2017年2月2日木曜日

映画『The NET 網に囚われた男』評text岡村 亜紀子

「体感という映画に張られた網」


 物語は北朝鮮のある朝から始まる。簡素な自宅で漁師である男とその妻と娘が迎えた日常的な風景のはずだった。しかし漁にでかけた男は、船のエンジンが故障し禁止区域へと流されてしまう。監視員から逃亡を疑われて射殺されそうになるものの、故障を訴える様子に監視員も引き金を引くのをためらいそのまま韓国へと流される。「南」で身に覚えのないスパイ容疑をかけられ監視対象として囚われ、容赦のない取り調べを受ける男。そして街中に放たれた男は、何も見ないように自ら目をふさぐ。故国に帰れないことを恐れて……。

 この作品を観る以前に、昨年秋に開催された第29回東京国際映画祭で『ヘヴン・ウィル・ウェイト』(監督:マリー=カスティーユ・マンシオン=シャール、2016年、フランス)を観て感じた、今作と似たようでいてこうして文字にしてみるとやや異なる感触についてもすこし触れたい。『ヘヴン・ウィル・ウェイト』では、ある少女がSNSを通じて知り合ったムスリムの男性との恋愛感情を絡めたやりとりによってイスラム過激主義に心酔していく。彼女は次第に男によって行動を制限されていき、ついには自らの意志でイスラム国側へと足を踏み入れそうになるまでが描かれていく。観た時に感じた衝撃は「映画が現実に迫っている」感覚であり、それは映画として観客へ届けられるまでの速度でもあった。
 事態そのものに警鐘を鳴らすという視座としてよりも、事態に迫っていくようにして……少女の母親、過激分子として逮捕され自宅で監視される別の少女、イスラム国へ憧れる少年少女の家族と彼らに対するセラピストなど……様々な視点から物語は紡がれていた。現実の事態に追いつけない五里霧中の中にいる人々からの認識を主軸として、その向こう側(SNSや電話に出る勧誘者の側)の世界からの視点を描かない点に、物語の登場人物同様、怖さや不安を覚えた。

 そして『The NET 網に囚われた男』(以下、『The NET』)では、主人公を北朝鮮(北)の男にし、彼に北と韓国(南)を行き来させる。物語は北と南を移動しながら双方に位置する登場人物たちの姿を描いていく。主人公の男は南でも北でも取り調べられ手荒く扱われる場面がある。この物語は北と南の人物が彼らの視点を通して描かれているが、最終的にはどちらの立場にも立っていない。韓国映画では、北と南を描いた作品がいくつもある。時にその物語の登場人物がスパイや警察や史実に基づいたものであることは、韓国の観客が映画として物語と距離を保って観ることが出来るとしても、やはり繊細な背景となるのではないだろうか。センシティブやセンセーショナルな題材(それは多くの観客にとって想像と感性で補完することを必要とする題材、でもあるかもしれない)は時に色物扱いをも受けるし、それが史実手前の現状を描いているときには、現状に対する認識のたよりなさゆえか、観客との温度差ーー事実ではなく架空の出来事として物語を追いかけてしまうような意識ーーをどこか生じさせるように思う。登場人物たちの感情や表情がなにかを示唆したり、その行動が物語の舵を変えるような時に、それが演出されたものであり、物語にある筋書きであることによって、受け止める側のわたしの意識に戸惑いや距離が生まれるのである。

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 戸惑いや距離感という意味での温度差に、『The NET』では物語の主人公が身を差し出している。彼は南へ流れ着き、右も左もわからず、見たこともない光景を見せられ、捜査官から向けられる憎しみ、通りがかりの女との邂逅から生まれたなごやかなひととき、結果として彼が窮地に陥ることとなったある捜査官からの温情……といった彼が出会うあらゆるものは、すべて彼の感じる温度差を通過して初めてその身体に蓄えられていく。映画を観る観客が物語から感情をもたらされるようにして、見聞きしたことに対して彼の感情が現れる様子は、おそるおそる戸惑いながらを繰り返し、迷路の中で絶えず出口を探しているような緊張を伴っていた。『The NET』が迎えた衝撃的な結末は、もうすこし時間が、彼の意識下の堆積した温度差を意識的に更新する自由があったなら、舵を変えたかもしれない。時間は変化する現実に即するときに必要なものであると思う。それが否応無く与えられない筋に、いつしかわたしは物語から現実を想起するというより、自身の持つ感覚によって現実に呼び覚まされていく。ループするように、物語のなかにあるその姿に、観客であるわたし自身が重なり、どこにも立てなくなった主人公の姿に観客であるわたしが重なることに衝撃を得たように思う。

 前述した『ヘヴン・ウィル・ウェイト』と異なるのは、客観的に捕えた物語の持つ衝撃がカウンターパンチのようにガツンと来たのに対して、『The NET』では物語の主人公が感じる主観によってじわじわと……というよりもいつのまにか、わたしにわたしの現実そのものが接近するような感覚が現象として起きていた点にある。いずれもそれは体感ともいうべきものであり、似たようでありながらすこし異なる感触とは同じところから来ていたのかと思う。
 2つの物語は警鐘を与える内容であるとともに、現実に在る警鐘を意識させる。ショッキングな物語を多く描いて来たキム・ギドク監督が、映画ならではの「体感」の手法を用いたことは温故知新ともとれるが、2つの作品が持つどこか観客に寄り添うようなありように、ギドク監督の、そして映画の、新たな在り方が予感される。

(text:岡村亜紀子)



『The NET 網に囚われた男』
2016年/112分/韓国

作品解説
北朝鮮の漁師ナム・チョルは、いつものようにモーターボートで漁に出るが、魚網がエンジンに絡まりボートが故障。意に反して韓国に流されてしまう。韓国の警察に拘束されたチョルは、身に覚えのないスパイ容疑で、情け容赦ない取り調べを受ける。加えて、ひたすら妻子の元に帰りたい一心の彼に、執拗に持ちかけられる韓国への亡命。しかも、ようやく北に戻された彼を待ち受けていたのは、より苛酷な運命だった。第17回東京フィルメックスオープニング作品。

キャスト
ナム・チョル:リュ・スンボム
オ・ジヌ:イ・ウォングン
取り調べ官:キム・ヨンミン
室長:チェ・グィファ
チョルの妻:イ・ウヌ

スタッフ
監督/脚本/撮影/製作:キム・ギドク
照明:チョン・ヨンサム
美術:アン・ジヘ
編集:パク・ミンソン
録音:チョン・ヨンギ
衣装:イ・ジンスク
音楽:パク・ヨンミン

配給
クレストインターナショナル

公式ホームページ
http://www.thenet-ami.com/

劇場情報
2017年1月7日(土)よりシネマカリテほか、全国順次ロードショー

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【執筆者プロフィール】

岡村 亜紀子:Akiko Okamura

1980年生まれの、レンタル店店員。勤務時間は主に深夜。

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