2017年9月10日日曜日

映画『草原に黄色い花を見つける』評text成宮秋祥

「ベトナムの大地から広がる人間の深い愛」


美しい映画を観た。ただ美しいのではない。1980年代のベトナムで、貧しさと共に生きる人々の中に、確かな人間の愛を実感できたからだ。あらゆる国の人たちが共感できる青春の息吹、初恋の香り、そして人間への深い愛情が本作には溢れている。観る者を幸福にする美しさがそこかしこに鏤められていた。

思春期を迎えたティエウは、近くに住む少女ムーンが気になっている。ティエウにはトゥオンという純粋な心を持った弟がいて、いつも仲良く暮らしている。ある日、ムーンの家が火事になり、ムーンはティエウとトゥオンの家で暮らすことになる。次第にムーンに恋心を募らせるティエウだったが、ムーンと仲良く遊んでいるトゥオンに嫉妬心を抱いてしまい……。

本作を観ると、岩井俊二の映画を思い浮かべてしまう。映像はノスタルジックでそれでいてどこか脆さがあって美しく、登場する子どもたちは純粋さと邪悪さの間で悩み苦しみながらそれぞれの青春を生きている。この映画でも岩井俊二の映画に共通する子どもの純粋さと邪悪さが、時に繊細に、時に禍々しく交錯して描かれている。
それはティエウの視線で表現されている。ムーンに惹かれ、心を奪われたような儚い表情でムーンを見つめるティエウの視線には、人を思うことに目覚めたティエウの純粋さが感じられる。また、ムーンがトゥオンと仲良くしているところを陰で見つめるティエウの冷たい視線には、戦慄を覚えるような禍々しさが感じられる。
思春期の子ども特有の複雑な心の揺れを、この映画はベトナムの広大な大地を舞台に、素朴に自然な形で表現していて味わい深い。

この映画は人間の深い愛を描いた映画だ。ティエウとトゥオンの関係は、聖書におけるカインとアベルの関係を彷彿とさせる。神に愛されたアベルに嫉妬した兄のカインは、憎しみのあまりアベルを殺してしまう。ティエウもまた、ムーンと仲良くしているトゥオンに嫉妬し、強い怒りを抱きトゥオンを傷つけてしまう。
深く後悔するティエウは、ムーンと仲良くなっていくトゥオンが許せず冷たく接したり、意地悪したりしたことを思い出す。しかし、純粋なトゥオンは傷つけられてもティエウを愛し続けていた。トゥオンの純粋な愛情に心を打たれたティエウは、思春期の複雑な心理状態から人を思いやる大人の心に目覚めていく。
物語の後半は、ティエウの初恋の物語からトゥオンへの贖罪の物語に移り変わり、映画の風情もノスタルジーからファンタジーの色合いにシフトしていく。この突然の変容も自然で違和感なく、観る者を魅せて飽きさせない。

監督を務めたヴィクター・ヴーは、アメリカ・ハリウッドで映画製作を学んだ。そのためか、ベトナムの貧しい村の人々の映像描写にはどこか都会的な洗練されたものが感じられる。より現実に近い土着的な風情を出す方法もあるが、この都会的なキラキラした映像感覚の方が、ある種の幻想性を秘めた本作には適していたと思われる。
映画の最先端を行くハリウッドで映画製作を学んだヴー監督は、間違いなくベトナム映画界に新鮮な風を呼んだといえる。かつてアメリカ映画がフランスのヌーヴェル・ヴァーグに影響を与え、フランス映画の時代が進展したように、ベトナム映画も新しい時代に進もうとしているのかもしれない。『草原に黄色い花を見つける』は、新しい時代に力強く進もうとする意志に溢れながらも、その内面は人間の深い愛を描き抜いた真に美しい映画だ。

(text:成宮秋祥)


『草原に黄色い花を見つける』
2015/103分/ベトナム

監督:ヴィクター・ヴー

公式ホームページ:http://yellow-flowers.jp/

劇場情報
8月19日より新宿武蔵野館ほか全国順次ロードショー

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【執筆者プロフィール】

成宮 秋祥:Akiyoshi Narumiya

1989年、東京都出身。映画オフ会「映画の或る視点について語ろう会」主催。映画ライター(neoneoweb、映画みちゃお!、ORIVERcinema寄稿)。

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