2017年4月23日日曜日

映画『作家、本当のJ.T.リロイ』著者ローラ・アルバート、インタビューtext常川 拓也

『作家、本当のJ.T.リロイ』著者ローラ・アルバートinterview


正直に言って、この人の語る言葉を一体どこまで信用してよいものなのかわからなくて戸惑った。それが『作家、本当のJ.T.リロイ』を最初に観た率直な感想である。本作は、若き女装の男娼J.T.リロイの架空の回想録をノンフィクション小説として世に発表した女性ローラ・アルバートのインタビューを中心に構成されている。思うに、本作が信用ならない語り手による告白である点は留意が必要だろう。そもそも回想録というものの中には脚色や誇張が付きものである。事実をそっくりそのまま正確に覚えている人もいなければ、本作においてはほとんど彼女のみの証言、つまり主観的な“真実”の提示が行なわれているからだ。それが長い間、当時の夫の妹サバンナ・クヌープを男装させ、J.T.リロイとして仕立て上げて世間を欺いてきた人間の言葉であれば尚更である。そこには同情を誘うための作り話もあるかもしれない。私たちはその点をいま一度考える必要がある。

あるいは、ほかの人の視点から見れば事実も変わってくるであろう。たとえば、本作と全く逆にアルバート以外の者たちの証言で構成されたドキュメンタリー『The Cult of JT LeRoy』の監督が、J.T.リロイに扮したクヌープはカルトに引き込まれるかのような方法でアルバートから彼女の小道具として雇われていたのだと指摘している点は興味深い(ちなみに、アルバートは『The Cult of JT LeRoy』ではインタビューなど協力することを拒否したようだ)。

しかしこの映画の面白いところは、監督のジェフ・フォイヤージークが、まさにどこまでが本当でどこまでが嘘なのかよくわからないアルバートにはじめて自分自身の声で痛ましい生い立ちについて語らせていることにこそある。本作の冒頭に引用されているフェデリコ・フェリーニの言葉を思い出そう──「生み落とされた作品は作りものとも真実とも異なり、それそのものでしかない」。

『作家、本当のJ.T.リロイ』の公開に合わせて来日したローラ・アルバートにお話を聞く機会を得た。なお、本インタビューは四誌合同で行われたものだが、すべての文責は筆者に帰すものである。(取材・構成・文:常川拓也)




──本作で印象的なのは、映画の多くを通話音声をはじめとしたあなたの過去の記録が占めていることです。素朴な疑問なのですが、なぜあなたは自身の記録を膨大に残していたのでしょうか。ジェフ・フォイヤージークは(前作『悪魔とダニエル・ジョンストン』の)ダニエル・ジョンストン以上にあなたがセルフ・ドキュメンテーションを持っていたと明かしています。

ローラ・アルバート(以下、LA):私はダニエルよりも競争心が強いので彼よりも記録しようと思いました(笑)。冗談はさておき、そもそも私の母がよくオープンリール式のテープで記録をする人でした。母はアーティストで、ほかのアーティストにインタビューをすることがしばしばありました。彼女は自分もアーティストであるとリスペクトされるために、つまりファンとして話をしているのではないということを相手に示すために記録を取っていました。それは彼女の習慣にもなっていました。また、子どもというのはある種の神聖さを持って生まれてくると思うのですが、それが何らかの形で侵害されると、どちらが上か下かというのを子どもなりに知ろうとします。私の場合はその手段が録音したり記録することでした。たとえば本当は言ったはずなのに後になって親が「そんなこと言ってない!」と言った時にどちらが正しいかわからなくなったとしても、記録してあればやはりそう言っていたのだとわかります。ダニエルも同じような理由で記録を取っていたのではないかと私は思います。人は色々なことをすぐに忘れてしまう生き物です。その時はすごく辛くても時間が経つと忘れてしまいます。しかし痛みというものは、自分の土壌の一部になります。それを記録することによって、なぜ私がいまこういう風になっているのかを理解する助けになるとも思いました。人によってはそんなこと忘れたいと思うでしょうが、私の場合はどうしてそうなったかを理解したい気持ちがあったのかもしれません。もうひとつの理由としては、記録することによって後である種コラージュができるというようなアート的な意味合いもありました。なので、そのような痛みから、そしてジャーナリズムの観点から記録をしていました。

──世界への不信感みたいなものを抱いたある時点から意図的に記録しはじめたということでしょうか。

LA:たぶん私はそういう風に生まれついたのかもしれません。というのも、両親がいつも絵を描いている人だったらその子どもにとって絵を描くことがノーマルであるように、私にとっては母がいつも記録していたので、不信感というよりもノーマルな行為でした。母は写真も撮っていましたが、ストーリーテラーでもありました。ユダヤ系ということもあり、ホロコーストのサバイバーの方々へインタビューも行っていました。必ずしも不信感や痛みだけでなく、好奇心もあったと思います。インタビューした時にそれが記録されていると思うと、何かを語ること自体にももちろん意味があることですが、記録されていて長く残ることを意識しながら人が喋っていると何かさらに生まれてくることがあるとも思うのです。

──この作品を撮る前と、撮った後とではどのような心境の変化がありましたか。

LA:自分の中で色々なものを統合する役に立ちました。特に怒りを手放すこと、それから自分のやったことに対して責任を取ることの助けになりました。何というか、色々なことが完了できたような気がします。こういう言い方があります、「あなたは自分の抱えている秘密と同じくらい病んでいる」。そういう意味で言えば、私には全く秘密はなく「何でも聞いて」という感じでした。自分が持っていたマテリアルすべてを監督に渡しました。それは私にとっては恥ずかしく難しいことでもありましたが、すべてを渡すことで自分に対する恥を手放す助けにもなりました。恥を手放すこともとても大変なことでした。写真なんかも恥ずかしいと思って提出しましたが、改めて見てみてるとそんなに恥ずかしくない、そんなに悪くないと思えました。思うに、特に性的・肉体的虐待を受けて育った子どもというのは自分は酷い人間だと信じきってしまっているところがあります。いまになってみると私はもちろん悪いことをしたわけではあるけれど、自分が思ってるほど悪くはなかったし、私は悪意を持ってやったわけではない。その結果、出てきたものが作品となって、アートとなって、色々な人の命を救ったと思います。色々な人から感謝の手紙をもらいましたし、ここ日本でも本や映画を見て助けられたとメッセージをもらいました。そういうことを聞くと自分に平和が訪れるような気がします。そしてまた誰かが私のことを攻撃した時に自分を助けてくれることになりました。

──ビリー・コーガンだけに自分の本当のことを打ち明けたと告白していますが、それは彼があなたがずっと好きで聞いていた音楽を作る人だから何かわかってくれるだろうという思いがどこかあったからですか。それとも彼に会った時に何か特別な魅力を感じたからでしょうか。

LA:その時に私たちはアーシア(・アルジェント)の家に泊まっていましたが、そこには多くの有名人がいて、クローゼットの中にはたくさんの贅沢品がありました。JTも有名人で、私はただのマネージャーでした。何もない、まるで見えないゼロの存在でした。ビリーはJTに会うつもりでいましたが、サバンナがいなかったので、私はスピーディとして話を作り上げなくてはいけなくて、「彼は急に会うのが怖くなっていなくなってしまったの」とでも言おうかと思いましたが、それを考えたらすごく辛くなって、彼に会う前から私は泣いてしまっていました。JTがいなくなってしまったと言うと、きっと彼も私をまた見えない存在として扱ってしまうのではないかと思って怖かったのです。しかし違いました。彼は私を私として見てくれました。別に美人だったからとかそういうことではありません。綺麗な人は周りにたくさんいました。たまにそういうことが起こるのですが、サイキックなエネルギーというか、クジラやイルカのように超音波のコミュニケーションが取れる人だと会った瞬間にわかりました。彼の音楽は私にとって、とても大きな意味があるものでした。というのは、彼がたぶん一番最初に性的な虐待について歌った音楽を作った人だからです。実は最近、彼の50歳の誕生日の際に会いましたが、またさらにコネクションが強まったと思います。彼は本当に素晴らしい人で、「誰にも言わないよ」と言った通り、本当にすべてそのままにしてくれました。私が彼に言ったのはこの本がどれだけ大切で、この本のためならバニー・スーツでも着るわよということです。

──もしNYタイムズに真相を暴露されていなかったとしたら、いまもJ.T.リロイとして活動を続けていたと思いますか。

LA:私の方からNYタイムズの方に行ったかもしれません(笑)。たとえるなら、シャム双生児が肺をふたりでシェアしてるような状態でした。JTの肺が私のよりも強かったような状態でしたが、色々なプロセスを通じて、私のものの方が強くなっていきました。もうひとりでやっていけるという状態になった時に(私の中に)男の子が現れなくなりました。私として生きてももう大丈夫だとなった時に、(もう片方の自分を)切る準備ができていた気がします。自分をキリストにたとえるのは何なんですけれども、キリストは自分に一番近い弟子のユダが自分を裏切るときっと知っていたのだけれども、それはなされなければならなかった。そういう意味では、ジェフは私にとって一番近い人で、彼がユダの役目をしてしまったわけですが、彼はそうしなければなりませんでした。なぜならたぶん私は自分で言わなかったし、サバンナも自分で言わなかったでしょう。だからジェフがやらなければならなかったと感じます。別のたとえをするならば、子どもが自転車に乗る練習をする時に補助輪を外して親に押してもらいますよね。子どもは自分が乗れると思わないから、お父さんやお母さんに「絶対手を離さないでね」と言いますが、親の方が「わかったわかった」と言いながら手を離していて、子どもは自分が乗れてると知らずに乗れてるようなことだったと思います。でも私がやっていたわけです。J.T.リロイという人は実在はしないけれども生き続けていると私は思います。ちょうどある歴史家の方がバッグス・バニーについて同じことを語っていました。バッグス・バニーは実在していないけど生き続けていると。

──リロイはインターネットが発達していない時代だったからこそバレずに済んだのかもしれません。現代だとあのようなことができると思いますか。

LA:いまの時代の方がさらにアバターを持つということがノーマルなことだと思います。なのでいまの子どもたちにとっては「何が問題なの? だってフィクションだったんでしょ?」という話になるかもしれません。特に日本の人はアバターをたくさん持っているのではないかと思います。公的な自分と私的な自分、つまり本音と建前を持っていますよね。だから日本の方には理解しやすいのではないかと思います。たしかにインターネットやSNSがあるとすぐにわかるということもありますが、誰かが私がやったことをいまもう一度やろうと思ってももうできないと思いますし、私はやろうと思ってやったのではなくそういう風になってしまったのです。真珠貝が綺麗なものを作ろうと思って真珠を作っているのではなく、たまたま砂や小石が予定してなかったのに入ってしまって、痛いから色々な液体を分泌するうちに真珠ができてしまうように、アクシデントとして苦しみから生まれ起こったことだと思います。



──アバターを持つことが、あなたにとってある種セラピーとしての働きにも繋がっていたと思われますか。

LA:アバターがあるということよりも、書くということが私にとって癒しに繋がっていました。私はその前には色々なホットラインに電話をしていたわけですが、ホットラインに電話をすることはヒーリングではなく、ドラッグ中毒の人がドラッグをしたり、過食症の人が食べ物を食べたり吐いたりするのと同じようなことで、ただ痛みを麻痺させていただけだと思います。しかし書くことは、折れた骨が少しずつ治っていくような助けになっていきました。そして次第にJTという存在が出てきて、そのJTは身体を欲しがりました。しかし私は彼に身体をあげられなかった。私は男の子っぽい身体つきの女の人がすごく羨ましかったのですが、私の身体はそうではなかった。なのでJTの方が私から出て行ったわけです。私はトランスジェンダーではありませんでした。当時はジェンダー・フルイディティという概念がまだ存在していませんでしたが、私のセクシャリティは非常に流動的だったと感じます。またJTの存在に加えて、息子が産まれてからはまず彼を守らなければいけないという思いも強くなり、スピーディやエミリーも出てきました。周りの人がスピーディやエミリーに怒っても私は気にしませんでした。一番大事な守るべきものは別にある。息子に何かしようとするならば、そのダメージの大きさを知っているので、その人は殺してもいいぐらいに守ろうと思っていたのです。ただ、そういう意味では私の母は私を愛してはくれましたが、守ってはくれませんでした。彼女自身もある種虐待を受けていましたが、助けを得られなかったので、その技量がなかったのだと思います。いまになって思えば、すべてが私を治癒させてくれ、よりよくなる助けになったと思っています。今回、来日して色々取材を受ける中でも様々な情報を得て、自分自身のことを学んでいます。そこで感じているのは、ほとんどの人は自分のことをそんなに大切にしていないと考え、自分で自分のことをわかっているつもりになっているけどそんなにわかってないのではないかということです。常にオープンでいることが大切で、そうすれば、色々な啓示というかサインが知らされてくると思っています。そして自分が取ってしまった行動の理由に気がついて理解していくことも大事だとも思います。アメリカ人はすぐ良い/悪いのモラルで片付けたがるのですが、日本人はアイデンティティにしてもアートにしてももう少し白黒でないグレーのエリアを理解できる人たちが多いような気がします。

──J.T.リロイの物語にアメリカ中があれだけ熱狂したということは、ある種みんなの求めていたものがそこにはあったのかもしれません。当時といまとではアメリカ人の間に何か変化があると思いますか。

LA:最初に人々が反応したのは作品でした。しかしNYタイムズがあれは嘘だとかでっち上げだとか書き立て、メディアの人たちはたぶん本ともども葬り去ろうとしました。しかし本は葬り去られず、「あの本に助けられた」「感動した」と言ってくれる人がいます。アートというものは葬り去ることはできません。本当に色々な人が色々なことを言いました。「あなたがああいう本を書いたのはマドンナに会うためじゃないか」「有名になりたいからじゃないか」と。これは虐待やトラウマがない人でないとわからないかと思いますが、そのような体験について話すことはすごく辛いことです。虐待を受けたことがない人はわからないから注目を浴びたくて書いたのだと責めますが、そんなことはありません。自分がトラウマを受けたことを普通はなかなか口に出しては言えないものです。多くの人が私を中傷し攻撃した理由は様々あると思いますが、もしかしたらそれは成功に対する嫉妬かもしれないし、あるいは出る杭は打たれるということだったかもしれません。トラウマや虐待を経験した人であれば、これが自分のことだと言えず、私的な部分は隠したい気持ちは理解していただけるのではないかと思います。マドンナに会うために本を書いたのではないかと言う人もいますが、いい本を書くことはとても大変なので、それだったらストーカーになる方が楽だったと思います。そういうことがわからない愚かな人がたくさんいるからトランプ大統領が選ばれてしまうわけです。ですが、たぶんいまの方が自分が隠れたいという気持ちを理解してくれる人が増えてるような気はします。ただ、全員を喜ばせることはできません。依存症回復のための12ステップがありますが、その中でアル中の人について言うのは、一杯でも十分すぎるぐらいだし百万杯でも足りないということです。つまり自分の中の空虚さは何ものでも埋めることはできません。私の場合はそれを書くことや作品によってしか埋めることはできないのだと思っています。そういうことを言ってわかる人もいれば、わからない人もいると思いますが、私にとって大切なのはそういう人たちがいるということではなく、書いていく作品だと思っています。

──あなたの告白からは性的虐待や容姿へのコンプレックス、あるいはボディ・イメージに関する強迫観念といった問題が提起されます。そういった問題は、いまだったらたとえばレナ・ダナムやエイミー・シューマーといったアメリカの女性クリエイター/コメディエンヌは架空の回想録ではなく、自分自身の回想録として自身の体験を自身の言葉でユーモアを交えてポジティヴに語っていると言えるかもしれません。現在はノンバイナリー・ジェンダーという言葉もありますが、約20年前と現在では変化をどういう風に思いますか。

LA:たしかにいまの方がそういった言葉があるだけだいぶいいと思いますが、当時、私は暴露された後にトランスジェンダーの人たちから「私たちのトランスジェンダーとしてのアイデンティティを利用した」と一斉に攻撃されました。もう本当に「クソッタレ!」って感じでした。誰も私に書けと言ったわけではありません。強迫的に書かざるを得なくなってああいう風に私は書いたのです。その当時はそういった言葉はありませんでしたが、トランスの人たちやいまで言うジェンダー・フルイディティの人たちは私が書いたことに共感してくれていました。でも暴露された後は、私をまるで退屈した主婦が遊んで書いたのだと言うように攻撃しました。私は自分が感じていた、その当時はまだ言葉にはなかったものをただ書かざるを得なくて書いていました。ジェンダーというものは、白黒というよりもここからここまでの範囲、スペクトラムだと考えています。日本の人はジェンダーのルールみたいなものをファンタジーやプレイで上手く遊んで乗り越えることができる人たちだと思いますが、アメリカはそういう意味では遅れていると思います。

──容姿や体型へのコンプレックスという問題は日本でも多くの人々が共感するであろう事柄でもあると思います。

LA:一番危険なのは、自分が孤独だと思うことです。病気や依存症、中毒といった症状が出るということは、痛みを麻痺させるためだと思います。子どもは大人ではないのでドラックやお酒ではなく、麻痺させるために食べ物に走ってしまいがちです。私たちの文化はもっと繊細さを持ってそういう人たちを見つめる必要があると思います。日本も食生活が変わって肥満の子が増えてきているみたいですが、肥満児になると周囲からからかわれます。彼らは痛みを癒すために、痛みを麻痺させるために食べ物を使っているのに、それによっていじめられてしまい、安全な場所や逃げ場がなくなってしまいます。それを暴力に訴える人もいるかもしれません。アメリカの場合なら銃を撃つかもしれない。しかし女の人の場合は、内面化させることがあるので、自分を責めることになりがちだと思います。繰り返しになりますが、一番大事なのは自分がひとりではないと思えることです。先ほども引用した「あなたが抱えている秘密の量と同じだけあなたを病んでいる」という言葉があるように、秘密はあなたに「お前は悪いやつだ」「お前はひとりなんだ」とそそのかしてくることがあります。なので、その秘密をシェアできる人やグループを見つけることが大事だと思います。また、アートというものも自分自身であるために、あるいは自分の秘密を持たない場として大切になってくると思います。アバターを作ることによって、自分が自分に正直になれるのであればいいのですが、それが自分の本当の人生を完全に生きることを妨げるのであれば、アバターはやはり中毒症状になってしまうと思います。自分から恥を乗り越える方法は必ずあると希望を持ってもらいたいと思います。自分が言うことや言いたいことに対して耳を傾けてくる人は必ずいるし、聞いてもらう方法はきっとあるはずです。人々はよく有名になれば、あるいは美しくなれば問題は解決する、みんなから愛されると思いがちですが、たとえばマイケル・ジャクソンを見ても、白くなっても整形しても彼の狂気は治りませんでしたよね。別に痩せることが問題解決にはなるのではなく、やはり自分の内面的なものと対峙しなければいけないと思います。だからセラピストやグループなど何かスピリチャルなコネクションを持てる人を探す、出会うことが大事だと思いますし、またアートというのはそれを可能にする大きな手段にもなると思います。フェイクなアートというのはありません。アート自体がある意味フェイクでできているわけですから。それは偽のニュースとは違うものです。

──ずっと気になっていたことですが、アーシア・アルジェントは『サラ、いつわりの祈り』(2004)を作る時に実は真相を知っていたと思いますか。

LA:スピーディとして私はその撮影現場にいましたが、そこで脚本を渡されたので、私が直していました。でも誰も何も言いませんでした。何か少し違うなぁ、何か少し変だなぁと違和感を抱いていた人もいるかもしれませんが、作品がそこにある、本がそこにあるということが一番大事だったと思っています。そういう意味でアーシアも誰のために映画を作ったわけではなく、自分のために映画を作ったのだと思います。彼女がそれを知っていたかどうかはあまり関係がない、意味がないことだと思います。

──現在執筆中であるという回想録はどの程度進んでいらっしゃいますか。

LA:半分ぐらい進んだところでしょうか。とても大変で、実はまだJTのところに行き着いていません。二部構成にしないといけないかもしれません。回想録や自伝を私はよく読むのですが、中には何々があって何々があったと中身がダラダラしてしまっているものがあります。私はそういう風にはしたくなくて、練り上げられたストーリーのようにしたいと考えています。そうすると、ほかの書き方ができないので、ものすごく時間がかかってしまいます。私はJTを通じて小説を書いたわけですが、いま自分の自伝を改めて書いていて、どれだけ小説の方にフィクションとしてのある種の真実が書かれていたのかということをいまどんどん発見している最中です。フィクションというのはある種の夢の状態のような感じで、夜に寝ている時に見る夢の中でたとえばゴジラが出てきて戦ったとしたら、それは考えてみると起きている時間に自分の上司と何か問題があったみたいなことがありますよね。そういったことにいまどんどん気がついて、小説の方に真実が書かれていたのだなぁといまになって気がついているところです。また、こういう風に色々なインタビューを受けたりすることで、再びこの作品に生きてもらいたい。先日、(『サラ、神に背いた少年』『サラ、いつわりの祈り』の)翻訳者の金原瑞人さんにもお会いしましたが、彼も素晴らしいアーティストだと思いました。彼は私がJTではなかったことを怒るどころか、作品として非常に価値があると褒めてくれました。今回、日本に来られたことは特権的なことだと思っています。前回来日した時はマネージャーの役をやっていたので、インタビューをそばで聞いていたのですから。しかしそういう役をするということは、木製のコンドームを使ってセックスするような感じなのです(笑)。サバンナは質問の反映しかできませんが、私はテニスをしたいわけです。ちゃんとボールを正しい方向に打ちたい。私は、ヴァンパイアの物語を書いたわけでもロマンスの物語を書いたわけでもありません。みんなが注意を払うべき問題について書いたという風に思っています。いわば生か死かということです。いまトランプみたいな人が大統領になっているわけですが、彼は女性をレイプような人であり、女子ども、あるいは声なき人たちをどんどん切り捨てていくような人です。そういう時代だからこそ、言うべきことはちゃんと声をあげて言わなければいけないと思います。普通のニュースというのは、どれだけ酷いニュース、たとえばシリアで何万人が亡くなったといったニュースがあっても、そうなんだとその時だけ思ってまた皿洗いに戻ってしまうものですが、それが小説という形で感動したりすると、何か脳に変化が起きて違うリアクションをすると思います。たとえばこういう本を読んだ後に太った子がよちよち歩いているのを見たら、笑うのではなくて、何か苦しんでいるのかもしれないと思って、もう少し気にかけてあげようと思うかもしれない。そうすると、もしかしたらその子がアーティストになって、世の中を救うかもしれない。

( text:常川拓也)



『作家、本当のJ.T,リロイ』
(2016年/アメリカ/111分/カラー、一部モノクロ/1.85:1/DCP/原題:Author: The JT Leroy Story)

作品解説
1996年、女装の男娼となった過去を綴った自伝『サラ、神に背いた少年』で一躍時代の寵児となったものの、後に実在しないことが明るみとなった謎の天才美少年作家J.T.リロイにまつわる一連の顛末に迫ったドキュメンタリー。その才能にほれ込んだガス・ヴァン・サントは映画『エレファント』の脚本を依頼し、二作目の著作『サラ、いつわりの祈り』はアーシア・アルジェントによって2004年に映画化された。しかし、2006年のニューヨーク・タイムズによる暴露記事で事態は一変。J.T.リロイという人物は存在すらせず、その正体はサンフランシスコ在住の40歳女性ローラ・アルバートだった。一連の騒動をアルバート自身の言葉をはじめ、ガス・ヴァン・サント、トム・ウェイツ、コートニー・ラブ、ビリー・コーガンらとの通話音声や留守電メッセージなどによって解剖していく。

出演
ローラ・アルバート、ブルース・ベンダーソン、デニス・クーパー、ウィノナ・ライダー、アイラ・シルバーバーグほか

スタッフ
監督:ジェフ・フォイヤージーク(『悪魔とダニエル・ジョンストン』)
撮影監督:リチャード・ヘンケルズ
音楽:ウォルター・ワーゾワ

配給・宣伝:アップリンク

劇場情報
2017年4月8日(土)より新宿シネマカリテ、アップリンク渋谷ほか全国順次公開中

公式ホームページ
http://www.uplink.co.jp/jtleroy/

(C)2016 A&E Television Networks and RatPac Documentary Films, LLC. All Rights Reserved.

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【執筆者プロフィール】

常川拓也:Takuya Tsunekawa

新潟県生まれ。映画批評。「NOBODY」「neoneo」「INTRO」「リアルサウンド映画部」等へ寄稿。Twitter:@tsunetaku

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