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2017年4月23日日曜日

映画『作家、本当のJ.T.リロイ』著者ローラ・アルバート、インタビューtext常川 拓也

『作家、本当のJ.T.リロイ』著者ローラ・アルバートinterview


正直に言って、この人の語る言葉を一体どこまで信用してよいものなのかわからなくて戸惑った。それが『作家、本当のJ.T.リロイ』を最初に観た率直な感想である。本作は、若き女装の男娼J.T.リロイの架空の回想録をノンフィクション小説として世に発表した女性ローラ・アルバートのインタビューを中心に構成されている。思うに、本作が信用ならない語り手による告白である点は留意が必要だろう。そもそも回想録というものの中には脚色や誇張が付きものである。事実をそっくりそのまま正確に覚えている人もいなければ、本作においてはほとんど彼女のみの証言、つまり主観的な“真実”の提示が行なわれているからだ。それが長い間、当時の夫の妹サバンナ・クヌープを男装させ、J.T.リロイとして仕立て上げて世間を欺いてきた人間の言葉であれば尚更である。そこには同情を誘うための作り話もあるかもしれない。私たちはその点をいま一度考える必要がある。

あるいは、ほかの人の視点から見れば事実も変わってくるであろう。たとえば、本作と全く逆にアルバート以外の者たちの証言で構成されたドキュメンタリー『The Cult of JT LeRoy』の監督が、J.T.リロイに扮したクヌープはカルトに引き込まれるかのような方法でアルバートから彼女の小道具として雇われていたのだと指摘している点は興味深い(ちなみに、アルバートは『The Cult of JT LeRoy』ではインタビューなど協力することを拒否したようだ)。

しかしこの映画の面白いところは、監督のジェフ・フォイヤージークが、まさにどこまでが本当でどこまでが嘘なのかよくわからないアルバートにはじめて自分自身の声で痛ましい生い立ちについて語らせていることにこそある。本作の冒頭に引用されているフェデリコ・フェリーニの言葉を思い出そう──「生み落とされた作品は作りものとも真実とも異なり、それそのものでしかない」。

『作家、本当のJ.T.リロイ』の公開に合わせて来日したローラ・アルバートにお話を聞く機会を得た。なお、本インタビューは四誌合同で行われたものだが、すべての文責は筆者に帰すものである。(取材・構成・文:常川拓也)




──本作で印象的なのは、映画の多くを通話音声をはじめとしたあなたの過去の記録が占めていることです。素朴な疑問なのですが、なぜあなたは自身の記録を膨大に残していたのでしょうか。ジェフ・フォイヤージークは(前作『悪魔とダニエル・ジョンストン』の)ダニエル・ジョンストン以上にあなたがセルフ・ドキュメンテーションを持っていたと明かしています。

ローラ・アルバート(以下、LA):私はダニエルよりも競争心が強いので彼よりも記録しようと思いました(笑)。冗談はさておき、そもそも私の母がよくオープンリール式のテープで記録をする人でした。母はアーティストで、ほかのアーティストにインタビューをすることがしばしばありました。彼女は自分もアーティストであるとリスペクトされるために、つまりファンとして話をしているのではないということを相手に示すために記録を取っていました。それは彼女の習慣にもなっていました。また、子どもというのはある種の神聖さを持って生まれてくると思うのですが、それが何らかの形で侵害されると、どちらが上か下かというのを子どもなりに知ろうとします。私の場合はその手段が録音したり記録することでした。たとえば本当は言ったはずなのに後になって親が「そんなこと言ってない!」と言った時にどちらが正しいかわからなくなったとしても、記録してあればやはりそう言っていたのだとわかります。ダニエルも同じような理由で記録を取っていたのではないかと私は思います。人は色々なことをすぐに忘れてしまう生き物です。その時はすごく辛くても時間が経つと忘れてしまいます。しかし痛みというものは、自分の土壌の一部になります。それを記録することによって、なぜ私がいまこういう風になっているのかを理解する助けになるとも思いました。人によってはそんなこと忘れたいと思うでしょうが、私の場合はどうしてそうなったかを理解したい気持ちがあったのかもしれません。もうひとつの理由としては、記録することによって後である種コラージュができるというようなアート的な意味合いもありました。なので、そのような痛みから、そしてジャーナリズムの観点から記録をしていました。

──世界への不信感みたいなものを抱いたある時点から意図的に記録しはじめたということでしょうか。

LA:たぶん私はそういう風に生まれついたのかもしれません。というのも、両親がいつも絵を描いている人だったらその子どもにとって絵を描くことがノーマルであるように、私にとっては母がいつも記録していたので、不信感というよりもノーマルな行為でした。母は写真も撮っていましたが、ストーリーテラーでもありました。ユダヤ系ということもあり、ホロコーストのサバイバーの方々へインタビューも行っていました。必ずしも不信感や痛みだけでなく、好奇心もあったと思います。インタビューした時にそれが記録されていると思うと、何かを語ること自体にももちろん意味があることですが、記録されていて長く残ることを意識しながら人が喋っていると何かさらに生まれてくることがあるとも思うのです。

──この作品を撮る前と、撮った後とではどのような心境の変化がありましたか。

LA:自分の中で色々なものを統合する役に立ちました。特に怒りを手放すこと、それから自分のやったことに対して責任を取ることの助けになりました。何というか、色々なことが完了できたような気がします。こういう言い方があります、「あなたは自分の抱えている秘密と同じくらい病んでいる」。そういう意味で言えば、私には全く秘密はなく「何でも聞いて」という感じでした。自分が持っていたマテリアルすべてを監督に渡しました。それは私にとっては恥ずかしく難しいことでもありましたが、すべてを渡すことで自分に対する恥を手放す助けにもなりました。恥を手放すこともとても大変なことでした。写真なんかも恥ずかしいと思って提出しましたが、改めて見てみてるとそんなに恥ずかしくない、そんなに悪くないと思えました。思うに、特に性的・肉体的虐待を受けて育った子どもというのは自分は酷い人間だと信じきってしまっているところがあります。いまになってみると私はもちろん悪いことをしたわけではあるけれど、自分が思ってるほど悪くはなかったし、私は悪意を持ってやったわけではない。その結果、出てきたものが作品となって、アートとなって、色々な人の命を救ったと思います。色々な人から感謝の手紙をもらいましたし、ここ日本でも本や映画を見て助けられたとメッセージをもらいました。そういうことを聞くと自分に平和が訪れるような気がします。そしてまた誰かが私のことを攻撃した時に自分を助けてくれることになりました。

──ビリー・コーガンだけに自分の本当のことを打ち明けたと告白していますが、それは彼があなたがずっと好きで聞いていた音楽を作る人だから何かわかってくれるだろうという思いがどこかあったからですか。それとも彼に会った時に何か特別な魅力を感じたからでしょうか。

LA:その時に私たちはアーシア(・アルジェント)の家に泊まっていましたが、そこには多くの有名人がいて、クローゼットの中にはたくさんの贅沢品がありました。JTも有名人で、私はただのマネージャーでした。何もない、まるで見えないゼロの存在でした。ビリーはJTに会うつもりでいましたが、サバンナがいなかったので、私はスピーディとして話を作り上げなくてはいけなくて、「彼は急に会うのが怖くなっていなくなってしまったの」とでも言おうかと思いましたが、それを考えたらすごく辛くなって、彼に会う前から私は泣いてしまっていました。JTがいなくなってしまったと言うと、きっと彼も私をまた見えない存在として扱ってしまうのではないかと思って怖かったのです。しかし違いました。彼は私を私として見てくれました。別に美人だったからとかそういうことではありません。綺麗な人は周りにたくさんいました。たまにそういうことが起こるのですが、サイキックなエネルギーというか、クジラやイルカのように超音波のコミュニケーションが取れる人だと会った瞬間にわかりました。彼の音楽は私にとって、とても大きな意味があるものでした。というのは、彼がたぶん一番最初に性的な虐待について歌った音楽を作った人だからです。実は最近、彼の50歳の誕生日の際に会いましたが、またさらにコネクションが強まったと思います。彼は本当に素晴らしい人で、「誰にも言わないよ」と言った通り、本当にすべてそのままにしてくれました。私が彼に言ったのはこの本がどれだけ大切で、この本のためならバニー・スーツでも着るわよということです。

──もしNYタイムズに真相を暴露されていなかったとしたら、いまもJ.T.リロイとして活動を続けていたと思いますか。

LA:私の方からNYタイムズの方に行ったかもしれません(笑)。たとえるなら、シャム双生児が肺をふたりでシェアしてるような状態でした。JTの肺が私のよりも強かったような状態でしたが、色々なプロセスを通じて、私のものの方が強くなっていきました。もうひとりでやっていけるという状態になった時に(私の中に)男の子が現れなくなりました。私として生きてももう大丈夫だとなった時に、(もう片方の自分を)切る準備ができていた気がします。自分をキリストにたとえるのは何なんですけれども、キリストは自分に一番近い弟子のユダが自分を裏切るときっと知っていたのだけれども、それはなされなければならなかった。そういう意味では、ジェフは私にとって一番近い人で、彼がユダの役目をしてしまったわけですが、彼はそうしなければなりませんでした。なぜならたぶん私は自分で言わなかったし、サバンナも自分で言わなかったでしょう。だからジェフがやらなければならなかったと感じます。別のたとえをするならば、子どもが自転車に乗る練習をする時に補助輪を外して親に押してもらいますよね。子どもは自分が乗れると思わないから、お父さんやお母さんに「絶対手を離さないでね」と言いますが、親の方が「わかったわかった」と言いながら手を離していて、子どもは自分が乗れてると知らずに乗れてるようなことだったと思います。でも私がやっていたわけです。J.T.リロイという人は実在はしないけれども生き続けていると私は思います。ちょうどある歴史家の方がバッグス・バニーについて同じことを語っていました。バッグス・バニーは実在していないけど生き続けていると。

──リロイはインターネットが発達していない時代だったからこそバレずに済んだのかもしれません。現代だとあのようなことができると思いますか。

LA:いまの時代の方がさらにアバターを持つということがノーマルなことだと思います。なのでいまの子どもたちにとっては「何が問題なの? だってフィクションだったんでしょ?」という話になるかもしれません。特に日本の人はアバターをたくさん持っているのではないかと思います。公的な自分と私的な自分、つまり本音と建前を持っていますよね。だから日本の方には理解しやすいのではないかと思います。たしかにインターネットやSNSがあるとすぐにわかるということもありますが、誰かが私がやったことをいまもう一度やろうと思ってももうできないと思いますし、私はやろうと思ってやったのではなくそういう風になってしまったのです。真珠貝が綺麗なものを作ろうと思って真珠を作っているのではなく、たまたま砂や小石が予定してなかったのに入ってしまって、痛いから色々な液体を分泌するうちに真珠ができてしまうように、アクシデントとして苦しみから生まれ起こったことだと思います。



──アバターを持つことが、あなたにとってある種セラピーとしての働きにも繋がっていたと思われますか。

LA:アバターがあるということよりも、書くということが私にとって癒しに繋がっていました。私はその前には色々なホットラインに電話をしていたわけですが、ホットラインに電話をすることはヒーリングではなく、ドラッグ中毒の人がドラッグをしたり、過食症の人が食べ物を食べたり吐いたりするのと同じようなことで、ただ痛みを麻痺させていただけだと思います。しかし書くことは、折れた骨が少しずつ治っていくような助けになっていきました。そして次第にJTという存在が出てきて、そのJTは身体を欲しがりました。しかし私は彼に身体をあげられなかった。私は男の子っぽい身体つきの女の人がすごく羨ましかったのですが、私の身体はそうではなかった。なのでJTの方が私から出て行ったわけです。私はトランスジェンダーではありませんでした。当時はジェンダー・フルイディティという概念がまだ存在していませんでしたが、私のセクシャリティは非常に流動的だったと感じます。またJTの存在に加えて、息子が産まれてからはまず彼を守らなければいけないという思いも強くなり、スピーディやエミリーも出てきました。周りの人がスピーディやエミリーに怒っても私は気にしませんでした。一番大事な守るべきものは別にある。息子に何かしようとするならば、そのダメージの大きさを知っているので、その人は殺してもいいぐらいに守ろうと思っていたのです。ただ、そういう意味では私の母は私を愛してはくれましたが、守ってはくれませんでした。彼女自身もある種虐待を受けていましたが、助けを得られなかったので、その技量がなかったのだと思います。いまになって思えば、すべてが私を治癒させてくれ、よりよくなる助けになったと思っています。今回、来日して色々取材を受ける中でも様々な情報を得て、自分自身のことを学んでいます。そこで感じているのは、ほとんどの人は自分のことをそんなに大切にしていないと考え、自分で自分のことをわかっているつもりになっているけどそんなにわかってないのではないかということです。常にオープンでいることが大切で、そうすれば、色々な啓示というかサインが知らされてくると思っています。そして自分が取ってしまった行動の理由に気がついて理解していくことも大事だとも思います。アメリカ人はすぐ良い/悪いのモラルで片付けたがるのですが、日本人はアイデンティティにしてもアートにしてももう少し白黒でないグレーのエリアを理解できる人たちが多いような気がします。

──J.T.リロイの物語にアメリカ中があれだけ熱狂したということは、ある種みんなの求めていたものがそこにはあったのかもしれません。当時といまとではアメリカ人の間に何か変化があると思いますか。

LA:最初に人々が反応したのは作品でした。しかしNYタイムズがあれは嘘だとかでっち上げだとか書き立て、メディアの人たちはたぶん本ともども葬り去ろうとしました。しかし本は葬り去られず、「あの本に助けられた」「感動した」と言ってくれる人がいます。アートというものは葬り去ることはできません。本当に色々な人が色々なことを言いました。「あなたがああいう本を書いたのはマドンナに会うためじゃないか」「有名になりたいからじゃないか」と。これは虐待やトラウマがない人でないとわからないかと思いますが、そのような体験について話すことはすごく辛いことです。虐待を受けたことがない人はわからないから注目を浴びたくて書いたのだと責めますが、そんなことはありません。自分がトラウマを受けたことを普通はなかなか口に出しては言えないものです。多くの人が私を中傷し攻撃した理由は様々あると思いますが、もしかしたらそれは成功に対する嫉妬かもしれないし、あるいは出る杭は打たれるということだったかもしれません。トラウマや虐待を経験した人であれば、これが自分のことだと言えず、私的な部分は隠したい気持ちは理解していただけるのではないかと思います。マドンナに会うために本を書いたのではないかと言う人もいますが、いい本を書くことはとても大変なので、それだったらストーカーになる方が楽だったと思います。そういうことがわからない愚かな人がたくさんいるからトランプ大統領が選ばれてしまうわけです。ですが、たぶんいまの方が自分が隠れたいという気持ちを理解してくれる人が増えてるような気はします。ただ、全員を喜ばせることはできません。依存症回復のための12ステップがありますが、その中でアル中の人について言うのは、一杯でも十分すぎるぐらいだし百万杯でも足りないということです。つまり自分の中の空虚さは何ものでも埋めることはできません。私の場合はそれを書くことや作品によってしか埋めることはできないのだと思っています。そういうことを言ってわかる人もいれば、わからない人もいると思いますが、私にとって大切なのはそういう人たちがいるということではなく、書いていく作品だと思っています。

──あなたの告白からは性的虐待や容姿へのコンプレックス、あるいはボディ・イメージに関する強迫観念といった問題が提起されます。そういった問題は、いまだったらたとえばレナ・ダナムやエイミー・シューマーといったアメリカの女性クリエイター/コメディエンヌは架空の回想録ではなく、自分自身の回想録として自身の体験を自身の言葉でユーモアを交えてポジティヴに語っていると言えるかもしれません。現在はノンバイナリー・ジェンダーという言葉もありますが、約20年前と現在では変化をどういう風に思いますか。

LA:たしかにいまの方がそういった言葉があるだけだいぶいいと思いますが、当時、私は暴露された後にトランスジェンダーの人たちから「私たちのトランスジェンダーとしてのアイデンティティを利用した」と一斉に攻撃されました。もう本当に「クソッタレ!」って感じでした。誰も私に書けと言ったわけではありません。強迫的に書かざるを得なくなってああいう風に私は書いたのです。その当時はそういった言葉はありませんでしたが、トランスの人たちやいまで言うジェンダー・フルイディティの人たちは私が書いたことに共感してくれていました。でも暴露された後は、私をまるで退屈した主婦が遊んで書いたのだと言うように攻撃しました。私は自分が感じていた、その当時はまだ言葉にはなかったものをただ書かざるを得なくて書いていました。ジェンダーというものは、白黒というよりもここからここまでの範囲、スペクトラムだと考えています。日本の人はジェンダーのルールみたいなものをファンタジーやプレイで上手く遊んで乗り越えることができる人たちだと思いますが、アメリカはそういう意味では遅れていると思います。

──容姿や体型へのコンプレックスという問題は日本でも多くの人々が共感するであろう事柄でもあると思います。

LA:一番危険なのは、自分が孤独だと思うことです。病気や依存症、中毒といった症状が出るということは、痛みを麻痺させるためだと思います。子どもは大人ではないのでドラックやお酒ではなく、麻痺させるために食べ物に走ってしまいがちです。私たちの文化はもっと繊細さを持ってそういう人たちを見つめる必要があると思います。日本も食生活が変わって肥満の子が増えてきているみたいですが、肥満児になると周囲からからかわれます。彼らは痛みを癒すために、痛みを麻痺させるために食べ物を使っているのに、それによっていじめられてしまい、安全な場所や逃げ場がなくなってしまいます。それを暴力に訴える人もいるかもしれません。アメリカの場合なら銃を撃つかもしれない。しかし女の人の場合は、内面化させることがあるので、自分を責めることになりがちだと思います。繰り返しになりますが、一番大事なのは自分がひとりではないと思えることです。先ほども引用した「あなたが抱えている秘密の量と同じだけあなたを病んでいる」という言葉があるように、秘密はあなたに「お前は悪いやつだ」「お前はひとりなんだ」とそそのかしてくることがあります。なので、その秘密をシェアできる人やグループを見つけることが大事だと思います。また、アートというものも自分自身であるために、あるいは自分の秘密を持たない場として大切になってくると思います。アバターを作ることによって、自分が自分に正直になれるのであればいいのですが、それが自分の本当の人生を完全に生きることを妨げるのであれば、アバターはやはり中毒症状になってしまうと思います。自分から恥を乗り越える方法は必ずあると希望を持ってもらいたいと思います。自分が言うことや言いたいことに対して耳を傾けてくる人は必ずいるし、聞いてもらう方法はきっとあるはずです。人々はよく有名になれば、あるいは美しくなれば問題は解決する、みんなから愛されると思いがちですが、たとえばマイケル・ジャクソンを見ても、白くなっても整形しても彼の狂気は治りませんでしたよね。別に痩せることが問題解決にはなるのではなく、やはり自分の内面的なものと対峙しなければいけないと思います。だからセラピストやグループなど何かスピリチャルなコネクションを持てる人を探す、出会うことが大事だと思いますし、またアートというのはそれを可能にする大きな手段にもなると思います。フェイクなアートというのはありません。アート自体がある意味フェイクでできているわけですから。それは偽のニュースとは違うものです。

──ずっと気になっていたことですが、アーシア・アルジェントは『サラ、いつわりの祈り』(2004)を作る時に実は真相を知っていたと思いますか。

LA:スピーディとして私はその撮影現場にいましたが、そこで脚本を渡されたので、私が直していました。でも誰も何も言いませんでした。何か少し違うなぁ、何か少し変だなぁと違和感を抱いていた人もいるかもしれませんが、作品がそこにある、本がそこにあるということが一番大事だったと思っています。そういう意味でアーシアも誰のために映画を作ったわけではなく、自分のために映画を作ったのだと思います。彼女がそれを知っていたかどうかはあまり関係がない、意味がないことだと思います。

──現在執筆中であるという回想録はどの程度進んでいらっしゃいますか。

LA:半分ぐらい進んだところでしょうか。とても大変で、実はまだJTのところに行き着いていません。二部構成にしないといけないかもしれません。回想録や自伝を私はよく読むのですが、中には何々があって何々があったと中身がダラダラしてしまっているものがあります。私はそういう風にはしたくなくて、練り上げられたストーリーのようにしたいと考えています。そうすると、ほかの書き方ができないので、ものすごく時間がかかってしまいます。私はJTを通じて小説を書いたわけですが、いま自分の自伝を改めて書いていて、どれだけ小説の方にフィクションとしてのある種の真実が書かれていたのかということをいまどんどん発見している最中です。フィクションというのはある種の夢の状態のような感じで、夜に寝ている時に見る夢の中でたとえばゴジラが出てきて戦ったとしたら、それは考えてみると起きている時間に自分の上司と何か問題があったみたいなことがありますよね。そういったことにいまどんどん気がついて、小説の方に真実が書かれていたのだなぁといまになって気がついているところです。また、こういう風に色々なインタビューを受けたりすることで、再びこの作品に生きてもらいたい。先日、(『サラ、神に背いた少年』『サラ、いつわりの祈り』の)翻訳者の金原瑞人さんにもお会いしましたが、彼も素晴らしいアーティストだと思いました。彼は私がJTではなかったことを怒るどころか、作品として非常に価値があると褒めてくれました。今回、日本に来られたことは特権的なことだと思っています。前回来日した時はマネージャーの役をやっていたので、インタビューをそばで聞いていたのですから。しかしそういう役をするということは、木製のコンドームを使ってセックスするような感じなのです(笑)。サバンナは質問の反映しかできませんが、私はテニスをしたいわけです。ちゃんとボールを正しい方向に打ちたい。私は、ヴァンパイアの物語を書いたわけでもロマンスの物語を書いたわけでもありません。みんなが注意を払うべき問題について書いたという風に思っています。いわば生か死かということです。いまトランプみたいな人が大統領になっているわけですが、彼は女性をレイプような人であり、女子ども、あるいは声なき人たちをどんどん切り捨てていくような人です。そういう時代だからこそ、言うべきことはちゃんと声をあげて言わなければいけないと思います。普通のニュースというのは、どれだけ酷いニュース、たとえばシリアで何万人が亡くなったといったニュースがあっても、そうなんだとその時だけ思ってまた皿洗いに戻ってしまうものですが、それが小説という形で感動したりすると、何か脳に変化が起きて違うリアクションをすると思います。たとえばこういう本を読んだ後に太った子がよちよち歩いているのを見たら、笑うのではなくて、何か苦しんでいるのかもしれないと思って、もう少し気にかけてあげようと思うかもしれない。そうすると、もしかしたらその子がアーティストになって、世の中を救うかもしれない。

( text:常川拓也)



『作家、本当のJ.T,リロイ』
(2016年/アメリカ/111分/カラー、一部モノクロ/1.85:1/DCP/原題:Author: The JT Leroy Story)

作品解説
1996年、女装の男娼となった過去を綴った自伝『サラ、神に背いた少年』で一躍時代の寵児となったものの、後に実在しないことが明るみとなった謎の天才美少年作家J.T.リロイにまつわる一連の顛末に迫ったドキュメンタリー。その才能にほれ込んだガス・ヴァン・サントは映画『エレファント』の脚本を依頼し、二作目の著作『サラ、いつわりの祈り』はアーシア・アルジェントによって2004年に映画化された。しかし、2006年のニューヨーク・タイムズによる暴露記事で事態は一変。J.T.リロイという人物は存在すらせず、その正体はサンフランシスコ在住の40歳女性ローラ・アルバートだった。一連の騒動をアルバート自身の言葉をはじめ、ガス・ヴァン・サント、トム・ウェイツ、コートニー・ラブ、ビリー・コーガンらとの通話音声や留守電メッセージなどによって解剖していく。

出演
ローラ・アルバート、ブルース・ベンダーソン、デニス・クーパー、ウィノナ・ライダー、アイラ・シルバーバーグほか

スタッフ
監督:ジェフ・フォイヤージーク(『悪魔とダニエル・ジョンストン』)
撮影監督:リチャード・ヘンケルズ
音楽:ウォルター・ワーゾワ

配給・宣伝:アップリンク

劇場情報
2017年4月8日(土)より新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷ほか全国順次公開中

公式ホームページ
http://www.uplink.co.jp/jtleroy/

(C)2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC. All Rights Reserved.

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【執筆者プロフィール】

常川拓也:Takuya Tsunekawa

新潟県生まれ。映画批評。「NOBODY」「neoneo」「INTRO」「リアルサウンド映画部」等へ寄稿。Twitter:@tsunetaku

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2017年3月4日土曜日

映画『サクロモンテの丘』監督インタビューtext常川 拓也

『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ~』チュス・グティエレス監督インタビュー


スペインはグラナダの丘の斜面に位置するサクロモンテは、フラメンコの発祥地であり聖地であるという。ジプシーであるロマ(ヒターノ)たちはこの地に集い、長く迫害を受けながらも、愛や嘆き、苦労や悲しみを歌と踊りの中に託して感情の捌け口としてきた。ヒターノのフラメンコ・コミュニティとその文化および芸術の継承についてのドキュメンタリー『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ~』を通して、私たちはフラメンコの中に彼らの日々の喜怒哀楽から被差別の歴史までもが刻み込まれていることを知るだろう。彼らにとって歌うことや踊ることは生活していくためそのものであり、それは「悲劇を生きるコツ」だったのだということを。このたび劇場公開に合わせて来日したチュス・グティエレス監督にインタビューする機会を得た。本作の成り立ちやドキュメンタリーで記録した意図、そして既存の男性中心の映画産業に対する思いまで幅広くお話を伺った。

(取材・構成・写真:常川拓也)




──サクロモンテはいまや観光名所として、世界各地から著名な観光客──古くはエヴァ・ガードナーらハリウッドのスターから最近ではミシェル・オバマまで──が訪れている地であると劇中でヒターノたちが語っていますが、どういった地域なのか改めて教えていただけますでしょうか。

チュス・グティエレス(以下CG):1963年に起きた洪水からしばらくの間サクロモンテはすべて放置されたままで、復活したのは70年代末から80年代初頭のことでした。現在どのような状況かというと、もちろんサンブラも少しは残っていますが、いまは観光名所となり、かつて洪水前に洞窟に住み、そこで踊っていた共同体自体はもうありません。このドキュメンタリーの中で話してくださった年輩のヒターノの方たちの記憶の中にある共同体はいまはもうないのです。

──子どもの頃からこの地区にはよく行かれていましたか。またその当時はどのような状況でしたか。

CG:子どもの頃にサクロモンテに行ったことはありませんでした。(本作に登場する)クーロ(・アルバイシン)が、グラナダにバーを持っていたので、そこには行ったことはありました。はじめて行ったのは確かティーンエイジャーの時、70年代後半ぐらいに再開発され、バーなどができはじめた頃でした。私が子どもの頃はサクロモンテはまだ荒廃していて、危険な地域として認知されていました。ですが、いまはもう整備されて落ち着いた場所です。放置されていた時は、わけのわからない人や家がない人が洞窟の中に入り込んでいたりして危険でした。ひとつ言いたいのは、サクロモンテは、グラナダの地図の中につい最近まで載っていなかったということです。つまり認知されていなかったのです。

──映画は最初、監督自身の声からはじまります。なぜ自分自身の声から映画をはじめようと思われたのでしょうか。

CG:もちろん本作の案内役はクーロですが、私が外の人間として、知らなかった場所であるサクロモンテにはじめて入って行くという風にしたかったためです。

──そこには、何かこの物語を伝えたいという使命感のような意思も表れていますか。

CG:そうですね、これから発見しに行くようなイメージにしたいと考えました。

──本作を作るにあたって、場所、音楽、人間と3つの焦点の置きどころがあったかと思いますが、出来上がった映画はすべてに大体同じ重きを置いて語っているように見受けられます。この構成に至ったのはどの段階だったのでしょうか。

CG:本作は私がはじめて作ったドキュメンタリーです。私はドキュメンタリーの専門家ではないので、学びながら作っていきました。構成に関しては、編集の時に撮った素材を見ながらバランスを考えていきました。というのは、重要なのは事実を伝えることではなく、その中にある感情を伝えることだと思ったからです。

──では、なぜ今回はじめてドキュメンタリーで撮ることを試みようと思われたのでしょうか。

CG:そこに興味があり知りたいと思う物語があって、それをシネアストとして、ヴィジュアル・アーティストとしてドキュメンタリーで伝えようという考えに今回至ったことは、私の中では自然なことでした。好奇心からはじまったと言えます。そして、ドキュメンタリーというジャンルが非常に自由である点も理由のひとつです。フィクションだと脚本やロケーションが必要とされ、場所や物語に縛られますが、その一方でドキュメンタリーは突然コメディにしたり、シュールレアリズムにしたり、色々なことを自由にすることができます。ドキュメンタリーの自由な側面に惹かれたのです。いつも本能の中にはドキュメンタリーをやってみたい気持ちはありましたが、今回、機が熟したような感じです。本作を撮ったことで、これからもっとドキュメンタリーを撮りたいと思うようになりました。また、サクロモンテの昔の記憶が残っているヒターノのアーティストたちの姿をいま収めなくてはならない気持ちもありました。本作はいくつかのパーツで撮っているのですが、一番最初に現地に向かった時にカメラを2台使いたかったので私が1台カメラを担いで撮影もしました。実はその時に撮った方は、次の撮影の時にはすでにお亡くなりになってしまっていました。それからもうお二方お亡くなりになられました。急がなければならなかったのです。ただ、資金が十分でなかったのでジレンマもありました。最終的には自分のお金も注ぎ込んだほどです。

──たとえばフィクションの中に取材をして現実を取り込むようなスタイルで物語るようなことは検討されていましたか。

CG:いいえ、それは全く頭にありませんでした。これは絶対にドキュメンタリーで撮らなければならないと思いました。フィクションでは不可能だったと思います。いつも現実の方がフィクションよりも勝ると思っているからです。

──その一方で、本作の脚本としてクーロさんがあなたと共同でクレジットされていますね。ここでいう脚本とは、どの程度詳細なものを意味していますか。

CG:どういう風に撮影していくかを道筋としてある程度決めたもののことです。フィクションの場合ははじめに脚本ありきですが、ドキュメンタリーの場合は最後にみんなが言ったことを脚本にしていく作業と言えます。




──本作は踊り手や歌い手のインタビューの後に彼らそれぞれの踊りや歌を披露するような形で成り立っていますが、そのような構成にするにあたりクーロさんから何か助言はありましたか。

CG:そういったものは一切ないです。クーロさんは知識の源泉であり、出演してくださったみなさんへどのように接触すればよいかを導いてくれました。それ以外の構成やどういう人物を選ぶかなどクリエイティヴな部分全般は私が決断しました。

──パフォーマンスが行われるシーンは何回に渡って撮影され、どのぐらい時間をかけたのでしょうか。

CG:洞窟の中の踊りのシーンは朝から晩までかけて1日で撮りました。1回しか撮っていません。予算が本当に低かったので、そうする以外にありませんでした。

──彼らは子どもたちが近くにいても会話の中で下ネタを飛ばし合っていますが、そういうことはあまり気にされないものなのですか。

CG:全然大丈夫ですね(笑)。日本だったら少しはばかられるのかもしれませんが、スペインの特に南部では、文化としてみんな常に一緒くたに過ごします。なのでパーティの中でも2ヶ月の赤ちゃんの横でみんな平気でタバコを吸ったり、朝までみんな騒ぐわけです。パーティという空間の中で子どものグループなど様々なグループができて、そこでそれぞれが過ごします。それがひとつの分かち合いになっています。大人の話す下ネタもみんな子どもは聞いていますが、それが普通なので問題はありません。子どもたちが思春期を迎えて話の内容に気づくまで、「それってどういう意味?」と聞いてくるまではわからないだろうと考えている感じです。内容はさておき、スペインでは子どもが質問してきたら、どういう答えであっても親たちは必ず答える文化があります。

──あなたはスペインの映画産業に携わる女性たちのための団体「CIMA」を設立するなどの活動もされていますね。本作でヒターノの女性たちを見ていると結婚制度そのものを否定していたり、因習に縛られない自立的な考え方を持っているところが印象に残りました。そういった部分が、あなたが持っているフェミニズム的な関心とも結びついているようにも思えたのですが、それは少し考え過ぎでしょうか。

CG:いえ、自分の中では彼女たちの自由さをそういう部分では見ていませんでした。なぜ彼女たちがこんなに自由なのかということに私はまず驚きました。というのは、私たちの普段暮らしている世界でも男性社会の中で女性は差別されているというのに、彼女たちはヒターナとして、そして女性として二重の差別を受けていると言えるからです。二重の差別を受けているのになぜこんなに彼女たちは自由なのだろう。その理由はふたつあると思いました。ひとつは、彼女たちが青春時代を過ごしたのがフランコ独裁体制の終わりだったことです。つまり彼女たちは、これから民主主義に向かう──独裁時代の暗い抑圧された時代から急に明るく開かれた時代に行く時に青春時代を過ごしたということが、理由のひとつに挙げられると思いました。もうひとつは、彼女たちがアーティストだということです。ほかのヒターノたちともほかの女性たちとも異なるのは、たとえ夜間でも自分たちで出て行って仕事をして戻って来なくてはならない、完璧に自立しなくてはいけない環境にあったからです。彼女たちがアーティストであることが、自由の根源だと思いました。

──日本でもペドロ・アルモドバル作品をはじめとしたスペイン映画が劇場公開はされていますが、考えてみればスペインの有名な女性監督というと、イザベル・コイシェぐらいしか思い浮かびません。スペインの映画産業も多分に男性中心だと思われますが、このような状況に対してどのように考えられていますか。

CG:もちろんそうです。スペインだけとかヨーロッパだけではなく、世界全体で映画界はいまも変わらず男性社会だと思います。みんな最近になって物事が変わって男女平等と言っていますが、実は、その中身はほとんど変わっていません。いまだって女性の映画監督は世界的にも男性の一割しかいません。国によっては1%しかいないところもあります。なので女性たちが本当はもっと団結してやらなければ、いままでと同じように映画は男性が主役で、女性は常に娘か母親、あるいは妻の役しかない状態になってしまいます。ここまで色々な人が男女平等を叫んできたにも関わらず、結局まだ何も構造が変わっていないということが、いま若い女性たちの中の本心にあるのではないかとも思います。そこを変えるには、私たちが後の世代への規範となるモデルをちゃんと作り出し、そして権力を持った女たちが男のように振る舞わないことです。それが必要なことであり、そうでなければ根底からは変わらないと私は思っています。

──映画を作りたいと思うようになったきっかけは何かありましたか。また監督を志すにあたり影響を受けた作品があればお教えください。

CG:私が監督になろうと思ったのは映画がきっかけというわけではありません。もちろん『タクシードライバー』や『カサブランカ』、それからヴィム・ヴェンダースの作品など好きな映画はありますが、まず興味を持ったのは書くことからでした。私は物語を語ることが好きだったのです。

──本作は音楽ドキュメンタリーとも言えると思いますが、好きな音楽ドキュメンタリーはありますか。

CG:『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999)が大好きです。あの映画から本作は影響を受けている部分があります。

──次回作はどのような作品を考えられていますか。

CG:ドキュメンタリーに挑戦したことで自由を感じてしまったので、しばらくは劇映画に戻れないような気がしています。また、映画業界に対して強く憤りを感じている部分もあるので、もう少し長期的に物語を語っていきたく思い、TVシリーズでSFものを構想しています。






『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』
原題:Sacromonte: los sabios
2014年/94分/スペイン/カラー/スペイン語/ドキュメンタリー/16:9/ステレオ

作品解説
スペイン・アンダルシア地方・グラナダ県サクロモンテ地区。
この地には、かつて迫害を受けたロマたちが集い、独自の文化が形成されていった。ロマたちが洞窟で暮らしていたことから洞窟フラメンコが生まれ、その力強く情熱的な踊りや歌に、世界中が熱狂した。隆盛をきわめたサクロモンテだが、1963年の水害により全てを失い、人々は住む場所を追われた――。
本作は、伝説のフラメンコ・コミュニティに深く入り込み、激動の時代を生き抜いてきたダンサー、歌い手、ギタリストなどのインタビュー、そしてアンダルシアの乾いた大地を舞台に繰り広げられる詩の朗読、そして力強い舞の数々を通して、大地に根付く魂が紡がれ、代々引き継がれていくさまを描く。

スタッフ
監督:チュス・グティエレス
参加アーティスト:クーロ・アルバイシン、ライムンド・エレディア、ペペ・アビチュエラ、ハイメ・エル・パロン、フアン・アンドレス・マジャ、チョンチ・エレディア、マノレーテ他多数

配給・宣伝
提供:アップリンク、ピカフィルム 
配給:アップリンク 
宣伝:アップリンク、ピカフィルム
後援:スペイン大使館、セルバンテス文化センター東京、一般社団法人日本フラメンコ協会

劇場情報
2017年2月18日(土)より有楽町スバル座、アップリンク渋谷ほか全国順次公開

公式ホームページ
http://www.uplink.co.jp/sacromonte/


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【監督プロフィール】
チュス・グティエレス:Chus Gutiérrez

1962年、グラナダ生まれ。CMディレクターとしてキャリアをスタート。現在ではスペインの中でも信望が厚く重要な監督の一人である。子どもの頃に初めて両親にタブラオに連れていかれて以来、何度もサクロモンテを訪れ、サンブラと関わり続けている。1995年の『アルマ・ヒターナ/アントニオとルシアの恋』ではサクロモンテの重要なアーティストの協力を得て、非ロマとロマとの共存を描いている。また『世界でいつも…』(2003)『ヒステリック・マドリッド』(2004)『デリリオ -歓喜のサルサ-』(2014)はいずれもラテンビート映画祭で上映された。

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【執筆者プロフィール】

常川拓也:Takuya Tsunekawa

新潟県生まれ。映画批評。「NOBODY」「neoneo」「INTRO」「リアルサウンド映画部」等へ寄稿。Twitter:@tsunetaku


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【関連記事】

映画『サクロモンテの丘~ロマの洞窟フラメンコ』評text長谷部 友子

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2016年11月25日金曜日

映画『エヴォリューション』ルシール・アザリロヴィック監督インタビューtext長谷部 友子、大久保 渉


Photo by Masataka Miyamoto 

「ことばの映画館」は、フランス映画祭2016のために6月に来日されたルシール・アザリロヴィック監督に11月26日(土)より公開される監督作『エヴォリューション』についてインタビューしました。見終わっても謎ばかりの『エヴォリューション』、監督は何を考えて映画を制作したのか。ぜひインタビュー記事をご覧ください。

*インタビュー内容はネタバレを含みます。






――とても美しい映像の作品でした。世界観も緻密に構築されていて、現実世界とはどのようにリンクしているのでしょうか。それとも全く切り離されたものなのでしょうか。

想像の世界と現実の世界は表裏一体だと思います。私はこの映画をスタジオで撮影したくありませんでした。本当にそこにある島、そこにある村、そういう現実性や具体性がどうしても必要だと思ったのです。想像の世界であっても、実際にある病院で撮影したかったのです。想像の世界と現実の世界というのは、私の中では繋がっているのです。







――水中のシーンにはこだわりがあったと思うのですが、どのように撮影したのでしょうか。カメラマンに対して何かリクエストはしましたか? 

撮影監督とはよく話し合い、私のやりたいことをよく理解してくれて、構図や照明も全面的に信頼していました。撮影場所はカナリア諸島のある島だったのですが、カメラを置くだけで画になるような場所で、ロケ地に助けられたと思います。

予算の都合上、カメラをあまり移動できなかったのですが、それがかえっていい効果を与えているのかもしれません。構図に関しては若松孝二監督や大島渚監督といった日本映画を参考にしたかったので、撮影監督に撮影前に勉強してくださいとお願いしました。

Photo by Masataka Miyamoto 




水中のシーンの撮影は、ダイバーの資格を持ったドキュメンタリーのカメラマンにお願いしました。カナリア諸島の自然に詳しい人で、こういう海藻や岩があるという知識がとても役立ちました。水中での撮影なので、ビデオで確認しながら撮ることができなかったので、私が事前に「こういう画が撮りたい」とスケッチを描いて説明し、海に潜ってもらい、映像をビデオで確認して、また潜ってという繰り返しで、とても大変な作業でした。








ドキュメンタリーのカメラマンの方なので、どうしても生き物のドキュメンタリーっぽくなってしまって。私はそういうものを全然求めていなかったので、「お魚はいいから!」みたいな時もありました(笑)。

お魚はいらないので、もっとこう幻想的な、海の汚れた部分を私は撮りたいのだという意思の疎通が少し難しかったです。最終的にはよく理解してくれて、よい映像が撮れました。







――子どもが主人公の映画ですが、どのように撮影をしたのでしょうか。現場では張りつめていたのか、反対に和気藹々と笑いながら進めたのか撮影時の雰囲気を教えてください。 

子どもっていうのは、とても面白いですね。もちろん笑いはありました。撮影現場は暗く深刻ということは全然なかったです。主人公を演じたマックスくんは、よく笑うとても明るい子で、だからこそ大変だった面もあります。なるべく真剣に、集中して表情を殺して撮影していかなければなりませんでしたから。




Photo by Masataka Miyamoto 

ストーリーは彼らにはどうでもいいみたいで、子どもたちはとにかく撮影に参加することが楽しくてしょうがないようでした。例えば子どもたちは水槽に大変興味を示し、水槽のシーンに出られるということがちょっと特権的のようでした。最後に具合が悪くなって男の子が吐くシーンがありましたが、「早く吐くシーンをやりたい!」と言っていました。子どもたちにとっては、そういう気持ち悪いシーンが逆に楽しいみたいでした。







――少年は成長して大人になるでもなく、女性も妊娠して子どもを出産するでもなく、全く違う生態系のようなものが描かれているように思えました。この映画の中で、変容というものがどういう意味を持っているのか教えてください。

そうですね。映画の最初のイメージについてお話すればわかっていただけると思います。映画の最初のイメージはお腹が痛い少年が病院に運ばれるというものでした。少女ではなく少年をイメージしたのは、少女であれば妊娠して出産するというのは当たり前すぎて面白みに欠ける、少年であればちょっとアブノーマルでより悪夢的な感じになるという直感があったからだと思います。







映画にでてくる少年たちは、大人の男性が不在なので、大きくなったら自分たちがどういう姿になるのかわからないまま成長しなければなりません。大人の女性たちも妊娠して出産することを自分たちではせずに、子どもたちを利用して種の再生のようなことをしていくわけです。まあ確かに不思議な世界だと思います。







――今回の作品を製作されて、ご自身の中で何か変化はありましたか? この作品は監督の人生の中でどのような位置づけになったのでしょうか。

まだ自分の中の変化について、はっきりとは言えません。ただこの映画を撮るのに、予算の関係でとても長い年月がかかっています。予算が限られなかなか実現しないにも関わらず、どうしてそこまで執着したのか自分でも不思議でしたが、見てくれた人たちの反応を聞いて、少しずつ分かってきた段階です。




Photo by Masataka Miyamoto 

自分の子どもの頃の潜在的な不安だとかそういったものを、この映画を撮ることによって、どこかで解消されてカタルシスみたいなことがあったのかなと。すごく個人的な映画だったのだなと思います。そういった解放感は感じています。次回作では、今度は大人を主人公にしてみようと思っています。





2016年11月26日(土)より、渋谷アップリンク、新宿シネマカリテで公開される『エヴォリューション』。悪夢のような美しい映画を見に劇場へ!




Photo by Masataka Miyamoto 


(text:長谷部友子、大久保渉、photo:宮本匡崇)

© LES FILMS DU WORSO • NOODLES PRODUCTION • VOLCANO FILMS • EVO FILMS A.I.E. • SCOPE PICTURES • LEFT FIELD VENTURES / DEPOT LEGAL 2015


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『エヴォリューション』
原題:Evolution

2015年/フランス/81分

作品解説
『エコール』の監督が贈る、最も美しい“悪夢”。
少年と女性しかいない、人里離れた島に母親と暮らす10歳の二コラ。その島ではすべての少年が奇妙な医療行為の対象となっている。「なにかがおかしい」と異変に気付き始めた二コラは、夜半に出かける母親の後をつける。そこで母親がほかの女性たちと海辺でする「ある行為」を目撃し、秘密を探ろうとしたのが悪夢の始まりだった。“エヴォリューション(進化)”とは何なのか…?ギャスパー・ノエの公私にわたるパートナーであり、森で暮らす少女たちを描いた『エコール』のルシール・アザリロヴィック監督が贈る、最も美しい“悪夢”。映画祭で上映されるや否や「初期クローネンバーグを思わせる!」「ルイス・キャロル、グリム兄弟、アンデルセンの死体を掘り起こした」等大きな反響を巻き起こした。

キャスト
マックス・ブラバン
ロクサーヌ・デュラン
ジュリー=マリー・パルマンティエ

スタッフ
監督:ルシール・アザリロヴィック
配給:アップリンク

公式ホームページ
http://www.uplink.co.jp/evolution/

劇場情報
2016年11月26日(土)より、渋谷アップリンク、新宿シネマカリテ(モーニング&レイト)ほか全国順次公開



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【執筆者プロフィール】

長谷部友子 Tomoko Hasebe

何故か私の人生に関わる人は映画が好きなようです。多くの人の思惑が蠢く映画は私には刺激的すぎるので、一人静かに本を読んでいたいと思うのに、彼らが私の見たことのない景色の話ばかりするので、今日も映画を見てしまいます。映画に言葉で近づけたらいいなと思っています。



大久保渉 Wataru Okubo

ライター・編集者・映画宣伝。フリーで色々。執筆・編集「映画芸術」「ことばの映画館」「neoneo」「FILMAGA」ほか。東京ろう映画祭スタッフほか。邦画とインド映画を応援中。でも米も仏も何でも好き。BLANKEY JET CITYの『水色』が好き。桃と味噌汁が好き。☆「映画芸術457号」特集はロマン ポルノ リブートです。ぜひご高覧ください。

Twitterアカウント:@OkuboWataru

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2016年9月30日金曜日

映画『過激派オペラ』江本純子監督インタビューtext大久保 渉

 (interview:大久保 渉、井河澤 智子)

(c)2016キングレコード 


「女たちが繰り広げる15分に1度の剥き出しの愛――」

2016年10月1日(土)よりテアトル新宿にて映画『過激派オペラ』がレイトショー上映される。

2000年に劇団「毛皮族」を旗揚げして以来、国内外でセンセーショナルな作品を発表し続ける演劇界の鬼才・江本純子が自著『股間』を映画化した衝撃作。

とある劇団の旗揚げ公演と、その成功に懸けた女優たちのひとときを熱く切り取った、狂おしいほどの愛とエロスが詰まった青春が描かれる。

主演の早織と中村有沙が激しく絡み合うベッドシーン。全身で水を浴びながら声高に演じ続ける女優たち。肩を寄せ合い、喧嘩して、抱きしめあって、ぶん殴り、魂と魂をぶつけあう、女と女の、うら若い女たちの青春群像劇。

そんな嵐のような映画に心がかき乱された数日後、朝から恐ろしいほど強い風が吹き荒れる台風の中、8月某日、江本純子監督にインタビューをさせてもらった。

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現場で生まれるもの、このキャストで生まれるものを大切にしたい

(c)2016キングレコード

――まず、本作の製作に至る経緯を教えてください。


まず初めに、私の小説『股間』を気にいって下さったプロデューサーから、映画化に向けた監督のオファーが私の元に届きました。それから、脚本家の吉川菜美さんと二人で脚本を書き始めました。

――吉川さんとの共同脚本はいかがでしたか?

吉川さんが作ったプロットに対して私が手をいれて、崩壊させて、それをまた吉川さんが立て直してと、もう何回戻し合いをすればいいんだっていうくらいお互いに手を加えながら進めていきました。

――企画から撮影まで、どのくらいの時間がかかりましたか?

企画から公開までが四年。だから、撮影までが三年。企画の作業が長かったですね。そのうちの1年くらいはキャスティングをしていました。キャスティングと脚本の直しを並行して進めていく中で「主演が見つからない」ということで、オーディションをはじめました。

――初めから主演が決まっていたわけではないんですね。

そうですね。オーディションで出会ったのが、早織さん、中村有沙さん、そして今中菜津美さん、平野鈴さんです。

――役者を選ぶ基準は何かありましたか?

もともと募集の段階で「ヌードがどこまでOKか」という聞き取りがありました。

芝居はできるけどヌードに条件があるって人はたくさんいましたし、ヌードに関してのNGはないけど芝居が下手っていう人もいました。「何でもやります!」って人は変な人も多くて(苦笑)。

その中でも、早織さん、中村さんに関しては、お芝居の話ができそうだと、俳優として信頼できそうな人格を感じました。

(c)2016キングレコード 

――現場で脚本を変えた部分があったと聞きましたが、それはどういったところですか?

キャストが決まって、何回かリハーサルをやっていきながら、やっぱり現場で生まれるもの、このキャストで生まれるものっていうのを大切にしたくなりました。それで、脚本にあったセリフや細かい動作的なこと、行動的なことは現場で結構変えていきました。

――出演者と作り上げていく感じか、自分のイメージに寄せてもらう感じか? 江本監督の演出はどういったものだったんでしょうか?

リハーサルに入った時に、まずは脚本通りのことをやって下さろうとするキャストに「脚本のことは忘れて下さい」と言いました。

例えば稽古場のシーンのリハーサルでは、私は「このシーンをやってみましょう」とひとこと言うだけです。あとは、キャストそれぞれに、その時間の過ごし方を任せます。

脚本上起こることになっている出来事に近づくまで、無理に言葉を発さなくてよいし、そのとき思ったように行動すればよい。だから、脚本上に書かれている出来事に近づかないことはしょっちゅうです。

脚本に書かれていることがそのまま起こらなくても、それぞれのキャストがそこで得た心境で、その場を過ごすことによって生まれていく関係性や言葉があります。新しい行動も生まれます。脚本通りにやることよりも、こういうリハーサルを経て俳優から生まれた態度や意思の方を大事にしたシーンは多いです。

この映画をつくる上で、決められた行動を「演技の形」にしたものを撮るだけで成立するのだろうかと考えていました。私はドラマっぽいものを撮りたいわけではないので、それよりも「演技の形」になりえないくらい無防備な人間の姿と、生々しい状態を撮りたいと思いました。

主人公・重信ナオコを演じる早織 (c)2016キングレコード

――撮影だけでいうと、どのくらいの期間でしたか?


11日です。2015年の夏に撮影しました。誰かが脱ぐとか、誰かしらのラブシーンが一日一回以上あって、それ以外にも喧嘩だ踊りだ放水だ白塗りだと、とにかく毎日盛り沢山でした。

――カメラを回してからOKまでは早かったですか?

スケジュールがタイトだったので、助監督から「OKだせ!」みたいな圧力をすごく感じて(笑) でも、私はまだまだOKをだしたくないんだけど……という気持ちとの戦いの中、苦渋のOKみたいなことは結構ありました。

ただ、私は編集という時間を知らないでやっていたので、その時に起こったことだけで判断していました。「目の前で起こっている時間」を見ることはただの演劇で、その先にまだ演出の続きがあること、その感覚には慣れていなかったんです。

――それは実際に映画を演出してみて感じた舞台演出との違いということでしょうか?

そうですね。違いですね。芝居のよしあしは主観的な判断で行うから「もっとよくなるんじゃないか」と悩ましくなってしまいますが、編集のことを計算しての画のよしあしは、もっと客観的な判断で「ありかなしか」がハッキリするから、苦渋ではなく「即決」できるようになるのかな、とも思いました。

――編集後の映像を実際に見たご自身の感想は?

なんとかなるんだなって(笑)でも、本当に現場で時間をかける部分っていうのはやっぱり編集のための画づくりだったんじゃないかと思いました。カメラテストにはもっと時間をかけてみたかったなと。

――現場ではカメラを頻繁に覗かれましたか?

もちろん現場であれこれ位置や見え方について言っていたんですけど、でも、自分がよしあしを言うのって、結局主観的なことでしか言ってないんです。

こっちよりも、この角度にして欲しいのは、こっちの方が「好き」だから、という理由です。そこは客観的に、編集にとっての確信的な理由を言えるようになりたいな、と思います。

人間のエネルギーというか、彼女たちの発するものを伝えたい

劇団の主演女優・岡高春を演じる中村有沙 (c)2016キングレコード

――小説『股間』と本作の脚本にはどのような違いがありますか?

小説内では何回か公演をするのですが、ただそれを映画で繰り返しやってしまうと脚本の構成上、惰性的というか、ダラダラしちゃうということがあったので、ひとつの公演に向けて走って、それで崩れて、という話になりました。

――小説内では主人公の日常生活、つまりはお金を稼ぐだとか母親と喧嘩をするなどの描写も載っていましたが、映画の中ではそこら辺が割と省かれていたように見受けられました。

決定稿直前のシナリオは、サラ金でお金を借りるエピソードも入っていました。それで決定稿になるまでに、ナオの生活要素の説明としては多いって理由で切ったんだと思います。さらに現場に入って、もっと切ってもいいんじゃないかなと感じました。

人間のエネルギーというか、彼女たちの発するものが現場でもどんどん大きくなっていったので、それをしっかりと捉えていければ、この映画は成立するんじゃないかとまで思って。そうするとお金のことを描いた部分がとってつけたようなドラマに感じてしまったんです。

編集のときにも、遠藤留奈さん演じる里奈にお金を借りるシーンをカットして、ただセックスした二人として描くべきか最後まで悩みましたが、残しました。

人と人が交わる、人間観なのか、人間関係観なのか

(c)2016キングレコード

――劇中劇として、『過激派オペラ』等舞台のシーンが出てきますが、その脚本は江本監督ご自身が書かれたんですか?

そうですね。そこだけはプロデューサーも吉川さんも全然立ち入ってこなくて、完全に任されました。

ただ、『過激派オペラ』のプロットについては一発でOKになりましたが、『花魁ゲリラ』の方は二、三回書き直しました。それは、道具が集まらないって理由で。

――それは劇中でも問題になった「くまのぬいぐるみ」とか?

そうですね(笑)あとは、ロボットレストランのロボットを登場させようって方向で書いていた時もありましたが、借りることができなかったので、それで筋を変えたりもしました。

――劇中劇は、実際にどちらも上演できる状態で書かれていたということですか?

『過激派オペラ』も『花魁ゲリラ』も、そうですね、上演はできると思います。映画では部分的にしかやっていませんが、プロットはあるので。

でも、舞台のシーンに関しては、もう少し時間が欲しかったかなというのが正直なところです。

――もっと舞台用の演出をつけたかった?

そうですね。ダンスもぐだっとしている部分があるし、あとは芝居ももっとこうした方がいいなとか、作品レベルで考えてしまう。でも、主人公たちは初めてやる公演だから、経験はそんなにないっていうところで自分を納得させたっていう感じです。

そもそも、あの劇中劇が存在する意味は、舞台のクオリティとは関係のないところにあるので、こだわらなくてよいとはわかっているのですが、それでも(笑)。

――ナオコにしろ、春にしろ、舞台の成功に向けて気持ちと気持ちをぶつけ合う劇団員たちの努力や結束、関係性が、あの上演シーンでより表出されていたように感じられました。

劇団ならではの関係っていうのは、家族でもないし、恋愛でもないし、それぞれ関わっている俳優がいて、本当に嫉妬し合うとか、良い時は良い関係だし。だから、ナオと春の関係も果たして「恋愛」というだけのものだったのか、そこは疑問だなって思う部分もあります。

それはただ単純に、一緒に作品をつくるっていうだけの話だったんじゃないかなって思うんです。「恋愛」って言葉だけでは表現できないと言いますか。

人と人とが関わる、なんていうんですか、それを何観というのかは分からないんですけど、人間観なのか、人間関係観なのか、本作にあるのは、そういったものなのかもしれません。

セックスも熱情の一部として、ほとばしるエネルギーの先にあるものとして、必要なのではないか

(c)2016キングレコード

――二人の女性が裸で肌を寄せ合うスチール写真にも見られますが、セックスシーンの、まさぐりあう女性の姿が印象的でした。

私自身は、正直、セックスを撮りたくてこの映画をつくったわけではないので、だから濡れ場はなくてもいいんじゃないのかっていうことはずーっと考えていました。

ただ、この物語の中での「裸」っていうものには意味があるのかなとは思っています。セックスも熱情の一部にすぎないというか、セックス目的のセックスではなくて、ほとばしるエネルギーの先にあるものとして必要なんじゃないのかなと。

私はエロいものを作りたいわけでも見せたいわけでもないし、エロと名付けられてしまう表現に関してはちょっと慎重でいたいんです。

――ためらいを感じると?

どちらかと言うと、私自身はそういうシーンは苦手なので。

だから、本作の濡れ場とか、編集していても結構大変でしたね。本当は、私、笑いのことばっかりをやりたいので。

だから、セックスシーンも笑えるものじゃなきゃ嫌だって言って撮っていましたね。ゲップが出そうなセックスシーンは撮らないようにと。

――試写会場でも、いくつかのセックスシーンでは観客席から笑い声が上がっていました(笑)

セックスを使ったコントになったらいい、と思いながら撮っていました。結果的に、そこに、人間の可笑しみが出ればいいじゃないですか。 


(c)2016キングレコード


――『過激派オペラ』というタイトルはすぐに決まったんですか?

試写の0号かな? その直前まで決まっていなかったような(笑)

――それまではどんなタイトルが候補にあったんですか?

『コカン』。カタカナでコカン。だから、江本組のコカンですよ。スタッフさんたちも名を名乗るときは「コカンの⚪︎⚪︎です」とか。これ、どう考えても変えた方がいいんだろうなって。

最終的には、これは『過激派オペラ』という劇の公演に集まった若者たちのすがたを描いたお話なので、何が一番この映画のタイトルに相応しいのかなと考えて、『過激派オペラ』に決まりました。

――撮り終えて早々ですが、次回作の予定は何か決まっていますか?

今のところはありませんが、撮れるものなら撮りたいです。

でもスタッフさんには、私の要望を聞いてもらうときの切り札として「私は二度と撮れないかもしれないんで!」って泣き落としみたいに言って説得していたので、それが嘘になってしまいすが(笑)。

もちろんそのときは本気で「これは一生に一本かもしれない」と思ってやっていましたが、これからまた撮りたいなって気持ちは強くあります。もっと勉強したいな、面白いなって。

――映画の成り立ちから撮影現場の風景まで、様々なお話を本当にありがとうございました。それでは、最後に、これから『過激派オペラ』をご覧になられる皆さまに向けて、一言いただいてもよろしいですか?

ポスターを含めて、過激なイメージが強いかもしれませんが、そんな圧力には負けずに、観に来て欲しいなと思っています。

こんな映画は「二度と撮れないかもしれないんで!」


(文・構成:大久保渉/取材:大久保渉、井河澤智子)





『過激派オペラ』 
2016年/90分/日本

作品解説
2000年に劇団「毛皮族」を旗揚げして以来、国内外でセンセーショナルな作品を発表し続ける演劇界の奇才・江本純子が、自伝的小説『股間』を遂に映画化。 舞台演出で培われた演出方法は細部にまで行き届き、スクリーン狭しと表現される過激な表現に圧倒させられずにはいられない、初監督作とは思えない圧巻のデビューとなった。そして、かつて見たことのない衝撃的な愛の表現により本作は幕を開ける―。

“女たらし”の女演出家・重信ナオコが、一人の女優・岡高春と出会い、劇団「毛布教」を立ち上げ、成功し挫折していく様を、辛辣にときにユーモラスに描く。二人の女性の出会いと別れの物語であり、狂熱的な主人公を取り囲む女優たちの嫉妬や欲望、剥き出しの感情が交錯する青春群像劇となっている。『百円の恋』の早織と、『ゾンビアス』の中村有沙のダブル主演。2人の感情も肉体も全て剥き出した演技がこの作品を一層本気に仕上げている。

キャスト
重信ナオコ:早織
岡高 春:中村有沙
出水 幸:桜井ユキ
工藤岳美:森田涼花
寺山田文子:佐久間麻由
麿角桃実:後藤ユウミ
松井はつね:石橋穂乃香
三浦ふみ:今中菜津美

スタッフ
監督:江本純子
製作:重村博文
プロデューサー:梅川治男、山口幸彦
原作:江本純子『股間』リトルモア刊
脚本:吉川菜美、江本純子
音楽:原田智英

配給
日本出版販売

劇場情報
10/1(土)よりテアトル新宿 他にて全国順次公開

(c)2016キングレコード

公式サイト
http://kagekihaopera.com


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【執筆者プロフィール】 


大久保 渉 Wataru Okubo 

ライター・編集者・映画宣伝。フリーで色々。執筆・編集「映画芸術」「ことばの映画館」「neoneo」「FILMAGA」ほか。東京ろう映画祭スタッフほか。邦画とインド映画を応援中。でも米も仏も何でも好き。BLANKEY JET CITYの『水色』が好き。桃と味噌汁が好き。
Twitterアカウント:@OkuboWataru

井河澤 智子:Ikazawa Tomoko

元図書館員。セミナー影ナレ・会議司会・選挙ウグイス・謎のアプリ声優・婚礼司会(修業中)など、こっそりと声の仕事をしつつ、映画との関わりを模索中。

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2016年7月28日木曜日

フランス映画祭2016〜映画『パレス・ダウン』ニコラ・サーダ監督インタヴューtext藤野 みさき

(C)Joe D Souza

テロ事件そのものではなく、
若い女の子がこの危機的な状況の中でどのような成長を遂げるのかーー
そのことが私にとって最も大切なことでした。

                        ー ニコラ・サーダ



 現在の私達の生きるこの世界は、まるで大きなうねりをあげるかのように、映画の世界をも凌駕する非情な現実が日々世界各国で起こっている。本作『パレス・ダウン』は、2015年11月13日に起きたパリの同時多発テロ事件の直後に本国フランスでの公開が予定されていた。当初は公開を慎むことも考えられたのだが、この映画の製作陣、そして何よりも監督であるニコラ・サーダは「この映画がテロへの警鐘を鳴らすものであるのなら」との想いを込めて公開することを決意した。

 この映画『パレス・ダウン』は、2008年に実際に起きたインドの同時多発テロ事件を、事件当初襲われた「タージマハル・ホテル」の一室に滞在していた一人の18歳の少女の視点から描いた事実に基づく作品である。ホテルで夜を過ごそうとしていた主人公のルイーズ(ステイシー・マーティン)は、 突如銃声音を聞き、何が起こったのかを知ろう客室を出る。しかし、事態を飲み込めぬまま部屋に戻されてしまい、部屋の鍵を閉めて電気を全て消すように指示されるルイーズ。彼女の手元に残された唯一の命綱は、一つの携帯電話であった。

 本作において最も恐ろしいことは、今自分自身の周囲で何が起こっているのかを「見えない」「知ることができない」ことである。情報は遮断され、聞こえてくるものは銃声音や悲鳴だけである。そんな目に見えない不安に襲われる中で、それでも懸命に「生きよう」とする少女の勇気と成長をしてゆく姿に、サーダ監督は一筋の希望を託したのではないだろうか。
 今回、仏映画祭で来日をなされたニコラ・サーダ監督に、本作を製作するに至るまでの動機を始め、映画の構築の仕方や影響を受けた監督達、そして、この映画に込めた想いを伺った。

(取材・構成・文:藤野みさき 2016年6月25日 パレスホテルにて)


ニコラ・サーダ監督

──この度はインタヴューをお引き受けくださって本当に有難うございます。まずはその感謝の気持ちから申し上げたいと思います。

ニコラ・サーダ(以下NS) こちらこそ、有難うございます! このような時、日本語で何と言ったらいいのかを調べておいたものがあるのです。ちょっと待ってくださいね。
「ミナサマニ カンシャ モウシアゲマス(皆様に感謝申し上げます)!」

──メルシー・ボークー! 有難うございます。
では、質問に入る前に私の感想からお伝えしたいと思います。私はこの映画を観る時、何の予備知識もなく、ただムンバイにいる女の子がテロ事件に巻き込まれたのだ、ということだけで観たのです。ですので、すごくサスペンスフルに描かれていることが本当に面白く、手に汗握りました。

NS 日本のお客さんはこのような映画を好きになると思いますか?

──はい、もちろんです。実はこの映画を観る前、私は体調が悪くてとても眠かったのですが、この映画を観たら「ハッ」と目が覚めて、最初から最後まで画面に惹きつけられました。ですので、日本の観客はもちろん、私よりも若い人達、ルイーズの歳頃の観客にも伝わる映画だと思います。

NS 有難うございます。

──では映画の内容についてお伺い出来ればと思います。この映画を撮られる一番の動機は何でしたか?

NS 私は当時、2008年に起こったこのムンバイのテロ事件はテレビで見ていました。そのときはすごいことが起こったな、と思っていたのですが、その少し後に友人と話していたら、その友人のうちの一人の親類が事件当時、この映画の舞台となる「タージマハル・ホテル」にいて、事件に巻き込まれたのだということを知りました。
 もちろん、テロの問題というのは、今や世界中の関心を集めている非常に重要な、現代的な問題だと思います。しかし、関心はもちろんあるものの、私はそのような問題、テロを主題とした映画を作るということは考えてはいなかったのです。ですが、その友人の話を聞きながら、「このテロ事件というのは一つの映画のテーマ(主題)の中に描くことが出来るのではないか」と思い始めて、具体的な私自身の視点も輪郭を帯びてきたように思います。
 現在の大衆映画の中には、非常に残酷な場面が描かれている作品が多くあります。ですから、現在の私達というのは、大衆映画の中の残酷さに慣れてしまっていると思うのです。その映画の中には爆発シーンを始め、血ふぶきや死体など、様々な残酷な場面が出てきます。しかし、私が描きたかったものというのは、スペクタクル的な残酷な場面ではありません。観ている人の感性に訴えかける映画を作りたいと思ったのです。

──まさにそのことについてお伺いしたいことがあります。この映画は終始「見えない」ということに徹底されています。ホテルの一室でルイーズが見るもの、聞くもの全てが、観ている私達にとっての唯一の情報源となります。血ふぶきもなければ、人が撃たれる場面もありません。ピストルの音しか聞こえない、犯人の顔も見ることが出来ない。そんな見えない恐怖に包まれて、ルイーズは本当に怯えていますよね。この映画を演出するにあたり、何か意識なされたことはございますか?

NS 私はこの映画を作る時、主人公であるルイーズに焦点を定める描き方をしようという思いがありました。ですので、この映画の中で、いかにルイーズという人物像を浮かび上がらせるのか、ということを具体的に構築するために、本物のルイーズさんに会い、今あなたが私にやってくださっているようなインタヴューを行いました。その時、あの晩どのような状態であったのかという詳細を彼女に話してもらい、その話してもらったことを元に、どのようにして映画的に表現したらいいのかを考えました。
 ですから、彼女が一人であの日あの夜、どんな恐怖を感じ、不安を抱いていたのかを、どのようにして映画の中で表現するのかということが、私にとって最も大きな問題だったのです。もちろん、映画の中には時々ご両親も出てきますよね。ですが、それはあくまで時々であり、テロリストもまた存在はしていることを匂わせる描き方をしています。それは、実際にルイーズがテロリストたちを見ていないわけですから、映画の中で描く必要はなかったのです。

──とても気になっていたことがあります。本物のルイーズさんは、主役を演じられたステイシー・マーティンさんと似ていますか?

NS それは、とても不思議なことです。ステイシーは『ニンフォマニアック』という映画にも出演しているのですが、私が彼女に会ったのはこの映画が公開される前のことでした。ですが、彼女に会った時点で、彼女がこの映画に非常に適していると直感的に感じたのです。そして、映画の撮影を始める数ヶ月前に、本物のルイーズとステイシーに会っていただき、二人で話してもらう機会を設けました。そして、その時に、本当に偶然なのですが、彼女達が会話をしている最中に二人には高校時代の共通の友人がいることが分かったのです。そのような共通項を得ながら、彼女達の距離感もぐっと近づいてゆきました。色々な話が出来たことは本当にこの映画の役に立ったと思いますし、そのこと自体、私は運命的なことであったと思っています。
 そして、この映画の最後のほうで、彼女が住んでいるアパルトマンのキッチンで、ルイーズとお姉さん、そしてお母さんの三人が出てくる場面があります。そのルイーズのお姉さんを演じた女性というのは、実は本物のルイーズの姉妹なのです。ですからあの時に、全く違う感じがするのですが、なんとなく似ている。観ている人は、本物のルイーズの姉妹だということは分からなくても、「似ている」と言ってくださった方が沢山いらっしゃいました。ですので、似ていないようで、実は似ている、ということが大変興味深かったのです。

──それは非常に興味深いことですね。そんな偶然があるなんて……。

NS ええ、私もとても驚きました。




──私は、私達観客に想像力を委ねる映画が大好きです。私がこの作品を好きな理由も、やはり本作は私達観ている観客の想像力、そして知性を奪わない点にあります。映画が私達の想像する力を信じてくれるのです。私はこの作品を観た時に幾つかのアルフレッド・ヒッチコック監督の作品を思い出しました。例えば『断崖』や『裏窓』などがそうなのですが、ヒッチコック監督の映画もまた私達観客の想像力を掻き立て、委ねてくれます。
 私の好きな場面の一つに、ルイーズが身を隠したお風呂場にある電話が鳴り響くシーンがあります。あの電話を掛けた人というのは、彼女を助けようとしているホテルの従業員なのかもしれない。でも、もしかすると、それは彼女を殺そうとしているテロリストなのかもしれないのです。誰が、彼女に電話を掛けたのか。その真実は映画を観終わった後でも謎のままですね。

NS そうです。そのことがまさに私がこの場面に期待をしていたことだったのです。もしもあなたがホテルにいて部屋の電話が鳴ったとしても、それは日常的な光景ですから電話に出られますよね。でも、もしも今まさに攻撃されているホテルにあなたがいた場合は、状況は一変してしまいます。全てのことが脅威へと変わってしまうのです。ですから、私はこの場面が大変気に入っています。
 そして、ヒッチコック監督については、私が映画を観始めた頃に最も影響を受けた監督です。彼の作品は良く知っていますし、私は今でも常に彼の作品から学ぶことが多くあります。本作『パレス・ダウン』では本格的なサスペンス映画を作ろうと思っていましたので、緊張感を演出する上でも、彼の『鳥』からインスピレーションを受けました。

──有難うございます。またこの作品は一つ一つの場面がとても丁寧に撮影されていることも非常に印象的でした。中でも客室係の男性が二度、ルイーズの部屋を往復する場面があります。私はこの場面を観た時「なぜ、この場面はこんなに長いのだろう?」と、ずっと思っていました。二回目はノックして、お水を取り替えに来ますよね。そんな何気ないワンシーンが、しっかりと伏線になっており、最後に繋がってゆきます。そんなところで、観客である私達に、様々な人が存在するのだと憶えていてもらうということ。私達は一人では生きることは出来ません。そこには様々な人の存在が、支えがあります。そう思う時、この場面は非常に印象的で心に残った場面の一つでした。

NS このような非常に規模の大きな悲劇的な事件が起こった時に、その事件に巻き込まれる人々の中には、異なる宗教を持っている人達がいるでしょうし、宗教だけではなく、異なる人種や、国籍、職業など、様々な人達が一気に事件に巻き込まれて犠牲になってしまうことがあります。
 そして、それはとても大きな不幸な出来事なのですが、観ている私達や巻き込まれた人達というのは、このような不幸に巻き込まれたからこそ、宗教や人種や職業、そして社会的な階級などを全て排除して、連帯感というものを改めて確認することが出来るのではないかと考えます。それは非常に相矛盾していることであるのですが、平和な時は感じられずに、大きな災害の時だけ感じる不思議な連帯感が起こることも、また事実であると思います。

──このような災害時における非日常な状況に置かれた時、自らの持つ本質的な人間としての芯が問われるように感じます。

NS ルイーズは18歳と非常に若く、彼女の同年齢の人達というのは、これから自分が歩む道、どんな大学へ行こうかな、ですとか、どのような勉強をして、どのような職業に就きたいのかを考えます。あるいは、恋人のことを考えたり、どのような家庭を築きたいかを考えたりもします。そのような、彼ら彼女達なりの、様々な関心があると思うのです。しかし、このような大きな災害が訪れてしまったら、普段考えている日常的な、とても普通の彼らの関心事が一気に失われ、根こそぎ切り落とされてしまうような状況になってしまいます。つまりは非常に極端な状態に陥ってしまうのです。しかし、そのことで彼ら達は、その瞬間にただの若い人ではなく、一気に成熟した大人に成長するということもまた考えられるのではないかと思います。
 ですから、これは私が本物のルイーズに会って話をした時に感じたことなのですが、とても若い彼女達だからこそ、このような大きな災害に遭ったときに大きく成長出来る可能性を秘めていると思うのです。それは本当に矛盾していることなのですが、このような災害があるからこそ、大人になってゆく。このことは本当に普遍的だと思いますし、その姿というのは私の心を揺さぶるものがありました。

──私がこの映画を観た時に感じたのは、やはり主人公であるルイーズの成長です。最初は携帯電話を片手にとにかく「怖い」と、お父さんに「早く助けに来て」と言っていた女の子が、様々な体験 ─ホテルのタオルを濡らし煙を来なくするようドアの下に敷くところなど─を通じて、少しずつ強くなってゆきます。そして、一階下に取り残された女性にも、「大丈夫。私達はきっと助かるわ」とまで言えるようになるのです。その本当に短時間の中でも人間は成長できるのだというところに私は大変感銘を受けました。若く、か弱い女の子が強くなってゆくその過程が、とても鮮明に描かれていたからです。

NS そうですね。一階下にいるイタリア人女性の存在というのは、今あなたがおっしゃってくださった、彼女がいかに成長していったのかということを見せる良いきっかけになっていると思います。私は脚本を書きながらも、イタリア人女性の存在を描いたことは、ルイーズの成長を決定付けるためにという認識は全くありませんでした。ですが、改めてそのことを考えてみますと、確かにそうだという思いがします。
 最初、彼女はただお父さんに対して「助けてほしい」「どうしたらいいの?」と訊いて、お父さんに依存をしていたのです。そしてお父さんはひたすらに「大丈夫だから」と彼女を慰め、元気づけていましたよね。でも、ことが段々大きくなってゆきながら、彼女が一階下の部屋にイタリア人女性がいると分かった時に、初めて、彼女はお父さんを理解することが出来たと思うのです。人を元気づけることがいかに大切なのかということを理解し、そして、自分もお父さんのように彼女に対して「頑張って。大丈夫、助かるわ」と言い、彼女を励ます言動に出てゆくのです。ですから、ルイーズは事件が起こった最初の時よりも成熟してゆきましたし、それから、恐怖の状態に置かれている時の責任感も得たのだと思います。イタリア人女性を励ますのは自分しかいない。しかし、彼女を励ますことは同時に自分自身を励ますことでもあるのです。


(C)Joe D Souza


──実はインタヴューを行う前、サーダ監督はアルノー・デプレシャン監督の幾つかの脚本に携わっていたということを知りました。私はアルノー・デプレシャン監督が大好きなのです。彼との仕事というのは、『“男たちと共に”演技するレオ』と『あの頃エッフェル塔の下で』でしょうか? 『“男たちと共に”演技するレオ』は残念ながら日本未公開なのですが、『あの頃エッフェル塔の下で』は大変美しく、素晴らしい作品でした。彼との仕事というのは如何でしたか? そしてもしも印象的なエピソードなどがございましたら、教えていただけると嬉しいです。

NS 『あの頃エッフェル塔の下で』においては、私は共同執筆をしていないのですが、モスクワの場面での脚本に携わりました。アルノーとは『“男たちと共に”演技するレオ』でも一緒に仕事をしました。彼は私のとても良き友人で、私達はしばし自分達の映画や企画についてを語り合います。特に『“男たちと共に”演技するレオ』では、彼から多くのことを学びました。アルノーはとても几帳面な人です。そしてスクリーンの上での役者の動きをよく考慮して脚本を書くべきだということを、私に教えてくれた人でもありました。この経験というのは、今でも私にとても大きな影響を与えています。

──そして、ルイーズの母親役を演じられたジーナ・マッキーさんについてもお聞かせください。サーダ監督はデプレシャン監督の『ジミーとジョルジュ 心の欠片を探して』の彼女の演技を見て、本作に起用なされたとのことでした。私は『ノッティングヒルの恋人』が大好きなのですが、デプレシャン監督のことばを借りるのであれば、彼女は私にとってもまた「夢」の存在でした。彼女との仕事は如何でしたか?

NS ジーナはとても私達に協力的で、そして思慮深い人でした。彼女が撮影現場にいると常に場が和んでいましたし、いつもアイデアを出してくれたのです。たとえ難しい場面の撮影であっても、彼女は私を信頼してくれていましたので、彼女との仕事というのはとても楽しかったです。

──最後になりますが、このインタヴューを通じて、サーダ監督は「若い人」について触れられていました。そして日本の観客の皆さんがどのようにこの作品をご覧になられるのかということを。よろしければ、日本の観客、特に私やルイーズのような若い世代の観客にメッセージやお伝えしたいことがございましたら是非お聞かせください。

NS はい、もちろんです。この物語を書き始めたのは4年ほど前のことで、ちょうどその頃私は別の作品で東京に来ていました。その時にはもう既にこの物語を書き始めていたのですが、私にとって重要だったのは若い人が主人公である、ということでした。若い人を主人公にしたかったのです。その理由は、今の若い人達というのは、やはり世界の状況を見ると、彼らにとって残されているのは不安の材料でしかないのではないか、自分達の将来はどうなるのだろう、どのような世界に生きてゆくのだろうという、本当に切りがないほどの不安が沢山ある中で、若い人達は生きているのだと思うのです。
 ですから、そのような彼ら達がこれから先どのような局面に出会うのかというのは未知なることです。例えば、昨年フランスでロック・コンサートの会場でテロ事件があり、若い人も沢山亡くなられました。ですからテロの対象というのは、もはや若い人も含まれてきている状況にあります。そのような人達が、これからの自分達がどういう風に生きてゆくのかということに対して、恐怖を味わっていない皆さんの心の中にも不安が存在していると思いますので、実際にルイーズが体験した恐怖を共有しながら、自分達の未来、そして自分達は今の世界をどのように見なければならないのか。そのことを考えるきっかけになってくれたら嬉しいなと思います。
 それから、お互いに愛し合うということです。人間同士、お互いを尊重し、愛し合うということが大切なのだということを、この映画を通じて感じていただけたらとても嬉しいです。

 一つ一つことばを選びながら、サーダ監督は丁寧に私の質問に答えてくれた。その瞳は大きく、眼差しはあたたかく、そして終始、今私が何についてを話し、何を伝えようとしているのかということを真剣に汲み取ろうとしてくれていた。「ウィ、ウィ」と頷きながら優しく微笑む時もあれば、時にその瞳から優しい光が消えることもあった。特にテロ事件の問題、そして現在の若い人達の不安については時間を掛けながら、ことばを紡ぐようにして、私の瞳をしっかりと見つめながら答えてくれたことがとても印象深い。
 最後に私が御礼の握手のために手を差し出すと、サーダ監督は優しく微笑み、とてもあたたかく大きな手で、私の想いに応じてくれた。その時の誠実な眼差しと包み込んでくれた手のぬくもりが、今でもずっと私の中に残り続けている。

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ニコラ・サーダ:Nicolas Saada

1965年、フランス・ブローニュ=ビヤンクール生まれ。87年にフランスの映画批評誌「カイエ・ドゥ・シネマ」のスタッフを経て、92年に仏独共同テレビ局Arte(アルテ)に入社し、93年~98年までに約50本のテレビ番組に携わる。99年の『砂の売人』(監督:ピエール・サルバドーリ)にて映画脚本を手掛け、その後脚本家として、アルノー・デプレシャンや、ゲラ・バブルアニらの監督作品を執筆。『スリープレス・ナイト』(2012/監督:フレデリック・ジャルダン)では共同制作を担う。短編映画『 Les Parallèles』(04)にて監督デヴュー。『ザ・スパイ 裏切りのミッション』(2009・日本未公開)が翌年のセザール賞最優秀デヴュー賞にノミネートされる。短編映画を数多く手掛け、『Aujourd’ hui』(2012)が、13年のニューヨーク映画祭に出品された。

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『パレス・ダウン』
原題:Taj Mahal
2015年/フランス/91分/フランス語・英語/DCP/2.40/ドルビー

作品解説
主演はラース・フォン・トリアー監督の『ニンフォマニアック』(14)で、色情狂のヒロインを体当たりで演じて話題となったステイシー・マーティン。本作ではテロ事件に巻き込まれ過酷な状況下に置かれた実在の少女を熱演。
公開直前の15年11月にフランス・パリ同時多発テロが起き、公開自粛も考えられたが、“テロへの警鐘を鳴らすため”と監督をはじめ製作陣は公開を決定し、大きな話題を呼んだ。
ルイーズは18歳。転勤が決まった両親とともに、ムンバイで2年間暮らすことになる。引越し先の新居が決まるまで、彼女と両親はタージマハル・ホテルの豪華なスイートルームに宿泊していた。ある晩、両親は夕食に出かけ、彼女は一人ホテルの部屋に残る。ホテルの廊下で聞き慣れない物音がして、彼女は即座にホテルがテロリストに襲撃されたことを知る。彼女と外の世界の唯一のつながりは携帯電話のみ。大混乱に陥ったムンバイの街中で必死に彼女を救出しようとする父親と連絡を取りつつ、スイーズは危険と向き合いながら、長い夜をたった一人で過ごさなければならなかった……。

キャスト
ルイーズ:ステイシー・マーティン
ルイーズ父:ルイ=ド・ドゥ・ランクザン
ルイーズ母:ジーナ・マッキー
ジョヴァンナ:アルヴァ・ロルヴァケル

スタッフ
監督:ニコラ・サーダ

配給:バップ
配給協力:プレイタイム

提供:日活

2015年 ヴェネチア国際映画祭 オリゾンティ部門 正式出品作品

公式ホームページ
「カリコレ2016」にて上映
7月29日(金) 16:00/8月2日(火) 13:00/8月13日(土) 10:00
「カリコレ2016」公式ホームページ

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【執筆者プロフィール】

藤野 みさき: Misaki Fujino

1992年、栃木県出身。
私にとって仏映画祭は、私の夢を叶え、そして夢の続きを歩ませてくれる映画祭でもありました。14歳のときアルノー・デプレシャン監督の映画に魅了され、その三年後の仏映画祭でデプレシャン監督にお逢いするという幸運に恵まれました。当時17歳の少女だった私をとても優しく包み込み、頬にキスをしてくださったことを忘れることはありません。またいつか逢えることを信じて、私はこれからも映画の夢を見続けたいと願っています。

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