2016年5月24日火曜日

映画『ヴィクトリア』評text井河澤 智子

「Show must go on! 」


ベルリン、明け方4時。
 激しい光の明滅の中、踊る人々の姿がぼんやりと浮かび上がってくる。
 やがて一人の女性にピントが合う。彼女の名はヴィクトリア。 お酒を頼み、間違ったものが出てきても普通に飲んでいる。どうやらドイツ語が話せないらしい。

 自転車で帰宅しようとする彼女に声をかけてくる若者たち。
 他人の車を勝手にこじ開け「乗って行けよ」としつこく誘う姿はどう見てもチンピラのナンパであり、若い女子としてはご遠慮しておいたほうがいいのではないか、と思うのだが、ヴィクトリアはにこやかに断りつつも別に避ける様子はない。こんな連中は珍しくもないのだろうか。ドイツ語はわからないが、英語はかなり流暢な彼女にとって、その中に一人でも英語が通じる者がいるということが安心だったのかもしれない。
 生粋のベルリンっ子だという彼らは、ヴィクトリアに言った。
「君が見たいなら、本当のベルリンを見せてあげるよ」
 スペインから移住してきて3ヶ月。寂しい彼女に、はじめて友達ができた瞬間。
 それから2時間14分。彼女は絶叫マシンに乗ってしまった。

 さて、この映画はなんとワンカットで撮影されている。映画の中での時間の流れと、我々が体感する時間の流れが一致しているのである。全くそんな気がしない。この大胆な試みは、どれだけ綿密に計画立てられ、どれだけ大雑把であれば成功するのだろうかと想像すると震えるばかりである。
 始まってしまったら止めることはできない。

 ふと思い出した。筆者はささやかながら舞台に関わっていた時期があった。
 一旦幕が上がってしまったら止まることはできない。どんなアクシデントがあっても突っ走るしかない。Show must go on!

 しかし、考えてみたらノンストップなのは舞台裏だけであり、お客様にご覧いただいているものは暗転もあれば場面転換もある。基本的に物語は「その舞台の上」だけで展開し、役者が見せるものは「声も含めた全身での感情表現」である。
 この映画は全く違う。比較の対象ではないことに気がついた。

 まず舞台はベルリンの街であり、役者もカメラも縦横無尽に走り回る。
 街で撮影するということは、予期せぬトラブルも乗り切らなければならないということである。
 時間帯は明け方のみ。美しい夜明けが必要だとすると、どこかで何らかの理由で撮影が途切れてしまったら、役者のみならず天候待ちも含めて撮り直しが必要だ。
 カメラは役者の表情も容赦なく映し出す。場面のアングルも全て異なる。
 また、要所要所に、撮る者あるいは撮られる者を試すような、あえてアクシデントを誘うような仕掛けも施されている。
 共通するのは「走り出したら止まれない」ということだけ、それ以外は舞台とは全く異なるものであった。筆者は自らの経験に基づく思考を放棄した。

 この映画は非常に人物の造形がうまくできている。
 ヴィクトリア。彼女は素晴らしい特技を持っていながら、ふらりとマドリードからやってきて、わずかな賃金で働いている。

 このことを示す場面は素晴らしかった。彼女の鬱屈、不満、挫折感が溢れてくる。
 彼女は、ある時ふと居場所を失ったのだろうか、マドリードからベルリンに来て3ヶ月。しかし友人は出来ず言葉もわからず、クラブで踊ることが唯一の楽しみだったのかもしれない。

 ベルリンで生まれ育った若者たちにとっても、生きることは決して容易いものではないようだ。ここに描かれる4人の若者たちにも、かつて刑務所に入っていたという経験を持つ者がいる。悪人ではなくとも、生活のために裏社会と関わりを持たざるをえない者もいるのかもしれない。外見はどう見てもあまり近寄りたくない類の青年が、無邪気なヴィクトリアに問われ、口ごもりながらその過去を語る場面がある。しかしそこには彼を「家族同然」といって受け入れる仲間たちがいる。密な人間関係。ヴィクトリアはそこに迎え入れられて嬉しかったのではないだろうか。

 前半1時間はそれぞれの事情をほのめかせつつ、特に何も起きないだらだらとした展開である。それを全く退屈に見せないのは、人物の描写のうまさとカメラワークの臨場感であろう。しかし、一転して後半は畳み掛けるように物語が進んでいく。
 青年たちが巻き込まれた犯罪に加担する羽目に陥ったヴィクトリア。彼女は必死で車を走らせるが、車内で交わされる会話がほとんど理解できない。時折思い出したように飛んでくる英語だけが彼女の頼りである。
 周囲で起こっている諸々の事態を瞬時に把握できない。一体何が起きているのか。彼女の表情と叫び声が、その不安と焦燥感を観客に訴えてくる。

 ヴィクトリアは別に彼らについていく必要はなかったし、彼らとて、すったもんだの挙句にコトが成功したのなら、ひとまず解散してほとぼりを覚ませばいいのだが、そこで彼らはクラブに立ち寄りバカ騒ぎに興じる。早く帰れよ。観ている方はジリジリする。危ない。
 ここで、彼らはこの直前「コカイン」を嗅がされている、ということを思い返してみる。聞いた話によると、ベルリンにおいてコカインは非常に歴史の深い薬物であるという。クラブでかかるテクノミュージックとも関係が深いとも聞く。詳しいことはわからないが。
 若者のひとりはコカインを嗅いだ直後、発作を起こし、死にかける。コトを無事に終えた後、異常なハイテンションになりクラブに突入し、羽目を外してつまみ出される。
 繰り返すが、この映画は物事を時間通りに映し出している。コカインを嗅がされ、死にかけ、なんとかコトを成し遂げ、逃走する。その間は数十分である。
 異常な緊張、その後の解放感。薬物の与える多幸感。この場面はやはり必要だったのだ。  

 多幸感に満ちたクラブから一歩外に出ると、そこは地獄であった。ここまでジェットコースター的展開だとむしろ観ている方の心臓によろしくない。延々と映し出されるヴィクトリアの表情の緊張感は全く途切れない。どうやら彼女、どこかでタガが外れたようである。その肝の座りぶりはそこらのチンピラなど軽く凌駕している。
 途中で披露する芸といい、数十分のアップに耐えうる表情の緊張感といい、一瞬にして爆発する感情表現といい、監督は大変な女優を見つけたものである。

 この映画はワンカットで撮影されており、しかも台本などはなく、たった12ページのプロットのみが用意されていたと聞く。かなりの機転が要求されたであろう、そして役者及び製作陣がそれに見事に対応した、それ自体驚嘆に値する。初見では筆者はそのことに思いが至らなかった。ただ、全編を貫く疾走感が心地よい疲れを誘った。
 しかし、このレビューを書くために2回この作品を観て、そのところどころに見られる危なっかしさ、リカバリーの見事さに気づいた。もし可能なら、2度ご覧いただきたいところである。

 そして、この映画は、「ドイツにおける移民」あるいは「移民文化の中のドイツ」についても言及する。
 若者のリーダー格であるゾンネ。彼は生粋のベルリンっ子であるが、英語ができる。
 彼はヴィクトリアにこう言う。
「ベルリンは他所者が多いから、多文化だな」
 勿論、ヴィクトリアも「他所者」である。

 聞いた話によると、ドイツには、古くはトルコやギリシャから、最近は中東から、欧州に限らずあちこちから人々が集まってくるらしい。ベルリンではないが、ハンブルグが舞台となった、ファティ・アキン監督『ソウル・キッチン』(2009)においてもその移民社会ぶりは存分に描写されている。また、最近何かの折に聞いた話によると、ベルリンは生活費が安く、治安も比較的良く、日本人もビザも取りやすいのだという。筆者はうっかり移住したくなったくらいである。EU内ではさらに気軽に行ける範囲なのであろう。
 すぐそばには当たり前のように他国からの移民がいる、彼はそんな感覚でいるらしい。

 ゾンネは一見若者には見えない(申し訳ないが)。ジャージを着たおっさんにしか見えない(申し訳ないが)。
 しかし、頼りない、情けない幼馴染たちの面倒を見、よそ者を当たり前のように受け入れ、知り合いの店から酒を万引きしておいて「後で払うから」とケロリと言ってのける、ゆるく深い懐を持つ彼、ひょっとしたら「彼こそがベルリン」なのかもしれない。
 また、その場所に生きている人々それぞれにドラマがあるということを思わせるような人物描写と、そのことにより起きる物語が、しっかりと描写されていた。決してワンカットという実験的な手段を目的とした映画ではないような、そんな感覚がある。

 この映画の真の主人公は、ひょっとしたら、「ベルリン」という街そのもの、あるいはベルリンで生活する、すべての人々なのではないだろうか。

クラブに自転車で行けるっていいなぁ度:★★★★☆
カメラマンさんお疲れ様!度:★★★★★


『ヴィクトリア』レビューを書くにあたって

 昨年秋、東京国際映画祭についての軽いエッセイを書いた際、この『ヴィクトリア』についてレビューを書きたい、と思っていたのだが、その後いっこうに手をつけることができなかった。
そうこうしているうちに時間は流れ、だんだんと記憶も薄れ、ただ「書くことができなかった」という口惜しさだけが残ろうとしたところ、この作品が一般公開される、ということを知った。
 これはまた観よう。観てから書こう。
 そう思って寝かせておいた。やっと書くことが叶った。もう思い残すことはない(ウソ)。

(text:井河澤智子)

関連記事:秋の映画祭シーズンを勤め人として過ごすという記録text井河澤 智子





『ヴィクトリア』
2015年/140分/ドイツ

作品解説
ベルリンの街で出会ったスペイン人女性と4人の青年に降りかかる悪夢のような一夜を、全編140分ワンカットで描いた新感覚クライムサスペンス。わずか12ページの脚本をもとに俳優たちが即興でセリフを発し、撮影中に発生したハプニングもカメラに収めながら、ベルリンの街を疾走する登場人物たちの姿をリアルタイムで追う。3カ月前に母国スペインからドイツにやって来たビクトリアは、クラブで踊り疲れて帰宅する途中、地元の若者4人組に声をかけられる。まだドイツ語が喋れず寂しい思いをしていた彼女は4人と楽しい時間を過ごすが、実は彼らは裏社会の人物への借りを返すため、ある仕事を命じられていた。

キャスト
ビクトリア:ライア・コスタ
ゾンネ:フレデリック・ラウ

スタッフ
監督・製作:セバスチャン・シッパー
脚本:セバスチャン・シッパー、オリビア・ネールガード=ホルム、アイケ・フレデリーケ・シュルツ
撮影:シュトゥールラ・ブラント・グレーブレン

劇場情報
5/7~シアター・イメージフォーラム
5/28~シネマジャック&ベティ
ほか全国公開

公式ホームページ
http://www.victoria-movie.jp/


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【執筆者プロフィール】

井河澤 智子 Tomoko Ikazawa

 昔住んでいたところには、自転車で行けるクラブがありました。
 狭い場所に、いろいろ揃っていて、どこにいっても知り合いがいて、
 人間関係も良くも悪くも密接で、
 でも、基本的によそ者の吹き溜まり。
 『ヴィクトリア』を観て、その頃のことを思い出したりしました。
 そのクラブで、トイレに自転車の鍵を落っことしたことがありますが、
 そのとき思い浮かんだのは『トレインスポッティング』の一場面でした。
 あのときはどうしたんだっけかな? あの鍵?

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