2015年12月15日火曜日

映画『岸辺の旅』レビュー text 岡村 亜紀子

「死はわかつ、けれどそれは終わりではない」


  昨年私は大事な人を二人亡くした。夏に祖父を亡くし、年末に祖母を相次いで。『岸辺の旅』の主人公瑞希は、海で夫を亡くし、三年程、この世とあの世の境を漂っている。
 私はまだ人の死に目に合ったことがない。亡くなったと知らせを受け、通夜で出会った祖父におそるおそる触れると冷やりとしていた。その為か、死の実感というものを心が理解しづらいようである。

 瑞希は海で死んだ夫(行方不明だった)と再会した時に、果たして何をわかり得たのだろう。白状すると劇場でこの作品を観てから、ずいぶんと時間が経ってしまったので、私は自分が記憶している部分のみについてしか語ることが出来ず、この作品のエンディングさえモヤっと白い霧に記憶は包まれているので、なんとも心細い状態でこの駄文を、帰宅中の電車でノートに一文字ずつしたためている。というのも普段メモがわりに使用しているiPhoneの電源がおちた為だ。私は今旅からまさに帰宅しようとしている車内で、なぜわざわざ駄文を書いているのか。
 そんな今日は祖母の一周忌だった。昨日、私は仏前に座り線香をあげながら奇妙な違和感にさいなまれ、そして『岸辺の旅』が浮かんで、様々なことを考えた。残念ながら、疲労と共に記憶は早くも薄らぎ始めている。
おそらくペンをとっているのは、『岸辺の旅』と祖母の一周忌に際して感じた事柄は、もう実体のない祖母と私の新たな関係であり、それを記録したいという欲求から、なのかも知れない。最寄りの駅に着きそうなので、続きは帰宅してからにしよう……。

 ……帰宅。人と人とはいつも物理的な距離によってはばまれている。『岸辺の旅』の瑞希は、夫の死後、携帯を見て夫が浮気していた事を知る。彼女は夫が自分と離れている間、別の女と情事を行っていたことを知らなかった。
 朝、墓そうじを終え、遠方から祖母の親戚が到着するまでの間、私は祖母の部屋に入って、初めてその本棚にあるたくさんの本を見た。私の持っている本もあった。でも彼女とその本の話をしたこともなく、その小さな部屋の天井の角が少しカーブしていることも知らなかった。祖母のモノクロの写真が収められたアルバムには、彼女が働いていた幼稚園の園児たちとの写真や、弓をひく彼女の横顔を何枚も写したもの、友人たちと写っている笑顔、学生服を着ている見知らぬ男性、一人写ったポートレイトなど、私の知らない若い頃の彼女が沢山いた。

 ふと私は祖母のことを何も知らないのではないかと思い、少し驚いた。あまり自分のことを話さない人だったし、子供ごころに祖母の部屋は秘密が詰まっているようで、入りたいと思っても入れなかったのだ。さらに高校卒業以降、三重県伊勢市にあるその家を訪れることは、次第に年5回が3回に、年1回に、さいごに会うまでは2、3年会っていなかったように思う。祖父が亡くなり、大きな家に一人で居る祖母の存在を気にはしつつも手紙や電話のやりとりのみで、中々会いに行かなかった。後悔している。すぐ会いに行ける距離なら、もう少し会えていたのではないかと思う。祖母は伊勢の人だった。

 『岸辺の旅』で一人暮らす瑞希の部屋に、ある日夫が現れる。そして二人は旅をする。彼が死んでから、お世話になったという人々のいる土地を訪ね、人々に会い、瑞希は知らなかった夫を初めて見る。本当はもっとべつの場所――この世とあの世――にいるはずの二人は、お互いに近よって、この世でありながら少しあの世に近い場所を旅していく。

 もし亡くなった大切な人が突然現れたら、私の場合祖母だったら、また会えたことを喜び色々な話をして、それから少し困ってしまうかもしれない。ずっと一緒にいられたら良いけど、現世の生活があり、祖母はその生活にはとけこめないのだから。
 しかし瑞希は、迷わず生活をかえりみず夫と旅をすることを選ぶ。それは彼女の今の生活が、もう惰性のように行われており、そこにかけるエネルギーを持っておらず、さらには夫優介がそれよりも大切な存在だったから。彼女はピアノを教える子供の母親にせんないことを言われても、とまどったような表情を浮かべ、どこかどうでもよい風にさえ見えるシーンがある。そんな彼女はとても生きることが困難な人に見えた。

 瑞希は夫(医者)の浮気相手に会いに病院へ行き、彼女が結婚していることを知る。夫が行方不明になり、別の人生を選んだ女と、死んだ夫を選んだ女。この世での彼女はどうしようもなくとりのこされた存在に見える。
 昨日仏前で線香をあげた私が感じた違和感は、そのシーンを観た時に感じたものにちょっと似ているかも知れない。祖母を亡くした実感がどうしても湧かずに、悲しいという感情をわからず、「そんなところにいたら寒いでしょ。早くこっちに来ておこたに入りなさい」という声が何故聞こえてこないのかという違和感。

 そうして今日、お坊さんがあげるお経を聞きながら、涙があとから流れた。お経のあと、パンクなお坊さんの説法を聞きながら腕のGショックが気になりつつも「東子さんに“おっさん何いうてんの”って言われますわ」という言葉を聞いて、ああこういうこと言う人だったなと、なつかしさがこみあげてきた。話上手で少しイジワルなことも時々言うんだった。
 それからお寺へ行って、みんなでお参りしていたときもジワリときて、会食でゴハンを食べながら、ふと祖母と私が最後に会った時の話になって、又涙が出て困った。誰もそのことに触れず話を聞いてくれて助かった。私はまだ全然悲しいみたいなのだけど、まだまだ後悔だらけで、うまくうけとめられないのかも知れない。

 『岸辺の旅』の終盤で旅が終わった時、その場面はとうとつで感情など関係なく、現象としてさりげなく起きた。
 瑞希は何を感じ得ただろう。私はいくら想像しても、その場面から切り離されたように思考することしか出来ず、瑞希の感情をおしはかることが出来なかったような記憶がある。ただ一周忌を経た今は、その時の瑞希はきっと絶望してはいなかったのだと思う。それは映画『岸辺の旅』と、自分の祖母との関係が私の中で融合して、今日そう思ったのだと。
 
 おぼろげな記憶のなかの瑞希の姿と、新しい祖母と私のかかわりが、今まで答えの出なかった問にすこしだけヒントをくれたようである。写真が欲しいと言うと、「最近のカラーのアルバムからがいいよね?」と言われたけれど、私はモノクロの若かりし頃の祖母の写真を数枚もらうことにした。今日はじめて出会った写真の彼女の笑顔はハジけていてまばゆかった。
 
 祖母に久しぶりに会いに行った日の別れぎわ「いつまでもなごりおしいね」と彼女が言った。その3日後に急逝したから、それが最後の言葉だった。その別れ際の笑顔を忘れたくないと思っていたことを思い出した。
『岸辺の旅』にまつわる今日の出来事をこうして言葉にした事で、その時の笑顔をまた思い出すことが出来たような気がする。そしてモヤっとしていた白い霧が晴れる様に、『岸辺の旅』の静かな海を思い出した私である。

 死は別れであると同時に、きっと、故人との新しい関係が築かれていく始まりでもあるのだろう。

(この文章は2015年11月29日に書いた内容に追記したものです)
 
蒼井優のアタリ役度:★★★★☆
(text:岡村 亜紀子)



『岸辺の旅』

2015/日本、フランス/128分

作品解説

湯本香樹実による同名小説を黒沢清監督が映画化。3年前に夫の優介が失踪した妻の瑞希は、その喪失感を経て、ようやくピアノを人に教える仕事を再開していた。ある日、突然帰ってきた優介は「俺、死んだよ」と瑞希に告げる。「一緒に来ないか、きれいな場所があるんだ」と言う優介の言葉に、瑞希は優介と2人で旅に出る。2人は優介が失踪からの3年間にお世話になった人々を訪ねていく旅の中で、お互いの深い愛を改めて感じていく。しかし、瑞希と優介の永遠の別れの時は刻一刻と近づいていた。

出演
薮内瑞希:深津 絵里
薮内優介:浅野 忠信
松崎朋子:蒼井 優
島影:小松 政夫
星谷:柄本 明

スタッフ

監督:黒沢 清
脚本:宇治田 隆史
撮影:芦澤 明子
照明:永田 英則
録音:松本 昇和
美術:安宅 紀史
編集:今井 剛
スタイリング:小川 久美子
音楽:大友良英、江藤 直子

公式ホームページ

劇場情報

アップリンクほか、全国順次公開中



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