2015年10月10日土曜日

映画『草原の実験』text高橋 雄太

「終わらない実験」


タイトル『草原の実験』、そして原題”ISPYTANIE”=実験の通り、本作では実験が行われている。映画、生、死……複数の実験が。

風が吹きすさぶ大草原。そこに建つ一軒の家に、少女と父親が暮らしている。父はトラックに乗って働きに出て、少女はそれを見送る。それが二人の毎日。少女は馬に乗った少年と親しいようだ。そこに故障した車に乗っていた青い目の少年が現れ、やはり少女に恋をする。淡い恋の三角関係と穏やかな日々。しかしそれは唐突に終わることになる……。 

97分間セリフなしの本作は、言葉を使わない映画の実験と言える。 

身振りの丹念な描写が、観る者の想像力に働きかける。少女は髪を三つ編みし、父親に靴下を履かせる。少年は少女に微笑みかける。言葉を交わさずとも、親子は心を交わすことができ、少年少女の恋心も伝わる。そして言葉に頼らない映画が成立する。 

登場人物たちは、草原に根付く草木のように、大地に根を張って生きている。テレビやインターネットで遠くの世界を見ることもない、外部から孤立した生活だ。しかし映画の登場人物も、我々と同様に、想像力を働かせている。翼のない飛行機に乗ってはしゃぐ父親、飛行機の下に置いた綿を白い雲に見立てる娘。彼女は、葉をスクラップブックに貼り付けて木やヨットを形作り、部屋の壁に貼られた世界地図を眺め、指でたどる。彼らの想像力は、草原を大空や世界に変える。我々が映画館に座り映画の世界を旅することと同じく、彼らはどこにも行かずに、どこにでも行ける。この作品は、草原という環境に人間を配置し、人々の生を見据えた実験でもあるのだ。 

ファーストシーンの草原に散乱する羽毛、草原の一軒家、トラックが停車する分かれ道など、ハイアングルのショットが頻繁に登場する。高みから人間を観察する「神の視点」である。

その神の視点に映る生は、循環と回転に支えられている。 

少女は馬に乗った少年に水を差し出す。少年は水を一口飲み、残りを大地にまく。水は瞬く間に蒸発し、大気に拡散する。そして雨として降り注ぎ、再び大地を潤す。物質は循環し、草原の人々の糧となる。

物質が循環して元に戻るように、人々の生活は元に戻る運動=回転で構成されている。父親はトラックのエンジンルームに取り付けた金具を回転させることで、エンジンを起動させる。少女は自らの髪を束ね、螺旋状に巻きつけることで三つ編みを作る。フィルムが繰り返し再生(回転)されるように、これらのシーンは反復される。回転が同じ軌道をたどって元に戻る運動であるごとく、人々の生も同じところに帰り着く。

また、青い目の少年は、映写機のハンドルを回すことで、少女の写真=静止画を家の壁に映写する。回転というアクションが静止を生み出す。動きと静止。この相反するものの両立が、時間の止まったような、素朴で力強い草原での生を実現させている。

青い目の少年と少女の行うあやとり、永遠に続くかとも思われる指と糸の戯れは、草原で繰り返しの日々を過ごす彼ら自身の生を象徴している。 

そこに訪れる死の実験。静かな草原を襲う圧倒的な暴力。草原、水、家、人、愛……全てを吹き飛ばす。草原は荒野と化し、生きるものの姿はない。ここで映画は終わる。映画の実験は終了し、生の実験も終わってしまったように見える。 

だが、それでも日は昇り、沈む。この太陽の見かけの動きは、地球の自転という回転により生じる。手回しの映写機が少女を静止画に固定したように、回転には生をとどめる力があるはずだ。繰り返しを続ける天体運動のもと、生の実験も続く。

実験成功度:★★★★★
(text:高橋 雄太)






『草原の実験』
原題:SPYTANIE
2014年/ロシア/97分

作品解説
広大な草原地帯を舞台に、平和な日々を送る父と美しく優しい娘、そして娘に恋をする2人の青年のエピソードを一切のセリフを排して描いた異色作。ロシアの新鋭監督アレクサンドル・コットが、旧ソ連のカザフスタンで起きた実際の出来事に着想を得て作り上げた一作で、セリフなしの映像美で描かれる少女たちのささやかな日常に、徐々に意外な暗い影がさしこんでいく。2014年・第27回東京国際映画祭コンペティション部門に出品され、最優秀芸術貢献賞を受賞した。

出演
ジーマ:エレーナ・アン
マクシム:ダニーラ・ラッソマーヒン
トルガト:カリーム・パカチャコーフ
カイスィン:ナリンマン・ベクブラートフ=アレシェフ

スタッフ
監督:アレクサンドル・コット
製作:イゴール・トルストゥノフ、セルゲイ・コズロフ、アンナ・カガルリーツカヤ
脚本:アレクサンドル・コット

公式ホームページ

劇場情報
渋谷シアター・イメージフォーラムほか 全国順次ロードショー

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