2016年5月21日土曜日

映画『ルーム』評text今泉 健

「希望潰えども」


※文章の一部で、結末に触れている箇所があります。

 人が失望したり絶望したりするのはどんな時だろうか。先日、熊本で大地震が起こった。多くの方が亡くなり痛ましい限りだ。余震も収まらず家にも戻れないとか、半壊、全壊してしまったのでは暗然たる気分に陥りそうだ。東北の震災でも阪神の震災でも、多くの被災者がいて、肉親も失う方もいて、それでも避難生活を懸命に送っていた。天災だから自らの意思とは関係ない。その後仮設住宅も用意されたが、絶望して自殺を図る人がいると聞いたことがある。あの甚大な災害を生き残ったのに、という気持ちは正直あるが、ご冥福を祈るだけである。現実が自分の希望や想像とかけ離れていたのだろう。甚大な災害では大切な人や物を一緒に失うことが原因で、価値観を変えてしまうことがあるそうだ。字面だけなら想像がつきそうな説明だが、これまで幸運にも被災した経験がないので実際の気持ちがわかるなど傲慢なことは言えない。いずれにせよ以前と同じ心持ちではいられなくなるのだろう。

 映画『ルーム』は希望と絶望を克明に描いた作品である。ティーンエイジャーの時に誘拐された女性、ジョイが7年も自らの意に反して監禁された続けた部屋で犯人の子供を生み、策を練りながら、子供を使い脱出を図る。目的を果たしたその後が話の肝と言えるだろう。フィクションだが、まるで犯罪被害者の実録映画のような迫力があった。ストックホルム症候群は否定できないが、あの状況下で正気を保てるというのは、精神的に強い、それも愛情の深さに裏打ちされた強さである。しかし彼女が部屋から出た後の生活に過度な期待を持つのは誰にも責められない。脱出できればすべて元通り、と思わなければ耐えられるはずなどないからだ。そして、脱出を果たした後に思いもよらぬ試練に遭遇する。不在中に変化してしまった家庭環境、マスコミは無慈悲としか思えない正論を振りかざし彼女を責め立てる。憎まれるべきは犯人だけのはずだが、これが洋の東西を問わず「マスコミあるある」だったとは……。7年間で共有できるはずだった肉親や友達との大切な思い出、楽しいことも辛いことも経験しながら育む筈だった人間関係等を、自らの意に反して突然奪われ、失ったことは取り返しがつかない。彼女も身内を含めた周囲も歪んだ状況下で価値観が変わっていたのだ。そして孤独感に襲われた彼女は完全に参ってしまい自殺まで図る。やはり人が絶望するのは、辛い状況下ではなく希望が大きく損なわれた時ということ示唆しているように思う。
 一方、子供のジャックはどうか。この男の子は5歳で聡明で健気で素直。脱出を図る際は母親の言いつけを守り、他人に親切そうな大人や勘の良い警官に会えたこともあり救われる。彼が部屋を出る場面はまるで2度目の出産のようだ。そして初めての外界で目に映った「リアル」、緑の木々に息を呑み、目を丸くする様子がとても自然だった。彼は外界で、〈部屋の中の空想入りの産物〉=「リアル」と〈テレビに映る偽物〉=「フィクション」が大逆転するという、価値観の激変、脳内のパラダイムシフトを経験する。だから、すんなりではないが、受け入れた祖母(主人公である彼女の母親)達が献身的なこともあり徐々に馴染んでいく。母親が不在になっても寂しくても耐えながら、親を慮るところまで成長するのは持ち前の人間性の現れである。この子も精神的に強さを持ち合わせているのだ。ただ、部屋での生活は苦境以外の何物でもなくて外界に希望をもっていた母親と、部屋の生活が全てで外界に希望など持ちえない子供では脱出後の周囲への順応が違っており、対照的に見えてしまうのが興味深い。

 エンディングは、明るい兆しを感じた。それは子供の存在である。別に子供が生きがいだからというだけではない。この子は5歳まで母親しか大人と接することはなかったが、社会性を持ち、人の心を思いやることができるし、優しくされることに素直である。あの極限状況下で男に対する憎悪の感情は子供に伝えず、こんな良い子に育てたのは彼女に他ならないからだ。彼女はまっとうな人間であり、その生き写しが子供ということなのだ。彼女は自分で自分を救ったと言えなくもない。ただ、子供が成長し少年になり、自分の生い立ちが気になり始めた時は試練を迎えるだろう。無責任な世間が聞いてもてもいないのに、父親のことを教えるかもしれない。その時は彼女や周りの大人が彼を救う番である。

 物語は予想以上に子供の露出が多い。原作の小説が子供目線の作品らしいが、この子役が巧くはまり込んでいる。それは彼の演技力、表現力があってこそなのは、言うまでもない。しかし母親役のブリー・ラーソンも存在感がハンパない。成り切りタイプのようだが演技がナチュラルで、役柄がすぅーっと憑依しているようにみえる。ルックスが良いとかスタイルが抜群とかではないのに、26歳でビッグチャンスを得ることができたのも納得である。

 人が絶望するのは必死にならざるを得ない苦境の下ではなく、むしろそこを一旦乗り切った後だと伝えたいのではないか。苦境の中身にもよるし、自分はさておき、期待や希望を持てば、それが損なわれたとき精神的な試練を迎える。希望がなければ絶望もしないというのは、悟りの境地で、そこまで達観できる人はそういない。特に理不尽ともいえる環境下、犯罪被害者や被災者のように、希望を胸に気張れば反動が出るのもやむを得ない。映画では周囲の身内が注意深く、我慢強く見守り、本人の立ち直る力を信じて必要そうな時は手を差し延べており、その様子から、主人公の強さ、愛情の深さが特に祖母由来だと思えるくらいなのだ。被害者が元々備えている人間性がものを言うのは承知だが、むしろ周囲がどれだけ援助し続けられるかが大切なように思えた。本人の希望が潰えたとしても、周囲が救いの手を差し延べ続ければ、事態は好転し得るということだ。現実はさらに厳しいのだろうが、あるべき姿を示すことも監督のメッセージとなる。
 この作品は対照的な要素、例えば、希望と絶望、本物と偽物、部屋と外界、で構成されていて、それらが時に交錯しながら、物語が展開し、メリハリが効いた印象を受ける。事件中の描写から犯罪被害者の心理的葛藤までテンポもバランスも実に良く、フィクションならではの良さが存分に発揮されている。後日談的な部分に重きを置いたのは、ありそうでなかった新鮮さだった。

息子ジャックの健気度:★★★★★
(text:今泉健)




映画『ルーム ROOM』
原題:Room
2015年/118分/アイルランド・カナダ合作

作品解説
アイルランド出身の作家エマ・ドナヒューのベストセラー小説「部屋」を映画化。監禁された女性と、そこで生まれ育った息子が、長らく断絶されていた外界へと脱出し、社会へ適応していく過程で生じる葛藤や苦悩を描いたドラマ。

キャスト
ジョイ:ブリー・ラーソン
ジャック:
ジェイコブ・トレンブレイ
ナンシー:
ジョアン・アレン
オールド・ニック:
ショーン・ブリジャース
ロバート:
ウィリアム・H・メイシー

スタッフ
監督:レニー・アブラハムソン
製作エド・ギニー、デビッド・グロス
製作総指揮アンドリュー・ロウ、エマ・ドナヒュー

配給:ギャガ

公式サイト

劇場情報
新宿シネマカリテ他、全国劇場公開中

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【執筆者プロフィール】

今泉 健:Imaizumi Takeshi

1966年生名古屋出身 東京在住。会社員、業界での就業経験なし。映画好きが高じてNCW、上映者養成講座、シネマ・キャンプ、UPLINK「未来の映画館をつくるワークショップ」等受講。現在はUPLINK配給サポートワークショップを受講中。映画館を作りたいという野望あり。

オールタイムベストは「ブルース・ブラザーズ」(1980 ジョンランディス)。
昨年の映画ベストは「激戦 ハート・オブ・ファイト」(ダンテ・ラム)、「海賊じいちゃんの贈りもの」(ガイ・ジェンキン)と「アリスのままで」(リチャード・グラッツアー)。

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