クロード・ルルーシュ監督とフランシス・レイの音楽による名作『男と女』。
あれから50年。この名コンビによる、新たな大人の恋物語が生まれた。
半世紀後の舞台はフランスから遠く離れ、インド。
インドに傾倒していたフランス人女性が初めてインドを訪れ、荷物を一切合切盗まれて大使館に駆け込む。この女性はインド好きのインド知らずというべきか、おっちょこちょいというべきか。
かくして、大使に見初められた彼女はそのまま駐印フランス大使夫人となる。
映画の国インド。同じく映画の国フランス。
インド映画の劇伴を依頼された作曲家は、恋人であるピアニストをフランスに残し、インドを訪れる。なんだか頭が痛い。
大使との晩餐会なんて行きたくもなさそうな顔である。しかし義理は欠かせぬ。
かくして、フランス大使の妻と作曲家は出会う。
フランス大使夫人、アンナ。作曲家、アントワーヌ。
よくしゃべり、よく笑い、またしゃべり続けるアンナ。インドの思想について滔々と語るアンナ、ただ呆然と聞くしかないアントワーヌ。その顔はおしゃべりを聞き疲れたのか頭が痛いのか、もしくはその両方か。
話はあっちこっちに飛躍する。アンナは、愛する人の子どもが欲しいので、南インドの聖者アンマに会いに行き、願いを聞いてもらうという。ニューデリーからムンバイを経て南インド・ケーララへ。遠い。
アンナは一人で出かけるという。どういう経緯でアントワーヌが同行することになったのか。彼の頭痛のタネが原因なのかもしれない。インドの奇跡を信じる、という能天気なアンナに、ちょっと乗ってみたのかもしれない。もしくは、飛行機などで直行するならまだしも、いたって普通に電車やバスや船で行くというアンナが心配になったのかもしれない。どこか危なっかしく、放っておけない雰囲気を醸し出すアンナである。
かくして、旅は道連れ世は情け、フランス人男女ふたりのインド縦断がはじまる。
さて。あくまでもこのふたり、恋人同士というわけではない。という建前である。女は男に惚れ、積極的に口説きにかかり、男は若干腰がひける。しかし男のほうもまんざらではなく、ガンジス川で身を清める女の美しさに目を奪われたことを隠そうともしない。もっとも、それは自分が誘惑された、という都合のいい解釈で片付けられたが。彼は、勝手に寄って来る女たちを拒まない性質なのだろう。うらやましい限りである。
かくして男と女の距離はどんどんと近くなっていく。
とはいっても、このふたりにはお互いパートナーがいる。常に携帯電話は手放せない。アンナとアントワーヌ、共に優雅なひと時を過ごしながらも携帯電話の向こうにいるのは別の愛する人である。電話の向こうで待つ人に「ひとりでいる」と言うのは嘘である。なぜだろうか。携帯電話は鎖のように彼らをつなぎ、また一方で「騙す」道具にもなり得る。
彼らはなぜこんなにも堂々と、愛する人に嘘をつくことができるのだろうか?
あれから50年。この名コンビによる、新たな大人の恋物語が生まれた。
半世紀後の舞台はフランスから遠く離れ、インド。
インドに傾倒していたフランス人女性が初めてインドを訪れ、荷物を一切合切盗まれて大使館に駆け込む。この女性はインド好きのインド知らずというべきか、おっちょこちょいというべきか。
かくして、大使に見初められた彼女はそのまま駐印フランス大使夫人となる。
映画の国インド。同じく映画の国フランス。
インド映画の劇伴を依頼された作曲家は、恋人であるピアニストをフランスに残し、インドを訪れる。なんだか頭が痛い。
大使との晩餐会なんて行きたくもなさそうな顔である。しかし義理は欠かせぬ。
かくして、フランス大使の妻と作曲家は出会う。
フランス大使夫人、アンナ。作曲家、アントワーヌ。
よくしゃべり、よく笑い、またしゃべり続けるアンナ。インドの思想について滔々と語るアンナ、ただ呆然と聞くしかないアントワーヌ。その顔はおしゃべりを聞き疲れたのか頭が痛いのか、もしくはその両方か。
話はあっちこっちに飛躍する。アンナは、愛する人の子どもが欲しいので、南インドの聖者アンマに会いに行き、願いを聞いてもらうという。ニューデリーからムンバイを経て南インド・ケーララへ。遠い。
アンナは一人で出かけるという。どういう経緯でアントワーヌが同行することになったのか。彼の頭痛のタネが原因なのかもしれない。インドの奇跡を信じる、という能天気なアンナに、ちょっと乗ってみたのかもしれない。もしくは、飛行機などで直行するならまだしも、いたって普通に電車やバスや船で行くというアンナが心配になったのかもしれない。どこか危なっかしく、放っておけない雰囲気を醸し出すアンナである。
かくして、旅は道連れ世は情け、フランス人男女ふたりのインド縦断がはじまる。
さて。あくまでもこのふたり、恋人同士というわけではない。という建前である。女は男に惚れ、積極的に口説きにかかり、男は若干腰がひける。しかし男のほうもまんざらではなく、ガンジス川で身を清める女の美しさに目を奪われたことを隠そうともしない。もっとも、それは自分が誘惑された、という都合のいい解釈で片付けられたが。彼は、勝手に寄って来る女たちを拒まない性質なのだろう。うらやましい限りである。
かくして男と女の距離はどんどんと近くなっていく。
とはいっても、このふたりにはお互いパートナーがいる。常に携帯電話は手放せない。アンナとアントワーヌ、共に優雅なひと時を過ごしながらも携帯電話の向こうにいるのは別の愛する人である。電話の向こうで待つ人に「ひとりでいる」と言うのは嘘である。なぜだろうか。携帯電話は鎖のように彼らをつなぎ、また一方で「騙す」道具にもなり得る。
彼らはなぜこんなにも堂々と、愛する人に嘘をつくことができるのだろうか?
監督はこうコメントする。
「愛はこの映画の唯一のテーマだ。
愛に限界はない。
誰かが誰かを深く愛していても
別の人間を好きになることもあるということを描きたかった。
私にとって愛とは、あらがうことのできない麻薬のようなものだ。」
あらがうことのできない麻薬。なんという甘美な響きであろう。
愛に満たされた人生を楽しむということは、一時の火遊びと、満たされた日常、その両方を味わい尽くすという貪欲さなのだろう。「大人の恋」という美しい言葉は、己の欲望にどこまでも忠実であることと、ここではほぼ同義である。
アンナは、今まで全てを手に入れてきた。ただ一つ手に入れていないものは「愛する人の子ども」。それを手に入れるために、南インドまでやってきた。さて、仮にこの欲望を本能のなせるものとするならば、はたして「愛する人」とは誰なのか。
一方アントワーヌは一体何を欲しがっているのか。名声も恋もすでに手の内にある彼は、どこまでアンナを愛しているのか。彼の軽やかさは、その本心を隠しているようでもある。むしろ自らが欲していない諸々から自由でありたいように見えるのだが。
さて、この物語は、美しい言葉の裏の「嫉妬」にも視線を送る。非常に現代的な方法で、ふたりの愛、嫉妬に阻まれた愛は暴き出される。この上なく甘美で、あらがうことのできない麻薬の快楽は、どうしようもない苦しみを伴う。ひょっとしたら、ひと時の苦しみを経て、なお次の快楽を求めるのかもしれないが。
全てに満たされているように見える人々の物語である本作とは対照的に、『男と女』は、喪失感を抱え、なお愛を求める人々の物語である、ということを忘れてはならない。どんなに満たされていても、また、苦しみを経験していても、どちらにしても人は愛を求める生き物なのだろう。
酒と産に懲りたものはいない、という。愛も同じだ。
子どもが欲しいアンナと、頭痛のタネを抱えたアントワーヌ。
欲しいものは欲しいと態度に表しても、欲しいものを全て手に入れることはなかなか難しい。
南インドの聖者アンマの奇跡はどのように顕現するのだろうか。
さて。50年前に想いを馳せる。
『男と女』。思い出すと即座にテーマソングを口ずさんでしまうという方も多いのではないだろうか。それほど印象的な楽曲である。
この『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲』でも、「音楽」は大きな役割を担う。
若い男女の恋物語を彩る音楽。現地のオーケストラが奏でる。作曲はアントワーヌ。
また、広大なインドの風景をより旅情豊かなものとする壮大な劇伴。懐かしい、古き良き時代の香りが漂う。
さて。フランシス・レイは飛行機が嫌いなのだと聞く。海外にも滅多に出ることがないと聞く。あくまでも聞いた話である。が、しかし。
クロード・ルルーシュは映画音楽家アントワーヌにフランシス・レイを重ね合わせ、彼を旅に出したのかもしれない。飛行機に乗ってインドに飛び、異国の光景を見、列車の中で美しい女性と恋に落ちる、そんな「いたかもしれないもう一人のフランシス」をそこに存在させたのかもしれない。
そう考えると少し楽しい。
「愛はこの映画の唯一のテーマだ。
愛に限界はない。
誰かが誰かを深く愛していても
別の人間を好きになることもあるということを描きたかった。
私にとって愛とは、あらがうことのできない麻薬のようなものだ。」
あらがうことのできない麻薬。なんという甘美な響きであろう。
愛に満たされた人生を楽しむということは、一時の火遊びと、満たされた日常、その両方を味わい尽くすという貪欲さなのだろう。「大人の恋」という美しい言葉は、己の欲望にどこまでも忠実であることと、ここではほぼ同義である。
アンナは、今まで全てを手に入れてきた。ただ一つ手に入れていないものは「愛する人の子ども」。それを手に入れるために、南インドまでやってきた。さて、仮にこの欲望を本能のなせるものとするならば、はたして「愛する人」とは誰なのか。
一方アントワーヌは一体何を欲しがっているのか。名声も恋もすでに手の内にある彼は、どこまでアンナを愛しているのか。彼の軽やかさは、その本心を隠しているようでもある。むしろ自らが欲していない諸々から自由でありたいように見えるのだが。
さて、この物語は、美しい言葉の裏の「嫉妬」にも視線を送る。非常に現代的な方法で、ふたりの愛、嫉妬に阻まれた愛は暴き出される。この上なく甘美で、あらがうことのできない麻薬の快楽は、どうしようもない苦しみを伴う。ひょっとしたら、ひと時の苦しみを経て、なお次の快楽を求めるのかもしれないが。
全てに満たされているように見える人々の物語である本作とは対照的に、『男と女』は、喪失感を抱え、なお愛を求める人々の物語である、ということを忘れてはならない。どんなに満たされていても、また、苦しみを経験していても、どちらにしても人は愛を求める生き物なのだろう。
酒と産に懲りたものはいない、という。愛も同じだ。
子どもが欲しいアンナと、頭痛のタネを抱えたアントワーヌ。
欲しいものは欲しいと態度に表しても、欲しいものを全て手に入れることはなかなか難しい。
南インドの聖者アンマの奇跡はどのように顕現するのだろうか。
さて。50年前に想いを馳せる。
『男と女』。思い出すと即座にテーマソングを口ずさんでしまうという方も多いのではないだろうか。それほど印象的な楽曲である。
この『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲』でも、「音楽」は大きな役割を担う。
若い男女の恋物語を彩る音楽。現地のオーケストラが奏でる。作曲はアントワーヌ。
また、広大なインドの風景をより旅情豊かなものとする壮大な劇伴。懐かしい、古き良き時代の香りが漂う。
さて。フランシス・レイは飛行機が嫌いなのだと聞く。海外にも滅多に出ることがないと聞く。あくまでも聞いた話である。が、しかし。
クロード・ルルーシュは映画音楽家アントワーヌにフランシス・レイを重ね合わせ、彼を旅に出したのかもしれない。飛行機に乗ってインドに飛び、異国の光景を見、列車の中で美しい女性と恋に落ちる、そんな「いたかもしれないもう一人のフランシス」をそこに存在させたのかもしれない。
そう考えると少し楽しい。
(text:井河澤智子)
『アンナとアントワーヌ 愛の前奏曲(プレリュード)』
原題:Un + Une
2015年/フランス/114分
(上映日時:6/26(日)10:30、会場:有楽町朝日ホール)
作品解説
映画音楽作曲家のアントワーヌは、自分が曲を書いてきた映画の主人公のように、人生を謳歌していた。ある日、映画音楽のためにインドを訪れたアントワーヌは、フランス大使の妻アンナに出会う。愛する夫との間に子供を授かりたいと願うアンナは伝説の聖母アンマに会うためにインド南部の村まで旅に出る。多忙なアントワーヌもしばしの休養を求め、アンナを追って2日間の旅に出かけることを決めたが……。
男女の恋愛の機微を描く名手クロード・ルルーシュ監督と作曲家として世界的名声を得ているフランシス・レイ。その名コンビが作り上げた大人の恋愛映画。
映画音楽作曲家のアントワーヌは、自分が曲を書いてきた映画の主人公のように、人生を謳歌していた。ある日、映画音楽のためにインドを訪れたアントワーヌは、フランス大使の妻アンナに出会う。愛する夫との間に子供を授かりたいと願うアンナは伝説の聖母アンマに会うためにインド南部の村まで旅に出る。多忙なアントワーヌもしばしの休養を求め、アンナを追って2日間の旅に出かけることを決めたが……。
男女の恋愛の機微を描く名手クロード・ルルーシュ監督と作曲家として世界的名声を得ているフランシス・レイ。その名コンビが作り上げた大人の恋愛映画。
キャスト
アントワーヌ:ジャン・デュジャルダン
アンナ:エルザ・ジルベルスタイン
サミュエル:クリストファー・ランバート
アリス:アリス・ポル
スタッフ
監督/原案/脚本:クロード・ルルーシュ
音楽:フランシス・レイ
配給:配給:ファントム・フィルム
公式ホームページ
http://anna-movie.jp/
アントワーヌ:ジャン・デュジャルダン
アンナ:エルザ・ジルベルスタイン
サミュエル:クリストファー・ランバート
アリス:アリス・ポル
スタッフ
監督/原案/脚本:クロード・ルルーシュ
音楽:フランシス・レイ
配給:配給:ファントム・フィルム
公式ホームページ
http://anna-movie.jp/
劇場情報
2016年9月3日(土)~Bunkamuraル・シネマほかにて公開予定
元図書館員。セミナー影ナレ・会議司会・選挙ウグイス・謎のアプリ声優・婚礼司会(修業中)など、こっそりと声の仕事をしつつ、映画との関わりを模索中。
図書館勤務だった頃
「候孝賢」で蔵書検索してもヒットしない
という相談に即答できたときは
「映画好きでよかった」と思いました。
2016年9月3日(土)~Bunkamuraル・シネマほかにて公開予定
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【執筆者プロフィール】
【執筆者プロフィール】
井河澤 智子 Tomoko Ikazawa
図書館勤務だった頃
「候孝賢」で蔵書検索してもヒットしない
という相談に即答できたときは
「映画好きでよかった」と思いました。
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フランス映画祭2016
毎年初夏に開催され、⼤勢の観客で⼈気を集めているフランス映画祭。2012年より地方でも開催され、今年も福岡、京都、⼤阪で開催されます。今年はキャッチコピーに「フレンチシネマで旅する4日間 in 有楽町」を掲げ、多様なシチュエーションの中を旅するような、13作品のラインナップとなっていますが、ほぼ半数の6作品が⼥性監督によるものであることが特徴的です。オープニング作品は、カトリーヌ・ドヌーブが主演を 務める『太陽のめざめ』。その他、10年振りの来日となる今年の団⻑・イザベル・ユペールの出演作『愛と死の谷』と『アスファルト』や、今年亡くなったジャック・リヴェット監督の追悼上映として、デビュー作『パリはわれらのもの』が デジタルリマスター上映されます。
映画祭に花を添える⼒強いゲスト陣は、オープニング 作品『太陽のめざめ』の監督であり『モン・ロワ(原題)』の主演⼥優でもあるエマニュエル・ベルコ、今年のカンヌ映画祭の オープニングの司会を務める予定となっている俳優ローラン・ラフィット、など多彩で豪華な顔ぶれが揃います。24日に行われるオープニングセレモニーでは、来日するゲストに加え、今年のカンヌ国際映画祭〈ある視点部門〉に『海よりもまだ深く』が正式出品された是枝裕和監督と、最新作『淵に立つ』が同部門の審査員賞に輝いた深田晃司監督が登壇します。その他、作品上映時に行われるトークショーでもゲストとの交流を楽しむことが出来ます。
また、アンスティチュ・フランセ日本では「恋愛のディスクール 映画と愛をめぐる断章」と題して、恋愛にまつわる作品を特集し、20〜30年代から現在にいたるまで撮られた恋愛映画の特集上映が7月まで行われています。
是非、素敵なフランス映画と出会いに劇場に足を運んでみてください。
また、アンスティチュ・フランセ日本では「恋愛のディスクール 映画と愛をめぐる断章」と題して、恋愛にまつわる作品を特集し、20〜30年代から現在にいたるまで撮られた恋愛映画の特集上映が7月まで行われています。
是非、素敵なフランス映画と出会いに劇場に足を運んでみてください。
〈開催概要〉
開催日程:6/24(金)〜27(月)
会場:有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ 日劇
公式サイト:www.unifrance.jp/festival
Twitter:@UnifranceTokyo
Facebook:https://www.facebook.com/unifrance.tokyo
開催日程:6/24(金)〜27(月)
会場:有楽町朝日ホール、TOHOシネマズ 日劇
公式サイト:www.unifrance.jp/festival
Twitter:@UnifranceTokyo
Facebook:https://www.facebook.com/unifrance.tokyo
主催:ユニフランス
共催:朝日新聞社
助成:在日フランス大使館/アンスティチュ・フランセ日本
協賛:ルノー/ラコステ/エールフランス航空
後援:フランス文化・コミュニケーション省-CNC/TITRA FILM
特別協力:TOHOシネマズ/パレスホテル東京
Supporting Radio:J-WAVE 81.3FM
協力:三菱地所/ルミネ有楽町/阪急メンズ東京
運営:ユニフランス/東京フィルメックス
宣伝:プレイタイム
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特集上映「恋愛のディスクール 映画と愛をめぐる断章」
会場:アンスティチュ・フランセ東京
http://www.institutfrancais.jp/tokyo/events-manager/cinema1604150709/
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