2015年11月17日火曜日

第28回東京国際映画祭 〜『FOUJITA』小栗康平監督 Q&A 〜 text 岡村 亜紀子

小栗康平監督の語る『FOUJITA』制作の背景、映画への思い


さる10月26日、オダギリジョーを主演に迎え画家・藤田嗣治の半生を描いた、小栗康平監督の映画『FOUJITA』が、第28回東京国際映画祭コンペティション部門でワールドプレミア上映されました。観賞後の余韻に包まれていたTOHOシネマズ六本木ヒルズ場内で行われた、小栗康平監督のQ&Aの様子をお伝えします。司会を勤めたのは、東京国際映画祭で作品選定ティレクターを勤める矢田部吉彦氏。


(C)TIFF 2015

Q. 言葉を失ってしまいますが、この崇高な作品を本当にありがとうございます。みなさんも落ち着かれる時間が必要かと思いますので、私から質問をさせて頂きたいと思います。監督は先ほど冒頭で(上映前の舞台挨拶)、数年間この『FOUJITA』の企画を手掛けられたとおっしゃいましたが、この2つの、戦前のパリ時代と戦中の時代(*1)を描く2部構成にするということは、最初から計画なさっていたのか、あるいはフジタの人生をどう描こうかと思われていくなかで、このような形にされていったのか、そこの経緯を教えて頂けますか?

A. ご存知のようにフジタは、実に沢山のエピソードを残した矛盾の多い生き方をした人ですね。それをなぞるようにして映画を作りたくないとまず思いました。絵を見て歩いたんですね。日本のあちこちのフジタの絵、それからフランスに行って。あらためてフジタの残した絵の静けさっていうんですかね、それに惹かれて、騒がしいエピソードではなくて絵の持つ静けさから映画が始まればいいんだ、っていうのが僕なりの手応えの始まりでした。

Q. 戦時中というのは必ずしも静かな時代ではなかったと、我々は想像してしまうのですけれども、監督は「アッツ島玉砕」(*2)の絵の中にも、ある種の静けさを感じられたという理解でもよろしいでしょうか?

A. そうです。20年代のパリと、戦時の日本……戦争中ではありますけれど空襲の場面も出征兵士を送る場面もありません。どこで戦争が行われているのだろうかと思われる程の静かな農村なんですね。ただそこで生きる人たちというのは、20年代のパリで生きているヨーロッパ人の在り方と、明治以降ほんとにこう近代国家の様相を、臣民……国民とも言えずにですね、天皇制のもとで臣民という様な、近代国家の形を取らざるをえなかった日本社会で戦争が進んでいった。色んなことをせずにこの2つの時代をしっかりと並置すれば、2つの時代、異なる文化を、歴史をまたいだフジタが、何を手にしたのか、何を引き裂かれたのか。それはおのずとあらわれる、というような考えだったでしょうか。

Q. ありがとうございます。オダギリジョーさんのキャスティングは最初から意識されていたのでしょうか?

A. 最初からです。先ほどの舞台挨拶でも皆さま感じられたと思いますけれども、猫と犬がいると彼は猫タイプですね。こうナヨーとしてですね。そのナヨーっとした感覚がなんともいいんですね。フジタにもそういう身体性があって。……伝記映画のように劇の折り目をつけて演じていく映画であればオダギリくんではなかったかもしれませんけれども、オダギリくんのそういう身体の感覚とフジタの絵がもっているものに、触っているような近い感じが重なり合うかなという感じでした。



FOUJITA
(c)2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド・フィルム・プロダクション

Q. おかっぱと丸眼鏡であれほどそっくりになってしまうというのは、最初から狙っていたのではなくて、オダギリさんをキャスティングされてからオダギリさんの顔も作っていくという感じだったのでしょうか?

A. そうですね。まぁ、そこそこカツラと眼鏡と指輪つければ、外見は似るもんだと思いますけれども、それよりもオダギリくんは中から出てくる何かがあったんだと思いますね。

Q. パリでの享楽的な生活と女性との関係の中で泳ぐフジタと、戦中の陸軍の一部として活動したようなフジタを描く、本当に難しい役柄で、解釈も演じ方も色々とある中で、監督とオダギリさんの間でフジタに関してどのようなディスカッションを行ったのか、あるいはオダギリさんにお任せしたのか、オダギリさんとのエピソードをお聞かせ下さい。

A. 撮影に入る前はもちろん色々と話しますけれども、衣装合わせをして読み合わせをしたり色んな話をするんですけれども、シーンの1つ1つについてこう演じて下さいとか、こうやりますというような話は一度たりともしてないですね。だからやってみるまでわからないということかな。頭で理解した人がいい芝居をするわけではなくてですね。僕がこの場面でどういうことを思い描いているか考えていることと、オダギリくんが思い描いていることがピッタリ重なっているかということは、あまり大きな問題ではないですね。それはオダギリくんの身体を通して演じているわけですから距離があっていいこと、むしろ距離の中で無言の理解があればいいわけですよね。

Q. 小栗監督という日本の誇る芸術作家が撮った映画で、夜の風景や村の風景をぱっと見ただけで、「小栗監督の新作だ」ということがわかります。芸術家としての小栗監督が、フジタという芸術家を扱うにあたって、お互いの美学がぶつかってしまう、喰いあってしまう、そういった葛藤のようなものは無かったんでしょうか?

A. 嬉しい事にというか、残念な事にというか、フジタのように売れた事は一度もありませんので、とてもじゃないけど一緒にはならないですね。ただ日本的な何かを持っていく形は同じですね。わたしは映画を作る時に、日本人としてとか、日本の文化としてやっていることは当然ベースとしてスタートするんですよね。日本的なものを、むき出しに外へ出して、海外へ出して、異文化へ出しても、必ずしも理解されない。フジタが生きていた100年前と比べて、今でも僕はそうだと思うんです。未だに日本の文化がむき出しに、海外で評価されるということは残念ながら無いでしょうけど、何かの仕掛けなり仕組みがあって、そこは以前としてギャップがあると思うんですよね。ですから映画をつくる上で、僕の掲げている事と、フジタが絵を描く時の……葛藤でしょうね、それはものを作る以上、みんなどこかで外へ出て行こうとすると抱える問題ではないでしょうか。

ここで矢田部氏から会場の観客へと、質問のバトンが移りいくつかの質問が挙げられました。

(C)TIFF 2015
Q. フジタがパリで言った「ばか騒ぎをすればするほど自分で近づいていくような気がする」というようなセリフがありましたが、それはどういう意味で、フジタのどういった面をあらわしていたのでしょうか?

A. 例に挙げて下さった様にフジタナイト(*3)の後のベッドの上でのセリフや、「アッツ島(玉砕)」の絵の前で敬礼した後東京に戻る列車の中でのセリフとか、いくつかフジタ自身の内面を語るところがあるますけれど、とても少ないです。観る側からすると感情移入しにくかったり、人物の内面が自分なりにつかめない不満が残るんだろうと思うんですけれど。こういうことを言ってしまうと、どんどんお客さんが少なくなってしまう心配はあるのですが、映画の理解を人物の心理とか内とか、そういうパーソナルな部分に、我々はいま求めすぎていないだろうかという反省があるんですね。それはやはり近来的な自我というようなものを、あまりにも信頼して、その自我を描く事が、映画であり小説であり表現である、という風にやっぱりなっている。その近来的な自我とか個人というのはどれほど孤独か、その人に託すだけの深さが果たしてあるんだろうか、と考えると映画にはもっと別の道があるという選択を僕はしたいんですね。

Q. キリスト教の教会(*4)の壁面全面に絵を描いたというのは聞いていましたが、それは2つの文化の中で揺れ葛藤したフジタの贖罪であったのか? 西洋回帰であったのか? それを決めたからああいう絵を描いたのでしょうか? 

A. 僕キリスト者(キリスト教徒)ではありませんので、教会をどう捉えるかについては人によって随分違うと思うんですけれども、具体的な信仰が何ということよりも、祈りという点で考えれば、やはり映っているものにこう……なにか祈る、それが僕はやっぱり映画の力だと思うのね。人の姿をみる、風景をみる、それがどう映っているのかを、静かに見つめると、もうほとんど祈りに近いんじゃないかという気がするんですね。それを待つ。その祈りがあらわれるまで待つ、そういう映画を目指したいなという風に思います。

© 2015「FOUJITA」製作委員会/ユーロワイド・フィルム・プロダクション


最後に司会を務めた矢田部氏から「監督、最後に何かひとことお願いします」と求められた小栗監督は「楽しんで頂けましたでしょうか?」と、少し遠慮がちに会場に呼びかけていました。場内の観客は大きな拍手でそれに応え、静かな熱を感じる内にワールドプレミアは幕を閉じましたが、『FOUJITA』は11月14日に劇場公開したばかり。是非会場に足を運んで、絵画のような美しい映像美と、オダギリジョーの演じたフジタの半生に出会って下さい。


*1 戦前のパリ時代と戦中の時代…ここでの戦争は第二次世界大戦を指す。
*2「アッツ島玉砕」…日本で軍に要請されて描いた、戦争協力画。
*3 フジタナイト…パリ時代に、フジタが女装して招待客を迎えたパーティー。
*4 教会…シャペル・ノートル=ダム・ド・ラ・ペ(通称シャペル・フジタ)。フランスのシャンパーニュ地方の町、ランスにある礼拝堂。 

「FOUJITA」 第28回東京国際映画祭 コンペティション部門正式出品作品 舞台挨拶にて
(text:岡村 亜紀子)

関連記事:東京国際映画祭 ~『FOUJITA』記者会見~ text :藤野 みさき





『FOUJITA』

2015/日本、フランス/126分

作品解説

パリが愛した日本人、レオナール・フジタ。フランスと日本、そして戦争という時代に生き、画家を全うしたフジタ。 その知られざる世界を、『埋もれ木』以来10年振りとなる小栗康平監督が静謐な映像美で描いた。

出演

藤田嗣治:オダギリジョー
君代:中谷美紀
ユキ:アナ・ジラルド
キキ:アンジェル・ユモー
フェルナンド:マリー・クレメール
寛治郎:加瀬亮
おばあ:りりィ
清六:岸部一徳

スタッフ

監督・脚本・製作:小栗康平
製作:井上和子、クローディー・オサール
音楽:佐藤聰明
撮影:町田博
照明:津嘉山誠
録音: 矢野正人
美術:小川富美夫
美術:カルロス・コンティ

公式ホームページ


劇場情報

11/14(土)角川シネマ有楽町、新宿武蔵野館 ほか全国ロードショー

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