2016年9月24日土曜日

山形国際ドキュメンタリー映画祭 《映画批評ワークショップ体験記》 vol.3text佐藤 聖子

【その3】 映画との出逢い


「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー 
 ―山形in東京2016

9月17日から始まりました!
山形で上映されたすべての映画が上映されるわけではありませんが、見逃してしまった作品をできるだけいっぱい見たいです。
ドリームショーに合わせて、今回は、山形で見てきた映画を一部ご紹介。


1.『訪問、あるいは記憶、そして告白』(Visita ou Memórias e Confissões)
 監督:マノエル・ド・オリヴェイラ
開会式上映作品。
オリヴェイラ監督の自伝的映画。妻のマリア・イザベルに捧げられたこの作品は1982年に制作されたが、自身の死後に発表されるようシネマテーカ・ポルトゲーサに預けられていた。
「30余年もの間、眠っていた映画」である。この人が居たんだ、この映画を遺したんだ、と思う。
現在、オリヴェイラ監督の追悼特集が各地で上映されている。
http://jc3.jp/oliveira/ 


2.『桜の樹の下』(Under the Cherry Tree)
 監督:田中圭


初レビューを書かせていただいた作品。
田中監督は『ドキュメンタリーマガジンneoneo #06』に、この映画を撮るに至った背景を執筆されている。


3.『船が帰り着く時』(When the Boat Comes In)
 監督:キン・マウン・チョウ


ミャンマー南部の漁村で借金返済のために漁をする男とその家族。中心に妻を据えて描いている。
記録に対する大らかな誠実さ、とでも呼びたいものを感じる。 
質疑応答で、現在のミャンマーにおけるドキュメンタリー映画や表現の自由について質問させていただいた。2011年まではドキュメンタリーの制作が難しかったが、今は自由に表現できるとのこと。


4.『レバノン1949』(Lebanon 1949)+講談:宝井琴柑
 監督:ネーイフ・フーリー

 『レバノン内戦』(Lebanese Civil War)
 日本語版制作:パレスチナに連帯する日本人映画グループ、若松プロダクション

 『ベイルート PLO撤退からパレスチナ大虐殺まで』(Beirut 1982) 』
 製作:布川プロダクション

貴重な映像。二度と見られないかも知れない、と必死で見た。
『レバノン1949』は、こんな時代があったのかと驚きを感じるほど、長閑な家族の記録が延々と流れる。
3本を続けてみることで、レバノンの変遷が見えてくるかと思ったが、そこまで単純なものではなかった。
『レバノン内戦』では銃撃戦のさなかに、楽しそうに遊んでいた家族の映像が「取り戻せない過去」のように重なった。
一度始まってしまった戦いは、簡単に終結するものではないという恐怖を感じた。その間に、どれだけのものが破壊され、傷つくのだろう。
「紛争」や「戦争」は、映像の中で見慣れたものになっているが、「スクリーンは防波堤ではない」ことを考えた。


5.『太った牛の愚かな歩み』(Foolish Steps of a Fat Cow)
 監督:ガージ・アルクッツィ


同性愛者である監督のモノローグ。
「赦しを求める旅」の道程で、誰に何を赦されたいのかが少しずつ明らかになってゆく。パーソナルな作品だが、「罪」の背景に社会や宗教が見え隠れする。
監督は、「ライナスの毛布」のように優しい人だった。


6.『太陽の子』(Anak Araw)
 監督:ジム・ランベーラ

言語を通して描き出される文化的冒険ファンタジー(?)。他言語や他文化を知ろうとすることは一種の冒険である、という視点が興味深い。言葉が持つヒーロー性と、翻訳の際に失われる響きの存在を感じた。
世界の共通言語となっている英語や洗練された西洋文化へのアンビバレントな感情は自分にもあるなぁ、と思う。
英語の話せない私を励ましてくれたのも、この監督さんだった。


7.『三里塚に生きる』(The Wages of Resistance :Narita Stories)
 監督:大津幸四郎、代島治彦

©三里塚に生きる製作委員会

昨年見たドキュメンタリー映画の中で、個人的に一番印象深い作品。
英語のタイトルに「Resistance」とあるように政治的な映画かと思っていたが、私が見たものは「時間」と「人」だった。
次作『三里塚のイカロス』制作中とのこと。上映が待ち遠しい。


8.『たむろする男たち』(Standing Men)
 監督:マーヤ・アブドゥル=マラク


パリのとあるコールショップ(遠距離通話が割安でかけられる店)が舞台。そこに集う中東からの出稼ぎ労働者たちと、かつて監督の父親が家族に送った古い手紙によって作品が編まれてゆく。彼らと母国との距離は、物理的なものでありながら、また心情的なものであり、常に変動していると感じられた。
故郷を離れて暮らす者が抱く想いは、国、人種、文化、個人の体験に関わらず共感を誘うのかも知れない。
家族へ送る「庭のオリーブの木によろしく」というメッセージに、ぽろぽろと涙が出て自分でも驚いた。唯一、泣いてしまった作品。
(自分の記憶に自信がないので、もし映画の中にそのメッセージがなくてもご容赦ください)


9.『アスマハーンの耐えられない存在感』(The Unbearable Presence of Asmahan)
 監督:アッザ・エル=ハサン


1940年代エジプト映画でスターになった伝説的歌姫アスマハーンに、どうしようもなく惹かれる。この魅力があったからこそ彼女の存在感は厄介であり、タイトルの「耐えられない」まで膨れ上がったのだろう。上映後のトークで「人物崇拝をやめようという運動がアラブの春だという見方もある」と解説があった。
作品の所々に織り込まれた40年代の映画は、現代の厳格なアラブからは想像もつかない艶と華に満ちている。廃墟となった撮影所を案内する男が「あの頃のエジプトは本当に自由だった」と懐古する。これからのアラブはどうなってゆくのだろう……。


10.『マリア・サビーナ 女の霊』(Maria Sabina,Woman Spirit)
 監督:ニコラス・エチェバリア


メキシコ中部マサテコ族の女性マリア・サビーナは、幻覚作用のあるキノコを用いて儀礼を行う優れた治病シャーマンであった。この撮影から5年後に世を去った。世界のどこにもいない人が、記録の中で圧倒的な生命力を放つことに驚き、そして少し怖く感じた。この映画に彼女の魂が移ったと信じる人がいても不思議ではない。
「先住民の宗教とキリスト教の融合」に関しては、私が想像していた以上に自然なこと、逆にどう分離すればいいのかという次元まで一体化しているようであった。


11.『学校に行きたい』(A School of My Own)
 監督:ガルギ・セン


ヒマラヤ山脈のふもとで暮らす人々。親は子どもに教育を受けさせたいと願い、子どもたちも学校へ行きたいと願っている。貧しい生活の中に位置づけられた「学校」という存在は、彼らに知識だけではなく夢と誇りをもたらしているようであった。
日本には「学校に行きたくない」子どもたちがたくさんいること、教育が夢や誇りに結びつきにくいことを改めて考える。


12.『蛇の皮』(Snakeskin)
 監督:ダニエル・フイ


催眠的な導入だった。監督による静かなトーンのナレーションは語り部を思わせ、炎のゆらめきは太古の生物に見えた。シンガポールの歴史が、架空の存在や神話と交錯し、その幻想的な時空に今を生きる人々の顔が浮かび上がる。入り組んでいて分かりにくい部分もあったが、それを補って余りある見応えだった。
20代の監督が撮ったとは思えない作品。フイ監督は、センスと才能の塊みたいな人に見えた(しかも監督さんはモテモテとの噂だった。天は気前よくなれる人に対しては、二物どころか何物でも与えるようだ)。


13.『女たち、彼女たち』(Us women. Them women)
監督:フリア・ペッシェ


アートディレクターでもあるペッシェ監督による初の長編映画。5年の歳月を費やして完成を見た。描かれているのは監督自身が「自分の核」と呼ぶ家族の歴史である。9人の女性たちの命や想いが、緩やかに受け継がれていく。
『女たち、彼女たち』は、女性から生まれた全ての人の物語であり、命の記憶である。それらを繋ぐ臍帯のようなこの映画は、余韻まで美しかった。


ドキュメンタリー映画に浸る幸せ度:★★★★★
(text:佐藤聖子、
 画像提供:山形国際ドキュメンタリー映画祭事務局)


関連レビュー:
*山形国際ドキュメンタリー映画祭 《映画批評ワークショップ体験記》 vol.1
text佐藤 聖子
http://kotocine.blogspot.jp/2015/11/vol1-text.html

*山形国際ドキュメンタリー映画祭 《映画批評ワークショップ体験記》 vol.2
text佐藤 聖子
http://kotocine.blogspot.jp/2016/02/vol2-text.html

*山形国際ドキュメンタリー映画祭2015訪問記」
text 高橋 雄太
http://kotocine.blogspot.jp/2015/10/2015text.html

劇場情報
「ドキュメンタリー・ドリーム・ショー ―山形in東京2016」
9月17日(土)〜10月7日(金)に新宿K's cinemaにて開催中
公式ホームページ:http://cinematrix.jp/dds2016/

ヤマガタ映画批評ワークショップ
(2015年10月9日〜12日に山形まなび館にて既開催)
・今回で3度目の開催となる、ヤマガタ映画批評ワークショップ。山形国際ドキュメンタリーにて、映画祭というライブな環境に身を置きながら、映画についての思慮に富む文章を執筆し、ディスカッションを行うことを奨励するプロジェクト。
・応募して選考を通った若干名の参加者は、プロの映画批評家のアドバイスを受け、参加者が執筆した記事は、映画祭期間中に順次発表される。
※開催中にヤマガタ映画批評ワークショップの批評文がUPされた〈YIDFF live!〉
・参加者はこのプロセスを通じて、ドキュメンタリー映画をより深く、より広い視点から理解することを可能にする映画批評の役割について考察、実践することになる。
・今回は初の試みとして、国際交流基金アジアセンターと共催し、東南アジアからのワークショップ参加者を募る機会を設け、関連したシンポジウムも開催する。
・ワークショップの使用言語は英語・日本語で、講師となる批評家はクリス・フジワラ、北小路隆志、金子遊の各氏。


山形国際ドキュメンタリー映画祭2015
●2015年10月8日(木)〜15日(木)※既開催
公式ホームページ:http://www.yidff.jp/2015/2015.html

山形国際ドキュメンタリー映画際2017
2017年10月5日(木)〜12日(木)開催予定
公式ホームページ:http://www.yidff.jp/2017/2017.html

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【執筆者プロフィール】

 佐藤聖子 Seiko Satoh

福祉のお仕事を転々として、今は児童福祉施設の非常勤。時給が湿布代で飛んでゆくことに「人生」を感じている。
映画のような夢を見た朝の微睡みが好き。

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