2015年9月7日月曜日

映画『チャルラータ』試写text佐藤 奈緒子

※文章の一部で結末に触れている箇所があります。

「美しい刺繍のような映画」


サタジット・レイ監督作は『大地のうた』(1955年)しか観たことがなかった。本作も『ダージリン急行』(2007年)の特典映像でウェス・アンダーソン監督が「大好きな『チャルラータ』(1964年)の音楽をふんだんに使用した」と語っていたことで、題名だけが頭に残っていたぐらいだ。なので始まってすぐに聞こえてきた音楽に郷愁が押し寄せてきたのも無理はないだろう。しかしそれはオリジナルよりも先にオマージュと出会ってしまった逆回転の懐かしさだけではなく、50年前に作られた美しい旋律から、“失われた時代”、“二度と取り戻せない時間”を感じ取って胸が締めつけられたからのような気もする。

冒頭、白いハンカチの隅に丹念にイニシャルを刺繍していく手元から物語は始まる。若く美しい妻チャルラータ(マドビ・ムカージー)が夫ブパチ(ショイレン・ムカージー)のために針仕事をするこの長いワンショットで既に、この夫婦関係の一端が窺い知れる。19世紀後半のカルカッタ、夫は新聞社の社長兼編集長、インドの独立を夢見て奔走する忙しい日々だ。一方、子供もおらず家事労働も使用人任せにできるチャルラータは、刺繍や読書で時間を埋める寂しい毎日を送っていた。そんな折、夫の従弟アマル(ショウミットロ・チャタージ)が休暇で訪ねてくる。年の離れた夫と違い、同年代で同じく文学を愛する彼にチャルラータは徐々に惹かれていく。次第にアマルも彼女の思いを感じ取るが、チャルラータの兄が新聞社の金を持ち逃げしたことで、二人の淡い恋は唐突に終わりを迎える……。

チャルラータは有閑マダムだ。贅沢な家で退屈しながら、物売りの声が聞こえると広い屋敷の中の窓から窓へ移動してオペラグラスで外の通りをのぞく。その寂しくも可憐な姿は、劇中何度も登場する“カゴの鳥”そのもの。彼女が思いをよせるアマルは、詩や文学を愛し、歌ったり踊ったり、とにかく周りを明るくする魅力的な若者だ。嵐と共に登場し嵐と共に退場する、まさに“嵐を呼ぶ男”と言える。舞台は女性が芸術的才能を発揮することも自由に恋愛することもままならなかったイギリス統治下のインド。ここで描かれるチャルラータの悲哀は、世界中のあらゆる地域、あらゆる時代で起こった無数の女性の悲しみにも通じる。しかし彼女はただ淡い恋心に翻弄される女性ではなく、文学の才能と激しい情熱を秘めていた。アマルの文章が雑誌に掲載されたのを知ると、負けじと格上の雑誌に投稿して掲載を勝ち取ったりする。この時のチャルラータの黒く大きな瞳には以前にはなかった、燃えるような闘志がみなぎっている。いつしか彼女は、小さなカゴには収まりきらない、強い意志と自我を持つ大人の女性に成長していたのだ。

貧農の少年を描いた『大地のうた』の民話のようなイメージで見始めたせいだろうか。可愛らしいメロドラマである本作に、初めは少し戸惑った。しかもカメラワークがなんだか楽しい。たとえばチャルラータがアマルの言動にハッとする瞬間に多用されるズーム。それはまるで少女漫画の「ドキン!」という擬態語だ。庭のブランコでチャルラータが歌う美しい場面でも、ブランコに固定されたカメラがめまぐるしく動く木々を、視界に入っては消えるアマルの寝顔を、まるで揺れに揺れる乙女心そのままに映し出す。みずみずしい彼女の感性が画面からこぼれ落ちるかのようだ。

ラストシーンは特に印象深い。チャルラータの思いを知ってしまった夫が失意の中、帰宅する。戸口で待つ妻は彼を招き入れ、見つめ合う二人が手を取り合うかに見えたその瞬間、突然画面が静止するのだ。チャルラータ、夫、そして廊下の奥にいる使用人の老人、それぞれのアップのあと、三人のショットでこの映画は終わる。老人の持つランプの光が今後の二人の明るい未来を暗示しているのだろうか。しかし、二度と動くことのない静止した画面からは“二度と取り戻せない時間”を感じずにはいられない。それはレイ監督が手がけた美しい旋律がもたらす郷愁にも通じる。どんな道をたどるにせよ、この夫婦が元の二人に戻ることは決してない。さらに言うと、唐突な使用人の登場は私に別の印象を残した。裕福に暮らす主人公たちは恵まれた階級であり、彼らのすぐそばには意見を言うことも持つことも許されない階級の人々がいる。突如広げられた視野によって、この夫婦の危機もまた上流階級というカゴの中の出来事でしかないように思われてくる。後世の観客である自分が感じることが監督の意図どおりとは限らない。実はまったく意味などないのかもしれない。それでも、この謎めいたラストはあらゆる解釈を可能にし、観る者の心を惹きつけてやまない。

顔の識別に苦戦度:★★★★☆



『チャルラータ』

1964年/インド/119分/B&W/ベンガル語/DCPリマスター
★ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)受賞(1965年)

ストーリー

1880年、インド・カルカッタ。若く美しい妻チャルラータは、新聞社の代表兼社長であるブパチを夫にもち、何ひとつ不自由ない生活を送っていた。しかし、夫は年中多忙で、ほとんど妻とともに過ごそうとしない。そんな中、大学の休暇で夫の従弟であるアマルが訪ねて来る。快活な性格で、詩吟を楽しみ、文学に詳しいアマルの出現は、次第にチャルラータの退屈な日常を彩っていく…。 

出演

マドビ・ムカージー、ショウミットロ・チャタージ、ほか

スタッフ

原題:CHARULATA
原作:ラビンドラナート・タゴール
監督・脚色・音楽:サタジット・レイ
撮影:シュブラト・ミットロ
美術:ボンシ・チャンドログプタ
出演:マドビ・ムカージー、ショウミットロ・チャタージほか
配給:ノーム、サンリス
配給協力・宣伝:プレイタイム


公式ホームページ:http://www.season-ray.com/

劇場情報:9月12日よりシアター・イメージフォーラム、ほか全国順次公開

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