2015年10月18日日曜日

「山形国際ドキュメンタリー映画祭2015訪問記」text 高橋 雄太

二年に一度、山形で開催されている山形国際ドキュメンタリー映画祭。名前が示すようにドキュメンタリー映画に特化したイベントであり、世界中から多くの作品が集まる。2015年、念願かなって参加することができた。

「インターナショナル・コンペティション」、「アジア千波万波」、「日本プログラム」、「ラテンアメリカ——人々とその時間:記憶、情熱、労働と人生」、「アラブをみる——ほどけゆく世界を生きるために」など数々の企画がある。

私が経験できたのは映画祭のほんの一部に過ぎないが、映画、会場などの情報を含めたレポートをお送りする。

・期間


開催期間:2015年10月8日-15日

筆者の参加期間は10-12日

・利用した交通手段

往路:新宿~山形駅の夜行バス、所要約6時間

復路:山形~東京の山形新幹線、所要約3時間

夜行バスは5:30頃に山形駅到着。映画の上映はだいたい10:00頃に始まるため、4時間ほど暇を潰さねばならない。しかし、山形駅周辺には早朝に開いているファストフード、ファミレス、ネットカフェなどが見当たらない。開いているのは松屋とコンビニくらい。同行した友人と山形駅構内で長い時間を過ごすことになった。また、夜の移動は疲れるので、肝心の映画鑑賞にも支障が出てしまった。

市内交通について。会場近辺を循環するバスがあるようだが、筆者は利用しなかった。会場間、ホテル~会場も全て徒歩で移動した。

・会場


映画祭の会場は複数あり、いずれも山形駅東口側に集中している。時間が許すなら、複数の会場を行き来するスケジュールを組むのもよい。徒歩での移動がちょうどいい散歩になり、気分転換ができる。

会場は以下の通り。

フォーラム:シネマコンプレックスであり、一般の映画も上映されている。山形駅から伸びる大きな通りを歩き、交差点を左折したところにある。山形駅から徒歩10分弱。(写真1:フォーラム

山形市民会館:フォーラムの隣にある。大ホールと小ホールが会場になっている。

山形市中央公民館:フォーラムの北東方面、繁華街の七日町にある。複数の店舗が入っているアズ七日町ビルの6階のホールが上映会場。 (写真2:山形市中央公民館のビル入り口

山形美術館:山形駅から見て線路とほぼ平行な方向にあり、他の会場からやや離れている。映画の上映だけでなくシンポジウムなども行われる。



写真1


写真2

・宿泊 


山形駅の東側、駅と映画祭の会場から徒歩圏内のビジネスホテルに泊まった。

山形駅の近くに多くのホテルが見られたが、映画祭期間中には混雑するとのこと。山形駅以外の駅に宿を取ることも可能らしい。だが、鉄道の本数が少ないこと、後述の香味庵などで遅くまで飲食することを考えると、山形駅周辺に宿泊することが望ましい。

・香味庵


映画祭期間中に関係者・観客が集まるお食事処。 (写真3:香味庵入り口)

知り合いとはもちろん、見知らぬ人とも気軽に話せる雰囲気である。筆者は地元のおじさまと同席し、日本酒をおごってもらった(ごちそうさまでした)。

入場料500円(ワンドリンク、おつまみ付き)。追加のドリンクは有料。日本酒、ビール、ソフトドリンクが揃っている。

無料の芋煮、うどん、漬物が振舞われる。ただしすぐになくなってしまう。有料の食べ物はおにぎりと唐揚げ。

おおよその位置は、山形美術館の東、フォーラムと山形市民会館から見て北。フォーラムから徒歩15~20分が目安。

宴会場としての営業時間は22:00~2:00。



写真3

・チケット 


1回券、3回券、10回券、フリーパスがある。いずれの種類にも前売り券と当日券があり、前売り券の方が安い。なおシンポジウムやトークイベントなどは無料のケースもある。

映画の座席は予約制ではなく自由席。当日券・前売り券関係なく会場に並ぶ。人気のある作品では会場の外まで行列ができ、立ち見になることもある。後述の映画『鉱』は大変混雑しており、筆者は最前列に座り、超ローアングルで鑑賞した。

・映画


鑑賞した作品の中でも印象深かったものを、筆者の感想とともに紹介する。

『フランスは我等が故国』(監督:リティ・パン/フランス、カンボジア/2015/75分)


フランスの植民地支配を受けていた時代のカンボジアの記録映像にナレーション、音楽、サイレント映画を模した字幕を加えた作品である。文明国フランスと未開のカンボジアという構図を意図的に作り上げることで、帝国主義的な視点が普遍的なものではなく恣意的なものであり、同時にドキュメンタリーの主観性をも示す。

『子のない母』(監督:ナディーン・サリーブ/エジプト、アラブ首長国連邦/2014/84分)


女は子供を産み、家庭を守るもの。そうした価値観を批判することなく、懸命に母親になろうとする女性たちを正面から描いた作品。

『ホース・マネー』(監督:ペドロ・コスタ/ポルトガル/2015/104分)


ロバート&フランシス・フラハティ賞(大賞)受賞作。

『コロッサル・ユース』に続いてヴェントゥーラが登場する、ペドロ・コスタの新作。

固定ショットに不安定をもたらす斜めの構図。光と闇、画面内を仕切る直線。亡霊のような人々は、画面内の境界を行き来し、同時に過去と現在、虚構と現実とを出入りする。ヴェントゥーラの震える手のように、映画は世界を揺り動かす。

『鉱』(監督:小田香/ボスニア・ヘルツェゴビナ、日本/2015/68分)


ボスニアの炭鉱、地下300m。そこは文明を支えるエネルギーを掘り起こす場所、我々の日常からは隠された場所だ。カメラは名もなき坑夫たちとその労働を記録する。しかし、トンネルの闇、強烈なヘッドライトで画面はよく見えない。観客と不可視の画面との関係は、地上の社会と地下の炭鉱との関係のアナロジーである。見えないことが映画であり得ることを示した作品。

なお、タイトルの『鉱』は「あらがね」と読む。

『ドリームキャッチャー』(監督:キム・ロンジノット/イギリス/2015/98分)


性暴力の被害を受けた女性たちを支援する女性ブレンダを主人公とした作品。ブレンダは団体ドリームキャッチャー・ファウンデーション率いて、女性たちの話を聞き出し、希望を与える。

ブレンダの活動は意義深いものだと思う。だが、アクセサリーやウィッグで自分を飾り、歌って踊り、企業のCEOのようなプレゼンをする彼女の姿は、「強い女性」や「社会的成功者」のステレオタイプにも見える。結局はアメリカン・ドリームやポジティブ思考という価値観のプロパガンダに思えてきて、単純に「女性たちを助けていて素晴らしい」と共感はできなかった。

『我等の時代の映画作家シリーズ:ジョン・カサヴェテス』(監督:アンドレ・S・ラバルト、ユペール・クナップ/フランス/1969/49分)


生前のジョン・カサヴェテスへのインタビュー映像と、彼の映画『アメリカの影』、『フェイシズ』の抜粋で構成されている。亡きカサヴェテスが、モノクロの画面によみがえり、生き生きと動き、語る。自作のこと、自分とハリウッド、お金のためでなくやりたいからやるという姿勢。自宅の編集室まで公開している貴重な映像作品。

『チリの闘いー武器なき民の闘争 三部作』(監督:パトリシオ・グスマン/チリ、キューバ、フランス/1975-1978/263分)


山形市長賞(最優秀賞)受賞作『真珠のボタン』のパトリシオ・グスマン監督の過去作品。

民主的に選ばれたチリのアジェンデ政権が、軍事クーデター(南米の9.11)で崩壊するまでの過程を描く263分に及ぶ超大作。カメラは街や工場に繰り出し現場を記録している。民衆のアップ、群衆のロングショットなど高密度の画面に、当時の情勢を語るナレーションが重なる。大量の情報と悪化する一方の状況が、現代の観客をサスペンスに引き込む。クーデターは40年近く前のできことだが、政治闘争、言論と暴力、民主主義……時代と場所を超えた普遍的なテーマが含まれた作品であり、現代への警鐘でもある。

・全体の感想


途中で帰ってしまうのが惜しいほど楽しいイベントでした。

好きな作品、気に入らない作品、お目当ての映画、意外な傑作。様々な映画との出会いがありました。 また、友人たち、一期一会になるであろう見知らぬ人々……多くの人たちとの出会いもあるのです。

ドキュメンタリー映画が好きでも、そうでなくても、参加してみてはいかがでしょうか。と言っても、次回は二年後ですが。

二年後が待ち遠しい度:★★★★★

(text:高橋雄太 photo:大久保渉)


作品解説

特別招待作品『フランスは我等が故国』

カンボジアのボパナ視聴覚資料センターの代表も務め、YIDFFで数々の作品を上映してきたリティ・パンのアーカイブ・ドキュメンタリー。

アラブをみる——ほどけゆく世界を生きるために『子のない母』

土地に根ざした因習と変わりつつある社会の狭間で浮かび上がる、ある女性の死生観を描く。

インターナショナル・コンペティション『ホース・マネー』

『コロッサル・ユース』に続き、リスボン郊外のスラム街フォンタイーニャス地区に暮らした老移民者ヴェントゥーラの記憶とその苦しみを、清冽な眼差しのもとに描き出すペドロ・コスタ最新作。カーボ・ヴェルデから19歳で出稼ぎに出た彼が経験した1974年カーネーション革命とその後の曲折。廃虚と化した工場、監獄のごとき病院。過去と現在、そして未来へと亡霊的な時空間を彷徨い歩くヴェントゥーラの魂の軌跡が、高純度の人間愛と圧倒的な映画表現の中に立ち現れる。事実とフィクションの狭間で「映画」という装置がいかにして人間の「生」を解放するのか。映画表現の極北を見つめつづける孤高の作家による到達点。

アジア千波万波『鉱』

ボスニアの炭坑で黙々と働く坑夫たち。絶え間なく響く音のなかで、カンテラの光と闇にうごめく彼らをひたすら見続ける。監督はサラエボの大学院のタル・ベーラの映画プログラムで学ぶ。
 

インターナショナル・コンペティション『ドリームキャッチャー』

イラン式離婚狂想曲』(YIDFF '99)などで強く生きる女性を撮り続けてきたキム・ロンジノットが新たな被写体に選んだのは、シカゴで性暴力の被害女性たちを支援する団体「ドリームキャッチャー・ファウンデーション」のブレンダ。問題を抱えた娼婦や性暴力の記憶に悩む少女らの話に耳を傾け、献身的に活動するブレンダ自身、娼婦であった過去に薬物中毒にかかり、性的暴行を受けた経験があった。弱者としての女性に冷淡なアメリカ社会の現実に立ち向かいながら、ブレンダの慈悲と熱意が彼女たちの傷を癒やし、明日を生きる力を与えている。

Double Shadows/二重の影――映画が映画を映すとき『我等の時代の映画作家シリーズ:ジョン・カサヴェテス』

1965年、ジョン・カサヴェテス(1929−89)は、自宅のガレージを編集室に改築し『フェイシズ』の編集作業を開始。カサヴェテスのワークショップに参加した学生たちがその作業を手伝い、その模様がインタビューで綴られる。3年後、『フェイシズ』の編集は終わり、ヴェネチア国際映画祭に参加する為パリに立ち寄ったカサヴェテスは再びインタビューに答える。ハリウッド映画の対局に自らを位置づけ、インディペンデントな映画製作について力強く語るカサヴェテスの姿が記録されている。

ラテンアメリカ――人々とその時間:記憶、情熱、労働と人生『チリの闘いー武器なき民の闘争 三部作』

パトリシオ・グスマンによるチリ・ドキュメンタリー映画の金字塔的作品。グスマンはチリの政治的緊張とアジェンテ政権の終焉を記録している。「第一部:ブルジョアの叛乱」「第二部:クーデター」「第三部:民衆の力」から成る長編作。「世界で最も優れた10本の政治映画の1本」と評されている。


プログラム解説


〈Double Shadows/二重の影――映画が映画を映すとき〉

映画について語る映画とは、映画好事家のためにだけあるものだろうか? 「シネフィルの消滅」「映画の死」という言葉を出すまでもなく、観終ったばかりの映画を話す場所自体が、私たちの生活から失われているのではないか。本特集では、映画誕生から約120年を経た今日において、映画史あるいは映画そのものを主題とし、被写体とした作品を上映する。

〈アラブをみる――ほどけゆく世界を生きるために〉

国境を越えて広がるアラビア語圏。そこには「アラブ」とひと括りにできない豊かな個々の物語が溢れている。いわゆる「アラブの春」から4年。変わりゆく世界と真摯に向き合った新作と、40年代、70年代のレバノンやパレスティナを撮影した旧作を併せて上映することで、国家や共同体を越えた人々のつながりの可能性を模索する。

〈ラテンアメリカ――人々とその時間:記憶、情熱、労働と人生〉

1960年代に「第三の映画/サード・シネマ」と銘打たれた新しい映画の形式が模索され、数々の伝説的な作家を輩出したラテンアメリカ。やがて、独裁政権時代へと突入し、自国での制作が困難になった作家は、国境を越えて様々なかたちで助けを得て、互いに精神的にも連帯しながら作品を完成させていく。「第三の映画/サード・シネマ」は、第三世界(アジア、アフリカ、ラテンアメリカ)から発せられた情熱をかけた映画の探究でもある。混迷を極める現在だからこそ、60~70年代の社会変革への挑戦を映画で試みた第三世界の〈抵抗〉という視座を映し出し、現代における試みも含めて上映し、国境や島境を越えてラテンアメリカを巡るプログラム。

公式ホームページ


山形国際ドキュメンタリー映画祭
10月8日(木)〜15日(木)
http://www.yidff.jp/home.html


◎パトリシオ・グスマン監督『光のノスタルジア/真珠のボタン』(ともに山形国際ドキュメンタリー映画祭2015最優秀賞受賞作)が東京・岩波ホールほかにて劇場公開中



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