2017年3月4日土曜日

映画『サクロモンテの丘』監督インタビューtext常川 拓也

『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ~』チュス・グティエレス監督インタビュー


スペインはグラナダの丘の斜面に位置するサクロモンテは、フラメンコの発祥地であり聖地であるという。ジプシーであるロマ(ヒターノ)たちはこの地に集い、長く迫害を受けながらも、愛や嘆き、苦労や悲しみを歌と踊りの中に託して感情の捌け口としてきた。ヒターノのフラメンコ・コミュニティとその文化および芸術の継承についてのドキュメンタリー『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ~』を通して、私たちはフラメンコの中に彼らの日々の喜怒哀楽から被差別の歴史までもが刻み込まれていることを知るだろう。彼らにとって歌うことや踊ることは生活していくためそのものであり、それは「悲劇を生きるコツ」だったのだということを。このたび劇場公開に合わせて来日したチュス・グティエレス監督にインタビューする機会を得た。本作の成り立ちやドキュメンタリーで記録した意図、そして既存の男性中心の映画産業に対する思いまで幅広くお話を伺った。

(取材・構成・写真:常川拓也)




──サクロモンテはいまや観光名所として、世界各地から著名な観光客──古くはエヴァ・ガードナーらハリウッドのスターから最近ではミシェル・オバマまで──が訪れている地であると劇中でヒターノたちが語っていますが、どういった地域なのか改めて教えていただけますでしょうか。

チュス・グティエレス(以下CG):1963年に起きた洪水からしばらくの間サクロモンテはすべて放置されたままで、復活したのは70年代末から80年代初頭のことでした。現在どのような状況かというと、もちろんサンブラも少しは残っていますが、いまは観光名所となり、かつて洪水前に洞窟に住み、そこで踊っていた共同体自体はもうありません。このドキュメンタリーの中で話してくださった年輩のヒターノの方たちの記憶の中にある共同体はいまはもうないのです。

──子どもの頃からこの地区にはよく行かれていましたか。またその当時はどのような状況でしたか。

CG:子どもの頃にサクロモンテに行ったことはありませんでした。(本作に登場する)クーロ(・アルバイシン)が、グラナダにバーを持っていたので、そこには行ったことはありました。はじめて行ったのは確かティーンエイジャーの時、70年代後半ぐらいに再開発され、バーなどができはじめた頃でした。私が子どもの頃はサクロモンテはまだ荒廃していて、危険な地域として認知されていました。ですが、いまはもう整備されて落ち着いた場所です。放置されていた時は、わけのわからない人や家がない人が洞窟の中に入り込んでいたりして危険でした。ひとつ言いたいのは、サクロモンテは、グラナダの地図の中につい最近まで載っていなかったということです。つまり認知されていなかったのです。

──映画は最初、監督自身の声からはじまります。なぜ自分自身の声から映画をはじめようと思われたのでしょうか。

CG:もちろん本作の案内役はクーロですが、私が外の人間として、知らなかった場所であるサクロモンテにはじめて入って行くという風にしたかったためです。

──そこには、何かこの物語を伝えたいという使命感のような意思も表れていますか。

CG:そうですね、これから発見しに行くようなイメージにしたいと考えました。

──本作を作るにあたって、場所、音楽、人間と3つの焦点の置きどころがあったかと思いますが、出来上がった映画はすべてに大体同じ重きを置いて語っているように見受けられます。この構成に至ったのはどの段階だったのでしょうか。

CG:本作は私がはじめて作ったドキュメンタリーです。私はドキュメンタリーの専門家ではないので、学びながら作っていきました。構成に関しては、編集の時に撮った素材を見ながらバランスを考えていきました。というのは、重要なのは事実を伝えることではなく、その中にある感情を伝えることだと思ったからです。

──では、なぜ今回はじめてドキュメンタリーで撮ることを試みようと思われたのでしょうか。

CG:そこに興味があり知りたいと思う物語があって、それをシネアストとして、ヴィジュアル・アーティストとしてドキュメンタリーで伝えようという考えに今回至ったことは、私の中では自然なことでした。好奇心からはじまったと言えます。そして、ドキュメンタリーというジャンルが非常に自由である点も理由のひとつです。フィクションだと脚本やロケーションが必要とされ、場所や物語に縛られますが、その一方でドキュメンタリーは突然コメディにしたり、シュールレアリズムにしたり、色々なことを自由にすることができます。ドキュメンタリーの自由な側面に惹かれたのです。いつも本能の中にはドキュメンタリーをやってみたい気持ちはありましたが、今回、機が熟したような感じです。本作を撮ったことで、これからもっとドキュメンタリーを撮りたいと思うようになりました。また、サクロモンテの昔の記憶が残っているヒターノのアーティストたちの姿をいま収めなくてはならない気持ちもありました。本作はいくつかのパーツで撮っているのですが、一番最初に現地に向かった時にカメラを2台使いたかったので私が1台カメラを担いで撮影もしました。実はその時に撮った方は、次の撮影の時にはすでにお亡くなりになってしまっていました。それからもうお二方お亡くなりになられました。急がなければならなかったのです。ただ、資金が十分でなかったのでジレンマもありました。最終的には自分のお金も注ぎ込んだほどです。

──たとえばフィクションの中に取材をして現実を取り込むようなスタイルで物語るようなことは検討されていましたか。

CG:いいえ、それは全く頭にありませんでした。これは絶対にドキュメンタリーで撮らなければならないと思いました。フィクションでは不可能だったと思います。いつも現実の方がフィクションよりも勝ると思っているからです。

──その一方で、本作の脚本としてクーロさんがあなたと共同でクレジットされていますね。ここでいう脚本とは、どの程度詳細なものを意味していますか。

CG:どういう風に撮影していくかを道筋としてある程度決めたもののことです。フィクションの場合ははじめに脚本ありきですが、ドキュメンタリーの場合は最後にみんなが言ったことを脚本にしていく作業と言えます。




──本作は踊り手や歌い手のインタビューの後に彼らそれぞれの踊りや歌を披露するような形で成り立っていますが、そのような構成にするにあたりクーロさんから何か助言はありましたか。

CG:そういったものは一切ないです。クーロさんは知識の源泉であり、出演してくださったみなさんへどのように接触すればよいかを導いてくれました。それ以外の構成やどういう人物を選ぶかなどクリエイティヴな部分全般は私が決断しました。

──パフォーマンスが行われるシーンは何回に渡って撮影され、どのぐらい時間をかけたのでしょうか。

CG:洞窟の中の踊りのシーンは朝から晩までかけて1日で撮りました。1回しか撮っていません。予算が本当に低かったので、そうする以外にありませんでした。

──彼らは子どもたちが近くにいても会話の中で下ネタを飛ばし合っていますが、そういうことはあまり気にされないものなのですか。

CG:全然大丈夫ですね(笑)。日本だったら少しはばかられるのかもしれませんが、スペインの特に南部では、文化としてみんな常に一緒くたに過ごします。なのでパーティの中でも2ヶ月の赤ちゃんの横でみんな平気でタバコを吸ったり、朝までみんな騒ぐわけです。パーティという空間の中で子どものグループなど様々なグループができて、そこでそれぞれが過ごします。それがひとつの分かち合いになっています。大人の話す下ネタもみんな子どもは聞いていますが、それが普通なので問題はありません。子どもたちが思春期を迎えて話の内容に気づくまで、「それってどういう意味?」と聞いてくるまではわからないだろうと考えている感じです。内容はさておき、スペインでは子どもが質問してきたら、どういう答えであっても親たちは必ず答える文化があります。

──あなたはスペインの映画産業に携わる女性たちのための団体「CIMA」を設立するなどの活動もされていますね。本作でヒターノの女性たちを見ていると結婚制度そのものを否定していたり、因習に縛られない自立的な考え方を持っているところが印象に残りました。そういった部分が、あなたが持っているフェミニズム的な関心とも結びついているようにも思えたのですが、それは少し考え過ぎでしょうか。

CG:いえ、自分の中では彼女たちの自由さをそういう部分では見ていませんでした。なぜ彼女たちがこんなに自由なのかということに私はまず驚きました。というのは、私たちの普段暮らしている世界でも男性社会の中で女性は差別されているというのに、彼女たちはヒターナとして、そして女性として二重の差別を受けていると言えるからです。二重の差別を受けているのになぜこんなに彼女たちは自由なのだろう。その理由はふたつあると思いました。ひとつは、彼女たちが青春時代を過ごしたのがフランコ独裁体制の終わりだったことです。つまり彼女たちは、これから民主主義に向かう──独裁時代の暗い抑圧された時代から急に明るく開かれた時代に行く時に青春時代を過ごしたということが、理由のひとつに挙げられると思いました。もうひとつは、彼女たちがアーティストだということです。ほかのヒターノたちともほかの女性たちとも異なるのは、たとえ夜間でも自分たちで出て行って仕事をして戻って来なくてはならない、完璧に自立しなくてはいけない環境にあったからです。彼女たちがアーティストであることが、自由の根源だと思いました。

──日本でもペドロ・アルモドバル作品をはじめとしたスペイン映画が劇場公開はされていますが、考えてみればスペインの有名な女性監督というと、イザベル・コイシェぐらいしか思い浮かびません。スペインの映画産業も多分に男性中心だと思われますが、このような状況に対してどのように考えられていますか。

CG:もちろんそうです。スペインだけとかヨーロッパだけではなく、世界全体で映画界はいまも変わらず男性社会だと思います。みんな最近になって物事が変わって男女平等と言っていますが、実は、その中身はほとんど変わっていません。いまだって女性の映画監督は世界的にも男性の一割しかいません。国によっては1%しかいないところもあります。なので女性たちが本当はもっと団結してやらなければ、いままでと同じように映画は男性が主役で、女性は常に娘か母親、あるいは妻の役しかない状態になってしまいます。ここまで色々な人が男女平等を叫んできたにも関わらず、結局まだ何も構造が変わっていないということが、いま若い女性たちの中の本心にあるのではないかとも思います。そこを変えるには、私たちが後の世代への規範となるモデルをちゃんと作り出し、そして権力を持った女たちが男のように振る舞わないことです。それが必要なことであり、そうでなければ根底からは変わらないと私は思っています。

──映画を作りたいと思うようになったきっかけは何かありましたか。また監督を志すにあたり影響を受けた作品があればお教えください。

CG:私が監督になろうと思ったのは映画がきっかけというわけではありません。もちろん『タクシードライバー』や『カサブランカ』、それからヴィム・ヴェンダースの作品など好きな映画はありますが、まず興味を持ったのは書くことからでした。私は物語を語ることが好きだったのです。

──本作は音楽ドキュメンタリーとも言えると思いますが、好きな音楽ドキュメンタリーはありますか。

CG:『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999)が大好きです。あの映画から本作は影響を受けている部分があります。

──次回作はどのような作品を考えられていますか。

CG:ドキュメンタリーに挑戦したことで自由を感じてしまったので、しばらくは劇映画に戻れないような気がしています。また、映画業界に対して強く憤りを感じている部分もあるので、もう少し長期的に物語を語っていきたく思い、TVシリーズでSFものを構想しています。






『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』
原題:Sacromonte: los sabios
2014年/94分/スペイン/カラー/スペイン語/ドキュメンタリー/16:9/ステレオ

作品解説
スペイン・アンダルシア地方・グラナダ県サクロモンテ地区。
この地には、かつて迫害を受けたロマたちが集い、独自の文化が形成されていった。ロマたちが洞窟で暮らしていたことから洞窟フラメンコが生まれ、その力強く情熱的な踊りや歌に、世界中が熱狂した。隆盛をきわめたサクロモンテだが、1963年の水害により全てを失い、人々は住む場所を追われた――。
本作は、伝説のフラメンコ・コミュニティに深く入り込み、激動の時代を生き抜いてきたダンサー、歌い手、ギタリストなどのインタビュー、そしてアンダルシアの乾いた大地を舞台に繰り広げられる詩の朗読、そして力強い舞の数々を通して、大地に根付く魂が紡がれ、代々引き継がれていくさまを描く。

スタッフ
監督:チュス・グティエレス
参加アーティスト:クーロ・アルバイシン、ライムンド・エレディア、ペペ・アビチュエラ、ハイメ・エル・パロン、フアン・アンドレス・マジャ、チョンチ・エレディア、マノレーテ他多数

配給・宣伝
提供:アップリンク、ピカフィルム 
配給:アップリンク 
宣伝:アップリンク、ピカフィルム
後援:スペイン大使館、セルバンテス文化センター東京、一般社団法人日本フラメンコ協会

劇場情報
2017年2月18日(土)より有楽町スバル座、アップリンク渋谷ほか全国順次公開

公式ホームページ
http://www.uplink.co.jp/sacromonte/


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【監督プロフィール】
チュス・グティエレス:Chus Gutiérrez

1962年、グラナダ生まれ。CMディレクターとしてキャリアをスタート。現在ではスペインの中でも信望が厚く重要な監督の一人である。子どもの頃に初めて両親にタブラオに連れていかれて以来、何度もサクロモンテを訪れ、サンブラと関わり続けている。1995年の『アルマ・ヒターナ/アントニオとルシアの恋』ではサクロモンテの重要なアーティストの協力を得て、非ロマとロマとの共存を描いている。また『世界でいつも…』(2003)『ヒステリック・マドリッド』(2004)『デリリオ -歓喜のサルサ-』(2014)はいずれもラテンビート映画祭で上映された。

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【執筆者プロフィール】

常川拓也:Takuya Tsunekawa

新潟県生まれ。映画批評。「NOBODY」「neoneo」「INTRO」「リアルサウンド映画部」等へ寄稿。Twitter:@tsunetaku


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