2017年1月28日土曜日

映画『湯を沸かすほどの熱い愛』評text今泉 健

「肝っ玉母さん」なのは訳がある


 この文章は物語の結末など作品の核心部分に触れている記述があります。

 女性の社会進出が定着している国では、離婚を含め、独り暮らし世帯が増え、共同体としての家族という単位が崩れつつあるらしい。以前より女性が家庭に関心をもたなくなったからとのことだ。であれば、男性が代役を果たせばいいのだろうが、残念ながら男性は既して、家族をつなぎ止めることが不得手らしく、というか女性の方が遥にその能力に長けているそうだ。思えば昭和の頃は女性、とりわけ母親が家庭の要石=「家内安全の象徴」になっているドラマが流行っていた。現代のロールモデルとは別だろうが、例えば『肝っ玉母さん』(1968-72)の主役、京塚昌子はお茶漬けのCMで「母さんは、東大の家政学部卒だから 」というギャグを言えたくらい母親イメージが定着していた人だったし、銭湯を舞台にした『時間ですよ』(1965-90)では、あの「伝繰り返りの」森光子も皆さんご存じの通りお母さんキャラだった。また、『岸辺のアルバム』(1977)で家庭を揺るがした最大要因が、八千草薫演じる母親の不倫だったというのも、母親が要石のドラマだった。

 映画『湯を沸かすほどの熱い愛』では、まず家業が富士山の絵のある銭湯ということからして、昭和の雰囲気がそこかしこに見られる。宮沢りえ演じる母親は一昔前のタイプで、子供の揉め事には口も手も出さず、嫌なことがあっても学校には何がなんでも行けと言い、教師には文句を言わず、子供にはいちいち理由や事情を逐一説明しない。あと、非があると認識している人は責め立てないとか、五里霧中にある人はそっと励ますなど、おせっかい焼きな面があり、突然姿を消した夫が隠れるように住むアパートに単身乗り込む大胆さも備えている。人生の停滞期にこういう人に出会えればどれだけ幸運なことだろうか。夫の蒸発で休業していた家業を再興させるあたりは、まさに平成の「肝っ玉母さん」である。
 それにしても話の進め方が巧みである。各登場人物の持つ状況や抱えている問題が、話が進むにつれ明らかになり、取っていた行動、ちょっと不思議に思っていたことなど、得心がいくように仕組んである。話の節々に仕込まれた仕掛けが動き出す度にドラマが新たに展開するので、次は何が飛び出すのか、楽しみになってくる。主人公は、余命を宣告されてから家族の再生を試みる。女性ならではあるが、彼女だからこそ、着実に成果は上がる。彼女は、命は繋ぐもので親から子供へバトンを渡すようなものだと感覚的に理解しているようだ。自分が受けた仕打ちの矛先を他に向けることなく、少しずつ善行を重ねながら次の代へ繋ぐ。子供の行く末を慮り、為になることを学ばせるなど、自ずと橋渡し役だった上に、余命を宣告され時間が極端に限られたのだろう。橋渡し役というのは、既婚未婚問わず大人には誰にでも課されているとも思える。

 昨今は舞台女優としても存在感を放っている宮沢りえだが、最初は住宅のCMが評判になり注目された。ドラマで初めて見たのは『青春オーロラ・スピン スワンの涙』(1989)というシンクロナイズドスイミングのスポ根もの大映ドラマだった。ほんとに可愛かった。ライバル役は「貝殻」の武田久美子、目の保養も兼ねて見ていた程度で、果たして女優を続けていくかも不明だった。その後はバラエティ番組で見る程度で、出演ドラマは覚えていない。久しぶりに見たのは倉本聰のテレビドラマ『北の国から ‘95 秘密』(続いて『北の国から ‘98時代』)。ご本人の発言とかインタビューとか読んでいるわけではないが、このドラマの出演が、役者として転機になったと勝手に思っている。彼女は「シュウ」という明るいが物悲しげなヒロインを見事に演じた。見方によっては自身の昔日を投影している役柄でもあり、真正面から真摯に役に取り組んでいる感じが溢れていた。かつて訪ねた富良野の≪※「北の国から」資料館≫には、宮沢りえが役作りをした痕跡が残されていた。当時倉本聰の指示もあり、役柄の気持ちで書いていた絵日記が残されていたのだ。この経験は役に立っているはずだ。テレビドラマ『北の国から』は映像で見えない部分の人物設定が詳細で、主役格ともなると生まれてからのイベント(入学、卒業、職業遍歴、私的大事など)の年表があるのだ。この映画でも話が進むにつれ、(宮沢りえ演じる)母親がどういった人生を送ってきたのか垣間見えてきて、表情やセリフの口調や言葉の端々に人生の来し方が見てとれるようになる。また実際の母親「りえママ」とは絆も強そうで役作りにも影響はあるはずだ。そしてその宮沢りえが、平成版「肝っ玉母さん」を演じるというのは感慨深いものがある。

 この作品を語るにあたり主人公だけ触れるのでは不十分である。まず、これから自分のいない家庭を瓦解させないよう、一人娘(杉咲 花)には、試練を課す。娘は学校でつらい目に遭うが、直接、手助けはせず、学校を休むことを許さない。そして、解決のために娘が取った行動は、母親譲りの大胆で意表を突くものだった。また、夫(オダギリジョー)は、突然蒸発したが、妻に連れ戻される。すました顔で戻ってきて、しかも連れ子(伊東蒼)までいる。当然娘は憤慨するが、母親は間に入らず二人に任せる。自分たちで関係を直せるようでなければならないからだ。もっとも娘は子供には当たったりするようなことはしない。夫は弱っていく妻を看ることもできない気の弱さだが、罪の意識と責任感はある。この見限られるかどうかギリギリのお人好しなところが絶妙だ。妻に家族を支えるように難しい宿題を出され、ある答えにたどり着く。連れ子も普段はクールを装っていても、幼い心では到底抱え切れそうもない寂しさを持つ優しい子だとわかり、徐々に馴染んでいく。その他のちょっと訳ありな面々も加わり以前とは違う様相の家族が出来上がって行く。
 主人公の行動は何故感動を呼ぶのか、それは「無私」だからだが、基本的に人間、自分の身内への信頼感がある。自分の体調は後回しで家族のために尽くす。ちょっと思いが通じないくらいではへこたれない。壊れた人間関係は繋ぎ直され、目論見どおり幸せそうな家庭ができていくのだが、そこを達観して微笑むのではなく、もっと生きたいと悔しがって泣くところは、切ないが人間味溢れている。病床の傍らにはすっかり成長した娘の姿があった。締めくくりは昭和風に言えば「アッと驚く為五郎」、でも銭湯ならではの快心のエンディングだった。

※北の国から資料館-富良野市を舞台にしたドラマ「北の国から」の足跡を残すために、富良野駅前で1995年より数回の期間限定の展示会を開催、その後常設展示となるが、2016年8月末老朽化の為閉館

「りえ」母さんの肝っ玉度:★★★★★
(text:今泉健)




『湯を沸かすほどの熱い愛』
2016年/日本/125

作品解説
持ち前の明るさと強さで娘を育てている双葉が、突然の余命宣告を受けてしまう。双葉は残酷な現実を受け入れ、1年前に突然家出した夫を連れ帰り休業中の銭湯を再開させることや、気が優しすぎる娘を独り立ちさせることなど、4つの「絶対にやっておくべきこと」を実行していく。

キャスト
幸野双葉:宮沢りえ
幸野安澄:杉咲花
幸野一浩:オダギリジョー
向井拓海:松坂桃李
片瀬鮎子:伊東蒼
酒巻君江:篠原ゆき子
滝本:駿河太郎

スタッフ
監督、脚本中野量太
撮影:池内義浩
照明:谷本幸治
美術:黒川通利
録音:久連石由文
音楽:渡邊崇

配給
クロックワークス

劇場情報
新宿武蔵野館、ヒューマントラストシネマ有楽町、キネカ大森ほかにて公開中

公式ホームページ
http://atsui-ai.com/

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【執筆者プロフィール】

今泉 健:Imaizumi Takeshi

1966年生名古屋出身 東京在住。会社員、業界での就業経験なし。映画好きが高じてNCW、上映者養成講座、シネマ・キャンプ、UPLINK「未来の映画館をつくるワークショップ」等受講。現在はUPLINK配給サポートワークショップを受講中。映画館を作りたいという野望あり。

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