2015年7月11日土曜日

フランス映画祭2015〜映画『ティンブクトゥ』(仮題)text井河澤 智子

「トークショーゲスト:アブデラマン・シサコ監督」


広大な砂漠に、伝統的な人形が並べられている。次々に撃ち抜かれ破壊される人形。
このシーンで、その後の物語は語られたようなものである。

マリ北部の村にイスラム過激派組織がやってくる。住民と同じイスラム教徒ではあるが、彼らは彼らによる解釈に基づく教えを正義であると信じ、市民に強いる。音楽を楽しむこと、サッカーをすること、煙草を吸うことは禁止。女性はチャドルで体を覆い、素手素足を曝すことも禁止される。武器を持ち足音高くその地のモスクに踏み込む過激派に、その地域の宗教指導者はこう諭す。「私たちは私たちのやり方で神に祈る」、と。

牛飼いは音楽家でもあり、ティンブクトゥ近郊の砂漠に居を構えている。妻と娘と少年と、静かに暮らしている。
住居のそばには河が流れ、対岸には漁師が住んでいる。

この映画は「様々な対立」の構造を内包している。同じ宗教を信じながら、相容れない考えを持った集団。牛飼いと漁師の間の緊張関係。それぞれの正義がある。穏やかに諭す現地の宗教指導者に対しても、過激派は淡々と、神の教えを解釈するのは我々であり、守らない者は鞭打ち、石打ちの刑を科す、と述べる。神の教えは彼らにとって人命に先立つものであった。市民たちは理不尽な刑を受けながらも誇り高く抵抗を示す。
しかし、過激派の教えは、当の過激派に属する兵士にも守りきることはできないほど厳格なものであった。象徴的な一本の煙草。

さて、街外れに住んでいた牛飼いはどうなったか。
彼もまた、過激派の力から逃れることはできなかった。

セザール賞を7部門受賞したこの映画は、2012年、監督が新聞で読んだ、石打で処刑されたマリのカップルについての記事に基づき、製作されたという。もともとマリには死刑制度はないが、この時期マリ北部を占拠していた過激派により、この事件は起きた。いくつかの死刑がこの物語にも現れるが、実はこれらは「法に基づく刑」というより「私刑」に近いものだったのではないだろうか。


アブデラマン・シサコ監督はこの映画についてこう語った。

「この映画は野蛮な行為に抵抗する映画です。イスラム教は野蛮な宗教ではありません。一部の人々が野蛮な行為をするのです。」

「暴力のシーンを見世物のように描くのは避けたかった。人の死を描くの血を見せる必要はありません。
重要なのは、"野蛮な行為をするのは、人間である、だから恐ろしい"ということです。」 

「シナリオはマリ北部が占拠されていた時に書きましたが、解放後色々な人から話を聞きました。
住民たちは"平和な抵抗"を行っていました。ボールなしでのサッカーのシーンや鞭打たれながら歌う女性の場面にそれを描きました。また、"平和な抵抗"は主に女性たち、強い女性たちによって行われていました」

監督が語るように、この映画は「女性の強さ」も非常に印象に残る。市民のしなやかな抵抗、女性たちの肝の据わった美しさにも、ぜひ注目してご覧頂きたい。


(text:井河澤 智子)


映画『ティンブクトゥ』(仮題)
原題:Timbuktu
2014/フランス・モーリアニア/97分

作品解説
2015年のセザール賞の7部門受賞、同年アカデミー賞外国語映画賞ノミネート。世界遺産登録のマリ共和国の古都を背景に、音楽を愛する父と娘がイスラム過激派の弾圧に苦しみ、闘う姿を描いた感動作。
ティンブクトゥからそう遠くない街で、 家族と共に音楽に溢れる幸せな生活を送っていたギターンだが、過激派が街を占拠してからは彼らの法によって支配され、歌、笑い声、たばこ、そしてサッカーでさえも禁止され、毎日の様に悲劇と不条理な懲罰が待っていた。一家はティンブクトゥに避難するのだが、ある出来事によって彼らの運命は大きく変わってしまう。

出演
イブラヒム・アメド・アカ・ピノ
トゥルゥ・キキ
アベル・ジャフリ

監督:アブデラマン・シサコ

受賞歴
2015年 セザール賞 最優秀作品賞・監督賞・脚本賞・音楽賞・撮影賞・編集賞・音楽賞受賞
2015年 アカデミー賞®外国語映画賞ノミネート

作品情報(フランス映画祭2015の作品ページより)
http://unifrance.jp/festival/2015/films/film09

劇場情報:2015年公開予定

フランス映画祭2015 
6月26日(金)~29日(月) 有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ 日劇(東京会場)にて開催! 公式サイト : http://unifrance.jp./festival/2015/


0 件のコメント:

コメントを投稿