2016年2月5日金曜日

【アピチャッポン特集】映画『真昼の不思議な物体』評 text長谷部 友子

「物語が生まれる場所」


ある女性がつらい過去を語りはじめるところから映画ははじまる。ドキュメンタリーなのだろうか。カメラを回す側にいる青年は、もっと話を聞かせてほしいという。「本当のことでなくてもいいから」と。
このはじまりからして見事だと思う。君につらいことを思い出させ、無理に口を開かせようとは思わない。けれど君が語ることを待ち望んでいる。物語られることの本質がそこにはある。

女性は架空の物語を語りはじめる。主人公は車椅子の少年。少年の家庭教師である女性は、ある日急に倒れてしまい、少年が助け起こそうとすると女性のスカートから「不思議な物体」が転がり落ちる。女性がそこまで話し終えると、カメラは何故か車に乗って移動していき、象使いの少年たちが映し出される。女性が語った物語を伝えた後、続きを考えてほしいとカメラ越しに告げる。かくして、老若男女様々な人が物語を引き継ぎ、即興の物語が続けられるが、不思議な物体は男の子になり、家庭教師の女性になり、様々なものに姿を変えていく。話は二転三転、こう言ってはなんだが、本当に支離滅裂でわけのわからないへんてこな話が続いていく。語られたことは止まるところを知らず、ころころと転がっていく。

©Kick the Machine Films

人々が物語を語る部分はドキュメンタリー、物語を映像化している部分はフィクションと二重の構造をとっていたはずが、途中から物語を語った人がそれを演じてみせたり、どんどんとその境目はわからなくなっていく。

物語とは何なのだろう。
語り手を変え、架空の話を引き継がせ、物語る主体に一貫性をもたせないこの試みは、その後のアピチャッポン作品に色濃く反映される。アピチャッポンの作品には主人公というものを見出すことが難しく、この人が主人公なのだろうと思って見ていたのに、たまたま出てきた他の人について行ってしまうことがよくある。

アピチャッポンは常に物語に揺さぶりをかける。確固たる物語を解体する。ゆらぎのような場所に一瞬表出する突起を丁寧に拾っていく。
物語の価値は語られることの内容にあり、そこに一本しっかりとした背骨が通っているという幻想から、私たちはやはりどこかで逃れられない。しかし語りだそうとするそのときに、物語はすでに宿っている。

(text:長谷部友子)






『真昼の不思議な物体』
英語題:Mysterious Object at Noon
2000年/タイ/モノクロ/35mm/83 分

作品解説
監督はタイの国中を旅し、出会った人たちに物語の続きを創作してもらう。画面には、マイクを向けられるタイの地方の人々と、彼らによって語られた「不思議な物体」の物語が、交錯して描かれる。話し手により物語は次々と変容する。

スタッフ
監督:アピチャッポン・ウィーラセタクン
脚本:タイの村人たち
撮影:プラソン・クリンボーロム
編集:アピチャッポン・ウィーラセタクン、ミンモンコン・ソーナークン



配給:ムヴィオラ

公式ホームページ

劇場情報

「アピチャッポン・イン・ザ・ウッズ2016」
アピチャッポン・ウィーラセタクン監督の旧作長編+アートプログラムを特集上映!

期日:2016年1月9日〜2月5日
場所:シアター・イメージフォーラム

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