2018年3月17日土曜日

第18回東京フィルメックス〜映画『ジョニーは行方不明』評 text 井河澤智子

「あたたかな孤独」


「都会の孤独」なる紋切り型の言い回しは、その抽象性ゆえどのような器にもつるりと入り込む。不安感。断絶。「都会の孤独」ということばは、ひんやりとした感触を内包しがちであったのではないか。エドワード・ヤン『恐怖分子』(1986)ツァイ・ミンリャン『愛情萬歳』(1994)などが思い浮かぶ。勿論、詳しい方におかれましては別の作品の方が例として適切というご意見もおありでしょう。

台湾からコンペに出品された『ジョニーは行方不明』の監督ホァン・シーは、まさしく台湾ニューシネマの中心人物ホウ・シャオシェンの弟子筋にあたる。作品のトーンは全くもって「ああホウ・シャオシェンだ」と納得せざるをえない。人物ひとりひとりが緩やかに、柔らかに、有機的な細い糸で繋がりつつ、暮らしている。その様子は、劇中で映し出されるMRTの交差のようでもあり--ちょうどホウ・シャオシェン『珈琲時光』(2003)で映し出された東京の入り組んだ線路をも思わせる--ラストシーンでどんどん引いていくカメラに映し出される、夕暮れ時の混雑した高速道路の合流や分岐のようでもある。
台北のアパートの中で繰り広げられる人々の関わりは、まるでそんな駅と駅のような、道路の交差のような、点と点との緩やかな繋がりを思わせる。
生活とは、細く繋がる連続性である。その人個人の、あるいはその人をとりまく、複雑に絡まる連続性である。


エンストした赤いスズキを放置してMRTに駆け込んだ青年は一体どこへ向かっていたのか。電車の中でいきなり女性に話しかける少年は何者なのか。少年と女性が2人が同じ駅で降り夜道を同じ方向に延々歩き、住宅街の同じ建物に入った理由は何か。次第に物語は進み、この3人は実ははじめの場面から同じ空間を共有していたということがわかってくる。彼らが抱えている事情も、関わりの中で少しずつ紐解かれてくる。それらの映像は、「誰も見ていないものは見せない」というルールに従うかのように、明かされることは明かされるべくして明かされ、知らされないことは我々はもちろんスクリーンの中の誰も知ることはない。全てを超越した視点は存在しない。その切り取り方は見事である。
思えば、「すべてが初めから明らかである」という人物などそうそうおらず、また、その全てを明かすことなく送る日常、なんていうことはごく普通なのだ。ふと、身近なあの人この人を思い浮かべる。たとえ親しくしていても、実は彼らについて知っていることなんてそんなに多くはない。この映画は、「たとえ身近な人であっても、知らないことは知らない」という、実に当たり前のことをそのまま見せる。その人の全てを知らないということは、わかっていてももどかしい。しかしそのもどかしさを肯定する。

そして、観客に提示されない部分にも物語が流れているということを示すのは、その姿どころか本人の気配すら現れない「ジョニー」という謎の人物と、彼を取り巻く人間関係である。まったく並行して存在する、誰かの生活。
スクリーンにその姿を表す彼らは、携帯電話にかかってくる間違い電話でのみ窺い知れる「ジョニーたちの世界」を知ることはない。けど「知ったような気になっちゃう」と彼女は言う。それを観察するわれわれも同様である。

台北という都会でそれぞれに生きる彼ら。なにかしらの喪失感を抱えている。その欠けた感情を埋める行為は端から見ると少し不思議に感じられることもある。が、しかし、それを柔らかに受け止めるのが「ご近所さん」である。踏み込もうとせず、受け入れる。当たり前のように夕飯を振る舞われ、コンビニの店先で一緒にあぐらをかき「ほろよい」を飲み、問わず語りにポツリポツリと話す。踏み込んでしまったな、と思ったら謝る(ここであえて普段使わない言語で謝る気持ちはわからないでもない)。人と人の距離感が心地よい。
「距離が近すぎると、人は衝突する、愛し方も忘れる」--なんという達観した、そしてやさしい言葉であろうか。決して彼らは断絶していない。たとえ、孤独でも。

孤独。
“loneliness” “lonesome” 少し重なる言葉に“missing”(この映画の英題は『Missing Johnny』、掛言葉的で面白い)。ことばはいろいろなイメージを内包する。“寂しさ” “ひとりぼっち”、そして“恋しい”…… どれも違う。この映画の「孤独」は不思議なほどあたたかい。
“solitude”-「ひとりである(しかし寂しいわけではない)」……これが近いかもしれない。
都会の孤独。この作品の色あざやかな、なめらかな映像に彩られた孤独。

孤独は意外なほど、あたたかい。

(text: 井河澤智子)




『ジョニーは行方不明』
Missing Johnny / 強尼・凱克
台湾 / 2017 / 105分

監督:ホァン・シー(HUANG Xi)

出演:リマ・ジダン
   クー・ユールン
   ホァン・ユエン

作品紹介
同じ男あての間違い電話を何度も受けた若い女性は、次第にこの男のことが気になってくる。やがてインコの失踪を契機に、彼女の思いがけぬ過去が明らかに……。ホウ・シャオシェンのアシスタントを務めたホァン・シーの監督デビュー作。台北映画祭で4賞を受賞。

作品紹介ページ(第18回東京フィルメックス 公式ホームページより)
http://filmex.net/2017/program/competition/fc05


〈第18回東京フィルメックス〉



■期間
2017年11月18日(土)〜11月26日(日)(全9日間)※会期終了

■会場
A)
11月18日(土)~11月26日(日)
有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ 日劇にて

B)
11月18日(土)~11月26日(日)
有楽町朝日ホール他にて

■一般お問合せ先
ハローダイヤル 03-5777-8600 (8:00-22:00)
※10月6日(金)以降、利用可

■共催企画
・Talents Tokyo 2017(会場:有楽町朝日スクエア)
・映画の時間プラス(期間:11/23、11/26/会場:東京国立近代美術館フィルムセンター)

■公式サイト
http://www.filmex.net/

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【執筆者プロフィール】

井河澤 智子 Ikazawa Tomoko

映画祭の季節は脳みそがオーバーヒートしてしまいます。
そのまま不安定な日常に戻ると大寒波が待っていました。
湯豆腐と化した脳みそが一気に凍み豆腐となり、
私は身の回り最低限のことしかこなせなくなっていました。

というわけでフィルメックス上映作品レビューがこんな時期になってしまった!

どうでもいいですけど、
クー・ユールンが出ていると無条件に安心してしまいます。
しかし私は彼の名前がどうしても覚えられなかったのです。
「ルンルン」と呼べばいい、ということを最近知りました。
ルンルン!もうわすれないぞ!

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