2017年5月9日火曜日

映画『わすれな草』text大久保 渉

「変わりゆく母を変わらぬ愛で包み、変わっていく自分たちを愛するということ」

2016年7月に、NHKで「私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白」という番組が放送された。娘や息子が親を殺害する背景に介護の問題があるとされる事件は2010年以降の6年間で少なくとも138件ほど発生し、それは約2週間に一度悲劇が繰り返されていることになるという取材内容が語られた。また、2017年4月11日の毎日新聞(東京朝刊)では、全国の警察が2016年に摘発した殺人事件(未遂を含む)のうち、55%が親族間で起きていたという警察庁の調べを載せていた。


映画『わすれな草』が74歳の認知症の妻とその介護をする夫の姿を写したドキュメンタリー映画だと聞いて、ふいに暗澹とした思いが胸の中に渦巻いたのはそれらの内容が頭の片隅に残っていたからだろうか。それとも、「わすれな草」という花の語源にまつわる悲恋伝説――男が死に際に「私を忘れないで」と言って愛する女に花を投げ渡した逸話――が思い出されたためだろうか。

ただ、そんな想いは真っ暗闇な劇場内のスクリーンに光(映像)が投射された瞬間、思いもかけずに吹き飛んだ。映画のファーストシーン、自宅のベランダからカメラに向かって両手を大きく振る白髪の老夫婦の遠景が映しだされる。そして、彼らがはにかみながら大声でこちらに語りかけてくる。「ヤッホー!ここよー!」。

映画を監督したのは彼らの息子。カメラを構えるのは彼の仕事仲間。血縁者同士で交わされる眼差しの親密さが一瞬のうちに画面に満ち溢れ、観ているこちらの頬までもが思わず緩んでしまう。ただ、その親密さは、カメラから遠く離れた位置にいる二人を写す第三者(非血縁者)のカメラマンによって、近づきすぎず、やや引いた立場から撮られている。その主観的とも客観的ともとれる映像のバランスが、これから始まる記録映画への警戒を解いてくれる。


「ここ数年で母はすっかり変わってしまった」。暫くぶりに母の元を訪れ、長らく介護を続けてきた父に休みを与えて小旅行に送りだし、代わりに彼女を愛おしそうに介護し始めた息子は、その生活を続けて1週間で「僕は疲れ切った」と語りだす。夫のことが、息子のことが、自分の家が分からない。無為な会話を繰り返し、「無理よ」「できない」を口癖のように呟き癇癪を起こす認知症の老女。ただその映像から悲壮感、疲弊感が漂わないのは、カメラが息子である監督の愛と苦悩の心情に寄りすぎず、さりとて病状ばかりを観察せずに、母と息子、母と父の姿を1カットに納めてその触れあう姿にこそフォーカスを当てていたからだろうか。

時おり息子がモノローグで母の失われゆく記憶を紐解き、若かりし頃の写真と共にその半生を顕在化してかつての母を讃えるも、ただそのことで今現在の母が貶められることは決してなく、カメラは初めて彼女を見た観客と同じ視点に立ってその愛らしい微笑みを映し撮り、過去と現在の魅力をそれぞれに立ち上らせる。

ただその「現在の母」が垣間見せる魅力はもしかしたら肉親からするとやはり悲しむべき変化の結果でしかないのかもしれないが、しかし時間と彼女の病状が進んでいく中で、一年半という撮影期間を通して、徐々に母親の「新たな一面」を受け入れる父と息子の変化もまた自然なままに記録されていくため、当事者たちの喜悲の表情を拾いつつも、それぞれに変わりゆく被写体を追う映像からは、一介護の現場が示す健やかな関係性の在り様が伝わってくる。


本作の原題「Vergiss mein nicht(私を忘れないで)」とは誰の気持ちを言い表した言葉なのか。それは記憶を失う母への献身的な介護を続ける父と子の姿から漏れ出た変わらぬ愛の囁きのようにも見てとれるし、薄れゆく記憶の中で、知ってか知らずか、自分に愛を与えてくれる二人の手を握ろうとする母が心の中で発した声にも聞こえてくる。

「私を忘れないで」。愛だけで介護ができるとは思わない。ただそれでも、本作に出てくる母のグレーテルと父のマルテと、息子のダーヴィットと、彼らの姿を心の片隅に留めておくことで、もしも自分がいつか母を介護するその時に、思わず拳を振り上げたくなってしまう瞬間があったとしても、彼らの日々を思い返すことで、その手の平をそっと、母のひざの上に置いてあげることができると思う。

数週間ぶりに会う妻に向かって両手を広げて抱きつく夫。「私の夫は彼だわ」と息子を指差してはにかむ妻。困ったように微笑む息子。拗ねたように笑う夫。照れ笑いする息子。その雰囲気に笑う妻。

変わりゆく母を変わらぬ愛で包み、変わっていく自分たちを愛するということ。私は彼らの姿を、忘れない。

(text:大久保渉)

(C)Lichtblick Media GmbH

参照:毎日新聞2017年4月11日(東京朝刊)ウェブ版NHK「私は家族を殺した “介護殺人”当事者たちの告白」番組サイト


『わすれな草』
原題:Vergiss mein nicht

2013年/ドイツ/88分

作品解説
ドキュメンタリー作家ダーヴィット・ジーヴェキングは、フランクフルト近郊の実家へ帰ってきた。認知症になった母グレーテルの世話を手伝うためだ。父マルテは、長年妻を介護してきたが、さすがに疲れてしまったらしい。ダーヴィットは母の世話をしながら、昔からの親友であるカメラマンと共に、母と過ごす最期の時間を映像に記録する。理性的だった母は、病によって、すべての抑制から解放され心の赴くまま自由に過ごしているように見える。自分が若返った気になった母は、息子のダーヴィットを夫だと思い込み、父が思わず嫉妬することも。かつてはドライで個人主義的に見えた父と母の夫婦関係も、いつしか愛情をありのままに表す関係へと変わっていく。記憶を失っていく母の病は、夫婦、家族にとって、新たな“はじまり”となり……。

監督自身の体験を軸に綴られる愛とユーモアに満ちた「最期の時間の寄り添い方」。ドイツで異例の大ヒットを記録し、世界中を優しい笑顔とあたたかい涙で包んだ、夫婦そして家族の愛を映し出すドキュメンタリーがついに日本公開!

スタッフ
監督:ダーヴィット・ジーヴェキング
配給:ノーム

公式ホームページ
http://www.gnome15.com/wasurenagusa/

劇場情報
渋谷ユーロスぺースにて公開中、ほか全国順次公開
http://www.gnome15.com/wasurenagusa/theaters.php


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【執筆者プロフィール】

大久保 渉:Wataru Okubo

ライター・編集者・映画宣伝。フリーで色々。執筆・編集「映画芸術」「ことばの映画館」「neoneo」「FILMAGA」ほか。東京ろう映画祭スタッフほか。邦画とインド映画を応援中。でも米も仏も何でも好き。BLANKEY JET CITYの『水色』が好き。桃と味噌汁が好き。
☆4/28に「映画芸術 春号」が発売されました。特集はエドワード・ヤンです。ぜひご高覧下さいませ。

Twitterアカウント:@OkuboWataru

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