2017年10月28日土曜日

映画『ミスムーンライト』評text成宮 秋祥

『ミスムーンライト』と『ムーンライト』に共通する“新しい魂”について


今年に発表された第89回アカデミー賞は、これまでのアカデミー賞とは比較にならないほど大きな話題を呼んだ年だった。最多となる14部門ノミネートを果たしたミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』(2016)が、当初は作品賞の最有力とされていたが、アメリカ映画でもタブーとされている同性愛をテーマに、オール黒人キャストで製作された低予算のインディペンデント映画『ムーンライト』(2016)が作品賞を受賞したからだ。

『ムーンライト』は、一人の黒人男性の少年期と青年期、そして成人期を3つの章として分けて、それぞれの時代での黒人男性の心理の行方を繊細に描いている。あまりにもこじんまりした小さな世界の出来ことをカメラに収めた『ムーンライト』は、ハリウッドのメジャー映画会社が製作する映画のような華やかなイメージとは無縁な、明らかにインディペンデント映画らしい雰囲気の小品である。

『ムーンライト』は、 本来はアカデミー賞と縁の遠い映画でもあったように思われる。アメリカ映画でもタブーとされている同性愛をテーマにしているのもその理由の一つだ。しかし、ここ数年続く白人俳優ばかりがアカデミー賞にノミネートされる、いわゆる“白すぎるオスカー”を払拭するように、『フェンス』(2016)や『ドリーム』(2016)など黒人俳優が出演する映画が複数好評を博したということと、反トランプを象徴するメッセージ性が第89回アカデミー賞には込められたこともあり、結果として、アカデミー賞とは一番縁の遠そうな『ムーンライト』が作品賞を受賞した。

インディペンデント映画の強みは、自由な発想で映画が製作できるところにある。資金繰りや宣伝なども限られた条件の中でやっていくので製作者側の負担が多い面も確かにあるが、何にも縛られることなく自由に映画製作ができること自体は、多くの映画作家が求める環境のように思われる。『ムーンライト』のアカデミー作品賞を受賞した同じ年に、日本でも自由な発想のもとに意欲的なインディペンデント映画が上映されることとなった。松本卓也監督による『ミスムーンライト』である。

『ミスムーンライト』の製作のきっかけは至極単純である。松本監督の『グラキン★クイーン』(2010)や『花子の日記』(2011) のプロデューサーから、「若手の女優やグラビアアイドルを多数キャストに起用した映画を水着ありで撮れないか?」という話を受けたのがことの発端だという。この条件が守られれば、あとは自由に創作してよいという状況にいたった松本監督は、オリジナル脚本を自ら執筆し、映画製作にとりかかった。

物語は、地方の高校に通う女子高生たちが、地元のPR映像を製作していくところから始まる。高校の映像部に所属するマキは、PR映像の出来が平凡で面白くないことに不満があり、撮り直すことにする。そして、新しい企画案を閃いたマキは、映像部員たちや顧問の教師を説得し、春休みの合宿で再撮影を行うことになる……。

本作は、アイディアありきの映画である。つまり、水着を着た女優やグラビアアイドルを出演させることが先んじていて、物語や登場人物の設定は、後からつけ足されたものといえる。そのため、登場人物の行動はどこかぶっ飛んでいる。主人公のマキが、なぜ地元のPR映像に水着を着た人たちを撮ることに拘ったのだろうか。具体的な目的やビジョンが不透明で、何となくマキが狂った人にしか見えない。また、マキたち映像部の撮影に協力する元映像ディレクターの博和も、海辺で水着を着た女性の幻にうろたえたり、叫んだりと様子がおかしく描かれる。マキにしても博和にしても、そのような行動をとる理由があるにはある。しかし、ことの真相が分かってもドラマのボルテージは一向に上がっているようには思えず、むしろ緩いムードのままである。ほとんど確信犯的に一貫して緩いムードのまま、映画は大勢の水着の女優をスクリーンに映す方向に持っていく。ドラマなんてあるようでない。あくまで、水着の女優たちの視覚的なインパクトで魅せようとする映画となっている。

これでは、大勢の水着の女優を眺めるのを楽しむ映画に過ぎないように思えてくる。観客に娯楽を提供するという意味では、その試みは間違ってはいないといえる。では、映画としての見応えはないのかというと、必ずしもそうとは言えない。思わず感動を覚える映画には、ある共通点が存在する。それは、映画に信念が込められているかどうかだ。この映画には信念がないのだろうか。しかし、マキたちの行動に一貫した信念があることに気づく。彼女たちは、地元のPR映像のために水着の女優たちを撮るのではなく、自分たちが面白いという映像を描くために水着の女優たちを撮っているということだ。

マキたちの面白い映像を撮ろうとする信念は、自由な発想によってオリジナリティ溢れる映画を撮ろうとする松本監督の信念の投影といえる。過去のインタビューにおいて、松本監督は、予算のある商業映画に対抗できるのは、自由な発想で生み出されたオリジナリティのある映画だと語っている。こうして考えてみると、一般にいう地元のPR映像が予算のある商業映画で、水着の女優たちを集めた映像が自由な発想で生み出されたオリジナリティのある映画であると、対比して観ることもできる。マキたちのぶっ飛んだ行動は、ある意味で松本監督の生き様そのものなのかもしれない。

何者にも縛られずに自分たちの面白いと思った映像を最後まで撮り上げたマキたちの笑顔には、このまま上手くいくかもしれないという根拠のない希望が漲っている。役所から水着の女性を出すことを強く批判されたり、地元の人たちから水着で出ることを拒否されたりしながらも、自分たちの面白い映像を撮りたいという思いを貫いて、プロの女優を呼び出して、地元の人たちを再説得して、誰もやりそうにない周囲から驚かれる企画を最後まで諦めずにやり切ったのだから、良いも悪いも関係なく、マキたちの意志の強さに、只々凄いと、思わず唸ってしまう。冒頭でも述べたが、インディペンデント映画は予算もないし、製作者側の負担が大きいながら、色々な縛りが存在する形式の完成された商業映画の枠(本作でいうところの地元のPR映像)に縛られず、自分たちの撮りたいものを撮れる。それこそが商業映画のように感動の図式が完成された映画ではなく、作り手の自由な発想によって生み出された、思わず感動してしまう可能性を秘めたオリジナリティのある映画である。このような映画には、生命力に満ち溢れた新しい魂を感じる。この新しい魂を持った映画は、時に大きな奇跡を起こすことがある。アカデミー賞向きではなかった『ムーンライト』が作品賞を獲ってしまったように。『ミスムーンライト』もまた、この新しい魂を持った映画だ。今後どのような奇跡が起きてしまうのか、期待が高まる。

(text:成宮秋祥)



『ミスムーンライト』
 2017年/120分/日本

監督:松本卓也

公式ホームページhttp://miss-moonlight.weebly.com/

劇場情報
全国順次公開中

シネマート新宿にて、11月4日(土)~11月10日(金)レイトショー

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【執筆者プロフィール】

成宮 秋祥:Akihiro Narumiya

1989年、東京都出身。映画オフ会「映画の或る視点について語ろう会」主催。映画ライター(neoneo web、映画みちゃお!、THE RIVER寄稿)。

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