝説のショットとなったように、そのアニメーションはただ可愛らしく楽しいだけでなく、ふたりの人生を豊かな映像としてわたしたちに届けている。
 監督は作中のアニメーションについて「多くの人が満足するドキュメンタリーを作るためには、時に、自分の解釈を物語に入れる必要があると思いました。それは、もしかしたら絵描きがポートレイトを描く時、絵描きの目の前にいる実際の姿以上に自分が被写体に込める想いも付け加えてしまうというクリシェと近いと思っています。」(*3)と語っている。ドキュメンタリーである中にかすかに香る物語性……。そう、本作にはすこしつかみどころがないチャーミングさがある。ふたりの半生であり、彼らに関わった誰かの人生であり、観客もふたりが関わった映画を通して彼らに触れているとも言え、ミニマムでマキシマムな世界が描かれている。

 ハロルドとリリアンのカップルがどのようにハリウッドで映画に携わり、一体どんな夫婦だったのか、互いに与えた影響――どんなふたりだったかを映画は丁寧に伝えていく。
 ハロルドが撮影前に描いたコンテを見て実際のシーンを見ると、コンテがそのまま再現されたかのような映像に驚かされる。一瞬の「画」ではなくキャメラの移動に関する部分までもコンテには描かれており、それがそのまま採用された作品(『卒業』)や、アイディアマンとして美術的な側面に影響を与えたりもしている(『スタートレック』)。中でも驚いたのは『大統領の堕ちた日』という作品で、ビルから堕ちる大統領が巨大な星条旗を引き裂きながら堕ちていく絵コンテである。そしてその撮影困難に思われるコンテを再現したシーンは迫力に満ち、示唆的なものになっている。イマジネーションだけでなく実際に撮影することを考えられたコンテを描くこと――それがハロルドの凄さだと関係者は語る。

 本作は一見、後日談的に思われる内容ながら、決して懐古性に満ちた作品ではない。
 インタビューを中心にハロルドとリリアンのふたりの人生を追いかけていく本作の根幹をなすのは、「事実」というより「記憶」という一見不確かにも思えるものだ。相互的なものではなく、各個人の視点へアプローチしながら、彼らに触れていく。それはふたりを通して、彼らに関わった人々へ触れていくことでもあるのだろう。そこにあるのは決定的な真実というよりも、もっと柔らかく、あいまいなものであり、その感触はなにか捉えどころがないようにも思えるのだが、ふと人間がなにかを知ること、なにかに出会うことの感触に似ていると思う。その感触をそのまま写し取ったかのようにも感じられる本作を通して、ハロルドとリリアンに、わたしたちは普段誰かに出会う時のようにして映画を通して出会う。
 そして彼らふたりの物語――その生い立ち、出会いから夫婦となるまで、ふたりで切り開いて来た半生、彼らが困難に出会いながらも前に進み続け成し遂げたことがら、そして現在――が、逸話であることは間違いないのだが、心に刻み込まれるのは、特別な才能を持ったカップルという印象よりも、彼らの半生に触れることで感じる幸福感とも呼ぶべきもの、である。観客それぞれの響くところに響いていく……、そんな物語は、どこかふたりが人生を捧げた映画に似ている。出演者であるリリアンが徐々にヒロイン性を帯びていく様子もまた、映画的である。

 ハロルドを仕事の上でも家庭でも支えたリリアンは、リサーチャーであり、妻であり、母であった。中盤からは彼女のインタビューが増え、映画で描かれた半生に対する彼女自身の告白や当時の感情が語られる様子を見ることが出来る。次第に映画の中で、リリアンの物語が立ち上がっていく。
 作中、リリアンが「フィクションである映画の物語の背景にリアリティーを込めたかった」というようなセリフがあった。養護施設で育ち、本の世界に没頭していた幼少期に、施設を脱走しようとしてうまくいかなかった経験を、リリアンは「本の世界と違って現実はあまくなかった」と言う。現実とフィクションの境目を理解しながらも、彼女は本を愛し続けたことが、育児中のあいまに本を読むことで救われていたというエピソードからわかる。ハロルドを通して、映画の世界で働き始めた彼女は「ウソが真実になる」と映画を評していた。その為に、彼女は尽力し続けたのである。
「わたしの生い立ちでは、戦い(fight)し続けるしかなかった」と語る彼女はとてもチャーミングに柔らかい表情で、時にキラリと瞳を光らせて、その半生を振り返る。「わたしたちはふたりでひとつ(team)だった」と、ハロルドとの関係を語る。自分の人生を。こんな幸せなことあるかしら、と。

 映画の都ハリウッドの黄金期、あるカップルがいた。
 彼らの「仕事」と同様に、そして映画の物語のように、その人生も様々なドラマに満ちていたこと、そしてごく普通に幸せだったこと。その2つを同時に見せてくれる本作は、映画の魔法に満ちた希有なドキュメンタリーかもしれない。そしてふたりと同じように、監督や出演者、メインスタッフ以外の、映画に携わる多くの人々の存在もまた、感じられるのである。
「ハリウッド映画業界は殺伐とした雰囲気だ」と語る関係者のインタビューでは、ハロルドが後進を育てる為に、後年ドリームワークスで自分の技術をおしみなく教えたことを伝えていた。ドリームワークスのヒット作『シュレック』シリーズでヒロイン・フィオナ姫の両親(国王と王妃)の名はハロルドとリリアンである。暖かみを感じられずにはいられないエピソードである。
 また、ハロルドが多大な影響を受けたというヒッチコック監督の代表作『鳥』のDVDを本作観賞後に見たところ、特典映像としておさめられたスタッフインタビューの中にハロルドのインタビューが収録されていたのである。なんだか知人のおじさんに出会ったみたいに少し興奮してしまった。
 本作を観ると、ふたりの関わった多くの名作が紹介されていて、改めて見たいと感じたり、本作をきっかけに未見の作品を見てみようと思うきっかけとなるだろう。それはハロルド&リリアンへの敬意に満ちた本作と、観客のこころが通い合うときかもしれない。

*1 パトリック・メート
ドリームワークス・アニメーションとソニー・ピクチャーズアニメーションでシニア・アニメーション・アーティストを務める

*2、*3 参照元:プレス資料

(text:岡村亜紀子)



『ハロルドとリリアン ハリウッド・ラブストーリー』
2015年/94分/アメリカ

作品解説
映画『十戒』でモーゼが海を割り奇跡を起こす名シーン、ヒッチコックの『鳥』で逃げ惑う人々を鳥たちが襲うシーン、青春映画『卒業』でミセス・ロビンソンが自宅に呼びベンジャミンを誘惑するあのシーン……。ハリウッド全盛期に誕生した数多くの名シーンのもとにはハロルドの絵コンテとリリアンの映画リサーチがあった。
映画をこよなく愛し、ハリウッドの巨匠たちからも愛された絵コンテ作家ハロルドと、映画リサーチャーのリリアン。愛と情熱だけでなく、創造性とアイディアを分かち合った知られざる夫婦の心温まる感動的なドキュメンタリー。

出演
ハロルド・マイケルソン
リリアン・マイケルソン
アルフレッド・ヒッチコック
フランシス・フォード・コッポラ
メル・ブルックス
ダニー・デヴィート ほか

スタッフ
監督/脚本:ダニエル・レイム
プロデューサー・編集:ダニエル・レイム/ジェニファー・レイム
エグゼクティブ・プロデューサー:ダニー・デヴィート
アニメーション:パトリック・メート
撮影:バティステ・フェンウィック/ダニエル・レイム
音楽:デイブ・レボルト

配給
ココロヲ・動かす・映画社○

劇場情報
YEBISU GARDEN CINEMAにて公開中

公式ホームページ
http://www.harold-lillian.com/

*******************************

【執筆者プロフィール】

岡村 亜紀子:Akiko Okamura

1980年生まれの、レンタル店店員。勤務時間は主に深夜。
このごろ通勤中に読書をするようにしています。
最近のヒットは『鳥の巣』(シャーリイ・ジャクスン著)。
知られざる傑作、埋もれた異色作をジャンル問わず、本邦初訳作品を中心に紹介するというシリーズ(ドーキー・アーカイヴ/国書刊行会)の一冊だったようです。
今後のラインナップも楽しみです。

*******************************

2017年2月2日木曜日

映画『The NET 網に囚われた男』評text岡村 亜紀子

「体感という映画に張られた網」


 物語は北朝鮮のある朝から始まる。簡素な自宅で漁師である男とその妻と娘が迎えた日常的な風景のはずだった。しかし漁にでかけた男は、船のエンジンが故障し禁止区域へと流されてしまう。監視員から逃亡を疑われて射殺されそうになるものの、故障を訴える様子に監視員も引き金を引くのをためらいそのまま韓国へと流される。「南」で身に覚えのないスパイ容疑をかけられ監視対象として囚われ、容赦のない取り調べを受ける男。そして街中に放たれた男は、何も見ないように自ら目をふさぐ。故国に帰れないことを恐れて……。

 この作品を観る以前に、昨年秋に開催された第29回東京国際映画祭で『ヘヴン・ウィル・ウェイト』(監督:マリー=カスティーユ・マンシオン=シャール、2016年、フランス)を観て感じた、今作と似たようでいてこうして文字にしてみるとやや異なる感触についてもすこし触れたい。『ヘヴン・ウィル・ウェイト』では、ある少女がSNSを通じて知り合ったムスリムの男性との恋愛感情を絡めたやりとりによってイスラム過激主義に心酔していく。彼女は次第に男によって行動を制限されていき、ついには自らの意志でイスラム国側へと足を踏み入れそうになるまでが描かれていく。観た時に感じた衝撃は「映画が現実に迫っている」感覚であり、それは映画として観客へ届けられるまでの速度でもあった。
 事態そのものに警鐘を鳴らすという視座としてよりも、事態に迫っていくようにして……少女の母親、過激分子として逮捕され自宅で監視される別の少女、イスラム国へ憧れる少年少女の家族と彼らに対するセラピストなど……様々な視点から物語は紡がれていた。現実の事態に追いつけない五里霧中の中にいる人々からの認識を主軸として、その向こう側(SNSや電話に出る勧誘者の側)の世界からの視点を描かない点に、物語の登場人物同様、怖さや不安を覚えた。

 そして『The NET 網に囚われた男』(以下、『The NET』)では、主人公を北朝鮮(北)の男にし、彼に北と韓国(南)を行き来させる。物語は北と南を移動しながら双方に位置する登場人物たちの姿を描いていく。主人公の男は南でも北でも取り調べられ手荒く扱われる場面がある。この物語は北と南の人物が彼らの視点を通して描かれているが、最終的にはどちらの立場にも立っていない。韓国映画では、北と南を描いた作品がいくつもある。時にその物語の登場人物がスパイや警察や史実に基づいたものであることは、韓国の観客が映画として物語と距離を保って観ることが出来るとしても、やはり繊細な背景となるのではないだろうか。センシティブやセンセーショナルな題材(それは多くの観客にとって想像と感性で補完することを必要とする題材、でもあるかもしれない)は時に色物扱いをも受けるし、それが史実手前の現状を描いているときには、現状に対する認識のたよりなさゆえか、観客との温度差ーー事実ではなく架空の出来事として物語を追いかけてしまうような意識ーーをどこか生じさせるように思う。登場人物たちの感情や表情がなにかを示唆したり、その行動が物語の舵を変えるような時に、それが演出されたものであり、物語にある筋書きであることによって、受け止める側のわたしの意識に戸惑いや距離が生まれるのである。

© 2016 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved.

 戸惑いや距離感という意味での温度差に、『The NET』では物語の主人公が身を差し出している。彼は南へ流れ着き、右も左もわからず、見たこともない光景を見せられ、捜査官から向けられる憎しみ、通りがかりの女との邂逅から生まれたなごやかなひととき、結果として彼が窮地に陥ることとなったある捜査官からの温情……といった彼が出会うあらゆるものは、すべて彼の感じる温度差を通過して初めてその身体に蓄えられていく。映画を観る観客が物語から感情をもたらされるようにして、見聞きしたことに対して彼の感情が現れる様子は、おそるおそる戸惑いながらを繰り返し、迷路の中で絶えず出口を探しているような緊張を伴っていた。『The NET』が迎えた衝撃的な結末は、もうすこし時間が、彼の意識下の堆積した温度差を意識的に更新する自由があったなら、舵を変えたかもしれない。時間は変化する現実に即するときに必要なものであると思う。それが否応無く与えられない筋に、いつしかわたしは物語から現実を想起するというより、自身の持つ感覚によって現実に呼び覚まされていく。ループするように、物語のなかにあるその姿に、観客であるわたし自身が重なり、どこにも立てなくなった主人公の姿に観客であるわたしが重なることに衝撃を得たように思う。

 前述した『ヘヴン・ウィル・ウェイト』と異なるのは、客観的に捕えた物語の持つ衝撃がカウンターパンチのようにガツンと来たのに対して、『The NET』では物語の主人公が感じる主観によってじわじわと……というよりもいつのまにか、わたしにわたしの現実そのものが接近するような感覚が現象として起きていた点にある。いずれもそれは体感ともいうべきものであり、似たようでありながらすこし異なる感触とは同じところから来ていたのかと思う。
 2つの物語は警鐘を与える内容であるとともに、現実に在る警鐘を意識させる。ショッキングな物語を多く描いて来たキム・ギドク監督が、映画ならではの「体感」の手法を用いたことは温故知新ともとれるが、2つの作品が持つどこか観客に寄り添うようなありように、ギドク監督の、そして映画の、新たな在り方が予感される。

(text:岡村亜紀子)



『The NET 網に囚われた男』
2016年/112分/韓国

作品解説
北朝鮮の漁師ナム・チョルは、いつものようにモーターボートで漁に出るが、魚網がエンジンに絡まりボートが故障。意に反して韓国に流されてしまう。韓国の警察に拘束されたチョルは、身に覚えのないスパイ容疑で、情け容赦ない取り調べを受ける。加えて、ひたすら妻子の元に帰りたい一心の彼に、執拗に持ちかけられる韓国への亡命。しかも、ようやく北に戻された彼を待ち受けていたのは、より苛酷な運命だった。第17回東京フィルメックスオープニング作品。

キャスト
ナム・チョル:リュ・スンボム
オ・ジヌ:イ・ウォングン
取り調べ官:キム・ヨンミン
室長:チェ・グィファ
チョルの妻:イ・ウヌ

スタッフ
監督/脚本/撮影/製作:キム・ギドク
照明:チョン・ヨンサム
美術:アン・ジヘ
編集:パク・ミンソン
録音:チョン・ヨンギ
衣装:イ・ジンスク
音楽:パク・ヨンミン

配給
クレストインターナショナル

公式ホームページ
http://www.thenet-ami.com/

劇場情報
2017年1月7日(土)よりシネマカリテほか、全国順次ロードショー

*******************************

【執筆者プロフィール】

岡村 亜紀子:Akiko Okamura

1980年生まれの、レンタル店店員。勤務時間は主に深夜。

*******************************

2016年12月14日水曜日

アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016 アンコール!



<2016アピチャッポン・イヤー>を締めくくる、アピチャッポン・ウィーラセタクンの特集上映がアンコール開催!

その名も「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016 アンコール!」

(2016年12月17日よりシアター・イメージフォーラムにて開催されます)

**********************

<2016アピチャッポン・イヤー>のラストを飾る特集上映。

『ブンミおじさんの森』(2010)で2010年カンヌ国際映画祭・パルムドール(最高賞)に輝いたタイの天才監督にして美術作家でもあるアピチャッポン・ウィーラセタクン。今年は1月に幻の傑作『世紀の光』(2006)初公開と特集上映<アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016>が開催され、3月には最新作『光りの墓』(2015)の公開、また、各地での展覧会やワークショップや「さいたまトリエンナーレ2016」への参加、きたる12月13日からは東京都写真美術館での個展スタートと、映画に美術にまさに<アピチャッポン・イヤー>。そしてそのラストを飾るのが本特集上映<アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016アンコール!>です。


全長編作と貴重な共同監督作や関連作も上映し、さらに多面的に。

今回は、これまでの全劇場長編作とともに、単独監督作とはまったく違う異色の共同監督作であるモンド西部劇ミュージカルコメディ『アイアン・プッシーの大冒険』(2003)を上映。さらに関連作として、アピチャッポンの故郷でありその映画の主な舞台であるタイ東北部イサーン地方を描いたタイ映画史に輝く名作『トーンパーン』(1976)、『東北タイの子』(1982)も上映。全9作を上映し、より多面的により深く、アピチャッポンの映画世界に触れることができます。



アピチャッポン監督も来場。何回見ても発見がある作品群をぜひスクリーンで。

また、開催期間中には監督本人が来場し、舞台挨拶やQ&Aも予定。上映作品を網羅したパンフレットも販売される。映画館の闇は、アピチャッポンが繰り返し描くタイ東北部イサーン地方の森へとつながるタイムマシーン。闇の中に身を沈め、ふと目を覚ませばアピチャッポンと森を彷徨っている、そんなスリリングな体験を映画館でぜひ!

12/13からは東京都写真美術館の個展。12/17からは本特集上映。美術を見てから映画を見るか、映画を見てから美術を見るか。<2016年アピチャッポン・イヤー>のラストにふさわしくたっぷりとお楽しみください。

**********************


上映作品解説


**********************

①『真昼の不思議な物体』 

原題:Mysterious Object at Noon

2000年|タイ|83分|モノクロ|35mm

山形国際ドキュメンタリー映画祭インターナショナル・コンペティション 最優秀&NETPAC特別賞受賞/全州国際映画祭グランプリ受賞


©Kick the Machine Films  提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭


タイ東北部の村で行商人の女性が、撮影クルーに促され、一つの架空の物語を語り始める。その続きを象使いの少年たち、伝統演劇の劇団員たちなど、様々な人々がリレー形式で即興的に語り継ぎ、物語は二転、三転しながら思わぬ方向に進んでいく。驚くほどの自由なイマジネーションと同時に緻密に考えられた構成で、世界を仰天させた記念すべき長編初監督作品。

提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭 
協力:一般社団法人コミュニティシネマセンター


奥平 詩野
映画『真昼の不思議な物体』評 

今泉 健
映画『真昼の不思議な物体』評 

井河澤 智子
映画『真昼の不思議な物体』評

長谷部 友子
映画『真昼の不思議な物体』評 

髙橋 雄太
映画『真昼の不思議な物体』評


**********************

②『ブリスフリー・ユアーズ』 

原題:Blissfully Yours

2002年|タイ|125分|カラー|35mm

カンヌ国際映画祭ある視点賞/東京フィルメックス映画祭最優秀作品賞/テサロニキ映画祭グランプリ/ブエノスアイレス国際インディペンデント映画祭監督賞&国際批評家連盟賞ほか

©Kick the Machine Films  提供:Kick the Machine Films

ミャンマーからやって来た不法労働者のミン、そのガールフレンドの若い女性ルン、ミンを何かと気づかう中年女性オーン。ミンとルンとは森の中をさまよいながらひと時を一緒に過ごす、偶然同じ時に不倫相手と森に入ったオーンは姿を消した相手の男を探すうちにミンとルンと遭遇する。ジャン・ルノワール監督の不朽の名作『ピクニック』にもたとえられた至福の映画。

提供:Kick the Machine Films 
協力:一般社団法人コミュニティシネマセンター


高橋 秀弘
映画『ブリスフリー・ユアーズ』評

井河澤 智子
映画『ブリスフリー・ユアーズ』評 

大久保 渉
映画『ブリスフリー・ユアーズ』評 

岡村 亜紀子
映画『ブリスフリー・ユアーズ』評 


**********************

③ 『アイアン・プッシーの大冒険』

原題:The Adventure of Iron Pussy

2003年|タイ|90分|カラー|デジタル

監督:マイケル・シャオワナーサイ、アピチャッポン・ウィーラセタクン


©Kick the Machine Films  提供:GMM GRAMMY Public Company Limited

フィラデルフィア生まれのタイ人現代美術アーティスト、マイケル・シャオワナーサイとの共同監督作。シャオワナーサイ扮する女装のスパイ“アイアン・プッシー”は、怪しい富豪の屋敷にメイドとして潜入。大騒動をまきおこす。他のアピチャッポン作とは全く違う、ツッコミどころ満載の“モンド西部劇ミュージカルコメディ”。自身は、ビデオアート・プロジェクトの一つと位置づけ、要所要所のショットにアピチャッポンらしさを発見するのも楽しい。

提供:GMM GRAMMY Public Company Limited
協力:boid

**********************

④『トロピカル・マラディ』 

原題:Tropical Malady

2004年|タイ、フランス、イタリア、ドイツ|118分|カラー|35mm

カンヌ国際映画祭審査員賞/東京フィルメックス映画祭最優秀作品賞/サンパウロ国際映画祭批評家賞/カイエ・デュ・シネマ2004年ベスト1ほか


©Kick the Machine Films  提供:Tamasa Distribution

愛し合う二人の青年の日常がみずみずしく描かれる前半から、一転、不穏な空気に包まれる後半。冒頭には日本の作家、中島敦の「山月記」の一節が引用され、アピチャッポン作品を貫く重要な要素の一つである“変容”が最も顕著に表現されている。観客に森の中に迷い込んだかのような感覚を与える撮影と音響は圧巻。カイエ誌ベスト1にも輝いた傑作。

提供:Tamasa Distribution 
協力:一般社団法人コミュニティシネマセンター

長谷部 友子
映画『トロピカル・マラディ』評

**********************

⑤『世紀の光』 

原題:Syndromes and a Century

2006年|タイ、フランス、オーストリア|105分|カラー|DCP

ヴェネチア国際映画祭公式出品/ドーヴィル・アジア映画祭グランプリ/フリブール国際映画祭スペシャル・メンションほか


©Kick the Machine Films  提供・配給:ムヴィオラ

今年日本で初公開された、ファンの間で特に人気が高い作品。映画は2つのパートに分かれ、前半は地方の緑豊かな病院、後半は近代的な白い病院が舞台となる。登場人物の多くも重なり、医師の恋の芽生えなどのエピソードは2つのパートで反復され、夢見ているような奇妙な感覚に誘われる。撮影中に多くのスタッフが恋に落ちたというエピソードを持つ、“微笑み”と“驚き”の傑作。

提供・配給:ムヴィオラ


**********************

⑥『ブンミおじさんの森』 

原題:Uncle Boonmee Who Can Recall His Past Lives

2010年|イギリス、タイ、ドイツ、フランス、スペイン|114分|カラー|35mm

カンヌ国際映画祭パルムドール/アジア・フィルム・アワード最優秀作品賞/カイエ・デュ・シネマ2010年ベスト1ほか

©Kick the Machine Films  提供:シネマライズ 配給:ムヴィオラ

腎臓の病に冒され、死を間近にしたブンミは、妻の妹ジェンをタイ東北部の自分の農園に呼び寄せる。そこに19年前に亡くなった妻が現れ、数年前に行方不明になった息子も姿を変えて現れる。やがて、ブンミは愛するものたちとともに森に入っていく。美しく斬新なイマジネーションで世界に驚きを与えた、カンヌ国際映画祭パルムドール(最高賞)受賞作。

提供:シネマライズ 配給:ムヴィオラ



**********************

⑦『光りの墓』 

原題:Cemetery of Splendour

2015年|タイ、イギリス、フランス、ドイツ、マレーシア|122分|カラー|DCP

カンヌ国際映画祭<ある視点>部門出品/アジア太平洋映画賞最優秀作品賞/国際シネフィル協会賞最優秀未公開映画賞ほか


© Kick The Machine Films / Illuminations Films (Past Lives) / 
Anna Sanders Films / Geißendörfer Film-und Fernsehproduktion /
Match Factory Productions / Astro Shaw (2015) 

提供・配給:ムヴィオラ


タイ東北部。かつて学校だった仮設病院。原因不明の“眠り病”にかかった兵士たち。ある日、病院を訪れたジェンは、前世や過去の記憶を見る力を持った若い女性と知り合い、その病院の場所が、はるか昔に王の墓であったと知り、兵士たちの眠り病に関係があると気づく。映画作家としてのさらなる進化を感じさせ、またタイの政治状況に対する想いも込められた傑作。

提供・配給:ムヴィオラ


長谷部 友子(寄稿・neoneoWEB)
映画『光りの墓』評

**********************

関連上映作品


アピチャッポン映画にとって、その故郷タイ東北部イサーン地方は特権的な場所。かつてカンボジアとラオスという異なる帝国から成り立ち、バンコクとは全く違う文化を持っていたイサーン。貧しい地域であり、60〜70年代にはその森に共産主義が逃げ込み、共産主義者狩りの舞台ともなった場所。
アピチャッポンの土地の記憶を掘り下げる為に、ぜひとも見ておきたいタイ映画史の名作2本が上映されます。


**********************

⑧『トーンパーン』

原題:Tongpan

1976年|タイ|63分|モノクロ|デジタル

監督:スラチャイ・ジャンティマートン、パイジョン・ライサグン、ユッタナー・ムクダーサニット


© The Isan Film Group  提供:Multimedia Thailand


75年に実際にあったダム建設問題をドラマ化したドキュ・ドラマ的な白黒16mm作品。ダム建設で土地を失った農夫のトーンパーンは妻と2人の息子を抱え、ムエタイの試合に出たり、サムロー(人力三輪車)の運転手をして何とか暮らしていたが……。民主化運動が高まった当時、共産主義者が逃げ込んだイサーンが舞台なので、政府により上映が禁止になったという問題作だが、イサーン農民の貧しさ、町の風俗などのリアルで詩情ある描写は必見。後年、『メナムの残照』などを残した巨匠ユッタナー・ムクダーサニットの貴重な初期作でもある。

提供:Multimedia Thailand 
協力:boid

**********************

⑨『東北タイの子』

原題:A Son of the Northeast

1982年|タイ|130分|デジタル

監督:ウィチット・クナーウット 原作:カムプーン・ブンタウィー


© Five Star Production Co., Ltd.  提供:Five Star Production

東北タイに生まれ、行商人、日雇い労働、刑務所の獄吏など様々な職を経て作家となり、晩年は国民的作家となったカムプーン・ブンタウィーの同名小説の映画化。当時タイで大ヒットし、映画賞も独占した。干上がった地で貧しく暮らすイサーン農民が、遠く離れた川まで魚を獲りに牛車のキャラバンで旅に出る姿を描く。見所は何と言ってもイサーンの知られざる生活風景、日本の伝承話にも通じる大らかな性の描写も素晴らしい。83年にマニラ映画祭で審査員だった大島渚が絶賛したのも納得の傑作。

提供:Five Star Production 
協力:boid

**********************




アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016アンコール!

開催日程
2016年12月17日(土)~1月13日(金)<4週間>

会場
シアター・イメージフォーラム 
(東京都渋谷区渋谷2-10-2)

上映作品
『真昼の不思議な物体』『ブリスフリー・ユアーズ』『アイアン・プッシーの大冒険』
『トロピカル・マラディ』『世紀の光』『ブンミおじさんの森』『光りの墓』(以上アピチャッポン監督作)

関連上映
『トーンパーン』(ユッタナー・ムクダーサニットほか監督)、『東北タイの子』(ウィチット・クナーウット監督)

公式ホームページ
http://www.moviola.jp/api2016/woods2/index.html

監督トークイベント
12月19日(月)15:30の回『光りの墓』上映後&18:30の回『世紀の光』上映前
*トークの日時はやむを得ぬ事情により変更となる場合があります。

配給
ムヴィオラ:http://www.moviola.jp

**********************

【ことばの映画館の批評家による<アピチャッポン監督作品>映画評一覧】


井河澤 智子
映画『ブリスフリー・ユアーズ』評 
映画『真昼の不思議な物体』評 

今泉 健
映画『真昼の不思議な物体』評 

大久保 渉
映画『ブリスフリー・ユアーズ』評 

岡村 亜紀子
映画『ブリスフリー・ユアーズ』評 

奥平 詩野
映画『真昼の不思議な物体』評 

佐藤 奈緒子
映画『世紀の光』評 、
映画『ブリスフリー・ユアーズ』評

高橋 秀弘
映画『ブリスフリー・ユアーズ』評

高橋 雄太
映画『世紀の光』評 
映画『ブリスフリー・ユアーズ』評 
映画『ブンミおじさんの森』評
映画 アートプログラム<中・短編集>評
映画『真昼の不思議な物体』評

長谷部 友子
映画『トロピカル・マラディ』評
アートプログラム『国歌』評 
映画『真昼の不思議な物体』評 
映画『世紀の光』評 
映画『ブンミおじさんの森』評
映画『ブリスフリー・ユアーズ』評

**********************

【寄稿・ドキュメンタリーマガジンneoneo・ウェブサイト「neoneo web」】

長谷部 友子
「あなたに起きていてほしい」-アピチャッポン・ウィーラセタクン監督『光りの墓』

**********************

2016年11月2日水曜日

第29回東京国際映画祭〜映画『あなた自身とあなたのこと』評text岡村 亜紀子

「初めての意味」


「こんなこと初めて」。
映画のヒロインを演じるイ・ユヨンがそう、つぶやく。初めてのこと、それは新鮮であると共に、未知数ゆえ、少し怖いことなのかも知れない。しかし、それにある言葉が加わると“初めて”はきらめく。
「こんなこと“今までで”初めて」。
きらめいているのはヒロインの感動だ。しかし、この“初めて”と“今までに”について、もう少し考えてみる余地がありそうなのが、ホン・サンス監督の最新作『あなた自身とあなたのこと』なのである。その理由に触れるために、まずはヒロインとその周囲の男たちについて触れる必要がある。

 舞台はソウル・延南洞(ヨンナムドン)。田舎でもなく、オフィス街でもなく、そこはかとなく文化の香りが漂う街が映し出される(延南洞はアパートの多いソウルの風景とは違ってこじんまりとした一軒家の多い住宅街である。そして最近観光地として注目されているらしい)。
 冒頭のアトリエのシーンでは、ほとんどシャドウのない、淡いクリーム色を基調としたコンテクストに、鮮やかな絵筆などの色彩が配されている。そんなスクリーンに映される画自体が、点描で描かれた絵画のようでもある。ヨンス(キム・ジュヒョク)とその友人の服装はコンテクストに基調を同じくして、まるでその一部のように人物すら殆どとけこんでいる。

 ヨンスが恋人(イ・ユヨン)との結婚の可能性を語ると、友人は驚く。2人が結婚するのは想像できない、彼女はヨンスとの約束を破り隠れて酒を飲んでいる、というのだ。ヨンスは彼女――ミンジョン――に直接聞くという。
 この物語ではいくつかの偶然が、きっかけになって進んでいく。しかしその偶然は人々の人生に日々起こることであり、代替え可能なもの――例えその偶然が起きなくても、他の出来事を通していつしか同じ方向へ進んでいく――として散りばめられている。
 ヒロインを中心に起こっていく、偶然のようでいて起こるべくして起きた出来事の一部だけでなく、他者にも偶然が起きていく。後者は物語の歯車になりながらもいかにも偶然らしい偶然として、ときに笑いを誘ったりしながら、観客に受け入れられる。延南洞の町並みや、冒頭から続いていく人物と風景とのバランスが、少しファンタスティックな本作にとても似合っている。

 カフェで「ミンジョン!」と親しげに声をかけられたヒロインは「人違いではないか?」と言いつつも、相手の男との会話を続ける。そしてミンジョンと自分は一卵性双生児だと告白して、男と別れる。
 シーンはヨンスの部屋に変わり、ミンジョンはTシャツ姿でヨンスの眠るベッドにもぐり込む。しかし、ヨンスと酒のことから口論となって「しばらく距離を置こう。連絡もしないで」というミンジョン。彼女が帰宅するために着替えたのは、あの「ミンジョンと自分は双子だ」といった女性が着ていた服装と同じなのである。
 またある時、彼女は同じカフェで別の男に声をかけられる。しかし、一度目と同じく、人違いだと困惑しながらも男と会話を続ける。今度は双子とは言わず、自分について話しながら。 

(c) 2015 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

 男たちはこぞって彼女を美しいと讃え、彼女も「私って男好きのするタイプみたいなの」と言う。ミンジョンではないという時のイ・ユヨンは好感を持っていることをしぐさに交えてアピールする。その男たちのツボを押すような立ち振るまいに、ミンジョンとの微妙な違いを感じて色々と想像(妄想)をめぐらせてしまった。彼女の行動はアルコールのせいとか、精神障がいのような病気や多重人格なのだろうかと。
 最も簡単なミンジョンが嘘をついているという解答は、半ば意識的に思考回路でかわされ続けていく。それは全てに当てはまるとも取れるし、反対に(特に本作において)定義することが曖昧な事柄だからだ。
 利己性、他者性、利便性……嘘にもいろいろなタイプがあるがだれかは嘘によって利益(?)を得ているはずだ。それに対し、イ・ユヨン演じるヒロインのそれは、嘘というにはあまりにも捨て身なのである。そもそも嘘を定義することは、とてもむつかしいのであるまいか。事実と違っていてもそれを本当だと思っていたら? 自分の内側にある真実を素直に表に出せないときは? それは、嘘ということばでは言い表せない事柄に思われる。 
 
 ミンジョンに間違われた(とする)時の彼女ヒロインは名乗らないので、彼女を「私」と呼ぶことにする。イ・ユヨンが演じているヒロインの本当の姿はミンジョンなのか「私」なのか。それに依って物語の意味さえ変化するだろう。そしてヒロインの色々な姿を見聞きしなながらも、それぞれに現れる彼女の断片は結ばれることのないまま物語は続いていく。
 一方、ヨンスの心情はミンジョンや「私」と違ってダイレクトに示されている。彼のミンジョンに対する感情の揺れは、妄想に形を変えたり、友人たちへの告白だったり(そのシーンの居酒屋の風情は、おしゃれではないけれど韓国らしくて素敵だった)、酒場で出会う女性との会話だったりに表されている。
 反対に、ミンジョンや「私」の感情を、観客は殆ど目にしない。わたしが見たのは、演技や無意識に抑制されコントロールされたそれであって、彼女の他者への気持ちから生まれたものではなく、誰かのために用意されているかに思える。それを嘘や本物という視座で見ることはしないまでも、少なくとも彼女自身には見えないのである。

 そんな感情のバランスが崩れるクライマックスがやってくるのは、「私」にカフェで出会った2人の男が鉢合わせするシーンだ。一瞬の泣き出しそうな表情、そして泣き声の響く路地裏、という短い瞬間にふと彼女自身が現れる。
 そして彼女が「 “今までで”で初めて」と言って目を潤ませるとき。感じる感動は、ヒロインの感動であり彼女が表した感情からわたしの内部に生まれたものである。何を指して、そして誰として、彼女は“今まで”と言って(感じて)いるのだろう。複雑なヒロインが感じた「今までで」×「初めて」は何を意味するのだろうか。経験と感情が合わさって生まれたであろうこのセリフが不思議な余韻をもたらし、そのセリフに感じた光を強く印象づけるのである。

 さて、そんなわたしにも、本作を観たときに「初めて」が起きた。
 この作品を楽しみにしていたミ・ナミさんが偶然に隣の席だったのである。本作は3回上映されるので、もしかしたら今日いるのかな? くらいに思っていたけれど、こんな偶然があるなんて。彼女は、この偶然がホン・サンス作品を観る前に起きたことが、また凄いと言っていた。それは、いうなればしっくりとくる偶然である。
 そして『あなた自信とあなたのこと』終盤のイ・ユヨンの「“今まで”で初めて」というセリフは、本作の中において、そしてきっと“今までの”彼女の人生において、幾人も存在した彼女の姿をひとりの女性として届けてくれる。そして、鑑賞時に起きた偶然とは趣が違うけれど、「今までで」×「初めて」の組み合わせがこんなにしっくりと感じられるのは本作だけかも知れないとわたしに思わせるのである。

イ・ユヨンの魅力にノックダウン度:★★★★★
(text:岡村亜紀子)


(c) 2015 Jeonwonsa Film Co. All Rights Reserved.

『あなた自身とあなたのこと』
原題: 당신 자신과 당신의 것、英題:Yourself and Yours
2016年/韓国/86分

作品解説
舞台はソウル・延南洞(ヨンナムドン)。ある日、画家ヨンス(キム・ジュヒョク)は恋人のミンジョンと痴話喧嘩する。ミンジョン(イ・ユヨン)は去り、翌日ヨンスは彼女を探すがなかなか見つからない。そして彼女そっくりの女性を目撃するが、まるで赤の他人のようで……。ヨンスの頭は混乱していく……。芸術家(くずれ)の男の恋愛話という点では従来のホン・サンス作品と共通するが、本作は不条理なファンタジーの要素が加わっている。

キャスト
ヨンス:キム・ジュヒョク
ミンジョン:イ・ユヨン

スタッフ
監督/脚本 : ホン・サンス
撮影監督 : パク・ホンヨル
編集 : ハム・ソンウォン
音響 : キム・ミル
作曲 : ダルパラン

作品ホームページ
(東京国際映画祭・公式ホームページより)

第29回 東京国際映画祭

29回を迎える東京国際映画祭(以下TIFF)は、1985年からスタートした国際映画製作者連盟公認のアジア最大の長編国際映画祭。アジア映画の最大の拠点である東京で行われ、スタート時は隔年開催だったが1991年より毎年秋に開催される(1994年のみ、平安遷都1200周年を記念して京都市での開催)。

注目の集まる、若手映画監督を支援・育成するための「コンペティション」。国際的な審査委員によってグランプリが選出され、世界各国から毎年多数の作品が応募があり、入賞した後に国際的に活躍するクリエイターたちが続々現れている。
アジア映画の新しい潮流を紹介する「アジアの未来」、日本映画の魅力を特集する「日本映画クラシックス」、日本映画の海外プロモーションを目的とした「Japan Now」、「日本映画スプラッシュ」。本年は日本映画2大特集として、アニメーション特集 「映画監督 細田守の世界」 、Japan Now 部門 「監督特集 岩井俊二」が行われる。
さらに、海外の有名映画祭での受賞作や、名匠・巨匠の新作、あるいはTIFF おなじみの監督の新作で、8月31日現在で日本公開が未定の作品をピックアップする「ワールド・フォーカス」など始めとする多様な部門があり、才能溢れる新人監督から熟練の監督まで、世界中から厳選されたハイクオリティーな作品が集結する。

本年は新たな試みとして「ユース」部門と野外上映が行われる。「ユース」部門は「TIFF チルドレン」、「TIFF ティーンズ」の二部構成に分かれており、これからの映画を担う若い人に向けて創設された部門であり、本年は3作品が上映される。海外の映画祭で多くの観客が参加して映画を楽しんでいることに習って企画されたという野外上映では、六本木ヒルズアリーナにて無料の上映が行われる。

また、アジア映画の特集上映を行う「CROSSCUT ASIA」(クロ スカット・アジア)では、本年は究極の多様性を内包する国ともいわれる「インドネシア」を大特集する。
その他、国際交流基金アジアセンターとの共同製作による、東京国際映画祭が初めてオムニバス映画製作を手がけた記念すべき第一作、『アジア三面鏡 2016:リフレクションズ』が上映されることにも注目が集まる(ブリランテ・メンドーサ監督 「SHINIUMA Dead Horse」、行定 勲監督 「鳩 Pigeon」、ソト・クォーリーカー監督 「Beyond The Bridge」)。

国内外の映画人、映画ファンが集まって交流の場となると共に、新たな才能と優れた映画に出会う映画ファン必見の映画祭である。

開催情報
2016年10月25日(火)~ 11月3日(木・祝)[10日間]

上映作品一覧

上映スケジュール

開催会場
六本木ヒルズ、EXシアター六本木(港区) ほか 都内の各劇場および施設・ホール
会場アクセス☞ http://2016.tiff-jp.net/ja/access/

公式ホームページ


*******************************

【執筆者プロフィール】

岡村 亜紀子:Akiko Okamura

1980年生まれの、レンタル店店員。勤務時間は主に深夜。
ホン・サンス作品をスクリーンで初めて見ることが出来、幸せでした。

*******************************

2016年6月24日金曜日

フランス映画祭2016〜映画『太陽のめざめ』評text岡村 亜紀子

「うちがわに在る不可視な光」


人間の身体は太陽を求める。「体内時計」ということばがあるけれど、太陽に照らされていないと身体機能が狂ってしまうらしい。かくいう深夜帯で働くわたしにとっても、陽に照らされた世界はいろんな意味でまぶしいので、それには多少の実感がある。人は太陽を求めている、と。


 大女優カトリーヌ・ドヌーヴ演じる判事と、愛に飢えた非行少年の物語だと思っていた。そうした“主役”が辿る物語の軌跡が描かれているのだと。映画はその鑑賞前の印象を良い形で覆してくれた。映画が映していたのは“世界”だった。物語の中で生を営む人々の生活だった。そこに宿る感情が、もちろん現れる。クローズ・アップされる。しかし、やはり描かれていたのは世界だと感じる。その世界の中で、感情は生活に添えられたもののように映されていくのと反比例して、世界の一部である物語の住人たちは感情を自らから離さない。手放せない。割り切らない。誰だって、その苦しさに覚えがあると思う。


 少年・マロニー(ロッド・パラド)は愛に飢えていた。若くしてシングル・マザーになった母親(サラ・フォレスティエ)は、まだまだ人生を謳歌したい。子供も可愛いけれど、自分の人生も大切といった風で責任感に乏しく育児を放棄しがちで、6歳のマロニーは2ヶ月も学校に行かず、母親と共にフローランス判事(カトリーヌ・ドヌーヴ)に裁判所に呼び出されてしまう。母に「くれてやる!」と置き去りにされたマロニーは傷ついた。回りが想像するより、きっと深く。物語はマロニーを軸に時間を進め、少年は問題を起こしては、判事と再会する。

 検察官に少年院に入れられそうになっては、頼りない様子の弁護士がマロニーを弁護する弁に説得力はあまりないが、判事は、監督する教育係をつけて様子を見る、少年院ではなく更生施設に入れるなどしてマロニーを擁護する選択を繰り返す。期待を裏切られ続けた判事は、なぜマロニーに温情を与え続けたのだろうか?


© 2015 LES FILMS DU KIOSQUE - FRANCE 2 CINÉMA - WILD BUNCH - RHÔNE ALPES CINÉMA – PICTANOVO

 少年は親元を離れ、本能のおもむくままに行動しているような少年たちとそこで働く指導係たちに囲まれて過ごす。マロニーは、反発していた教育係であるヤン(ブノワ・マジメル)の電話番号を素直に聞く。
「ここにかければ、あんたと話せるの?」と。相手が大人でもひるまず、構わずその顔に唾を吐く。差し伸べられた手を取ることもしない。でも時には自分から手を伸ばす。少年は愛情に飢えていたと同時に怯えていた。彼は世界を憎んでいたけれど、欲しいものはちゃんとわかっていた。それを与えてくれない世界を憎んでいた。少年は6歳の時に失われたものを取り戻したかったのだ。それは強い、強い渇望。

 少年を演じるロッド・パラドはこの作品がスクリーンデビューだがそれが信じられないほどに、繊細な面立ちと細身の体躯で、痛みや悲しみ、いらだちが暴力的な言動のうちに揺れ動くさまを表している。更生施設から電話をかけ家族との絆・母親の愛情を必要とする様子などのいたいけな子供の部分と、自分の損得や後先を考えずに行動してしまう刹那的な少年の姿、世間に対する容赦のない振る舞いやシビアな態度と母親や弟を守ろうとする大人の部分を抱える、マロニーとういう人物に圧倒的な現実感を与えている。ロッド・パラドの身体は演じる年齢によって変化してさえ見える。


 怯えた子供に対する指導員や教育係のヤン、判事といった大人たちは、少年に失われた世界ではなく、そこにある世界の可能性を示そうとする。世界には優しい大人だけではない。マロニーを少年院に入れようとする検察官、再入学を目指すマロニーに向けられた面接官の否定的なまなざし。揺らいでいる大人もいる。マロニーの母親は、マロニーと同様失ったなにかを求め振りまわされ続ける少女のようだし、指導員のヤンもいらだちをマロニーにぶつけて行きすぎた指導をしてしまう。

 そう思うとドヌーヴ演じる判事は、世界の中で始めから太陽のように揺るぎない存在として在るように見える。施設でマロニーが共に過ごす少年たちが「あんたは好きだよ」というように、大人を信用できないマロニーも、判事の信頼を自分は裏切りながら、どこか判事だけは信用している様子を見せる。
 カトリーヌ・ドヌーヴの身体は年齢とともにふくよかになった。彼女がどんな役を演じても、その気品や気高さ美しさはどこかに現れている。それは優美な面立ちに感じられたものには違いないかもしれないが、年齢とともにドヌーヴの纏う美しさは、素晴らしい風景に出逢った折に感じるような、星や絵や音楽や、そういったものに触れた時に自然に心に生まれるものへと進化している。
 ドヌーヴの面立ちは涼やかで冷たくも感じるほど整っているけれど、判事を演じる彼女のおおきな身体からは、安心感や暖かさがにじみ出ている。それは“お母さん”のようだ。揺るぎなく思える彼女も、マロニーや教育係・ヤンやその他の少年たちに手を妬き、時に“育児”に悩むことがあるのかも知れない。しかしその揺らぎを映画は映さない。


 曇りなき眼、という表現を聞いたことがある。多分曇ってしまうから、このことばがあるのだろう。晴れの日も曇りの日も、雨の日も台風の日もある。それが世界。どういう日が好きか、人によって違う。どんな環境に在るのかも。それでも自分を信じてくれる人の存在は、太陽の光線のように必要なのだと思った。
 本フランス映画祭の上映作品『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』で高校教師・アンヌが生徒に向けていったことば「あなたたちを信じているのはわたしだけ?」が、生徒たちの心へ一石を投じたように、判事は時に優しく、時に厳しく、「手に負えないわ」と突き放したりもしながら、少年の心に投げかけ続けている“あなたを信じている”というメッセージは、少年の心に陽の光の様に照り、栄養を与えていたのだろうか。
 心にも養分が必要だ。愛情や優しさというものは持って生まれることはきっとなく、己の心や身体を通して知っていくものなのだと思う。人はその与えられた愛情や優しさを、他の誰かにあげることのできる生物である。ある日、マロニーが打ちひしがれるヤンの手をすっと握るように。自分の弱さによって物事が悪しき方向へ進むように、自分の強さによって物事が好転するとは限らない。しかしその強さを他人にぶつけるのではなく自分に向けた時になにかが生まれる。そのなにかを誰かのために使えたら、誰かのために強くなれたら、陽に照られた時に世界が姿を現すように、誰かの眼に光を与えて、色々なものを見せることのできる太陽になれるのかもしれない。


 ラストシーンで映画が映していた雑踏のシーンから、カメラが空中に消えたような感覚を受けた。そしてスクリーンとこちら側との境を失ったように思える。この映画が世界を映していると書いた。その住人を演じた俳優たちの素晴らしい演技について、最後に書き添えておきたい。
 フランスを代表する名女優、カトリーヌ・ドヌーヴの美しい瞳に宿る暖かさ、少年マロニーを演じたロッド・パラドの新人と思えぬ深み、マロニーの教育係・ヤンを演じたブノワ・マジメルの役柄すべてを含んでいるような面立ち、マロニーと親しくなる更生施設の指導員の娘テスを演じたディアーヌ・ルーセルの少年のような身体と瞳のいたいけさ、そしてマロニーの母親役のサラ・フォレスティエがシングル・マザー役のうちに感じさせた悲哀、どれも過剰さのない素晴らしさだった。
 マロニーがある施設を脱走した際にたいしたおとがめを受けなかった時、同じ施設の少年たちは、それはマロニーが「フランス人」だからだといった。スクリーンに映される光景からは、その場にある物体の質感や空気の温度、食べ物の匂いが感じられるようなこちら側への浸透があった。けれどそれは意図的に演出された構図などからではなく、この映画が持つどこにも属さない距離感なのだと思う。それはフランスという国が抱えるある問題を映しながら、客観的にそれを捉え、そして物語の住人たちの描き方にも徹底され、遠くて近い絶妙な距離感をわたしにもたらし、物語との境を取り払った。


 ラストシーンで感じた揺らぎは、スクリーンのこちら側に意識を戻しても、物語を世界の住人たちを忘れさせてはくれないだろう。世界には揺らぎがある。でもその揺らぎの中で映画が示した揺るぎなく必要とされる感情に名前を付けるなら、愛だと思う。そしてそれは世界の誰しもが欲し、世界のどこでも共通する認識なのではないだろうか。

(text:岡村亜紀子)





『太陽のめざめ』
原題:La Tête haute
2015年/フランス/119分
(上映日時:オープニング 6/24(金)17:00、会場:有楽町朝日ホール)

作品解説
2015年カンヌ国際映画祭で、『太陽のめざめ』で女性監督史上2度目のオープニング作品を飾り、主演した『モン・ロワ(原題)』で女優賞を獲得したエマニュエル・ベルコの監督最新作。主演には大女優カトリーヌ・ドヌーヴ。少年マロニーを演じたロッド・パラドは、フランスの2大映画賞リュミエール賞、セザール賞で新人賞を受賞した。親の愛を知らず人生に迷う少年と、引退間近の判事が出会い、新たな道をみつけるまでを描く感動の物語。家庭裁判所の判事のフローランスは、母親に置き去りにされた6歳の少年マロニーを保護する。10年後、16歳となったマロニーは、母親の育児放棄により心に傷を負い、学校にも通えず非行を繰り返していた。マロニーと再会したフローランスは、彼が人生をみつけられるように優しく手を差し伸べるが……。

キャスト
フローランス判事:カトリーヌ・ドヌーヴ
マロニー:ロッド・パラド
ヤン:ブノワ・マジメル
マロニーの母親:サラ・フォレスティエ
テス:ディアーヌ・ルーセル

スタッフ
監督/脚本:エマニュエル・ベルコ
脚本:マルシア・ロマーノ
撮影:ギヨーム・シフマン
編集:ジュリアン・ルルー

配給:アルバトロス・フィルム/セテラ・インターナショナル

公式ホームページ
http://www.cetera.co.jp/taiyou/

劇場情報
2016年8月、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開予定

***********************************

【執筆者プロフィール】

岡村 亜紀子 Akiko Okamura

1980年生まれの、レンタル店店員。勤務時間は主に深夜。
2007年のフランス映画祭の団長はカトリーヌ・ドヌーヴでした。
信じられない気持ちで会場へ行くと、当たり前ですがそこにドヌーヴがいました。
その時上映された『輝ける女たち』について語る彼女は、
想像よりも気さくで飾らない人のように思え、その記憶はわたしの中で
朧げになりながらも、美しいイメージとして残り続けています。

***********************************

フランス映画祭2016




 毎年初夏に開催され、⼤勢の観客で⼈気を集めているフランス映画祭。2012年より地方でも開催され、今年も福岡、京都、⼤阪で開催されます。今年はキャッチコピーに「フレンチシネマで旅する4日間 in 有楽町」を掲げ、多様なシチュエーションの中を旅するような、13作品のラインナップとなっていますが、ほぼ半数の6作品が⼥性監督によるものであることが特徴的です。オープニング作品は、カトリーヌ・ドヌーブが主演を 務める『太陽のめざめ』。その他、10年振りの来日となる今年の団⻑・イザベル・ユペールの出演作『愛と死の谷』と『アスファルト』や、今年亡くなったジャック・リヴェット監督の追悼上映として、デビュー作『パリはわれらのもの』が デジタルリマスター上映されます。
 映画祭に花を添える⼒強いゲスト陣は、オープニング 作品『太陽のめざめ』の監督であり『モン・ロワ(原題)』の主演⼥優でもあるエマニュエル・ベルコ、今年のカンヌ映画祭の オープニングの司会を務める予定となっている俳優ローラン・ラフィット、など多彩で豪華な顔ぶれが揃います。24日に行われるオープニングセレモニーでは、来日するゲストに加え、今年のカンヌ国際映画祭〈ある視点部門〉に『海よりもまだ深く』が正式出品された是枝裕和監督と、最新作『淵に立つ』が同部門の審査員賞に輝いた深田晃司監督が登壇します。その他、作品上映時に行われるトークショーでもゲストとの交流を楽しむことが出来ます。
 また、アンスティチュ・フランセ日本では「恋愛のディスクール 映画と愛をめぐる断章」と題して、恋愛にまつわる作品を特集し、20〜30年代から現在にいたるまで撮られた恋愛映画の特集上映が7月まで行われています。
 是非、素敵なフランス映画と出会いに劇場に足を運んでみてください。

〈開催概要〉
開催日程:6/24(金)〜27(月)
会場:有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ 日劇
公式サイト:www.unifrance.jp/festival
Twitter:@UnifranceTokyo
Facebook:https://www.facebook.com/unifrance.tokyo

*上映スケジュール
http://unifrance.jp/festival/2016/schedule

主催:ユニフランス
共催:朝日新聞社
助成:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
協賛:ルノー/ラコステ/エールフランス航空
後援:フランス文化・コミュニケーション省-CNC/TITRA FILM
特別協力:TOHOシネマズ/パレスホテル東京
Supporting Radio:J-WAVE 81.3FM
協力:三菱地所/ルミネ有楽町/阪急メンズ東京
運営:ユニフランス/東京フィルメックス
宣伝:プレイタイム

*

特集上映「恋愛のディスクール 映画と愛をめぐる断章」
会場:アンスティチュ・フランセ東京
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/cinema1604150709/