2019年2月14日木曜日

映画『ゴッズ・オウン・カントリー』評text井河澤 智子


「『ゴッズ・オウン・カントリー』をめぐる、雑多なあれこれ 」


・序文
去年の初夏のことである。
私は、同僚と喋りながら、新橋から有楽町までの線路沿いの道をテクテク歩いていた。
ひっきりなしに行き来する電車の音に、話し声はしょっちゅう掻き消された。

彼女はダイバーシティに関心を持ち、その方面で活動している。そして私は映画が好きである。映画の世界ではダイバーシティがトレンドと言っても間違いではなかろう。ここ数年、ろう者やもう者が活躍する映画が取り上げられることも多く、またLGBTQを扱った作品は特別なものではなくなっている。しかし、私はそれらのテーマに特別な関心はない。むしろ、ダイバーシティの概念からこぼれ落ちた自らの状況 ––全てに見放されたロスジェネ、孤独死を心配されるレベルで異性に縁のないヘテロセクシュアル、ワーキングプア量産業種から足を洗った結果の定職なし、これらを扱った映画があったら是非観たいものである。激しく辛気臭い、最強の鬱映画になり得るだろう–– ゆえに、ダイバーシティについては斜め上の解釈や、決して適切ではない感想を覚えることもままある。とあるLGBTQ映画について、彼女に感想を問われ、ざっくりと不適切な感想を述べた時、あまりにも自分は正直すぎるな、と若干後悔した。しかし、やむを得ない。

新橋から有楽町までの、そんなに遠くない道のりでの会話は、まもなく開催される第27回レインボー・リール東京で上映される映画についてであった。パンフレットの表紙は2本の映画が飾っていた。ワン・ユーリン『アリフ、ザ・プリン(セ)ス』(2017)は既に前年の東京国際映画祭で観ていたため、台湾映画においてLGBTQがどれだけ大きなテーマとなっているかについて、ひとくさり偉そうに講釈を垂れてしまった。釈迦に説法である。
彼女は、もう1本の方もかなりの話題作で、是非観たいんだけど……と教えてくれたが、調べたらチケットは既に完売していた。
いつもレインボー・リールの時期は諸々ハマらない。私の仕事は土日がないうえに、春の現場が終わった疲れがドッと吹き出してくる頃なのである。結局レインボー・リールには行けなかった。

彼女が教えてくれた映画は、フランシス・リー『ゴッズ・オウン・カントリー』(2017)だった。

私はその頃、ルカ・グァダニーノ『君の名前で僕を呼んで』(2017)を観たばかりで、どうにもなぜこの作品がこんなに絶賛されるのかさっぱりわからなかったのである。私は「BL」という呼称が市民権を得る前、一部の界隈で「やおい」なるジャンルが密かに隆盛を誇っていた時期を知っている(残念ながらそんなどうでもいい知識だけはあるのだ)。これ、昔ならではの「やおい」じゃねーか、てな感想しか抱けなかった。この違和感は数ヶ月後にその理由がわかる。まぁ後で話すよ。
ものすごく長いマクラだが、『ゴッズ・オウン・カントリー』について語るには、どうしてもこういった記憶がついてくる。

・ベストゲイ映画って!
またとんでもなく直球な惹句である。twitterのハッシュタグに燦然と輝く5文字のカタカナ。
よくよく考えてみたらLGBTQものの映画なんて枚挙に暇がない。ヴィスコンティ『ベニスに死す』なんて1971年の公開、決して「同性愛」要素の強い映画は新しいものではない。バリー・ジェンキンス『ムーンライト』は2016年の公開ではあるが、強く影響を与えたとされる、ウォン・カーウァイ『ブエノスアイレス』は1997年の作品である。「ゲイ映画」なるジャンルは深い。

レインボー・リールで見逃した作品が「のむコレ2018」でかかる、と知った。
私はフッと初夏のあのガード下での会話を思い出し、チケット発売時間には、前売りを抑えるべくネットに張り付くこととなった。

シネマート新宿の混雑ぶりは半端ではなかった。前売りチケットを紙で発券することもままならず、携帯の予約画面を頭上に高々と掲げるだけで入場できるという、どこかで見たことあるなぁこんな光景、と思ったら夏のロックフェスがそんな感じであった。フェス! 
客層はざっと8割以上がフィーメルであった。自分と同世代の女子が大多数を占める劇場で、この中で『モーリス』(1987)に人生を左右された人どれくらいいるんだろう、とぼんやり考えていた。ちなみに私は未見である。

ゴッズ・オウン・カントリーとは、作品の舞台であるイングランド・ヨークシャー州の実際の愛称である。神の恵みの地、とは言っても映し出されるのはうすら寒い曇天と荒涼とした大地である。滴る豊穣さとは程遠いが、神は分かりやすい恵みばかりをを与えるわけではない。
祖母と病身の父に代わり、この地で牧場を切り盛りする若者ジョニー。鬱屈を夜な夜な酒と行きずりのセックスで紛らわす日々である。……毎晩吐くほど飲みながらも毎日きっちり家畜の世話をするジョニーはむしろ偉いのではないか…… 。
羊の出産時期はひとりでは乗り切れないため、季節労働者を募ったところ、来たのはルーマニアからの移民、ゲオルゲだった。むさ苦しい野郎2人の物語。

ヨークシャー州は移民が多く、彼らの働きによって産業が成り立っているという。特に近年急激に東欧からの移民が増加し、彼らに対する住民感情は決して良好なものではないらしいことが伺える。ジョニーもゲオルゲに対して当初それほど友好的ではない。しかし、ジョニーはあらかじめやさぐれた性格として描写されているためか、ゲオルゲへの侮蔑的な扱いは、差別感情からなのかどうかははっきりしない。ジョニーは誰に対しても雑なのだ。
2016年6月に行われたEU加盟における国民投票で、イギリスはブレグジットの問題に直面することとなる。ヨークシャー州は離脱派が優勢であり、移民問題もその一因であるらしい。ゲオルゲがジョニーの元に来るまでどこで働いていたかは、劇中で描写があったかどうか覚えていないが、ジョニー行きつけのバーでの、常連たちのゲオルゲへの態度で、歓迎されざる者であることが描写される。
それでもジョニーはゲオルゲに住居としてトレーラーを貸し与え、「従業員」として迎え入れる。彼は病身の父の面倒も見ているせいか、優しいところもあるようだ。

羊の出産時期の仕事は過酷だ。夜中の仕事なので食料を大量に荷物に詰め、彼らは出かける。そして牧場で過ごす。家畜は彼らにとっての食い扶持であり、おろそかにすることはできない。彼らはそんな中2人きりで過ごす。
普段バーで呑んだくれ、ワンナイトラブの日常を送るジョニー。持て余した「力」はゲオルゲに向けられる。一旦はねじ伏せられるが、再び挑みかかる。男同士のマウントの取り合いはまるで古代のレスリング。そして、ゲオルゲはジョニーを受け入れる。

ゲオルゲはジョニーにとって「導き」であろう。死産の羊の皮を剥ぎ、生き残った羊にかぶせて保護する熟練の技もあり、搾乳した乳をチーズとして高く売る知恵もある。若く粗暴なジョニーに対する柔らかな態度。それは移民として生きていかざるを得ない彼の処世術かもしれないし、本当に心根が美しいのかもしれない。ジョニーが惹かれていくのも当然である。常に鬱屈を抱えてきた青年が、懐深く優しい青年と、過酷さを超えて愛し合うようになるのは、あり得ることだ。
しかし、ここでひとつの疑問点が生じる。

この土地で、「男を愛する男」であることには何か問題はあるのだろうか?

どう見ても狭い世間、ジョニーは臆することもなく男を漁り、しかし別にそのことは彼にとってマイナスになっているとも思えない。
祖母が「その痕跡」を見つけてしまった時の、それほど激しく動揺しているようにも見えない表情と、その始末をする仕草に、孫がゲイである、というショックは「それほど」感じられないのである。
さて、「ゲイ映画」とはなんぞや、という問いが改めて私の中で頭をもたげる。マイノリティが感じる社会の不寛容があるのだとすれば(おそらくそれは「在る」のだろうが)それに対する問題意識を提示する、そういう類の作品もある。しかし。

ひょっとしたらこの作品は、それが友情であれ、愛情であれ、「人と人が心を通じ合わせる」その難しさと、しかし「できるのだ」という肯定、同時に「別の不寛容」を描いているとも考えられるのだ。彼らの暮らす地では「同性愛者より移民への排斥感情」の方が強いのではないか、とも思える。単純に作中で触れられていないだけかもしれないが。
ゲオルゲがジョニーの元を去ったのは、ジョニーの失態もさることながら、地域から受け入れられていないことを察したためもあるのだろう。

ゲオルゲが旅立った先は、従業員の多数が東欧系であった。
長く移民に労働を求めてきたかの地は、「イギリスの独立を取り戻したい」とは言えども、即座に彼らを排除することは不可能なのである。彼らに対するアンビバレントな態度は、あまりにも身勝手と言わざるを得ない。
そしてそれは日本の「外国人労働者受け入れ」が引き起こすであろう問題をも想起させる。 

・神に恵まれた地の羊飼い
『ゴッズ・オウン・カントリー』は、「羊飼い」たちの物語でもある。
「神」に恵まれた地。聖書において、羊飼いという存在は大きい。まず、イエス・キリストが誕生した時、その知らせを最初に知り、礼拝に訪れたのは、夜通し羊の番をしていた羊飼いたちだという。かの時代、羊飼いたちは社会の最下層に置かれ、蔑まれていた貧しい人々であったそうだ。自暴自棄の荒んだ生活を送っていたジョニーと、移民として煙たがられる存在のゲオルゲのようである。2人は、神に恵まれたこの地で、巡り会うべくして巡り会ったのかもしれない。どんよりとした閉塞的な田舎の光景が、2人の関係性が深まっていくにつれ、どんどんと光を増し、美しいものとなっていく様が印象的であった。ゲオルゲはジョニーを救う「御使い」である。マジ天使。

曇天から差す光 ––ヤコブの梯子 –– に照らされた、冬のヨークシャー州の景色が雄大に映える。 

・2018年に話題になったもうひとつの作品について
『ゴッズ・オウン・カントリー』は極めてシンプルで骨太な作品である。ここで、先ほどロングパスを放った『君の名前で僕を呼んで』について、記してみようと思う。
『君の名前で僕を呼んで』は、実はかなり高い教養を観るものに求める作品で、古代ギリシャの少年愛についての知識がなければ、そして劇中のシンボルを読み解くことができなければ、それこそ単なる「やおい」的にしか受け取れないものなのだった。初っ端からあらわれる彫刻から察しろよ自分。
古代ギリシャにおいて、少年愛はむしろ「当たり前」「嗜み」で、成人男性が少年を愛するのはある意味「教育」だったんだそうである。裕福で教養あふれる家庭、学歴の高い男性と美しい少年。「その時代」を現代に翻案しているのではないだろうか。
イタリアの美しい景色に彩られた、この2人のセクシャルな関係は、実に唐突に始まり、一方的な心変わりで終わる。私はその「突然さ」に、なんだよただの「やおい」じゃねーかよ、と思ったのだが、これは古代ギリシャの少年愛が「期間限定」のものであることを踏まえると、納得ができるのである。『ゴッズ・オウン・カントリー』とは別の文脈で考えるべきであろう。どちらが優れている、ということは別である。ただ、”Not for me”ってやつだ。
古代ギリシャの少年愛については、稲垣足穂などの文章を読んだことがあるが、資料の現物が手元にない。それを思い出すまで半年以上かかった自分の頭の悪さを恥じている。

special thanks to・あんずさん
(text:井河澤智子)


『ゴッズ・オウン・カントリー』God’s Own Country
(2017 / イギリス / 104分 / 英語・ルーマニア語)

作品情報
監督:フランシス・リー
出演:ジョシュ・オコナー
   アレック・セカレアヌ 
   ジェマ・ジョーンズ 
   イアン・ハート

あらすじ
ジョニーは老いた祖母と病気の父に代わり、ヨークシャーにある家族の牧場を営んでいる。
日々の孤独な労働を酒と行きずりのセックスで癒すジョニーのもとに、ルーマニア人移民のゲオルゲが手伝いにやってくる。
初めはゲオルゲを受け入れないジョニーだったが、隔絶された荒野で共に働くうちに次第に心を開いていく。英国インディペンデント映画賞、テディ賞のほか、世界中の映画祭で受賞した、2017年のベストゲイ映画。

公式ホームページ
http://finefilms.co.jp/godsowncountry/

劇場情報
2月2日より全国順次公開。シネマート新宿他にて上映中。

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【執筆者プロフィール】

井河澤 智子 Tomoko Ikazawa

先ほど『アリフ・ザ・プリン(セ)ス』についてちらっと触れましたが、この作品と似たような内容が、なんとライナー・ヴェルナー・ファスビンダー『13回の新月のある年に』(1978)に表れているなと感じました。
ファスビンダーすごいな。
マーラー第5番アダージェットが使われているのは『ベニスに死す』へのアンサーかな…… 。
映画と映画の関連を無理やりにも見つけるのは結構楽しいですね。あんまりいいクセではないけれど。

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