「わたしがわたしで在るために」
© Touch Me Not - Adina Pintilie |
うつ病、統合失調症、双極性障害、摂食障害、適応障害、アスペルガー症候群、アルコール依存症、強迫性障害、パニック障害、境界性人格障害、自己愛性人格障害、身体表現性障害、身体醜形障害、心的外傷障害(PTSD)。
精神医学の研究が進歩をするにあたり、私たちの生きるこの世界では、上記に並べたような病名に溢れ、ことばでは表現することのできない私たちの繊細な感情を、強制的にあてはめようとする専門用語ばかりが増えた。もっとつけ加えると、あてはめようとする医師たちもまた増えた。病院を受診する人々を「普通とはすこし違うから」という理由や、たったの数十分の診察だけで精神病だと診断をしたり、安易にお薬を処方することに、私は疑問を抱きつづけてきた。なぜなら、人間の魂ほど、複雑で、繊細で、そしてなによりも、簡単に「治せる」ものではないと信じているからである。
私は思春期のとき、ある聡明な主治医と出逢った。私は愚かにも「答え」をもとめるように訊ねた。「私は他のひととは違うのでしょうか? 私はなんの病気なのでしょう」。肩をすくめる私に、かれは私の瞳をみつめて静かにおっしゃった。「貴女は病気ではありません。いまの貴女はただ心のエネルギーがしぼんでいるだけなのですよ」と。
本作『タッチ・ミー・ノット』の主人公であるローラは、強迫性障害をもち、入院をする父親との関係、そして他者から触られることに極度の恐れを抱いていることに悩んでいた。彼女はそんなとき、父親の入院する病院先で、ある光景を目にする。真っ白にひろがる空間とガラス張りのひとつのカウンセリングルーム。そこでは真っ白の服を着た、さまざまな障がいを抱えた、十数名の患者(と一時的にそう呼ばれる)人々が、身も心も解放し、肌と肌とを触れあわせながら、それぞれが対話をおこなっていた。
ローラはそこに参加をしてみたいと願うが、彼女の心は追いつけない。ローラは他者から触れられることに恐れを抱くあまり、そのカウンセリングルームの傍観者としてみつめることしかできなかった。そこで彼女は別の方法で自分自身と向きあうことを試みる。そんなローラのもとに現れたのは、五十代で性転換をし、現在は女性として生きながら、自身の経験をもとにセックスワーカーとして活動をしているトランスジェンダーのハンナであった……。
ローラは強迫性障害と語られてはいるが、この映画に登場する人々は、精神的な病というよりも、《マイノリティ(少数派の意)》と呼ばれるひとを中心に描かれている。脊髄性筋萎縮性(SMA)をもつクリスチャン、無毛症のトーマス、そしてトランスジェンダーのハンナ。私が感銘をうけたのは、かれらはとても自然体で、そして自らの心と身体に誠実であるということだ。私の体験になるのだが、良い精神科医に出逢えなかったとき、私は病名を診断され、その色眼鏡をもとに対話(カウンセリング)が進められてきたように思う。「私はうつ病だから」と自分を責め、そして他者からも「貴女はうつ病だから」と言われ、深く傷ついたこともあった。
しかし、すべてのひとではないが、本作の出演者たちは、患者でも、トランスジェンダーでも、「これがありのままの私(僕)だよ」という誇りをもっている。それは、むやみに病名にしばられることなく、そのひと自身のもつ世界でひとつの「個性」や「尊厳」が、カウンセリングのなかで最も大切にされていることだと感じられたからである。勿論、出演を承諾した出演者たちは、本作を撮るアディナ・ピンティリエ監督への厚い信頼もあるだろう。信じることができないと思うひとの前では、たとえ演技であっても(あるいは俳優や出演者自身のことばであっても)裸になることも、素直な感情やことばを伝えることも、難しいことなのだから。
クリスチャンは言う。「僕には重い身体障がいがある。だけどそれで苦しんだりはしない。ひとはよく言うよね。“障がいに苦しんでいる”って。大嫌いなことばだよ。(中略)僕は自分のことを魅力的な男だと思っている。ひととは違うし、一般的な意味で美しいとはいえない。普通の意味ではね。でも“普通”なんて知ったことではないよ。僕はこの身体に感謝している。贈りものなんだ。人生とはそれを理解するための旅なんだよ」と。
映画のなかでは、どうしてローラが強迫性障害と診断されたのか、どうして他者から触れられることを極度に恐れるのか。その理由は明確に語られることはない。むしろ原因が安易にわからないからこそ、この映画が製作される意味があるのではないだろうか。クリスチャンのことばの通り、人生とは生涯を通して、自らの心を理解するための長い旅なのだから。
もしも、自分はどこかひととは違うのではないか。どうして人生はこんなにも生きづらいのだろう。と、他者と自分を比較したり、思い悩むことがあったら、さまざまな価値観がひろがる本作の世界に触れてみてほしい。この映画のカウンセリングルームの扉は、いつも、私たち観客にも開かれている。
(text:藤野 みさき)
『タッチ・ミー・ノット 〜ローラと秘密のカウンセリング〜』
原題:TOUCH ME NOT
(2018 年/125 分/英語/ビスタサイズ/5.1ch/DCP/R18
製作国:ルーマニア、ドイツ、チェコ、ブルガリア、フランス
© Touch Me Not - Adina Pintilie
キャスト
ローラ・ベンソン、トーマス・レマルキス、クリスチャン・バイエルライン、グリット・ウーレマ ン、アディナ・ピンティリエ、ハンナ・ホフマン、シーニー・ラブ、イルメナ・チチコワ、レイナ ー・ステッフェン、ゲオルギ・ナルディエフ、ディルク・ランゲ、アネット・サヴァリッシュ
スタッフ
監督・脚本・編集:アディナ・ピンティリエ
撮影監督:ジョージ・チッパー゠リールマーク
録音:ヴェセリン・ゾグラフォフ
美術監督:アドリアン・クリステア
衣装デザイン:マリア・ピーテオ
作品解説
父親の介護ての為に日々通院しているローラは、自身も人に触れられることに拒否反応をおこす精神的な障がいを抱えていた。ある日、ローラは病院で患者同士がカウンセリングする不思議な療養を目撃する。病により全身の毛がないトーマス、自由に四肢を動かせない車椅子のクリスチャンなど様々な症状を抱える人びとが、互いの身体に触れ合うことを通して自分自身を見つめていく。ローラは彼らを興味深く観察するうちに、 自分と同じような孤独感を抱えたトーマスに惹かれていく。街でトーマスに導かれるように秘密のナイトクラブへ入ったローラは、欲望のままに癒し合う群衆を目の当たりにするのだった。
2018年ベルリン映画祭金熊賞受賞作品
配給宣伝:ニコニコフィルム
クラウドファンディング実施中
https://motion-gallery.net/projects/TMN_Movie
公式ホームページ
http://tmn-movie.com
劇場情報
・渋谷シアター・イメージフォーラムにて7月4日(土)公開
・仮設の映画館(6月6日よりオンライン先行配信中)
http://www.temporary-cinema.jp/
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【執筆者プロフィール】
藤野 みさき:Misaki Fujino
1992年、栃木県出身。シネマ・キャンプ 映画批評・ライター講座第二期後期受講生。F・W・ムルナウをはじめとする独表現主義映画・古典映画・ダグラス・サークをはじめとするメロドラマが大好きです。拙いながらも、自分自身に素直な文章を書けるようにと心掛けています。
Twitter:cherrytree813
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公式ホームページ
http://tmn-movie.com
劇場情報
・渋谷シアター・イメージフォーラムにて7月4日(土)公開
・仮設の映画館(6月6日よりオンライン先行配信中)
http://www.temporary-cinema.jp/
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【執筆者プロフィール】
藤野 みさき:Misaki Fujino
1992年、栃木県出身。シネマ・キャンプ 映画批評・ライター講座第二期後期受講生。F・W・ムルナウをはじめとする独表現主義映画・古典映画・ダグラス・サークをはじめとするメロドラマが大好きです。拙いながらも、自分自身に素直な文章を書けるようにと心掛けています。
Twitter:cherrytree813
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