2020年5月27日水曜日

映画『タッチ・ミー・ノット』評text奥平 詩野

『タッチ・ミー・ノット』/アディナ・ピンティリエ


 無機質な建物、生活感の無いアパートメント、真っ白な衣装とセラピールーム、息づかいや叫び、ささやきしか聞こえない無音な空間という無臭無菌なフレームの中で、他者との肉体の触れ合いを通したカウンセリングは、結局のところ他者への境界線の超越や解放をもたらしたというよりは、むしろ私達に、他者に対するぬぐい切れないよそよそしさを感じさせるに留まったと言える。そしてそのよそよそさに染み付いているのは、それを乗り越えようという渇望がもはや私達の凝視という行為には含まれていないという事実である。


 登場人物個人個人の、特に何かを閉じ込めたり抑制したりするものとしての肉体を通してのカウンセリングは、映画の始めから終わりまで一貫して続いてゆくが、当事者が多くの気づきを得て自己を発見してゆく言葉を聞くと、一見カウンセリングは何かしらの精神的効果を生み出しているように思える。しかし、画面から伝わるイメージは依然として冷たく、無関心で、情動的な生々しさを排除したものになっている。それは一体なぜだろうか。なぜ私達は、日常生活ではなかなか体験しないくらい他人の肉体を細部に至るまで凝視し、他人の心理カウンセリングでの叫び声を赤裸々に聞き、他人のアブノーマルなセックスを観察したのにも関わらず、それらの事を肉感的に体験出来なかったのだろうか。
 恐らくそれは、登場人物達が実際何らかの経験をしたか否かに関わらず、彼らが囚われていた自らの肉体=フレームを乗り越えようとしていたのと違って、私達観客は対象の物事を凝視するようには操作されているが、それと同時に、確固としたフレームを意識させ続けられたからだろうと考えられる。冒頭から、遠隔での映像を通して主人公のローラが話し合う相手はフレームの中に閉じ込められていたし、グループセラピーの行われる部屋は、ローラにとって常に大きな四角いガラス越しに覗き見られるものであった。また、背景が極度に無音であり、特定の息遣いや発話にのみ音声が集中する事や、温度も分からず淡々として手垢の付いていないような部屋であまり運動しない人物が画面に対してほとんどいつも「正面」や「真後ろ」といったような方向感覚が正確に湧き上がるふうに配置されているといった、言い換えれば極度の「意味」に対する潔癖性が、フレーム内で起こっている事柄への接近に対する欲望よりも、距離の維持に観客を向かわせている。
 このような距離の維持によって、対象への凝視にも関わらず、私達は物語に対する一種の非現実 的な感覚を獲得する事になるだろう。共感無くして知覚の対象化された登場人物について知ったのは、彼らの肉体と言葉であった。それらは凝視のあまり、人間の内面を指し示す何かとは乖離してゆき、彼らの身体は個別性や特有性を脱ぎ捨てて、こういういう形をした「体」という奇妙な普遍性を獲得してゆくようになる。もはや、体や言葉を通しても彼/彼女が何者であるかを直感するのが困難になるのである。


 しかし、距離の維持によってもたらされたこの身体と個人性の乖離の感覚は、映画のテーマにとって否定的な意味を持っていたとは言えない。凝視の強度と反比例して起こる内面に対する 「見えない」という感覚は、他者や自分の、普通とは言えないかもしれない特異な身体との関係を、重々しく深刻なものとして捉えようとする努力から人々を解放するし、より軽薄で楽しむ余地のある「ゲーム」として扱う可能性を示している。最後にローラが解放的に自分の身体をダンスを通して楽しむ時、距離故にその開放感を感動的に観客も自らに同化して体験する事は出来ないかもしれないが、そこにはローラの肉体に対するジャッジも、心理や精神性を覗き見たいという 欲望も存在しないがために、ローラの楽しみそれ自体のためだけに彼女の身体が存在する瞬間が現れている。

(text:奥平詩野)


『タッチ・ミー・ノット 〜ローラと秘密のカウンセリング〜』
原題:TOUCH ME NOT
(2018 年/125 分/英語/ビスタサイズ/5.1ch/DCP/R18
製作国:ルーマニア、ドイツ、チェコ、ブルガリア、フランス )
©Touch Me Not - Adina Pintilie

キャスト
ローラ・ベンソン、トーマス・レマルキス、クリスチャン・バイエルライン、グリット・ウーレマ ン、アディナ・ピンティリエ、ハンナ・ホフマン、シーニー・ラブ、イルメナ・チチコワ、レイナ ー・ステッフェン、ゲオルギ・ナルディエフ、ディルク・ランゲ、アネット・サヴァリッシュ

スタッフ
監督・脚本・編集:アディナ・ピンティリエ
撮影監督:ジョージ・チッパー゠リールマーク
録音:ヴェセリン・ゾグラフォフ
美術監督:アドリアン・クリステア
衣装デザイン:マリア・ピーテオ

作品解説
父親の介護ての為に日々通院しているローラは、自身も人に触れられることに拒否反応をおこす精神的な障がいを抱えていた。ある日、ローラは病院で患者同士がカウンセリングする不思議な療養を目撃する。病により全身の毛がないトーマス、自由に四肢を動かせない車椅子のクリスチャンなど様々な症状を抱える人びとが、互いの身体に触れ合うことを通して自分自身を見つめていく。ローラは彼らを興味深く観察するうちに、 自分と同じような孤独感を抱えたトーマスに惹かれていく。街でトーマスに導かれるように秘密のナイトクラブへ入ったローラは、欲望のままに癒し合う群衆を目の当たりにするのだった。

2018年ベルリン映画祭金熊賞作品

配給宣伝:ニコニコフィルム
クラウドファンディング実施中
https://motion-gallery.net/projects/TMN_Movie

公式ホームページ
http://tmn-movie.com

劇場情報
・渋谷シアター・イメージフォーラムにて7月4日(土)公開予定  
・仮設の映画館(6月6日よりオンライン先行配信)
 http://www.temporary-cinema.jp/

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【執筆者プロフィール】

奥平 詩野:Okuhira Shino

1992年生。国際基督教大学除籍。慶應義塾大学在籍。映画論述。

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