2015年8月15日土曜日

映画『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』text落合 尚之



『未来をなぞる』―― この詩的で想像力に富んだタイトルが全てを語っていると思います。未来は未だ来らざるもの。その到来が予想されながら眼前に見ることは叶わず、望んだような形で現れるとも限らない。多くの場合、希望と同義のように語られるが、そこに勿論不安というニュアンスを嗅ぎ取ることもできるでしょう。今いるこの場所からは見ることも触れることもできないものを、暗闇で手探りするように、砂場に埋もれた小さな欠片を探り当てようとするように、わずかな手がかりを、微かな感触を求めて指を這わせる。その輪郭を心に描こうとする。この映画に収められているのは、そのような気が遠くなる作業に根気強く取り組む、一人の芸術家の姿です。

 写真家・畠山直哉氏は岩手県・陸前高田市出身。都市と自然の関係などをテーマにした作品群で世界的に評価の高い芸術家です。しかし2011年3月の東日本大震災で故郷の実家と母を失ったことが、彼の創作活動に転機をもたらします。この映画は、2012年3月から2014年4月までの2年間、津波にさらわれた故郷の写真を撮り続ける畠山氏の姿を追ったドキュメンタリー作品です。


 映像中に都度差し挟まれる畠山氏へのインタビュー。一言一言慎重に言葉を選び、最も適切な表現を正確に探り当てようとするかのような氏の語り口が印象に残ります。そこから伝わって来るのは、彼が作品を作る時、あるいは芸術家として生きる上で、何か確たる思想なり哲学といったものを常に心に置いていて、自分の創作がその哲学に忠実であるかを常に自分に問い続けているのだろうということです。彼が震災以前に行なった数々の講演が本にまとめられ出版されていますが(*)、それによれば畠山氏は自らを「写真術は自然科学が生んだ技法である、と信じる者」だと言っています。そして「科学者が『世界をもっと知りたい』と思うのと同じような気持ちで」写真を撮っているとも。映画の中でも一部紹介されますが、彼が長いキャリアを通じて取り組んで来た様々な題材、石灰石鉱山やそこで行なわれる爆破作業の様子、大都市の俯瞰図や街中を流れる川などの写真には、情緒を排した非常に透徹した視線が見て取れます。世間一般に流布している「写真には心が写る」といった言説に対して、氏はナイーブに過ぎると苦言を呈します。「写真に心は写らない。心の動く方向を指し示す何かが写っているだけだ」と。

 一方畠山氏は、作品として発表するつもりのないごくパーソナルな写真を撮りためていました。故郷の陸前高田市の風物とそこに暮らす人々を写したスナップ写真。これらは本来作品と呼べるようなものではなかったと語る氏の言葉から察するに、これらの写真を撮った時の彼は、作家として作品を作る時のようには、コンセプトを突き詰めたり、自分を追い込んだりはしていなかったのだろうと思われます。それでもやはりプロの技術と美意識が介在しているため、どの写真も大変美しいのですが。そしてそれらは、科学者的な視点で撮ったクールな作品群に比べて、ずっと親密で情緒的な表現になっているように思えます。その中の一枚、畠山氏のお母さんが川辺の道で、川面に向けたカメラのファインダーを覗いている姿を捉えた写真には、特に見る人の心を打つ何かがあるような気がします。画面の中央に横を向いて立っている老母の半身。撮影者はその姿を少し距離を置いた立ち位置から捉えている。ピントは母の姿にだけ合っていて、母までの距離も、その向こうの遠景も、かすかに輪郭を甘くして小さな母の姿を包み込んでいる。この写真に被写体である母への思慕や追憶が写っている、つまり作者の心が写っていると我々素人が単純に思い込んでしまったとしても、無理はないように思えます。

 しかし、今それを見る我々がそこに何らかの情緒を見出してしまうのは、そこに写っている街や人がその後どうなってしまったかを知っているからなのかもしれません。地震が引き起こした津波によって、そこに写っていた何もかもが押し流され、失われてしまったことを我々は知っているからです。津波はこれらの写真の意味を全く別のものに変えてしまった。畠山氏の私的なコレクションに過ぎなかった一連の写真が、かつてそこに存在し、しかし一瞬にして歴史の外に奪い去られてしまった街と人々の、他に替えようのない重要な記録物になった。作家が本来意図しなかった意味が外部の出来事によって付け加えられ、同じ写真の見え方が全く変わってしまう。勿論そういった変質は大なり小なり日常的にも起こり得ることではありますが、このように劇的な形でそれが突きつけられることは、恐ろしく稀な事態だと言っていいでしょう。作品が作者を裏切るように、ふいに思いがけない相貌を帯びる。そんなことがあり得るのなら、作品にとって作者とは何なのか?また作家が作品を作るとはどういうことなのか?

 常に理性的な態度で主体として写真と関わって来た畠山氏にとって、このように自分の与り知らぬところで作品の価値が変質し、作者としての主体性を奪われるような事態は、作家としての思想・哲学を揺さぶられる出来事だったのではないでしょうか。震災以降、畠山氏は、それまで長年取り組んで来た都市と自然をテーマとする一連の仕事を中断し、失われた故郷のその後の姿を写真に収めるという作業に取り組んでいきます。それは決して単なる復興の記録などというものではないでしょう。失われた人と生活の面影をファインダー越しに探しながら、変わり果てた故郷の姿を見つめ、フィルムに定着させること。それは震災をきっかけに見知らぬ貌を顕した写真という表現形式と自分との関係を測り直し、再構築し、再び自分の掌中に取り戻すための手探りの試みでもあったのではないか。寡黙な探索者のように荒れ地を歩き、写真を撮り続ける畠山氏の姿から、あるいはきかん気の子供のようにいつも何か納得がいかないと言いたげなその表情から、そんなことを考えさせられます。




 監督・撮影・編集を一人で務めたのは畠山容平氏。同姓ですが直哉氏の縁者ではありません。父方が東北の同じ地域の出身で、この地方には多い名字だとのこと。手持ちのビデオカメラ一台で直哉氏の姿を追い続けています。直哉氏と共に被災した陸前高田の街を歩きますが、主に直哉氏の姿に注視し続け、自分のカメラで風景を捉えることはあまりありません。普通の映画で風景に語らせるような場面がある場合には、直哉氏の撮った写真を挿入して見せています。機材的にも技術的にも直哉氏の写真とでは勝負にならないという理由もあったかもしれませんが、写真を通じて直哉氏と主観を共有しているような感覚を見る者に起こさせるという意味において、非常に効果的だったと思います。またそんな中で、移動中の車窓の風景と共に直哉氏の故郷に対する思いが語られる下りなどが、ふと心に残る場面になってもいます。

 この映画は東日本大震災を題材の一部としながら、被災地の現状や復興支援を直接に訴えるような内容ではありません。一人の芸術家の創作の現場に寄り添い、その思想や哲学を掘り下げることに主眼があり、またその芸術家の視線を通して、家族を失った者、故郷を失った者の心の有り様に触れ、改めてあの震災がどういうものだったかを見る者に考えさせもするという作りになっています。この視点の持ち方は、直哉氏の語る「あまりに性急な言論や映像は、例え肯定的なものであっても、複雑になってしまった心をほぐしてくれない」という言葉にも呼応するものだと思います。震災後、多くのメディアが「頑張ろうニッポン」と言い「前を向こう」と言い、奪われた未来が今すぐにでも取り戻されねばならないとでも言うかのように、必死に人々を鼓舞して来ました。しかし当たり前のことですが、被災地の回復には気の遠くなるような時間が必要であり、そして以前と同じ姿に戻すことは決して出来ません。

 未来は未だ来らざるもの。今いるこの場所からは見ることも触れることも出来ず、どのくらい遠くにあるかも分からない。生き残った人間がこの状況で何か出来ることがあるとすれば、変わり果ててしまった大地にあり得たかもしれない未来の痕跡を探すこと、またゆっくりと、しかし確実に変わっていく風景の中に新しい未来の気配を嗅ぎ当てること、それしかないのではないか。三脚を担いで歩く足をふと止めて、じっと立ち止まって何かを考え込む。そしてまた歩き出す。陸前高田の町を往く直哉氏の足取りは、我々にそんな感慨を抱かせます。容平監督が『未来をなぞる』というタイトルに込めた思いもまた、そのようなものだったのではないでしょうか。

*)『話す写真 見えないものに向かって』畠山直哉/小学館

(text:落合 尚之)


映画『未来をなぞる 写真家・畠山直哉』 

2015年/日本/87分

作品解説
写真家・畠山直哉。石灰石鉱山や炭鉱、密集したビルの隙間を流れる川や、都市の地下空間を写した写真などで知られ、2001年にはヴェネツィア・ビエンナーレ日本代表の1人にも選ばれた、世界的な写真家だ。2011年の東日本大震災で岩手県・陸前高田市の実家が流され、母を亡くして以来、彼は頻繁に故郷に戻り、変貌する風景を撮影するようになった。まもなく震災から4年。カメラを手に被災地を歩く者の姿も少なくなってきたが、畠山は変わらず風景写真を撮り続けている。誰の為に何の為に、なぜ撮り続けるのか? これはある1人のアーティストが、故郷の山河を前に、否応なく震災と向き合わざるを得なかった長い記録の断片をまとめたドキュメンタリー。被災のはてに1人の写真家が見た未来への希望とは、なんだったのか?

出演:畠山直哉

スタッフ
監督/撮影/編集:畠山容平
プロデューサー:石橋秀彦

公式ホームページ:http://www.mirai-nazoru.com/

劇場情報:8月15日(土)〜シアター・イメージフォーラムほか、全国順次公開

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