ラベル 常川拓也 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 常川拓也 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2017年4月28日金曜日

映画『草原の河』text常川 拓也

『草原の河』/ソンタルジャ


©GARUDA FILM

日本ではじめて劇場公開されるチベット人監督(ソンタルジャ)による映画『草原の河』(2015)は、幼い6歳の女の子ヤンチェン・ラモの視点からチベット高原での牧畜民の生活を切り取っている。カメラは基本的にほとんど子どもの目線の高さに位置して寄り添い、澄んだ映像は純真無垢な彼女のまなざしそのままを表しているかのようだ。それは、私たちがこれまでに映画で触れてきたチベットとは同じでありながら、また異なる景色を提供する。ヤンチェン・ラモは子羊にジャチャと名付け、ペットのように愛しむが、ここではそれは放牧される存在だ。チベットの風景や文化をこれまでとは別の視点で、少女の無垢な視点で見つめることは新鮮な感触をもたらしている。

©GARUDA FILM

私は「ことばの映画館」vol. 4(*)でチベットを代表する映画作家で、本作の共同プロデューサーでもあるペマ・ツェテンについて執筆したが、その中で、彼の作品を観ることで、「チベットの伝統文化と中国の現代文明が衝突した、その相違の混乱の只中にいるチベットの今に私たちは触れることができる」と書いた。また、彼の作品が「ある種の寓話を通して、伝統文化と現代社会の狭間で適応に苦しむチベットの人々の姿や風景に対して」在ることに言及した。実際のところ、それらのことは、彼の盟友であるソンタルジャの作品にも見て取ることができるように思える(ソンタルジャはペマ・ツェテン『静かなるマニ石』(2005)、『オールド・ドッグ』(2011)の撮影監督を務めている)。ちなみに、ペマ・ツェテンは文学的な映画監督、ソンタルジャは映画的な映画監督であるとチベットでは評されることがあるというが、そのような印象を受けるとすれば、それはふたりの出自が前者が小説家、後者が美術家あるいは撮影監督であるというところが大きいだろう。

©GARUDA FILM

確かにチベットの今を見つめる彼らが描くのは、伝統文化と近代化の狭間でアイデンティティの拠り所を失くし、惑うチベットの男たちの姿である。
ソンタルジャの映画の男は、家族間に起きたある出来事を機に頑なに心を閉ざし、周囲に口を開かない。初監督作『陽に灼けた道』(2011)では主人公の男ニマは自身の起こした事故によって母を亡くしてしまったトラウマを抱えているが、監督二作目『草原の河』のグルは、自分の父が死にゆく母を無残に捨てたと考え、身勝手な彼に対してわだかまりを捨てきれずにいる。『草原の河』は視点こそ小さな少女ヤンチェン・ラモに立っているが、物語上の主人公に当たるのはむしろその父グルであると言っていいだろう。どちらにおいても、身近な人の死をどう受け入れるか、どう乗り越えるかということにソンタルジャは関心を寄せている。

©GARUDA FILM

映画は、冬の終わりに、酔っ払って「馬に乗るなら生きてるうち/死んだら駆ける場所がない/酒を飲むなら生きてるうち/馬に乗るなら生きてるうち」と歌いながらバイクを運転しているグルが転倒する場面からはじまる。歌の歌詞とは異なり、砂埃の舞う高原で男は馬ではなくバイク(チベットでは鉄の馬とも呼ばれる)に乗っている。以後、彼は自身のバイクの壊れたミラーを頻繁に気にかけ、タバコを吸いながらたびたびバイクを修理している姿が確認できる。

本作を観て、グルとバイクとの関係性が印象に残った。私たちが目にするのは、一家の中で言葉を発することなく虚無に覆われた父親グルの模様であり、マスキュリニティを喪失した男の姿だろう(ひび割れたミラーを覗き込むグルの顔がそこで分裂して見えるのは、彼の壊れたアイデンティティを確かに暗示している)。グルは自身のトラウマや家族の亀裂と向き合うことよりも、むしろバイクの修理にしか目がいっていないようにも思える。ある意味、グルはバイクと一体化しているのである(ある種ロードムービー的な趣も持つ『陽に灼けた道』では母の死でラサ巡礼の旅に出て荒野を歩き続けるニマがコケる場面が強調して描かれていたが、『草原の河』のグルはバイクに乗ったまま川に落ちたり転ぶ姿が印象に残る)。

『陽に灼けた道』
  ©"A Day in the Life of Tibetan Pastoralists" Production Team  

とりわけ、俯瞰気味のロングショットで捉えられた風景の中、グルが妻と娘にはじめて自身の父親との確執の理由──4年前、病床に伏した彼の母親が最期に父と会うこと希望するも、「行って何の役に立つ? 死ぬのは避けられない。それよりも祈り。お経を読むのが一番だ」と河を渡らず、母親の些細な望みすら叶えなかったことを憎んでいたこと──を告白するとき、彼は二人の周りをバイクで駆けている。増村保造『濡れた二人』(1968)をどこか彷彿とさせるダイナミックな演出がなされた最も印象的な場面である。

なお、第16回東京フィルメックスで来日したペマ・ツェテンに『タルロ』のインタビューをした際(「ことばの映画館」Vol.4に掲載)、彼は文化大革命について、「その時期を経験した人にとっては、(中略)“人民のために働く”ということをすごく洗脳されていた時代であ」り、その時代の人たちは「“自己のためではなく他人のために何かをする”ということが、一種の善であると植え付けられて生きて」きたのだと語っていた。おそらくこのことは、チベットの古い世代であるグルの父の思考を考える上で有益だろう。

©GARUDA FILM

後半、グルは娘とともに町の病院に入院した父を訪ねるため高原から都市部へと向かう。病院を出た後、彼のバイクのミラーが直っていることに注目したい。修繕されたミラーには、彼の父と娘が病院の向かいで座って話しているのが映っているのだ。そして、三人はともにグルのバイクに乗ってロードを駆ける。『草原の河』においては、バイクが荒野と都市を繋げ、そして家族の和解/再生の物語へと接続させている。

一行は、河を前にして水が引くまでその場で待つこととなる。自身の娘と父が和やかな会話をする中、タバコを吸いながらひとり離れて横になるグルに光が差し込み、彼はひっそりと涙を流す。目の前に流れる河は、ただ彼の苦悩と傷を静かに受け入れている。

(text:常川拓也)

*…映画冊子「ことばの映画館」Vol.4

♦Vol.4の内容紹介記事
http://kotocine.blogspot.jp/2016/11/blog-post_20.html

♦販売店舗一覧
http://kotocine.blogspot.jp/p/blog-page_8.html
※〔模索舍〕様では通信販売もご利用いただけます



『草原の河』
2015/98分/中国

原題:河|英語題:River|チベット語|DCP|ビスタサイズ|ステレオ


作品解説
長編デビュー作『陽に灼けた道』(2011)でバンクーバー国際映画祭ヤング・シネマ賞グランプリに輝いたソンタルジャの長編二作目にして、日本で初めて劇場公開されるチベット人監督作品。チベットの雄大な自然の中で暮らす遊牧民の一家の姿を幼い少女の目を通して描かれる。2015年ベルリン国際映画祭ジェネレーション部門でのワールド・プレミアを皮切りに、世界各国の映画祭で上映され、峻烈な映像美が高い評価を受けた。チベット高原で牧畜を営む一家の幼いひとり娘は、母が新しい命を授かったことを知り、やがて生まれてくる赤ちゃんに母を取られてしまうのではないかと不安になっている。村人たちと接することなく暮らしている父のグルは、4年前のとある出来事をきっかけに自分の父親をいまも許せないでいる。それぞれがぎくしゃくした関係のなかで生きる娘とその父、そして祖父。家族三代の関係が変化する時がやってくる。撮影当時6歳だった娘役のヤンチェン・ラモは、第18回上海国際映画祭アジア新人映画部門で最優秀女優賞を史上最年少で受賞。日本では2015年、第28回東京国際映画祭のワールド・フォーカス部門にて『河』という原題で上映された。なお、ソンタルジャ監督作品が中国以外で劇場公開されるのは初となる。

キャスト
ヤンチェン・ラモ:ヤンチェン・ラモ
ルクドル(母):ルンゼン・ドルマ
グル(父):グル・ツェテン

スタッフ
脚本・監督:ソンタルジャ
撮影:王 猛 
共同プロデューサー:ペマ・ツェテン

配給
ムヴィオラ

劇場情報
4月29日(土・祝)より岩波ホールにてロードショーほか全国順次公開

公式ホームページ
http://moviola.jp/kawa/

*******************************

【執筆者プロフィール】

常川拓也:Takuya Tsunekawa

新潟県生まれ。映画批評。「NOBODY」「neoneo」「INTRO」「リアルサウンド映画部」等へ寄稿。Twitter:@tsunetaku

*******************************

2017年4月23日日曜日

映画『作家、本当のJ.T.リロイ』著者ローラ・アルバート、インタビューtext常川 拓也

『作家、本当のJ.T.リロイ』著者ローラ・アルバートinterview


正直に言って、この人の語る言葉を一体どこまで信用してよいものなのかわからなくて戸惑った。それが『作家、本当のJ.T.リロイ』を最初に観た率直な感想である。本作は、若き女装の男娼J.T.リロイの架空の回想録をノンフィクション小説として世に発表した女性ローラ・アルバートのインタビューを中心に構成されている。思うに、本作が信用ならない語り手による告白である点は留意が必要だろう。そもそも回想録というものの中には脚色や誇張が付きものである。事実をそっくりそのまま正確に覚えている人もいなければ、本作においてはほとんど彼女のみの証言、つまり主観的な“真実”の提示が行なわれているからだ。それが長い間、当時の夫の妹サバンナ・クヌープを男装させ、J.T.リロイとして仕立て上げて世間を欺いてきた人間の言葉であれば尚更である。そこには同情を誘うための作り話もあるかもしれない。私たちはその点をいま一度考える必要がある。

あるいは、ほかの人の視点から見れば事実も変わってくるであろう。たとえば、本作と全く逆にアルバート以外の者たちの証言で構成されたドキュメンタリー『The Cult of JT LeRoy』の監督が、J.T.リロイに扮したクヌープはカルトに引き込まれるかのような方法でアルバートから彼女の小道具として雇われていたのだと指摘している点は興味深い(ちなみに、アルバートは『The Cult of JT LeRoy』ではインタビューなど協力することを拒否したようだ)。

しかしこの映画の面白いところは、監督のジェフ・フォイヤージークが、まさにどこまでが本当でどこまでが嘘なのかよくわからないアルバートにはじめて自分自身の声で痛ましい生い立ちについて語らせていることにこそある。本作の冒頭に引用されているフェデリコ・フェリーニの言葉を思い出そう──「生み落とされた作品は作りものとも真実とも異なり、それそのものでしかない」。

『作家、本当のJ.T.リロイ』の公開に合わせて来日したローラ・アルバートにお話を聞く機会を得た。なお、本インタビューは四誌合同で行われたものだが、すべての文責は筆者に帰すものである。(取材・構成・文:常川拓也)




──本作で印象的なのは、映画の多くを通話音声をはじめとしたあなたの過去の記録が占めていることです。素朴な疑問なのですが、なぜあなたは自身の記録を膨大に残していたのでしょうか。ジェフ・フォイヤージークは(前作『悪魔とダニエル・ジョンストン』の)ダニエル・ジョンストン以上にあなたがセルフ・ドキュメンテーションを持っていたと明かしています。

ローラ・アルバート(以下、LA):私はダニエルよりも競争心が強いので彼よりも記録しようと思いました(笑)。冗談はさておき、そもそも私の母がよくオープンリール式のテープで記録をする人でした。母はアーティストで、ほかのアーティストにインタビューをすることがしばしばありました。彼女は自分もアーティストであるとリスペクトされるために、つまりファンとして話をしているのではないということを相手に示すために記録を取っていました。それは彼女の習慣にもなっていました。また、子どもというのはある種の神聖さを持って生まれてくると思うのですが、それが何らかの形で侵害されると、どちらが上か下かというのを子どもなりに知ろうとします。私の場合はその手段が録音したり記録することでした。たとえば本当は言ったはずなのに後になって親が「そんなこと言ってない!」と言った時にどちらが正しいかわからなくなったとしても、記録してあればやはりそう言っていたのだとわかります。ダニエルも同じような理由で記録を取っていたのではないかと私は思います。人は色々なことをすぐに忘れてしまう生き物です。その時はすごく辛くても時間が経つと忘れてしまいます。しかし痛みというものは、自分の土壌の一部になります。それを記録することによって、なぜ私がいまこういう風になっているのかを理解する助けになるとも思いました。人によってはそんなこと忘れたいと思うでしょうが、私の場合はどうしてそうなったかを理解したい気持ちがあったのかもしれません。もうひとつの理由としては、記録することによって後である種コラージュができるというようなアート的な意味合いもありました。なので、そのような痛みから、そしてジャーナリズムの観点から記録をしていました。

──世界への不信感みたいなものを抱いたある時点から意図的に記録しはじめたということでしょうか。

LA:たぶん私はそういう風に生まれついたのかもしれません。というのも、両親がいつも絵を描いている人だったらその子どもにとって絵を描くことがノーマルであるように、私にとっては母がいつも記録していたので、不信感というよりもノーマルな行為でした。母は写真も撮っていましたが、ストーリーテラーでもありました。ユダヤ系ということもあり、ホロコーストのサバイバーの方々へインタビューも行っていました。必ずしも不信感や痛みだけでなく、好奇心もあったと思います。インタビューした時にそれが記録されていると思うと、何かを語ること自体にももちろん意味があることですが、記録されていて長く残ることを意識しながら人が喋っていると何かさらに生まれてくることがあるとも思うのです。

──この作品を撮る前と、撮った後とではどのような心境の変化がありましたか。

LA:自分の中で色々なものを統合する役に立ちました。特に怒りを手放すこと、それから自分のやったことに対して責任を取ることの助けになりました。何というか、色々なことが完了できたような気がします。こういう言い方があります、「あなたは自分の抱えている秘密と同じくらい病んでいる」。そういう意味で言えば、私には全く秘密はなく「何でも聞いて」という感じでした。自分が持っていたマテリアルすべてを監督に渡しました。それは私にとっては恥ずかしく難しいことでもありましたが、すべてを渡すことで自分に対する恥を手放す助けにもなりました。恥を手放すこともとても大変なことでした。写真なんかも恥ずかしいと思って提出しましたが、改めて見てみてるとそんなに恥ずかしくない、そんなに悪くないと思えました。思うに、特に性的・肉体的虐待を受けて育った子どもというのは自分は酷い人間だと信じきってしまっているところがあります。いまになってみると私はもちろん悪いことをしたわけではあるけれど、自分が思ってるほど悪くはなかったし、私は悪意を持ってやったわけではない。その結果、出てきたものが作品となって、アートとなって、色々な人の命を救ったと思います。色々な人から感謝の手紙をもらいましたし、ここ日本でも本や映画を見て助けられたとメッセージをもらいました。そういうことを聞くと自分に平和が訪れるような気がします。そしてまた誰かが私のことを攻撃した時に自分を助けてくれることになりました。

──ビリー・コーガンだけに自分の本当のことを打ち明けたと告白していますが、それは彼があなたがずっと好きで聞いていた音楽を作る人だから何かわかってくれるだろうという思いがどこかあったからですか。それとも彼に会った時に何か特別な魅力を感じたからでしょうか。

LA:その時に私たちはアーシア(・アルジェント)の家に泊まっていましたが、そこには多くの有名人がいて、クローゼットの中にはたくさんの贅沢品がありました。JTも有名人で、私はただのマネージャーでした。何もない、まるで見えないゼロの存在でした。ビリーはJTに会うつもりでいましたが、サバンナがいなかったので、私はスピーディとして話を作り上げなくてはいけなくて、「彼は急に会うのが怖くなっていなくなってしまったの」とでも言おうかと思いましたが、それを考えたらすごく辛くなって、彼に会う前から私は泣いてしまっていました。JTがいなくなってしまったと言うと、きっと彼も私をまた見えない存在として扱ってしまうのではないかと思って怖かったのです。しかし違いました。彼は私を私として見てくれました。別に美人だったからとかそういうことではありません。綺麗な人は周りにたくさんいました。たまにそういうことが起こるのですが、サイキックなエネルギーというか、クジラやイルカのように超音波のコミュニケーションが取れる人だと会った瞬間にわかりました。彼の音楽は私にとって、とても大きな意味があるものでした。というのは、彼がたぶん一番最初に性的な虐待について歌った音楽を作った人だからです。実は最近、彼の50歳の誕生日の際に会いましたが、またさらにコネクションが強まったと思います。彼は本当に素晴らしい人で、「誰にも言わないよ」と言った通り、本当にすべてそのままにしてくれました。私が彼に言ったのはこの本がどれだけ大切で、この本のためならバニー・スーツでも着るわよということです。

──もしNYタイムズに真相を暴露されていなかったとしたら、いまもJ.T.リロイとして活動を続けていたと思いますか。

LA:私の方からNYタイムズの方に行ったかもしれません(笑)。たとえるなら、シャム双生児が肺をふたりでシェアしてるような状態でした。JTの肺が私のよりも強かったような状態でしたが、色々なプロセスを通じて、私のものの方が強くなっていきました。もうひとりでやっていけるという状態になった時に(私の中に)男の子が現れなくなりました。私として生きてももう大丈夫だとなった時に、(もう片方の自分を)切る準備ができていた気がします。自分をキリストにたとえるのは何なんですけれども、キリストは自分に一番近い弟子のユダが自分を裏切るときっと知っていたのだけれども、それはなされなければならなかった。そういう意味では、ジェフは私にとって一番近い人で、彼がユダの役目をしてしまったわけですが、彼はそうしなければなりませんでした。なぜならたぶん私は自分で言わなかったし、サバンナも自分で言わなかったでしょう。だからジェフがやらなければならなかったと感じます。別のたとえをするならば、子どもが自転車に乗る練習をする時に補助輪を外して親に押してもらいますよね。子どもは自分が乗れると思わないから、お父さんやお母さんに「絶対手を離さないでね」と言いますが、親の方が「わかったわかった」と言いながら手を離していて、子どもは自分が乗れてると知らずに乗れてるようなことだったと思います。でも私がやっていたわけです。J.T.リロイという人は実在はしないけれども生き続けていると私は思います。ちょうどある歴史家の方がバッグス・バニーについて同じことを語っていました。バッグス・バニーは実在していないけど生き続けていると。

──リロイはインターネットが発達していない時代だったからこそバレずに済んだのかもしれません。現代だとあのようなことができると思いますか。

LA:いまの時代の方がさらにアバターを持つということがノーマルなことだと思います。なのでいまの子どもたちにとっては「何が問題なの? だってフィクションだったんでしょ?」という話になるかもしれません。特に日本の人はアバターをたくさん持っているのではないかと思います。公的な自分と私的な自分、つまり本音と建前を持っていますよね。だから日本の方には理解しやすいのではないかと思います。たしかにインターネットやSNSがあるとすぐにわかるということもありますが、誰かが私がやったことをいまもう一度やろうと思ってももうできないと思いますし、私はやろうと思ってやったのではなくそういう風になってしまったのです。真珠貝が綺麗なものを作ろうと思って真珠を作っているのではなく、たまたま砂や小石が予定してなかったのに入ってしまって、痛いから色々な液体を分泌するうちに真珠ができてしまうように、アクシデントとして苦しみから生まれ起こったことだと思います。



──アバターを持つことが、あなたにとってある種セラピーとしての働きにも繋がっていたと思われますか。

LA:アバターがあるということよりも、書くということが私にとって癒しに繋がっていました。私はその前には色々なホットラインに電話をしていたわけですが、ホットラインに電話をすることはヒーリングではなく、ドラッグ中毒の人がドラッグをしたり、過食症の人が食べ物を食べたり吐いたりするのと同じようなことで、ただ痛みを麻痺させていただけだと思います。しかし書くことは、折れた骨が少しずつ治っていくような助けになっていきました。そして次第にJTという存在が出てきて、そのJTは身体を欲しがりました。しかし私は彼に身体をあげられなかった。私は男の子っぽい身体つきの女の人がすごく羨ましかったのですが、私の身体はそうではなかった。なのでJTの方が私から出て行ったわけです。私はトランスジェンダーではありませんでした。当時はジェンダー・フルイディティという概念がまだ存在していませんでしたが、私のセクシャリティは非常に流動的だったと感じます。またJTの存在に加えて、息子が産まれてからはまず彼を守らなければいけないという思いも強くなり、スピーディやエミリーも出てきました。周りの人がスピーディやエミリーに怒っても私は気にしませんでした。一番大事な守るべきものは別にある。息子に何かしようとするならば、そのダメージの大きさを知っているので、その人は殺してもいいぐらいに守ろうと思っていたのです。ただ、そういう意味では私の母は私を愛してはくれましたが、守ってはくれませんでした。彼女自身もある種虐待を受けていましたが、助けを得られなかったので、その技量がなかったのだと思います。いまになって思えば、すべてが私を治癒させてくれ、よりよくなる助けになったと思っています。今回、来日して色々取材を受ける中でも様々な情報を得て、自分自身のことを学んでいます。そこで感じているのは、ほとんどの人は自分のことをそんなに大切にしていないと考え、自分で自分のことをわかっているつもりになっているけどそんなにわかってないのではないかということです。常にオープンでいることが大切で、そうすれば、色々な啓示というかサインが知らされてくると思っています。そして自分が取ってしまった行動の理由に気がついて理解していくことも大事だとも思います。アメリカ人はすぐ良い/悪いのモラルで片付けたがるのですが、日本人はアイデンティティにしてもアートにしてももう少し白黒でないグレーのエリアを理解できる人たちが多いような気がします。

──J.T.リロイの物語にアメリカ中があれだけ熱狂したということは、ある種みんなの求めていたものがそこにはあったのかもしれません。当時といまとではアメリカ人の間に何か変化があると思いますか。

LA:最初に人々が反応したのは作品でした。しかしNYタイムズがあれは嘘だとかでっち上げだとか書き立て、メディアの人たちはたぶん本ともども葬り去ろうとしました。しかし本は葬り去られず、「あの本に助けられた」「感動した」と言ってくれる人がいます。アートというものは葬り去ることはできません。本当に色々な人が色々なことを言いました。「あなたがああいう本を書いたのはマドンナに会うためじゃないか」「有名になりたいからじゃないか」と。これは虐待やトラウマがない人でないとわからないかと思いますが、そのような体験について話すことはすごく辛いことです。虐待を受けたことがない人はわからないから注目を浴びたくて書いたのだと責めますが、そんなことはありません。自分がトラウマを受けたことを普通はなかなか口に出しては言えないものです。多くの人が私を中傷し攻撃した理由は様々あると思いますが、もしかしたらそれは成功に対する嫉妬かもしれないし、あるいは出る杭は打たれるということだったかもしれません。トラウマや虐待を経験した人であれば、これが自分のことだと言えず、私的な部分は隠したい気持ちは理解していただけるのではないかと思います。マドンナに会うために本を書いたのではないかと言う人もいますが、いい本を書くことはとても大変なので、それだったらストーカーになる方が楽だったと思います。そういうことがわからない愚かな人がたくさんいるからトランプ大統領が選ばれてしまうわけです。ですが、たぶんいまの方が自分が隠れたいという気持ちを理解してくれる人が増えてるような気はします。ただ、全員を喜ばせることはできません。依存症回復のための12ステップがありますが、その中でアル中の人について言うのは、一杯でも十分すぎるぐらいだし百万杯でも足りないということです。つまり自分の中の空虚さは何ものでも埋めることはできません。私の場合はそれを書くことや作品によってしか埋めることはできないのだと思っています。そういうことを言ってわかる人もいれば、わからない人もいると思いますが、私にとって大切なのはそういう人たちがいるということではなく、書いていく作品だと思っています。

──あなたの告白からは性的虐待や容姿へのコンプレックス、あるいはボディ・イメージに関する強迫観念といった問題が提起されます。そういった問題は、いまだったらたとえばレナ・ダナムやエイミー・シューマーといったアメリカの女性クリエイター/コメディエンヌは架空の回想録ではなく、自分自身の回想録として自身の体験を自身の言葉でユーモアを交えてポジティヴに語っていると言えるかもしれません。現在はノンバイナリー・ジェンダーという言葉もありますが、約20年前と現在では変化をどういう風に思いますか。

LA:たしかにいまの方がそういった言葉があるだけだいぶいいと思いますが、当時、私は暴露された後にトランスジェンダーの人たちから「私たちのトランスジェンダーとしてのアイデンティティを利用した」と一斉に攻撃されました。もう本当に「クソッタレ!」って感じでした。誰も私に書けと言ったわけではありません。強迫的に書かざるを得なくなってああいう風に私は書いたのです。その当時はそういった言葉はありませんでしたが、トランスの人たちやいまで言うジェンダー・フルイディティの人たちは私が書いたことに共感してくれていました。でも暴露された後は、私をまるで退屈した主婦が遊んで書いたのだと言うように攻撃しました。私は自分が感じていた、その当時はまだ言葉にはなかったものをただ書かざるを得なくて書いていました。ジェンダーというものは、白黒というよりもここからここまでの範囲、スペクトラムだと考えています。日本の人はジェンダーのルールみたいなものをファンタジーやプレイで上手く遊んで乗り越えることができる人たちだと思いますが、アメリカはそういう意味では遅れていると思います。

──容姿や体型へのコンプレックスという問題は日本でも多くの人々が共感するであろう事柄でもあると思います。

LA:一番危険なのは、自分が孤独だと思うことです。病気や依存症、中毒といった症状が出るということは、痛みを麻痺させるためだと思います。子どもは大人ではないのでドラックやお酒ではなく、麻痺させるために食べ物に走ってしまいがちです。私たちの文化はもっと繊細さを持ってそういう人たちを見つめる必要があると思います。日本も食生活が変わって肥満の子が増えてきているみたいですが、肥満児になると周囲からからかわれます。彼らは痛みを癒すために、痛みを麻痺させるために食べ物を使っているのに、それによっていじめられてしまい、安全な場所や逃げ場がなくなってしまいます。それを暴力に訴える人もいるかもしれません。アメリカの場合なら銃を撃つかもしれない。しかし女の人の場合は、内面化させることがあるので、自分を責めることになりがちだと思います。繰り返しになりますが、一番大事なのは自分がひとりではないと思えることです。先ほども引用した「あなたが抱えている秘密の量と同じだけあなたを病んでいる」という言葉があるように、秘密はあなたに「お前は悪いやつだ」「お前はひとりなんだ」とそそのかしてくることがあります。なので、その秘密をシェアできる人やグループを見つけることが大事だと思います。また、アートというものも自分自身であるために、あるいは自分の秘密を持たない場として大切になってくると思います。アバターを作ることによって、自分が自分に正直になれるのであればいいのですが、それが自分の本当の人生を完全に生きることを妨げるのであれば、アバターはやはり中毒症状になってしまうと思います。自分から恥を乗り越える方法は必ずあると希望を持ってもらいたいと思います。自分が言うことや言いたいことに対して耳を傾けてくる人は必ずいるし、聞いてもらう方法はきっとあるはずです。人々はよく有名になれば、あるいは美しくなれば問題は解決する、みんなから愛されると思いがちですが、たとえばマイケル・ジャクソンを見ても、白くなっても整形しても彼の狂気は治りませんでしたよね。別に痩せることが問題解決にはなるのではなく、やはり自分の内面的なものと対峙しなければいけないと思います。だからセラピストやグループなど何かスピリチャルなコネクションを持てる人を探す、出会うことが大事だと思いますし、またアートというのはそれを可能にする大きな手段にもなると思います。フェイクなアートというのはありません。アート自体がある意味フェイクでできているわけですから。それは偽のニュースとは違うものです。

──ずっと気になっていたことですが、アーシア・アルジェントは『サラ、いつわりの祈り』(2004)を作る時に実は真相を知っていたと思いますか。

LA:スピーディとして私はその撮影現場にいましたが、そこで脚本を渡されたので、私が直していました。でも誰も何も言いませんでした。何か少し違うなぁ、何か少し変だなぁと違和感を抱いていた人もいるかもしれませんが、作品がそこにある、本がそこにあるということが一番大事だったと思っています。そういう意味でアーシアも誰のために映画を作ったわけではなく、自分のために映画を作ったのだと思います。彼女がそれを知っていたかどうかはあまり関係がない、意味がないことだと思います。

──現在執筆中であるという回想録はどの程度進んでいらっしゃいますか。

LA:半分ぐらい進んだところでしょうか。とても大変で、実はまだJTのところに行き着いていません。二部構成にしないといけないかもしれません。回想録や自伝を私はよく読むのですが、中には何々があって何々があったと中身がダラダラしてしまっているものがあります。私はそういう風にはしたくなくて、練り上げられたストーリーのようにしたいと考えています。そうすると、ほかの書き方ができないので、ものすごく時間がかかってしまいます。私はJTを通じて小説を書いたわけですが、いま自分の自伝を改めて書いていて、どれだけ小説の方にフィクションとしてのある種の真実が書かれていたのかということをいまどんどん発見している最中です。フィクションというのはある種の夢の状態のような感じで、夜に寝ている時に見る夢の中でたとえばゴジラが出てきて戦ったとしたら、それは考えてみると起きている時間に自分の上司と何か問題があったみたいなことがありますよね。そういったことにいまどんどん気がついて、小説の方に真実が書かれていたのだなぁといまになって気がついているところです。また、こういう風に色々なインタビューを受けたりすることで、再びこの作品に生きてもらいたい。先日、(『サラ、神に背いた少年』『サラ、いつわりの祈り』の)翻訳者の金原瑞人さんにもお会いしましたが、彼も素晴らしいアーティストだと思いました。彼は私がJTではなかったことを怒るどころか、作品として非常に価値があると褒めてくれました。今回、日本に来られたことは特権的なことだと思っています。前回来日した時はマネージャーの役をやっていたので、インタビューをそばで聞いていたのですから。しかしそういう役をするということは、木製のコンドームを使ってセックスするような感じなのです(笑)。サバンナは質問の反映しかできませんが、私はテニスをしたいわけです。ちゃんとボールを正しい方向に打ちたい。私は、ヴァンパイアの物語を書いたわけでもロマンスの物語を書いたわけでもありません。みんなが注意を払うべき問題について書いたという風に思っています。いわば生か死かということです。いまトランプみたいな人が大統領になっているわけですが、彼は女性をレイプような人であり、女子ども、あるいは声なき人たちをどんどん切り捨てていくような人です。そういう時代だからこそ、言うべきことはちゃんと声をあげて言わなければいけないと思います。普通のニュースというのは、どれだけ酷いニュース、たとえばシリアで何万人が亡くなったといったニュースがあっても、そうなんだとその時だけ思ってまた皿洗いに戻ってしまうものですが、それが小説という形で感動したりすると、何か脳に変化が起きて違うリアクションをすると思います。たとえばこういう本を読んだ後に太った子がよちよち歩いているのを見たら、笑うのではなくて、何か苦しんでいるのかもしれないと思って、もう少し気にかけてあげようと思うかもしれない。そうすると、もしかしたらその子がアーティストになって、世の中を救うかもしれない。

( text:常川拓也)



『作家、本当のJ.T,リロイ』
(2016年/アメリカ/111分/カラー、一部モノクロ/1.85:1/DCP/原題:Author: The JT Leroy Story)

作品解説
1996年、女装の男娼となった過去を綴った自伝『サラ、神に背いた少年』で一躍時代の寵児となったものの、後に実在しないことが明るみとなった謎の天才美少年作家J.T.リロイにまつわる一連の顛末に迫ったドキュメンタリー。その才能にほれ込んだガス・ヴァン・サントは映画『エレファント』の脚本を依頼し、二作目の著作『サラ、いつわりの祈り』はアーシア・アルジェントによって2004年に映画化された。しかし、2006年のニューヨーク・タイムズによる暴露記事で事態は一変。J.T.リロイという人物は存在すらせず、その正体はサンフランシスコ在住の40歳女性ローラ・アルバートだった。一連の騒動をアルバート自身の言葉をはじめ、ガス・ヴァン・サント、トム・ウェイツ、コートニー・ラブ、ビリー・コーガンらとの通話音声や留守電メッセージなどによって解剖していく。

出演
ローラ・アルバート、ブルース・ベンダーソン、デニス・クーパー、ウィノナ・ライダー、アイラ・シルバーバーグほか

スタッフ
監督:ジェフ・フォイヤージーク(『悪魔とダニエル・ジョンストン』)
撮影監督:リチャード・ヘンケルズ
音楽:ウォルター・ワーゾワ

配給・宣伝:アップリンク

劇場情報
2017年4月8日(土)より新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷ほか全国順次公開中

公式ホームページ
http://www.uplink.co.jp/jtleroy/

(C)2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC. All Rights Reserved.

*******************************

【執筆者プロフィール】

常川拓也:Takuya Tsunekawa

新潟県生まれ。映画批評。「NOBODY」「neoneo」「INTRO」「リアルサウンド映画部」等へ寄稿。Twitter:@tsunetaku

*******************************

2017年3月4日土曜日

映画『サクロモンテの丘』監督インタビューtext常川 拓也

『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ~』チュス・グティエレス監督インタビュー


スペインはグラナダの丘の斜面に位置するサクロモンテは、フラメンコの発祥地であり聖地であるという。ジプシーであるロマ(ヒターノ)たちはこの地に集い、長く迫害を受けながらも、愛や嘆き、苦労や悲しみを歌と踊りの中に託して感情の捌け口としてきた。ヒターノのフラメンコ・コミュニティとその文化および芸術の継承についてのドキュメンタリー『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ~』を通して、私たちはフラメンコの中に彼らの日々の喜怒哀楽から被差別の歴史までもが刻み込まれていることを知るだろう。彼らにとって歌うことや踊ることは生活していくためそのものであり、それは「悲劇を生きるコツ」だったのだということを。このたび劇場公開に合わせて来日したチュス・グティエレス監督にインタビューする機会を得た。本作の成り立ちやドキュメンタリーで記録した意図、そして既存の男性中心の映画産業に対する思いまで幅広くお話を伺った。

(取材・構成・写真:常川拓也)




──サクロモンテはいまや観光名所として、世界各地から著名な観光客──古くはエヴァ・ガードナーらハリウッドのスターから最近ではミシェル・オバマまで──が訪れている地であると劇中でヒターノたちが語っていますが、どういった地域なのか改めて教えていただけますでしょうか。

チュス・グティエレス(以下CG):1963年に起きた洪水からしばらくの間サクロモンテはすべて放置されたままで、復活したのは70年代末から80年代初頭のことでした。現在どのような状況かというと、もちろんサンブラも少しは残っていますが、いまは観光名所となり、かつて洪水前に洞窟に住み、そこで踊っていた共同体自体はもうありません。このドキュメンタリーの中で話してくださった年輩のヒターノの方たちの記憶の中にある共同体はいまはもうないのです。

──子どもの頃からこの地区にはよく行かれていましたか。またその当時はどのような状況でしたか。

CG:子どもの頃にサクロモンテに行ったことはありませんでした。(本作に登場する)クーロ(・アルバイシン)が、グラナダにバーを持っていたので、そこには行ったことはありました。はじめて行ったのは確かティーンエイジャーの時、70年代後半ぐらいに再開発され、バーなどができはじめた頃でした。私が子どもの頃はサクロモンテはまだ荒廃していて、危険な地域として認知されていました。ですが、いまはもう整備されて落ち着いた場所です。放置されていた時は、わけのわからない人や家がない人が洞窟の中に入り込んでいたりして危険でした。ひとつ言いたいのは、サクロモンテは、グラナダの地図の中につい最近まで載っていなかったということです。つまり認知されていなかったのです。

──映画は最初、監督自身の声からはじまります。なぜ自分自身の声から映画をはじめようと思われたのでしょうか。

CG:もちろん本作の案内役はクーロですが、私が外の人間として、知らなかった場所であるサクロモンテにはじめて入って行くという風にしたかったためです。

──そこには、何かこの物語を伝えたいという使命感のような意思も表れていますか。

CG:そうですね、これから発見しに行くようなイメージにしたいと考えました。

──本作を作るにあたって、場所、音楽、人間と3つの焦点の置きどころがあったかと思いますが、出来上がった映画はすべてに大体同じ重きを置いて語っているように見受けられます。この構成に至ったのはどの段階だったのでしょうか。

CG:本作は私がはじめて作ったドキュメンタリーです。私はドキュメンタリーの専門家ではないので、学びながら作っていきました。構成に関しては、編集の時に撮った素材を見ながらバランスを考えていきました。というのは、重要なのは事実を伝えることではなく、その中にある感情を伝えることだと思ったからです。

──では、なぜ今回はじめてドキュメンタリーで撮ることを試みようと思われたのでしょうか。

CG:そこに興味があり知りたいと思う物語があって、それをシネアストとして、ヴィジュアル・アーティストとしてドキュメンタリーで伝えようという考えに今回至ったことは、私の中では自然なことでした。好奇心からはじまったと言えます。そして、ドキュメンタリーというジャンルが非常に自由である点も理由のひとつです。フィクションだと脚本やロケーションが必要とされ、場所や物語に縛られますが、その一方でドキュメンタリーは突然コメディにしたり、シュールレアリズムにしたり、色々なことを自由にすることができます。ドキュメンタリーの自由な側面に惹かれたのです。いつも本能の中にはドキュメンタリーをやってみたい気持ちはありましたが、今回、機が熟したような感じです。本作を撮ったことで、これからもっとドキュメンタリーを撮りたいと思うようになりました。また、サクロモンテの昔の記憶が残っているヒターノのアーティストたちの姿をいま収めなくてはならない気持ちもありました。本作はいくつかのパーツで撮っているのですが、一番最初に現地に向かった時にカメラを2台使いたかったので私が1台カメラを担いで撮影もしました。実はその時に撮った方は、次の撮影の時にはすでにお亡くなりになってしまっていました。それからもうお二方お亡くなりになられました。急がなければならなかったのです。ただ、資金が十分でなかったのでジレンマもありました。最終的には自分のお金も注ぎ込んだほどです。

──たとえばフィクションの中に取材をして現実を取り込むようなスタイルで物語るようなことは検討されていましたか。

CG:いいえ、それは全く頭にありませんでした。これは絶対にドキュメンタリーで撮らなければならないと思いました。フィクションでは不可能だったと思います。いつも現実の方がフィクションよりも勝ると思っているからです。

──その一方で、本作の脚本としてクーロさんがあなたと共同でクレジットされていますね。ここでいう脚本とは、どの程度詳細なものを意味していますか。

CG:どういう風に撮影していくかを道筋としてある程度決めたもののことです。フィクションの場合ははじめに脚本ありきですが、ドキュメンタリーの場合は最後にみんなが言ったことを脚本にしていく作業と言えます。




──本作は踊り手や歌い手のインタビューの後に彼らそれぞれの踊りや歌を披露するような形で成り立っていますが、そのような構成にするにあたりクーロさんから何か助言はありましたか。

CG:そういったものは一切ないです。クーロさんは知識の源泉であり、出演してくださったみなさんへどのように接触すればよいかを導いてくれました。それ以外の構成やどういう人物を選ぶかなどクリエイティヴな部分全般は私が決断しました。

──パフォーマンスが行われるシーンは何回に渡って撮影され、どのぐらい時間をかけたのでしょうか。

CG:洞窟の中の踊りのシーンは朝から晩までかけて1日で撮りました。1回しか撮っていません。予算が本当に低かったので、そうする以外にありませんでした。

──彼らは子どもたちが近くにいても会話の中で下ネタを飛ばし合っていますが、そういうことはあまり気にされないものなのですか。

CG:全然大丈夫ですね(笑)。日本だったら少しはばかられるのかもしれませんが、スペインの特に南部では、文化としてみんな常に一緒くたに過ごします。なのでパーティの中でも2ヶ月の赤ちゃんの横でみんな平気でタバコを吸ったり、朝までみんな騒ぐわけです。パーティという空間の中で子どものグループなど様々なグループができて、そこでそれぞれが過ごします。それがひとつの分かち合いになっています。大人の話す下ネタもみんな子どもは聞いていますが、それが普通なので問題はありません。子どもたちが思春期を迎えて話の内容に気づくまで、「それってどういう意味?」と聞いてくるまではわからないだろうと考えている感じです。内容はさておき、スペインでは子どもが質問してきたら、どういう答えであっても親たちは必ず答える文化があります。

──あなたはスペインの映画産業に携わる女性たちのための団体「CIMA」を設立するなどの活動もされていますね。本作でヒターノの女性たちを見ていると結婚制度そのものを否定していたり、因習に縛られない自立的な考え方を持っているところが印象に残りました。そういった部分が、あなたが持っているフェミニズム的な関心とも結びついているようにも思えたのですが、それは少し考え過ぎでしょうか。

CG:いえ、自分の中では彼女たちの自由さをそういう部分では見ていませんでした。なぜ彼女たちがこんなに自由なのかということに私はまず驚きました。というのは、私たちの普段暮らしている世界でも男性社会の中で女性は差別されているというのに、彼女たちはヒターナとして、そして女性として二重の差別を受けていると言えるからです。二重の差別を受けているのになぜこんなに彼女たちは自由なのだろう。その理由はふたつあると思いました。ひとつは、彼女たちが青春時代を過ごしたのがフランコ独裁体制の終わりだったことです。つまり彼女たちは、これから民主主義に向かう──独裁時代の暗い抑圧された時代から急に明るく開かれた時代に行く時に青春時代を過ごしたということが、理由のひとつに挙げられると思いました。もうひとつは、彼女たちがアーティストだということです。ほかのヒターノたちともほかの女性たちとも異なるのは、たとえ夜間でも自分たちで出て行って仕事をして戻って来なくてはならない、完璧に自立しなくてはいけない環境にあったからです。彼女たちがアーティストであることが、自由の根源だと思いました。

──日本でもペドロ・アルモドバル作品をはじめとしたスペイン映画が劇場公開はされていますが、考えてみればスペインの有名な女性監督というと、イザベル・コイシェぐらいしか思い浮かびません。スペインの映画産業も多分に男性中心だと思われますが、このような状況に対してどのように考えられていますか。

CG:もちろんそうです。スペインだけとかヨーロッパだけではなく、世界全体で映画界はいまも変わらず男性社会だと思います。みんな最近になって物事が変わって男女平等と言っていますが、実は、その中身はほとんど変わっていません。いまだって女性の映画監督は世界的にも男性の一割しかいません。国によっては1%しかいないところもあります。なので女性たちが本当はもっと団結してやらなければ、いままでと同じように映画は男性が主役で、女性は常に娘か母親、あるいは妻の役しかない状態になってしまいます。ここまで色々な人が男女平等を叫んできたにも関わらず、結局まだ何も構造が変わっていないということが、いま若い女性たちの中の本心にあるのではないかとも思います。そこを変えるには、私たちが後の世代への規範となるモデルをちゃんと作り出し、そして権力を持った女たちが男のように振る舞わないことです。それが必要なことであり、そうでなければ根底からは変わらないと私は思っています。

──映画を作りたいと思うようになったきっかけは何かありましたか。また監督を志すにあたり影響を受けた作品があればお教えください。

CG:私が監督になろうと思ったのは映画がきっかけというわけではありません。もちろん『タクシードライバー』や『カサブランカ』、それからヴィム・ヴェンダースの作品など好きな映画はありますが、まず興味を持ったのは書くことからでした。私は物語を語ることが好きだったのです。

──本作は音楽ドキュメンタリーとも言えると思いますが、好きな音楽ドキュメンタリーはありますか。

CG:『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999)が大好きです。あの映画から本作は影響を受けている部分があります。

──次回作はどのような作品を考えられていますか。

CG:ドキュメンタリーに挑戦したことで自由を感じてしまったので、しばらくは劇映画に戻れないような気がしています。また、映画業界に対して強く憤りを感じている部分もあるので、もう少し長期的に物語を語っていきたく思い、TVシリーズでSFものを構想しています。






『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』
原題:Sacromonte: los sabios
2014年/94分/スペイン/カラー/スペイン語/ドキュメンタリー/16:9/ステレオ

作品解説
スペイン・アンダルシア地方・グラナダ県サクロモンテ地区。
この地には、かつて迫害を受けたロマたちが集い、独自の文化が形成されていった。ロマたちが洞窟で暮らしていたことから洞窟フラメンコが生まれ、その力強く情熱的な踊りや歌に、世界中が熱狂した。隆盛をきわめたサクロモンテだが、1963年の水害により全てを失い、人々は住む場所を追われた――。
本作は、伝説のフラメンコ・コミュニティに深く入り込み、激動の時代を生き抜いてきたダンサー、歌い手、ギタリストなどのインタビュー、そしてアンダルシアの乾いた大地を舞台に繰り広げられる詩の朗読、そして力強い舞の数々を通して、大地に根付く魂が紡がれ、代々引き継がれていくさまを描く。

スタッフ
監督:チュス・グティエレス
参加アーティスト:クーロ・アルバイシン、ライムンド・エレディア、ペペ・アビチュエラ、ハイメ・エル・パロン、フアン・アンドレス・マジャ、チョンチ・エレディア、マノレーテ他多数

配給・宣伝
提供:アップリンク、ピカフィルム 
配給:アップリンク 
宣伝:アップリンク、ピカフィルム
後援:スペイン大使館、セルバンテス文化センター東京、一般社団法人日本フラメンコ協会

劇場情報
2017年2月18日(土)より有楽町スバル座、アップリンク渋谷ほか全国順次公開

公式ホームページ
http://www.uplink.co.jp/sacromonte/


***********************************

【監督プロフィール】
チュス・グティエレス:Chus Gutiérrez

1962年、グラナダ生まれ。CMディレクターとしてキャリアをスタート。現在ではスペインの中でも信望が厚く重要な監督の一人である。子どもの頃に初めて両親にタブラオに連れていかれて以来、何度もサクロモンテを訪れ、サンブラと関わり続けている。1995年の『アルマ・ヒターナ/アントニオとルシアの恋』ではサクロモンテの重要なアーティストの協力を得て、非ロマとロマとの共存を描いている。また『世界でいつも…』(2003)『ヒステリック・マドリッド』(2004)『デリリオ -歓喜のサルサ-』(2014)はいずれもラテンビート映画祭で上映された。

***********************************

【執筆者プロフィール】

常川拓也:Takuya Tsunekawa

新潟県生まれ。映画批評。「NOBODY」「neoneo」「INTRO」「リアルサウンド映画部」等へ寄稿。Twitter:@tsunetaku


***********************************

【関連記事】

映画『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』評text長谷部 友子

***********************************

2016年6月28日火曜日

映画『ひと夏のファンタジア』公開初日・舞台挨拶レポート

昨年開催された第37回PFF(ぴあフィルムフェスティバル)にて特別上映され話題となった、奈良県五條市にて撮影された映画『ひと夏のファンタジア』の初日舞台挨拶が6月25日(土)、渋谷ユーロスペースにて行われ、チャン・ゴンジェ監督、主演の岩瀬亮、キム・セビョク、康すおんが登壇し、撮影時の思いなどをそれぞれが語った。

映画は2014年に河瀨直美監督のプロデュースのもと、全編が奈良県五條市で撮影された。奈良県は河瀨監督作品『萌の朱雀』で知られるようになった山間の静けさのある土地である。本作は白黒のドキュメンタリー調からなる《第一部》〜ドキュメンタリー調、日本の夏をしっとりと色彩ゆたかに男と女のある一日を収めた《第二部》〜劇映画調の2部構成で作られた作品である。

ワンシーン・ワンカットで撮られた撮影現場にて、主演の岩瀬は「これは休憩ありの6時間の大作になってしまうのでは……」と思ってしまうほどの長回しがあったことなど、現場での感想を振り返った。また、《第二部》では元々シナリオがなく、監督と俳優陣が現場で作り上げていった撮影秘話などを交えた舞台挨拶となった。


左より、チャン・ゴンジェ監督、キム・セビョクさん、岩瀬亮さん、康すおんさん


***********************************

—今日は記念すべき日本公開日です。感想をお聞かせください。

ゴンジェ ちょうど2年前に奈良の五條で撮った映画です。河瀨直美監督のプロデュースのもと、ここにいらっしゃる俳優の皆さんと、とても楽しく撮った映画です。東京の観客の皆さんがどのようにこの映画を観てくれたか気になりますし、後でまたお話を聞かせてくれたら嬉しいです。とにかくどんな感想を持ってくれたかが今一番気になっています。

セビョク 韓国では昨年公開されました。韓国でも本当にたくさんの方に観ていただいた映画です。私は映画の中で日本語を話す役を演じたこともあり、皆さんの反応が気になります。

岩瀬 この映画はもう韓国では公開されているので、韓国の方たちの反応は見ているのですが、日本の方々がどういう風に見られるのか僕も気になるところです。感想を楽しみにしています。あと、今日万全な状態で来られなかったことを哀しく思っております(笑)。本当にすみません(笑)。

康 僕は最初、言葉の壁をどう乗り越えていくんやろうなぁと思ったんですけど、監督たちと寄り添いながらお互い五感を研ぎ澄ませていくと何とかシーンを作っていけるものなんやなぁと感じて、それが面白かったですね。


―撮影当時のエピソードをお聞かせください。

ゴンジェ まずとても時間がなかったことが大きかったです。この映画は一部と二部に分けられていますが、一部はシナリオがあって作ったものです。ただ、二部の場合はシナリオがない状態で撮影しなければならず、本当に毎日俳優の方たちと相談しながら、即興で撮った部分も多い映画でした。俳優の立場としたら、もしかしたらそういう作り方は面白いかもしれないですが、監督の立場としては、本当にどうやっていこうか悩んだり大変な思いをした映画です。

セビョク 私の場合は海外で撮影する経験がはじめてでしたし、出演者や監督の皆さんと寝泊まりしながら合宿のように過ごして撮影した経験もはじめてでした。そういった経験自体が、楽しく良い経験でした。その時も楽しかったのですが、過ぎてみて、本当に良い思い出として心の中に残っています。また、そういう状況で撮影しましたので、より集中して演技、撮影ができたかなと思っています。とても良い思い出です。それから今、一番の思い出として残っているのは、本当に暑かったことです。今日、撮影していただいたカメラマンの方に来ていただいていますが、撮影監督の方が本当に汗をダラダラ流しながら撮影していただいた記憶が蘇ってきます。

ゴンジェ 今日は撮影監督の藤井昌之さんが会場にいらっしゃっています。


―この間、ワイルドフラワー映画祭で撮影賞を授賞されました。

ゴンジェ 韓国のインディーズ映画のための授賞式でも最優秀撮影賞を授賞されました。トロフィーはちゃんと受け取られましたでしょうか。

藤井 (観客席から答えて)受け取りました!

岩瀬 撮影で覚えているのは、二部のシナリオがなかったので、そのシーンのスタートと終わりがはっきりしてなくて、ワンシーンワンカットで全部撮影し、それを切り取っています。実際はどれも20~30分平気で回していたので、「これは休憩ありの6時間の大作になってしまうのでは……」と思いながら撮っていたことを思い出しました。

康 監督から最初に言われたのが、「俳優としてバレないように、そこに存在するようにいてほしい」ということでした。それは僕も昔から一度やってみたかったことでした。どうしても役者ではない一般の方と同じ画面に映ると違和感が出てしまうので、どういう風に(画面内に)収まるかということばかり考えていました。だから五條に行ってもウロウロウロウロして、色んな店や図書館などで現地の人たちと話したりしました。何かないかなと思いながら、そればかり考えていたことを思い出しますね。


―そういった素晴らしい演技が、ドキュメンタリーとフィクション、ファンタジーにつながっていくことになったのではないかと思います。その点、監督はいかが思われますでしょうか。

ゴンジェ 韓国でも観客の方や評論家の方からの評価を聞くと、やはり俳優のやり遂げた要素が力となってくれた部分が大きい映画だ、という評を多く聞きました。個人個人の演技はもちろん素晴らしいですし、みなさんのアンサンブルも上手く効果が出たと思っています。本当に俳優の皆さんのおかげだと思っています。




―昨年、韓国では3万6千人を超える大ヒットを記録しました。キム・セビョクさんにお聞きしますが、その理由はどういうところにあったとお考えでしょうか。

セビョク
 この映画を観ていただいた皆さんは、それぞれ好きな部分がどうも違うようなんですね。一部が好きな方もいますし、二部が好きな方もいます。また、ひとつひとつの細かいシーンまで好きなところがそれぞれ違いますので、本当に個人個人の何かと持っているものを刺激するものがあるのではないかと思います。ただ、それが何かはわからないのですが、何かみなさんそれぞれに届くものがあったのかなと思っています。

ゴンジェ 韓国では20代の女性の観客の反応が圧倒的に多かったんですね。ひとりで海外に行こうという経験を通じて、そこで素敵な人に会ってロマンスが芽生えるところに惹かれた観客が多かったのではないかと感じています。


―岩瀬さんは韓国で公開時、空港でパパラッチされるほど人気があったようですが、そのへんはどうでしょうか?

岩瀬 (観客笑)。笑われてるじゃないですか(笑)!  話が重なってしまうかもしれませんが、女性が外国へひとりで旅をするっていうロマンチックな設定なので、そういう映画にたまたま出ていたのが僕なのかな、という感じを持っていますね。


―監督はいかがでしたか?

ゴンジェ 岩瀬さんは韓国で今最もデートしたい人と言われるほどの人気です。10年前は加瀬亮さんの時代だと言われておりましたが、今は岩瀬さんがそうです(笑)。


―この映画が韓国で多くの反響があったことについては、いかがでしょうか?

ゴンジェ インディーズの作品なので、観客はもともと入らないんですけども、公開したのはちょうど去年の今頃で、その時韓国はMARSが発生して公開が決まっていた他の映画も延期したりといろいろ起こっていて、どうなるかな? と思っていたのですけれども、初日に公開された時にお客さんが満席だったんですね。たくさんの方に見て頂いて、これは一体なんだろう? と思ったんですけれども、皆さんにそうやって本当に楽しんでいただいたので、監督として作ってよかったなあという気持ちです。もちろんこの映画は五條市から支援を受けていますけれども、私は単純にこの映画を五條の広報をするとか観光的に、ということは元々考えていなかったんですね。韓国の方が結果的に五條市に訪れてみたいと言って、実際五條に観光された方も本当にいましたし、今でも観光客にとって五條がトレンディだと聞いております。結果的には広報の映画になったなあというふうに思っています。


―今日、来て頂いたお客さんの中で質問がある方はいらっしゃいますか?

質問 第一部の冒頭のシーンを見たときに、私は一瞬それが、日本語なのか韓国語なのか聞きわけられなかったのですが、かなりきつい関西弁ですし、小さい声でしゃべっている……それは監督はわざと観客は聞き分けられないだろうな、と意図して作られたのでしょうか?

ゴンジェ 私自身も日本語ができないので、日本語を言語としてではなく、音で聞いていたんですけれども、理解ができなくても音として聞いて欲しいというような意識を持って作業をしていました。


―最後に一言、日本のお客さんへお一人ずつお願いします。

ゴンジェ まず、ユーロスペースで上映となることにご尽力くださった皆様、ありがとうございます。それから日本で公開できるようにしてくださった日本のスタッフの方々に本当に感謝しております。皆さんが楽しく見てくれたら本当に嬉しく思います。もし今日、面白いなと思っていただけた方がいたら、周りの人にも進めてください。それでは、みなさん楽しい週末の夜をお過ごしください。

セビョク 日本には旅行や撮影で来たことはあったのですが、自分が出ている映画が海外で公開されたという始めての経験になりました。とても新鮮で緊張したこともあったのですが、とても気分がいいです。皆さんがこの映画をどういうふうに見てくれたかということを、ずっとそれが気になっているのですけれども、楽しんで頂けましたら本当に嬉しく思います。

岩瀬 今日は本当にご覧いただきありがとうございました。僕はこの映画は本当に何度も見ているのですが、自分の家でもDVDがあって見たりするんですけれども、あまり、自分が出演してきた映画でそういう事をする事っていうのはなくて、毎回見る度に一部がよかったり、二部の方がすごく自分にヒットしたり、日によって違ったりしました。様々な魅力を持った映画になったのではないかなと思っているので、もし気に入っていただいたら、皆さんに伝えていたただければと思います。本日はありがとうございました。

康 作品は一人歩きして行くものが多いと思ってるんで、この作品も出来るだけ一人歩きしていけるようにと願っております。ありがとうございました。


以上は2016年6月25日の公開初日に行われた舞台挨拶の模様から採録しました

(text:小川学)

***********************************


主演・岩瀬亮さんの単独インタビュー記事も併せてお読みください。

http://kotocine.blogspot.jp/2016/06/text_22.html


***********************************




『ひと夏のファンタジア』
2014/日本・韓国/96分/DCP

作品解説
<一部>
韓国から奈良県五條市に次回作のシナリオ・ハンティングのためやってきた映画監督テフン(イム・ヒョングク)は、助手兼通訳のミジョン(キム・セビョク)とともに、観光課の職員・武田(岩瀬亮)の案内で町のあちこちを訪ね歩く。古い喫茶店や廃校、ひとり暮らしの老人宅など、五條に暮らす人々をインタビューして回り、彼は花火大会の夜に不思議な夢を見る。
<二部>
韓国から奈良県五條市へひとりで旅行に来た若い女性へジョン(キム・セビョク)は、観光案内所で柿農家の青年・友助(岩瀬亮)と出会う。古い町を歩きながらともに時間を過ごす中で、友助は次第に彼女に惹かれていく。

キャスト
ミジョン:キム・セビョク
武田友助:岩瀬亮
キム・テフン:イム・ヒョングク
ケンジ:康すおん

スタッフ
脚本・監督:チャン・ゴンジェ
プロデューサー:河瀨直美、チャン・ゴンジェ

@Nara International Film Festival+MOCUSHURA

公式ホームページ
http://hitonatsunofantasia.com

劇場情報
6月25日(土)より 東京 ユーロスペースにてレイトショー
7月2日(土)より 大阪 シネ・ヌーヴォ、名古屋 シネマスコーレにてロードショー
7月9日(土)より 横浜シネマリン、8月以降 シネマテークたかさき ほか、全国順次公開予定


2016年6月22日水曜日

【特別企画】映画『ひと夏のファンタジア』主演・岩瀬亮インタビューtext常川 拓也

 映画という共通言語があれば、あるいは、映画という創造行為の名の下にプロフェッショナルな人々が集まれば、言語の壁を超えて信頼関係を築くことができる。映画によって連帯が生まれ、信頼によって映画が生まれる。まるでひと夏のキャンプを楽しむかのように、韓国人と日本人が混成して奈良県五條市で撮影した映画『ひと夏のファンタジア』は、もしかするとそのような映画の可能性を思い出させてくれるかもしれない。

 映画『ひと夏のファンタジア』は2014年に韓国で公開されると、公開1ヶ月でインディーズ映画としては異例の3万人以上を動員した。きっとその多くは、「一部」のモノクロから、カラーへと一転する「二部」の淡いロマンスの余韻の美しさに虜になったに違いない。「二部」で岩瀬亮が演じる友助は、たまたま知り合った韓国人女性へジョンを和ませるために自虐っぽいことを言ったり、冗談を言う。本音を冗談で隠しながら、彼女の懐に一歩踏み込んでみるような人との距離感の取り方が、いかにも自然で微笑ましい。へジョンと友助の間の仄かなロマンスをカメラは慎み深く見守り、ささやかな郷愁とともに魔法のように甘美な雰囲気が包み込んでいる。

 岩瀬亮という役者の口から出る言葉は、まるでアドリブかのように、私たちの耳に馴染んで溶け込んでいく。彼が画面に現れると、自然で柔和な演技が、韓国からひとりやって来た女性の心から緊張を解くように、私たち観客に親密さとともに、どこか安心感を覚えさせる。彼は、いかにも演じている者として振舞うのではなく、実際に“そこにいる”と思わせる存在感なのである。

 その親しみやすい演技を生み出す秘密について、そしてものづくりにおける信頼関係について、岩瀬亮さんにお話を伺った。

(取材・構成・文:常川拓也)

*『ひと夏のファンタジア』公開に際して、インタビューの一部を先行公開いたします。なお、1万5千字に渡るインタビューの全文は7月上旬販売の映画冊子「ことばの映画館 第4館」に掲載予定です。



──昨年のPFF(ぴあフィルムフェスティバル)ではじめて観た時からすごく好きな作品だったので、今回、日本公開されることを嬉しく思っています。韓国人監督が撮ったとはにわかには信じがたいほど自然な日本の雰囲気に驚かされると同時に、夢見心地のようなまったりとした時間感覚にも魅了されました。撮影前にどの程度、全体像がわかっていたのでしょうか。

岩瀬亮 まず「一部」と「二部」があって、「一部」の方はセリフもちゃんと書かれていて、ほぼほぼ脚本ができていました。「二部」の方はプロットの前段階──こういうことが起こるぐらいのざっくりとした順番の並びだけしか決まってなくて、他のはっきりとしたことは与えられていませんでした。監督の頭の中にはイメージがあったとは思いますが、それしか知らせてはいませんでした。

──事前に聞いていたイメージと、実際にできあがった作品をご覧になって、印象の違いはありましたか。

岩瀬 撮影中は、どうなるのかはっきりとはイメージできてなかった部分があって、できあがったのを観て、「あ、こういう風につながるんだ」とかは結構ありました。というのは、「二部」の方は長回しで撮っていて、その中から会話を切り取っているんですよ。例えば、食堂でふたりでカレーを食べながら喋ってるシーンなんかは、30分以上回してる中のその何分かを切り取って使われています。なので、どこが使われるのかはわからず、「これ、このまま編集したら5~6時間の大作になるぞ」と思いながら撮影していたので、「あ、ここを使うんだ」というのはありました。「二部」はセリフ自体は決められてなく、状況の設定や言ってほしいセリフ、こういう話の流れにしてほしい、ということだけ与えられていました。だから(カメラを回す時間が)長くなっちゃうんですよね(笑)

──2009年バンクーバー映画祭で『イエローキッド』(2010、真利子哲也)が上映された際に、チャン・ゴンジェ監督と出会われたという理解でよろしかったでしょうか。

岩瀬 バンクーバーに行ったのは真利子監督だけで、そこでふたりは知り合って。その後に韓国でチョンジュ映画祭というのがあって、そこに真利子監督とぼくも行ったんですよ。そこでチャン監督を真利子監督から紹介されて、はじめて会いました。

──その後も、韓国に行った際はゴンジェ監督の家に泊まったりしていたと伺いました。

岩瀬 そうですね。逆にチャンさんが日本に来る時はぼくの家に泊まったりして、交流は続いていました。

──コミュニケーションはどのように取られているのですか。監督は、「普段から日本語でも英語でもないような言葉で」会話しているとおっしゃっていました。

岩瀬 そうですね、一応、ぼくの認識では英語なんですけど(笑)お互いの拙い英語でという感じですね。その中に日本語も韓国語も混じっています。

──もともと友人だった関係というのは、今回プラスに働いていると思われますか。

岩瀬 それは大きくあったと思います。たとえば映画の話もするし、どういうものを撮りたいと思ってるのかとか全部はわからないけれど、ざっくりと共通認識としてお互いにあったと思うので、それはすごくプラスに働きました。あと、たぶんいきなり外国人の監督のもとに呼ばれて行ったら、やっぱり色々な乗り越えなくちゃいけない壁があったと思うのですが、それがもともとない状態から撮影ができたので、それはかなりプラスでした。

──ゴンジェ監督の作風もある程度理解されていた上での出演だったかと思います。

岩瀬 そうですね。一個前の作品もたぶんセリフがちゃんと決まってない中で撮ってる瞬間があったように思いますし、それだけがすべてではないですが、要は、しっかり出てきた人物たちがお互いに人間としてコミュニケーションを取り合うという大前提をちゃんとしましょうね、というところが前の作品とも共通してると思いますね。

──監督とは、具体的にはどのような部分で考え方が近いですか。

岩瀬 セリフを渡さない意味、なぜセリフを書かなかったのか、そういったことを考えてみた時に、演出で大事にしているものが垣間見れると思います。もちろんセリフがあることはひとつの表現として大事なことですが、セリフのない中でふたりのコミュニケーションをいかに生み出すかということを大事にしているんだろうなという気がしました。セリフだけだと、セリフに引っ張られてそこが手薄になってしまうこともあるかもしれない。そうではない何かを撮りたいというのは、ぼく自身も同意できるので、その辺りは一致するところなのかなと思います。

──『ディストラクション・ベイビーズ』(2016、真利子哲也)にも出演されてますが、真利子監督とゴンジェ監督とではどのような演出の違いがありますか。

岩瀬 全然違いますね。基本的に全部違うと思うんですけど、逆に共通してる部分ってなんだろうと考えると、生の人間をちゃんと表現したいという感覚が、ぼくから見て共通してあるように思います。

──ゴンジェ監督の撮影の進め方や演出はどのようなものでしたか。

岩瀬 とにかくコミュニケーションを取ってくれる監督でした。1シーンを撮る前には必ずどういう場面かを詳しく話してくれて、1回テストをやるんですけど、その後に「ここがこうだったからこうして」ではなくて、まず演じた本人にどうだったかを訊ねるところから入り、「こうだった」と答えると、「ぼくもそう思ったんだ。じゃあ、少しこうしてみて」となるような進め方でした。とにかくコミュニケーションを取って、演じる側のことをすごく考えてくださる監督だなと思います。 



☆言葉を自然なものとして響かせるために☆

──本作は実際の五條の町の方々がインタビューに答え、ドキュメンタリーのようにしてはじまります。「一部」では、岩瀬さんと康(すおん)さんは彼らと同じようにインタビューに答え、同じように五條の住民として画面に現れます。その流れの中で違和感なく自然に登場するということは、とても難しいことではないかと想像するのですが、溶け込むための工夫みたいなことは何かされましたか。

岩瀬 「一部」に関しては、セリフがちゃんとあったので逆にそれを大事にしつつ、セリフを言うだけだとお芝居お芝居してしまうから、地元の人たちと比べた時にバレるだろうなと思いました。なので、自分の言葉にするように意識し、自分の中でちゃんと消化して喋るように気をつけました。

──友助は東京から来たという設定ですね。

岩瀬 あれは撮影前に監督とどうしようかいろいろ話しました。現地の言葉を使う人でもいいんじゃないかという話もありましたが、即席で付け焼刃的に方言を練習したところで絶対にボロが出てしまうと監督に話し、その結果、関東の言語を話す人になりました。打ち合わせで一度、奈良弁やってみましたが、全然うまくできませんでした。

──康さんは現地の言葉で登場しますね。

岩瀬 康さんはもともと大阪の方なので基礎ができてる方でしたが、それで満足されずに、撮影前や時間がある時は、とにかく地元の人を探して、会話をして、地元の言葉を習得しようとずっとやられていて、すごいなと思いました。

──役作りの上で、監督から何か意識するよう言われたことなどはありますか。

岩瀬 キャラクターについてこうしてくださいというのは特にありませんでしたが、例えば「二部」の農家の役を演じるにあたっては、チャンさんがもともとリサーチで五條に来た時に会った柿農家の人を呼んでくれて、実際にその方とお話したりはしました。

──「一部」は監督自身のお話のようですね。

岩瀬 そうですね、監督が調査に来た時の話がかなりもとになってるのではないかと思いますね。

──二部構成というのは、最初から意図として聞かされていたのでしょうか。

岩瀬 はい、それは聞いていました。

──「一部」では閑散とした街並みとともに住民たちのインタビューから五條市に過疎化が進んでいること、若者が都会に出てしまっていることが示されますが、一方の「二部」では、日本人と韓国人の若い男女の淡いロマンスが描かれます。と同時に、ドキュメンタリー調の白黒映像である前半から、後半では夏の日差しの暑さがじりじり伝わってくるような暖色系のカラー映像になります。映画の中でふたつの物語が互いに関連付けあいながら──同じ場所場所を巡っていきながらも異なる描写と表現を紡ぐことによって、差異が生まれていることもまた、独特な時間感覚につながっているように思いました。こういった構成自体に際して、役の演じ分けや世界観の違いは何か意識されましたか。

岩瀬 世界観の違いみたいなものは特に意識してはいなかったです。役としては、「一部」の友助と「二部」の友助は、単純に別のものとして演じていました。何せ脚本にセリフはなく、他の準備がなかなかできないので、「二部」の友助は、日焼けをして髪を切るなど見た目からできる限りの準備をしました。

──役作りは、外見から作っていくことが多いのですか。

岩瀬 いや、そういったことはなくて。むしろ外見は一番最後に考えることの方が多いですね。『イエローキッド』も外見から作りましたが──そういう作り方ももちろんありますが──、毎回外見から入っていくというわけではないです。

──今回の役作りはどのようなものでしたか。

岩瀬 今回は「一部」と「二部」があるちょっと特殊なケースだったので、単純にそれぞれに差をつけたいという思いがまずありました。違いを生むという意味で、日焼けをするというのと、話し方を少しだけ早くするよう意識しました。

──話し方を早くするというのは、「一部」と「二部」の友助の職業の違いからですか。

岩瀬 それもありますが、あと会話の性質の違いもあると思います。「一部」は、職員が韓国から来た映画監督とその通訳に町の説明をする、自分の生い立ちを語る、というもので、「二部」のように男性が女性に声をかけて話をしてロマンスが生まれる過程の会話とは、性質が違うものでした。

──岩瀬さんは、『イエローキッド』ではボサボサの髪とヒゲにメガネの陰気な漫画家を演じられていますが、本作では全く対照的な人物を演じています。ですが、どちらもセリフの中に、「まぁ」「えっ」「あっ」「あの」「なんか」などの間_が入っていることに気付かされます。そういったものを上手くナチュラルに取り込むことを意識されているのでしょうか。

岩瀬 結局、ない方がいいとは思ってるんですよ。なくていいんだったらなくていいとは思うんですけど、どうしても会話をつなげていく時に、それがあった方がつながりやすい瞬間がある時は入れるようにはしています。ですが、監督によってはそういうものを嫌いな方もいらっしゃるので、その辺りは臨機応変にやっています。でもできる限りは、基本的には入れないようにはしてるんです、これでも(笑)だって、入れないで成立するならその方がいいなと思うので。

──でもあれによって、日常会話のリズム感が生まれているように思えます。

岩瀬 ぼくもいいなとは思うんですけどね(笑)でも、それがなくても日常会話感とかリズム感というのはもしかしたら出せるかもしれなくて、それにチャレンジしないと、ただ「あ」とか「え」とかがいっぱい入っちゃって、ごちょっとした芝居になってしまう恐れもあるので、できる限り減らして、でも必要だったら入れるようなスタンスですね。

──「一部」ではそういうものが書き込まれていたわけではなかったのでしょうか。

岩瀬 なかったですね。ぼくが全部勝手に入れてるやつです。すみません(笑)

──いやいや、そうすることによって、セリフが、まるでその場のやりとりから生まれたアドリブかのように自然なものとして響いてくるように感じられました。本作を観た知人は、「普段聞き慣れている母国語のはずなのに、まるで外国語を聞いているかのように会話のやりとりが迫ってきた。その不思議な会話のリズムが五條市の景色と相まってなんとも気持ちがよかった」と言っていました。日本語がわからない監督が撮ったからこその良さは感じられたりしましたか。

岩瀬 どうなんだろう……いま聞いていてひとつ思ったのは、キム・セビョクさんは日本語を喋れるんですけど、いわゆるネイティヴではないので、ぼくがバーッと話してしまうと、わからない箇所が出てきてしまうと思うんですね。だから向こうがちゃんとわかるように話そうという風に友助もするから、それが独特の間になったのかなという気はちょっとします。

──たしかに身振りも含めて、友助が親切に、丁寧に伝えようとしてる感じが観客にも伝わってくるのが、見ていて好ましい気持ちになりました。「二部」でふたりが笑い合ったりしている瞬間というのは、本当にその場で笑っているということですよね。

岩瀬 そうですね、基本的にそういうことだと思います。

──だからこそ、あんなに真実味を感じたのですね。

岩瀬 「ここでこういう風に笑って」みたいなのはなかったですね。

──あまりに微笑ましくて、観ていてこちらも笑ってしまいました。

岩瀬 あら、いいところ尽くしじゃないですか(笑)


☆ものづくりにおける信頼関係☆

──ほかに外国人監督が日本を舞台に日本人で撮影した作品というと、アッバス・キアロスタミ『ライク・サムワン・イン・ラブ』(2012)があります。

岩瀬 キアロスタミ監督は好きな監督です。

──あの作品でも日本語の会話の比重が大きかったですが、『ひと夏のファンタジア』も『ライク・サムワン・イン・ラブ』もどちらも話し言葉の中に不自然な感じが全然ないというのが、すごく興味深いことのように思えます。

岩瀬 それでひとつ思うのは、結局、監督は日本語がわからないわけじゃないですか。たぶん判断しようがないんですよね、それが言葉として硬いか柔らかいかとか。わからないから、言葉ひとつひとつというよりも、その時の全体の雰囲気や空気、ふたりの間で言語とは違うところで起こっているものを何とか見ようとしているのではないかと思います。それがOKな時って、たぶんちゃんと会話ができてる時だと思うので、そういう部分が切り取られていくのかなという気はしますね。

──監督は、「言葉がわからないから、感情を見ていた」とおっしゃっていました。

岩瀬 そういうことだと思いますね。

──言葉がわからなくても、そういうところが見抜けるってすごいですよね。

岩瀬 逆にわからないからこそ、そこに集中できるっていうのもたぶんあるんじゃないかなぁ。言葉がわかっちゃうと、言葉を聞いてしまうから、セリフが上手くいってるとそれでOKにしてしまう場合がありますが、言葉がわからないと違うところで何とかそれを掬い上げようとするから、逆に集中して見れるような気がします。

──日本語をわからない人に伝えようとすると、身振りも大きくなったり、表情も加えたりするので、そういうので監督自身もわかりやすかったりしたんですかね。

岩瀬 どうなんですかね、でもたしかにそうですよね(笑)

──昨年、PFFの一次・二次審査で様々な日本の自主映画を観たのですが、会話を自然な風にしようとして逆にセリフっぽく聞こえてしまう作品が多くありました。そういった中で、韓国人の監督が撮ったにもかかわらず、自然な日本語の会話が聞こえる本作はすごいなと思ったんです。セリフセリフしない感じっていうのは、どういうところに工夫があると思われますか。

岩瀬 自分の体験の中でもととなっているのは、ぼくは舞台もよくやっているのですが、舞台ではひとつのやりとりについて、何十回も何百回も同じように稽古をします。そうすると、このやりとりがどうやったら新鮮にできるのかとかをすごい考えるようになるんですね。そういうところで教わったというか、培ってこれたものがあったとしたら、役に立っているのかなと思います。難しいですよね、それって。フランクに喋ってますよという風に「~っぽく」話すと、「~っぽく」話すこと自体はすごい簡単なんだけど、そこにちゃんと血が通ってるところまで行くのがすごい難しいことだなといまでも思うので、そういう感想をいただけるとすごく嬉しいです。

──アドリブでその場でやってもらっているのをただ撮っていても絶対に観ていて違和感はあるじゃないですか。

岩瀬 そうですよね。

──それを成立させているというのは、本当に驚くべきことです。

岩瀬 セビョクさんの力もすごく大きかったと思います。超大変だったと思います、よくわからない日本語をずっと喋って芝居するんだから。

──「二部」でのアドリブに対応するぐらいの日本語力がセビョクさんにはあったのですか。

岩瀬 100%理解していたわけではなかったです。テストをやった時に「ちょっとさっき何て言ってるのかわからなかった」みたいなことはあって。韓国語じゃないから、セビョクにとっては外国語に自分のモチベーションを乗せなくちゃいけないわけで、それがたぶん難しいと思います。ぼくら日本人だったら「難しい」という言葉にその気持ちを乗せられるけど、「It's difficult」と言う場合には感情を込めて言うのが難しいじゃないですか。

──ちょっと恥ずかしいですし。

岩瀬 そうそうそう。それをちゃんと自分のできるところでやろうとしていたので、すごいなと。

──カメラの前で母国語ではない言葉で演じる恐怖、あるいは日本人にとっては日本語がわからない監督の前で演じる恐怖、そういうものがない現場だったということでしょうか。

岩瀬 あー、そういうのはなかったですね、たしかに。監督は俳優がやることをなるべく信じてくれていたし、そうすると、同じように監督が言うことをぼくらも信じられるようになるし、信頼関係はできていたんじゃないかなと思います。

──撮影前から信頼関係を築いていくような時間はあったのでしょうか。

岩瀬 そんなに多くはなかったです。そもそもそんなに時間をかけて撮れるような状況でもなかったので。でも、その中でできる限り多くそういったコミュニケーションは取るようにしてくれていたと思います。

──監督も遊びに来ているような感覚もあったとおっしゃっていました。

岩瀬 あ、そんなこと言ってたんですか。

──「密度の濃いものを撮らなければならない緊張感はある一方で、まるでみんなで知らない土地に遊びに行って、一緒に寝泊まりしながら作るような感覚もあった」と。

岩瀬 監督は、そのさじ加減がすごく上手で。本当にただ遊んでるだけだったら、できあがった作品のようにはならなかった。たぶん一個ちゃんとした緊張感を保った上で遊べるということが、監督のバランス感覚の素晴らしさだと思います。撮影の時にみんなで楽しく寝泊まりしたっていうのをそのまま引きずってしまうとたぶんダメで、「いい作品を作ろう」という緊張感は常にあったんじゃないかなと思います。

──そのオン/オフの切り替え時に、監督の態度などは変わらずに緊張感が出るんですか。

岩瀬 小さなことかもしれないけれど、ぼくと監督はもともと知り合いで友だちで、そのアドバンテージはいっぱい使うけれども、だからと言って、「友だちだから言わなくてもわかるでしょ」みたいな雑なことはしませんでした。ちゃんとその瞬間は俳優と監督として向き合っていました。友だちってだけでやっていたら成立しなかったと思います。そういう緊張感がありました。

*インタビューの全文は7月上旬販売の映画冊子「ことばの映画館 第4館」に掲載予定です。
 

『ひと夏のファンタジア』
2014/日本・韓国/96分/DCP

作品解説
<一部>
韓国から奈良県五條市に次回作のシナリオ・ハンティングのためやってきた映画監督テフン(イム・ヒョングク)は、助手兼通訳のミジョン(キム・セビョク)とともに、観光課の職員・武田(岩瀬亮)の案内で町のあちこちを訪ね歩く。古い喫茶店や廃校、ひとり暮らしの老人宅など、五條に暮らす人々をインタビューして回り、彼は花火大会の夜に不思議な夢を見る。
<二部>
韓国から奈良県五條市ひとりで旅行に来た若い女性へジョン(キム・セビョク)は、観光案内所で柿農家の青年・友助(岩瀬亮)と出会う。古い町を歩きながらともに時間を過ごす中で、友助は次第に彼女に惹かれていく。

出演
キム・セビョク
岩瀬亮
イム・ヒョングク
康すおん

スタッフ
脚本・監督:チャン・ゴンジェ
プロデューサー:河瀨直美、チャン・ゴンジェ

@Nara International Film Festival+MOCUSHURA

公式サイト

上映情報
6月25日(土)より 東京 ユーロスペースにてレイトショー
7月2日(土)より 大阪 シネ・ヌーヴォ、名古屋 シネマスコーレにてロードショー
7月9日(土)より 横浜シネマリン、8月以降 シネマテークたかさき ほか、全国順次公開予定

***********************************

岩瀬亮(いわせ・りょう)

1980年生まれ。茨城県出身。早稲田大学卒。2005年より「ポツドール」「ハイバイ」「サンプル」などの劇団公演に多数出演。主な出演作に映画『イエローキッド』(2010)がある。本作出演後、韓国映画『最悪の女』にもキャスティングされ、海外進出も果たす。


***********************************

【執筆者プロフィール】

常川拓也 Takuya Tsunekawa

映画批評。「Nobody」「neoneo」「リアルサウンド映画部」などで映画評を執筆。これまでに塚本晋也、ジョン・ワッツ、ペマ・ツェテン(「ことばの映画館」vol.4掲載予定)らへの個別インタビューを行う。「PFFアワード2015」セレクション・メンバー。Twitter:@tsunetaku


***********************************

2015年11月3日火曜日

第28回東京国際映画祭《コンペティション部門》 短評 text 常川拓也

『家族の映画』(オルモ・オメルズ)

​(c) endorfilm s.r.o., 42film GmbH, Česká televize, Arsmedia d.o.o., Rouge International, Punkchart films s.r.o.

個人的には、コンペ作品の中で最もお気に入りの一本。父母が不在の中で姉や弟がその自由を満喫する思春期の若者の倦怠や欲望の感覚がヴィヴィッド(暇つぶしに全裸エレベーター乗りゲーム!)でまず惹きつけられる。その後、次第に両親や叔父の視点に移行したり、家族と離れた犬の話に移行したり、いい意味で観客を惑わせながらうねっていくシナリオ、そしてその中でどの場面の何を見せるか見せないかをスマートに描き分けていくあたり、84年スロベニア生まれのオルモ・オメルズの確かな手腕とセンスを感じた。何よりも好感を抱いたのは、犬も私たち家族のピースのひとつであり、彼がいないと家族は不完全だという作り手のまなざし。「飼い犬(ペット)」としてではなく、「家族」の一員として犬を描いている点が、まさに現代的な「家族映画」となっていてフレッシュな驚きを与えてくれた。ヨットが転覆し荒波に飲まれた際に犬のオットーを探し求めても届くことのなかった父の声が、あるいは無人島に流れ着いたオットーが周囲に誰もいない真っ暗な海で吠え続けた声が、家族の再会とともに呼応する演出も見事で、静かに胸に響く。人間たちへの割と無機的な距離感を取った演出と、犬の孤島でのサバイバル生活をストイックながらも観客のエモーションに訴えかける演出の対比を通して、私たちの中に人間以上に動物に対して哀れみを感じる部分を見る考察も実に鋭い。アナ役のイェノヴェーファ・ボコヴァーが、ズーイー・デシャネルとエマ・ストーンに似ていて、キュート!
★★★★★

『ボーン・トゥ・ビー・ブルー』(ロバート・バドロー)

​(c) 2015 BTB Blue Productions Ltd / BTBB Productions SPV Limited

何よりもチェット・ベイカーに扮したイーサン・ホークの哀愁、パフォーマンスが素晴らしい。60年代のマイルス・デイヴィスやディジー・ガレスピーら黒人奏者が占めるジャズの世界で、緊張やプレッシャーを乗り越えるためヘロインに頼ってしまう男の姿(「自信が湧くんだ」「テンポが広く取れる」「ひとつひとつの音の中に入っていける」)を、伝記映画ではなく、彼の人生を再想像した物語によって愛情深く描かれているのがわかる。渋く心地良い音楽と、ホーク自身による歌声に観客は聴き惚れながら、ベイカーのことを知らずとも巧みに魅了される。だからこそ、ドラッグ絡みのトラブルで暴漢に襲われ前歯を失った彼が、入れ歯をはめて再起を図り、血を吐きながら再び練習に励む様は、手に取るように痛みが伝わってくる。トランペットを吹くという行為=音楽と痛みとが密接に結びつくことで、演奏自体が主人公の心情を物語り、アーティストと恋人、クリエイティヴィティとドラッグなど様々な人生の葛藤がトランペットの音色に集約されていた。来年公開予定とのこと。
★★★★☆


『地雷と少年兵』(マーチン・ピータ・サンフリト)

​(c) Danish Film Institute

若者たちが地雷から信管を抜いて除去していく作業を丁寧に見せていく過程や、美しい海が広がる浜辺に埋められた地雷を腹這いして鉄の棒で確かめながら撤去していく光景には、いつそれが爆発するかわからない異様な緊張感に満ちていて、大きなカルチャーショックのようなものを受けてしまう。終始、緊張と不安を滲ませ続ける巧みな演出は胃が痛くなってくるほどだが、そんな中で束の間にデンマークの軍曹とドイツの若い捕虜たちが一緒にサッカーを楽しむ場面には、団結・強力して体を動かすスポーツ本来の美しさがあったことも忘れがたい。戦争が終わり、はじめから敗北している中で、上の世代の責任を取らされるドイツの若者たちにとって、地雷は世界への不信の象徴であるように思え、良心と憎悪で揺れ続ける軍曹の命令によってなされる、その不信が頂点に達する行進は戦争の残した最悪の光景だろう。観た後で、英題『Land of Mine』──「私の土地」であり、「地雷原」──に込められた意味が重く迫ってくる。軍曹役のローラン・モラーやドイツ兵を演じた新人俳優たちの体現するリアリティーも説得力を与えていた。ただ、緊張と緩和、美と残酷、そしてイノセンスと凄惨など、あまりに要素のコントラストが強く、(観客があってほしくないと望む)悲劇性を作為的に強めている節があり、そういった仕掛けが史実をベースに描く上で気になった。
★★★☆☆

『モンスター・ウィズ・サウザン・ヘッズ』(ロドリゴ・プラ)


ストーリーはシンプルながら、非常にユニークな映画のナラティブが新鮮に感じた。はじめはショットひとつひとつの場面の切り取り方が奇妙だなと思っていると、次第に主人公が起こした事件への他者個々人の裁判での証言の声が加わり、複数の者の視点から主人公の行動を映していく試みが取られているのが面白い。他者の視点から「事実ではなく(その人から見た)記憶をベースに再生された」ショットが強調されていくことで、客観性が生み出される効果が狙われていて、多数の人物の視点からひとつの事件が豊かに語られる実に小説的な映像表現に成功している。『エレファント』や『桐島、部活やめるってよ』などのアプローチよりもさらに論理的に押し進めた語り口とでもいうべきか、75分でまとめあげている点も含めてロドリゴ・プラのクレバーさが光っている。『皆殺しのバラッド メキシコ麻薬戦争の光と闇』や『父の秘密』『選ばれし少女たち』などで描かれてきたようにメキシコの社会に蔓延する暴力性と、その体制への小市民の怒りも確かに感じさせてくれた。★★★☆☆


『ぼくの桃色の夢』(ハオ・ジエ)

​(c) Wanda Media Co.,Ltd (c) Single Man (Beijing) Culture Development Co.,Ltd

中国の中学男子たちの寮生活を描く前半は、主人公チャオの学校のマドンナであるリーへの片思いや、まだ「勃起」の意味すらも知らない無垢な有様が微笑ましく、多分にコメディータッチで楽しませてくれる(給食にねずみが丸々煮込まれたものが出たり、男子たちがすし詰めに寝ていたり)。劇伴やスローモーションの使われ方が完全に主人公の主観に沿っていて、同級生たちのキャラクター含めアニメ的と言ってもいいノリで悪くない。しかし、中学から高校に上がると、チャオ役がワン・ポンからバオ・ベイアルに突如変わり、そこから印象が変わっていくように思えた。「85%自伝的」と語る監督のハオ・ジエ(藤井フミヤ似)が「自分以上にイジイジしたタイプに見える」ため起用したというバオ・ベイアルによって、その個性的なイジイジした感じが確かにコメディーとしては成功に貢献していると思う。だけどその佇まいは、もはや妄想やスケベ心でニヤけているように見えてしまうため、なぜあの美少女がこの青年にだけ特別惹かれたのか疑問に思わせてしまう部分がある(もちろん美男美女でなければいけないと言っているわけではない)。そして、美少女がほとんど一方的な良い面しか描かれず、彼から見た“理想の美少女”でしかないため、リアルさよりもニヤけ男の幻想に思えてしまうから困ったものだ。個人的には、ヒロインに振られた失意の中、高校時代のチャオが2 アンリミテッドの「No Limit」をバックに自分自身が映った鏡に向かってキスをする(その鏡のすぐ隣には幼き頃の自身の写真がある)場面が印象深い。中学生から高校生、そして成人して妊婦になるまでをひとりで演じたスン・イーは、とてもチャーミングで魅力的だった。
★★☆☆☆


『ガールズ・ハウス』(シャーラム・シャーホセイニ)


古いイスラム社会の伝統と現代の文化のバランスのもつれによる悲劇を描くが、その中東にある因習や同じ国の中ですら互いの価値観を尊重できないでいる実態は興味深いが、サスペンスとしてさしてショックを受けるような「真相」ではないと思う。前半で謎を提示して、後半でその謎をフラッシュバックという形で明かしていく手法が取られるが、新鮮さに欠ける上に、その試み自体が古いしきたりに則っているのではないか。
★★☆☆☆


『フル・コンタクト』(ダビッド・フェルベーク)

​(c) Lemming Film 2015

コンタクト=着弾。ヴァーチャル画面に向かってドローンを遠隔操作し、ターゲットを定め爆撃する様子をその画面を通してでしか描かないことで、完全にゲーム感覚を高めているが、個人的にはその行っていることの実感と実際に起こしている危害の乖離から生まれるトラウマにいかに向き合うのかを描いてほしいと思った。現実として描かれる兵士の物語の後に同じ役者が異なる人物を演じるふたつのエピソード(3つめのエピソードではドローンのターゲットとボクシングをし、コンタクトが肉体の接触の意味に変わる)が、現実の物語とは分裂してしまっていることが実験的で独創的ではあるが、潜在意識下の話だけになってしまうので逃げの表現のようにも思えてしまった。
★★☆☆☆

(text:常川拓也)


【作品解説】

『家族の映画』

2015年/チェコ/95分

冬休みを間近に控え、両親は一足先にヨット旅行に出かける。留守番の姉と弟は羽を伸ばして遊ぶが、やがて弟のサボりがバレ、事態は思わぬ方向に…。幸せな家族に訪れる変化を、意表を突く展開と端正な映像で描き、未体験のエンディングが観客の胸をしめつけること必至の驚きのドラマ。
出演
ダニエル・カドレツ、イエノヴェーファ・ボコヴァー、カレル・ローデン、ヴァンダ・ヒブネロヴァー

スタッフ

監督:オルモ・オメルズ
脚本:ネボイシャ・ポップ=タスィチ
撮影監督:ルカーシュ・ミロタ
編集:ヤンカ・ヴルチコヴァー
------------------------------------------------------------------------------------------------

『ボーン・トゥ・ビー・ブルー』

2015年/アメリカ=カナダ=イギリス/97分

名ジャズ・トランペット奏者として一世を風靡した、チェット・ベイカーの苦闘の時代を描くドラマ。ドラッグに依存し、暴行されて歯を失い、どん底に落ちたチェットが再生を目指す姿を、イーサン・ホークが見事に再現する。シャープな映像とクールな音楽が抜群の官能をもたらす1本。

出演

イーサン・ホーク、カーメン・イジョゴ、カラム・キース・レニー

スタッフ

監督/脚本/プロデューサー:ロバート・バドロー

撮影監督:スティーブ・コーセンス

編集:デヴィッド・フリーマン

音楽:ディビッド・ブレイド、トドール・カバコフ、スティーヴ・ロンドン
-------------------------------------------------------------------------------------------------

『地雷と少年』

2015年/デンマーク=ドイツ/105分
終戦直後、デンマークの海岸沿いに埋められた無数の地雷の撤去作業に、敗残ドイツ軍の少年兵が動員される。憎きナチ兵ではあるが、戦闘を知らない無垢な少年たちを前に、指揮官の心情は揺れる。憎しみの中、人間に良心は存在するか? 残酷なサスペンスの中で展開する感動のドラマ。

出演

ローラン・モラー、ミケル・ボー・フォロスゴー、ルイス・ホフマン

スタッフ

監督/脚本:マーチン・ピータ・サンフリト
プロデューサー:マイケル・クリスチヤン・ライクス
撮影監督:カミラ・イェルム・クヌーセン
編集:モリー・マレーネ・ステヌスガー、ペア・サンドホルト

-------------------------------------------------------------------------------------------------

『モンスター・ウィズ・サウザンヘッズ』

2015年/メキシコ/75分
在宅介護していた夫の容体が急変する。慌てた妻は主治医に連絡を取ろうと必死になるが、事態は思わぬ方向に転がっていく…。平凡な主婦が絶望的な行動に走る様を、抜群のテクニックで描くノンストップ・サスペンス。

出演

ジャナ・ラルイ、セバスティアン・アギーレ・ボエダ、エミリオ・エチェバリア

スタッフ

監督:ロドリゴ・プラ
撮影監督:オディ・サバレタ
美術 : バルバラ・エンリケス
編集 : ミゲル・シュアードフィンガー

-------------------------------------------------------------------------------------------------

『ぼくの桃色の夢』

2015年/中国/107分
中学生のチャオ・シャンシャンは学校一の美人リー・チュンシアに密かに恋心を抱くが、いじめっ子が無理やり彼女を自分のものにする。しかし、チャオ・シャンシャンの想いは変わらない。その想いを抱いたまま無気力な大学生活に入るが、そこでチャオは映画に出会う…。

出演

バオ・ベイアル、スン・イー、ワン・ポン

スタッフ

監督/脚本:ハオ・ジエ
撮影監督:ヤン・ジン
製作: ヤン・チェン、リー・リン

-------------------------------------------------------------------------------------------------

『ガールズ・ハウス』

2015年/イラン/80分

結婚式を翌日に控えた女性が死んだ。直前まで新居のカーテンを変えていたらしい。友人たちが調べ始める。しかし、女性の父親は非協力的で要領を得ない。一体何が起きたのか、本当に死んだのか?謎解きドラマの形を借りつつ、伝統的なイスラム社会の影に踏み込む衝撃的なドラマ。

出演

ハメッド・ベーダッド、ラーナ・アザディワル、ババク・カリミ、ペガー・アハンガラニ

スタッフ

監督:シャーラム・シャーホセイニ
脚本:パルウィズ・シャーバズィ
撮影監督:モルテザ・ガフリ
プロデューサー : モハマド・シャイェステ

----------------------------------------------------------------------------------------------------------

『フル・コンタクト』

2015年/オランダ=クロアチア/105分
砂漠の中、兵士が小屋で画面に向かい、ドローンを操作して標的を爆撃する。遠隔殺戮のトラウマが蓄積した男がたどる精神の旅を、迫力の映像と想像力に満ちた展開で描く驚愕のドラマ。

出演

グレゴワール・コラン、リジー・ブロシュレ、スリマヌ・ダジ

スタッフ

監督/脚本 : ダビッド・フェルベーク
撮影監督 : フランク・ファン・デン・エーデン
音響 : ペーター・ワルニル
編集 : サンダー・ヴォス
-------------------------------------------------------------------------------------------------

第28回 東京国際映画祭

28回を迎える東京国際映画祭(以下TIFF)は、1985年からスタートした国際映画製作者連盟公認のアジア最大の長編国際映画祭。アジア映画の最大の拠点である東京で行われ、スタート時は隔年開催だったが1991年より毎年秋に開催される。(1994年のみ、平安遷都1200周年を記念して京都市での開催)

若手映画監督を支援・育成するための「コンペティション」では国際的な審査委員によってグランプリが選出され、世界各国から毎年多数の作品が応募があり、入賞した後に国際的に活躍するクリエイターたちが続々現れている。アジア映画の新しい潮流を紹介する「アジアの未来」、日本映画の魅力を特集する「日本映画クラシックス」、日本映画の海外プロモーションを目的とした「Japan Now」、「日本映画スプラッシュ」などを始めとする多様な部門があり、才能溢れる新人監督から熟練の監督まで、世界中から厳選されたハイクオリティーな作品が集結する。

国内外の映画人、映画ファンが集まって交流の場となると共に、新たな才能と優れた映画に出会う映画ファン必見の映画祭である。

開催情報

2015年10月22日(木)〜31日(土)


上映スケジュール

http://2015.tiff-jp.net/ja/schedule/




会場案内

http://2015.tiff-jp.net/ja/access/




公式ホームページ

http://2015.tiff-jp.net/ja/