2016年8月5日金曜日

フランス映画祭2016〜映画『太陽のめざめ』評text長谷部 友子


「待つというのは圧倒的な動詞」


6歳のマロニー (ロッド・パラド) は2カ月も学校を休んでいるため、母親(サラ・フォレスティエ)と共に家庭裁判所のフローランス判事(カトリーヌ・ドヌーヴ)から裁判所に呼び出される。シングルマザーとして二人の息子を育てる母親は若く、自身の楽しみを優先して大人になりきれない。判事に諭されると逆上し、「くれてやる!」と叫びマロニーを置いて立ち去ってしまう。子どもは親を選べない。これからの数々の苦難を予感させる6歳のマロニーを残して画面はおわる。

10年後、16歳となったマロニーは学校にも通わず非行を繰り返していた。マロニーと再会したフローランス判事は、似た境遇でありながら更生したヤンを教育係につけ、マロニーに優しく手を差し伸べながらも「次は刑事問題よ」と警告する。しかし次はすぐに訪れる。通りすがりの相手に暴力をふるい車を奪ったマロニーは、「反省しない。俺の人生だ」と言い放つ。それでもフローランス判事は検事が主張する少年院ではなく、より自由に過ごせる更生施設送りを決める。

教育係のヤン、更生施設の職員たちと多くの人がマロニーに手を差し伸べる。彼らの根気強さには目を見張るが、当のマロニーは「お前が俺に何をしてくれた」と吠え続け、何度も同じような過ちを繰り返す。6歳の子どもであればともかく16歳で、しかも自らが悔い改める気がないのだから、こんなに多くの人の時間と労力を割き、マロニーを助けなければならない理由を見つける方が難しいかもしれない。世界は理想と綺麗ごとのみで回ってはおらず、時間も人手も税金も有限で、もっと更生の可能性がある人に費やした方がよいのではとすら思わせる。

多くの人が現場で迷い、検事が更生は無理だと言っても、フローランス判事は最後までマロニーを見捨てることはない。彼女は言う。「私は単なる判事ではない。家庭裁判所の判事。子どもを救うのが仕事」だと。そして人々はことあるごとに、「判事は君を信じ、チャンスをくれた」とマロニーを諭す。
どんな境遇でも、生まれてきたすべての人間の可能性を信じる。そんな博愛と人生賛歌をただよわせる本作は、やはり王道のフランス映画なのかもしれない。

© 2015 LES FILMS DU KIOSQUE - FRANCE 2 CINÉMA - WILD BUNCH - RHÔNE ALPES CINÉMA – PICTANOVO

2015年第68回カンヌ国際映画祭は、エマニュエル・ベルコ監督作『太陽のめざめ』で開幕した。カトリーヌ・ドヌーヴに「彼女の書く脚本は1行たりとも直す必要がない」と絶賛されたエマニュエル・ベルコの才能は監督としてのみではなく、女優としても『モン・ロワ(原題)』において第68回カンヌ国際映画祭女優賞を獲得した。
エマニュエル・ベルコの監督作『太陽のめざめ』と、主演女優を務めた『モン・ロワ(原題)』には共通するテーマがある。それは、「10年」という歳月と「待つ」ということ。

待たれたことがない者は待つことができない。
マロニーが叫び続ける様を見て、そう思えた。彼は待たれたことがないのだ。彼のコップが満ちるまで、私たちは待ち続けるしかない。そのコップの容量は見えず、徒労と無為におそわれる。ヤンはうなだれ、検事は温情ではなく厳罰を求め、多くの人が何度も心が折れて諦めそうになる。

圧倒的なひらめきと出会いで、すべてが劇的に変化する。おとぎばなしみたいに。そんなわかりやすい救済なんてものはない。生活の何が苦しいって、それは毎日だからだ。堆積する時間とその重みに鈍く、ゆるくつぶされていく。

この混沌とし何一つ解決しない複雑な世界の中で、現実主義こそが最善なのだろうか。
妥当的な解決のみが推奨され、理想論を掲げようものならば勝手にやれと捨て置かれ、失敗した人間は自己責任の名のもと鞭打たれる。
妥当的に考えるのであれば、何度もチャンスを与えられながらも、その信頼に泥を塗り、全く更生の可能性を見せないマロニーは見限るべきかもしれない。
しかしマロニーが満ちるまで待ち続ける。そしてそこにこそ人間の尊厳がある。
多くの人が悩み惑う中、フローランス判事は道しるべとして起立する。諦めるなと。生き続けるということは待つということだと彼女は示し続ける。
待つという受動的なその行いは、時に圧倒的な能動性を含んでしまう。だからそう、「待つ」というのは圧倒的で最強の動詞なのだ。

(text:長谷部友子)

エマニュエル・ベルコ主演女優作『モン・ロワ(原題)』評も是非ご覧ください。『太陽のめざめ』とはまた違う「10年」と「待つ」ということが描かれた作品です。

*フランス映画祭2016〜映画『モン・ロワ(原題)』評text長谷部 友子
http://kotocine.blogspot.jp/2016/06/2016text.html




『太陽のめざめ』
原題:La Tête haute
2015年/フランス/119分

作品解説
2015年カンヌ国際映画祭で、『太陽のめざめ』で女性監督史上2度目のオープニング作品を飾り、主演した『モン・ロワ(原題)』で女優賞を獲得したエマニュエル・ベルコの監督最新作。主演には大女優カトリーヌ・ドヌーヴ。少年マロニーを演じたロッド・パラドは、フランスの2大映画賞リュミエール賞、セザール賞で新人賞を受賞した。今年6月に開催された、フランス映画祭2016にてオープニング作品として上映された。
親の愛を知らず人生に迷う少年と、引退間近の判事が出会い、新たな道をみつけるまでを描く感動の物語。家庭裁判所の判事のフローランスは、母親に置き去りにされた6歳の少年マロニーを保護する。10年後、16歳となったマロニーは、母親の育児放棄により心に傷を負い、学校にも通えず非行を繰り返していた。マロニーと再会したフローランスは、彼が人生をみつけられるように優しく手を差し伸べるが……。

キャスト
フローランス判事:カトリーヌ・ドヌーヴ
マロニー:ロッド・パラド
ヤン:ブノワ・マジメル
マロニーの母親:サラ・フォレスティエ
テス:ディアーヌ・ルーセル

スタッフ
監督/脚本:エマニュエル・ベルコ
脚本:マルシア・ロマーノ
撮影:ギヨーム・シフマン
編集:ジュリアン・ルルー

配給:アルバトロス・フィルム/セテラ・インターナショナル

公式ホームページ
http://www.cetera.co.jp/taiyou/

劇場情報
2016年8月6日よりシネスイッチ銀座ほか、全国順次公開予定

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【執筆者プロフィール】

長谷部友子 Tomoko Hasebe

何故か私の人生に関わる人は映画が好きなようです。多くの人の思惑が蠢く映画は私には刺激的すぎるので、一人静かに本を読んでいたいと思うのに、彼らが私の見たことのない景色の話ばかりするので、今日も映画を見てしまいます。映画に言葉で近づけたらいいなと思っています。

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