2016年2月14日日曜日

【アピチャッポン特集】映画 アートプログラム『国歌』評 text長谷部 友子

「エアロビとエネルギー」


一時期、新人賞を獲った小説ばかり読んでいたことがある。処女作は、概して完成度は低いし、練られておらず、雑さが目立つ。しかしその分と言っては何だが、粗削りの勢いがあり、切れ味がよく、その後総合力を身につけ、見えにくくなってしまう作者の本質をざっくりと表出させる。それが面白かった。
アートプログラムにおいて上映された『国歌』は、アピチャッポンの初期の作品というわけではないが、なぜか新人賞の作品たちを思い出した。長編では隠されてしまうアピチャッポンのエッセンスともいうべきものが、五分というこの短い作品には凝縮されている。

女性たちが水辺のベランダのような場所で話している。今一つ話は噛み合わず、突如ラジカセの音楽が大きくなり、体育館のバドミントンコートが映し出される。バドミントンが行われる体育館を360度カメラがゆっくりとすべるように回っていく。この唐突な場面転換。バドミントンのラリーは続かない。まるで先程の噛み合わない会話のように。そしてバドミントンの隣では激しいエアロビのようなダンスが繰り広げられる。

アピチャッポン映画の十八番ともいえる、このエアロビ。『世紀の光』の音楽とエアロビからなる多幸感溢れるラストシーン。『トロピカル・マラディ』でもエアロビのダンサーにウインクする場面がある。タイにおいてエアロビは一般的なのかもしれないが、それにしてもアピチャッポンの映画におけるこのエアロビのシーンは、きらきらとした軽やかさを映しながらも、一抹のもの悲しさと切なさを感じさせる。動き出してしまうということ。そこに運動があり、エネルギーがある。エアロビのダンスは、世界が動き出してしまっているという仕様もなさを思わせる。

同じ事象を見ていても、こちら側から見ると単調な会話をする女性たちに見える。けれど、そちら側から見れば続かないバドミントンのラリーと、激しく踊るエアロビ、そう分子が運動しあうようなエネルギーの流れに見える。

アピチャッポン映画のテーマでもある境界。境界の中で運動しあうエネルギー、それらは境界を越え、侵食しあおうとしながらも、寸前のところで境界内にとどまり共存しあう。境界と浸食と共存を、エアロビとエネルギーを、つまりアピチャッポンの世界観が思う存分盛り込まれた五分間だ。

(text:長谷部友子)

 

作品解説

アートプログラム<中・短編集> 
104分/台詞のある作品はすべて日本語字幕付きで上映

 『国歌』(The Anthem) 
2006年/5 分 
タイの映画館では、本編上映前に国歌が流れる慣習を独自にアレンジした短編作品。

*その他、アートプログラム〈中・短編集〉で上映された作品☟

『Worldly Desires』  
2005年/42分32秒
韓国チョンジュ映画祭の企画『三人三色』で制作した映画内映画。

 『エメラルド』(Emerald) 
2007年/11分
80 年代バンコクで隆盛を極めるが、閉館してしまったエメラルド・ホテル。その場所の記録と記憶。

 『My Mother’s Garden』 
2007年/6分42秒
 仏・ディオール社のジュエリー・デザイナーの宝石コレクションを撮影。アピチャッポンの母が蘭を育てた庭をイメ ージ。

『ヴァンパイア』(Vampire)
2008年/19分 
ルイ・ヴィトンに“旅”をテーマにした映像作品を依頼され、自らタイとミャンマーの国境付近へ。そこにはヴァンパイア鳥の伝承があり......。 

『ナブアの亡霊』(Phantoms of Nabua)
2009年/10分43秒
 映像インスタレーション「プリミティブ」プロジェクト(09)と同時制作。タイ・ナブア村で少年らが燃やすものは?
“Phantoms of Nabua” 2009 ⓒ Apichatpong Weerasethakul. Courtesy of SCAI THE BATHHOUSE.

©Apichatpong Weerasethakul. Courtesy of SCAI THE BATHHOUSE

『木を丸ごと飲み込んだ男』(A Man Who Ate an Entire Tree)
2010年/9分 
タイの野生林で伐採を始めた男は、やがて、自然のドラッグ作用で自分をコントロールできない状態に......。

配給:ムヴィオラ

公式ホームページ

劇場情報

「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の旧作長編+アートプログラムを特集上映!

期日:2016年1月9日〜2月5日
場所:シアター・イメージフォーラム

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