2016年3月16日水曜日

映画『父を探して』試写 text:井河澤 智子

「かわいい絵柄…なんですけれども」


筆者は、戦後日本の、70年にわたって根本的には変わらずにある、あらかじめ与えられた社会の仕組みの中で生活し、それ以外を実感として知らずにいる。例えば独裁下にあるとはどういうことか、体制が変わるとはどのようなことか、肌感覚では知らずにいる。

おそらく、筆者の世界の外では、それらが実感として人々の間で共有されていることであろう、ということは想像ができる。東欧の独裁者が銃殺された映像ははっきりと印象に残っている。ここ数年の間にも、チュニジアに咲いたジャスミンの花をきっかけにアラブの春が到来し、バルカン半島でも何かが起こり(もっとも、このあたりは常に何かが起きているが)、海を隔てて香港では雨傘革命が起き(香港は1997年にイギリスから中国へ主権が移譲されるという体制の変化を経験している、ということも忘れてはならない)、そして台湾ではひまわり学生運動が起きた。偶々その真っ最中に訪台していた筆者は、ごく近場で起きている成り行きを、そこらじゅうに流れる中継映像でぼんやりと眺めていた。 
 
その場に居合わせたとは言っても、所詮一介の旅行者である身としては、テレビの向こうで学生が頑張っているなぁ、ということはわかっても、それ以上のことは何一つ我が身には影響なかった。台湾も40年もの長い期間戒厳令下にあったという歴史があり、闘ってきた人々がいたのだろうなぁ、とぼんやりと思ってみたが、それらについてきちんと語る言葉を持っていないことに気づいた瞬間でもあった。
  
『父を探して』はブラジルのアレ・アブレウ監督によるアニメーション作品である。2014年アヌシー国際アニメーション映画祭において最高賞と観客賞を同時受賞し、これまでに44もの映画賞を受賞している。また、2016年アカデミー賞長編アニメーション部門に南米勢として初めてノミネートされた。
その筆使いは多彩であり、愛らしいキャラクターとなめらかな動作、自然な場面転換にはただ魅入るのみである。美しい笛の音、壮大なコーラス、どこか哀愁漂うラップなど、音楽もバリエーション豊かに物語を彩る。

あるところに幸せな一家がありました。しかし、ある日お父さんが荷物を持ってどこかへ行ってしまいます。息子はお父さんを探す旅に出ました。そして、知らなかった大きな世界を知ることになります。それはとてもとても厳しい世界でした。ごく一部華やかな生活を享受する人々がいて、一方その日の糧にも事欠く人々がたくさんたくさんいるのです。

息子はお父さんの気配を求めて、いろいろな人々のもとで暮らし、その一部始終を観察していきます。
息子はお父さんに会うことはできるのでしょうか?

この物語は、戦後のブラジルの物語、軍事独裁政権と労働者の対立の歴史を描いている。今でこそ急激な経済成長を誇るブラジルではあるが、かつては軍事独裁政権が労働者や学生・知識人を弾圧、反対勢力が激しく対立するも軍事政権が勝利を重ね、度々繰り返される大規模デモでは死者や負傷者多発、亡命者も続出。それに加え激しいインフレ。非常に過酷な状況の中、労働者たちは幾度となく立ち上がり、幾度となく打ちのめされ、それでもなお立ち上がり声を上げ続け、ようやく民主化を勝ち取ったのは1989年のことである。なんという長い闘いだったことだろう。

この映画はその長い時間の流れを実にスムーズに見せている。立ち上がり、打ちのめされる人々、彼らの子ども、またその子ども、と志がリレーされていくような描写が実に見事であった。
 
この作品の一つの核が「ブラジル民主化の歴史」だとすると、もう一つの核は「労働者たち」であろう。

ビラ一枚を頼りにその日その日の働き口を求めさまよう人々。もはや無理がきかない体になってなお、それを隠し働く人々。体を壊していることがバレたら仕事を失う。おそらく保障なんてないだろう。毎日の食事は同じ缶詰である。しかし彼らは、密かに緩やかに結びつき、貧しくとも精神的な豊かさを保っている。

この映画のキャラクターの造形は極めて抽象的で、大まかに子ども、若者、老人、女性とわかる程度であるが、それ以上に雄弁なのは色彩と音である。「特権階級」は無彩色、「労働者たち」は色彩も音も豊かに描かれる。軍事独裁政権と労働者たちのぶつかり合いは、黒い猛禽とカラフルな羽根を持った鳥の闘いとして描かれる。
 
ブラジルの民主化、つまりカラフルな鳥の勝利は簡単には成し遂げられなかった。色彩が無彩色に飲み込まれ、音がなくなっていく様子には胸が締め付けられる思いであった。
さて、息子はお父さんに会えたのでしょうか?

ここで一つの疑問が生じる。

彼らは何十年もかけて希望を勝ち取るべく闘った。その時間の長さを思うと、志半ばにして命を落とした人々の数も悲しいほど多かったことであろう。彼らにとって「彼ら自身の人生」とはなんだったのだろうか?

先述したように、この映画に描かれる人々は抽象化されており、はっきりと区別がなされていない。「息子」が「大勢のお父さんたち」を目にして驚く場面がある。人々は、匿名の存在、抽象的な「子ども」「労働者」「老人」として描かれる。
 
労働者たちのこの物語は、匿名の一人の人生を描いたものである、という解釈もできるのである。
 
「息子」はひょっとしたら、仲良くなった老人の子どもの頃の姿かもしれず、仲良くなった若者の、まだ何も知らなかった頃の姿かもしれない。あるいは「息子」はただの狂言回しに過ぎず、本当の主役は匿名の労働者たちかもしれない。
彼らの多くは一生その境遇から抜け出すことはできなかった……。

法的に、あるいは慣習的に、人の境遇があらかじめ定められている社会がある、ということは筆者は「知識として」知ってはいる。かつてはこの日本においてもそうであった。現在においても、見えないかたちでそれらは確実に存在する。それを当然と受け入れるか、良しとせず闘うか。
映画の中の労働者たちは、彼らが置かれた境遇を良しとしなかった。

結果として、長い闘いの末、民主化は果たされたのだが、個人個人は最初から負け戦を覚悟してなどいなかったであろう。「未来のために」というより「今すぐにでも」という切羽詰まった思い。しかしそれは幾度となく弾圧され、多くの人が命を落とした。民主化は、累々たる屍の上に成し遂げられたのである。その残酷さを思うと、この映画の後味は変わってくる。
この作品は、その結末を提示しない。それは観る者に委ねられる。
 
愛らしいキャラクターが辿る長い旅路を見届けた後、観る者はふと考えさせられるのではないだろうか。
現在我々が置かれている状況はどうだろうか?
70年もの間変わることのないこの社会は、いい加減発酵しきってしまってはいないか?
いざという時我々は、抵抗することができるだろうか?
しかし、なにに対して?

これ全部手描きですって(驚)度:★★★★☆
text 井河澤智子



『父を探して』
原題:O Menino e o Mundo
英題:The Boy and the World
2013年/80分/ブラジル

作品解説
ブラジル・インディペンデント・アニメーション界の新鋭、アレ・アブレウ監督による長編第2作目。親子三人で幸せな生活を送っていた少年とその両親。しかし、父親は出稼ぎにでるため、ある日突然、列車に乗ってどこかに旅立ってしまう。出稼ぎに出た父親を探しに、少年は広大な世界を旅していく。旅先で出会う未知の世界や様々な人々との交流が、クレヨン・色鉛筆・切り絵・油絵具などを自在に使い分けた筆づかいで描かれ、多彩な動きや色彩で見るものを魅了する。

スタッフ
監督:アレ・アブレウ
脚本:アレ・アブレウ
音楽:ナナ・バスコンセロス

配給:ニューディアー

公式サイト

劇場情報
シアター・イメージフォーラムにて3月19日(土)より公開予定

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【執筆者のことば】

井河澤 智子:Ikazawa Tomoko

世の中思うようにならないことも多けれど、笑って過ごせればどうってことはないのです。カラ元気でも元気。
いい映画があって、いい友達がいる、いいじゃないですか。
なにより皆様に読んでいただける場があるという幸せ。
読んでくださって、ありがとうございます。

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