2015年11月4日水曜日

山形国際ドキュメンタリー映画祭 《映画批評ワークショップ体験記》vol.1 text佐藤 聖子

「2015ヤマガタ映画批評ワークショップ」に応募してみる


レビュー1つ書いたことのない自分。
年とともに膨れ上がる、新たなフィールドに入ってゆく怖さ。
心身ともにガタが来ている昨今、応募のハードルは高く見えました。

そもそもの発端は母なのだろう、と思います。世界中のあらゆる問題を、他人事ではないと感じる人でした。
母は「他人の痛みが分かる人になって欲しい」という願いを込めて私を育てたわけですが、私自身にも痛みがあること、簡単には知ることのできない深いところにも人の痛みがあること、それは誰からも教わらなかった気がします。

そのだいじな事実について、きちんと考えるようになったのは、ここ十数年くらいのことでしょうか。    
以来、様々な事象との向き合い方を模索してきました。

この世界に溢れる諸々のことがらは、知ることによって自分の問題となってしまうけれど、知らなければ何とかスルーしていられる、とでもいった感覚で過ごした時期もありました。 

けれど、いくら見ないようにしても、逃げ出そうとしても、余裕なんかなくても、つらいことはズカズカと自分の人生に踏み込んでくるものです。そんな当たり前のことが文字通り骨身にしみたのは、両親を相次いで亡くしたからかも知れません。

ALSの母とアルツハイマーの父。二人が同時に要介護状態になってからは、激流に翻弄される葉っぱのようにくるくると、方向感覚を失いながら生きていました。

宣告された余命よりほんの少し長く生きた母は、きれいに澄んだ秋の朝、まみえぬ人となりました。1年後の寒い日に、父もいなくなりました。

前回の山形国際ドキュメンタリー映画祭に観客として出かけて行ったのは、母の納骨の直後だったなぁ……と思い出しています。たまらない喪失感の中で見たドキュメンタリー映画には、それまで感じたことのない「光」のようなものがありました。希望とか、幸せとか、そんな言葉にできるものではなかったのですけれども、作品から、あるいは作り手から私への贈り物に思えたのです。

この贈り物をどうすればいいのだろう、そう思いながら2年が過ぎました。
たぶん誰かに渡してゆくものなのだと思いつつ、どう渡してゆけばいいのか分からずにいました。
終焉を迎えようとしている両親に、ビデオどころかカメラも向けられなかった私には、ドキュメンタリーとの関わり方が見えませんでした。

そこへワークショップの情報が入ってきました。

「これかもしれない……」

高いハードルなんて、どこにいる時でも、何をしている時でも、いくらでもあったよね。
まず応募しよう、そう思いました。

約1ヶ月後、山形行きの新幹線の中、心臓バクバクさせている自分がいたのでした。

(ワークショップ内容、海外からの参加者さん、監督さんたちについても、ぼちぼち書いてゆきますので、興味のあるところだけでも、お読みいただければと思います。)

山形国際ドキュメンタリー映画祭については、高橋雄太さんの体験記に詳細が書かれています(*)。

続く

ワークショップ応募チャレンジ度:★★★★★
(text:佐藤 聖子)

*関連レビュー:山形国際ドキュメンタリー映画祭2015訪問記」text 高橋 雄太
http://kotocine.blogspot.jp/2015/10/2015text.html


ヤマガタ映画批評ワークショップ

●10月9日-12日 [場所]山形まなび館

今回で3度目の開催となる、ヤマガタ映画批評ワークショップ。山形国際ドキュメンタリーにて、映画祭というライブな環境に身を置きながら、映画についての思慮に富む文章を執筆し、ディスカッションを行うことを奨励するプロジェクト。
応募して選考を通った若干名の参加者は、プロの映画批評家のアドバイスを受け、参加者が執筆した記事は、映画祭期間中に順次発表される。
※開催中にヤマガタ映画批評ワークショップの批評文がUPされた〈YIDFF live!〉

参加者はこのプロセスを通じて、ドキュメンタリー映画をより深く、より広い視点から理解することを可能にする映画批評の役割について考察、実践することになる。

今回は初の試みとして、国際交流基金アジアセンターと共催し、東南アジアからのワークショップ参加者を募る機会を設け、関連したシンポジウムも開催された。

ワークショップの使用言語は英語・日本語で、講師となる批評家はクリス・フジワラ、北小路隆志、金子遊の各氏。



山形国際ドキュメンタリー映画祭2015
●10月8日(木)〜15日(木)
公式ホームページ:http://www.yidff.jp/home.html

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