2015年1月8日木曜日

映画『ジミーとジョルジュ 心の欠片(かけら)を探して』クロスレビュー

「君の部族では夢は“未来”を告げるが、精神分析では“過去”を表すと考える。だから興味深い」

 予告編にも引用されている精神分析医・ジョルジュのこの言葉から僕が想像した映画の内容は、「近代合理主義と伝統的神秘主義の相克」といったようなものでした。

 心という実体のないものを自然科学的な手法で解明しようとする精神分析の考え方は、何でも理屈で割り切れる筈だと考える近代合理主義の産物に他なりません。一方、夢を未来の暗示と捉えるアメリカ先住民の考え方は、科学的な視点からは不合理と見なされますが、彼らの生活文化の中ではこうした考え方が実際に有効で、暮らしの役にも立って来たという歴史があります。理屈に合わない筈の先住民の言葉が真理の一端を明かしていることを無視出来ず、価値観を揺さぶられる精神分析医……そういう内容の映画なら確かに「興味深い」。

 でも実際の話はそうじゃありませんでした。

 この作品がニューエイジ・ムーブメント以降の視点で作られたフィクションだったとしたら、そんな話になってた可能性もあったのでしょうが、これは西洋近代へのカウンターとしてニューエイジ思想が台頭した60年代より遥か以前、1940年代に実際にあった実話を元にした物語です。医師ジョルジュは自分の信じる精神分析の手法で迷うことなく患者ジミーの治療に当たり、(簡単にとまではいかないものの)着実に成果を上げていきます。心理療法やカウンセリングを題材にした作品ならありがちな、患者の医者への反発、それが信頼に変わり寛解へ至る、というような分かりやすいドラマもここにはありません。患者であるジミーは至って素直に治療への試みを受け入れますし、他の病院関係者も基本的には良心的かつ協力的。その波乱のなさが少し物足りなくも感じられましたが、それも仕方ない。実話なんだから。

 むしろ外界の穏やかさに反して、ジョルジュとの対話によって自らの幼少期へと記憶をさかのぼる旅をしたジミーの、その心の中にこそ波乱はあった訳ですが、のっぺらぼうを出してみたり、原野を花で埋めてみたりとそれなりに手の込んだことしてるにも関わらず、その語り口が大げさだったりサスペンスに傾きすぎたりしないのは、やはりフランス人監督のエスプリなのかなと思ったことでした。ジョルジュの愛人が、人間の心と魂と身体の関わりをマトリョーシカになぞらえて話す場面なども、機知に富み、かつ美しい場面として印象に残りました。


★★★★☆
(落合 尚之)

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精神分析医を名乗る(元々は人類学者)ジョルジュが、第二次大戦中の戦傷による頭痛や視力障害、難聴などに悩まされている「アメリカ・インディアン」であるジミーの夢診断をするのだが、その解釈が楽しい。観客はこのジョルジュという人物の視点(解釈)に誘われることで、次第に明らかになっていくジミーのトラウマと向き合っていくこととなる。

淡々とした単調な対話劇にもなりかねないこの映画が私にとって思いのほか好ましく感じられたのは、ジョルジュがジミーを分析しようと向き合うこの態度というものが、我々が映画を観るという行為あるいはスタンスに近いように思えたからかもしれない。ここでいう我々とは、映画と接することで何かを見出そうとする人たちのことだ。つまり、画面に映る(他者により表現された)事象を自分なりに解釈するという「観る」行為も、ジョルジュがジミーの語る夢から彼の深層心理に隠されているかもしれない心の傷を診断分析する行為も、提示されたイメージから何か意味を見出すことであるはずで、それを通して学び、自己を見つめ直すことにつながる経験であるのではないか(と考えていたら、フランス語で俳優が演技することを意味する“interpreter”には、解釈する、精神分析をする、映画批評をするなどの意味もあるそうだ)。

ジミー(インディアン)とジョルジュ(ハンガリー系ユダヤ人)という、デコボコで血のつながっていない二人が対話と解釈により互いに学び合い、友情を育み、擬似家族のようなつながりを構築する過程には、彼らが自身のルーツ(映画オリジナルの登場人物であるという、ジョルジュの愛人マドレーヌが人類博物館━━人類のルーツを語り継ぐ場所━━の職員であることも見逃せない)を見つめ直していく姿が映されている。だからこそ、ジミーが下すにいたる晴れ晴れとした決心は、さりげなくも味わい深い余韻をもたらすのである。


★★★☆☆
(常川 拓也)

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原作は本作にてマチュー・アマルリックが演ずる文化人類学者”ジョルジュ・ドゥヴルーの著作による「夢の分析・或る平原インディアンの精神治療記録」を元にした実話である。

第二次世界大戦に於いて負傷し、退役したインディアンである元軍人”ジミー”(ベニチオ・デル・トロ)は戦後アメリカのモンタナに住み、原因不明の病に悩まされていたが、州の病院では治療できないと判断された為、カンザス州にあるメニンガー・クリニックへ赴き治療する事となった。「頭蓋骨の骨折」にからくる精神病と判断されるが、メニンガー・クリニックでは、治療方法が見つからず、インディアンを研究する文化人類学者であるジョルジュがジミーの専任医師として召喚される。ジョルジュはジミーの生い立ちから最近見る夢に至るまで、毎日一時間ずつカウンセリングを行う。ジミーとジョルジュは病の原因の糸口すら、はじめは全く掴めずにいた。しかし、夢の話や、互いの心に抱える闇を徐々に共有していく過程で、互いに心を通わすようになっていく。

「頭蓋骨の骨折」からくる外的要因による病気と判断され、治療を施す病院に対し、ジョルジュは「夢」やジミーが描く「絵」、そして何よりも、話し合いを重ねていく事でジミーを自然に病から解放していく様に心を動かされる。ジミーは恐ろしい夢にうなされ続けるが、次第に美しい草原に広がる、色とりどりに咲き乱れる花の景色を見るようになる。青白く、そこに居るだけで気が滅入ってしまいそうな病院から、感情の動き=色彩を取り戻したのだ。


本作が鑑賞者の胸を打つのは単に「ジミーの苦悩からの解放」を描いた「記録」だけに留まらず「ジミーとジョルジュの魂の交流」を丁寧に描いている所にある。特に二人の微細な気持ちの変化を、ゆっくりと流れる時間と共に描写していく点が最も興味深い。


★★★★☆
(小川 学)

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『ジミーとジョルジュ 心の欠片(かけら)を探して』

監督
アルノー・デプレシャン

脚本
アルノー・デプレシャン

原案
ジョルジュ・ドゥブルー

エグゼクティブプロデューサー
モリー・コナーズ 、 ベン・リンバーグ 、 クリストファー・ウッドロー

プロデューサー
パスカル・コーシュトゥー 、 ジェニファー・ロス 、 グレゴリー・ソーラ

撮影
ステファーヌ・フォンテーヌ

プロダクション・デザイン
ダイナ・ゴールドマン

音楽
ハワード・ショア

編集
ロランス・ブリオー

衣裳デザイン
デイヴィッド・C・ロビンソン

キャスティング
アヴィ・カウフマン

キャスト
ジェームズ(ジミー)・ピカード : ベニチオ・デル・トロ
ジョルジュ・ドゥヴルー : マチュー・アマルリック
マドレーヌ : ジーナ・マッキー
メニンガー医師 : ラリー・パイン
ホルト医師 : ジョゼフ・クロス


作品情報:「クリスマス・ストーリー」のアルノー・デプレシャンが、実話を基にアメリカで撮影したヒューマンドラマ。心に傷を負ったネイティブアメリカンとフランス人精神分析医の親交が導く静かな奇跡を描く。出演は「チェ 28歳の革命」「チェ 39歳別れの手紙」のベニチオ・デル・トロ、「さすらいの女神(ディーバ)たち」のマチュー・アマルリック、「ひかりのまち」のジーナ・マッキー。


公式ホームページ:http://kokoronokakera.com

2015年1月10日(土)より、渋谷シアターイメージフォーラムにて公開。

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