2016年2月5日金曜日

【アピチャッポン特集】映画『ブリスフリー・ユアーズ』評 text高橋 雄太

越境

内と外、都市と自然、虚構と現実……多くの境界を越えていく作品である。

映画は突然始まる。ファーストシーンは病院。中年の女性オーンと若い女性ルンに連れられて、ミンという男性が医師の診察を受けている。次の舞台はルンの働く工場。オーンは白いクリームと野菜とを混ぜ合わせ、タッパーに入れている。その後、ルンとミンは自動車で街を離れて森林へピクニックに向かう。上映開始から30分程が過ぎたこのシーンで、音楽にのってようやくオープニングタイトルが現れる。
前半の病院や工場は、白と直線が目立つ無機質な人工的世界である。後半では、曲がりくねった木、葉の緑と果実の赤、木漏れ日、流れる水の支配する森林が舞台になる。このように本作は、2パート形式の映画であり、都市から森へと入っていく映画とも言える。前後半の変わり目となる道路は、木に囲まれており、都市と森をつなぐトンネルのように見える。

「越境」のテーマは、本作の随所に見られる。
冒頭の病院のシーン。ミンは医師の指示に従い深呼吸をし、身体の内側に空気を吸い込み、外へ吐き出す。また、医師は彼の喉と皮膚を診察する。さらにオーンが作る奇妙なクリーム。オーンの夫らしき男性が一口食べているのだから、食べ物かもしれない。だがミンの肌に塗っていることから、ボディクリームと野菜を混ぜたものにも思える。そしてミン自身、ミャンマーからの不法入国者らしい。国境を越えてきた男ミン。その身体の内外を、空気、診察、クリームがめぐる。また、ミンはシンガポールで働きたいと述べるなど、さらなる「越境」を考えているようだ。

森の中に入ると、なぜかミンは服を脱いで下着一枚になり、露出した身体から皮がポロポロと剥がれ落ちる。身体が服という境界を越え、さらに新しい皮膚が内から外へ越境していく。森への移動中、ルンはクリームでドロドロの手でシフトレバーを握る。終盤の森の中、彼女はミンの男性器に触れる。シフトレバーと男性器、白いクリームと精液との対応。そしてミンの「脱皮」。まるでミンが森と川の中で洗い流され、生まれ変わるようにも思える。だが、彼は何に生まれ変わるのか。その答えは示されない。 


©Kick the Machine Films

越境、その先に何が待つかわからない。だが、越境という行為それ自体が重要なのではないか。その証拠に、観客である私たちにも越境が促されているように思える。木漏れ日の射す森の中、水の流れる音を聞きながら、ルンはミンの横で寝入る。タイトルの「ブリスフリー」が示す通り、自然に囲まれた至福のとき。長回しの映像にはセリフもほとんどなく、何らのドラマもアクションも起きない。観ているこちらも眠気を誘われる。観客も巻き込んで、意識から無意識への越境を意図しているようである。
さらに最終盤、登場人物三人の現実が伝えられる。ここに至って、映画と現実との境界も
越えられ、今まで観たものがフィクションなのかドキュメンタリーなのかわからなくなる。

この宙ぶらりんの状態に来たところで詮索はやめようと思う。本作とともに虚構と現実、都市と自然など、様々な境界を越えてきたのだ。言葉で定義することで、意味の境界を定めてしまう必要などない。意味づけしてしまうのではなく、謎を謎として残し、それについて考えるべきだろう。前半のミンも言葉を発さなかったではないか。沈黙の越境者ミンのように、境界を定めるよりも「越境」を続けるべきだろう。

ピクニックに行きたい度:★★★★☆
(text:高橋雄太)

『ブリスフリー・ユアーズ』
英語題:Blissfully Yours
2002年/タイ/カラー/35mm/125 分

作品解説

ミャンマーからやって来た不法労働者のミン、そのガールフレンドの若い女性ルン、ミンを何かと気づかう中年女性 オーン。ミンとルンとは森の中をさまよいながらひと時を一緒に過ごす、偶然同じ時に不倫相手と森に入ったオーン は姿を消した相手の男を探すうちにミンとルンと遭遇する...。ジャン・ルノワール監督の不朽の名作『ピクニック』 にもたとえられた至福の映画。

スタッフ
監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン

配給:ムヴィオラ

公式ホームページ

劇場情報

「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の旧作長編+アートプログラムを特集上映!

期日:2016年1月9日〜2月5日
場所:シアター・イメージフォーラム

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