2017年5月10日水曜日

「ともこの座敷牢」

『夜は短し歩けよ乙女』に関するいろいろなことなど


おおむね、人間は
アホ小学生あるいはバカ中学生もしくはボンクラ高校生そして腐れ大学生、さらにうっかり大学院に入院してしまった患者。
このいずれか、あるいはすべてに該当する。
筆者は見事すべてに該当している。

思い返すと、どこに出しても恥ずかしい立派なクズ人生であった。棺桶に収まる際にはその恥の多い生涯を走馬灯で強引に見せつけられ「やめれやめれハズい」と身悶え棺桶の壁をカリカリと掻き毟ることであろう。もっともお棺に入る前からとっくに腐れていたということを忘れてはいけない。
困ったことに、筆者が迂闊にも長いこと過ごしてしまった街に住まう者どもは、あまりに個性豊かであった。マイルドに表現したが、要はいろんな意味でオモチロイやつらばかりであり、筆者は己がクズであるとまったく自覚していなかったのである。類は友を呼ぶのだろうか、あの土地の奇怪さはバミューダトライアングルにも匹敵する。

腐れ学生も発酵がうまくいけば芳醇なナニカにでもなれるのだろうが、筆者の現状は発酵に失敗しすっかり饐えきっているといえよう。
街を行くオサレなカップルを見ると爆竹を投げつけたくなり、キャッキャウフフする若者たちを見ると「全力で爆ぜやがれ」と悪態をつき、そのくせ、まさに幸せ絶頂のお二人の門出を縁の下で寿ぐ職業に就くべく訓練を重ねている。とんだ矛盾である。もっとも ♡しあわせ♡ とはなんぞ? それって美味しいの? とんとわからないので訓練は遅々として進まない。
あの奇怪な土地に住まっていた時代、筆者の周囲は男女関係においてはむしろ充実しすぎてぱっつんぱっつんなやつらばかりだったのだが、筆者は見事蚊帳の外であった。なぜか。
これには明白な理由があるのだが、ここでは言及しない。本人が寂しくなるからである。

京都という土地もまた魑魅魍魎が蠢く土地である。多分。
多分というのは住んだことがないので断言できないからである。しかし、街中に閻魔大王直結ホットラインが存在し(その底には狸からカエルへと宗旨替えしたナニカが住まっているようである)、ラブホ街を抜けるとそこには夥しい念が層をなしてへばりついた縁切り岩が存在し(実はどうもいつも間違えて裏から参拝していた模様であった。ということは、表から参拝し縁切り祈願の後周囲に広がるのはラブホ街、というなんとも味わい深い場所であるということだ)(なぜ頻繁に縁切り神社に参拝する羽目に陥っていたのかは聞かぬが花)、鴨川の土手には等間隔の置物が常にあり、わが心の爆竹を存分に(以下略)
そりゃもう絶対要所要所に異世界への扉がパカッとしているに違いない。
森見登美彦氏の作品はおおむねそんな魅惑の土地、京都を舞台としており、その土地に住まう腐れ大学生が結構な割合で登場する。

筆者は、「太陽の塔」「四畳半神話大系」以来のわりかし熱心な森見登美彦作品の読者である。「四畳半神話大系」は太田出版のハードカバーを初版で所持しておるぞ。じまんではない。
3作目「きつねのはなし」まで知る人ぞ知る存在であった登美彦氏ではあるが、ほぼ同時期に出版された4作目「夜は短し歩けよ乙女」で一気にブレイクする。全く本屋大賞とは恐ろしいものであるが、おそらくこれは中村佑介氏による装画によるところも大きいと思われる。ロックバンド「アジアン・カンフー・ジェネレーション」のアルバムジャケットにより若者に浸透しまくったあの可愛らしいイラストがどどんと平積みになっていればそりゃ売れるわ。
かくして、登美彦氏の描くケッタイな大学生活は中村氏のイラストで読む者の脳内に再生されるようになったことと思われる。
 尚、今気づいたのだが、「乙女」も初版で所持しておった。驚いた。

登美彦氏は本屋大賞ノミネート常連となった。本賞はノミネート作も含め映画化率が非常に、ひじょーに高い。しかし、氏の作品は実写化はおろか映像化も容易にされなかった。文章のみで表現されるイメージの奔流は映像化困難であろう。本屋大賞御用達の俳優が演じるにふさわしいキャラクターが登場しないので映像化されないのでは、と考えてしまうのは明らかに邪推である。いささか底意地が悪い。

映像化は2010年「四畳半神話大系」がテレビアニメ化されるまで待たねばならなかった。※
キャラクター原案は中村佑介氏である。待ってました!
これが実に出来が良かった。あの怒涛のようなセリフに乗せて紙芝居のような可愛らしい画面が淀みなく動く。鬱屈した腐れ大学生が詭弁を流麗に撒き散らす。ああ、そうなのである! 大学生活とは薔薇色であるべきものなのだ! しかしそんなハッピーなキャンパスライフを送れない者も稀に、かつしばしば存在する。もしもあの時……
この作品は「もしこのサークルに入ったなら……」という妄想からパラレルな物語が展開する。待ち受けているのは薔薇色とは程遠いてんやわんやである。そして700枚という長編である。長い。長いが、パラレルな物語ゆえ、かなりの部分が重複する。コピp…… おや、こんな深夜に誰か来たようだ。

前言撤回すみませんでした(震えながら)。
とにかくこのアニメは主役「先輩」が素晴らしかった。浅沼晋太郎氏の見事なまでのセリフさばき、これぞプロの声優の仕事。あの速さで! 実に正確な発音で! ああ!
そして中村氏の世界観が可能な限り再現された賑やかな画面がとにかく楽しい。とにかく画面の情報が凄まじく多いがそれがうるさく感じられず、これは見事であった。

さて、それから早幾年。
ファン待望の映画化の話が舞い込んできた。
登美彦氏の出世作「夜は短し歩けよ乙女」が、「四畳半神話大系」スタッフ再集結で大スクリーンにどどんと!おぉぉぉぉぉ!やはりキャラクター原案は中村佑介!おぉぉぉ!
しかし筆者の中でひとつ懸念があった。キャラとしては前作を引き継いでいると思われる「先輩」の声優が変更されたことである。星野源氏が「先輩」役ですとな?

浅沼晋太郎のほうがいいんじゃないかなぁ。
旬の俳優使うのかよ。タイミングずれてたら高橋一生あたり使ってたんじゃねぇの?
いいからアジカンのゴッチ使えよ。
ビジュアルがああならゴッチでいいよもう!

思うところはいろいろあれど、森見登美彦作品、満を持して映画化! パチパチパチパチ!
筆者はあまりアニメを観ない。ジブリさえチョウロクに観たことがないので、細かいところはとんとわからぬ。
ただ、この妄想力、素晴らしい。文章だけで表現されたケッタイな諸々が形をとって目の前に繰り広げられる至福。大風呂敷を広げたイメージを視覚化するって、本当に素晴らしい才能なんだ。筆者、多分口元をほころばせて観入っていたと思われる。すげー。すげー。帰ってこい筆者の語彙力。語るべき内容にふさわしい言葉を持ち合わせていない貧弱な脳内辞書はとっととアップデートすべきである。
世界観はテレビアニメ版「四畳半神話大系」をほぼ踏襲している。ヘタレな大学生と黒髪の乙女。おかしな学生たちと学内組織。男子学生を悩ませるジョニー。そんな腐れ学生どもの世界に、この『乙女』からは京都の深淵にどっかりと住まう異世界の住民が絡み始める。「四畳半神話大系」ではよくわからぬ大学8回生だった人物が、ここではそんな魍魎の類であることが示される。それまで大学とその周辺で結界を張られ、内に閉じていた「異界」が、街中に風呂敷を広げ始めたのは、この「夜は短し歩けよ乙女」からなのかもしれない。その後登美彦氏が描く京都の街は糺ノ森の狸たちをも巻き込み、「有頂天家族」へと続いていく。

源さんについては、やはり先輩は続投が良かったなぁと思う場面もあった。まぁプロの声優とがっつり絡み、かつ早口の長ゼリフがあったので仕方がない。しかし、ミュージカルシーンに声優として登場した新妻聖子氏は流石であった。あの無駄に壮大なナンバー、なにかに似ていると思ったら、かの名曲「ボヘミアン・ラプソディ」である。機会があったら是非ハナウタを歌いながらご鑑賞いただきたい。はた迷惑なこと請け合いである。

そして、こりゃどう見てもゴッチだろう、という先輩だが、一瞬「あ! 登美彦氏に寄せてる!」と感じた場面がある。
お前ら、爆ぜろ。
おともだちパンチを喰らわせてもよろしいか。
京都には縁切りどころもあるが縁結びもござる。こうして出逢ったのも、何かの御縁。

森見氏の作風はしばしば「マジック・リアリズム」にも例えられる。マジック・リアリズムといえばガルシア=マルケス。筆者、どこかのお宅のベランダから華麗にシーツが吹っ飛んでいく光景を見るたびに、ああ、こうしてシーツを掴んだまま風に乗って消えていった娘がいたなぁ、と「百年の孤独」の一場面を思い出し、遠い目で青空を眺めるのである。

さて、医者の往診の時間である。

※実は、森見作品の舞台化は映像化より早かった。2009年に「夜は短し歩けよ乙女」がアトリエ・ダンカンプロデュースで上演されている。


『夜は短し歩けよ乙女』

2017年/93分/日本



作品解説

「四畳半神話大系」「有頂天家族」などで知られる人気作家・森見登美彦の初期ベストセラー「夜は短し歩けよ乙女」をアニメーション映画化。監督は、テレビアニメ化された「四畳半神話大系」湯浅政明。同じく「四畳半神話大系」も手がけた、劇団「ヨーロッパ企画」の上田誠が脚本を担当。

クラブの後輩である”黒髪の乙女”に思いを寄せる”先輩”は今日も「なるべく彼女の目に留まる」ことを目的とした「ナカメ作戦」を実行する。春の先斗町、夏の古本市、秋の学園祭、そして冬が訪れて…。

京都の街で、個性豊かな仲間が巻き起こす珍事件に巻き込まれながら、季節はどんどん過ぎてゆく。外堀を埋めることしかできない”先輩”の思いはどこへ向かうのか?


キャスト

先輩:星野源
黒髪の乙女:花澤香菜
学園祭事務局長:神谷浩史
パンツ総番長:秋山竜次
樋口師匠:中井和哉


スタッフ

原作:森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」(角川書店)
監督:湯浅政明
脚本:上田誠(ヨーロッパ企画)
キャラクター原案:中村佑介
キャラクターデザイン:伊藤伸高
音楽:大島ミチル
主題歌:ASIAN KUNG-FU GENERATION
制作:サイエンスSARU
製作:ナカメの会
配給:東宝映像事業部

公式サイト

http://kurokaminootome.com


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「ともこの座敷牢」とは

「ことばの映画館」舞台の奈落の奥底に閉じ込められている奇人が漏らすうめき声およびたわごとを記録するフィールドワーク。その記録は特に重要なものでもなんでもないので特に資料として保管される必要はまったくない。
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2017年5月9日火曜日

映画『わすれな草』text大久保 渉

「変わりゆく母を変わらぬ愛で包み、変わっていく自分たちを愛するということ」

2016年7月に、NHKで「私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白」という番組が放送された。娘や息子が親を殺害する背景に介護の問題があるとされる事件は2010年以降の6年間で少なくとも138件ほど発生し、それは約2週間に一度悲劇が繰り返されていることになるという取材内容が語られた。また、2017年4月11日の毎日新聞(東京朝刊)では、全国の警察が2016年に摘発した殺人事件(未遂を含む)のうち、55%が親族間で起きていたという警察庁の調べを載せていた。


映画『わすれな草』が74歳の認知症の妻とその介護をする夫の姿を写したドキュメンタリー映画だと聞いて、ふいに暗澹とした思いが胸の中に渦巻いたのはそれらの内容が頭の片隅に残っていたからだろうか。それとも、「わすれな草」という花の語源にまつわる悲恋伝説――男が死に際に「私を忘れないで」と言って愛する女に花を投げ渡した逸話――が思い出されたためだろうか。

ただ、そんな想いは真っ暗闇な劇場内のスクリーンに光(映像)が投射された瞬間、思いもかけずに吹き飛んだ。映画のファーストシーン、自宅のベランダからカメラに向かって両手を大きく振る白髪の老夫婦の遠景が映しだされる。そして、彼らがはにかみながら大声でこちらに語りかけてくる。「ヤッホー!ここよー!」。

映画を監督したのは彼らの息子。カメラを構えるのは彼の仕事仲間。血縁者同士で交わされる眼差しの親密さが一瞬のうちに画面に満ち溢れ、観ているこちらの頬までもが思わず緩んでしまう。ただ、その親密さは、カメラから遠く離れた位置にいる二人を写す第三者(非血縁者)のカメラマンによって、近づきすぎず、やや引いた立場から撮られている。その主観的とも客観的ともとれる映像のバランスが、これから始まる記録映画への警戒を解いてくれる。


「ここ数年で母はすっかり変わってしまった」。暫くぶりに母の元を訪れ、長らく介護を続けてきた父に休みを与えて小旅行に送りだし、代わりに彼女を愛おしそうに介護し始めた息子は、その生活を続けて1週間で「僕は疲れ切った」と語りだす。夫のことが、息子のことが、自分の家が分からない。無為な会話を繰り返し、「無理よ」「できない」を口癖のように呟き癇癪を起こす認知症の老女。ただその映像から悲壮感、疲弊感が漂わないのは、カメラが息子である監督の愛と苦悩の心情に寄りすぎず、さりとて病状ばかりを観察せずに、母と息子、母と父の姿を1カットに納めてその触れあう姿にこそフォーカスを当てていたからだろうか。

時おり息子がモノローグで母の失われゆく記憶を紐解き、若かりし頃の写真と共にその半生を顕在化してかつての母を讃えるも、ただそのことで今現在の母が貶められることは決してなく、カメラは初めて彼女を見た観客と同じ視点に立ってその愛らしい微笑みを映し撮り、過去と現在の魅力をそれぞれに立ち上らせる。

ただその「現在の母」が垣間見せる魅力はもしかしたら肉親からするとやはり悲しむべき変化の結果でしかないのかもしれないが、しかし時間と彼女の病状が進んでいく中で、一年半という撮影期間を通して、徐々に母親の「新たな一面」を受け入れる父と息子の変化もまた自然なままに記録されていくため、当事者たちの喜悲の表情を拾いつつも、それぞれに変わりゆく被写体を追う映像からは、一介護の現場が示す健やかな関係性の在り様が伝わってくる。


本作の原題「Vergiss mein nicht(私を忘れないで)」とは誰の気持ちを言い表した言葉なのか。それは記憶を失う母への献身的な介護を続ける父と子の姿から漏れ出た変わらぬ愛の囁きのようにも見てとれるし、薄れゆく記憶の中で、知ってか知らずか、自分に愛を与えてくれる二人の手を握ろうとする母が心の中で発した声にも聞こえてくる。

「私を忘れないで」。愛だけで介護ができるとは思わない。ただそれでも、本作に出てくる母のグレーテルと父のマルテと、息子のダーヴィットと、彼らの姿を心の片隅に留めておくことで、もしも自分がいつか母を介護するその時に、思わず拳を振り上げたくなってしまう瞬間があったとしても、彼らの日々を思い返すことで、その手の平をそっと、母のひざの上に置いてあげることができると思う。

数週間ぶりに会う妻に向かって両手を広げて抱きつく夫。「私の夫は彼だわ」と息子を指差してはにかむ妻。困ったように微笑む息子。拗ねたように笑う夫。照れ笑いする息子。その雰囲気に笑う妻。

変わりゆく母を変わらぬ愛で包み、変わっていく自分たちを愛するということ。私は彼らの姿を、忘れない。

(text:大久保渉)

(C)Lichtblick Media GmbH

参照:毎日新聞2017年4月11日(東京朝刊)ウェブ版NHK「私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白」番組サイト


『わすれな草』
原題:Vergiss mein nicht

2013年/ドイツ/88分

作品解説
ドキュメンタリー作家ダーヴィット・ジーヴェキングは、フランクフルト近郊の実家へ帰ってきた。認知症になった母グレーテルの世話を手伝うためだ。父マルテは、長年妻を介護してきたが、さすがに疲れてしまったらしい。ダーヴィットは母の世話をしながら、昔からの親友であるカメラマンと共に、母と過ごす最期の時間を映像に記録する。理性的だった母は、病によって、すべての抑制から解放され心の赴くまま自由に過ごしているように見える。自分が若返った気になった母は、息子のダーヴィットを夫だと思い込み、父が思わず嫉妬することも。かつてはドライで個人主義的に見えた父と母の夫婦関係も、いつしか愛情をありのままに表す関係へと変わっていく。記憶を失っていく母の病は、夫婦、家族にとって、新たな“はじまり”となり……。

監督自身の体験を軸に綴られる愛とユーモアに満ちた「最期の時間の寄り添い方」。ドイツで異例の大ヒットを記録し、世界中を優しい笑顔とあたたかい涙で包んだ、夫婦そして家族の愛を映し出すドキュメンタリーがついに日本公開!

スタッフ
監督:ダーヴィット・ジーヴェキング
配給:ノーム

公式ホームページ
http://www.gnome15.com/wasurenagusa/

劇場情報
渋谷ユーロスぺースにて公開中、ほか全国順次公開
http://www.gnome15.com/wasurenagusa/theaters.php


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【執筆者プロフィール】

大久保 渉:Wataru Okubo

ライター・編集者・映画宣伝。フリーで色々。執筆・編集「映画芸術」「ことばの映画館」「neoneo」「FILMAGA」ほか。東京ろう映画祭スタッフほか。邦画とインド映画を応援中。でも米も仏も何でも好き。BLANKEY JET CITYの『水色』が好き。桃と味噌汁が好き。
☆4/28に「映画芸術 春号」が発売されました。特集はエドワード・ヤンです。ぜひご高覧下さいませ。

Twitterアカウント:@OkuboWataru

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2017年5月2日火曜日

映画『Don't Blink ロバート・フランクの写した時代』text藤野みさき

Let Me See What Spring Is Like On Mars」


Photo of Robert Frank by Lisa Rinzler © Assemblage Films LLC
 
 ロバート・フランクは、世界ではもとより、ロベール・ドアノー、ブラッサイ、アンリ・カルティエ=ブレッソンを始めとする偉大な写真家とともに、日本でも最もなじみ深い写真家のひとりである。誰が撮影したのかわからなくても、知らないところで、彼の写真をみたことのあるひとも多いのではないだろうか? 最も有名な写真集『アメリカンズ』を始め、ネバダ州のシティ・ホールで踊る愛くるしい新婚カップルを撮影した写真に、強烈なまなざしで睨むように斜め上をみつめる「エレヴェーター・ガール」。印象に残る彼の写真は多い。

 ロバート・フランクは、1924年11月9日、スイスのチューリッヒに生まれる。のちに47年に単身でアメリカに渡り、ニューヨークの人々を写す傍らで、「ハーパースバザー」などのファッション誌の写真家として活動を始めた。当時のファッション誌の報酬は、ロバートの愛しているストリート・フォトグラフィーよりもはるかに高額で、とても驚いたことを劇中で語っている。その後、1958年に彼の集大成でもある『アメリカンズ』を発表。文字通り、本書はいまをも語りつがれる彼の代表作となった。
 本作はそのような「写真家」としてのロバート・フランクだけを映しだすのではない。彼が撮影した映画や、大切な家族のこと、詩人・小説家のジャック・ケルアックや写真家のルイス・フォアー、歌手のミック・ジャガーなどの数々の著名人との交流を映しながら、現在のロバート・フランクのこころの声を映画はつむいでゆく。

Photo of Robert Frank by Lisa Rinzler © Assemblage Films LLC

 私がはじめてロバート・フランクの写真に出逢ったのは、いまから7年前のことだった。霧のロンドンと言われる英国の都を静粛に歩く紳士たちをとらえた写真たちに魅了されたのである。アメリカをとらえた鋭さをもつ写真とは違い、粒があらいような、それでいて、どこか懐かしさをも感じさせてくれる写真たちだった。
 アメリカの都会の街を写した写真家といえば、私はアンドレアス・ファイニンガーとベレニス・アボットを一番に想起する。だが、街の風景をとらえたファイニンガーやアボットとは違い、ロバート・フランクはニューヨークの街を生きる人々の表情を写真におさめつづけた。彼の被写体は、いつも、目の前にいる血の通った人間、そのものである。

 大のインタヴュー嫌いで、劇中でも過去に受けたインタヴューも常に厳しい表情をし、ときにはキャメラからフレームアウトしてしまうロバートであったが、この映画に映っている彼の表情や瞳は実にやさしく、そして朗らかだ。彼は自宅の椅子に腰掛け、ときに冗談を言って笑みを浮かべながら、写真を撮るときの心得や、いままで歩んできた足跡を、窓からみえる現在のニューヨークを眺めながら語る。主流に流されない人々に魅了されること、道の真ん中よりも端を歩くのが好きなこと……。その語られる飾り気のないことばたちは、彼に25年間ものときを寄り添いつづけている、ローラ・イスラエル監督との間に築かれた信頼関係そのものなのだと思う。フレームの外から聴こえてくる彼女の声はまるで娘のようでもある。映画全体を通して、イスラエル監督のやさしいまなざしをキャメラの奥から感じずにはいられない。

Photo of Robert Frank and June Leaf by Robert Frank © Robert Frank

 なかでも、最愛の娘と息子を語るときの追憶は胸を締めつける。飛行機事故により21歳の若さでこの世を去った娘アンドレアと、癌を患いながらも、この世界を生きようともがき苦しみ、葛藤し、亡くなった息子パブロの死。1980年に撮影された、映画『人生は踊り続ける』に映る息子の姿を、ロバートは自宅の壁に投影された映像で眺めていた。
「教えてほしい。どうして、お前は人生を楽しめないんだ? どうして、重い荷物を背負いこむ? 父さんがカメラを運ぶように」ロバートは息子に問いかける。息子のパブロは「地球の重力に耐えられないんだ。火星を散策したいよ」と答えた。
 繊細がゆえにさまざまなことに傷つき、すべてを背負いこみ、苦しんだパブロ。パブロの遺した手紙を読み返しながら「孤独な戦いと夢を、吐き出したかったのだろう」と想いをはせる。娘アンドレアの写る写真には「毎日、娘のことを想っている」と書かれていた。そこには世界的な名声を得た写真家「ロバート・フランク」ではない、ひとりの父親としての素顔が映しだされている。最愛のひとを失うときの心情は、私たち誰しものこころのなかに存在するものだ。子に先立たれる親の悲しみと孤独、もう一緒にみることのできない風景。それでも前をむき、自身のFATE〈運命〉に向きあう姿は、観る人々の胸をうつ。
 
 ロバート・フランクは92歳を迎えたが、彼の人生に対する挑戦は終りを知ることはない。たとえこの世界が過酷であったとしても「立ちあがり、両眼をひらいて、人生を恐れない」こと。この命が鼓動をうつ限り、私たちの人生には希望が存在し、そして無限の可能性は自らの手のひらのなかにあることを、この映画を通じてロバート・フランクは示してくれる。

(text:藤野 みさき)


『Don’t Blink ロバート・フランクの写した時代』
原題:『Don’t Blink – ROBERT FRANK』
2015年/アメリカ・フランス/82分
モノクロ・カラー/DCP
日本語字幕:和田絵理

スタッフ
監督:ローラ・イスラエル
撮影:リサ・リンズラー、エド・ラックマン
編集:アレックス・ビンガム
音楽プロデューサー:ハル・ウィルナー

参加アーティスト
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド
ローリング・ストーンズ
トム・ウェイツ
パティ・スミス
ヨ・ラ・テンゴ
ミィコンズ
ニュー・オーダー
チャールズ・ミンガス
ボブ・ディラン
ザ・キルズ
ナタリー・マクマスター
ジョセフ・アーサー
ジョニー・サンダース
ザ・ホワイト・ストライプス

協力
ジューン・リーフ
ゲルハルト・シュタイデル
トム・ジャームッシュ
シド・キャプランほか

配給
テレビマンユニオン 

配給協力・宣伝
プレイタイム

劇場情報
4月29日(土・祝)より、Bunkamuraル・シネマほか全国順次公開

公式ホームページ
robertfrank-movie.jp

※ Bunkamuraザ・ミュージアムでは、ロバート・フランクとともにニューヨークを代表する写真家ソール・ライターの日本初となる回顧展も同時開催決定。

「ニューヨークが生んだ伝説 写真家ソール・ライター展」
会期:2017年4月29日(土・祝)〜6月25日(日)予定
会場:Bunkamuraザ・ミュージアム

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【執筆者プロフィール】

藤野 みさき:Misaki Fujino

 1992年、栃木県出身。シネマ・キャンプ 映画批評・ライター講座第二期後期、「未来の映画館をつくるワークショップ第一期受講。心配性で潔癖症。映画の他では、自然・お掃除・断捨離・セルフネイル・洋服や靴を眺めることが好きです。写真をあつめることも好きで、七年前より開設をしたTumblrのブログもときおり更新しています。http://cerrytree.tumblr.com

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