2016年7月29日金曜日

映画『二重生活』評text長谷部 友子

「尾行から倫理は立ち現れるのか?」


大学院で哲学を学ぶ白石珠(門脇麦)は修士論文のテーマとして「実存」を選ぶ。実存、つまり主観や客観を持ち出す以前の存在の状態、今ここにあるということについて。

しかしどのような手法でそれを研究すればよいのかわからない。無作為に選んだ100人にアンケートをとるという研究計画をたててみるものの、指導教官の篠原(リリー・フランキー)からそれは心理学や社会学の手法だと言われ、多数ではなく一人の人間に潜ること、つまりソフィ・カルのいう「哲学的尾行」の実践として、無作為に選んだ一人を尾行することをすすめられる。篠原と別れ、尾行することに抵抗を感じ決めかねている珠は、隣人である石坂(長谷川博己)を書店で見かけ、思わず後をつけてしまう。美しい妻、可愛い娘と幸せそうに暮らしているように見えた石坂だが、他の女性との激しいキスシーンを目撃し、石坂の二重生活から目が離せなくなる。

小池真理子の同名小説を本作が劇場映画デビュー作となる岸善幸監督が映画化した。もともとドキュメンタリーの監督であったからなのか、出演者たちはインタビューでしきりに「ドキュメンタリーのような」という言葉を口にする。 
尾行とはたいてい目的をもってされるものだ。不倫調査であるとか、ストーカー行為であるとか。理由なき尾行。石塚を尾行する珠、尾行する珠を見守る篠原。幾重にも絡まる視線の先に立ち現れるものは、たしかにドキュメンタリーのようにある種の乱暴さと無常さと、素っ気なく陳腐であるがゆえに考えずにはいられないものたちだ。

理由なき尾行の末に、珠の書き上げた論文が見事だ。
人には他人の人生を覗いてみたいという欲求が存在する。自分の生きなかった人生を生きてみたい、自分の身を他人の場所に置いてみたいというその欲求は好奇心の産物であり、下世話なものにすぎないのだろうか。珠は盗み見てしまったことの重みに翻弄され、他人の場所に身を置くことにより立ち現れる倫理ともいうべきものを体感していく。

哲学は古代ギリシアの頃から、「よく生きる」ことを探求し続けてきた。しかし私たちはそれに到達できない。渇望しながらも公正な愛なんてものがないことを知っている。傷ついたくせに、自分もまた裏切り、生き難さの中を日々泳ぐ。
結局のところ、追いかけていた者が翻って自身をあぶり出されるという古典的な手法かもしれない。しかし過ぎゆくものの無情さと陳腐さと、それでも問い続けずにはいられない者の彷徨いが行きつく先にあるものを見届けたいと思わせる作品だ。

(text:長谷部友子)




『二重生活』

2015年/126分/日本



作品解説
直木賞作家・小池真理子の同名小説を、ドラマ「ラジオ」で文化庁芸術祭大賞を受賞するなど、数多くのドラマやテレビ番組を手がける岸善幸の劇場デビュー作として映画化。門脇麦演じる大学院生が近所に住む既婚男性を尾行することで、他人の秘密を知ることに興奮を覚えていく。大学院の哲学科に通う珠は、担当教授のすすめから、ひとりの対象を追いかけて生活や行動を記録する「哲学的尾行」を実践することとなる。

キャスト
白石珠:門脇麦
石坂志郎:長谷川博己
鈴木卓也:菅田将暉
篠原弘:リリー・フランキー

スタッフ
監督:岸善幸
原作:小池真理子
脚本:岸善幸
エグゼクティブプロデューサー:河村光庸
プロデューサー:杉田浩光

劇場情報
渋谷HUMAXシネマほか全国公開中

公式ホームページ
http://nijuuseikatsu.jp

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【執筆者プロフィール】

長谷部友子 Tomoko Hasebe

何故か私の人生に関わる人は映画が好きなようです。多くの人の思惑が蠢く映画は私には刺激的すぎるので、一人静かに本を読んでいたいと思うのに、彼らが私の見たことのない景色の話ばかりするので、今日も映画を見てしまいます。映画に言葉で近づけたらいいなと思っています。

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