2015年9月3日木曜日

映画『チャルラータ』試写 text井河澤 智子

※文章の一部で、結末に触れている箇所があります。

「奥様の成長物語」


 インドの名監督、サタジット・レイが、自らの最高傑作であると言った『チャルラータ』。
 具体的に全てを語る映画ではない。互いに交わす会話、独りになったときの表情、それらから物語を読み取るしかない。観る者によって、異なる表情を見せる映画であろう。


 19世紀末カルカッタ。
 新聞社の社長として多忙な夫ブパチとその妻チャルラータ。夫は政治ジャーナリズムに没頭し、妻は読書や刺繍などをして、何不自由なく日々を過ごしていた。
 ある日、夫の従弟アマルが訪ねてくる。ブパチは、文学に詳しいアマルにチャルラータの相手を頼み、そして妻の隠れた文才を引き出してくれるよう頼むのであった。アマルはあの手この手でチャルラータに文学的な駆け引きを仕掛ける。
 チャルラータは自らの複雑な感情を持て余しているようである。多忙な夫ブパチはほとんど彼女の相手をしてくれない。代わりに相手をしてくれるアマルには、夫には見せないような楽しそうな姿を見せるが、アマルの書いた小説が雑誌に掲載されたとなると、なぜかどこか悔しそうに涙を流す。そして自らも秘かに小説を書き上げ、雑誌に投稿する。彼女の作品は見事に掲載され、作家への道も開けたかに思えた。
 アマルはカルカッタ滞在中に条件のよい縁談を持ちかけられるが、はぐらかし続ける。しかし、チャルラータの作品が認められると、彼女の文才が今後も生かされることを願いつつ、ひっそり夫婦のもとを去る。チャルラータはなぜかひどく嘆き悲しむ。アマルは縁談を受けたのか、受けなかったのか。
 ブパチの新聞社が経営の危機に陥った時、彼女はそれまでの彼女とは違う、決意に満ちた表情を見せる。彼女にどんな心境の変化があったのか。


    チャルラータは当初どうもはっきりしない、ただ退屈そうな人妻として現れる。屋敷には人もいて孤独ではない。なにより、多忙ながら妻の才能を認め、育もうとする夫がいる。なぜこんなに退屈そうで、そして不満そうなのだろう。
 つまりこういうことではないのか。
 当初チャルラータは自分の意思らしい意思を持っていなかった。ただ寂しく、しかしそれを解決する術を知らなかった。
 ブパチは、インドが英国の支配下に入り、急激に西洋の思想が流入してきた時代の知識人であり、従来の価値観から一歩踏み出した考えを持っていたと推測できる。おそらくその考えは、「夫婦とはどのようなものか」ということにまで影響を与えていたであろう。ブパチはチャルラータを、自分の妻である前に一人の人間と認め、だからこそ彼女の才能を存分に花開かせたいと願った。
 また、アマルは従兄ブパチに認められる教養があり、そして将来を考える猶予期間を楽しむような軽やかさがあった。年若い彼の前には選択肢はいくつもあり、どれを選んでも前途は洋々と思われる。


 チャルラータにとって、アマルの軽やかさは新鮮なものであり、彼と過ごす時間はブパチと過ごすそれとは違うものだったのだろう。人によってはそこに芽生えた感情を「恋」と呼ぶかもしれない。
 が、チャルラータの心の動きは、「恋」と一言で言うより「異なるものを知ったが故の葛藤」であると、捉えることはできないだろうか。
 おそらくアマルがいなければ、チャルラータは葛藤を知らず、ただ寂しいだけであっただろう。アマルのおかげで、満たされない想いや、他人の才能への嫉妬を知り、自らを試し、夫を裏切るような感情を覚え、そしてそれらの葛藤の結果、「自らの才能をもって夫に尽くす」良き妻であることを選んだ、と言えるのではないだろうか。勿論、ひょっとしたら夫を裏切る選択もありえたかもしれない。しかし彼女はそうしなかった。それは、チャルラータ本人の選択である。
 ここで筆者は幾度か「選ぶ」「決める」、あるいはそれに類する言葉を用いていることに気付いた。人がなにかを選択し、決定することは、「どれかを選ぶべき対象」があることに気付かなければ出来ない。選択するとき、そこに葛藤が生まれる。そのうえでなにかを決定するというプロセスは、実は非常に高度な心の働きであり、「それによって人は意思を持つ」あるいはもっと簡単に「成長する」と言うことができるのではないか。
 この『チャルラータ』に描かれているのは、インドにおいて女性のあり方が大きく変わろうとする時代の情景である。しかし、チャルラータの心の動き、そして成長の過程は実は時代や国、あるいは男女の隔てなく普遍的なものではないだろうか。たとえ彼女の決定が「夫を支える妻となる」という、伝統的な価値観に基づいたものであっても、一人の人間が意思を持ち成長する物語であるという点で、この映画は非常に普遍的なテーマを描いていると感じられるのである。

深読み度:★★★★☆
(text:井河澤 智子)

関連レビュー:
映画『チャルラータ』試写text 大久保 渉



『チャルラータ』

1964年/インド/119分/B&W/ベンガル語/DCPリマスター
★ベルリン国際映画祭銀熊賞(監督賞)受賞(1965年)

ストーリー

1880年、インド・カルカッタ。若く美しい妻チャルラータは、新聞社の代表兼社長であるブパチを夫にもち、何ひとつ不自由ない生活を送っていた。しかし、夫は年中多忙で、ほとんど妻とともに過ごそうとしない。そんな中、大学の休暇で夫の従弟であるアマルが訪ねて来る。快活な性格で、詩吟を楽しみ、文学に詳しいアマルの出現は、次第にチャルラータの退屈な日常を彩っていく…。 

出演

マドビ・ムカージー、ショウミットロ・チャタージ、ほか

スタッフ

原題:CHARULATA
原作:ラビンドラナート・タゴール
監督・脚色・音楽:サタジット・レイ
撮影:シュブラト・ミットロ
美術:ボンシ・チャンドログプタ
出演:マドビ・ムカージー、ショウミットロ・チャタージほか
配給:ノーム、サンリス
配給協力・宣伝:プレイタイム


公式ホームページ:http://www.season-ray.com/

劇場情報:9月12日よりシアター・イメージフォーラム、ほか全国順次公開

0 件のコメント:

コメントを投稿