2015年12月4日金曜日

第16回東京フィルメックス《コンペティション作品》 映画『タルロ』 text 高橋 雄太

揺らぐ「私」


「私」とは誰か。
そう問われた人は、「私は私。自分のことくらいわかっている」と思うかもしれない。だが「私」とはそれほど確固とした存在だろうか。映画『タルロ』を観た後、私は「私」への不安に襲われた。

本作の主人公、本名はタルロ、通称「三つ編み」。男性、おそらく四十代、名が示すとおり髪は三つ編み、チベットの羊飼い、国籍は中華人民共和国。彼は警察に身分証(identity document:ID)の作成をすすめられ、それに必要な写真を撮る際、理髪店の女性と親しくなる。人里離れた放牧地から彼女の元へ通い、町の生活を経験する。二人はお金を貯め、遠い場所へ行くことを誓い合う。

自分が自分であることを証明する身分証を持っていないタルロだが、自分が何者かは知っている。名を尋ねられれば「三つ編み」と答える。抜群の記憶力で羊の数も特徴も覚えており、『毛沢東語録』の一節を暗誦する。身体的特徴、羊飼いとして必要な情報、過去に学んだものの記憶。身分証はなくとも、これまで生きてきた時間に基づくアイデンティティを持っているのだ。
彼は女性との出会いにカルチャーショックを受ける。女性にも関わらず短い髪、女性の喫煙、カラオケ・バー、ヒップホップのライブ。チベットの伝統の中で生きてきたであろうタルロは、現代の文化に戸惑う。また、町の看板にはチベットの文字と漢字が併記され、派出所には「POLICE」というアルファベットまで記載されている。タルロもチベット語で会話をし、『毛沢東語録』は中国語で暗誦する。
すなわち、時間、言語、文化、多くの面でタルロと現代との間にはギャップが存在しており、彼はそれに対応していくことになる。羊飼いの恋歌をカラオケで唄い、女性のなすがままに三つ編みからスキンヘッドになってしまう。そして彼は自分を見失う。ファムファタルに惑わされる男という個人の中に、伝統と現代との軋轢、チベットと中国との摩擦という、大きな問題も見えてくる。

彼の不安定さには一つのテクノロジーが関わっている。カメラである。
本作はモノクロ、固定ショット、長回しで構成された作品である。冒頭の派出所では、固定ショットの左側にタルロ、右側に所長が配置され、二人は向かい合い、なごやかな雰囲気で会話をする。理髪店では鏡越しにタルロと女は見つめ合い、親密になる。ワンシーン=ワンショットの長時間にわたって交わされる視線が、人と人とを近づける。
しかし、人間とは別の視線=カメラの視線がタルロの存在を揺るがしていく。序盤、彼は写真撮影のために写真屋を訪れ、カメラの前に座る。映画のカメラと写真屋のカメラとが一致しているかのような正面からの固定ショット。所長や女性とは画面内で見つめ合っていたタルロであるが、ここでは画面内に孤立し、かつ見つめられる存在になる。写真屋に洗髪をすすめられたことで、理髪店の女性と出会い、前述の関係が始まる。羊飼いとして暮らすことの証拠とも言える砂埃や汗、彼のアイデンティティを示すものを洗い流すとき、ファムファタルと現代の文化が彼を襲う。
写真撮影の直前、バストショットのタルロに、画面外からの声が「帽子を取れ、髪を整えろ、カバンを下ろせ、上着を脱げ」と指示を与える。画面内のタルロはそれに従う。チベットの羊飼いタルロが、中国の国民へと矯正=強制される過程の長回しである。カメラにより魂を抜かれるという言い伝えが現実になったかのように、彼は写真撮影により自分を失い始めるのだ。すなわち撮影は一種の殺人であり、カメラは凶器、「殺人カメラ」とすら言える。
さらに、写真屋でタルロの先客の夫婦は、伝統衣装を着込み、写真のプリントされた幕を背景にして記念写真の撮影中である。その背景は、ラサ、北京の天安門、ニューヨークの摩天楼と変化していく。写真屋の「パッとしない」との意見のままに夫婦は伝統衣装から洋服に着替えるが、やはり「パッとしない」らしい。夫婦は、背景の変化により世界をたらい回しにされ、着替えを繰り返す。二人は、新婚の喜びに輝いているわけではなく、不安定な世界に投げ込まれたことに戸惑っているようである。また、ニューヨークの背景の右隅には2001年に崩壊したツインタワーが写っている。不安定な世界を象徴しているように。
ショット同士の対照にも不安定は現れている。「三つ編み」という名のタルロが坊主頭になったとき、皮肉にも三つ編みだった頃の写真付きIDが出来上がる。所長らは外見が違いすぎるとして、写真を撮りなおすようタルロに告げる。名前の由来である三つ編みを失い、自分を証明するはずのIDが自分を証明しない。このときタルロは自分が善人か悪人かもわからなくなり、自慢の記憶力すら薄らぎ始める。
ID受け取りのシーンは、冒頭の派出所のシーンの鏡像である。つまり冒頭シーンとは左右反転しており、右側にタルロ、左側に所長の配置で、二人は向かい合う。派出所を舞台にした二つのショットは、「殺人カメラ」に殺される前後の世界、相容れない異次元の世界を示しているのだ。固定ショットでは視界は揺れず、被写体を安定して納めることができるはず。だが、その安定から不安定が発生し、「私」は揺らいでいく。
もう一度問う。「私」とは誰か。本作で「私」という存在への不安を観た後、この疑問を無視できるだろうか。

私は誰?度:★★★★★
(text:高橋 雄太)

『タルロ』(Tharlo / 塔洛)

2015/中国 /123分

作品解説

『オールド・ドッグ』で第12回東京フィルメックスグランプリに輝いたペマツェテン監督の最新作。現代文明と伝統文化の相違に引き裂かれてゆくチベットの遊牧民をユーモアとほろ苦さを交えて描く。長回しの撮影と大胆な構図が強烈なインパクトを与える力作である。

スタッフ

監督:ペマツェテン(Pema Tseden)

第16回東京フィルメックス

2015年11月21日(土)〜29日(日)まで開催。「映画の未来へ」--いま世界が最も注目する作品をいち早く上映する国際映画祭。アジアの若手によるコンペ部門、最先端の注目作が並ぶ特別招待作品の上映。特集上映のひとつはフランスのピエール・エテックス作品。

公式ホームページ


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