2015年10月18日日曜日

映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』text井河澤 智子

「親密な、しかし少し恥ずかしげな」


乱雑に散らかった部屋に、そのおじいちゃんは背中を丸めて座る。

口を開くと、ぼそぼそ人を煙に巻くような言葉を漏らす。少し照れくさそうでもある。 

誰が彼を、かつて華やかなファッションフォトの最前線で活躍した写真家だと思うだろうか。
ソール・ライター。 

1940年代から、濃密な色彩でニューヨークの街角を撮影したカラー写真の先駆者。 

「ライフ」誌や「ハーパーズ バザー」「ヴォーグ」誌など、フォトジャーナリズム誌から有名ファッション誌のグラビアまで、幅広く活躍した写真家。

同時期に、ユージン・スミス、リチャード・アヴェドン、ダイアン・アーバス、ジャンルー・シーフなど錚々たる面子が集っていた、ニューヨークの写真界。彼もその一員だった。

60年もの間この倉庫のような部屋に暮らしている、自らを「大した存在じゃない」と言い切るこのおじいちゃんが?

この映画は、そんな彼、ソール・ライターの、どこか口ごもるような、しかし別に他人を拒絶するところのないような、ぽつりぽつりと語る諸々を、「おじいちゃんの知恵袋が13個」というようなやわらかな感覚で描く。字幕翻訳は米文学研究者・翻訳家の柴田元幸氏による。やわらかな印象はこの字幕によるところも大きい。音楽も温かな、親密な雰囲気で、観る者を引き込む。 

LUMIX。日本のご家庭でもおなじみのこのカメラ。おじいちゃんがこの薄い紫のデジカメを弄びながらぼそぼそと喋る場面もある。(機材にこだわりはないのか?) 

おじいちゃんはそんな普通のデジカメをぶらさげて、ご近所の人たちをふらりふらりと撮って歩く。ご近所のみんなはごく普通の顔でファインダーに収まる。いや、デジカメだから、液晶画面に収まる、と言うほうが適切か。一見、写真好きのご隠居、といった風情で、おじいちゃんは人々の間にごく普通に溶け込んでいる。 

そんなおじいちゃんの若き日の作品の数々が映画の中に写し出される。

50年代のニューヨークの街角。写っているのは街の普通の人々の日常である。それは(知らずに被写体となっているであろう彼らにとって)生活であり、労働である。しかし、色彩は美しく鮮やかで、構図はすこぶる大胆である。一度見たら忘れられない、ストリートスナップの芸術である。

この美しい写真の数々が日の目を見ることになったのは、映画『世界一美しい本を作る男 ~シュタイデルとの旅~』(2010)により、その本づくりへのこだわりが映画ファンにも知れ渡ったドイツ・シュタイデル社から、2006年、写真集『Early Color』が発行されたことによる。40年代からの長いキャリアを持つというのに、これが初の写真集である。その後、2008年にはアンリ・カルティエ・ブレッソン財団で個展が開催されるが、これもまた初の個展だという。念を押すようだが、彼は著名な写真家である。

「忘れられたいと 思ってたのに
 重要でなくあろうと願った 
 それが……まあ仕方ない」 

しかし、(意に反してかもしれないが)彼は「再発見」された。 

「人生で大切なことは、何を手に入れるかじゃない。何を捨てるかということだ」こう語る彼が住む部屋は、彼が捨てられずにいる(あるいは、捨てずにいる)物の数々に溢れている。それらひとつひとつが、彼の歴史だ。その物語にはずっしりと重いものもあったが、その歴史に埋もれるように、慈しむように、彼は暮らしている。片づけなければ、と言いながら片づけられずにあるそれらは、彼、ソール・ライターが、とても愛情深い人間であることを表しているようである。

その愛情(すなわち、捨てなかった個人的なフィルム)が、時を超え、一冊の美しい作品集へと結実したのだ。捨てないでいてくれてありがとうございます、と感謝の言葉を述べたい。

この映画には、主にソール・ライターが個人的に撮影した写真が取り上げられている。では、ファッション写真家としての彼はどんな写真を撮っていたのか。50年代の「ハーパーズ バザー」誌を探してみた。幸い、何部か彼の写真が掲載されたものが見つかった。

被写体とフレームの間になにか遮蔽物があり、被写体の一部が隠れているものが多い。また、その遮蔽物のせいか、被写体がカメラに視線を送っていない写真もある。 


時を経てくすんだ写真ではあるが、想像させる往時の色彩、また、被写体とカメラの間に漂う、親密なような、同時にどこか恥ずかしげな距離感に、あぁ、ソール・ライターの写真なんだ、と、ふと感じさせられた。

街のご隠居は実は凄いのだ度:★★★★★
(text:井河澤 智子)






『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』
原題:In No Great Hurry: 13 Lessons in Life with Saul Leiter
2012年/イギリス・アメリカ合作/75分/カラー/日本語字幕:柴田元幸

作品解説
2006年に写真集で定評のあるドイツのシュタイデル社から初の作品集が出版され話題を集めたライターは、1940年代からニューヨークを撮影したカラー写真の先駆者で、一流ファッション誌の表紙を手がけていた。しかし、80年代からあえて名声から距離を置き、表舞台から消えていった。本作はそんな写真家の晩年に、英国人の監督トーマス・リーチ監督が密着した作品である。

スタッフ
監督・撮影:トーマス・リーチ
編集:ジョニー・レイナー、ケイト・ベアード、トーマス・リーチ
音楽:マーク・ラスティマイアー
製作:マーギット・アーブ、トーマス・リーチ
協力:Saul Leiter Foundation / Howard Greenberg Gallery 
イラスト:Ritsuko Hirai
配給協力・宣伝:プレイタイム
配給:テレビマンユニオン
公式ホームページ

劇場情報
11月下旬、シアター・イメージフォーラムほか全国順次公開!

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